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May 01, 2006

他者とのコミュニケーションにおける暴走問題と社会性

他者とのコミュニケーションにおける暴走問題と社会性

僕はたまにスイッチが入ることがある。それを知っている人は分かりやすいと思う。話していて、究極に面白くてワクワクしたり、共感したり、何かをやったり、みたりしてコレダっと思ったときにスイッチが入る。そうなれば完全に自分の世界と言う奴に入る。周りがいても、猛烈な勢いで話し出して、立ち上がって、とまらなくなる。楽しくてワクワクして、仕方ないのだ。あの状態を思い出しただけでも、心が躍り始める。

ぼくのことを一番わかってもらえるのはそのときだと思う。自分で言うのもへんだが、いきいきしていると思う。本当に。

コレは自分の中では完璧な楽しさ、というかワクワク感。さらに、とてつもないパワーが生まれると思う。しかし、他者にとっては面白いと思ってくれる人もいるらしいが、一方的なコミュニケーションになり、一般的には問題も多い。と思う。自分勝手というか社会性がないというか。だから、最近はあまり暴走しすぎないように気をつけている。まあ、世の中一人で生きているわけではないので、ある程度はいたしかたない。

でも、やっぱ問題は、このスイッチの入ったとき一番ワクワクしていて、パワーも発揮して、頭もぐるぐる回転して、何かを感じ取る力もマックスになるということだ。

他者とのコミュニケーションをうまくしつつ、このスイッチの入った状態になるというのは非常に難しい。そもそも、他者のことを気遣っていたら、完全に自分のペースにならない。自分の脳があるワクワクすること以外に場の状況を読むということに使われるし、相手が話すと自分のペースで話せなくなる。だから、脳のなかでブレーキを踏むことになる。

まあ、プロと言うのは他者とうまくコミュニケーションをとりつつ、このスイッチの入った状態を維持しているんだろうけど。そういったのを目指すのがいいのかな。それとも、自分のマックス状態をそのまま出し続けるのがいいのか。考えても答えは出ないので、なるようになるだろう。

やっぱり、自分の軸、絶対的に大切なものがあると答えは出しやすいのだろう。それは見つかるのか。そもそも、存在するのか?死ぬまで求め続ける、絶対的な何かがあるとも思えない。常に変わる。無常ということが基本的なおれの考えだし。

追加:一人でいても、スイッチが入ることがあるが、これは他者に迷惑をかけないので全く問題ないと思われる。

マタギ・大滝国吉

熊を追っかけなかったら、一丁前の男として認められない。
マタギとは人生そのもの。

命あるものに正面から向かい合いたい。
たとえそれが熊であっても。

自然はやっぱり強いものが勝つ世界、
共存するなんてきれいごと、
共存する中でも強いものは強い、
強いものが生きていく
とったものは粗末にせずに食ってやる、
それが供養だ。

スローライフとかロハスといったものにあるような、生ぬるいものはない。
自らの生死と向き合う生き方。

自然と生きるということは、そうなんだと思う。
ロハスとかに反抗心があったのはそれなんだ、と情熱大陸を見て思った。
同じようなことは考えていたが、何かしっくりこなかったが、この人が言ったことによって、なにか自分の中にストンと落ちた。
結局のところ、この社会と言う大きな枠に入っていて、自然っぽさとか、ゆったりとした時間を求めるのは分かるのだが。
究極の天然は怖いということを昔書いたが、それに通じるものがあるんだろう。

多少、自然を感じたことある人間として、そう思っていたんだと思う。

またぎになった理由は
父が熊と戦う姿が、脳から離れなかったからだ。

父親は自分の道をしっかりと歩むと息子にそれがうつるんだと思った。
背中で道を示すしかない。言葉では語らない。


猟だけでは食べていけないから、運送会社で働く。


物質的なものじゃない、熊を追ってしとめる行為そのものが大切何さ、

熊を殺す代わりに、
自分らの欲っつうモノを殺さないといけないと思う。

人間にはコレだけは欠かせない、コレだけは大切だってものがあるはず。
それが俺にはたまたま猟だった。

熊を殺すってことは、自分を半分殺すってこと。
でも、そうして行かないと生きていけないってのが俺たちなんだ

情熱大陸。

April 23, 2006

さむらい

侍と言うんでしょうか、
日本男児と言うんでしょうか。

「男たるもの」と言う言葉がけっこう好きだったりします。

意味的には、男だからっていう感じでとっていない。
女でも男でも、どっちにも通じる意味で考えています。

すなわち、武士道とかの精神のことがいいたいわけで、
そんなの好きです、あこがれます。

そんなおやじになりたいと思った、誕生日前日でした。

April 18, 2006

気になっていた言葉

「子供のころに見た風景が、ずっと心の中に残ることがある。いつか大人になり、様々な人生の岐路に立った時、人の言葉ではなく、いつか見た風景に励まされたり、勇気を与えられたりすることがきっとある。」

星野道夫さんの「長い旅の途上」P158

最近、思い出したくて、捜せなかった言葉。
ぱらぱらと星野さんの本を読み返したが、どれもやっぱり美しい言葉だ。
僕には染み渡ってくる。
最高の文章の数々だ。

長い旅の途上


April 15, 2006

美しいもの

今、池袋で友達と4人で飯を食って家に戻った。
ふと思えば、10年近い付き合いになる。
そう数字で思うととても長いが、そんなに長いのかと驚く。

家に帰ってテレビをつけると、NHKの世界遺産でガラパゴス。
いつ見ても、あの海、空、自然は美しい。

今思えば、ガラパゴスを意識し始めたのは3年前の夏。
ネパールとインドの国境沿いの安宿だった。
そこで一緒だった、福井県の兄ちゃんと少し話をした。
その時、旅の話をしてガラパゴスのすごさを知ったのだった。
彼はあった瞬間に、気が合う。と感じた。
さらに、センスというか同じ年代と思えないほどのキャラだった。
その彼が、イチオシだったのがガラパゴスだった。
その時は、どんなところか分からず、話から想像していた。

それから、1年後ぐらいに旅仲間がガラパゴスへ行った。
そして、写真を見せてもらったのだ。
その写真に僕はイチコロだった。本当に、やられた。
この青さはいったい何なのかと頭が混乱するぐらいに。
ボリビアのウユニに勝るとも劣らないレベルで。

IMG_1453


初めて聞いた時の想像とは違った世界が広がっていた。
そして、この写真を見た瞬間に行くと決めた。
何があろうと。
もちろん、ボリビアのウユニ塩湖にもイチコロだったので、
ガラパゴスとウユニをメインで行くと決めたのだった。

そして、エクアドルのキトからガラパゴスへ向かった。
船上生活は想像以上にタフだった。
が、そんなこと忘れさせてくれるくらい、すばらしい自然だった。
美しい。
本当に美しい。
そこには、今まで経験した想像したことのない世界が広がっていた。
そしてそこに俺がいた。たまらなかった。
ガラパゴスの海で3回ぐらい思いっきり泳いだ。
ここにはない異物(自分)が自然の中にいる感じも少しはしていたが、海の中に入ったら自然と一体化した気がした。

南米の写真1
南米の写真2
南米の写真3


で、言いたかったことは、テレビを見てガラパゴスが懐かしかったってこと。そして、あの青の美しさがたまらないってこと。


キャラと違うといわれるかもしれないが、美しいものが好きだ。
無論あまり、嫌いと言う人は聞いたことはない。

以前に、美しいと感じるものには何か静けさがあると書いた記憶がある。
今でもそう思う。美しさには静けさがある。
また、美しさとはバランスだとも思う。
唯一コレがと言う意味ではなく、これとあれの関係、バランスが美しいのだと思う。

NHK世界遺産のエンディング。
まつとうやゆみ の音楽がまた良い。

星野道夫という大好きな写真家&物書きがいる。
彼の美しい言葉を思い出した。

April 09, 2006

嘘偽りのない顔

情熱大陸と言う番組は、本当に好きだ。
もう、なんどもかいている。

下田昌克さん という絵描き の方の回が見れなかったのが残念で仕方ない。
そうとう良かったみたいだから。

今日は眼科医の服部匡志さんと言う方。
こういう、自分が知らない、さらに世の中的にも有名でない人の回が一番面白い。

やっぱり、人間がすきなんだろう。
それも、目立たなくても自分の思いがあって貫いている人が。
難しいこと抜きにかっこいい。
地味でも不器用でも、あの純粋な心に惚れるのだ。

彼は、日本では病院に属さないフリーの医師。
自分の技術だけで、いろいろ出張して手術をして生計を立てている。
降格とかっこいいが、現実は厳しくはじめは、けっこう生活が苦しかったようだ。

それでも、2週間ベトナムで手術をする。
自らの金で器具を日本から持ち込み、無報酬で。

彼が手術した子が、述語サッカーをしていたという話を聞いたときの彼の反応。
嘘偽りのない顔だった。
うれしい。よかった。ほんとうにただそれだけのような。

2週間の滞在が終わると日本で2週間滞在するらしい。
銀行にも信用されず、年収も4〜500万だったことも。
周りの医師からの目も冷たいこともしばしば
でも、彼の活動を続けることによって賛同者は増えているようだ。

やはり、思いを持ったら地味にでも続ける。
これに限る。

こうおもうと、テレビの力はスゴイ。
こういった人を発掘し世の中に知らせる。
こういう人を知り、賛同する人がでてこれば、すばらしいことだと思う。

かっこいい人を見ると、こっちまで力をもらう。

February 07, 2006

偶然に価値を感じる人間なんだろう

偶然。必然。

「偶然」というものに価値を感じる人間なんだろうと思う。
偶然何かが起こったこと、これには何物にも変えがたいものであって、だから、その不思議な運命と言うようなものを感じる。偶然に起こったこと、広義で言えば何らかの事象が発生したことがすごいことなんだと感じて、生きるうえで軸となりえると思っているふしがある。

偶然ってことは、自分であらかじめ考えていたり、想定しなかったことが起こること。

そんなことって、ステキなことだと思う。
偶然、途轍もなくワクワクすることに出会うこと。
作ろうと思って努力しても作れないこと。
脳がそう感じる。

面白い。

そんな偶然が好きだ。

「偶然と人」これが、まったりとした幸せのキーワードだと思う。

February 06, 2006

ヤンキース松井

コントロール可能なことだけを気にする
コントロール可能じゃないことを気にしても仕方ない

経験して記憶して次にいかす

リラックスしたときのルーチン動作を決めておく
毎回その動作をして落ち着ける。

自分がこうしたいという目標をもつ
自分の試合のビデオをチェック、一般人だと日記資料を読み返す
自分が最高のパフォーマンスをだす方法をしる

February 03, 2006

3年後の自分へ

かの有名な投資家。ジョージソロスとともにファンドをやって驚異的な運用成績を出した男。

俺が自分の行動を肯定するためにこの文章を支持しているのかも知れない。でも、それ以上に、自分が旅をした時に同じようなことを感じた。だからこそ、この文章を読んだときに納得できたのだと思う。

すごいしっくりくるんだけど、そんごいしっくりこない。たぶん、成功という言葉がその理由なきがする。

ジムロジャースの著書の冒頭

世界を見よう

できる限りこの世界の現実を見ることだ。どのような仕事に就いていようと、世界を自らの目で見ることで人生の成功がより確かなものとなる。子育てにも役立つし、教師、政治家、実業家、芸術家、ジャーナリスト、商人、そう、投資家にも必要なことである。

世界を見れば、自国のこともわかるようになる。他の国を知っている者は、そうでないものよりも自国へのかなり深い理解が得られる。さらに重要なことは、各国を旅する中で、自分自身を知るという点だ。自分の強み、弱み、興味、関心がわかってくる。いずれの分野を目指しているにせよ、自分のことがわかるにつれ、成功は確かなものとなっていく。

世界各地を旅することが、時として難しいのは、言語、習慣、住環境、食物、法律などが違うことによる。それだからこそ旅は楽しいのであり、刺激的なのであり、勉強になるのである。

自国の中で行ったことのない場所を旅行するのも、海外を観光するのも楽しいことではある。しかし、本当のたびの喜びや学ぶべきことは、地面を直に歩き、見ることから生まれる。思いもしなかったことに疑問を持ったり、自分が知らなかったことを学ぶことになるのだ。
読者のみなさんが旅によって啓発され、人生をよりよい方向に変えていくことを祈る。今よりも成功し、幸せになるのだ。人生は短い。だからこそ、力強く遠くへと旅立とう。成功への第一歩を歩み始めてほしい。

どこか世界の街角で会おう。

ジム・ロジャース

冒険投資化ジム・ロジャース
世界バイク紀行

ついでに小澤征爾さんが体調を崩したというニュースを聞いて思い出した。彼の著書の冒頭を。

「まったく知らなかったものを知る、見る、ということは、実に妙な感じがするもので、僕はそのたびにシリと背中の間の所がゾクゾクしちまう。」

この文章が非常にしっくりと来て好きだ。

February 02, 2006

体が唯一のメディアさ

俺にとっては体が唯一のメディアさ。
俺にとってはこの俺がメディアなのさ。

何かを表現する時に、絵、写真、歌、詩、本などいろいろある。
これらは、自らの考えとか思いを他のものにのせている。
自分がいなくても基本的には伝わる。
自分の思いが製作物に乗り移っているからだ。
だから、たくさんの人に知ってもらえる、触れてもらえる。
いいことだ。
形にすると、分かりやすくなる。
シンボリックで注目も浴びる。
メディアにも載りやすい。


しかし、自分しかないのだ。
本当に俺をあらわすものは。
特にワクワクスイッチの入ったときの俺。

January 25, 2006

それであなたは何が出来るの?

昨日NHKのプロフェッショナルを見た。杉野英実さんという世界的な賞を取ったパティシエの方であたった。

で、気になった言葉があったので、メモった=ブログでエントリーしたはずなのに出来ていなかった。。
ショック。あの時、聞いて感じたことを走り書きしたもので、その時のもののほうが率直な気持ちを反映した文章だろうから、消えたのはショックである。しかし、メモとして残しておきたいので再度書く。

「それであなたは何が出来るの?」って言葉が気になったのだ。彼がどんな状況で言われたか忘れた、奥さんに言われたのか、フランスで修行中に師匠から言われたのか。覚えていない。さらに一字一句一緒かと言うのも怪しい。しかし、こんな内容のフレーズであったことは確かだ。あまりに、この言葉が心に刺さってきたので前後の記憶が飛んだ。

この言葉自体は、たまに聴く言葉かもしれない。でも、なかなか鋭いというか、キツイ言葉だと思う。

「それであなたは何が出来るの?」

たいして何も出来ないのに、すぐ調子をこいてしまう性格だ。
自分が生きていくうえで、ターニングポイントになる時に自分に問いかけたい言葉である。

それであなたは何が出来るの?

January 19, 2006

職人技とリズム感

町を歩いていたら、リズミカルな音が聞こえてきた。
でも、音楽とかやってそうじゃない場所。
下町と言うのか、中小企業がある町だから。
心地よい音だなーと思って、音の先を見た。

すると、かなづちを使って、何かをたたいて作っていた。
何か微調整をしている感じだった。

ああ、職人の技って音楽のようにリズミカルなのかも知れないと思った。

そういえば、職人恐るべしです。
職人魂ってすごいと思う。
先日、和紙職人と話した時に感じた。

January 15, 2006

中長期でのバランス感覚

短期でみるとちょっと暴走気味と思う人(考えや行動)でも、中長期でのバランス感覚(補正能力)を持っている人は魅力的に映るし、面白い。エッジがきいている人という感じ。しかし、その人の人間全体を見ればバランスが取れているようにも見える。

短期でのバランス感覚を持っている人は、なんか突き抜けてない。なんか中途半端っぽくなってしまう。何かやろうとするとリスクを考えてしまって出来なかったり。なんでもかんでも丸くおさめようとする。面白みにかける気がする。

これは考え方とか行動とか全般にいえるんじゃないかな。短期では両極端に触れても、その触れたことに少し時間がたってから気がつく。

中長期間たってから気づく人、気づく仕組みってなんだろうか。これを兼ね備えればいいのだ。
そんな人はどんな人だろうか?まず何かに全身全霊を掛けれるというか没頭できる人と言うか無我夢中になれる人というか、自分がこれだと思ったことのためにすべてを賭けれる人。そうであって、他者とのコミュニケーション、ガチンコで話す機会がある人だろうな。で、その時には冷静になってというか、自分の主張だけが正しいと思わずに、謙虚になって相手の立場に立って考えられる人。こういう人だろうな。


率直に物事を言ってくれる仲間がいること。
自分が、何かを始める前に思ったことをメモしておいて、あとから見直せる。そんなことをしておくといいんじゃないかな。

January 03, 2006

自分の問題に気づくコミュニケーション

自分のことは好きだ。だからといって、完璧な人間ではないと思う。たくさんの問題をもった人間だと思う。その問題に気づき改善していく、これは「社会」で生きていくには絶対に必要なのではないか。

じゃあ、それはどうすれば見つけることができなおすことが出来るのか。

今年の夏に、ボリビアのウユニ塩湖に行った。そのウユニ塩湖は四国の半分ほどある真っ白な塩の大地。その塩湖には一軒だけ塩で作られた宿がある。この宿はひとつの家族が切り盛りしていた。父と母、そして子供が3人。その子供はまだ5,6才と小さくかわいらしかった。しかし、常識はなかった。客としていた僕に、塩をかけたり、つばをかけたり、水をかけてきたり、人の部屋にはいってモノをあさったり。子供のいたずらでは割り切れないレベルだった。俺は叱った。子供たちの今後の人生を思って。たぶん、多くの旅行者は一日だけのことだと思い、あまり叱ってないと思う。しかし、子供たちは親としかコミュニケーションをとっていない。同じ年代の友達と遊ぶこともない。だから、彼らは社会では当たり前となっていることが分からなかったのだ。この時、子供が育つ時、もっと言えば生きている限り、同年代の付き合い(コミュニケーション)、年代の違う人とのコミュニケーション、長い付き合いの人とのコミュニケーション、一回限りの人とのコミュニケーション、どれも欠かせないものだと感じた。

で、この子供たちは閉じられた世界で生活していたから、社会の常識や人とのコミュニケーション(話だけではなく、駆け引きや、常識、行動なども含む)を知らないんだなと思った。これは子供の人生にとって大きな影響(問題、悪影響)だと思う。犬か狼か忘れたが、そんなような動物に育てられた人間の赤ん坊のカマラ、アマラをも思い出す。

で、「社会」とは人と共に暮らすこと。人と暮らすにはコミュニケーションが必要となってくる。だから、自分の問題に気がつくにはコミュニケーションだと感じた。ウユニの子供の例からも。

先日、茂木さんが「生きることは話すこと」というようなことを言っていた。さすがうまいこと言うなとその時思った。他人は自分の鏡だし、他人へのアドバイスも自分へのアドバイスそのものなんだと思う。

バルみたいな場が子供の成長で大きな意味を持つ。とスペインで本気で思った。近所の人が子供からおっさんまで、朝も昼も夜も、気軽に立ち寄っている。そんなところには様々なコミュニケーションが生まれる。生の学びの場だ。

人間として、自分の問題に自ら気づいてそれを直していける、そんな人間を目指したい。そうするためには、いろいろな人といろいろなコミュニケーションをすることが大切なんだろうな。年を重ねてもかっこいいおっさんでいるために、そうしたい。

人のふり見て我が振りなおせという言葉がある。まさに、これなのかな。先人はすごいと思う。先人が気づいて、ことわざなどになったものを日々生きていきながら、肌で感じている日々です。

January 01, 2006

どん底に落ちた時に逃げない

高橋尚子が東京国際マラソンで勝った。その時のインタビューを多くの人が評価していた。高橋尚子は人として突き抜けたと。

前回の東京国際マラソンで負けてオリンピックを逃した。その、東京国際で2年後復活した。あえて、この大会を選んだ。この大会でしか意味がなかったのだろう。しかし、一回頂点に立った人が、どん底に落ちると、かっこうをつけて、他人の目を気にして真っ向勝負をして這い上がってきにくい。

しかし、彼女は真っ向勝負をした。スゴイ。これだけでもスゴイ勇気だ。さらに、彼女は勝った。
その経験は並みのものじゃない。だから、彼女は大きく変わったのだろう。

December 30, 2005

新しいことへのワクワク感

子供のころから、いろいろなことに興味を持って、ちょっと無謀でもやってみたり、新しい組織に入っていく。この経験は重要だな。年を重ねれば守りに入るし、新しいことをやるのを億劫になる傾向があるから。

その習慣(新しいことに自らチャレンジする)を子供のうちにつけておく。

東儀さんが、新しいことをするときは、一番難しいものからチャレンジしてみるという話を聞いた。そうすれば、最後のゴールを肌で感じれる。それに、基礎のルーチンより難しいほうがワクワクする。その難しいものから簡単なものへ徐々にやっていく。すると、一番の基礎は省けることもあると。なんと面白くて合理的な方法だろう。

December 29, 2005

希望格差を痛感する

「希望格差を痛感する」
それは、若者にしろ働き盛りの人にしろ、年寄りにしろ。

岐阜に帰ってきてから感じる。電車に乗っていても空気がおかしいと思って、なんだろうと思ったら、みんなの目が輝いていなかった。

類は友を呼ぶ。希望格差って相当大きな意味を持つ。
2層社会が出来上がってきている。

幸(さち)ある人の周りには幸のある人が集まる。するとさらに幸のスパイラルでいいことが近くに寄ってくる。希望のある人のまわりも同様に。でも、夢も希望もなくて、初めから無理だと思っている人の周りにはそんな人しか集まらない。だって、夢のある人は何でもすぐに無理って言う人といてもつまらない。ってか、話が進まないし。しみったれてるから。すると、どんどん差がひらく。初めてでも何でもやってみる。この精神はまさに希望格差によって生まれるものだと思う。この希望格差によって社会は二層社会にどんどんなっていくのだろう。

