人間が作り出す最高のものは「のぐそ」だという信念

僕は真剣だ。これから書くことはウンコについて、特に「のぐそ」についてだ。このテーマからして、汚いとか、ふざけてるとか、ついに頭がおかしくなったと思われるかもしれないが、真面目に書いている。

今日、伊沢正名さんのお話を聞いてきて、「ウンコ」と「のぐそ」をもっと真剣に考えようと強く思った。この講演会に行くきっかけは、1年ほど遡る。服部 文祥さんの講演会を聞き終えた時に、一冊の本が紹介された。その本が伊沢さんの「くう・ねる・のぐそ」だった。当時のブログにこんな風に書き残している。

さらに、「くうねるのぐそ」という本も知った。人間は本来食べたものを地球に還元すべきだとノグソをしている人の本。おお、素晴らしい発想だと思った。ちなみに僕の一番気持ち良かったノグソは、真冬の真夜中にチベット タンゲ峠でしたノグソ。

ただこの本を買ってはいなかった。それは僕がウンコを軽視していたのだろう。今思うと、自分はなんて愚かだったのだろうか。この本は買っていなかったけれど「のぐそ」をするという思想には共感していた。今回、伊沢さんのお話が聞ける機会(東京うんこナイト)があるといので、新宿にあるロフトプラスワンに足を運んだ。

伊沢さんは10年近く1度もトイレでウンコをしていないことから、自分を糞土師(ふんどし)と読んでいた。「のぐそ」を始めてからは35年という歴史があり、なぜ「のぐそ」をするのか、そして「のぐそ」の快適な仕方を語ってくださった。特になぜ「のぐそ」をするのかと言う伊沢さんの思想が素晴らしく、非常に共感した。まず、「のぐそ」に興味を持った理由をスライドを用いて説明され、その後、自分の「のぐそ」がどのようにして土に還るかを自らのウンコ写真を示しながら教えてくださった。最後に、日本トイレ協会理事長の上幸雄さんと「大地を守る会」の理事である戎谷徹也さんが加わりディスカッションとなった。

まず、なぜ伊沢さんが「のぐそ」をするのか。伊沢さんはもともと菌類の写真家をされていた。なぜ菌類の写真家をしていたかと言えば、菌が持つ分解の能力の大切さと偉大さをより多くに人に知ってもらうことだったそうだ。ただ、菌類やきのこの写真だけではそれを理解されなかった。このような写真を撮りながらも伊沢さんは「のぐそ」をして、菌によって「のぐそ」が土に還る過程を見続けいていた。そこで、菌類の偉大さや自然の循環を本当に理解してもらうには「のぐそ」「ウンコ」しか無いと思い、いまは糞土師(ふんどし)として「のぐそ」の重要性を訴える仕事をしている。

「のぐそ」の何が凄いかといえば、土に還ることだ。現在の自然循環の中で人間のウンコは切り離されてしまっている。循環が途切れているのだ。本来の循環に戻すためには、人間が食べたものを「のぐそ」として土に帰し、「のぐそ」を菌類やミミズなどが分解し、新たな植物の栄養となり育つ必要がある。写真を見せて頂いたが、「のぐそ」の後には植物の根が密になっていた。それだけ栄養が豊富なのだ。この循環の輪を取り戻すために「のぐそ」をしているという。このことを伊沢さんはこんな風に表現した。「人間が作り出す最高のものは「のぐそ(ウンコ)」だという信念」「人間が自然に対して唯一お返しできるものはウンコだ」「食べることが人間の権利であるならば、うんこを自然に返すこと(ノグソ)は人間の義務である」。どの言葉も本質的でかつ納得のいくものだった。

ウンコが腐っていくことは汚いと思われがちだが、腐るということ事態は「生命の再生」であると語った。腐ることに寄って次の生命が生まれる栄養となるのだ。星野道夫さんが、トウヒで作られたトーテンポールが腐り、その上から新たなトウヒの命が芽吹いてきている姿を書いていたが、まさにこの事だろうと思う。こういった伊沢さんの考え方はいたってまともで、本質をとらえていると思う。けれど、ウンコは汚いものという社会の安直な一般常識の中だけで生きてきた僕には、とても新鮮に映った。「のぐそ」をして、自然のサイクルに完全に入ると自分が自然の循環の中にいるという喜びを味わうと言う。

そして、伊沢さんの「のぐそ」の仕方も興味深かった。ちり紙は分解しづらいので、葉っぱを使ってお尻を拭くと言う。それも季節によって、葉っぱは異なると言う。なんという自然の流れに従った素晴らしさだろうと感銘を受けた。ちなみに冬の時期にお尻に優しい葉っぱはクサイチゴの葉と笹の葉だという。ノグソ用にと、僕も2枚頂いた。また、50センチ四方あれば1回の「のぐそ」ができる。あまり一カ所に「のぐそ」をしてしまうと栄養過多になるので、少しずつ場所を変えて「のぐそ」をしているという。

伊沢さんが35年の経験から生み出した「のぐそ」の正しい仕方はこんな感じだ。まず「のぐそ」をするまえにスコップで穴を掘る。深く掘りすぎると菌類が少なく分解しずらいので、浅い穴を。そして、「のぐそ」をする。そして季節の葉っぱでお尻を拭く。最後に水で流す。夏場は蚊に刺されるので蚊取り線香は必須だそうだ。この「のぐそ」、夏場には1ヶ月で分解し、冬は半年ぐらい経ち春先になると分解するという。さらに面白いのは、分解しずらい冬の「のぐそ」にだけ育つキノコがあるという。分解までに時間がかかり効率が悪そうに思えるけれど、自然とはそれぞれの役割があるんだなとつくづく思う。

