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September 24, 2004

旅の跡

http://teratown.com/files/india/list.htmlとりあえず写真、こちらからご覧ください

前から、行きたいと言っていたインドに行ってきたわけです。
インドにいったことのアル人の話を聞くと、なにやらすごそうなことを話する。

じゃあ、自分の目で確かめるか。
基本的な動機はそれだけです。
何かこれが見たいとか、インドが好きとかそんなんじゃないです。
みんながすさまじいというので、ホントかどうか、またホントだったら、
そんな衝撃を味わいたいと長い間思っていて、行ってきました。

行く前の印象、
・とりあえず騙される。変な旅行代理店に連れて行かれる
・町中が汚い。ごみだらけ、ほこりっぽい
・マチには牛がわんさかいる
・電車のチケットを買うのが大変。電車やバスがむっちゃ込んでる
・くさい
・カレーばっかり食ってる
・ガンジス川がなんかすごそう
・蒸し暑い
・物乞いが足をつかんできてはなさない

こんな印象を持っていってきたわけです。
実際に言った後の感想。
・一人旅の初めがインドだったらすごいショックを受けただろう
・思ったよりショックを受けなかった
・停電が多い
・手でカレーの米をきれいに食べるのは難しい
・バラナシ日本人多すぎ
・インド人はタフ
・確かに糞が多い
・アヒル、豚、いのしし、牛、豚、猿、リス、ねずみ、犬、クジャク、鶏、とりあえず何でもいた
・人ごみでもリクシャが走る。ぶつかる
・乗り物は確かに込んでる
・いいかげん(プラットフォームは本当に適当に教える)
・確かにヤバイ旅行代理店はあった
・思ったより物価が高かった
・田舎は蚊にさされまくり
・左手で尻を水でぺチャぺチャ洗う
・生水は意外と飲める
・何が起きてもへんじゃない。やっぱインドはインド。写真でもビデオでも言葉でも伝わらない。実際言って体験しないと分からない何かがアルそんな国。それがインド。って感じですかね。

india.gif

時系列にそって思い出に残っていること

成田→韓国インチョン空港→デリー→アグラ→トゥンドラ→バラナシ→サルナート→スノウリ→ポカラ→カトマンズ→ナラヤンガート→ビルガンジ→ラクソウル→パトナー→ガヤ→ブッダ・ガヤ→デリー→ソウル→成田

いつも通り、どこに行くかはさっくりとしか決めていなかったんですけど、ケッコウいい旅になりました。

成田→韓国インチョン空港 飛行機

飛行機に乗った。最近の韓国ブームとかでおばちゃんやショッピングとか言う俺のむちゃくちゃ苦手なものを好きそうな人が大量発生。こういう人たちだいたいうるさくて、群れていてウザイ。はっきり言ってこれから旅に行くというのに気分は良くなかった。しかし、そんなこと一瞬で忘れさせてくれることが。窓側の席だったんだが、窓の外に飛行機が。これは韓国行きだから見えたのだと思う。飛行機の数が多いから。むちゃくちゃ感動。それに、水蒸気が多かったらしく飛行機雲。ズーット続く飛行機雲。これはすごい。いい。たまらん。飛行機は見ているだけでかっこよくて好き、だけどこの飛行機と空、そして雲には感動した。飛行機に乗って外を見るとすごく星空がきれいなときとか、夕日がきれいなときがアル。これも好きだが、今回もそれに勝るとも劣らないすばらしさ。でも、韓国まで1時間チョトというフライトの短さにはショックを受けた。飛行機には何時間乗っていても気にならない僕にとっては物足りなかったです。