ここで言いたいのは希望がある人は無鉄砲って言いたいのではないです。ご注意を。

希望格差の到来

December 25, 2005

偶然、奥華子

奥華子さんという歌手がいる。名前だけは知っていた。それは、とある「仲間」の半年ぐらい前のブログにあったから。彼がプロデュースした商業施設でライブをやってもらったらしく、そのライブでは歌の力を感じたと書いてあった。それから気になってはいた。が、特にCDを買うとかアクションは起こしていなかった。

で、先日そのエントリーを読みたくなり、探して読んだ。すると偶然、次の日その人から今日、奥華子のライブがあるといわれた。これはと思い行くことに。彼女は井川遥が出ているCM「TEPCOひかりに決めたのは〜♪」とかJR東日本のCM曲を歌っている。

17時からはじまるのに、16:30には人が相当集まっていた。そして始まった。まず、声がきれいだ。澄み切った歌声。さらに、メロディーもいい。トークも。なんだろう、話し方がうまいわけではない。でも、なんか嘘のない人生を送っているというのが伝わってくる人だった。相当いいです。

ライブで歌った曲
【1.めぐり逢う世界 2.白い足跡 3.魔法の人 4.帰っておいで 5.やさしい花 6.サンタに願いを 7.自由のカメ】

December 21, 2005

つまらないことをやりたくなる

つまらないと思うし。自分に向いていないとも感じるものがある。
でもそれをやりたくなることがある。
正確にはやりたい気持がある。

それは自分には向いていないが、自分の想像をこえたもので、それをやってる間に「偶然」と出会える気がするからかもしれないと思うから、やりたい気持ちが生まれるのだろう。

つまらないと思うことの中でもやりたいと思うことは一部であるのも事実。
その一部には何を感じるんだろうか。その違いは何か。

December 20, 2005

2005年を振り返ってみたりなんかして

新年は岐阜で迎えた。それから4月の上旬まで、ガヤガヤした日々。
4月からは去年に引き続き、芸大に。授業のスタイルは去年と違ったが、集まる人が面白いのは変わらない。5月末は静岡に東京な岐阜人と合宿。その時に通った道を半年後に歩いて通るとは思ってもいなかった。6月に入り大学で仲のいい友達の一人と無人島へ。いやー、こんな経験をすることは一生ないだろうなと思った。テレビで見るより、聴くより、実際やらないとわからないことだらけ。7月末は金沢21世紀美術館と福井へ。福井の友達に会うために。インドであった伝説の男。彼はなんか気になる。同年代では一番不思議なものを感じる。そして南米への旅でワクワク。それから、郡上へ行く。郡上踊りも少しやる。岐阜県民として一度ぐらいはやらないと。この時見た爆発して流れた流れ星は死ぬまで忘れないだろう。8、9月は南米へ。念願のウユニへ。たまらんかった。今度行く時は雨季だな。もちろん、ガラパゴスもナスカもチチカカもたまらん。多くのチャリダーさんの話も面白かった。南米は居心地が良かったなー。帰国したら、南米の人みたいといわれた。たぶん、黒くなってたし髭もボーボーだったからだろう。そんで、10月末から11月頭 東京から名古屋まで歩く。いやー、想像以上に辛かった。足もつらいし、精神的にも鍛えられる。でも、今までの人生で一番の経験かもしれない。本当に。11月中旬から末タイとカンボジア。ダイビングのライセンスゲット。ライセンスを取ろうと思ったのは本当に直前だと思う。もともと海が好きだから自然な流れ。それにしても海の中は良いなー。さかなは良いなー。海の上にウェットスーツで浮かぶのも心地よかった。それから、帰国すると植村直己さんとか星野道夫さんの本に少しはまる。そんでもって、映画を連続でみて、展覧会とか立て続けに行く日々。なぜか知らんが。時間も心も余裕があるときに、こういったものを一気に見るのも悪くない。芸大の最後の授業も終わる。最後だと思うと寂しいもんだ。高尾山に護摩行に行くも火の前でお経を読めず、がっかりして、今に至る。

December 07, 2005

時間という切り口で

日々の楽しみ(趣味)
週末の楽しみ(趣味)
一月一回ぐらいの楽しみ(趣味)
2,3ヶ月に一回の、季節ごとの楽しみ(趣味)
年一回の楽しみ(趣味)
数年に一度の楽しみ(趣味)

それが、何らかのイベントに参加することでも、自分の趣味でも、屋内屋外でやること、一人でも出来ること、複数の人と一緒にやること。

今までのライフスタイルが変わるとき(変わる前に)、これらを考えておくといいのかな。

まあ、楽しみ(趣味)だけじゃなくて、仕事をする上でも振り返りが出来るように、時間と言う切り口でやることを考えておく必要があるんだろうな。

「思い出せない記憶」の体積

人には「思い出せない記憶」が堆積している。それはいろんな経験によるものが多いと思う。自分が意識的に、こんなことだと物事を理解していなくても、無意識に気づいていること。人とたわいもない話をしたことも、たまってく。この、思い出せない記憶が多い人は人間として深みがあるきがする。

読んだり、習ったりした記憶は忘れるけど、
体で覚えたことは一生忘れない。
って言葉と似ているかも。この表現は極端だけど、まあ、ある程度はそうだと思う。

そして、この堆積した「思い出せない記憶」をふっと思い出す。頭の中に浮かぶ。そして調べる。そして、ちょっとメモとかしてストックしておく。そうすると、また何かふっと思い出す。そして調べる。すると繋がる。

この過程は、スゴイワクワクする。どんどん想像が膨らんでいく。連想ゲームのように繋がっていく。今まで思いつかなかったのがなぜだろうと思う時もある。ばらばらに捉えていたものがどんどん繋がる。そして、新たなものが生まれてくる。

どんな時、どんなことでもこんな過程で考えたりしている気がする。ブログはこのストックの部分として利用している感じだな。

そして実際にやってみる。

個人的にはいつもこんな感じだなって思った。

なんか核があって

自分の強みと言うか、自分の専門があった上で、たくさんの生の経験とかいろいろな人と話すといろいろうまれてくるんんだよな。

November 17, 2005

出会うタイミング

出会うタイミングって重要。

ああ、この人と5年前に出会っていたら絶対仲良くなっていなかったなぁとか思うことがある。でも、今、出会うとすごく仲良くなれるなんてことがある。逆に、昔だったら仲良くなってたけど、今あっても仲良くなれない人も。

でも、すごいのは昔仲良くなったら、性格が変わっても仲の良いままというか、つながり続ける。当たり前なんだけど、時間の一方通行性を感じます。不可逆なんだなと。一回なにか出来事が起きて、それを完全に白紙にすることは出来ないんだなと。

まあ、前提として相手キャラクターが昔と現在で変わっていないって事なんだけど。それで、自分の性格だけが昔と今で変わったという条件。

November 14, 2005

おびえるという感情

この前、ビートたけしが漫才の前は今でも緊張する、おびえると言っていた。常におびえるという感情があるからこそ、真剣に向き合う。だから、プロとしてすばらしいものが表現できると。

たしか、アンチグローブかなんかも、優秀な経営者はビビリだ。常におびえているみたいなことを言っていた気がする。

どんなに、なれたことであっても適度な緊張感を持つ、初心を忘れないってことですなぁ。自分に言い聞かせとこ。

アンチグローブのネタを発見。
参考http://www.teratown.com/blog/archives/000880.html

November 11, 2005

Life is what happens to you while you are making other plans

Life is what happens to you while you are making other plans.
(人生とは、何かを計画している時起きてしまう別の出来事のこと)

イニュニック[生命] 星野道夫 アラスカの原野を旅する に書かれていた言葉だ。


この本は美しい。写真も美しいが、星野さんが書く文章が美しい。やわらかい、やさしい美しさがある。

彼は写真家である。アラスカに住み、大自然の中で生きていた。そんな澄んだ世界に生きていると表現まで澄んだ言葉になるのかと思うぐらい。読んでいると、自分の心が柔らかく包まれる感じがしてくる。星野さんの他の本も読んでみたくなった。


イニュニック 生命―アラスカの原野を旅する
4101295212星野 道夫

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November 10, 2005

人生を省エネで生きるかどうか

人生を省エネで生きるかどうかという大問題。
この表現で伝わるかどうか知らないけど、今日、芸大の授業のあと友達と話していて思った。

僕は人生を省エネに生きていないように見えたらしい。でも、省エネで生きようとかエネルギーを浪費して生きようとか考えたことがなかったので、新鮮なツッコミだった。

言われてみれば省エネな人生ではないかもしれない。でも、省エネな人生ってつまらないような気もするわけです。

省エネって表現ではないけど、LOHASに対抗して二郎って書いたのと似てるかも

November 09, 2005

悔しいという感情

なんか、歩いていて思った。

悔しいという感情。
これはパワーになる。

特に自分に対する悔しさ。
半端ないパワーになりすぎてしますこともあるのだが。

でも、自分にとって悔しいという、あの感情はすさまじいものがあると思った。

October 26, 2005

人は共に生きる

人と共に 
家と共に 
街と共に 
全ての物と共に生きる 

人も生き 
全ての物も生きる 
そして人はよりそれらと共に生きたがる

October 24, 2005

自分を自分で脅かして遊ぶ

自分を自分で脅かして遊ぶって、何だという話だろうけど、僕はこれが楽しい。

何かといえば、家の洗面台の水はシャワーと普通のじょろじょろでる2パターンある。普段はじょろじょろで使っている。いわゆる普通の水道と同じだ。しかし、たまに水道を使い終わった後、シャワーにしておく。そして、次使う時驚く。じょろじょろだと思って使ったらシャワーで勢いよく水が出てくる。その時ハッとする。

自分の脳がドキッとする感じ。固まっていた脳が少しフレッシュになる感じ。あああ、っと思うその瞬間が面白い。

October 20, 2005

経験による弊害

昨日、旅行について放す機会をもらった。

僕は、多くの大学生とは違う経験をしていると思う。
一方で多くの大学生が経験していることをあまりしていないと思う。

まあ、十人十色だからいいんだけど。

いろいろな経験をしすぎることによる弊害もあるんだなと思った。

October 17, 2005

妥協なきこと

妥協しないという言葉にピンと来た。

写真モブログ一覧から分かる自分の興味

写真モブログ一覧から、自分の興味が分かる気がする。

どんなものを見たときに、ワクワクしているのか。写真をそれも携帯モブログというもので、どんな時にも撮影し更新が可能というツールだから、本当に面白い。

それ、一枚一枚では見えてこないものが、一覧表示するだけで新たな価値と言うか意味を作り出す。一覧になっただけで、比較し僕が何に興味があって、モブログするかが分かる。

生きるリズム

生きるリズムってのがあると思う。生活スタイルとでもいおうか、生活のリズムとでも言おうか。

そういったものは、気づかないうちに少しずつ作り上げられ、気づかないうちに少しずつ変化する。変化した状況から現状復帰する、その状況で気がつくことがある。

当たり前のように、動作をすると何か不便とかおかしなことを感じる。それは、その動作をするまで全く気づかない。それも当たり前だが、おかしなことだ。

たとえば、モブログの写真を更新するという行為。これは南米生活で忘れ去った行為だった。

こんなことしていたのか。ああ、こうだったよな。なんでこうしたんだろうと。

自分のことばかり、で他人に興味がない

世界を自分、他人、その他の影響というのがあって、自分がほとんどだった。そんな性格検査の結果が3年ぐらい前にあった。

その時は、実感していなかったが、自らの脳の中での意識として、それの言わんとすることが分かって気がする。

自分がすべてではないが、あまり他人に興味がない。所詮、他人は他人と思っているからだろう。

でも、他人は他人じゃないんだよな。相当支えられてるもんなー。
最終的な最後の意思決定は自分かもしれないけど。

October 14, 2005

おなかの中で聞いた鼓動

何ヶ月ぶりだろうか、真っ暗にして風呂に入った。時間があるとこうして風呂に入るのだ。

真っ暗の中湯船でボーーっとしていた。すると音がないと感じた。そしてアマンタニ島の記憶がよみがえった。あの時、坂道で立ち止まった時ふと感じた。無音。音がない。何もかもが止まったかのような静けさを恐ろしいほどに感じた。今までに感じたことのない静寂だった。アマンタニ島には電気ガス水道がないといっても人が住んでいる。千人単位で。もっと人のいないところには何度か行ったことあるが、なぜかそこでは感じなかったのに、人もいるし、チチカカ湖のもあるはず。でも、空気が止まったかのような上体を感じた。風呂ではそこまでは全く感じなかったが、久しぶりに静かな時をすごし思い出したのだった。

それから、耳を湯につけて浮いていた。プカプカと。小さな船が波に揺られるように。その時、静けさの中に自らの心臓の鼓動が聞こえた。一定のリズムで振動と共に心臓の音が聞こえた。その時、母親のおなかにいるときは、この音しかほとんど聞いていないんだろうなと思った。そうしたら、そのリズムが与える子供への影響はでかいんじゃないかと。その人が好むリズムだとか、何かを感じる感覚にその鼓動が大きな影響を与えているのではないかと思った。それを脳が作られてすぐという、脳への一番最初の影響なんだから。それもかなりの長期間にわたって、メインではその音しか聞かない。以前も書いたが、同じ聞き続けると、特に好きでなくても、心地よく感じるようになると個人的には思うから、自分のリズム感は鼓動が大きなキーワードになる気がする。

それから髪の毛を洗おうと、シャンプーを手に取った。するとシャンプーのにおいが強く感じた。シャンプーのかおりなんて普段感じていなかったのに、このときは香料が入っていることに気がついた。たぶん目が見えていなかったから、嗅覚に脳がたくさん使われたから強くにおいを感じたんだろう。

となると、人が生まれる前に母親のおなかの中では目が見えない、嗅覚も機能していないだろう。だから、聴覚が鋭くなっていると思う。ということは、母親や自分の心臓の鼓動を常に聞き続けている。さらに、一番近くで感じるものだろう。

と言うことは、その人のタイミング感というか、リズム感にさらに大きな影響を与えているんじゃないかと。ふと思いました。

http://www.teratown.com/blog/archives/001580.html

心の中における真実

他人はだませても、自分は騙せないとよく言われる。自分にはうそをつけないと。

自分の心の中で何かに対して持った考えなり気持ち、これは正しいのか。正しいというか、自分の中でこれだと思うこと。

思い込みと何が違うのだろうか。

あの、自分の中だけにしか存在しない真実のようなもの。

脳の破壊衝動

僕は、ほとんど怒らないし、物にあたることもない。普通に言う破壊衝動はない。

しかし、脳に対する破壊衝動はある。何かといえば、自分の今までの常識とか固定概念とか、無意識的に持っている凝り固まった考えをぶっ壊したいという気持ちがすごい。脳の中がごろっと変わるような時すごく楽しい。

想像できないようなものを体験したいと思ったりするのは、この脳の破壊衝動から来ていると思っている。

October 11, 2005

本気で向き合う

外ではなく内と向き合え
外へ逃げている。自分ではなく。
外の何かを使っているだけ。

外へ行っているだけのキがする。内面と向かい合う、内面を掘り下げる

自分のことではなくて外の事を話してる
自分の内面と向き合え
本気で生きろ
着き抜けろ
上流の楽しみを見つけろ
それをつきつめて仕事にしろ
取り繕うな
本気で向き合え
一万円の世界と百円の世界

外へ逃げてる 
南ベイも
大浦食堂も

もっと内面から
内面をみつめろ
他人事になってる

本当にやりたいこと、こころの底からワクワクすることを見つけ、それに向かって命を賭けるぐらいに

10月9日 下北沢のカフェアンドダイニングassoで、向かいに座った茂木さんに、寺町に言いたいことが一つあるといわれて。

August 19, 2005

この人かっこいいんだろうな

この人かっこいいと思う。
大平 貴之さんっていうんだけど、一人でプラネタリウムを作っている人。それも世界最高の。

小さい頃から星に憧れ、天の川を見てほれ込み、多くの人に感じてほしかったからって。大学でもプラネタリウムを作って、今も作って。

夢見てる人だな。それを現実に達成している人。いや、かっこいいと思う。

August 10, 2005

今まで言葉につまずいてきた

なんだろう、うまくすんなり学べた言語はないかもしれない。

まず、日本語でつまずいた。ひらがながかけなかったらしい。周りの子供はひらがなを普通に書くのに、全くかけなかったらしい。

次に、英語も。thisというのがディスでなんでthisと書くのか真剣に分からなかった。古典も漢文も全くだめ。大学に入ってドイツ語も一番初めのテストからくじけた。もちろん、プログラミング言語も全くだめだ。

そして今スペイン語をかじり中。難しい。難しいというかおぼわらない。CDをずっとかけているから雰囲気はつかめてきたかなと思うが、この言語はスペイン語か英語化ドイツ語かと分かるレベル。会話なんて程遠い。今は数字と挨拶に集中している。でも、道のりは長い。

僕の周りの友達は海外に一人旅に行くと現地の言葉を覚えてくる。少なくとも挨拶ぐらいは。しかし、俺は全くだ。スペインに行って覚えた言葉は「オーラ」と「グラシアス」のみ。これ以外はスペイン語を使ってない。インドなんて「ナマステ」以外使ってないし、知らない。ひどいもんだ。現地の言葉を知らなくても、ボディーランゲージと片言の英語で何とかなってしまっていると自分で思っている。じゃあ、必要ないジャンと思うと僕は脳が働かなくなる性質なんだと思う。

でも、南米は英語が通じないと聞く。さらに、現地の言葉が話せたほうが面白いんじゃないかと純粋に思うようになったので、ちょっと勉強している。さあ、あと2週間ない。数字と簡単な挨拶はマスターしたいものだ。現地ではなまりとかあってすぐには理解できないかもしれないが、旅の楽しみが増えるのは確かだろう。

まあ、言葉とはその文化の背景や雰囲気をなんとなく理解することであるのだろう。だから、下地があれば、体に脳になじみやすいのかなーと。相変わらずプラス思考。のーてんき。

August 08, 2005

政治家としての器

郵政民政化法案が参議院で否決された。個人的に、この法案がベストかどうかは別として民営化するのは当たり前だと思う。まあ、国政というなかで活動したことがないのでなんともいえない部分はあるが、政治も変わったなと思う。純粋に、意味不明な論理(小泉さん風に言うとわけの分からない論理ってやつ)がまかり通って、進んでいく政治は全くもって面白くないが、政治が変化しているのを見ると面白い。さらに、投票の瞬間や解散詔書が朗読される瞬間は何かワクワクする。あの場にいたいと思う。今後政治がどうなるかは読みにくくなっているかもしれないが、明らかに政治の内部は見えやすくなっていると思う。だから面白い。小泉という男の出現ととった行動によって、明らかに政治という常識が変わってきているとおもう。

野党のどのトップを見ていても、与党で反対した人や賛成してインタビューに答えている人を見ても真の政治家としての器があると感じられない。政治家としての器とは何たるかと言われると困る部分もあるが。

言い訳する奴とか、流される奴とか。へたれる信念のない政治家が多い。その中で小泉純一郎という男はすごい。顔の表情とかにも何か魂を感じる。肝っ玉が据わっているというのだろうか。政治家たるもの国を背負っているんだから、それぐらいの覚悟が必要だ。

あと、20年たてば俺は40だろ。その頃には政治はだいぶ変わってきているだろうな。くだらん根回しとか、自分の信念を持っていない奴とか、わけの分からない論理がだいぶなくなっていて、政治がまともになっていそう。ということは、あと、20年が政治の一番面白い時なんだろう。20年の間に、今、50から60代の人はいなくなってることだし。

こんな興味深い選挙が9月11日に行われる。しかし、投票できないのが悲しいところである。

August 06, 2005

答え無き選択をいかに行うか、答えなき不安をいかに処理するか

生きるうえで答え無き選択をいかに行うか、答えなき不安をいかに処理するか、これは重要なことになってくると思う。

さらに、この類の話をしたり、この類の問題の意見を求められたりすることがちょくちょくある。

その後は考え中。

人生とは想定外の積み重ねである

人生とは想定外の積み重ねである

生きていれば、将来をシュミレーションしていても、その想定外のことばかり起こる。

それが人生だ。それが起こるからこそ人生楽しくなるともいえる。

August 05, 2005

自戒

僕は神経が図太いというのか、ずうずうしというのか、態度がでかいというのか、あつかましいというか、ちょうしにのってる部分がある。

これがすべて悪いと思わない。この考え方のおかげで、いろいろなことができたのだと思う。

でも、少し違う。


関係ないが、
DVDを家で見れる設備がほしい。
でかいディスプレイも。
5.1chで。

何を見るかって、ミスチルのライブDVDと世界遺産。

来年だな。一眼レフデジカメとDVDセット。

August 03, 2005

臆病スパイラル

臆病スパイラルってあると思う。

臆病な人は行動を起こさないと、どんどん臆病になっていってしまう。臆病だったりビビリだったりする人は行動するということを通してしか臆病な部分を克服できないと思う。

安全のために臆病である部分も必要なんだけど、臆病な人が行動しないとどんどん脳の中だけで考えて、悪い方向に考えて、さらに臆病になり行動できなくなる。だから、臆病な人は行動して臆病スパイラルにならないように気をつけることが必要なんだろう。

now now now

start now
今はじめる。思い立ったが吉日。

これと関連するかな。
http://www.teratown.com/blog/archives/000721.html

July 23, 2005

答えってあるのか

たぶん答えってのはない気がします。

いくら悩んでも、答えはないが選択するしかないのかなと、なんとなく思う。

しいて言うなら、選択したものが答えになるのかなぁという気がする。

July 20, 2005

バカなおやじになりたくて

なんていうんだろう、無謀であれば無謀であるほど。

そこにあるまん丸の太陽を掴み掛かるような。

砂漠で迫りくる星を殴り返すような。

向かい来る風の木を打ち返すような。

でも、あるかないか分からないほど透き通った瞳で。

そんなバカなおやじになりたくて。

July 17, 2005

エスポワールな料理屋店主

松嶋啓介。像熱大陸でやっていた。フランス・ニース在住の料理人。27歳。

20歳の時にコネも何にもなくフランスに渡って、エスポワールに選ばれる。
何にも持っていなく乗り込んで、夢を達成した、サッカーの三浦カズヨシと一緒にとった写真を支えに、単身フランスで耐え抜いた。裸一貫で乗り込んで、勝ち抜くってこと。でも、そんな表現よりも自分の思ったように楽にやって、ひらめきを実現してって感じ。