キノコや菌の写真から、伊沢さんの生まれたてのウンコ、そしてウンコが腐っていく過程の写真までを見せて頂きながらお話を伺った。伊沢さんはウンコに対して尊敬の念を抱いており、その気持が伝わり非常に興味深った。さらに、話し方や話されるときの表情も柔らかく笑顔が多く、一般の人にもすんなりと入ってくる感じがした。

その後は、日本トイレ協会理事長の上幸雄さんと「大地を守る会」の理事である戎谷徹也さんが加わってディスカッションが行われた。こちらも面白い話しだった。人糞と尿は最も野菜が育つ肥料だという話しは面白かった。人間は栄養価の高いものを食べ、雑食なのでバランスも取れた肥料になるという。実際に江戸時代は人糞を大切に利用して野菜を育ていていたようで、日本には素晴らしいウンコ循環型社会があったようだ。でも現在は人糞を使った野菜作りは皆無に近い。それは人糞よりも安い化学肥料が入ってきた事や、第二次大戦後アメリカが入ってきて人糞は不潔だということで排除したことなどがあったようだ。さらに、人糞で伝染病が起こると言う不安から現在のような下水システムが作られたようだ。ただ思ったのが、目先の清潔さだけで目の前からとりあえずウンコを見えなくする(水洗トイレと下水システム)ことによって、もっと大きな地球の循環を壊していると思う。ウンコが無ければ菌類の栄養が減り、すると人間にとっても有害な物質を分解する菌類も減れば、植物の栄養も減る。すると山や植物の生育も悪くなる。巡り巡って人間にも影響が出る。

ウンコを考えずして、自然環境、エコ、循環型社会は語れない。けれど、現在はウンコや野糞を排除して表面上の議論が多すぎると思う。ウンコを考えずして自然が語れるかということを思い知らされる時間だった。「のぐそ」から物事を考えると世界の見え方は大きく変わると話していた。例えば東京のような都市社会で全ての人が「のぐそ」をする事は不可能だ。しかし、みんなが「のぐそ」ができる環境で暮らそうと思えば、自然と田舎へ帰っていく。すると都市の一極集中は解決できる。これはちょっと極端な話しだけれど、何かを考える時に「ウンコ」を考慮にいれることは非常に重要じゃないかと思う。どんな人間でも毎日関わっている事なんだから。

最後にもうひとつ興味深いエピソードを。現代社会では「のぐそ」は犯罪だということ。町中で「のぐそ」をしたら猥せつ物陳列罪のようだ。さらに現在の建築基準法ではボットン便所を作る事が禁止されているようだ。そんな法律があるのかと驚いた。今の社会の常識はウンコは汚いものとされ、目先の、見かけの清潔さだけを重要視されている。それが常識として法律まで成立しているのだ。わずか50年前までは人糞も肥料として使われていたのに、この状況はおかしいと伊沢さんは嘆いていた。そして、この世の常識はおかしいから、「のぐそ」中に逮捕されて裁判で戦いたいとも話していた。すごい。本当に凄いと思った。伊沢さんは自然界に生きる生物として正しい事を言っている。そして少し長い目で、そして少しだけ自然の視点で見れば誰でも納得できる事。ただ、ここまで貫く気持は驚き尊敬するばかりだ。

僕の「のぐそ」経験はまだ数える程だ。人里離れたところに旅に出かけた時や山に行ったときぐらい。でも、その出す気持よさは感じている。チベットの峠で真夜中にした「のぐそ」の心地よさといったら忘れられない。済ませた後、ふと見上げると満点の星空が光っていた。そんな経験を思い出しながら「ウンコ」と「のぐそ」をもっと勉強しようと思った。毎日しているウンコがどのように処理され、下水処理場で最終的に溜まったウンコのカスがどのように処理されているか知らないなんておかしいのだから。そして、小学生や中学生の環境教育とか叫ばれているが、机上だけでなく、現代人が言う清潔なエコだけでなく、ウンコの事をもっと学ぶべきだと思う。小学生が山で「のぐそ」をして、どのように腐っていき、分解され、虫が食べ、そして植物が生える。そんなことを小学生の時に知ったら、自然に逆らった生き方をする大人になるはずが無いと思う。今日「のぐそ」に感銘を受けた身としては、こんな教育ができる日本にしていきたい。

送信者 ドロップ ボックス

トカラ列島(子宝島)の牧場で撮影した牛のウンコ

4 thoughts on “人間が作り出す最高のものは「のぐそ」だという信念

  1. 非常に面白い視点だと思いました。本来環境を考えるという事は、指摘されるような観点からも考えないと、片手落ちと言えるのかも知れません。

  2. 目から鱗の視点です。(目からウンコの視点とも言うらしいです笑)
    循環のひとつで、絶対に避けて通れないウンコなのに、無意識のうちに視野から外してしまう事が多いですね。

  3. 私も野ぐそは大好きですが、
    日本の国土では一部分に人が密集し過ぎている上に、そこはウンコの分解能の低い『街』であると思います。

    キジウチやお花摘みはその悦びをしっている一部の人の特権で丁度良いのではないでしょうか(笑)

  4. 東京ではノグソは難しいですね。
    人が多すぎるのと土が少ないので。

    山に行ったときなどのあの喜びはいいもんですよね。

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