デリー→アグラ
デリーに着く飛行機はどこの航空会社も夜中しかない。デリーのおどし旅行代理店に儲けさせるためか?まあ、そんなわけで、初日のホテルを日本で予約をしていったり、夜中デリーで騙されたり、空港で泊まったりとこのような感じなのだ。僕は空港で泊まろうと決めていた。23:30に到着。出国手続きとかやっていたら1時ぐらいだったと思う。とりあえず、空港で泊まろうと思いベンチで準備。でも、デリーアウトなのでデリーにまた来る。ということで今日は出来るだけデリーにいたくない。そこで、夜中の3時30に空港を出た。まあ、無謀といえばそうですけど、バスは24時間だしと思って出た。客引きはこんな時間でもいた。出てバスに乗ろうとしたがどこか分からず聞いてバスに乗る。50RS。こんな時間でもインド人は乗ってくる。ほぼ満席。そして意味不明なでかい荷物もわんさかわんさか。これがインドかーと思う。蒸し暑い。真っ暗なインド。それが初めてのインド。そして、ニューデリー駅へ。そこでインド人と一緒に群れてチケットを買う。アグラへ。朝9時過ぎにはアグラについていたかな。タージマハール、高かったけどすごかったよ。でっかかった。床が暑かった。近くのラッシーはマジうまかった。

アグラ→トゥンドラ
早速めんどくさくなってきた。アグラバラナシのチケット取れず。それで、トゥンドラから行くことに。ここまではホテルから車で行くべきといわれた。でも市バスで。これがえぐかった。バス停のある場所がすさまじく汚い。まあ、この近くのバザールはすべて見た中で一番生活観があり、活気があり、汚く、狭く、一番好きでした。バスはもちろんどこ行きとか書いてあるはずもなく、一個一個のバスにトゥンドラ?トゥンドラ?と連呼。それで乗ったはいいが、マックスに込む。そんでもって大渋滞。ほこりがすごい。あつい。電車の時間までに付くかと思ったら、ついて一安心。

トゥンドラ→バラナシ
夜行列車。夜中の1時から翌日の昼14時30までかかったかな。かなり快適でした。タダのスリーパーだったけど、十分すぎです。ただ、ここの列車で食べた食事で下痢になったと思われる。ヨーグルトか、しゃびしゃびカレーか、卵です。電車の食事はずーっと常温で放置されているので、腐りやすいらしい。ヨーグルトももともとの牛乳が腐っていることがあるらしい。どうしようもないな。まあ、たいした下痢でなくて、普通に生活は出来ました。日本の薬で治らなかったのにインドの薬で一発で直ったのは驚きだった。あと、バラナシはヒンドゥーの聖地らしいが、観光地化していたな。先進国の観光地化、町が整備されたりとかではなく、住んでいるインド人が観光地化されていた。そんな印象。この場所が好きな日本人が多いみたいだが、僕はあまり好きになれなかった。

バラナシ→サルナート
これも市バスで行った。何といっても路線バスは安い。安いだけあって、庶民が使うインド人感覚を味わえます。でもそれだけしんどいのも事実です。外人はオートリクシャーとかリッチなもので行くらしい。
ブッダが最初に説法を説いた土地。日本寺を見て、心が安らいだ。俺って日本人なんだなと実感。
ネパールの情報がいろいろあった。行く前から問題だったマオイスト。日本人が殺されたとか、町が封鎖されているとか、デモがすごいとか。

バラナシ→スノウリ
インド乗り、これは俺がつけた名前。バスや電車、リクシャ、車、何でも定員の倍は乗る。それをインドのリ。ジープのような車に12人乗っていった。荷物を天上に縛って。狭すぎ。それで、朝から夜まで走り続けた。昼飯では、運転手のインド人がビールを飲む。早く出発しないと今日中に国境までいけないと思い。せかす。しかし、おいおい。一本かと思ったら、ストロングビールを追加、8%のビール。もちろん両方とも大瓶で飲んでます。酒臭すぎ。意味不明で時計を横瀬みたいな感じで客みんなにからむ。
ああ、と思っていたら酔っ払ったまま出発。途中で車は止まる。麻薬の運びやみたいな人と運転手が話す。こいつが車に相乗りしようとする。アホ。絶対無理だ。乗れるかボケ。むちゃくちゃみんなで抵抗。
コロンビア人カップルが乗っていて彼らは、あの拉致がおきまくって危険すぎるといわれるコロンビア人。さすがに強い。乗り込もうとする黒くて、デブで、金のネックレスの奴にopen your bag , show meと何度も叫んだ。中に麻薬が入っていると思ってマジで言っていた。乗り込もうとするインド人ぶち切れ。目が怖かった。車のガラスを殴って割るかと思った。すると、何度も言っていたのでしぶしぶかばんを開けた。中にはシャツとか靴下が。とりあえず、入ってなさそう。ではなぜ素直にあけなかったのか?と思っていると、かばんだけを車の屋根に乗せ、その男は帰っていった。シャツならもって行かないとダメだろう。やっぱり、麻薬が入っていたのだと確信した。