ニースに自分の店ケイズパッションをもつ。
エスポワール、期待の星 星に最も近いレストラン Kei’s Passion 座席22席

客が席についてから直感で料理を決める。
ひらめきで料理をして毎回毎回勝負をする。
ランチは23ユーロ。

厨房では松嶋が一番年下。

ミシュラン調査員は一人できて、会計の時に水戸黄門みたいに名刺を出すらしい。

物怖じしない。貪欲。あたって砕けろ。20歳でフランスへ行き、25歳の時自らの店を持つ。
人のことをいい名と思うなら、やればいいじゃん。いいなと思えるなら、その人にもできるんだから。

味が落ちたとうわさが出れば客なんてすぐいなくなる。
信じた道を走り続けるしかない。

バルセロナ。今料理界で最も刺激に満ちている国。
世界一といわれるレストラン、エルブジの元No.2の友達カルロスアベジャと。

分からないことがあれば質問攻めにする。
追い込まれるとやるほうなんで。友達の料理人に自分の一番の料理の秘密を教えてしまう。

ミシュランの星よりも大切なことがある。
親友の南フランス有数のワイナリー。いいワインを知るには、その土地を知ること。食材が生まれた土や風を知る。

ひらめきには偶然ではなく、必然と確信がある。

普段から何に対してもアンテナを張っている。何を食べても、何がおいしかったか気にしている。

自然に触れると頭が働きますよね。

誰も食べたことない味でも、自分の頭の中では、味が創造できる。
最高の瞬間はひらめきがぴたりと当たったとき。

人を驚かすことができるって言うのが楽しい。

一人前の大人になるということは、自分を分かるということ。
富や名声のために、自分の道を曲げない。
自分の道は自分で決める。

一年に一回しかこないミシュラン調査員よりも、毎日来てくれるお客さんに喜んでもらえることのほうが重要だ。

小澤征二さんもスクーターを持ってヨーロッパに乗り込んで、ここまでになったというしなー。

空母か飛行場か

空母か飛行場か
パラグライダーかジェット機か

基本的にまとまりはなく、いつもはじめる時に着地点は決まっていません。そのとき次第。あまり
将来のことは考えずにとりあえずやってみる性格。やってみて、感覚をつかんでいく感じの人間です。脳的にも、実際にやり始めるとやる気が出てくるという人間の特質はあるみたいです。たとえば、掃除をめったにしないのにやり始めると、徹底的にやり始めるとか。

まあ、それはいいとして、何かをやるにはきっかけがある。そのきっかけが空母か飛行場か。何かに瞬間的に反応し一瞬でエネルギーがたまり、一気に決断して飛び出すのが空母な人。一方で徐々にやりたいことを見つけ、そのやりたいことへの気持ちが積み重なってゆっくりとやり始める人が飛行場な人。

パラグライダーかジェット機かは飛び出してから、とりあえずやり始めてからどうするか。パラグライダーは何かを始めてから、何がいいかなといろいろ試してみる。寄り道をして、その過程で着地点を見定めていくタイプ。また、ジェット機はひとつの達成すべきゴールを定め猪突猛進。直線で一気にゴールまで駆け抜ける人。その間に寄り道とかはしない感じ。

なんとなく、いろいろな人の行動とか行動にいたるまでの経緯を見たり、聞いたりして、いきなりこんなことを考えてみた。

特にまとまった考えではないけれどね。

自分は空母で、パラグライダーかな。たまに物事によってジェット機になる時もある。

July 16, 2005

ちょうど一年たったのかぁ

この前の木曜日、7月14日かなちょうど芸大の美術解剖の春学期最後の授業だった。

昨年の秋学期の一番最初の授業からもぐり始めたのでちょうど一年間丸まるたったことになる。行かなかったのは一回だけかな。それ以外は遅刻しようとも行っていたし、自分の中で重要度ランクは相当高かった。

一番最初教室に入った時のドキドキ感は今となっては懐かしい。

去年の授業形式と、今年の授業は全くといっていいほど違う。去年は茂木さんがメインで授業していたけど、今年は外部からいろいろな人がいらっしゃってお話してくださる。それも、普段お会いすることなんてできないすごいな方。でも、個人的には去年のような授業スタイルがいいなー。

こんなに芸大に行くなんて、全く想像もつかなかったことだ。

「行動して」「気付いて」「観察して」「理解して」「実現する」

経験が絶対に論理を超えているからなんです。論理で予想できるようなことはわざわざ経験する必要がないですから。何の脈絡もなく入ってくるからこそ、経験というものには価値があるわけです。

そうだと思います。

「行動して」「気付いて」「観察して」「理解して」「実現する」

June 25, 2005

千代の富士

松山千春さんの歌を聞いていたら思い出した。なんか分からないけど、千代の富士。この人は昔から好きだった。相撲をしている姿と顔を見て。この力士がどのような背景を持った人かも知らなかったけどなんとなく。

そして、千代の富士の自伝っぽいドラマを見て少し知った。そのときのエンディングを松山千春さんが歌っていたと思う。それで、千代の富士を思い出したのだ。

なんか、千代の富士には常に勝ってほしかった。なんか、最強であってほしかった。今でもそう思う。なんか魂というか、信念というか、おとこらしさを感じる。僕にとってのヒーローの一人だったんだと思う。

ビルゲイツとかアインシュタインもヒーローだった。

June 18, 2005

怒りの感情がないのか?

みんなが言う、私の印象はけっこうバラバラだ。それも僕のことを分かってくれていると思っている人からの印象が。しかし、ばらばらだからといって外れているかといえば違う。それぞれが的を得ている。

でも、珍しく共通することがある。起こった事を見たことがない。ってこと。

確かに、怒らない。別に、怒りの感情もたいしてこみ上げてこない。

大学一年生のころ、自分がもっと感情的になりたいと思った。怒りたいと思った。なんかすごく人間的な気がして。しかし、怒りの感情はこみ上げてこない。

怒った時にうまれるパワーってのがすごいと思う。一方で負の力も大きいと思う。

どんな理由からなのだろうか

小さいころあまり怒る機会がなかった。そんな育てられ方をした。
平生の会話でも違うと思ったら批判することが他の人より多い。批判するという行為には、怒ったときと同じ精神的な作用がある。僕は徐々にそのストレスを解放しているから、たくさんたまることがなく怒りにならない。
僕の性格はビビリで常に殺されることを考える。で、自分が怒って相手が怒るとけんかになって収拾がつかなくなる。すると相手が何をするか予測不可能になるかもしれない。そうするとぼこぼこにされて殺されるかもと考える。そのリスクをはじめからなくしている。

まあ、怒っても仕方ないと思ってしまう考え方なのだろうか。

June 17, 2005

次の試合に勝つことだけ

野茂選手をいつも好きだと書いている。そんな彼が日米通産200勝した。その後のインタビューを見て、再度惚れ直した。

「次の試合に勝つことだけ」 長期的な戦略どうのこうのより目の前のことをがむしゃらにやることに意味があることもあるのだろう。特に野球の勝利数なんて皮算用してもあまり意味がないと思う。そんなんよりも目の前の一勝を積み重ねることの意義深さと難しさが伝わってくる。

長期的な戦略も必要だろう、しかしそればっかりでは泥臭いかっこよさ、魂のこもったものが伝わってこない。目の前のものだけに徹する、その向こう見ずなひたむきさからは何か強いものを感じる。

這上がる、そんなイメージがある。這い上がるという。野茂選手は常に良い結果を出し続けているわけではない。無理といわれたメジャーに日本での成果を捨て殴りこみ、手術をしたり、チームを追い出されたり、マイナーでプレーしたり、年俸なんて10分の一になったり。 みんなが失敗すると失笑するようなことを、反論などつべこべ言わずがメジャー成果を出してくつがえす。そんなところがかっこいい。さらに、基本は走ることだと考え、足腰強化のためにひたすら走る。一人の人間として尊敬します。

派手ではなくても、ちゃんとやれば認めてくれる環境があったのも事実なのかもしれない。


野茂という生き方

―今の気持ちは?

 「僕としては200勝は意識はしていなかった。だけど、情報を知ったチームメートやファンの存在で、少し意識し始めた」

 ―200勝は、どんな意味を持つ?

 「もともと、そういう目標を持っていなかった。区切りの目標ではないので、次の試合に勝つことだけ」

 ―印象に残る試合は?

 「一つ挙げるのは難しい。これまでずっと僕を見てきてくれたファンが『いい試合あったな』と思ってくれれば、それで十分。これからも、そういう試合をつくっていきたい」

 ―野茂投手のメジャー入りから、日本人選手が次々に海を渡った。パイオニアとしての思いは?

 「僕はまだ(日米)15年しかやってないし。僕よりずっと長く(現役で)プレーやっている人はいる。それこそ、僕が目指しているもの。(メジャー入りした日本人に)アドバイスできる立場では、まだないと思う」

(スポーツ報知) - 6月17日8時1分更新

ワクワクする対象

自分が何に対してワクワクするのか。
本質的に何に対してワクワクするのかが、最近気になる。

ワクワクすることは結構ある。瞬間で、おお、これだと思うことがある。
そんなことを並べて共通点を見つけてもはっきりとは現れない。

何なんだろう。ワクワクするって。

サッカーの華麗なシュート、人の生き様、すばらしいテクノロジー、あっと驚くようなアイディア。いろんなものにわくわくする。共通点なんてあるのかな。

共通点があるとしたら、僕の心が反応したってことかな

June 14, 2005

自らを削る生き方と、自らに肉付けする生き方

人間はAな人と、Aでない人の2種類があるとかよく言われます。たとえば、物事を成し遂げる人と、物事を成し遂げない人。こんな感じで。

それと似ている感じなんですけど、自らを削る生き方と、自らに肉付けする生き方があると思いました。これは、仕事で分類できるとか、年齢で分類できるとかそんな感じじゃなくて、その人の性格というか人生・生き方そのものなんですけど。

その人が一言を発するとき、その発し方、その人の中で発するまでの過程、何か行動をとるときになぜとるかってのも関係あるし、そんなことから削る生き方と肉付けする生き方がわかると思う。

June 09, 2005

言葉の繰り返しは性格にしみいる

言葉の繰り返しは性格にしみいると思う。たぶん人間の性格というのは言葉によって作られると思う。たしかに、小さいころの実際の行動を伴ったことも性格を作り上げる要素だと思う。しかし、赤ちゃんのころはそんなにもいろいろな経験をするわけではない。(とはいっても、赤ちゃんにとってはすべてが実際の行動を伴う経験なのかもしれないが)まあ、それで、言葉というものが大きな要因だ。それも親の。なぜかって子供は、赤ちゃんはほとんど親としかいない。まあ、それ以外でも特定の人だ。少数の人といると、その少数の大人は同じ言葉を使う。同じとはいわなくても言葉に偏りができる。これが私の言うところの言葉の繰り返しであって、これが性格を形成する。

言葉によって人間は考える、意思決定の道具になる、判断のよりどころになる。ということは言葉によって行動が規定される。ということは性格そのものを作っている事なんだろう。

周りへの影響

たぶん生まれてきてからずっと私に存在する問題?(まあ、問題ではないんだけど)は周囲への影響だ。

自分が他者からあまり影響を受けないので、他者も僕の言動に影響を受けないと無意識のうちに思ってしまっている。そして、そのことが無意識のうちに行動に現れる。相手への影響を考えない言動を取ってしまうことがある。気づかないうちに。自分が思っている以上に他社への影響が多いようだ。

それは辛辣なぼくの言葉遣いもかかわっていると思う。

このようなことは、口だけ人間として捉えられる。口だけの人間にはなりたくないから言葉には気をつけよう。それに何といっても、多くの人にいやな思いをさせることは僕も好きではないし。

小学校一年のときにも、周りへの影響を考えないで批判的な発言が多いといわれているし。そんな昔からだからすぐには直らないかもしれないが。日々の努力だな。

実は普段の会話ならそこまで問題ないと思うが、スイッチが入って興奮しだすと強い言葉を使ってしまうことがある。ここが問題だ。でも、この正直な強い言葉が僕っぽさでもあるんだけど。まあ、そのあたり人を見て状況を見てコントロールできるのが大人って奴なんだろうな。

June 07, 2005

自分の性格

ややこしい性格です。
相当ややこしい性格です。
自分勝手というのかもしれません。
自分中心主義過ぎるというのかもしれません。

性格というか、思考プロセスとそれによる判断、実行のこと。
特に他者に対する行動で、この性格なるものに気がつく。

極端に触れすぎた考え方をする。
天邪鬼。
表面上のコミュニケーションが苦手。

あと基本的に、僕は怒りの感情は少ない。多少あっても怒らない。
知識欲が強い。

楽しいと思ったら目の色が変わる。
つまらないと思ったこと、人はどーでもいいと思う。

そんな感じ。

天邪鬼の生き方

自分は天邪鬼かどうかはわからないが、天邪鬼っぽいところはあるのかもしれない。

で、やはり天邪鬼という人間は、結果を出すしかない。

公の場で逃げのような発言をするのは一番かっこ悪い。ただのウザイ人間だ。

天邪鬼として価値のある天邪鬼になるには、結果を出すこと。アウトプットをだすこと。

とりあえず、これだな。

目に見える結果をアウトプットを出したことない人間が、偉そうに目に見えない価値だけ語っても意味がない。

June 06, 2005

一生忘れない経験と瞬間

人生には死ぬまで忘れないだろうという記憶がある。

長期記憶というものか。

基本的に一生に一回しかないもの、それは中学校の入学式であったり、海外旅行であったりそんな類のもの。こういったものは比較的覚えているはずである。海外旅行のような長いイベントは要約的なことだけ記憶に残ることもある。

これがなんか不思議である。死ぬときまで覚えている。この一瞬は死ぬまで覚えているんだろうなと思った瞬間があった。その瞬間が不思議だ。死ぬまで覚えているのだから。この瞬間がスパッと切り取られ保存されるような。よくわからない感情になった。

もちろん、何気ない日常の一こまをなぜかずっと覚えていることもあるだよね。

夢を見すぎるということ

無人島では夢を見すぎた。
寝ると毎回毎回見た。

でこぼこの床、塩っぽい風、などなど普段にはない刺激が寝ているときにあり、夢を見たのだろうか。
熟睡できなくて、夜中に何度も起きた。だから、普通なら忘れる夜中に見た夢まで、夢を見たと記憶した。(普通でも毎晩何回も夢を見ているが、夜中に起きないので記憶していない)

まあ、こういった理由があるだろうが、何か無人島で夢を脳からこぼれるほどみたというのは他の理由があると考えてしまってもおかしくない。

心臓と脳と心と、えもいえぬ感情が生まれてくること

心臓と脳と心と、えもいえぬ感情が生まれてくること。

光村図書とかいう会社の教科書を使ったことある人はわかるかも。赤い実はじけたという作品。中学一年の初めだったかな。そんな記憶が。そこであらわされた心臓の鼓動と締め付けられる感じ。それが
心臓に心があるといわれるゆえんだと思う。

心脳問題+心臓が気になる。日本でも(日本語でも)心といえば心臓。英語文化でも心といえば心臓。これが言葉でも文化としても習慣となっていている。この理由は心臓と心が何か関係しているからではないか。

心が痛むというのは脳が、そう認識しているだけなんだろうか。なぜその時、心臓が締め付けられるように感じるのだろうか。心ってなんだ?心は存在するのか?存在するならどこに?

まあ、ある意味において、脳というものの働きも、痛さ、におい、味に反応することと同じなんだろうか。そんで心臓の周りから血液に混ざって興奮させるような物質が流れるといえばそれまでなのだろうか?その物質は心臓で作られる?

May 30, 2005

自分で話したことから気づきを得る

自分で意識的に今まで考えていなかったこと。自分の中にもともとあったものだが、ひとりではその考えや思いに気がつかない。自分ひとりでは生まれてこないものがある。

他者との会話(たとえほとんど自分が話していたとしても)で、生まれてくる、見つけることができる自分の考えがある。考えというか、点と点が線になるようなこと。

コミュニケーションって胡散臭いけど、偉大ですなぁ。

そんな自分の奥底にあるものを引き出すきっかけをくれる会話をできる人はいるものです。そんな人と話していると途轍もなく面白いです。そんなことを静岡の夜中に思いました。


あと、自分の基礎となる地道な地味な作業・行動・仕事は非常に重要でないがしろにしてはいけないな。そんな作業を有名になろうと、どうなろうとやり続けることが重要なんだな。
俗物化しちゃならんと自分に言い聞かせたいです。

May 28, 2005

野茂という生き方

以前にも書いたが、野茂英雄という男は本物だと思う。

彼の実績、大リーグで2度のノーヒットノーラン、大リーグで10年以上プレーし、日米通通算200勝まであと一勝。これらはいうまでもないが、それ以外の部分もすごい。

野茂という男を始めて知ったのは、彼が大リーグへ行ったときだったと思う。ロサンジェルスドジャースへ行ったときだ。その時、かっこいいと思った。なんか、金や日本での地位を投げ捨て自らの望む世界へ飛び込んだ。彼の一貫した自分の思いには脱帽する。有名になろうと、金をたくさんもらおうと、実績を残そうと、流されない感がある。まったく俗物化しない。そういえばあの時、野茂のファイルノートみたいなのを買って使った記憶があるなー。

そういえば、スポーツ雑誌を読んだことがなかったが、先月ぐらい大学の生協で立ち止まって読んだ。野茂が表紙だった。野茂の記事を一字一句読みこぼさず読んだ。細かいことに動じない。メジャーから落ちても淡々と自分のすべきことをする。軸がぶれずに、一歩一歩足を進める。

たぶん、本人も悩むことがあると思う、どうしようもなく答えが出ないこともあるんだろう。でも、彼は彼なりの答えを出して、周りの答えではない。そこが、野茂という生き方なんだろうと思う。

イチローの振り子打法、野茂のトルネード投法。両方とも野球の常識や科学的にはよくない手法なのかもしれない。でも、論理的だからとか科学的だからといって、その人個人にベストだとは限らない。論理的とか科学的は平均的なものに対して適していたりすることもあるし、個人には当てはまらないこともある。それに、論理的だからベストというわけではないと思う。その人個人が納得しなかったら、どんなに論理的に正しくても、その人個人にとってはなんの価値も持たないのだ。そんな両氏の独自の手法。二人にとっては自分にあっていたのだろう。周りの意見に流されず(周りの意見を聞かないということではない)、その自分なりのやり方を貫く。独立リーグの経営もこの顕著な例だろう。

こんな生き方はすごいと思う。俺みたいなちゃんちゃらな人間にはわからない部分もある、俺も自分の道を歩んで生きたいと思う。

このときも、野本イチローは特別と書いてるなぁー。
http://www.teratown.com/blog/archives/000923.html

May 27, 2005

これはいいと思う瞬間

話をしていて、「それいいね」と猛烈に思うことがある。

もともと、「それ」相手が話した内容をいいと思っていたわけでなく、話相手が突発的に思いついたアイディアに対して、自分も瞬間で「いいな。」と思うことがある。

これはどういうことなのだろうか。なんで瞬間で良いと感じれるのか判断できるのか。判断する際のよりどころとなるものは何なんだろうか?

