他者とのコミュニケーションにおける暴走問題と社会性
僕はたまにスイッチが入ることがある。それを知っている人は分かりやすいと思う。話していて、究極に面白くてワクワクしたり、共感したり、何かをやったり、みたりしてコレダっと思ったときにスイッチが入る。そうなれば完全に自分の世界と言う奴に入る。周りがいても、猛烈な勢いで話し出して、立ち上がって、とまらなくなる。楽しくてワクワクして、仕方ないのだ。あの状態を思い出しただけでも、心が躍り始める。
ぼくのことを一番わかってもらえるのはそのときだと思う。自分で言うのもへんだが、いきいきしていると思う。本当に。
コレは自分の中では完璧な楽しさ、というかワクワク感。さらに、とてつもないパワーが生まれると思う。しかし、他者にとっては面白いと思ってくれる人もいるらしいが、一方的なコミュニケーションになり、一般的には問題も多い。と思う。自分勝手というか社会性がないというか。だから、最近はあまり暴走しすぎないように気をつけている。まあ、世の中一人で生きているわけではないので、ある程度はいたしかたない。
でも、やっぱ問題は、このスイッチの入ったとき一番ワクワクしていて、パワーも発揮して、頭もぐるぐる回転して、何かを感じ取る力もマックスになるということだ。
他者とのコミュニケーションをうまくしつつ、このスイッチの入った状態になるというのは非常に難しい。そもそも、他者のことを気遣っていたら、完全に自分のペースにならない。自分の脳があるワクワクすること以外に場の状況を読むということに使われるし、相手が話すと自分のペースで話せなくなる。だから、脳のなかでブレーキを踏むことになる。
まあ、プロと言うのは他者とうまくコミュニケーションをとりつつ、このスイッチの入った状態を維持しているんだろうけど。そういったのを目指すのがいいのかな。それとも、自分のマックス状態をそのまま出し続けるのがいいのか。考えても答えは出ないので、なるようになるだろう。
やっぱり、自分の軸、絶対的に大切なものがあると答えは出しやすいのだろう。それは見つかるのか。そもそも、存在するのか?死ぬまで求め続ける、絶対的な何かがあるとも思えない。常に変わる。無常ということが基本的なおれの考えだし。
追加:一人でいても、スイッチが入ることがあるが、これは他者に迷惑をかけないので全く問題ないと思われる。
熊を追っかけなかったら、一丁前の男として認められない。
マタギとは人生そのもの。
命あるものに正面から向かい合いたい。
たとえそれが熊であっても。
自然はやっぱり強いものが勝つ世界、
共存するなんてきれいごと、
共存する中でも強いものは強い、
強いものが生きていく
とったものは粗末にせずに食ってやる、
それが供養だ。
スローライフとかロハスといったものにあるような、生ぬるいものはない。
自らの生死と向き合う生き方。
自然と生きるということは、そうなんだと思う。
ロハスとかに反抗心があったのはそれなんだ、と情熱大陸を見て思った。
同じようなことは考えていたが、何かしっくりこなかったが、この人が言ったことによって、なにか自分の中にストンと落ちた。
結局のところ、この社会と言う大きな枠に入っていて、自然っぽさとか、ゆったりとした時間を求めるのは分かるのだが。
究極の天然は怖いということを昔書いたが、それに通じるものがあるんだろう。
多少、自然を感じたことある人間として、そう思っていたんだと思う。
またぎになった理由は
父が熊と戦う姿が、脳から離れなかったからだ。
父親は自分の道をしっかりと歩むと息子にそれがうつるんだと思った。
背中で道を示すしかない。言葉では語らない。
猟だけでは食べていけないから、運送会社で働く。
物質的なものじゃない、熊を追ってしとめる行為そのものが大切何さ、
熊を殺す代わりに、
自分らの欲っつうモノを殺さないといけないと思う。
人間にはコレだけは欠かせない、コレだけは大切だってものがあるはず。
それが俺にはたまたま猟だった。
熊を殺すってことは、自分を半分殺すってこと。
でも、そうして行かないと生きていけないってのが俺たちなんだ
情熱大陸。
侍と言うんでしょうか、
日本男児と言うんでしょうか。
「男たるもの」と言う言葉がけっこう好きだったりします。
意味的には、男だからっていう感じでとっていない。
女でも男でも、どっちにも通じる意味で考えています。
すなわち、武士道とかの精神のことがいいたいわけで、
そんなの好きです、あこがれます。
そんなおやじになりたいと思った、誕生日前日でした。
「子供のころに見た風景が、ずっと心の中に残ることがある。いつか大人になり、様々な人生の岐路に立った時、人の言葉ではなく、いつか見た風景に励まされたり、勇気を与えられたりすることがきっとある。」