スノウリ→ポカラ
歩いて国境を越えた。バスでポカラへ。ぼろいバス。バスに乗ると荷物代を払えといってくる。たしか20RS 。35円ぐらい。でも払えるか。バス代はもう払っているのだ。それにネパール人の客に入ってない。維持でも払ってやらない。15分ぐらい、戦った。バスの出発時間になりそいつらは降りていった。勝った。屋根から荷物が落とされていないか確認。よしよし。ただ、カトマンズは封鎖でバスが出ていないので、ポカラ行きしかなかった。それにポカラ行きもなにやらすごい狭い農道を走る。そして道に迷ってしまう。なぜだと思って聞くと、スノウリも町も道路でタイヤが燃やされるなどして道路封鎖されていて大通りを勧めなかったらしい。そして、迷った道から抜け、バスは止まった。道路封鎖が終わるのをまっているらしい。いつになるか分からないと。。。なんとこの日はイラクでネパール人が12人殺された日だったのです。そんなことは露知らずと。しばらくして走り始めたバスは超スピード。町の店はどこも閉まっている。町には軍隊。そして、タイヤは道路で燃えすごくくさく、バスの中には軍が入ってきて検問。いやいやすごいときに来てしまったと思いましたね。この日も朝から夜までバスでした。ネパールの山道はかなりのもんでしたよ。それに夜雨が降ってきて、バスの上に載っていた荷物はビシャビシャと。どうにかこうにかポカラに着いたたわけです。

