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April 23, 2005

友達が取った写真は身近に感じる

友達が取った写真だと、身近に感じる。

友達が南米に行ってきた。先日南米の話をいろいろ聞いて面白そうだなと思ったのです。そして、写真をCDRでもらった。エクアドルとペルーの写真が200枚ぐらいだろうか。その写真を見ていた。ガラパゴスやマチュピチュ、ナスカなどの写真がたくさんあった。その写真はとてつもなく美しかった。特に空がきれいだった。あの空の青はめったに見ることが出来ない青色だと思う。嘘のない青とでも言えばいいのか、なんかこれ以上の青はないというほどの美しさ。濃い青もあれば淡い青もあるのだが、澄み切っている。空気がきれいなところはあんなにも空の青が美しくなるのだろうか。

で、そんな写真をいろいろ見ていた。食事の写真も写っていた。はっきり言ってうまそうだった。日本人の口に合うといっていた理由がわかる。街の写真も写っていたし、なんか南米という国が少し分かった気がした。その中でも、マチュピチュの写真を見たときにふと不思議な親近感を感じた。

マチュピチュの写真や映像はテレビや雑誌、インターネットなどでよく見る。あれだけ有名なので、もう見慣れたといってもいいほどであるだろう。しかしだ、友達が取ったマチュピチュの写真を見たときに、いつも見るマチュピチュの写真とは明らかに違う感情を持った。何か、マチュピチュが自分に近く感じた。手に取れる感情とでも言おうか。友達が取った写真はなぜ身近に感じるのか。

つい先日その写真を撮った彼と直接会っていた。だから、そんな身近な友達、実際に自分のそばにいた人がペルーまで行ったというのが身近に感じている理由だろう。その友達がペルーと日本を行き来した。そして、実際に行った人が自分のそばにいる。友達という物体は実際にペルーと日本を行き来して俺のそばにもいる。というのでリアリティが沸いたのだろう。それと、その友達からマチュピチュの話を聞いていたので、話と写真がシンクロしたからかもしれない。さらに、その友達がどんな気持ちでマチュピチュに行き、何を感じたかをだいたい推測できる。写真を取った気持ちが分かるから身近に感じたのだろうか。

まあ、人間の感情というものは不思議なものだ。

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