May 25, 2005

現状維持を望み変化を望む

人間は現状維持を望む説きもあれば、変化を望む事もある。この割合は人によって違うだろうが、おそらくすべての人が両方の面を持っている。どのようなことに関しては現状維持を望み、またどのようなことに関しては変革を望むのかわからない、人には共通の傾向があるのだろうか。それともまったくばらばらなのだろうか。

なんで人間は相反することを望むのだろうか?!不思議である。人間は生き延びようと思っている。そのためには安全が安定的に保証されることが重要である。言ってしまえばぬくぬくした生活が一番いいのかもしれない。だから現状維持を求める。将来の変化のリスクは大体推測できると入っても不確定な要素が絶対に残るのである。もし、リスクが害が発生することもある。これを人は避けたいと思う。

しかし、人間はなぜか刺激を求める。なぜかといえば、安定していてもそれが一生安定しているとは限らない。周りの環境変化により安定していたものが安定していられなくなる。変化しなければ新しい環境では安定でいられなくなることもある。さらに、このようになることを先読みして大きなメリットを得ようと変化することもある。そこで、何か変化を起こす。

さらに、現状で満足している場合は現状維持だろう。少しの不満があるが、変化を起こすことによって起こる問題のリスクが大きいと思えば現状維持、現状に著しく不満があって変えればよくなると高確率で思えば変化だろう。そんなの当たり前だ。これは当たり前のことなんだろう。

キになるのは、このような意思決定はすべての物事に適用されるのか、もしくは一部のものに適用されるのか。人による現状維持と変化を望む思考は何によって起こるのかなどが気になる。

自分のことだけしかわからないので自分も考えてみることしかできないが。
自分に直接関係あること、もし変化を起こせば自分の生活に支障をきたす時などは現状維持になり、外部のものに関しては変化を望むのだろうか。これはなんとも安っぽい考えだ。でも、この考えをすると最終的に自分にとってマイナスなのではないか。それなのに、このような思考を行うのはなぜか。なぜなら、外部に対しては変化を働きかける。外部が変われば自分も変わることが求められるだろう。そうすると変化するリスクに自らがさらされることになるのだ。最終的に自分にもリスクが降りかかってくることをなぜするのか。さらに、外部のものを先に変化させ、後に自分が変化するということは、変化に遅れている。変化に遅れるということはメリットを享受できなくなる。問題が多いのではないか。まあ、後から自分が変化するということは、リスクヘッジにもなる。外部の変化を見届けてから変化することによって、誤った変化をするリスクがなくなるからだ。とか考えていたら眠たくなったので寝る。


話は変わるが、PCを再インストールした。PCというのは個人個人カスタマイズされていて、固有の使い方があると思う。そのカスタマイズされていたPCは再インストールによって標準に戻った。だいぶ自分色に染まってきたが、依然とは違う使い方を始めた部分もある。それによってライフスタイルの変化、というかパソコンライフは変化した。偶然起こった(自らやったかも)インストールがスタイルを変えた。

May 23, 2005

今月なら携帯が3500円引きだから・・・

持ったものと持たざるものの心境の違いはすごいものだ。なんで、ここまで違うのだろうか。いったいその根本は何なのか。

「今月なら携帯が3500円引きだから・・・」
道を歩いていたら、携帯ショップの前で中学生か高校生ぐらいの少年が友達の携帯電話を借りて親に電話をしていた(と思う)

そのときの彼の顔からは切実さが伝わってきた。携帯持ったことがない彼にとってはとどうしても欲しい大きな問題なんだろう。一回持ったら解約しても、持ったことの無いときのような欲しいという感情はこみあげて来ない。不思議だ。一回持って解約したら携帯は所有していない。今までまったく所有したことがない状態と携帯を持っていないということでは同じだ。同じ状況であるが、以前に携帯を持っていたというだけで、そのときの気持ちはまったく違う。

持つ前は、夢だけ広がる。携帯があればこんな生活があるのではないか。そうしたらこんなに面白そう。それと、携帯を持ったことがないと周りから馬鹿にされる。しかし、一度もって解約したということは、持つという選択肢もとれるがあえて持っていないということを回りに知らしめることができる。自分の目で何でも確かめないと気がすまない。

こんな気持ちになるのは社会で生きている人間だからなのだろうか。しかし、このたいしたことないように思える感情が、そのときの本人にとっては最も大切なことだったりする。そんな人間の感情は不思議だ。何がそうさせているのか。人間の感情や、人間のしぐさから感じられる感情を明確な形で知りたい。

携帯だけではなく、何かほしいものを持つ前後、何かやりたいことをやる前と後でも基本的に同じかな。でも、ものに関してのほうがより近い感覚。

イチローの言葉

何かをなりたい、したいだけでは子供と同じ。資格(しっかりとした準備)が必要。したいという

目標のための準備へのこだわり。

よい結果ならば満足すればいい。そうしないと終わっちゃう。その満足感があるからその次もがんばろうと思える。うれしさがわからなければ、次もうれしいことをやろうと思えない。

4月は見極めの時期である。5月に照準を合わせる。

Get sportsのイチローインタビュー

May 16, 2005

自分の性格はややこしいと思うのです。

自分の性格はややこしいと思うのです。
たぶん、これは事実です。
天邪鬼だからかもしれないのですが、それだけではナイキがするのです。
難しい性格です。

May 14, 2005

生きる喜び

最近どうもこの写真が気になる。
これは、インドのバラナシというところの細い路地で撮った写真だ。

P8300449

このおっさんの顔が非常にいい。
確か、写真を撮ろうとしたら照れくさそうに笑ったんだと思う。
なんか、人間の本質に迫る、原点を感じる。

たぶん、生きる喜びなんだと思う。
世の中、カッコイイことはいくらでもある。人から注目されること、なんか大掛かりなこと。頭を使って必死に考えて答えを導くこと、ごちゃごちゃした数字を駆使したこと、大きなお金が関係すること、多くの人に影響を与えること、それはそれの面白さがあると思う。僕もそういうものに面白さを感じる。

その一方でこのおっさんの顔。なんか超越してる。何を超越してるかって何もかも超越している。

人の成長は止まったのか

生物は気候の変化で絶滅した。
疫病がはやり多くの生き物が死んだ。
飢饉があり多くの人が死んでいた。

生き物は環境の変化で死ぬものであった。
だからこそ、人はその環境変化に対応するように、進化していった。
完璧な仕組みは何かあったら弱い、だから曖昧な部分を残し変化する。
突然変異も生命が生き延びる基本だ。
このように生き物は生物学的に進歩成長(変化)してきた。

しかし、現代の人は医療の発達で生き延びることが出来る。
人間が環境を変えた、そのために人間自体の生物学的な成長は止まった。
このような考え方が本に書かれていた。
うなずいた。
けっこう面白い考え方だ。

これは地球が始まって以来の大きな出来事であったんだと思った。この人間の行為自体が単に悪いとは思わない。この人が環境を変えるということは多かれ少なかれ今後も続く。だから、このことを踏まえて物事を考える必要があるんだろうと思う。

まあ、疑問なのがな生物は生き延びようとするのか、子孫を残そうとするのか。だいたいの問題の終着点として、生物が生き延びるためにとか、自らの種のDNAをのこすためという答えにいたるのがつまらない。なんで、生き延びようと、DNAを残そうとするのかが不思議でたまらん。

May 09, 2005

手相

言われて気がついた。

おいらの手相って、百握りっていわれるやつです。

真ん中の線がまっすぐ一本です。

なんか、運がいいといわれているらしいです。

なんとか線となんとか線がつながっているんだと思います。

素人が玄人に尋ねること

先日、某最高学府の人二人とおいらで飲みながら話していた。

二人とも理系で、現在の研究内容をチラッと聞いた。そうしたら、疑問が生まれるわけです。ああ、その仕組みってどうなってんだろう。と、で相変わらず、それなんでそうなってんの。具体的にイメージするとどんな感じなの。この原理と同じなの?と質問連発。

そんな稚拙な質問にも二人はしっかりと答えてくれたわけです。二人の学問を学んだことない私は脳の中でシュミレーション。そして、いろいろどうなっているんだろうと思って質問したわけです。

面白かったのが、大学で習ったときは何でこんなこと(原理の理由など)を教えられるのだろうかと思ったけど、今聞かれてそっかと思った。というような内容の話を聞いて、ふむふむと思ったわけです。

よく言われる話だけど、素人の人は玄人(プロ)の人に質問することを躊躇する。それは、こんな馬鹿な質問していいのだろうかとか、プロの人に馬鹿にされたり、簡単な質問することがはずかしかったり、機嫌を損ねるのではないかと思うからだろう。しかし、素人にしかない、純粋な疑問というのも存在して、それをプロは忘れてしまっているかもしれない。さらに、素人の質問をプロで知識があるので、素人の質問内容を発展して解釈したりして、新たな気づきを与えられるかもしれないんじゃないかなー。

May 03, 2005

協調性のなさ

どうも私は昔から協調性がないらしい。
おそらく、幼稚園の頃からないことは明らかになった。

自分でもそう思うところがある。

しかしだ、自分の基本的考えは「十人十色」である。ということは、どんな人でも受け入れるということではないのかと、自分に対して疑問。で、考えてみると、十人十色といっているのは、あまり気に入らない人、もっといえばどうでもいいと思う人は完全に無視なのである。勝手にしてください。という感じで存在は認めるが完全無視している。そのような状態を十人十色として私は思っていた。

まあ、どんな人のどんな考え方でも受け入れるのは難しい。しかし、無視するのではなく理解したうえで、受け入れるということも必要なのかもしれない。自分の意見を言って強烈に相手の考えを跳ね返すのは社会では協調性がないといわれるらしい。

まあ、相手を受け入れるということも頭の片隅に入れておこう。まあ、こうなりすぎても私の良いところが薄まってしまう。まあ、大人な言葉ではバランスというらしい。

環境ってたいしたことないのか?

岐阜にいた。
そして、昔の通知表を見た。それも、成績ではなく、教師のコメントや生活面でのAとかBとかを。

幼稚園から中学までを全てよんでみた。すると、面白いことに気がつくのだ。
やっつけな、誰にでも通用するようなお褒めの言葉ではなく、ケッコウ厳しいことを書いてくれた先生もいた。それは正直驚きだった。

成績表をもらった当時は、厳しいコメントが書かれていると自分で認識していなかったと思う。

まあ、それは良いが、その当時のコメントがケッコウあたっている。あたっているというか、今と変わらない。性格検査なるものを最近受けたが、それと同じようなことが多く書かれていた。さらに、今時分で認識している、性格もそこには書かれていた。

結局、幼稚園や小学生の低学年から性格というものの本質は変わっていないのではないか。この事実は私の中でケッコウな衝撃だった。遺伝とか生まれ持った性格というものと環境要因によって人間の特性は決定付けられると思っていた。しかしだ、幼稚園や小学生のころから性格の本質は変化していないのだ。成長過程における環境要因はそれほど小さな影響しか与えないのか?それとも、幼稚園入学前の環境要因が非常に大きく作用しているのか?環境要因が大きいとしたら、双子の場合ほとんど同じ環境で育つはずである。すると、環境によって影響されるとしたら同じ影響のされ方。もし、生まれ持った性格も同じだったら、同じような性格になるはず。しかし、双子でも性格が違う人が多い木がする。すると、環境はほぼ同じだとすると、生まれ持ったものが大きな決定要因なのだろうか。

生まれ持った性格で全てが決まるとは言わないが、ほとんど決まってしまうのか?
だからといって、成長する過程において努力をやめたらいけないよな。

また、5年後と10年後ぐらいに成績表をすべて見直すときがあるだろうと思う。
その時は、何を思い、何を感じるのだろうか。

April 22, 2005

a great vantage point

a great vantage pointとはどこだろうか?

今一度考えてみたい。

生ぬるい性格なので、一回根性を入れられるのもいいと思うんだよね。

April 21, 2005

で、どうしたいんだ?

で、どうしたいんだ?
って自分に言ってみました。
あのですね、もうすぐ一年に一度人生について考える日ですよ。

そう、だからいろいろ考えたこと、もとい思うことをつらつら書こうと思う。
今まであったことはいくらでも書いてきた、だから未来について書こうと思う。己が将来に対して何を考え、何を思い、どうしていきたいのか。また、それはなぜか?将来のためになにをするべきか?それを書いていきたい。

ある種、吾人の任務のようなものだ。

April 15, 2005

one-shot learning

one-shot learningが気になりすぎです。aha体験とも言うらしい。0.1秒の同期発火

まあ、科学的にはACC→DLPFCということらしいのですが、科学的にも気になるが、何か引っかかる。

たぶん、人間は脳が全てといっても良くて、さらに言えば脳の動きが全てといってもいいと思うのですが、その中で、重要なのは記憶と考えるということだと思うのです。で、パッと思いつくのがone-shot learningのような感じがするのですが。

でね、脳って不思議すぎるのです。自分の脳の思考過程を自分の脳で見る、メタ認知といいますかホムンクルスといいますか。

自分の脳のことで、昔から俺が言っている。2003年12月17日にこんなことを私は書いている。

思いつきでも、何か頭の中でスイッチが入るとそれを実現に向けて行動する。
同じように頭の中でポカーンと思っていただけなのに、何が違うのか?
自分の中でのプライオリティーが上がった?
そんなもんじゃないよな。
これは、スイッチとしか言いようがない。

たとえば、あと24時間後には行こうと思えばタンザニアにもいければイグアスの滝にもマチュピチュにも、しかし私は日吉にいるだろう。
なんなのかねー。

October 30, 2003にも同様のことを書いている。

で、言いたいことは
たとえば、私が24時間後ぐらいにはにベネズエラに行こうとしたら飛行機を乗り継ぎいくことができる。
しかし、実際は私は行かないだろう。ベネズエラにはいないだろう。なぜだろう?

私が意識の中でそう思っていないから。
そう、意思決定しなかったから。

このように、私にとってこの問題は気になることだったのだ。なんというか、こんなことを書いているとは覚えていなかったというか、one-shot learningを聞いたときに、過去に書いてことを思い出さなかった。でも、なんかすごく気になった。何でかしらないけど、気になった。で、家に帰って少し考えてみると、昔も同じようなことを考えたぞと思い出した。そして、過去のブログを検索したら、あった。それも2回もエントリーしている。ということは、やはり気になることなのだ。どんな思考回路をたどって気になっているのかは分からない。しかし、この問題を気になるという事実は変わらない。私の脳の中にはこのような問題を気になる思考回路が備わっているのだろうか。それにしてもなんで、このような類の問題が気になるのだろうか?無意識的にこの問題に反応する自分の脳の仕組みが気になる。これもone-shot learning
的でなんか一瞬気になると思ったのだ。

もっといえば、2個目(October 30, 2003)は偶然見つかった。なんとなく、大学にあった昔のブログを新しいブログに移行しようとした。そのときに、前以降作業の途中で終わったと思い出し、どこまで移行したかを確認しようとした。そして、 October 2003をクリックしてみた、そうしたら一番上に2個目(October 30, 2003)があったのだ。まさに、セレンディピティですか?幸運が偶然起こる。たぶん、このone-shot learningについて考えていなかったら、そのまま気にしずにながすだろう。しかし、one-shot learningについて考えていたので、このエントリーが気になった。それで、すごくいろいろ頭の中で考えた。ワクワクしてきた。セレンディピティを感じるにはある物事について事前に考えている必要があるのだろう。これは、一生懸命に研究者が数学の難問をといていてちょっと一休みしたときに良い開放が思いついたという話や、夢で見てそれが開放につながったという話に似ている。では、なぜ、そのようなときに良い開放が思いついたのだろう?その時の脳の動きはどうなんだろう?

意思決定の瞬間とかもそうなのだと思う。ここで書いているスイッチがone-shot learningナンだと思う。で、なぜこのようになるかというと、なんか面白そうと思っていて、それを一押しする情報が入ったり、脳の思考回路が何かを感じ取ったのだ。そう思うのはセレンディピティも関連してくると思ってみたり。

aha 体験 でググッテ思い出した。私のaha!体験は不等号の計算だな。なんか、あれがぜんぜん分からなかったんだけど、一瞬でぴカーンときて概念を理解できた。たぶん、ウユニもイイと思ったのはaha!体験だと思うのです。どーのこーのという理由はないけど、なんか感じた。

aha!体験による記憶や自分への影響は非常に大きい気がする。それは何でだろうと考えてみたり。

人生を二回生きたいわけで

人生を二回生きたいわけで、でもそれは無理なわけで。

いろいろな意味からして無理ですね。

本質的に「人生を二回生きたいわけで」に含んでいる意味は、一回この世の中で生きてみて、一回目は実験、そして二回目はそれを踏まえて人生を生きてみたい。この時点で、脳のデータが受け継がれているので人生を二回生きたことにはなりません。

さらに、現実的な意味としては二回いきることは不可能です。一回死んでしまったら、再び生まれてくることは出来ない。

しかし、二回いきてみたい。とてつもなく面白そう。面白そうというのは絶対出来ないと脳が認識しているから、道のものに対するワクワク感と、希少性のようなものにワクワクしているのだと思う。

某先生が、生きている理由は死んだら生き返れないからといいますが、これは究極を言えば正しいと思うのです。

なんで、こんなこと思ったかというと、いけてる人って本当にいけてる。おもろい。最近の私の言葉で言いますとファンキーなのです。痛快なのです。そんな人生を送っている人はたくさんいるわけです。その人たちの年齢は私と変わらないぐらい。で、この人たちは年をとってからも痛快な人生を送るのだろうなと思った。で、現実に目を向けると痛快な人生を送っている大人はほとんどいないと思う。じゃあ、私の周りにいる痛快な人も年を取れば痛快じゃなくなるのか?気になる。で、痛快な人が痛快なままならば、それはすごく希少性をもった人たち。その人たちを小さいところから見てみたい。まあ、これだとタイムスリップしたいのかとも捉えられますが、まあ、それでもいいです。

April 12, 2005

噛めば味の出る奴らしい

最後になって、第一印象は軟弱な奴だと思ったといわれた。
しかし、時間がたって話をして噛めば味の出る奴だといわれた。

うん、そうなのかもしれない。

なんか、ややこしい性格だし。
一言であらわせといわれても、あらわせない。
何か一つの経験であらわせといっても表せない。
なんかいろいろ話しているうちに私というものが見えてくるのだと思う。
さらに、私の考えをまったく理解できない人がいる。
そのような人には、

でも、噛めば味が出る奴っておっさんになって言われることだよなと思いつつ。

まあ、見た目の性格や考えやってきたことが違うんだろう。

軟弱に見えるらしいけれど、いわゆるスマートな人間でも洗練された人間でもない。
泥臭くて一気にやるときはやる、意地とか根性とか気合とか、そんなキャラだったりするのです。

あと、このブログだけを見て私の性格を想像している人は、いろいろ考えてマイナスのスパイラルに陥る無口で暗いキャラだと創造している人がいるんですけど、まったく違いますから。うるさすぎて、運と勢いと乗りでいきていて死ななきゃなんとかなると思っている楽観主義者ですから。


身の回りの出来事をコントロールする要素

自己65%
運命21%
他者14%

基本的に自分が全ての性格なんです。笑

April 11, 2005

他人が気になる?!

私は、あんまり他人のことは気にならない。他人は他人俺は俺と思っているから。

でも、世の中の多くの人はそうではないらしい。
特に他人の学歴とか職業、年収、とか社会的な評価などが気になるらしい。

一方で他人の夢とかそんなもんは気にならないらしい。

数字で現れたり、目で見てすぐ分かるもの。それらが気になるらしい。それらは比較的どっちが上でどっちが下かというものが現れやすいもののようだ。

他人の夢とか、評価しづらかったり、優劣のつけにくいものにたいする興味はないみたいだ。

なんでなのだろうか?

私は、比較的他人の目に見える学歴とかどーでもいい。正確にはどうでもよくはないときもある。しかし、どんなところにもすごい奴はいて、学歴がどうのこうのとは思わない。それよりも、キャラが面白かったり、その人の夢とか哲学とかを重視する。

だって、他人がどんな学歴もってようと俺には関係ない。おれの人生を左右しない。けれど、夢とかなら共感できたり、刺激されたり、その人の考えを利用して自分の考えを発展できる。

他人の学歴とかを知りたい人ってのは、なんでそうなったんだろう。自分に自信がないのかな。あんたはあんたでいいじゃん。その境地に達するには、そうとう考え抜いたり、経験したりして自分を持った人か、いわゆる学歴を一度持った人でそれに興味がなくなった人なのかもしれない。

私についてあれこれ詮索する人がいるが、私はそういう人には教えたくない。そういう類の人が嫌いだからだ。一方で、詮索しない人にはオープンに話す。表面上の私で評価しない姿勢が感じられるからだ。そんな人には好感を持つ。詮索したい人はもう少し考えたほうがいいよ。

不確定要素

不確定要素、まあそうだ。
未来のことは神のみぞ知る。という。

だから、最も不確定要素の強いものを選ぶ。
周りの視線を無視する。
自分が納得したり、感覚的にあったものを選ぶ。
未来のことだからこそ、過去を見る。

ということで、毎年一回書いている、読みにくいたらたら思いついたことを書いた文章を書く日が近づいてきた。

なんか、厳しい世界で働いてきて、能力をつけ、かつ金に流されない人は自分の信念を持っているんだな。

March 29, 2005

小学生時の学びスタイルが人生決める(曖昧記憶法)

ふと思った。思い出した。

俺って、何かを良く記憶するときは曖昧記憶法を利用していた。記憶したいと思って熱心に繰り返し書いたりしても意外と忘れてしまう。しかし、なんとなく読むと覚えていることが多い。なんとなく記憶法ともいう。昔の勉強を思い出しても、公式とかを暗記した記憶がない。はじめは、その公式の意味をおおざっぱに理解する。そのあと、公式をさらっと眺めて終わり。公式を語呂合わせとかして覚えたことはほとんどない。なんとなーく、さらっとよんだほうが覚えている。明確に覚えているとはいえないのだが、ぼんやりと覚えている。ぼんやりとしぶとく覚えているのだ。なぜだろう。でも、これは事実でこっちのほうが記憶しやすかったから、なんとなく記憶法をよく利用していた。昔から、なんとなく記憶法をやっていたので感覚で物事をとらえるようになったのだろうか。

って、考えていたら、これの起源は小学生にさかのぼると思う。それも、学ぶスタイルに起因している気がするのだ。特に小学校の学びスタイル。教育ママとか小学生のときから塾に言っている人は除くが、普通の小学生は学校での学びスタイルによって人生変わる。人生変わるってのは、その時の学びスタイルが、その人の思考方法そのものになってきて人生が定義付けられるようになるのだ。今思い出せば、私は自分勝手な勉強していた。自由ノートなるものがあって、何を学んでも良かった。鳥のことを学んだと思えば、飛行機のこと、魚のこと、農業のこと、算数、自分でやりたいと思ったことをやっていた。この勉強方法はそうとう影響ある。今のなんでも興味がある正確はここから来ているのだろう。あと、制約をあまり踏まえない自分勝手なくらい自由な発想は。それに、日経とか小学生のころから読んでいたから、ニュースとかは今でも好きだし、そんなこと話すの好きなんだろう。前も、小学生のときに人生の大半が決まって、小学生までの生活を見ればその人の将来の大枠は分かると書いた記憶があるが、そんな気がする。


March 21, 2005

良く分からんこと

新しいとか、
普通じゃないとか、
極限とか、
馬鹿とか、
不思議とか、
答えがないとか。
想定外とか、
常識を逸脱しているとか、

なんか、中心から離れたものが好きな人間なようです。

March 18, 2005

含蓄のある考え・言葉

ワトソン・ワイアット 淡輪 敬三社長

・日本に一番インパクトを与えるの人は経営者
・強い現場×強い経営
・ボトムアップの経営者では次の世界を作り出せない。
・未経験也のリスクを持って、怪我をして成長する。未経験だからイノベーションを起こせる
・日本のビジネススタイルは法律に起因する。判例法のためグレーゾーンが多い。
・ソニーの経営が一般的ビジネスエリートのアメリカ人で経営して成功したら、日本企業をアメリカ人が経営できると認識され、外資が株価が安い企業をTOBしてアメリカ人の経営者を送り込むだろう。そうすると、株高くなる。
・自問自答の経営(経営をまじめに考える、行動の裏にある考えやビジョンを考える)
・将来なりたい姿がビビッドに描かれていて、それを心のそこからやりたいと思うこと。→その中には挑戦があり、成功したら一気に成功できる
・組織には「火」がないとだめ。→活気、エネルギーのある会社。火をつけるのが経営者の仕事
・枠組みの変更を行うには、ボトムアップ経営者では無理
・アメリカではトップが仕切って決めて、リスクをとる。だから、給料が高いし、監視としての社外取締役がいる。
・「なんのために」を深く深く考える
・「誉(存在意義そのもの)」があれば人が集まる。
・「志」が高ければ、顧客を感動させられる
・問題解決の思考p路背巣は基本的にどんな仕事でも同じ。
  1現状を率直に、深く構造的に捉える。
2ヘリコプター型タイムマシーンで未来を考える(仮説) 俯瞰する&5年後をリアルにイメージする
3今と未来をつなぐ経路の分岐点(成功するか田舎の最大のボトルネック、ターニングポイント)を定め、そこに集中して行動する。
・ディテールを知り、背景を見て考え、未来を構想する
・具象と抽象を行ったりきたりする訓練を積み重ね、思考の生産性を高める
・プロ=プロ根性 誰が顧客なのかと言う意識を持つ
→顧客には決して言い訳をしない。期限内に最高のものを提供する。
  →自律、みずかわをモティベーと出来る
・一流の条件 経営視点、場数=修羅場、課題解決 市場価値がつく
ポテンシャル=地アタマ×素直さ(素直に学ぶ)×価値観(こだわり、自分なりの軸)
メンタルセット ROAのASEET思考 自分のアセットをどう増やすか