ポカラ→カトマンズ
ポカラでは日の出を見ようと早朝から山に登った。この時期は雨季で昼間は雲で山はきれいに見えない。早朝だったのでヒマラヤ山脈はきれいに見えた。おお、これだこれ。こういうのをネパールに求めていた。と思った。しかし日の出は見れず。建築物とかも見るのは好きだが、純粋に山とか海とか空とか、そういう自然のだだっ広いものを見るのが一番好きだと気づきました。同じような色で同じような景色が永遠と続くようなもの、しかし微妙に違うそんな壮大な自然を見るのが好きです。そんな場所に行きたいですな。ポカラの町をレンタルサイクルで走ったのは気持ちよかった。
カトマンズへはバスで。これがすごかった。旅での一番の思い出。それはがけ崩れ。山、道路、川とそんなところをバスで走っていた。するとがけ崩れ。ランドスライドって奴です。朝8時半ごろ通りかかったのですが、そのがけ崩れ、山崩れは朝6時に起きたらしい。ポカラとカトマンズを結ぶ道は一本しかないらしく、50台ぐらいバスがたまっていた。1,2時間バスを降りて本を読んだりボーっとしたりしていた。今日はここで野宿かなと。食べ物はどうしよっかなと。でも、左足の悪いインド人の人とスノウリで仲良くなっていた。彼とはポカラの湖でもあった。それで、この偶然何度も会っていたのでなんとなく親しくなっていた。そこで、彼は食べ物ならたくさん買ってきたから腹減ったらあげるよといってくれた。うれしかったね。本当に。泣きそうになるくらい、うれしかった。彼はいい男です。彼とはカトマンズでもあった。僕が宿から出て話していたら、前を一台のタクシーが。するとそのタクシーがバックしてきた。なんと窓から、足の悪い彼が顔を出した。おお、ここでまた合えるとは。うれしかった。そのエピソードはおいといて、がけ崩れの話。で、がけ崩れの除去作業は何日経てば終わるのだろうと思いボーとしていた。すると、なにやら、僕らのバスの人が荷物を持って歩き出す。何々?とおもってたずねると、がけ崩れの反対側に同じバス会社のバスがあるから、がけ崩れした山を登るという。そうかと、初めは軽く思っていた。僕はスリッパでもOKかと、そして、何時間かときいた。1時間ぐらいでエクセサイズみたいなもんだ。といわれた。それで、軽い気持ちで山を登り始めたのだ。そもそも、山崩れした山、登るルートが初めからあるわけでも、足場がしっかりしているわけでもない。先頭の人が、草とか木を切り、なぎ倒し、道を作りながら登っていくのだ。そんなんだ。どっかの探検隊か?それにスリッパに背中にはバックパック。前には肩掛けかばん。登り初めからありえないと思った。当たり前なんだが、そのことに登る前に気がつかなかった僕がアホだった。地面は山崩れしただけあり、すごくぬかるんでいる。それにロッククライミングのように急である。どこに足をおき、何をつかむか。そればかり考えていた。むちゃくちゃ集中していた。今までの人生で一番集中していた。つかむところを間違えれば、足を置くところを数ミリ間違えれば滑って落ちて死ぬ。ためしに足を掛けた石が不安定だったらしく、下にコロコロと落ちていった。それを見てぞっとした。自分もこうなるのかと。草の根元をつかみ、本当に抜けないか確かめ登った。両手両足を常に使っていた。体は地面というか山と平行のような姿。よじ登っている感じ。途中、滝みたいなところも越えた。2,30分ぐらい経つと、スリッパと足の間に土が入りすごく滑り出した。そもそもスリッパだけでもすべるので怖い。でも、そのスリッパを脱ぐ場所もないくらい休憩する場所がない。でも、このままスリッパを履いていては転げ落ちると思い、スリッパを脱ぐ。裸足だ。怪我が怖かったが、滑って死ぬ方が怖かった。後ろを見た。むちゃくちゃ急だ。どうやって登ってこれたのかも分からないくらい。もう無理だと思った。泣きそうになった。帰りたいと思った。でも、こんな急なところ戻る方が危険だ。誰も助けてくれない。金を積んでも、何をしても誰も助けてくれない。自分自身で何とかするしかない。選択肢はタダ一つ。前へ一歩でも進んでいくだけ。でも、足が震えだした。とめようと思っても震えがとまらない。落ち着けと自分に言いきかす。心臓の鼓動もむちゃくちゃはやい。過呼吸になるんじゃないかってくらい。あせも半端ないくらいでている。プールに入ったのかってくらい服が濡れている。それでも、ゆっくりとゆっくりと進んだ。とげが生えている草や木でも気にしていられない。藁をもつかむ思い。まさにそんな感じでつかんだ。それに草の根の強さを感じた。草がなかったら死んでいた。難所の連続だった。とあるところでは、高さ的に絶対登れないというところがあった。だが上には2人のネパール人。彼らは両手を貸せという。両手をネパール人に託して引っ張りあげてもらうのだ。そもそも両手を離すだけでも、バックパックがあるのでバランスを崩しそうになるのに。どうしよう。二人に命を託そうか迷った。自分で登れるなら上りたい。そして、周りを見回した。しかし絶対自分だけでは無理だった。決心した。信じます。お願いします。上に引き上げてください。そんな気持ちで、手を差し出し、引き上げてもらった。怖かった。でも、力を借りて何とか這い上がることが出来た。外人なんかほとんどいなく、ネパール人ばかり。荷物も少ない。彼らは先に行ってしまう。俺は頑張ってもゆっくりしかいけない。怖いし、急いで足のポジションの取り方をミスったら死ぬと思ったから慎重だったからだ。でもネパール人はドンドン先に。自分の前から人が消えた。マジなきそう。どこのルートを通っていけばいいのか分からない。遭難みたいな感じです。それも道もない山で。心のそこから前の人にwait waitと叫んだ。とりあえずまってほしかった。ただただ叫んだ。前のおっさんはいい人だったらしく、しぶしぶという感じだったが、ぎりぎり見えるところでまってくれた。うれしかった。長い長い登り。いつになったらのぼりが終わるのかも分からない。それがまた不安を大きくする。何時間登っているのかも分からないくらいの感覚だった。そう思っていると、くだりに入り始めた。ほっと。くだりは登りよりは楽だった。しかし、人間のミスは困難の跡の楽なポイントで起きる。ここで気を緩めたら滑って死ぬ。と言い聞かせ慎重に降りた。すると、山崩れの真横だ。これ危ないぞ。またここが崩れてもおかしくない。怖い怖い。すると、最悪なことに変な虫に手を刺される。血もすわれている。言っとくが蚊のようなものではない。血を吸われ痛かった。すぐ、虫を払ったが痛みが少しあった。痛みは続いたが、降りるしかないので、山を降りた。道路が目に入った。ここまでこれば、落ちても死なないと思った。地面がうれしかった。地面を見てほっとした。ここまでほっとしたことはない。うれしかった。死ななかったのだ。途中で、死ぬかも知れないと本気で思った。でも、そう思ったら負けと思い、自らを鼓舞した。でも、今は地面を見てそんなことも忘れるくらい、ほっと落ち着いた。さらに地面に足が着いたときには、うれしくてうれしくて叫んだ。たまらなかった。そして虫刺されだが、降りて水洗いをして、刺さっていた針を手から抜いた。持っていた消毒液で消毒してオロナインをぬった。少し痛んだが、痛みはしばらくするとひき、何事もなかった。地面に着いたわけだが、その道路には300台ちかいバスがあった。汚れまくった、裸足の足と、手、そして顔を洗った。僕の乗ってきたバス会社のバスは一番遠く似合ったのでひたすら歩いた。水が売っているところがあり、水を飲んだ。うまかった。うまかった。タダひたすらうまいと思った。水がこんなにうまいと思ったのは初めてだ。水で人は生き返る。そして立ちションをしてバスに乗り込んだ。2時間30ぐらいの山登り、マックスに集中し続けた。そのセイでバスに乗ると頭が痛くて痛くて、ガンガンきた。生まれて初めてこんなにも長時間集中したからなのだろう。