星野道夫さんの「長い旅の途上」P158
最近、思い出したくて、捜せなかった言葉。
ぱらぱらと星野さんの本を読み返したが、どれもやっぱり美しい言葉だ。
僕には染み渡ってくる。
最高の文章の数々だ。
今、池袋で友達と4人で飯を食って家に戻った。
ふと思えば、10年近い付き合いになる。
そう数字で思うととても長いが、そんなに長いのかと驚く。
家に帰ってテレビをつけると、NHKの世界遺産でガラパゴス。
いつ見ても、あの海、空、自然は美しい。
今思えば、ガラパゴスを意識し始めたのは3年前の夏。
ネパールとインドの国境沿いの安宿だった。
そこで一緒だった、福井県の兄ちゃんと少し話をした。
その時、旅の話をしてガラパゴスのすごさを知ったのだった。
彼はあった瞬間に、気が合う。と感じた。
さらに、センスというか同じ年代と思えないほどのキャラだった。
その彼が、イチオシだったのがガラパゴスだった。
その時は、どんなところか分からず、話から想像していた。
それから、1年後ぐらいに旅仲間がガラパゴスへ行った。
そして、写真を見せてもらったのだ。
その写真に僕はイチコロだった。本当に、やられた。
この青さはいったい何なのかと頭が混乱するぐらいに。
ボリビアのウユニに勝るとも劣らないレベルで。
初めて聞いた時の想像とは違った世界が広がっていた。
そして、この写真を見た瞬間に行くと決めた。
何があろうと。
もちろん、ボリビアのウユニ塩湖にもイチコロだったので、
ガラパゴスとウユニをメインで行くと決めたのだった。
そして、エクアドルのキトからガラパゴスへ向かった。
船上生活は想像以上にタフだった。
が、そんなこと忘れさせてくれるくらい、すばらしい自然だった。
美しい。
本当に美しい。
そこには、今まで経験した想像したことのない世界が広がっていた。
そしてそこに俺がいた。たまらなかった。
ガラパゴスの海で3回ぐらい思いっきり泳いだ。
ここにはない異物(自分)が自然の中にいる感じも少しはしていたが、海の中に入ったら自然と一体化した気がした。
で、言いたかったことは、テレビを見てガラパゴスが懐かしかったってこと。そして、あの青の美しさがたまらないってこと。
キャラと違うといわれるかもしれないが、美しいものが好きだ。
無論あまり、嫌いと言う人は聞いたことはない。
以前に、美しいと感じるものには何か静けさがあると書いた記憶がある。
今でもそう思う。美しさには静けさがある。
また、美しさとはバランスだとも思う。
唯一コレがと言う意味ではなく、これとあれの関係、バランスが美しいのだと思う。
NHK世界遺産のエンディング。
まつとうやゆみ の音楽がまた良い。
星野道夫という大好きな写真家&物書きがいる。
彼の美しい言葉を思い出した。
情熱大陸と言う番組は、本当に好きだ。
もう、なんどもかいている。
下田昌克さん という絵描き の方の回が見れなかったのが残念で仕方ない。
そうとう良かったみたいだから。
今日は眼科医の服部匡志さんと言う方。
こういう、自分が知らない、さらに世の中的にも有名でない人の回が一番面白い。
やっぱり、人間がすきなんだろう。
それも、目立たなくても自分の思いがあって貫いている人が。
難しいこと抜きにかっこいい。
地味でも不器用でも、あの純粋な心に惚れるのだ。
彼は、日本では病院に属さないフリーの医師。
自分の技術だけで、いろいろ出張して手術をして生計を立てている。
降格とかっこいいが、現実は厳しくはじめは、けっこう生活が苦しかったようだ。
それでも、2週間ベトナムで手術をする。
自らの金で器具を日本から持ち込み、無報酬で。
彼が手術した子が、述語サッカーをしていたという話を聞いたときの彼の反応。
嘘偽りのない顔だった。
うれしい。よかった。ほんとうにただそれだけのような。
2週間の滞在が終わると日本で2週間滞在するらしい。
銀行にも信用されず、年収も4〜500万だったことも。
周りの医師からの目も冷たいこともしばしば
でも、彼の活動を続けることによって賛同者は増えているようだ。
やはり、思いを持ったら地味にでも続ける。
これに限る。
こうおもうと、テレビの力はスゴイ。
こういった人を発掘し世の中に知らせる。
こういう人を知り、賛同する人がでてこれば、すばらしいことだと思う。
かっこいい人を見ると、こっちまで力をもらう。
偶然。必然。
「偶然」というものに価値を感じる人間なんだろうと思う。
偶然何かが起こったこと、これには何物にも変えがたいものであって、だから、その不思議な運命と言うようなものを感じる。偶然に起こったこと、広義で言えば何らかの事象が発生したことがすごいことなんだと感じて、生きるうえで軸となりえると思っているふしがある。
偶然ってことは、自分であらかじめ考えていたり、想定しなかったことが起こること。