・What's your Value?(組織で、行動で常に自分に問いかける)
・自信の変革シナリオを常に検証し、修正する
・組織と個人のwin-winの状態を作り出す。ゴール(利益)の方向性を同じにする
・周りの仲間に徹底的に自分をディスクローズ
・フラットなネットワークを活かす
・「おごり」が成長を止める。謙虚たれ
・「みきる」soul searchを続けても理想はない。理想はないからこそ理想なのである。納得したら、理想を追い続けるのをやめて、こうだと決めて行動する。
・客観視して、自分が何者かを見極める。自我の確立
・「経験から生まれる志」

レーサムリサーチ 田中剛社長

金の奴隷・・・借金を踏み倒してでもベンツに乗る人
金の支配者・・・・連帯保証人になってしまい、それでも必死でお金を返す人(自分のプライドが金に勝っている)

リスクマネジメント大嫌い。ある業務を一人でやっていると、その人に何かあったら、業務が回らなくなる。だから、リスクヘッジとして、その業務にもう一人あてがう。しかし、こんなことされたら、やる気や当事者意識がなくなる。だから、リスクマネジメントは嫌い。

ハーバード卒と中卒の人が一緒に働ける環境を作りたい。機会は平等にあり、それぞれの能力を発揮できる会社。

誰よりも先に、誰もやったことないものに投資をする。

社長になれば自分の思っていることを一番自由に出来ると思っていたが、周囲からの規制や制度など一番制約があるやりたいことができない仕事だ。

出来る出来ないではなく、やりたいかやりたくないか

価値が見出されていない資産の流動化(価値向上)

自分がホンキでよいと思ったものしか、人に薦められない。自分がマジになれないと、客にも伝わらない。

知らなきゃ、やってみなきゃビジネスチャンスは見えてこない。(経験から生まれるもの)

March 17, 2005

天邪鬼道か不器用なまっすぐな人間か

タイトルとまったく違うことを書きます。

コメントスパム。相変わらず嵐のようにやってくるコメントスパム。ある程度たまったら、消しているけど、消す気がなくなるほど多い。それに、コメント書く気がなくなるであろうとも思う。まあ、仕方ない。

まあ、それはいい。コメントスパムなんですけど、意外といいんですよ。何がいいってね。コメントスパムの意味を考えてくださいよ。コメントを打ちまくって、RECENT COMMENTSのところに表示させて、本文のページへ飛んで、コメントのところから自分のサイトへクリック誘導することでしょ。そうそう、RECENT COMMENTSのところに表示させて、本文のページへ飛ぶ。ここで終わるとすごいメリットがある。私はエントリーしまくっているので、昔の記事を読もうと思っても、はじめから読むのも面倒だし、あえてランダムに読むに気もならないけど、コメントスパムがあればそのエントリーを読むきっかけになる。そして昔に書いた文章を読めるのです。ああ、やっぱり俺ってこうやって思っているんだなと納得したり。けっこう面白いです。

物事はとらえようだなぁ。本当につくづく思う。

天邪鬼道か不器用なまっすぐな人間か。
この両者は違うキャラクターのように感じるかもしれないけど、持っている要素は似ている感じがする。


あと、価値観が同じと言うか、物事の捉え方およびそれに伴う単語(言葉)の意味が共有できる人はいいねぇ。マジで。

私の物事に対する感じ方は人とはちょっと違うみたいで、理解されない場合がある。それを共有できる人はいいね。まあ、そういう人は社会からちょっと外れた、でも自分に正直すぎる人なんだよな。

やっぱり、ブランドとか金とかだけには興味がいかない。もっとワクワクすることやワクワクする人のほうが断然プライオリティ高い。じゃあ、何にワクワクして、そのワクワクさせる源は何かと考えると難しい。そこのところ考えてみるか。

March 13, 2005

2001年2月25日

高校2年の頃だろうか。4年ぐらい前かな。

この日、情熱大陸で、松井 龍哉 さんをみて一人でワクワクしていた記憶がある。そして、メールを送って返信をいただいた。

そして、ROBODEXでは、直接お会いすることも出来た。PINOとかデザインした方です。

そんな松井 龍哉さん、何気なく情熱大陸の過去データを見ていたら、思い出した。そして、ググッタら、いろいろインタビュー記事が出てきた。それをよんでいると、すげー共感すると言うか、しっくり来る。やっぱり、おれが、これだと思う核は変わっていないのだろう。

ああ、なんか今日はワクワクすることが多い。


こんなことが書かれていた。

今も僕、バックは肩から下げるやつ。要するに両方の手は、物を創るために空けてある。

物を創る人は、本質を知っている


それに、デザイナーの基本というのは、現場に足を踏み入れた瞬間、平行・垂直・水平をわからないといけないんですよね。ものが曲がっているかどうかを一発で指摘できないと職人さんになめられるんですね。

平行・垂直・水平を瞬時に判断するためには、常にその訓練をやっておかないといけないんです。だから机の上にものを置くときは、90度で置く。自分のやりたいことというのは、生活のバックグラウンドがないとできないんですよね。ほんとにすべてが生活ですものね。


まんま

長い間の知り合いには、俺という人間はある固定的な見方をされる。
俺は、こういう奴だとか。
それが、生きるうえで制約になりかねない。その期待にこたえるように。行動を期待されると言うことだ。まあ、っそれが、社会一般で言う世渡り上手の人が出来ることなんだろう。みんなからの人気者なんだろう。

ま、そう生きるか、そんな相手の見る、想像する俺なんか無視して、生きるか。それは個人の自由なわけである。

おれは、そんな他人の見方はどうでもいいと思っているが、完全にそうとはいかない。まんま。まんまをあらわせれるようになったら、個人的に一番楽(らく)で楽しいだろうな。

で、ジミー大西先生がすげーいいこと言ってる。

期待へのプレッシャーは?と言う質問に対して。

そんなことはどうでもいいんですよ。
僕にしてみたら
新しいものが出来ていくほど
僕はうれしいことはない

ジミー大西

March 12, 2005

往生際の悪い奴

僕は、しぶとい。

そう思う。

スポーツをやっていたわけではないが、小学校の文集のクラスのページのランキングでは長生きする人で常にランクインしていた。それくらいしぶとい、ウザイ奴と小学生の頃も周りから見られていたのだろう。笑

そういえば、小学校6年生の文集のクラスページを何にするかの学級会で、先生が子供に質問した。
先生「クラスのページ何にしたいですか?」
僕「白紙、メモ帳がいいです。」
先生「てらまち君の意見は置いといて、他の意見ないですか。」
僕「(心の中で:ふざけんなボケ)メモ帳にして、みんなお互いに好きなこと書いたほうが思い出になると思います」
って、それっぽい理由を付け焼刃で言った。そんな思い出がある。

文集で思い出したけど、こんなこともあったな。今思っても、すごい案だと思うんですけど。面白いと思うんだけどな。なんで、先生は考慮もせずに切り捨てたのだろう。切り捨てるから、こんなひねくれた子が育つんだよと言いたいね。笑、逆にそういう発言をしたときに、先生が全て真剣に受け止めていたら、どういう風に育っていたのだろうか?さらにひねくれた可能性があるな。ということは、それを踏まえたうえで、先生は対応していたのだろうかと考えてみる。

で、しぶとさは、ずっと昔からこんなことを思っていたことでも、分かるかもしれない。

一対一で綱引きをしたとする。そうしたら、僕は体力では負けるかもしれないから、綱引きのゲームでは線を割って負けるかもしれない。でも、僕は、綱に必死で捕まって、皮膚がすりむけて血が出ても、ついていく自信がある。

人に言わないと決めたことは、殺されても意地でも口をあかない。とか。頑固だな。頑固爺だ。

で、そんなことが言いたかったわけではない。しぶとさ。
ちょいと違うが、往生際の悪さを言いたかったのだ。

僕は花粉症だ。今週からすごい。鼻が詰まるし、目は痒い。マスクはしているし、薬も飲んでるし、のど飴も。

僕は、周りの人には花粉症でつらいといってきた。だが、心の中で認めてきたかというと、断じて認めていなかった。認めてやるかという感じだ。俺は花粉症じゃない。とか思って、気持ちだけでも花粉症になりたくなかった。某氏が花粉症にならないのは、気合が入っているからとぶっ飛んだことを言っていたが、それと基本的に同じだ。

しかし、ついに、自分の中でも、花粉症と言うのを認めることも仕方がないのかなという気持ちになってきた。。。

まんま

まんま、そのまんま。


僕と同じキャラの人が、世の中にはいる。
それは、まったくではなく、核が同じ人。

あっているかどうかは知らないが一方的に、そういう人を感じる、分かる。

その人の細かい行動。しぐさ。
一呼吸おいた一言。

それらに、ふむ、とうなずける。


せこいことはしたくない。

せこいことはしたくない

今日は、久しぶりに東横線に乗った。
1年ちょっと前まで日吉に住んでいた。そのころは使う電車といったらイコール東横線。

みなとみらい線が開通する直前ぐらいに東横線にはサヨウナラをした。

乗っていて懐かしかった。懐かしいと言うか、なんだろうか。うーん、東横線だと思った。ってそのままじゃん。

で、チングの初個展に行き少し話した。少ししか話していないんだけど、なんかよかった。

失敗したからこそ、分かったという話はふむふむと思った。

で、一番しっくり来た言葉。
せこいことはしたくない。

僕もそうだと思った、たいしたない言葉ですが、なんかそうだと思った。俺の人生を振り返ると自分がせこいと思ったことは許せなかった。

そっか、せこいことはしたくない。

March 11, 2005

作りたいもの

学校(学校じゃなくてもそれに類似するもの)
美術館(有名人のを置くのではなく、自分が好きな売れる前のアーティストの作品とか友達の作品とか、自分の撮った写真や作品を展示する、家とは分離されてて、美術館はそんなに大きくない、カフェが一回にあって芝生に面したオープンカフェ、図書館も併設してる。友達がいつでも集まってこれたり、食事できるスペースがあるといい。世界中のビールとかが置いてあったりするといい感じ。毎月一回ぐらい特定の日に集まる日なんか作りたい。サックスとかオーボエとか篳篥とかピアノとかバイオリンとかの音色が好きだからそれらの演奏する部屋も欲しい。アトリエ的な工作できたり汚したりしてもOKな部屋も欲しい)
すっごい古風な家(中身も外見も)
すっごくさい先端技術をすべて取り入れたような家(中身も外見も)研究所のような未来の生活を先取りした部屋
山とか海とか(無邪気に遊べるところ)。それの近くに家があるといい。ログハウスっぽいの。
秘密基地っぽいものを作りたい
みんなが心踊る仕事が出来る場
アートしたい、なんか作品作りたい。
みんなで遊びっぽくなんかしたい。

って、国が作りたいのか?ええって。
宗教かって話になっちゃう。

まあ、そのところ、踏み外さないように自己満足と社会性のエッジで生きるのがポイントだな。

March 01, 2005

小学校の帰り道、石を蹴ってどこかへ転がっていってしまった

小学校の帰り道、石を蹴ってどこかへ転がっていってしまった経験ないですか?
赤信号で止まっていて、なんでもない車が記憶に残っていませんか?
小学校の水道で、水を飲んでいる一瞬の思いでありませんか?
中学の部活で疲れてふっと一息ついたその瞬間の雰囲気を覚えていませんか?
高校時代勉強が終わって寝る前、ふとみた星空を覚えていませんか?

すごい時間をかけて覚えた数学の公式覚えていますか?
必死で時間をかけて覚えた、歴史の年号覚えていますか?

毎日使っているけど、イマイチな似た単語ありませんか?
エレベーターとエスカレーター。
「に」「へ」五十音順でどちらが先か一瞬で分かりますか?

まあ、最後の五十音順は記憶のレイヤーが違うかもしれないが、人間の記憶とは不思議なものだ。

どんなことを記憶し続け、どんなことを忘れるのだろう。
絶対覚えておかないといけないこと、どうでもいいこと。
絶対覚えておかなければならないのは復唱して覚えようとする、しかし忘れてしまうことも。一方で、どうでもいい一回だけの出来事をずっと覚えていたりする。

人間の脳はどのようにして記憶するかしないかを選別しているのか。

記憶ってなんでしょう
脳ってなんでしょう
人間ってなんでしょう

February 28, 2005

これ薬物だからな〜

今日も情熱大陸を見た。

この番組はいいね。なんですきなんだろうね。出てくる人がかっこいいんだよね。
子供みたいに、自分のやりたいこと、好きなことを真剣におっている。その姿がすきなんだろうね。
人として、泥臭いけど、青臭いけど、きれいだよ。


スキーで遊ぶのがすき。これ薬物だからな〜。

スキーレーサーの佐々木明さんがいっていた。

中毒なんだろうな、楽しくて楽しくて仕方がない。
人間って顔の表情見れば分かるよな〜。心躍っているかどうかって。

別に常に心踊っている必要はないけど、がむしゃらになって、楽しんで、やっている人はいいよ。

そういえば、今日行動クローンにあった。思考クローンとかはいるんだけど。
行動クローンは初めてだった。行動が同じと言うことは、その行動にいたる思考プロセスも一緒なんだろうか。知りたいね。

大学の学部も同じだった、学部を変わったらしい。その行動も僕は考えていてびっくり。行った外国もスペイン、モロッコ、ポルトガル、インドなどなどかぶってる。共通の知り合いもいたり。

February 26, 2005

久しぶりに佐藤琢磨

F1琢磨のVロード 「2005F1GP開幕SP」

佐藤琢磨のエントリーが久しぶりではなく、かっこいい日本人のエントリーが久しぶり。

F1琢磨のVロード 「2005F1GP開幕SP」って番組がやっていた。

前から、佐藤琢磨が男の中の男だとは知っていたが、改めてかっこいい。

早稲田に入ったときは、昔からやっていた自転車部かなんかだったらしい。しかし、10歳のときに鈴鹿で抱いた夢があって、早稲田をやめて鈴鹿レーシングスクールに入ったみたい。主席卒業で、F3へ。

うん、かっこいいいね。
さらに、ホンダってのがいいね。ホンダですよ。ホンダ。私の好きな夢がある日本企業。

「トップを目指すのは変わらない、今は楽しみですよ」by佐藤琢磨

F1よりもパリダカの方がすきなんだけど、まあそれはおいといて。
来年で大学生最後だから、F1も見に行きたいな。


PB030087
Originally uploaded by teratown.
Tokyo Motor show 2003
The Power of Dreams HONDA

February 23, 2005

将来何しているか、見てみたい。

将来何しているか、定期的に見てみたい。

よく、みんなに言われる言葉、

特に良くしゃべったことのある女の人。

確かに、何でもやるし、なんでも興味がある。

それも、勢い、なんか感じると、もうはまる。

将来自分でも何をやっているかわからない。

年をとったら、料理人か僧侶といっているが分からない。

しかし、ただひとついえることがある、未来のいつかを楽しんでいる、と。

納得

なんか、人生で一番重要なのは「納得しているか否か」だと思うわけです。

別に何が良い悪いもないし、成功も失敗も、安定も不安定も

ようは、自分が納得して入れればOKではないかと。失敗しても自分が納得いっていたら、納得いかずに成功したよりいいのではないはないかと思う。

納得っていったい何者か分からないけれど、「心のそこから嘘偽りなしにこれだ」と言うことじゃないのかな。

February 10, 2005

米が食いたいんだよ

松野頼三元衆議院議員が週刊アサ(秘)ジャーナル という番組に出ていた。

戦後、うまかったもので、1位銀シャリ 2位すき焼き 3位バナナ っていってた。

米が食いたかった、米だけで何倍も食えたと、感情こもっていっていた。戦後の時の銀シャリへの気持ちはすごかったんだろうと思う。僕も海外であまり食っていなくて、うまい物食うとたいしたものでもおいしく感じるから、それの究極バージョンなんだろう。

で、これを見て、今日ワールドカップドイツ大会の最終予選、日本vs北朝鮮を思い出した。日本はケッコウ苦戦していた。というか、ぎりぎりまで同点で、ロスタイムに点を入れ勝った。勝てば、最後に点をいれようとなんであろうと、勝ちは勝ちだ。

ただ、苦戦していたのも事実。で、それを見ながら思った。日本は先進的な科学的トレーニングを行い、栄養バランスの取れた食事をし、海外のトップチームで戦っている人もいる。北朝鮮チームはテレビなどで伝え聞くところによると、そうではないかもしれない。このような環境や条件の違いはあっても、互角だった。

良い、トレーニング機械、トレーナー、食事、すべて良いものを使ったからといって、勝つわけではない。それがないからこそ生まれるハングリー精神のようなものは、トレーニング機械や食事を超えるものになる可能性がある。このことは、絶対に心にとめておかないといけないと思う。

銀シャリもそうだ。銀シャリは決して高いものではないかもしれない。しかし、その状況や自分の気持ちによって価値というものは無限にも大きくなる。逆に極限まで下がることもある。高級だから良いというわけではないんだよなぁと実感。

January 22, 2005

遅回し

ちょいと遅くまわしてみようと思う。

僕は何かをするとき一気にやってしまったり、倍速でやったりする。

話すのも早口、半ばあせるように。
書くのも、一気に書く。

でさ、何かをするとき遅回し、スローモーションでやってみようかなと思う。

やっぱり、時間をかけて考えたものは何か違うと思う。
目に見えるものの裏に何かが潜んでいる機がするのです。

確かに、一見効率が悪いかもしれないが、どうせ学生のときしか出来ないので、そうやって行動するのも面白いだろう。

じっくりやる、なんか大切にやるみたいな感じかな。
そうやって、物事をしたことがないから。

一本の線を描くのに5時間でもかけてみようと思う。
別に、考えるのでなくても、時間をかけてみたい。
ホカゴトするのではなく、一本の線と5時間ぐらい向き合ってみたい。

January 16, 2005

タイムカプセル ブログ版〜10年後の自分〜

先日、ある側面から見れば10年はあっという間に過ぎた、一方で別の側面から見るとまだ10年しかたっていないと書きました。

また、成人式のニュースもあり、ブログ版タイムカプセルをやると面白いのではないかと考えたのです。成人した人も、社会人になる人も、大学生になる人も、生活に特に変化のない人もタイムカプセルブログ版。

トラックバックしてくれたり、コメントでそれは叶うなよ、とか多分叶わないなど書いてもらってもいいです。トラックバックとかでつながって、10年後にみんなで達成できたかどうかの報告会なんてやったら面白そう。

あまり数が多くてもめんどくさいので、書くのは箇条書きで10こだけ。

・プライベートで3つ
 10年後は結婚しているとか、はげているとか、都内にマンション購入、週末は趣味で山登りとか、なんでもあり。

・社会人・ビジネスマンとして3つ
 こんな能力や資格をつけて活躍しているとか、会社を起こすとか、年商100億達成など、

・10年後の未来社会予想で3つ
 現金がなくなっているとか、紙から電子ペーパーに変わっている、人口の半分がクローンとか

・最後に、10年後の自分へ一言
 そのままです。

まあ、僕の場合

<<プライベート>>
・定期的に運動や一人旅をしている
・あいかわらず、新しいもの好きで、アリーアダプターな日々
・結婚している

<<社会人として>>
・パーソナルミッションを見つけ、走り始めている
・英語はぺらぺら
・教育と地域のことがやっぱ気になり、時間をみては活動。

<<未来社会予想>>
・電子マネーの普及により現金の利用がかなり減る
・二極化がさらに進む。(金持ち、能力、都市と地方)
・マスコミがインド、インドと叫んでいる

<<一言>>
自分を、可能性を最後まで信じて、楽しんでれば最高だなぁ。さあ、今(31歳)の僕はどうですか?