カトマンズ→ナラヤンガート
カトマンズには夜ついた。カーフューといって外出禁止令の出ている時についた。町には軍隊しか見当たらない。バスを降ろされてから安宿のエリアまで真っ暗な中歩くしかなかった。だってリクシャもタクシーもいないのだから。タメル地区という安宿地区に着いた。しかし、誰もいない。これはまずいぞ。シャッターも閉まっている。どこに泊まればいいのだ?外出禁止令の出ている夜に野宿は絶対無理。夜の8時にこんなに静まり返った首都は怖いもんだ。でも、タメルを歩いていると、一人の男が声を掛けてきた、ホテルがあるという。怪しいと思ったが他にやってない。仕方ない。部屋を見せてもらった。汚かったが大きな問題はない。160円だし。ということでそこに泊まった。次の日もカーフューだった。軍隊は町に3メートルおきにいた。道路でタイヤも燃えて封鎖されていた。道路では検問がいたるところでやっていた、デモもやっていた、外出禁止令もあった。店も完全閉店、空港は完全封鎖だった。さらに国王の奥さんが殺されたという噂が町中でされていた。マオイスト、イラクでネパール人12人殺害、それについで国王の奥さん殺されたとオフィシャルに発表すると、国がさらに混乱するから隠しているだけと。そんな噂だった。国が混乱するとこんな噂も出てくるのかと思った。それを実感した。でも、ネパールの一般人はそこにいる。そこに市民の生活はある。それが現実で、彼らは生活していかなければならない。当たり前だ。バラナシの聖地も、聖地といっても多くの人が暮らしている、そこにはそんな神聖なものであり続けるわけがない。いくら国が混乱しても、聖地といえでも一般人の普段の生活は続くのだ。そう感じた。
カトマンズからはまたまたバスだ。このバスも大変だった。飛行場は完全封鎖だし、バスも相当便数が減っている。ブッダガヤに行きたかったのだが、そこへの直通はないと知っていた。しかし、その手前のインドのパトナまでは直通で行きたかった。しかし、国境のネパールのビルガンジまでしかないという。しかたない、そこまでのバスで行くことに。そこでまたバスを探そう。何日かければ、ブッダガヤに着くのだろうと思った。バスを買ったところでは、ビルガンジまでダイレクトといった。カトマンズからビルガンジまでの「チケットを買った。しかし、そんな簡単にはいかせてくれないですよね。いろいろありましたよ。とりあえず、バスに乗る。20分ぐらい走り、バスが大量に通るジャンクションというところでおろされる。そこで、ビルガンジ、ビルガンジと叫びバスを探す。30分ぐらいしてそのバスが来た。とりあえず、バスに乗れた。インドやネパールで過ごしていて人は信じれないので、バスに乗っている人にビルガンジと聞くと、YESと。おお良かった。でも、先日がけ崩れが起こった場所を明日が通ったのだ。その直前でバスが止まる。おいおい
。冗談じゃないよな。また山登りか?もう絶対登らないぞ。と思っていると、バスから降りた人たちがバスに戻って、バスは走り始めた。良かった。土砂を除いたのが一車線分しかなかったので片側通行のために、とまっていたのだ。でも、えっ。方向違うじゃん。ビルガンジはこっち来ないはず。なんか気になってまた別の人に聞く。するとNOと。ええーー、。どういうこと?なんかナラヤンガートというところに行って、そこでまたバスを探せという。仕方ないな。でも、そこにバスがあるならイイかと思う。