そんなことって、ステキなことだと思う。
偶然、途轍もなくワクワクすることに出会うこと。
作ろうと思って努力しても作れないこと。
脳がそう感じる。
面白い。
そんな偶然が好きだ。
「偶然と人」これが、まったりとした幸せのキーワードだと思う。
コントロール可能なことだけを気にする
コントロール可能じゃないことを気にしても仕方ない
経験して記憶して次にいかす
リラックスしたときのルーチン動作を決めておく
毎回その動作をして落ち着ける。
自分がこうしたいという目標をもつ
自分の試合のビデオをチェック、一般人だと日記資料を読み返す
自分が最高のパフォーマンスをだす方法をしる
かの有名な投資家。ジョージソロスとともにファンドをやって驚異的な運用成績を出した男。
俺が自分の行動を肯定するためにこの文章を支持しているのかも知れない。でも、それ以上に、自分が旅をした時に同じようなことを感じた。だからこそ、この文章を読んだときに納得できたのだと思う。
すごいしっくりくるんだけど、そんごいしっくりこない。たぶん、成功という言葉がその理由なきがする。
ジムロジャースの著書の冒頭
世界を見よう
できる限りこの世界の現実を見ることだ。どのような仕事に就いていようと、世界を自らの目で見ることで人生の成功がより確かなものとなる。子育てにも役立つし、教師、政治家、実業家、芸術家、ジャーナリスト、商人、そう、投資家にも必要なことである。
世界を見れば、自国のこともわかるようになる。他の国を知っている者は、そうでないものよりも自国へのかなり深い理解が得られる。さらに重要なことは、各国を旅する中で、自分自身を知るという点だ。自分の強み、弱み、興味、関心がわかってくる。いずれの分野を目指しているにせよ、自分のことがわかるにつれ、成功は確かなものとなっていく。
世界各地を旅することが、時として難しいのは、言語、習慣、住環境、食物、法律などが違うことによる。それだからこそ旅は楽しいのであり、刺激的なのであり、勉強になるのである。
自国の中で行ったことのない場所を旅行するのも、海外を観光するのも楽しいことではある。しかし、本当のたびの喜びや学ぶべきことは、地面を直に歩き、見ることから生まれる。思いもしなかったことに疑問を持ったり、自分が知らなかったことを学ぶことになるのだ。
読者のみなさんが旅によって啓発され、人生をよりよい方向に変えていくことを祈る。今よりも成功し、幸せになるのだ。人生は短い。だからこそ、力強く遠くへと旅立とう。成功への第一歩を歩み始めてほしい。
どこか世界の街角で会おう。
ジム・ロジャース
冒険投資化ジム・ロジャース
世界バイク紀行
ついでに小澤征爾さんが体調を崩したというニュースを聞いて思い出した。彼の著書の冒頭を。
「まったく知らなかったものを知る、見る、ということは、実に妙な感じがするもので、僕はそのたびにシリと背中の間の所がゾクゾクしちまう。」
この文章が非常にしっくりと来て好きだ。
俺にとっては体が唯一のメディアさ。
俺にとってはこの俺がメディアなのさ。
何かを表現する時に、絵、写真、歌、詩、本などいろいろある。
これらは、自らの考えとか思いを他のものにのせている。
自分がいなくても基本的には伝わる。
自分の思いが製作物に乗り移っているからだ。
だから、たくさんの人に知ってもらえる、触れてもらえる。
いいことだ。
形にすると、分かりやすくなる。
シンボリックで注目も浴びる。
メディアにも載りやすい。
しかし、自分しかないのだ。
本当に俺をあらわすものは。
特にワクワクスイッチの入ったときの俺。
昨日NHKのプロフェッショナルを見た。杉野英実さんという世界的な賞を取ったパティシエの方であたった。
で、気になった言葉があったので、メモった=ブログでエントリーしたはずなのに出来ていなかった。。
ショック。あの時、聞いて感じたことを走り書きしたもので、その時のもののほうが率直な気持ちを反映した文章だろうから、消えたのはショックである。しかし、メモとして残しておきたいので再度書く。
「それであなたは何が出来るの?」って言葉が気になったのだ。彼がどんな状況で言われたか忘れた、奥さんに言われたのか、フランスで修行中に師匠から言われたのか。覚えていない。さらに一字一句一緒かと言うのも怪しい。しかし、こんな内容のフレーズであったことは確かだ。あまりに、この言葉が心に刺さってきたので前後の記憶が飛んだ。
この言葉自体は、たまに聴く言葉かもしれない。でも、なかなか鋭いというか、キツイ言葉だと思う。
「それであなたは何が出来るの?」
たいして何も出来ないのに、すぐ調子をこいてしまう性格だ。
自分が生きていくうえで、ターニングポイントになる時に自分に問いかけたい言葉である。
それであなたは何が出来るの?