BGM 空の下で MY LITTLE LOVER

January 14, 2005

重なりある思い出

歌番組で、翼をくださいを歌っていた。

そして、中学や小学校のときを思い出した。小学校のとき音楽の時間は遊んでたなー。替え歌を即興で作ってでかい声で歌ったり、小学校の音楽の先生は教師としては相当問題ありだったけど、いい先生だったな。あの人の純粋さは大好きだ。

中学は合唱なるものをよくやらされたな。中学最後の音楽の授業で泣いていた人がいた。それは何だろうね。数学では泣かなくても、最後の音楽の授業は泣く。歌が持つパワーなのか。確かに、あの時が最後の合唱だったな。一生みんなと歌うことはないのだ。

で、中学の最後に合唱のCDを作った。サラマンカホールというところまで録音しに行った。そもそも、こんなCDなんていらない、と言って無駄だからやめろと職員室で大嫌いだった音楽教師と戦った記憶すらある。さらに録音の時は隣のやつが半端なく音痴で、隣の友達と大笑いした記憶しかない。小学校の時も文集でクラスのページをメモ帳にしようといったり。

小・中学時代は、その瞬間を生きていたのだろう。
将来も過去もなんて、その時の僕には考えられもしなかったのだろう。
ただその瞬間しか存在しなかった。
しかし、今となってみれば年を重ねることに少しばかりおびえ、過去の思い出に浸ることもある。
これが年をとったと言うことなのだろう。
そういえばかっこいいが、ただの天邪鬼か。

で、ふと思う。僕は昔は徹底的に写真を排除した。というのも、野外学習や修学旅行には卒業アルバムのカメラマンがついて来て、写真を撮り、戻ってきたら学校の壁とかに写真が張り出されてほしいものを購入するシステムだった。しかし、僕は小学校から高校まで一枚たりとも写真を買っていない。そうとう寂しいやつだ。思い出が何もない。まあ、その何もないのが大切な思い出なんだよな。

その反動で、今写真が大好きなのかな 笑

中学の教室で、あの時の友達と小さな机といすに座り、いろいろ語りたいものだ。

参考エントリー
タイムマシーンはもうこない

January 13, 2005

タイムマシーンはもうこない

相変わらず、レポートを書きながらテレビがついていた。

昔の音楽が流れていた。
96年とか良く知っている。
もう10年。

時間は逆戻りしないんだなと、しみじみ感じた。
あの過ぎ去りし日々の気持ちは、もう味わうことはない。
時間とは一回性の文脈なんだよな。

前から、某氏がCDを買うのが億劫だといっていた。それは、お金がもったいないとか、ダウンロードすればいいからではない。CDを買うとそのときの思い出がその曲に移るからだとという。CDを買えばそのときは良く聞く、もちろん同時に日々の生活を送っているわけだから、いろいろなことは起こるわけだ。その起こったことが曲にうつり、時がたってからその曲を聴くと昔の出来事や気持ちを思い出してつらくなったりするからといっていた。確かに、そういうことはあると思っていたが、そこまで実感としてはなかった。

でも、今日、歌を聞いていて昔のことを思い出した。ああ、あんなこともあったなと。

同時に思った。
たった10年で、ネットでほしい音楽をゲットして、あんな小さなMP3プレイヤーで簡単に持ち歩くなんて、あのとき思いもしなかった。
たった10年で。

もう10年、
たった10年、

そして、阪神大震災のテレビもやっていた。
小学校5年だった。岐阜は震度4。揺れで目が覚めた記憶が鮮明に残っている。
10年。

震災を機に人生が変わった人も多いようだ。商社から自衛官のパイロットになった人。楽天のみ木谷さんも、あの時に何が起こるかわからないんだから今を後悔しない人生を送ろうと決めたらしい。

そんな、激しいまでの決意、気持ち。
これは、すさまじいものだと思う。
ある意味、戦後復興の日本にも似た気持ちなのかもしれない。東京通信工業の設立趣意書に通じるような。

自分のやっていることに納得がいって、誇りを持って、自身を持っている。
そんな芯がある夢を夢を追いかける、
そんな人生が一番輝いている。

もう10年、
たった10年、
10年の重み。

BGM CHARA タイムマシーン

January 05, 2005

新年の抱負か?

新しい年が始まったわけである。

空っぽ になる。
あいまい を受け入れる。
メリハリ をつける。
爆発 する。

大きなあいまいなゴールを見つける。そのために階段を一歩一歩上り始める。

思いっきり馬鹿で無駄なことをする。

思いっきり感じ取り、常に頭を使って考え抜く。

謙虚に生きる。

心躍る、わくわくする日々を送る。

すべてをかける、すべてを捨ててでも何かを達成してみる。

戦略的なコミュニケーションをとる

いまいちだ、思いついたら書き残そう

December 25, 2004

過去を今生きる

世の中には過去を今生きる人々がいるのだ。

誰にもそのような面があるだろうが、すべてが過去を今生きている人もいるようだ。

今を今生きる人も、未来を今生きる人もいるように、過去を今生きている人々もいるのだろう。

過去を今生きる人々

過去を今生きる人々

世の中にはいろいろな社会がある。僕の知っているのがすべての社会ではない。それは、当たり前だが、日本にもたくさんある。そんな社会が。

別にそれを知るべきだとも思わないし、知らないなら知らないでもいい。でも、そんな社会に生きる人たちは、人間の原点となる問題を示してくれるのかもしれない。

今がない人、今が空っぽになっている人は過去を生きているのだろう。今生きているのだが過去を生きている。

December 24, 2004

人間って、

何でもありっちゃ、なんでもありなんだよな。

どこまでいってもプライドはあるし、人よりも勝っていることを主張したがる。

現在が最低だったら、過去の栄光を語り、見栄を張る。

結局、人間ってなんなのだろう。

December 18, 2004

一年たって、また一年

今年も終わるみたいだ。

早いのか遅いのか。
今年もいろいろあったなぁ。
いろいろあるのが人生で、とらえ方によっては奇跡の連続なんだよなー。

今年を振り返るのに、ブログと手帳はありがたい。手帳は具体的に何があったのかが書かれている。ああ、こんなところに行ったなとか。ブログ(僕の場合)はその時に何を感じたかを書いてある。振り返るのには最高なツールであると思う。


そういえば、アンケートで社長ブログを読みたいという人が4割(このアンケートの質問からここで、用いることは適切ではないですが。。。まあ、いいや)とあったが、へぇ思った。俺に言わせれば、某有名社長ブログなんて、その人の一日で公表できる部分を書いているだけ。どこでメシ食ったとか、誰にあったとか。そんなこと知りたくもないです。究極にどうでもいい。まあ、アフィリエイトで微妙に稼いだり、サイト集客だったりが目的で書いているんだろうけど。

有名な飯屋で食ったとか、ブランド物を持っているとかって、アピールする人の気持ちがどうも理解できない。だって、有名な飯屋の権威や、ブランド物の社会的地位を利用して、自分もそれによってすごく見られたいとかそう思っているんでしょ?金持ってるっていいたいんですか?それは、本当は金無駄遣いしていますとか、物の価値を見極める能力がありませんといっていることだと思うんです。

ルイビトンですか?よくわからないんですけど、あんなもの良く持って、待ち歩けますねー。僕なら恥ずかしくて、恥ずかしくて町を歩けないですよ。安っぽい人間ですよって顔に書いて町を歩いているのと一緒なんですよ。ルイビトンのかばんを持つくらいなら、Tシャツに「ルイビトン」って習字で書いて町を歩いた方がどれだけ、かっこいいかわからない。いや、本当にそう思うよ。

なんか、「ルイビトン」「グッチ」「プラダ」とか書いたカバンとかシャツとかを着て、10人とか20人とかで町を歩きたいねー。なんか面白そう。

自分に中身がないから、ブランド物とかでだましてるんでしょ。ああ、マジでそれは意味不明だ。

そんなの、どうでもいいや。持ちたい人はかってに持てばいいんだし。基本的に十人十色主義なので、どんな人がいてもいいし。

そんなことより、今年一年を振り返り、来年のテーマを設定しよう。

ああ、高校の文化祭のテーマは本当に意味がないといい続けて、潰してやろうかと本気で思っていた。
だって、生徒会のやつらが、自分たちは生徒会だみたいな特権意識をもって、無駄に時間をかけて文化祭のテーマを決める。無駄に時間をかけていかにも仕事をしたように見せかける。で、テーマなんか決まっても、誰も気にしない。そのテーマにそって出し物をするわけでもない。ああ、本当に文化祭のテーマは意味がない。

それ級に僕の一年のテーマが意味ないかもしれないが、たまにそれを思い出したりするのでちょいとは意味があるかな。まあ、すべての行動にそのテーマが染み出ているよな。

ああ、なんて天邪鬼。
まっすぐものが見れないのかな。斜に構えるというのか。

今度、今年の、記憶に残っているものベスト10とかやってふりかえってみよっかなぁ。

今日のエントリーも話が激しくとんだなぁ。

December 14, 2004

夢がない人は地位に固執します

夢がない人は地位に固執します

って、書いてあった。
プレジデントの2004年8月2号 ウェザーニュース社長 石橋博良さん

いや、コレには衝撃食らったね。
言っていることは当たり前なんだけど、この表現と、人の心理の本質をさらっと言い抜いた言葉に。
まじ、衝撃食らったね。

人生考えさせられますよ。

「夢がない人は地位に固執する」
いやあ、そこらへんの安っぽい本を10冊読むよりも、この一言には価値があるね。

プレジデントなんか読む予定ではなかったが、HBSRを他の人が呼んでいて読めなかったので、偶然とった今年の夏のプレジデント。偶然の出会いです。セレンディピティか?って、そればっかだな。

そういえば、昔、こんなようなことを書いたな。
ある物事が起こったとする。そのことを期待していた場合は、喜びとか衝撃が、期待というものを基準に決まる。あらかじめ期待していると、頭の中でどうなるか予想しているということなので、衝撃度が小さくなる場合が多い。
一方で、期待していなかった場合は、想像もしていないことが起こり衝撃が大きい。喜びも大きい。予期していないことが起こると、期待してきた時よりも感じ方が大きいのだ。これは、人が隠れていていきなり驚かされた時と基本的に同じなのだと思う。

ということで、何も期待していなくてプレジデントのこの言葉に会えたので、衝撃が大きかったです。

昨日書いた「人生の座標軸」をさっそく読み終わりました。

吾人の任務と比べれば、読み応えはないですが、やはりこの方は本物だと思います。
芯があります。
ちやほやされている、IT経営者とは違うものを感じます。

BGM なしです

December 11, 2004

本質的満足

僕は、いくら評価を受けても、いくら金を持っても本質的に満足しません。
これは、いいきれます。

天邪鬼ですから。

でも、なんで東京に出てきたかといえば、一回成功したいと思うから。
成功というか、満足するまで一発どかんとやってやりたい。
でも、コレでも満足できないことは知っている。
そう、高校の時から思って東京に来た。

ずーっと岐阜にいて地味に暮らしても満足行かなかったと思う。
一回東京に行き、どかーんとやって、それでも満足できないと、実感できてから田舎で自由気ままに好きなことをやっている。たぶんコレが僕の理想パターンなのです。

東京という過程があることで、満足できるのです。自分がそれを体験して、納得した上で田舎で待ったり過ごしているから。ずっと田舎だと東京への憧れをずっと引きずることになるから。

釈迦もそうだった。
生まれはリッチ、それを体験して、そんでもって、死ぬ寸前まで断食して修行した。でも、違うと悟って中庸、いい加減ということを言った。やっぱり、そこなんですよ。一度体験しないとその悟りというものは生まれないんですよね。

December 09, 2004

評価

人からの評価ってもうはいかにいいかげんか。
自分の他人に対する評価もいかにいい加減なものか。

例えば、僕が他人からどう見られているか。

おとなしいと見る人も、自分勝手と見る人も、バカと見る人も、口だけと見る人も、いつも常識はずれなこというなと思っている人も、うるさすぎると見る人もいろいろいるだろう。

たしかに、場所によってキャラクターが違うと思うから。別に装っているというわけではなく、自分が知らないことがおおい内容に関するコミュニティだったらいろいろ聞きたくなる。しかし、自分が知っていることだったらついつい話したくなる。そんなもんだ。ということで、コミュニティによって印象は違ってくる。

新しいコミュニティに属して、僕という人間がそのコミュニティの人たちに「ああ、あんな奴だ」と思われたとする。その印象はケッコウ深くその印象をベースにして接しられる。しかし、何か僕がしたとする。その行動は僕にとってはたいしたことなかった。しかし、それを受け止める人には大きな印象の変化を与えた。すると、僕の評価は一気に変わる。

僕がその行動をしたのは、突拍子もないことでもない。自分の普段の生活の延長線上でごく普通なこと。その行動の前後で、僕という人間が劇的に代わったわけでもない。でも、他人からの評価は劇的に変わる。

いたって、当たり前すぎる。日常いくらでも起こることだ。そして、コレを踏まえてみんな生活をして、自分を演出したりする人もいる。あえて、バカっぽい態度をとって後に知的な部分を見せそのギャップで他人にスゴイと印象を与えたり、初めからいかにもいろいろなことを知っていて博学な人なイメージでアピールしてくる人。

別にどうでもいいんだけど、自分の他人に対する評価はいい加減だなと。こうと決め付けずに、いろいろな角度から周りの人を見たい。そして、いいところを見つけて、他人を尊敬して付き合っていけば、相手も気持ちい気分だろうし、自分も幸せになれるんだろうな。と、当たり前のことを、当たり前のように感じました。

BGM Mariah Carey, Baby Face & Kenny G - Everytime I Close My Eye
    掌 ミスチル

December 06, 2004

俺ってなんて単純なんだろう

僕は単純です。

というか、精神年齢が成長していないです。
特に、感情面が幼稚園児と変わりません。

猛烈に良いと思ったら、いいし、
なんでも気になります。生きていると気になることだらけです。

なぜなんだ。なぜなんだ答えなんてなくても、なぜなんだと妄想します。

でも、体系立てて勉強しないところが悪いところです。

December 04, 2004

謙虚になる

かっこ悪い男です。もっと美しく生きようと思います。
自分というものが人間として最もかっこ悪いと感じました。実際に生きるという行動が美しくない。決して派手でなくてもいいんだけど、美しい生き方をしようと思います。

僕の場合、人間の生きる軸となるものが醜いです。悔い改めます。


謙虚に生きようともいます。

あるがままの自分で、等身大の自分を丸ごとぶつけようと思います。
人生を本気で生きるということです。

僕はスマートな人間じゃありません。
泥臭い人間です。
そんな我武者羅で無我夢中で何もかも忘れ没頭している時が一番心踊る時です。

地道に一歩一歩、歩んで生きてゆきたいと思います。

休むことは錆付くことだ エジソン

虚心坦懐に

謙虚に生きようともいます。

真っ向勝負ということです。
下手な格好をつけても意味がないと思います。

あるがままの自分で、等身大の自分を丸ごとぶつけようと思います。

今のありのままの自分を謙虚に受け止めようと思います。

足らない能力、多少ある能力。

自らを律します。

自分の心に正直に素直に生きようと思います。

何のわだかまりもなく、素直な心で物事を取り組もうと思います。

「他山の石」この言葉を人生の指針とします。

ちょうしこきません。

未熟者です、何も分かっちゃいません、死ぬまでたっても何も分からないかもしれません。でも決してあきらめるということではないです。

かっこ悪い男です。もっと美しく生きようと思います。


われわれは平等ではないし、平等ではあり得ないことを、僕は知っている。しかしぼくは、尊敬を受けるためにいわゆる下層民から遠ざかる必要があると信じている人間は、負けることを恐れて敵に姿を隠す卑怯者と同様に非難に値すると思う。 「若きヴェルテルの悩み」より


「無人島に一つだけ持っていくとしたら何か?」という質問に対して、
自分は「人」と答えるような人間です。

僕はスマートな人間じゃありません。
泥臭い人間です。
そんな我武者羅で無我夢中で何もかも忘れ没頭している時が一番楽しいです。
地道に一歩一歩、歩んで生きてゆきたいと思います。

休むことは錆付くことだ エジソン

生まれることも、死ぬことも、また無常ということ。

ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。

よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし

世の中にある人の栖と、またかくのごとし

「方丈記」

祇園精舎の鐘の声

諸行無常の響きあり

沙羅双樹の花の色

盛者必衰の理をあらはす

おおごれる人も久しからず

ただ春の夜の夢のごとし

たけき者も遂には滅びぬ

ひとへに風の前の塵に同じ

「平家物語」

この二つが、美しく感じるのです。

December 02, 2004

一年後なんて分からないですからっ

僕は一年後何をしているかは知らない。
当たり前だ、何度も書いているが、

僕という人間は、どうにでもなる。

人の予想を裏切るのがすき、天邪鬼です。

何をやっているか想像付かないらしい。

でも、先がどうなるかをいろいろな要素を踏まえて考えることは重要だ。

November 28, 2004

友達と出来事

たまに、友達と出来事で自分の人生を振り返ることがある。

そして、つくづく思うことがある。
僕は仲間に本当に恵まれていた。
仲間に育ててもらった。感謝の念でいっぱいである。

そして、要所でいろいろな出来事が起こったり、自らやったり。
その出来事を通しても学ばせてもらった。

それで思うことは、本当にやりたいことは、実はすべてやっている。ああ、これいいなぁレベルのことはやっていないことがたくさんある。これは、その時意識的にとった行為ではないと思う。結果的に本当にやりたいことは、自然に体が動いてやっていた。自分の意識の外でも、本当にやりたいことのためにさまざまな基礎を固めていたりした。と思う。人間とはこういうものなのかとも思う。

過去を美化しているだけなのかもしれないが。

November 26, 2004

僕の人生と、親友と

僕の人生と、親友と

僕のことを一回でも心にとめてくれたひと
あなたのその心で僕は今の僕となれました
難しいこと抜きにして、心のそこから 
ありがとう


やりたいように、やりたいだけやってこいよ。
自分の聴きたい音を自分で奏でられるまで。
そして、お前のあの笑顔を、楽しみにしている。

俺も、そうするから。


お互い、爺さんになったら、
あの、でっかい餃子を食いながら、
懐かしい日々を語れる日を心待ちにしているよ


さっき書いた5000字以上の文章よりも、伝わるものがあると思うから。

November 24, 2004

たった一言でも

別に、長けりゃいいてことでもない。

たった一言でも、1,2行の言葉でも、いや、たった一言でも、1,2行の言葉だからこそなのかも知れないが。

まさに本質を言い当てていることや、美しいことがある。

それは、こういうことだからですかね↓。

Imagination is more important than knowledge.
                         Albert Einstein

November 19, 2004

ピタット一致する

まだ21年しか生きていないわけですが、ピタット一致することがある。
曖昧な、ぼやっとした2つのものが、だんだん輪郭がはっきりとしてきて、それがかさんる瞬間がある。無数の点が線になる時の感覚と似ている。

僕という人間は外部のものとの関係で生きている。僕の心とその外部の物の心が一致するのである。それは、音楽であっても、組織であっても、人であっても、学問であっても何でもなんですけど。前に書いたエントリーで書いたコレだって時の感覚です。

そういう時は、本当にワクワクする。心躍るって奴ですよ。そうすると、イメージがわく。そうなったらもう突き進むしかないんですよ。

そういう時を僕は探すために、そのことを楽しむために生きているのかもなぁ。

November 16, 2004

情報の感染-曖昧な世の中を生きるということ-

今日、養老さんの番組を見て、そして昔のことを思い出し、シリーズ系のNHKスペシャルが頭をまわり、過去に読んだ本を思い出したり、自分の考えを頭でぐるぐるさせたり、ITやその他の技術進歩、芸術・仏教なんかも少ない知識と足らない頭で考えちゃったりした。

私は言いたい。「曖昧」これだ。コレだといっている時点で曖昧でないという突込みがくるだろうけど。まあ、少なくとも今僕はそう思う。まあ、コレだと正確には頭では感じていない。そう感じる、キターって感じの時になる、なんか不思議な脳の感じが起こっている。

「曖昧」というキーワードが頭に浮かんだ。で、なんとなく自分のブログで検索。すると相手には伝わってなさそうだけど、自分が何かしら感じたけど言い切れていないエントリーがいくつかヒット。そこで、自分の中で強い思いになった。

で、曖昧、曖昧って何がいいたいか。

僕が、生きる今後の世の中はこの考えがさらに大きな波として押し寄せてくる。そんな世の中をどう生きるか。そう、これは僕にとってすごいことです。今後の社会の生き抜き方を梅田さんや大前研一さんはサバイブという言葉で表現している。僕はそう短い言葉ではまだいえないが、この文章のようなことを踏まえた上での生き方ということが言いたいのです。

パソコン・インターネット・携帯電話などのデジタル製品の普及、いわゆるIT革命によってアナログ時代よりもモノの移動、情報の移動など、世の中のもののデータを取りやすくなり、それを集約して分析することなどが可能になり、より精度の高い分析になると思われていた。しかし、実際は違うと思う。ありとあらゆるところで、情報はうまれ、流れ、その情報は変化している。1年か2年ぐらい前一度僕が使った言葉「情報は感染する」こんな感じだと思う。まさに感染なのだ。どこでどう移ったかもはっきりしない。そして、ウイルスは変化もする。そしていろいろな場所で、また同時にどんどん増える。このようになっていては集約することも出来なければ、精度の高い分析も出来ない。今後なんてより情報量は増え、さらに今までの情報もたまっている。情報があふれている時代といわれる。同じ物事に対しても、さまざまな立場の意見、事実は一つなはずなのに証拠があるとされる事実とやらがいくつも出てくる。そんな時代だ。そんな情報があふれた次代を越え、その次にくるのはこれらを踏まえた「曖昧な時代」だ。同じものでも形を変え、どこにあるかも、その数も、分からない、そして定まらない時代だろうと思う。

よく言われることだが、お金というものが絶対的な指標ではなくなって来ている。この考えはより多くの日本人の中にやどるであろう。もちろん、いわゆる高偏差値大学が人間の価値も決めない。明確な順位が現れない、すると人間は何を指標にするのか、何を支えにするのか。

コレだと、明確なものが物質的にも、情報でも、自分の中の思いなどでも少なくなる、ほとんどなくなる、明確かどうかなんて分からず、判断が付かない、判断が付いたとしてもそれはすぐ別の判断に変わってしまうかもしれない時代。こんな時代をどう生きるのか。

量子論は答えを教えてくれるのかも知れないと思った。量子論は理論では分からない部分がある、しかし応用では実際に使えるものとして役立っている。じゃあ、理論は完璧に分からなくてもまあいいんじゃないかと。科学というものの中でこのような考えは珍しいというか斬新なのではないかと思う。

曖昧なものを、抽象的なものを、しっかりと定まらないものを、ほんのちょっとの変化を、自ら感じ、知り、受け入れて、見極め、行動する、こうすることが重要な時代になるのではないか。明確な答えを求めるのも良いが、そうしたら死ぬまで明確なものなんて見えてこないだろうから。「曖昧なものを曖昧なままでも受け入れる覚悟を持って生きる」ってことがポイントじゃないかな。

曖昧、抽象的なんだから結局人に伝わらないような文章になった。といって逃げるつもりはない。より、僕の脳の中のものを伝えられるようにしていきたい。この文章はただ単に人間が曖昧な不安をもって日々暮らしているってことが言いたいわけじゃないですよ。それだけしか伝わってないかもしれないけど。