ナラヤンガート→ビルガンジ
で、ナラヤンガートという町に。そこで、バスを探す。すると、近くにとまっているバスがビルガンジ行きのようだ。ラッキー。バスに乗る。しかし、バスの会社の奴が金を払えといってくる。俺は払った。カトマンズからビルガンジまでのチケットを買ったのだ。といった。しかしnew busだから金を払えという。払えるか。俺はビルガンジまでのチケットを買ったのだ。絶対負けない。絶対払わない。絶対バスからおろされない。チケットを見せた。しかしネパール語で書いてあって分からない。チケットを見せても払えといってくる。ネパール人4人で俺に払えといってくる。クソー。払えるか。と思い、バスに乗っている一般客にチケットを見せてビルガンジまでのチケットを買ったんですけど、こいつらが払えといってくる。俺は払わなくていいはずだ。と伝えた。状況を踏まえて、その人は分かったらしく、バス会社の人に言って助けてくれた。ありがとう。こういうときは一般人を味方につけるのは良い戦略なのだ。でも、彼らは払えといったが払わないといった。チケットを奪おうとされたので、返せといって奪い返した。すると、僕がここまで乗ってきたバスがUターンして、今乗っているバスの横を通った。すると、新しいバス会社の人が、すれ違ったバスを止めた。そして、僕が乗ってきたバスの運転手と反し始めた。口論が起こり始めた。10分ぐらい両者で口論をしていた。もしかしたら、本当のところ俺はバス代を払わないといけなかったのかも。でも、運転手がしぶしぶ新しいバスの会社の奴に金を払った。すると、僕は新しいチケットをもらった。これで、追加料金なくビルガンジまでいける。勝った。今度も勝った。追加で払ってたまるか。でも、ナラヤンガートからビルガンジのバスが辛かった。道が悪い。悪すぎる。山と道路と川。そんなんだが道は舗装されていないところがほとんど。山崩れは80箇所ぐらい。道はでこぼこでバスは揺れるゆれる。道路も崩れかけていてバスが落ちそう。滝みたいに水が流れているところも。そんな道なので、立ちおうじょうするバスも。すすまない。さらにさらに、そんな道なので車も壊れる。ぶっ壊れた車がそのまま道路の真ん中に放置されてたり、道路の真ん中で車の修理をしていたり。ありえない。ここは細い道しかない、山際の道ですよ。。。しんどかった。この道。このたびで一番辛かった道です。僕が辛かった理由はまだあって、エンジンの真上の席。アツイ。エンジンの熱気がそのまま伝わってくる。日本の車みたいにエンジンのガードがしっかりしていないのです。暑過ぎるし、エンジンのゆれもあるし最悪でした。ホント辛かった。