町を歩いていたら、リズミカルな音が聞こえてきた。
でも、音楽とかやってそうじゃない場所。
下町と言うのか、中小企業がある町だから。
心地よい音だなーと思って、音の先を見た。
すると、かなづちを使って、何かをたたいて作っていた。
何か微調整をしている感じだった。
ああ、職人の技って音楽のようにリズミカルなのかも知れないと思った。
そういえば、職人恐るべしです。
職人魂ってすごいと思う。
先日、和紙職人と話した時に感じた。
短期でみるとちょっと暴走気味と思う人(考えや行動)でも、中長期でのバランス感覚(補正能力)を持っている人は魅力的に映るし、面白い。エッジがきいている人という感じ。しかし、その人の人間全体を見ればバランスが取れているようにも見える。
短期でのバランス感覚を持っている人は、なんか突き抜けてない。なんか中途半端っぽくなってしまう。何かやろうとするとリスクを考えてしまって出来なかったり。なんでもかんでも丸くおさめようとする。面白みにかける気がする。
これは考え方とか行動とか全般にいえるんじゃないかな。短期では両極端に触れても、その触れたことに少し時間がたってから気がつく。
中長期間たってから気づく人、気づく仕組みってなんだろうか。これを兼ね備えればいいのだ。
そんな人はどんな人だろうか?まず何かに全身全霊を掛けれるというか没頭できる人と言うか無我夢中になれる人というか、自分がこれだと思ったことのためにすべてを賭けれる人。そうであって、他者とのコミュニケーション、ガチンコで話す機会がある人だろうな。で、その時には冷静になってというか、自分の主張だけが正しいと思わずに、謙虚になって相手の立場に立って考えられる人。こういう人だろうな。
率直に物事を言ってくれる仲間がいること。
自分が、何かを始める前に思ったことをメモしておいて、あとから見直せる。そんなことをしておくといいんじゃないかな。
自分のことは好きだ。だからといって、完璧な人間ではないと思う。たくさんの問題をもった人間だと思う。その問題に気づき改善していく、これは「社会」で生きていくには絶対に必要なのではないか。
じゃあ、それはどうすれば見つけることができなおすことが出来るのか。
今年の夏に、ボリビアのウユニ塩湖に行った。そのウユニ塩湖は四国の半分ほどある真っ白な塩の大地。その塩湖には一軒だけ塩で作られた宿がある。この宿はひとつの家族が切り盛りしていた。父と母、そして子供が3人。その子供はまだ5,6才と小さくかわいらしかった。しかし、常識はなかった。客としていた僕に、塩をかけたり、つばをかけたり、水をかけてきたり、人の部屋にはいってモノをあさったり。子供のいたずらでは割り切れないレベルだった。俺は叱った。子供たちの今後の人生を思って。たぶん、多くの旅行者は一日だけのことだと思い、あまり叱ってないと思う。しかし、子供たちは親としかコミュニケーションをとっていない。同じ年代の友達と遊ぶこともない。だから、彼らは社会では当たり前となっていることが分からなかったのだ。この時、子供が育つ時、もっと言えば生きている限り、同年代の付き合い(コミュニケーション)、年代の違う人とのコミュニケーション、長い付き合いの人とのコミュニケーション、一回限りの人とのコミュニケーション、どれも欠かせないものだと感じた。
で、この子供たちは閉じられた世界で生活していたから、社会の常識や人とのコミュニケーション(話だけではなく、駆け引きや、常識、行動なども含む)を知らないんだなと思った。これは子供の人生にとって大きな影響(問題、悪影響)だと思う。犬か狼か忘れたが、そんなような動物に育てられた人間の赤ん坊のカマラ、アマラをも思い出す。
で、「社会」とは人と共に暮らすこと。人と暮らすにはコミュニケーションが必要となってくる。だから、自分の問題に気がつくにはコミュニケーションだと感じた。ウユニの子供の例からも。
先日、茂木さんが「生きることは話すこと」というようなことを言っていた。さすがうまいこと言うなとその時思った。他人は自分の鏡だし、他人へのアドバイスも自分へのアドバイスそのものなんだと思う。
バルみたいな場が子供の成長で大きな意味を持つ。とスペインで本気で思った。近所の人が子供からおっさんまで、朝も昼も夜も、気軽に立ち寄っている。そんなところには様々なコミュニケーションが生まれる。生の学びの場だ。
人間として、自分の問題に自ら気づいてそれを直していける、そんな人間を目指したい。そうするためには、いろいろな人といろいろなコミュニケーションをすることが大切なんだろうな。年を重ねてもかっこいいおっさんでいるために、そうしたい。
人のふり見て我が振りなおせという言葉がある。まさに、これなのかな。先人はすごいと思う。先人が気づいて、ことわざなどになったものを日々生きていきながら、肌で感じている日々です。
高橋尚子が東京国際マラソンで勝った。その時のインタビューを多くの人が評価していた。高橋尚子は人として突き抜けたと。
前回の東京国際マラソンで負けてオリンピックを逃した。その、東京国際で2年後復活した。あえて、この大会を選んだ。この大会でしか意味がなかったのだろう。しかし、一回頂点に立った人が、どん底に落ちると、かっこうをつけて、他人の目を気にして真っ向勝負をして這い上がってきにくい。