「漠然とした不安」というのは、芥川龍之介が自殺の理由として残した言葉だとインドで聞いたのだが、先をいっていた人なんだろうなと再認識。


人間は固定した川ではないと養老さんが表現したが、人間は雲って言った方が分かりやすい気がする。雲なら形が変わるのも、流れているのも目に見やすいから。ああ、そういえば小学生のころ校庭に寝っころがって流れる雲を見たときの衝撃は今でも忘れない。南校舎の非常階段とボール置き場の間だったな。

曖昧の検索結果

November 09, 2004

信念のあるカッコイイ日本人が増えてきた

情熱大陸で神田真吾さんが取り上げられた。

この方は欧州人以外で初めてオーストリア国家公認料理マイスターになったかただ。「それもこの試験一生に一度しか受けられない。」
言葉も話せない状態で海を渡り、7年の修行。どのような心境で試験に臨んだのか。

「一生に一度しか受けられない試験」
これは味わうことが出来ない心境だと思う。自分が本気になっていることで、その試験が一生に一回。いつ受けるかとかもそうだけど、当日の心境とか、計り知れない。

あの顔の表情とかはすごかった。

カッコイイ。この人もみているとサブいぼが出る。感動する。「漢」だ。
イチローにしろ田臥にしろあげればきりがないほど信念を持ち、輝いている日本人が最近また目立ってきているような気がする。日本も元気になるよ。そんなかんじがする。いや、確信を持っていえる。私もその一翼を担いたい。

7月26日に小泉さんと会っているみたいです。そのときの質問に対する返答がスゴイ。

「プレッシャーはあったが、自分の夢で乗り越えられました」

自分の夢でプレッシャーを乗り越える、困難を乗り越える。そんな人生を送れるようにしよう。

トップランナーで神田真吾さんの回が再放送されるみたいだ。
11月11日(木)
NHK 「トップランナー」(再放送) 夜24時〜

関連URL
http://www.jtc.at/cmsjtc/cms/front_content.php?idcat=338

情熱大陸ウェブサイトより

料理人・神田真吾、29歳。今年、日本人で初めてオーストリア国家公認料理マイスターになった。
まだオーストリアに来て7年。ドイツ語もまったく話せない状態からスタートしながらも、名門ホテルで修行を積み確実にステップアップしてきた。
 そんな神田に、この秋大きなチャンスがやって来た。インスブルックという山間の町にある、ハプスブルク家の末裔が住む城。そこで、2,3年に一度ヨーロッパじゅうのVIPを招く大晩餐会が開かれるのだが、その総責任者として神田が選ばれたのだ。
 大舞台に臨み、溢れてくるのは期待とプレッシャー。秋が深まりつつある頃の、神田のまだまだ熱い日々を追う。

November 05, 2004

田臥勇太

イチローをちょっと前「漢」だといったが、田臥勇太って人間も「漢」だ。

身長は170cmちょっと。バスケの選手なんて2m近くあるじゃん。多くの人間は、その絶対的な差だけでNBAをあきらめるだろう。

それを、彼はあきらめない。ナイキの彼が出ているCMがあった。そこでは一万回パスの練習をして、一万回シュートの練習をして、バスケットシューズを何十足も履きつぶし、、、とっいった感じでいっていた。本当にそうだろう。練習して。練習して。ひたすら練習する。

ハンディがあっても、それを出来ない理由にして逃げない。そんなハンディがあることすら忘れさせるってのがかっこいい。見てる側からすると、ハンディを越えてでっかい奴に勝つのがワクワクするね。

こりゃすごいよ。日本人に勇気を与えるよ。
世界を舞台に体のギャップを乗り越えて活躍する日本人。
ほれるね。

スポーツ界ではこういう男が増えてきた、政治の世界、ビジネスの世界、文学、音楽、絵画などなどいろいろな分野で更なる活躍をし、そういう信念があり、努力し、達成した人間が評価され、報道される日本になることを願うし、そうしていきたい。

彼の言葉にも重みがあるよ。このCMもズシーンときた。
CMのリンク
以下、CMで田臥勇太が語っている言葉。全文。

何回も能代弁で叱られ、
何回も英語でも怒鳴られ、
そのうちの何回かは理解できなかったけれど、
何回も小さいから無理だといわれ、
何回も大男が落ちてきて怪我をし、
何日も眠れない夜をすごし、
何回も人のいうことに耳をふさぎ、
何回も逃げ出そうと思った。

けれど、

何万回もパスをし、
何万キロもドリブルをして、
何万回も相手をフェイクし、
何万回も速攻を出し、
何万本もシュートを打って、
何十足もバッシュを履き潰し、
僕は アメリカのコートに立った

日本人初ということはすごくうれしいですし、

でも、僕のたびは終わりじゃない

これは始まり

何万回もパスをし、
何万キロもドリブルをして、
何万回も相手をフェイクし、
何回も、何万本も・・・・

November 04, 2004

難しいことを忘れて

童心にかえる。
無我夢中になる。
腹のそこから笑う。

うまいものを食べて、
十分寝て、
自然を感じて、
好きなことをして、
空想にふけり、
美しいものを見れば、
生きてて良かったと思うはず。

たまにはこんなときもあったほうがいいと思う。

1994

1994年

この年が何だって話なんだけど、特に何もないんだけどなんか1994って響きから何か記憶がある。小3か小4年。

この年ぐらいから年号というか、そういうものを気にし始めた証拠なのだろうか。
それにオリンピックもあったから年号を良く聞いたからかな。

同い年の人は19??年から明確な年の記憶があるのかねぇ。

November 01, 2004

色あせないもの

最近書いた気もするが、とりあえず書く。

人間は、同じことを繰り返せば飽きる。つまらなくなることがほとんどだ。いくらうまいものでも毎日食べていれば飽きるし、王様のような生活も毎日だったらつまらなくなる。ありがたみなんてなくなる。

しかし、色あせない気持ちもあるようだ。
先日とある質問をした。舞台の上にたつ人に。年間に何百回も舞台に立つその人は毎年何百回も拍手を受ける。その喜びも薄れるものだと思い、僕は「舞台に立つ原動力や一番うれしいことは何かとたずねた。」するとお客さんの拍手だという。そうかとおもい「毎回拍手をもらうとそれに対する感情は薄れ、原動力としては弱いものになるのではないか?」とたずねると「全くそれはない」と。正直びびった。全く色あせないようだ。色あせない思いがあるようだ。同時に研究者の人も、自分の研究テーマを何年もやり続けてもその思いは全く弱くなることがないといっていた。

やられた。全く色あせない思いがあったのだ。

これが、自分の生きる道という奴だろう。まさに吾人の任務だ。

夜回り先生

このエントリーは完全に下書きです。まとまった文章でもなければ、話も飛びまくりです。

教育者というものは、ものすごい仕事だと思っています。世の中にある職業の中で一番大切じゃないかと思うくらいです。特に小学校〜高校までの教師です。前から僕はこう思っていきているわけです。信念をもって本気でやらなければ勤まらない職業だと思っています。答えのない、終わりのないもので、本気で問題に取り組めばと取り組むほど、問題の大きさを感じ、簡単には解決できない地道な努力が必要だと思います。そして、そう取り組む教育者というのは自分の時間も少なくなり、自分の体もオーバーワークでがたが来てしまうのではないかと思います。(僕は何も知らないのに、こんなこということは大変失礼だと思っております。)

ETV特集 「いいもんだよ、生きるって」▽夜回り先生・水谷修の感動の講演会に密着▽薬物乱用・リストカット・援交…眠れぬ子たちの悲鳴と向き合った半生▽「心の闇を越えて」相次ぐ少年少女の事件その背景には一体何が▽ネットいじめに悩む米国▽“群れ遊び”で子どもは変わる▽大人の責任とは

この番組を見て、改めて思いました。この人の言葉には魂がこもっています。この人は本物です。イチローの時も書きましたが、自分で考え、行動し、ある物事に対して思いがある人は、話すと伝わってきます。話すという一連の行動を通して伝わります。まあ、学校の先生が生徒に語りかける口調なので多少オカマくささはあるのですが、そんなことどうでもいいです。含蓄のある言葉ばかりです。ここまでの教育者がいることに感動した。本気で子どものことを考えているなと。こういう人が

この方についてちょっと調べたら、最近学校を辞められたらしい。子どもを思うあまりオーバーワークだし、精神的にもそうとうつらいのだろう。本を書き、ドラマ化され注目を浴びれば講演や相談も増えるし、社会の目もあびる。体にガタがきてしまうだろう。自分に厳しいから体にガタが来てしまうのだろう。そうしたら、救える子どもも救えない。そんなに自分に厳しく、徹底的にならなくてもいいのにとも思う。しかし、もしそうだったら、こういう行動をとる人にはなかったのだろう。非常に難しい問題だ。

人を育てるこれは、相当難しいことだと思う。一人一人違うし、大人の視点から言えば(もちろん、大人以外からも子どもは学んでいます。社会や友達など)、子どもがしていることをすべていっているわけではない、大人の育った環境とは技術進歩、その他社会全体としての大きな思想的流れからしても違っている。大人が育ったことを前提に話しても、子どもには全く通じないことがある。もちろん、育てるということに答えはないし終わりはないし、こういう人間という思い描く人間もそう簡単にはいかない。

死ぬまで育っている、社会では人を育てるという側面の方がメインになるかもしれないが、コレも重要である。組織においても人が重要だから。いくら年をとっても、人から学び育っていく。老人になり介護することもある意味、育てているといってもいいのではないか。もちろん、年下から育てられることも多いにある。


秀才、天才、こころの繊細な人、いわゆる普通の人、ある特定の能力に欠ける人を育てるという分類があるのかと思った。人間なんて分類できないし、一人一人違うというのは分かっています。でも、物事を考えるために、分類訳をします。こういう分類訳をすぐにしてしまう僕は教師には向いていないと思います。って、そんなことはどうでもいいです。

家族的視点、学校、地域社会、これらがベースになると思う。

上記に記した「人の性質別」と「育つ場」の分類でいろいろ考える必要がある。現状の問題を踏まえ、これからどういう社会が訪れるか、作って生きたいか、というのも踏まえて考える必要がある。これについては、また書くときがくるだろう。

先週の木曜日、生物学的視点から人間の発展を話した。UTの助手や博士課程の方々なのでやはり科学的視点というか発想だった。人間が生まれてくることに見る、人の育て方とか、人間の

昨日の夜も面白い話だった。子育てについて、これはどうやって行うべきなのかという話になった。非常に難しい問題であるが、話し好きとしては面白かった。自分で考えたり、敏感に感じ取ることが出来る人と話すのは面白い。

そういえば、2週間ほど前に教職の教育実習に行くといいよといわれた。彼は教職を採っていなかったが、教育実習にいったらしい。彼は、自分の信念をつらぬきとうしたようだ。マニュアルになくても正しいと思ったことをやった。そうしたら、先生からはマニュアルどおりやれと指導を受けたが、盲目的には従わなかったようだ。そうしたら校長のハンコがもらえなかったといっていた。しかし、彼はそれでも納得がいっていた。僕は彼はマニュアルに反抗しようと思ったわけでもないと思うし、彼は常識はずれなことをしたわけでもないと思う。彼はそんな安っぽい人間ではない。しかし、マニュアルどおりには出来なかった。当たり前だ。教員だってマニュアル通りなんかやってない。やっているのは教育実習できている教師になることしか考えなかった学生や、保険として教員免許がほしい学生。そして、こういう人が免許をもらい教員になる。コレじゃダメだ。本当にまずい。


October 29, 2004

自己満足のエッジで生きる

僕は自己満足は生きるうえで最重要だぐらいで言ってきた。自分が納得するということは今でも、もちろん重要だと思う。もっといえば、考え方事態は変わっていないが表現が変わったと思う。で何かというと、完全な自己満足と、自己満足ではない外部に対して意味のあることの境でいることの難しさ、意味を言葉として感じたからだ。僕は前から自己満足が最も重要だといってきた、しかし、僕の周りにいる人の目には、僕という人間が完全に自己満足のみという風にはうつっていなかったと思う。少なくとも、そう思っている人がいると、僕は思っている。その点で、今までは、口では自己満足がすべてのような言い方をして、行動・その他の言動などでは、完全にそうなっていなかった。でも、完全なる自己満足と、社会的に意義のある、インパクトのあること(自分の信念を伝える。)の狭間でいることの難しさと意義を言葉として感じた今としては、言葉と行動を一致させる必要があるのかもしれない。行動を言葉に一致させる必要がある。それがまさに「完全な自己満足と、完全な自己満足ではない外部に対して意味のあることの境でいることの難しさ、とその大きな意義」という表現だ。これが行動と似ている。

完全な自己満足を極めるのも難しいが、言ってみれば世捨て人的な、はずれた人といってもいい。具体的に言えば、何かあっても、俺にはどうでもいいことだ、って言ってしまえば、自己満足をベースにする人はすんでしまう。ある種、逃げのようなものが自己満足にはある。一方で、自己満足とそうでない境にいるということは難しい。バランス感覚が非常に重要だ。このポジショニングを取れる人はめったにいないと思う。しかし、非常に重要な人である。自己満足を踏まえ、そうでない外部に対しての意義も踏まえなければならない。どんな問題があっても、それを放り投げることは出来ず、問題と正面から戦わなければならない。しかし、このポジショニングでしか出来ないことがたくさんあるし、僕もそのような立ち位置を目指している。

もちろん、自己満足であるということは重要で、それを踏まえた上での境のポジショニングを取ることの意味を感じた。

みんなに、こうなれといっているわけでなく、コレがベストだとも言っているわけではなく、僕がそうなりたいと思っただけです。これは、僕が前から芸術家だけは自己満足だけでイイといっていたが、この立ち居地を取れる芸術家も非常に面白い存在だと思う。

「みんなに、こうなれといっているわけでなく、コレがベストだとも言っているわけではなく、僕がそうなりたいと思っただけです。」本当はこんなこと書きたくない。理由は2つあって、一つは僕が書くことというのは、僕の考えで、そんでもって「今」の考えだ。だから、何も言わなくても、すべての僕の言葉の前に「僕が今思うのは、」ってことが付くのが当たり前であるからです。2つ目に、言い訳をしているみたい。あらかじめ防御している。それは、めんどくさいことがいやだからリスクヘッジといえばそうだが、なんか個人的に逃げは嫌いだ。昔、どんなことにも例外があると思っていたので僕の発言にはいつも、「基本的には、」って言葉がついていた。しかし、あるとき、そんなの必要ないと思って最近は言っていない。なんかあったときの逃げだと思うからだ。言葉だけだったらいいのだが、その言葉が僕の心のそこにある考えに通じていて、行動にも影響を与えると思う。だから、逃げの言葉は使いたくない。だが、最近書いてしまう。

自らの立ち位置

これは難しい。完全に自分の立ち位置というものを自分で決めてしまって、その檻に入ってしまう可能性もある。

しかし、全体を見て、考えるそのうちに立ち位置が見えてくるのかもしれない。その立ち位置を踏まえた上で発言し行動する。それは大きな制約にはならないかもしれない。

自らの立ち位置。コレは難しい。覚悟とか吾人の任務とも関わってくる。

覚悟

今日、それは僕にとって面白い日。楽しい。辛くもあるのだが、それだからこそ楽しさがある。自分が何も知らないことを知り、自分が何も考えていないことを知り、自分とは全く違った考えを聞ける。こんな機会を持てた僕は、自分でも幸せだと思う。大学のうちにもてたのも非常にうれしい。

前にも書いたと思うが、(草稿のままの可能性あり)「覚悟」これが重要なポイントになってくると思う。それは人生においてだ。これは他人から見てもなんとなく感じるものかも知れないが、やっぱり本人だけしか分からない。人生において、いつ「覚悟」を決めるか。とある同じ道を選択した、二人がいたとしても、片方は覚悟していて、片方は覚悟してないこともある。覚悟というのは単純に行動として現れるものでもないと思う。日常の些細なこと、考えの根底には覚悟が大きな影響を与えると思うが。

で、この「覚悟」をいつするかってのが人生でポイントになると思う。早く覚悟したからいいとも思わないし、一生覚悟できなかったから悪いとも思わない。しかし、僕の人生には「覚悟」することが必要だと思うし、覚悟したいと思っている。それでしか、見えないものがあると思う。覚悟というのは吾人の任務とも大きな関係があると思っている。

覚悟する日まで。

October 27, 2004

最近やっと分かる気持ち

最近、やっと分かる気持ちがある。それは昔大人が言っていたことで全く分からなかった感覚。年や経験をつまなければ分からない感覚とはあるものなのだなぁ。

たとえば、親が叱るのは子どもがかわいいからというやつです。昔は分からなかったなぁ。今となってはすごく分かる。本当に大切な友達だったら、真剣におかしいことがあったら怒ってでもいってあげる。まあ、コレは一例で、僕の言いたい本質ではないんですけど。

絶対違っていると思っていた、自分は未熟だったのだ。

時が経たないと分からない感覚。もっともっとあるのだろう。また、時が経ち先人が教えてくれた感覚を味わえるのが楽しみだ。


あと、いつも言っているんですけど、僕は具体例は仕方ないから使っているのです。僕の言いたいことはだいたいもっと曖昧なことです。僕の思っている何かは抽象的な思い・考え・感じることです。でも、それを体で表現したり、絵で表現したり、詩や歌で表現する手段を持っていない。持っているかもしれないが、自分では自分が行うそれらで伝わるとは思えていない。だから僕は、具体例や言葉で表す。僕が今もっている手段ではそれが一番伝わりやすいと思っているからだ。

そもそも、相手の言っていることを理解することなんて本当は出来ないのだろう。僕がうまれて育ってきた環境、体験したこと、出会った人、親友は僕にためだけにあったものであり、他の人は絶対感じれなかったものだ。まあ、生まれた時点で個体として別なんで、その時点でも絶対体験できないんですけど。それで、僕という人間が唯一の存在で、この経験をしたから感じることがある。他の人には全く分からない感覚。ある部分は共有できても完全には出来ない。とある二人が同じ文章を偶然、奇跡的に書いたとしても、心の中で言いたかったことは全く違うはずである。言葉の意味だって人それぞれ捕らえ方が違う。「腹が減った」という言葉でも、人それぞれどの具合から減ったと表現するかは違うし、その状況によっても違う。たくさん食べて腹が満たされることを腹が減ったという人はほとんどいないと思うが、同じ単語でもそれぐらいの差がある場合もあると思う。認識の違う単語なら、辞書とかで意味を共有すれば言いといっても、辞書に書かれた説明に使われている単語にたいする感覚も違う。当たり前なんですけど、ブログのエントリーを見て思いました。それでも、通じる人がいるのも事実で、それは僕にとってうれしいことだ。本当に通じているかどうかは確証はもてないが、そう感じることがある。

聴衆からの拍手。これを歌う源泉としている人がいた。楽器をやる人や歌う人には多いみたいだ。絵などの芸術と違い、人の前でやることであるから、拍手が源泉となっているのだろう。ドラマは出ないけど、舞台はやるという人はこの拍手がモチベーションの大元となっているのだろう。で、僕は、聞いた。拍手をもらう経験を何度もしたら、自分を突き動かすものとしての力が小さくなるのではないか?と。しかし、コレは違うらしい。全く、小さくならないようだ。そんなちゃっちい物ではないみたいだ。正直、ショックを受けた。人間同じことを繰り返せば、あまり衝撃を受けなくなったり、当たり前のものになれば何かを感じにくくなるものだという認識が僕の今までの人生ではあった。しかし、そんなものではないみたいだ。僕が言っている、信念とか、あるものに対する思いというのはそのような境地に達してこそ感じられるものなのかもしれない。僕も、いろいろなことを経験したり、感じたり、考えたりするうちに、そのようなものを見つけたいと思っている。

October 21, 2004

いやはや

口で話してるってことは、それの10倍は考えているんだよな。すごい。

本当に、自分の薄っぺらさに気づかされます。何も知らないし、何も考えてない、生きる信念・理念もない、俺って対したことないな。今日は息が詰まるほど自分の薄っぺらさを感じさせられた。自分の能力が足りないと思うときはいくらでもあるんだけど、小手先の技が出来なくて感じるんじゃなくて、本質的に自分の思考レベルが足りない、と感じさせられた。

あらゆることを学び 自分に正直に徹底的に考え 専門分野をもち 自分の真となる考えをもち 何かあったら常に考え 先を読み 一つのことだけで考えを終わらせるのではなく、他のこととの関連性を含めて考え 自分の考えをノートにまとめる 専門とビジョンの確立 権威にゲイゴウしない理念 思考をストップさせない 教育実習

とりあえず、かみ合った話が出来るまで鍛えます。

5,6年

5,6年。

中学を卒業してからこれぐらい経ったのだ。
当たり前だけど、文字で見るとまた違った印象を得る。

5もう,6も経ったのかという気持ちと、まだ5,6年しかという気持ち。

中学までは精神的経験が多いと思う、そこまでの間に人間のコアが出来ると思う。高校大学は目に見える実際の物質的経験が多いような気がする。精神的なものから言えば、もう5年もたった。物質的な経験から言えば、まだ5年しか。なのだろうと思った。

幼少期の精神的経験をなくして、物質的経験だけしても、滑り台をすべるようなものだ。上滑りだけで、本質は何も捉えていないが、高いところから滑り落ちるスピードやスリルを盲目的に味わう。僕はそのようなことに意味を感じない。

福澤諭吉が文明論の概略で言っていたが精神を後回しにして、外国の文明を持ち込むのは順序が逆だ。精神のほうが浸透させるのに難しい。といったことと似ているだろう。

分かっている奴

分かっている奴は分かっている。

これに尽きる。

よく会うとか、よく連絡を取る、こんなの関係ないなぁ。
細かいこと抜きにして分かる奴は分かる。

また、家に帰ったら書くかも。
とりあえず、木曜日という日をすごしてくる。

世親と無著にあってくる。

October 18, 2004

自分の将来

何かやりたいことを見付けると外に外に向かってきた。大学のとある友達はある範囲内で固定の枠組みのなかで何かしようとしてきた!俺の強みは心から湧き出てくるモノに沿って自ら外へも求めに行く 起業、芸大、海外、gnet ディべでは指導者がいなく自ら学び方を学び、外に出ていき実体験として学んだ、体に染み付いた 