ビルガンジ→ラクソウル
ここは国境の町。ビルガンジはネパール。ラクソウルはインド。バスを降りてリクシャで。初めてリクシャで国境を越えました。イミグレーションは電気もついてないボロイ建物。聞いたから分かったけど、目に付かないところにあるので普通気がつかないぞ。この町を少し歩いた。そしてバスターミナルへ。パトナ行きの夜行バスはたくさん合った。よし、よし。夜22時30まで待つことに。しかし、バスの中、蚊が多かった。暑くて蚊が多くて。環境最悪。3,40箇所はさされた。死にそう。と思った。むちゃくちゃ気分悪かったです。かなりむかついてました。でもここで耐えて待つしかない。しかたない。

ラクソウル→パトナー
朝5時にパトナーに着いた。大きなバスターミナル。ターミナルといっても、広い原っぱにバスがたくさんあるだけなんだけどね。

パトナー→ガヤ
ガヤへ行くぞ。とおもいブッダガヤ行きバスを探す。すると6時発のがあった。よし、これだ。それにのっていった。ネパールのバスと比べると快適。快適って表現は適切ではなさそうだけど、ブッダガヤに行くといわれてのったが、案の定ガヤ駅で降ろされた。

ガヤ→ブッダ・ガヤ
リクシャでバス停まで行き、そこから乗り合いのミニバス。人が集まると出発だ。途中で人が降りると、人がフルになるまで客を探す。そんな感じ。やっと念願のブッダガヤに着いた。ここではインド人との出会いがあった。インドの国会議員と飲んだり、ブッダガヤの隣村(日本人がよく行くスジャータなんかじゃないよ)の一般家庭に入って飯を食わしてもらったり、日本とインドのサッカーをその家で見たり。坐禅を組んだり、仏教についての話を坊さんに聞いたり。朝の坐禅。4時30に外に出たら懐中電灯が犬の目に入り追いかけられたり。停電もあったな。本当に真っ暗だった。