しかし、彼女は真っ向勝負をした。スゴイ。これだけでもスゴイ勇気だ。さらに、彼女は勝った。
その経験は並みのものじゃない。だから、彼女は大きく変わったのだろう。
子供のころから、いろいろなことに興味を持って、ちょっと無謀でもやってみたり、新しい組織に入っていく。この経験は重要だな。年を重ねれば守りに入るし、新しいことをやるのを億劫になる傾向があるから。
その習慣(新しいことに自らチャレンジする)を子供のうちにつけておく。
東儀さんが、新しいことをするときは、一番難しいものからチャレンジしてみるという話を聞いた。そうすれば、最後のゴールを肌で感じれる。それに、基礎のルーチンより難しいほうがワクワクする。その難しいものから簡単なものへ徐々にやっていく。すると、一番の基礎は省けることもあると。なんと面白くて合理的な方法だろう。
「希望格差を痛感する」
それは、若者にしろ働き盛りの人にしろ、年寄りにしろ。
岐阜に帰ってきてから感じる。電車に乗っていても空気がおかしいと思って、なんだろうと思ったら、みんなの目が輝いていなかった。
類は友を呼ぶ。希望格差って相当大きな意味を持つ。
2層社会が出来上がってきている。
幸(さち)ある人の周りには幸のある人が集まる。するとさらに幸のスパイラルでいいことが近くに寄ってくる。希望のある人のまわりも同様に。でも、夢も希望もなくて、初めから無理だと思っている人の周りにはそんな人しか集まらない。だって、夢のある人は何でもすぐに無理って言う人といてもつまらない。ってか、話が進まないし。しみったれてるから。すると、どんどん差がひらく。初めてでも何でもやってみる。この精神はまさに希望格差によって生まれるものだと思う。この希望格差によって社会は二層社会にどんどんなっていくのだろう。
ここで言いたいのは希望がある人は無鉄砲って言いたいのではないです。ご注意を。
奥華子さんという歌手がいる。名前だけは知っていた。それは、とある「仲間」の半年ぐらい前のブログにあったから。彼がプロデュースした商業施設でライブをやってもらったらしく、そのライブでは歌の力を感じたと書いてあった。それから気になってはいた。が、特にCDを買うとかアクションは起こしていなかった。
で、先日そのエントリーを読みたくなり、探して読んだ。すると偶然、次の日その人から今日、奥華子のライブがあるといわれた。これはと思い行くことに。彼女は井川遥が出ているCM「TEPCOひかりに決めたのは〜♪」とかJR東日本のCM曲を歌っている。
17時からはじまるのに、16:30には人が相当集まっていた。そして始まった。まず、声がきれいだ。澄み切った歌声。さらに、メロディーもいい。トークも。なんだろう、話し方がうまいわけではない。でも、なんか嘘のない人生を送っているというのが伝わってくる人だった。相当いいです。
ライブで歌った曲
【1.めぐり逢う世界 2.白い足跡 3.魔法の人 4.帰っておいで 5.やさしい花 6.サンタに願いを 7.自由のカメ】
つまらないと思うし。自分に向いていないとも感じるものがある。
でもそれをやりたくなることがある。
正確にはやりたい気持がある。
それは自分には向いていないが、自分の想像をこえたもので、それをやってる間に「偶然」と出会える気がするからかもしれないと思うから、やりたい気持ちが生まれるのだろう。
つまらないと思うことの中でもやりたいと思うことは一部であるのも事実。
その一部には何を感じるんだろうか。その違いは何か。
新年は岐阜で迎えた。それから4月の上旬まで、ガヤガヤした日々。
4月からは去年に引き続き、芸大に。授業のスタイルは去年と違ったが、集まる人が面白いのは変わらない。5月末は静岡に東京な岐阜人と合宿。その時に通った道を半年後に歩いて通るとは思ってもいなかった。6月に入り大学で仲のいい友達の一人と無人島へ。いやー、こんな経験をすることは一生ないだろうなと思った。テレビで見るより、聴くより、実際やらないとわからないことだらけ。7月末は金沢21世紀美術館と福井へ。福井の友達に会うために。インドであった伝説の男。彼はなんか気になる。同年代では一番不思議なものを感じる。そして南米への旅でワクワク。それから、郡上へ行く。郡上踊りも少しやる。岐阜県民として一度ぐらいはやらないと。この時見た爆発して流れた流れ星は死ぬまで忘れないだろう。8、9月は南米へ。念願のウユニへ。たまらんかった。今度行く時は雨季だな。もちろん、ガラパゴスもナスカもチチカカもたまらん。多くのチャリダーさんの話も面白かった。南米は居心地が良かったなー。帰国したら、南米の人みたいといわれた。たぶん、黒くなってたし髭もボーボーだったからだろう。そんで、10月末から11月頭 東京から名古屋まで歩く。いやー、想像以上に辛かった。足もつらいし、精神的にも鍛えられる。でも、今までの人生で一番の経験かもしれない。本当に。11月中旬から末タイとカンボジア。ダイビングのライセンスゲット。ライセンスを取ろうと思ったのは本当に直前だと思う。もともと海が好きだから自然な流れ。それにしても海の中は良いなー。さかなは良いなー。海の上にウェットスーツで浮かぶのも心地よかった。それから、帰国すると植村直己さんとか星野道夫さんの本に少しはまる。そんでもって、映画を連続でみて、展覧会とか立て続けに行く日々。なぜか知らんが。時間も心も余裕があるときに、こういったものを一気に見るのも悪くない。芸大の最後の授業も終わる。最後だと思うと寂しいもんだ。高尾山に護摩行に行くも火の前でお経を読めず、がっかりして、今に至る。
日々の楽しみ(趣味)
週末の楽しみ(趣味)
一月一回ぐらいの楽しみ(趣味)
2,3ヶ月に一回の、季節ごとの楽しみ(趣味)
年一回の楽しみ(趣味)
数年に一度の楽しみ(趣味)
それが、何らかのイベントに参加することでも、自分の趣味でも、屋内屋外でやること、一人でも出来ること、複数の人と一緒にやること。
今までのライフスタイルが変わるとき(変わる前に)、これらを考えておくといいのかな。
まあ、楽しみ(趣味)だけじゃなくて、仕事をする上でも振り返りが出来るように、時間と言う切り口でやることを考えておく必要があるんだろうな。
人には「思い出せない記憶」が堆積している。それはいろんな経験によるものが多いと思う。自分が意識的に、こんなことだと物事を理解していなくても、無意識に気づいていること。人とたわいもない話をしたことも、たまってく。この、思い出せない記憶が多い人は人間として深みがあるきがする。
読んだり、習ったりした記憶は忘れるけど、
体で覚えたことは一生忘れない。
って言葉と似ているかも。この表現は極端だけど、まあ、ある程度はそうだと思う。
そして、この堆積した「思い出せない記憶」をふっと思い出す。頭の中に浮かぶ。そして調べる。そして、ちょっとメモとかしてストックしておく。そうすると、また何かふっと思い出す。そして調べる。すると繋がる。
この過程は、スゴイワクワクする。どんどん想像が膨らんでいく。連想ゲームのように繋がっていく。今まで思いつかなかったのがなぜだろうと思う時もある。ばらばらに捉えていたものがどんどん繋がる。そして、新たなものが生まれてくる。
どんな時、どんなことでもこんな過程で考えたりしている気がする。ブログはこのストックの部分として利用している感じだな。
そして実際にやってみる。
個人的にはいつもこんな感じだなって思った。
出会うタイミングって重要。
ああ、この人と5年前に出会っていたら絶対仲良くなっていなかったなぁとか思うことがある。でも、今、出会うとすごく仲良くなれるなんてことがある。逆に、昔だったら仲良くなってたけど、今あっても仲良くなれない人も。
でも、すごいのは昔仲良くなったら、性格が変わっても仲の良いままというか、つながり続ける。当たり前なんだけど、時間の一方通行性を感じます。不可逆なんだなと。一回なにか出来事が起きて、それを完全に白紙にすることは出来ないんだなと。
まあ、前提として相手キャラクターが昔と現在で変わっていないって事なんだけど。それで、自分の性格だけが昔と今で変わったという条件。
この前、ビートたけしが漫才の前は今でも緊張する、おびえると言っていた。常におびえるという感情があるからこそ、真剣に向き合う。だから、プロとしてすばらしいものが表現できると。
たしか、アンチグローブかなんかも、優秀な経営者はビビリだ。常におびえているみたいなことを言っていた気がする。
どんなに、なれたことであっても適度な緊張感を持つ、初心を忘れないってことですなぁ。自分に言い聞かせとこ。
アンチグローブのネタを発見。
参考http://www.teratown.com/blog/archives/000880.html
Life is what happens to you while you are making other plans.
(人生とは、何かを計画している時起きてしまう別の出来事のこと)
イニュニック[生命] 星野道夫 アラスカの原野を旅する に書かれていた言葉だ。
この本は美しい。写真も美しいが、星野さんが書く文章が美しい。やわらかい、やさしい美しさがある。
彼は写真家である。アラスカに住み、大自然の中で生きていた。そんな澄んだ世界に生きていると表現まで澄んだ言葉になるのかと思うぐらい。読んでいると、自分の心が柔らかく包まれる感じがしてくる。星野さんの他の本も読んでみたくなった。
| イニュニック 生命―アラスカの原野を旅する | |
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人生を省エネで生きるかどうかという大問題。
この表現で伝わるかどうか知らないけど、今日、芸大の授業のあと友達と話していて思った。
僕は人生を省エネに生きていないように見えたらしい。でも、省エネで生きようとかエネルギーを浪費して生きようとか考えたことがなかったので、新鮮なツッコミだった。
言われてみれば省エネな人生ではないかもしれない。でも、省エネな人生ってつまらないような気もするわけです。
省エネって表現ではないけど、LOHASに対抗して二郎って書いたのと似てるかも。
なんか、歩いていて思った。
悔しいという感情。
これはパワーになる。
特に自分に対する悔しさ。