ブッダガヤ→デリー
夜行列車。相変わらず、みんないい加減にプラットフォームを教えてくれた。デリーに着く。デリーではフマユーン墓まであるいたり、インド人料金で入ったり。タンドリーチキンもうまかったな。買い物は俺には全く向いていないってことも改めて気がついた。デリーはネットが安く、早かった。やっぱり首都だ。デリーは旅行者が多かった。そんな印象だ。
そういえば、ネパールで14日の12時にデリーのマックでと日本人の大学生と会う約束をした。二人とも行ったことのない場所だったが、会うことが出来た。ちょいと感動。
空港まで市バスで行った。なんと10RSだからだ。タクシーなら250RS。いいバスなら50RS。市バスならいろいろ起こりそうで面白そうジャンとか思ってそうした。そうしたら、起こった問題が。781バスにのれば行ったらしい。しかし、周りの人に聞くと760でも行くというので、乗ってしまった。最後の最後でインド人を信じてしまった。このバスはバスがたまっているところでとまり、降りろといわれおろされた。ああ、やっちゃった。ここで空港行きのバスを探す。international air portというと、これだとインド人が言ってくる。どのバスも行くのかと思うと、そうみたい。いや、違う。そんなことはない。と思い、聞く。するとダイレクトではない。近くまで行くらしい。781バスを探したがここにはよらないみたい。あきらめて近くに行くバスに乗る。ダイレクトと聞いてそうだといったバスにあえて乗った。嘘としりながら。ここで驚いたのが、僕の乗っていたバスに母と息子の親子が乗ってきた。そして出発を待っていた。しかし、そのバスは彼らの目的地まで最も近いバスではなかったらしい。そして外を見ていると、目的地へ直接行くバスを見つけたようだった。それに乗り換えるために降りようとすると、バスの乗務員が入り口を封鎖。出れないようにしている。飽きれた。インド人はインド人に対してもむちゃくちゃなことをするのだな。維持でも儲けたい感じがした。彼らは結局バスは乗りかえれなかった。バスで僕がどこに行くんだとかきいていた、外のバスの運転手にも声を掛けて聞いていた。すると馬鹿なインド人が、俺に水を掛けてきた。もうぶち切れ。何でいきなり水を掛けるんだよ。そして笑っている。マジでシバイテやろうかと思った。日本人をなめるなよ。ぶちぎれて、怒鳴ってやった。本当にむかついた。バスでミスっていたのでさらにむかついた。本当に空港の近くに行くかどうか道路標識を確認しながらバスに乗っていた。何度もバス代を払うように言われたが無視をしていた。すると、乗務員が降りろと言ってきた。それも幹線道路沿いのど真ん中で。仕方なく降りる。直接行くといったのに、空港に来ていない。だから金は払えないといった。たった5RSなんだけど、払うということが気に食わなかった。維持でも腹ってやらない。近くで地下鉄の工事をしていた。責任者っぽいスーツを着ていた人は英語が話せたので、そう伝えて、バスの乗務員との通訳をしてもらった。ついでに警察も近くにいたので、その4者で話した。俺は騙された金は払わないと、はっきりといった。10分ぐらいでバスの乗務員はあきらめてバスと伴にさった。しかし、ここからどうやって空港に行こう。わかんねー。どこだー。工事現場の責任者の人はオートリクシャで行けと言ったが、あいているリクシャは通らなかったので、歩いていくことにした。何とかなるだろうと。道で人に空港はどこだと聞きながら歩いた。途中、ちっちゃな集落に迷い込んだりもした。空港に歩いていくのは明らかにおかしいよなとか思いながら歩いた。ケッコウ歩いた。スリッパにバックパック。するとタクシーっぽい車の人が止まって声を掛けた。タクシーなんか乗れないよ。金なんかないんだから。といった。すると、金はなくてもいいという。怪しい。本当か?何度も金は払わないといった。でもOKという。疲れていたし、感覚的に信じれそうな人だったので、空港まで乗せてもらうことに。車の中では、どこを旅行したとか、いくらぐらい使ったとか、聞いてきた、車でもケッコウな距離だった。乗せてもらってよかった。降りる間際、エアーインディアの職員だといった。だからか。空港まで行くところだったんだ。そして、空港の近くでおろしてくれた。いい人だった。最後の最後でインド人のよい人に触れた。金がないといったら、スナックを買う金を上げようかといってきた。さすがにそれは断った。でもうれしかった。そこまでしてくれる。ありがたい。人間の優しさはいいもんだ。そんなこともありながら、空港に着いたのだ。


デリー→ソウル
韓国は物価が高い。やることがない。ビピンパと焼肉はうまかった。思っていたよりも両方ともヘルシーなのが驚きでした。2日目は宿に泊まるのがもったいなかったので、泊まらなかった。

ソウル→成田
機内食はいつ食ってもうまい。

って、移動に関するエピソードしかないじゃん。ってね。
他にもいろいろな思い出はありますよ。

そういえば、国境を歩きとリクシャで越えた。歩きで国境を越えたいと思っていたのでうれしいです。
歩き、リクシャ、バス、電車、船、飛行機、で国境を越えたことがある。
次は何だ。

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