半端ないパワーになりすぎてしますこともあるのだが。
でも、自分にとって悔しいという、あの感情はすさまじいものがあると思った。
自分を自分で脅かして遊ぶって、何だという話だろうけど、僕はこれが楽しい。
何かといえば、家の洗面台の水はシャワーと普通のじょろじょろでる2パターンある。普段はじょろじょろで使っている。いわゆる普通の水道と同じだ。しかし、たまに水道を使い終わった後、シャワーにしておく。そして、次使う時驚く。じょろじょろだと思って使ったらシャワーで勢いよく水が出てくる。その時ハッとする。
自分の脳がドキッとする感じ。固まっていた脳が少しフレッシュになる感じ。あああ、っと思うその瞬間が面白い。
昨日、旅行について放す機会をもらった。
僕は、多くの大学生とは違う経験をしていると思う。
一方で多くの大学生が経験していることをあまりしていないと思う。
まあ、十人十色だからいいんだけど。
いろいろな経験をしすぎることによる弊害もあるんだなと思った。
写真モブログ一覧から、自分の興味が分かる気がする。
どんなものを見たときに、ワクワクしているのか。写真をそれも携帯モブログというもので、どんな時にも撮影し更新が可能というツールだから、本当に面白い。
それ、一枚一枚では見えてこないものが、一覧表示するだけで新たな価値と言うか意味を作り出す。一覧になっただけで、比較し僕が何に興味があって、モブログするかが分かる。
生きるリズムってのがあると思う。生活スタイルとでもいおうか、生活のリズムとでも言おうか。
そういったものは、気づかないうちに少しずつ作り上げられ、気づかないうちに少しずつ変化する。変化した状況から現状復帰する、その状況で気がつくことがある。
当たり前のように、動作をすると何か不便とかおかしなことを感じる。それは、その動作をするまで全く気づかない。それも当たり前だが、おかしなことだ。
たとえば、モブログの写真を更新するという行為。これは南米生活で忘れ去った行為だった。
こんなことしていたのか。ああ、こうだったよな。なんでこうしたんだろうと。
世界を自分、他人、その他の影響というのがあって、自分がほとんどだった。そんな性格検査の結果が3年ぐらい前にあった。
その時は、実感していなかったが、自らの脳の中での意識として、それの言わんとすることが分かって気がする。
自分がすべてではないが、あまり他人に興味がない。所詮、他人は他人と思っているからだろう。
でも、他人は他人じゃないんだよな。相当支えられてるもんなー。
最終的な最後の意思決定は自分かもしれないけど。
何ヶ月ぶりだろうか、真っ暗にして風呂に入った。時間があるとこうして風呂に入るのだ。
真っ暗の中湯船でボーーっとしていた。すると音がないと感じた。そしてアマンタニ島の記憶がよみがえった。あの時、坂道で立ち止まった時ふと感じた。無音。音がない。何もかもが止まったかのような静けさを恐ろしいほどに感じた。今までに感じたことのない静寂だった。アマンタニ島には電気ガス水道がないといっても人が住んでいる。千人単位で。もっと人のいないところには何度か行ったことあるが、なぜかそこでは感じなかったのに、人もいるし、チチカカ湖のもあるはず。でも、空気が止まったかのような上体を感じた。風呂ではそこまでは全く感じなかったが、久しぶりに静かな時をすごし思い出したのだった。
それから、耳を湯につけて浮いていた。プカプカと。小さな船が波に揺られるように。その時、静けさの中に自らの心臓の鼓動が聞こえた。一定のリズムで振動と共に心臓の音が聞こえた。その時、母親のおなかにいるときは、この音しかほとんど聞いていないんだろうなと思った。そうしたら、そのリズムが与える子供への影響はでかいんじゃないかと。その人が好むリズムだとか、何かを感じる感覚にその鼓動が大きな影響を与えているのではないかと思った。それを脳が作られてすぐという、脳への一番最初の影響なんだから。それもかなりの長期間にわたって、メインではその音しか聞かない。以前も書いたが、同じ聞き続けると、特に好きでなくても、心地よく感じるようになると個人的には思うから、自分のリズム感は鼓動が大きなキーワードになる気がする。
それから髪の毛を洗おうと、シャンプーを手に取った。するとシャンプーのにおいが強く感じた。シャンプーのかおりなんて普段感じていなかったのに、このときは香料が入っていることに気がついた。たぶん目が見えていなかったから、嗅覚に脳がたくさん使われたから強くにおいを感じたんだろう。
となると、人が生まれる前に母親のおなかの中では目が見えない、嗅覚も機能していないだろう。だから、聴覚が鋭くなっていると思う。ということは、母親や自分の心臓の鼓動を常に聞き続けている。さらに、一番近くで感じるものだろう。
と言うことは、その人のタイミング感というか、リズム感にさらに大きな影響を与えているんじゃないかと。ふと思いました。
他人はだませても、自分は騙せないとよく言われる。自分にはうそをつけないと。
自分の心の中で何かに対して持った考えなり気持ち、これは正しいのか。正しいというか、自分の中でこれだと思うこと。
思い込みと何が違うのだろうか。
あの、自分の中だけにしか存在しない真実のようなもの。
僕は、ほとんど怒らないし、物にあたることもない。普通に言う破壊衝動はない。
しかし、脳に対する破壊衝動はある。何かといえば、自分の今までの常識とか固定概念とか、無意識的に持っている凝り固まった考えをぶっ壊したいという気持ちがすごい。脳の中がごろっと変わるような時すごく楽しい。
想像できないようなものを体験したいと思ったりするのは、この脳の破壊衝動から来ていると思っている。
外ではなく内と向き合え
外へ逃げている。自分ではなく。
外の何かを使っているだけ。
外へ行っているだけのキがする。内面と向かい合う、内面を掘り下げる
自分のことではなくて外の事を話してる
自分の内面と向き合え
本気で生きろ
着き抜けろ
上流の楽しみを見つけろ
それをつきつめて仕事にしろ
取り繕うな
本気で向き合え
一万円の世界と百円の世界
外へ逃げてる
南ベイも
大浦食堂も
もっと内面から
内面をみつめろ
他人事になってる
本当にやりたいこと、こころの底からワクワクすることを見つけ、それに向かって命を賭けるぐらいに
10月9日 下北沢のカフェアンドダイニングassoで、向かいに座った茂木さんに、寺町に言いたいことが一つあるといわれて。
この人かっこいいと思う。
大平 貴之さんっていうんだけど、一人でプラネタリウムを作っている人。それも世界最高の。
小さい頃から星に憧れ、天の川を見てほれ込み、多くの人に感じてほしかったからって。大学でもプラネタリウムを作って、今も作って。
夢見てる人だな。それを現実に達成している人。いや、かっこいいと思う。
なんだろう、うまくすんなり学べた言語はないかもしれない。
まず、日本語でつまずいた。ひらがながかけなかったらしい。周りの子供はひらがなを普通に書くのに、全くかけなかったらしい。
次に、英語も。thisというのがディスでなんでthisと書くのか真剣に分からなかった。古典も漢文も全くだめ。大学に入ってドイツ語も一番初めのテストからくじけた。もちろん、プログラミング言語も全くだめだ。
そして今スペイン語をかじり中。難しい。難しいというかおぼわらない。CDをずっとかけているから雰囲気はつかめてきたかなと思うが、この言語はスペイン語か英語化ドイツ語かと分かるレベル。会話なんて程遠い。今は数字と挨拶に集中している。でも、道のりは長い。
僕の周りの友達は海外に一人旅に行くと現地の言葉を覚えてくる。少なくとも挨拶ぐらいは。しかし、俺は全くだ。スペインに行って覚えた言葉は「オーラ」と「グラシアス」のみ。これ以外はスペイン語を使ってない。インドなんて「ナマステ」以外使ってないし、知らない。ひどいもんだ。現地の言葉を知らなくても、ボディーランゲージと片言の英語で何とかなってしまっていると自分で思っている。じゃあ、必要ないジャンと思うと僕は脳が働かなくなる性質なんだと思う。
でも、南米は英語が通じないと聞く。さらに、現地の言葉が話せたほうが面白いんじゃないかと純粋に思うようになったので、ちょっと勉強している。さあ、あと2週間ない。数字と簡単な挨拶はマスターしたいものだ。現地ではなまりとかあってすぐには理解できないかもしれないが、旅の楽しみが増えるのは確かだろう。
まあ、言葉とはその文化の背景や雰囲気をなんとなく理解することであるのだろう。だから、下地があれば、体に脳になじみやすいのかなーと。相変わらずプラス思考。のーてんき。
郵政民政化法案が参議院で否決された。個人的に、この法案がベストかどうかは別として民営化するのは当たり前だと思う。まあ、国政というなかで活動したことがないのでなんともいえない部分はあるが、政治も変わったなと思う。純粋に、意味不明な論理(小泉さん風に言うとわけの分からない論理ってやつ)がまかり通って、進んでいく政治は全くもって面白くないが、政治が変化しているのを見ると面白い。さらに、投票の瞬間や解散詔書が朗読される瞬間は何かワクワクする。あの場にいたいと思う。今後政治がどうなるかは読みにくくなっているかもしれないが、明らかに政治の内部は見えやすくなっていると思う。だから面白い。小泉という男の出現ととった行動によって、明らかに政治という常識が変わってきているとおもう。
野党のどのトップを見ていても、与党で反対した人や賛成してインタビューに答えている人を見ても真の政治家としての器があると感じられない。政治家としての器とは何たるかと言われると困る部分もあるが。
言い訳する奴とか、流される奴とか。へたれる信念のない政治家が多い。その中で小泉純一郎という男はすごい。顔の表情とかにも何か魂を感じる。肝っ玉が据わっているというのだろうか。政治家たるもの国を背負っているんだから、それぐらいの覚悟が必要だ。
あと、20年たてば俺は40だろ。その頃には政治はだいぶ変わってきているだろうな。くだらん根回しとか、自分の信念を持っていない奴とか、わけの分からない論理がだいぶなくなっていて、政治がまともになっていそう。ということは、あと、20年が政治の一番面白い時なんだろう。20年の間に、今、50から60代の人はいなくなってることだし。
こんな興味深い選挙が9月11日に行われる。しかし、投票できないのが悲しいところである。