ゼミ選び失敗 仲間の能力モチべ低い あまり調べなかったし、噂なんて気にしなかった。大学外で見付ければいいと思ったが自分の活動組織で妥協は良くない しかし入ると物足りない しかしそう気付かせてくれたねは良かった で梅田さんの言うバンテージポイントの良い場所に行きたい 面白く優秀な奴が多いとこでは新しいモノも見えるし新しいモノも生まれる

October 17, 2004

ぼくみたんだ

最近、幼稚園とか小学校時の感覚や脳の思考を感じたいといっている訳です。僕の脳はその時も踏まえた上で今の脳が作られているので、今でも少しは感じているというか、延長線上だともいえるわけです。でも、何か違うかもと自分が今にして作り上げた記憶でそう思っていた。

で、今日は日曜日なのに早く目が覚める。で、テレビをつける。すると、クボジュンのえいごっこという番組がやっていた。この番組は幼稚園児向きの英語番組。で、番組の最後に「ぼくみたんだ」という本を朗読。(これは日本語の本です。)

ミスチルのANYがオルゴールバージョンでBGMとしてながれはじめた。そして「ぼくみたんだ」、と朗読が始まる。「ぼくみたんだ おひさまの なかにいたんだ ぼく みたんだ やまとやまの あいだに かくれたよ…。ぼくみたんだ・・・ゆうひにうつるきょうりゅうのかげを」ゆっくりとしたテンポで朗読されるこの本。めがねもかけないでテレビを見ていたので、はっきりと見えない。クレヨンで書かれたような線だけの恐竜と真っ赤な太陽。なんか、懐かしいというか、昔に脳が戻れた様な気がした。

「ぼくみたんだ」といってある少年は朝日を見たり、葉っぱについている小さな虫を見たり、夕日を見たり
といろいろな経験をする。その前に「ぼくみたんだ」というフレーズが常に入る。朗読が終わった後、なんだろうこの感覚と思った。そしてふと考える。幼少のころの喜び、これはまさに「ぼくみたんだ」だったんだと思う。それが純粋な楽しみだった気がする。今まで知らなかった物を見る。そして親や友達に「ぼくみたんだ」という。この一連の行為が純粋な喜びだったと思う。この感覚が人間の喜びの原点なのかなと思った。大人になってもそれは続いていて、新しいことを知るとか、見る、体験する、作り出す、これらには喜びを感じるのだろう。そんな気がした。

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October 10, 2004

伝記から

ボクは昔本を読まなかった。
それは全くといってよいほど。
今も大して読まないが大学に入って読む冊数は増えた。

そんな本を読まない子どもが小学校の頃に読んだのが伝記だ。伝記は面白かった。何で面白かったのかは分からない。今考えると、こんな人生もあるんだとか、こんなすごいとされる人でも実際は困難だったんだとか、こんなこと考えていたんだと感じることが出来るからだったのかもしれない。

日経夕刊の人間発見がすきなのも情熱大陸がすきなのも小学校のときの伝記が影響しているのかもしれない。

人が何を考えているか、何について考えているか、どのようなプロセスである考えにいたったのか、どんな思いを持っているかとかが興味がある。

ボクは身の回りの人の生活とか詮索するのは好きじゃない。あまり興味がない。でも、その人の生きるうえでの考え、信念について話すのは好きだ。

テレビや、文字を通してだがこんな人生があるんだというのが刷り込まれているのかもしれない。


関係ないが。
体の奥底から突き上げる思い。この表現いいな。
やっぱソングオブライフはいい曲だ。
ああ、ミスチルの歌詞は仏教的だとインドで思った。

自分とは

なんか最近書いた気がするんだけど、自分の過去の些細な行動、今までやってきたことを振り返ると今まで気がつかなかった自分の部分に気づく。それをたどっていくと自分が何がすきなのか、興味の対象は何か、自分がどうなりたいかが、自然と見えてくると思う。

そう思います。他人からのアドバイスで気づくことがあるかもしれないけど、それよりもまず自分の今までの人生を振り返る。やってきたことや思ったこと、考えてきたことを書き出してみる、すると自然と見えてくるんじゃないかな。

そう思うと、こうやって思ったことをそのまま書いているブログ。これは僕にとってかけがえのないものだ。
何度も書いているがこれは、自分のために書いている。後から読み直すために。でも、僕が書いたことは読む人、特に身近な人の思考プロセスに大きな影響を与えかねない。そこも考えないといけないときがくるのかな。そうなったら、匿名でどっかでブログを書こう。

October 09, 2004

人生で一番重きを置くこと

自分の人生、生きていく中で一番大切にすることは何か?
生死に関わることは除きます。
たとえば、食べることとか。寝ることです。
食べること、寝ることでも生きていく最低限を越えて、すッごくうまいものを食べることとかいうのはありです。

で、僕は何か考える。
自由な時間、なんらかのスポーツ、友達、日本をよくすること、人を笑わすこと、長生きすること、社会的評価、お金、贅沢な暮らし、何らかの芸術を極めること、笑うこと、うまい物を食べること、だらーっと日々をすごすこと、本を読むこと、など感情的なものから、何かすることまであると思う。

どんな人でも一つではないと思う。こうなればいいと思うことは何個もあるはずだ。でも最も重きを置くこととはといえば。

で、僕は何か。
たぶん心がワクワクすることだと思う。これすごい、面白い、自分でもやりたい。とかココロオドルことをしていること、それを知ること。見ること。

他人の目を越えた心境

ブランド物など、そういう性質を持ったものが小さいころはほしかった。

周りからの目がきになる。

しかし、今はどんなことをしていても全く気にならない。

それは、自分は自分だから。
自分の中に何らかの価値基準、絶対的ではないが自分が強く心のそこから思う何かがあれば他人や、外部の視線はどうでも良くなる。

外部のことすべてではないが、自分にとって興味のないこと(正確には興味のないことではないが、)

自分がどうでもいいと思う人、嫌いな人など、嫌いというよりは自分が正しくないと思う方法をとって何かをする、自分がしたいことと同じことをする人がいて、僕が負けて、他人が勝って社会一般に成功したとしても、全くうらやましくない。もちろん、絶対に負けないが。それくらいの心境にここ半年ぐらいなりつつある。

これは自分の中に何か基準みたいなものができてきたために、周りに影響されなくなったのだろうか。

October 04, 2004

自らだけが知る規範

まずは、イチローが、記録のためでもなく、他人からの
評価のためでもなく、ただ自分の内部の目的、美意識
に従って自己修練してきた結果が、あの瞬間だった
ということ。
 自らだけが知る規範に従って厳しく求道する、
というのは、野球だけではなく普遍的な倫理基準だと
思う。


「自らだけが知る規範に従って厳しく求道する」、これは僕がいつも思っていること。
自らだけが知る規範、これは僕にもある。でも、これをうまく表現する言葉がない。僕には見つからない。一つ一つの例を挙げていけばいえる。しかし、自らだけが知る規範それを抽象的に、包括的に表現する言葉がない。

さらに、「自らだけが知る規範」この言葉自体の意味が、他人に伝わっているかも僕には分からない。

「自分の内部美意識」この言葉とも似た意味である。

果たして伝わっているのだろうか?

これから、より良い表現が見つかるまでこの言葉を使おう。

己の生きる道を支える言葉

己の生きる道を支える言葉=会社でいえばこの前書いた楽天の成功のコンセプト、社訓、個人で言えば座右の名とかそんな感じだろうか。

己の生きる道を支える言葉を考えようと思う。
考えるというか、生活していく中で自然と自分が言い聞かせていることを列挙しよう。
そして、自分に言い聞かせれるようにしよう。

僕は、日本という国で生まれ育ってきた。日本的考え方、日本的文化が染み付いている。日本的文化は仏教の影響を大きく受けている。すなわち僕は生まれ、育っていく間に仏教的考え方になっていると思う。そして、この年になり自分は仏教的考え方であると言うのも実感している。(これはブッダガヤでそう確信した)最近の日本人は無宗教という人が多い。僕も昔は宗教なんてと思っていた。しかし、今は文化的仏教徒だと思う。僕が思う文化的仏教徒というのは、文化から影響され自然と仏教的考え方、仏教的作法を行っている人のことだ。

釈迦は言った。まず自分ありきだと。何かあったら自分で考え抜け。あるがままの心に従え。そして考えて答えを導き出して、行動しろと。それでも答えがなかったら法(仏陀の教え)を読み、参考にしろと。僕は自分の考えの助けとなるように「己の生きる道を支える言葉」をメモしようかなと思う。

あと、大学在学中にやりたいこともリストアップしようかな。

行きたい国はたくさんあるけど、アメリカ(シリコンバレー、ニューヨーク、ワシントン)ボリビア、ペルー、(コスタリカ)、中国、フランス

言葉、抑揚に心の本質が出る

またもイチローについて。

彼の言葉、特に映像で見た場合。
すごくズシーンとくる。

何でだろう。
やっぱり、自ら考え抜き、自らの道を持っている人間、そういう人は一語一語、そして言葉の間、抑揚、それらが普通とは違う。

普通とは違うというか、その言葉を発するまでの過程がしっかりしている。何をしゃべろうかと考えた過程のことを言っているのではない。人生そのもの、日々の生活、些細な行動、生き方、自分の道を考え抜いた結果として、コメントに重みが出ている。言葉に魂がこもっている。

これは、付け焼刃で見せ掛けだけかっこいい言葉を言ったとしても伝わらないものである。その人の人生そのものが関わってくる。イチローという人の今までの人生すべての結果として、自然とあのような言葉が出てきて、あのような間が取られ、あのような抑揚で、あのような表情が生まれるのだ。

よく聞くイチローのエピソードで、自分のグラブとかバットを非常に大切にすると聞く。グラブなどは小さいころから入念に磨き、何年も使ってきたと聞いた。

用具を大切にしたからといって、それ自体が野球をうまくするわけではない。いくら用具を大切にしても野球はうまくならない。しかし、直接的にはうまくならなくても、その用具に対する姿勢がイチローの野球に対する姿勢そのものなのだ。そしてその姿勢はすべての行動にも影響をしている。もちろん、このようなことは、彼から発せられる言葉にも影響をしている。

このようなことは彼から学ばなければならない。

頭の隅においておく。という言葉がある。
僕たちは何かを考えたときに、メモをしなかったら忘れてしまうことがある。忘れたと自分は認識していることがある。その時考えたことをそのまま引き出そうとしたら、出てこないかもしれない。しかし、一回でもそのことを考えたことによって、脳の回路は考える前とは違うはずである。すなわち、覚えていないと思った些細な思考も、脳には大きな影響を与えている。これはもちろん、発せられる言葉にも影響を与えている。こういうことの積み重ねが、発せられる言葉一語一語を決定していく。

中身のある、信念のある人から発せられる言葉はだから違う。一見するとたいしたことは言ってないかもしれない。テキストにすると、心のそこまで響いてこないかもしれない。しかし、直接話を聞いたり、表情などすべてを含めて聞くと、ガツーンと心に響く言葉を話す人がいる。それは、その人に信念があるからだろう。

信念を持った言葉を発する人というのは、同じような人を見抜けるだろう。付け焼刃でかっこいいことだけをいう人を見抜けるだろう。目の前の利益だけのために、その場しのぎのために嘘で塗り固めたことをいう人もいる。そういう人は人生も嘘で塗り固めているのだと思う。(まあ、そうやって送る人生もその人が正しいと思えば、僕にとってはどうでもいいのだが。)でも、僕はそういう人と話したいとも思わないし、同じ空間を共有するのも好きじゃない。

僕にはイチローやそれぐらいの信念を持った人ではない。まだ信念とまでいったものはないし、自分でこうしようと思っても出来ていないことがたくさんある、そんな程度の人間だ。でも、自分なりの美意識というか、自分が絶対に許せないこと、その場その場で思う、こう生きたいというものはある。いろいろな経験をし、考えることによる積み重ねで信念になっていくのではないかと思う。


そして、僕がすごく面白いと思っている方のぶろぐより引用


高貴と求道
 イチローの最初の2打席はテレビの
前で見ていた。

 言うまでもないことだが、感動した。
 二点。
 まずは、イチローが、記録のためでもなく、他人からの
評価のためでもなく、ただ自分の内部の目的、美意識
に従って自己修練してきた結果が、あの瞬間だった
ということ。
 自らだけが知る規範に従って厳しく求道する、
というのは、野球だけではなく普遍的な倫理基準だと
思う。
 そして、あのセレブレーションの気高さと美しさ。
試合途中だが、チームメートがベンチを出て、抱擁
する。
 シスラーの子孫と握手する。何の衒いもなく、
ただ、気持ちに寄り添っているだけである。
 美しかった。

 2チャン、テロ、IT企業の強欲。イチローの
あの歴史的瞬間に、人々の心の中で敗れ去ったものは
多いのではないか。

 テレビの害云々を言うえせ科学者や、
評論家は多いが、あのような
場面を見ない、ということの損失についてはどう
考えるのだろう。
 9/11テロの映像のように、見ていなくては
始まらない映像というものはあるものだ。

すこし、文章が荒いことがあるこの方だが、とても僕の視点と近い部分があるときがある。
僕も、あのイチローの打席とコメントを聞かなかったら人生の損失だと思う。

October 02, 2004

イチローという漢

今日は朝からイチローの話題で持ちきりだった。
僕もヒットを見てすごく興奮した。
彼はすごい。
自分の道がある。
その道を信じて、その道を生きている。

イチローに関するニュースはできるだけ見た。
ヒットの映像も、インタビューも。
毎回毎回、サブいぼが出た。
僕が尊敬するような精神の持ち主の話を聞いたときに感じる心の状態になった。

ニュースの中でも7時のNHKニュース。このインタービューは長かった。
普通ではカットされている部分がここではやっていた。
そのカットされていた部分が非常に良かった。
他のニュースは重要な部分を分かってない。
何度いろいろなニュース見ても、7時のニュースのコメントは放映されない。
さまざまなブログやニュース記事を検索してもかかれていない。
どうしようと思った。
そうだ、NHKのウェブニュースにないかなと思い、見に行く。
あったのだ。ぜひこれを見ていただきたい。
文章では伝わらないものがある。

このムービーから文字お越しをしました。
以下、その文章です。

イチローのコメント(NHK7時のニュース)

「はぁーぁー、ちょっと言葉には出来ない。
もう多分、少なくともこれまでの僕の野球人生の中では最高の瞬間でした。
激アツでしたね今日は。

(ここまでは普通のニュースやネットにも掲載されている。
ここから下のコメントがすばらしい。)

こういう数字ってのは時間が経ってとんでもないことだと気づくんだと、思ってますけど。この前のホームスタンドではすごくプレッシャーがありましたし、まあ胃が痛くなった程度だったじゃないですかね。やっている間にそのプレッシャーから解き放たれるというのは、不可能ですね。

よくプレッシャーがかかった中で、どうやってそこから抜け出すのかと聞かれますけど、その方法ってのはないですね。その苦しみを背負ってプレーするしかない。それを今回も強く感じました。

Qそれでもどきどきしておもしろいっておっしゃってましたよね?

イヤーもう最高ですよね。ものすごく苦しいんですけど、やっぱりどきどきする感じとかワクワクする感じ、プレッシャーがかかる感じってのはたぁまんないですからね。僕にとって。

うーん、これが勝負の世界にいる者の醍醐味ですからね。
それがない選手では、全くつまらないですから。
残りあっても10打席ですか、おそらくマックスで10打席なると思います、1球1球一打席を大事にしたいと思いますし、僕にとっては最高の野球シーズン最後をしっかりと終わらせたいとおもってます。

(ここまでが本当にすばらしい。
どうせなので、全文掲載。以下は上記の続きです)

弓子夫人もスタンドで見ていましたが?

どうでしょうね、今頃おそらく帰って晩御飯の準備をしてくれていると思いますけどね。
一番近くにいて、いろんなこと感じて、いいことも悪いことも辛いことも楽しいことも分かち合ってますからね。今晩は一緒に、一弓(愛犬)も悲しんだり喜んだりしてくれているみたいなんで、いい時間をすごせればいいと思います。

その他コメントもついでなんで掲載。

ちっちゃいことの積み重ねのみがとんでもないことを達成するためのタダ一つの道なんだなと思った。

「今シーズンはチームがなかなか勝てなかったが、その状況に身をゆだねてしまうことはできなかった。自分の中でモチベーションを『やる気』を作っていかなければいけなかった。プロは勝つことだけが目標ではないプロとしてどういうプレーをしていくのかが大切だと思っている」

日本でプロ野球でのシーズン最多ヒットとなる210本を打った1994年と比較して「あのころは若くて怖いもの知らなかった。今回の記録は怖さを乗り越え、自分の技術を確立して達成したものなのでまったく意味が違います」と分析していました。

「僕は大リーグでは体が小さいほうですが、こういう記録を作れた。これは日本人選手や日本の子どもだけでなくアメリカの子どもにも言えることだが、大きさや強さにあこがれ過ぎて可能性をつぶしてはいけない。自分の持っているものを生かした方がいいと思うし、可能性は広がると思う」

(心境は)ちょっと言葉にできません。少なくても僕の野球人生では最高の瞬間でした。
(新記録の瞬間、チームメートが祝福してくれたが)普段はなかなか言葉でコミュニケーションはできないですけど、こういうときにチームメートが熱い思いを表現してくれて、普段は感じられない言葉では分かり得ないものがあって、僕も熱くなりました。

 まずは一緒にシアトルにいる妻・弓子と一弓(愛犬)に感謝したいと思います。それから両親や友達にもお礼を言いたいです。

――記録達成への原動力は何か。
 野球が好きだということ。今季は、チームが厳しい状況で、そこから自分のモチベーションを作らなければならなかった。プロとして、勝つことだけが目的ではない。勝つことだけが目標の選手だったら、今回のようなことは無理だった。それは自分自身が自分自身に教えてくれた気がする。

――記録達成には重圧がかかったか。
 僕はやりたいと思ったことはやる。やりたいとか、やれるとか思うと、プレッシャーはかかるもの。注目を苦しいと感じることはない。注目をされないと僕らは終わってしまう。

周りがいようがいなかろうが重圧は変わらない。僕はやりたいと思ったことをやり遂げたいほう」と胸を張り、ヒットの原動力については「野球が好きだということ」

 ――自身の年間最多安打記録は破られるか。
 84年もなかったことだが、ここにやってしまった人がいる。自分がもう一度破りたい。
 ――次の目標は。
 次のヒットが目標です。 これで終わりじゃない。もちろんですよ

9月上旬に安打のペースが上がったころ、「普通にやっていれば(最多安打)記録は出来るかもしれないと思った」という。その後に1度、ペースが落ちたが、9月21日の試合で5安打。「また、可能性が出てきたと思った」と振り返った。

〜快挙達成のイチロー、一問一答(1)〜
by 丹羽政善


 1日のテキサス・レンジャーズ戦でジョージ・シスラー(ブラウンズ=現オリオールズ))の持っていたシーズン257安打というメジャー記録を84年ぶりに更新したシアトル・マリナーズのイチロー外野手。歴史的金字塔を打ち立てた試合後、その胸のうちを語った。



メジャー新記録を樹立した後、チームメートから祝福されるイチロー。(写真提供:AP/WWP)


Q:今の気持ちは。
A:(達成した)直後は、かなり熱かったですね。これまでの僕の野球人生の中では、最高に熱くなりました。(試合後にチームメートから)ビールを掛けられましてね、まさか最下位のチームで、ビールを掛けられるとは思わなかったです(笑)。

Q:257安打という数字は、いつ頃から意識し始めたのか?
A:具体的にイメージするようになったのは、当然200本越えてからですけれども、ペースが急激に上がった時がありましたよね。まあ、あの頃は「普通にやっていけばできるかもしれない」、そんな風に考えましたけれど、この前のホームスタンド(9月17日〜19日のアスレチックス戦)でなかなかヒットが出なくて、「厳しいかな」っていうふうに逆戻りして。アナハイムにいって5本、4本と(ヒットが)出た試合があったんですけれども、そのときにまた「可能性が出てきな」って思いましたね。

Q:メジャー1年目だった2001年と比較すると、今年はお互い知り尽くした状況での記録となったが。
A:2001年に残した記録とは、全く違うものだと感じています。日本で残した数字、210安打というのを良く思い出すんですけれど、1994年にやったその記録というのは、怖さを知らないで自分の力よりも大きなものが働いたシーズンだったんですね。でも、この2004年のシーズンというのは、いろんな怖さを知って、それを乗り越えて、自分の技術を確立した上で残した数字ですから、僕にとっては重みが全く違います。

Q:ヒット1本の重みとは。
A:状況によりますね。打てるぞって思うときもあるし、やたら難しいと感じるときもあるし、それはメンタル的なものも大きいです。やっぱり周りからの期待だとか、異様な雰囲気。そういうのに影響されることもありますし。常に安定した状態でっていうのは、まだまだできないですね。

Q:記録への原動力は何だったのか?
A:野球が好きだということだと思いますね。今シーズンに限って言えば、チームが勝てない状況が最初から続いて、そこに身を委ねることができなかった。自分の中からモチベーションをつくり出していかなければならなかった。ただそれっていうのは、これまでもやってきたことなんで、人が心配するほど大きな力はいらなかったんです。今シーズンここまで来て思うのは、プロとして勝つだけが目的ではないということ。これだけ負けたチームにいながら最終的にこんな素晴らしい環境の中で野球をやれているっていうことは、勝つことだけが目的の選手だったら不可能だったと思うんですよね。プロとして何を見せなくてはいけないか、自分自身が何をしたいかということを忘れずにやらなくてはいけないんだということを、自分自身が自分自身に教えてくれたような、そんな気がしています。

Q:子どもたちへのメッセージを。
A:僕がこちらに来て強く思うことは、体が大きいことにそんなに意味はないということ。ある程度の大きさっていうのはもちろん必要ですけれども、僕は見てのとおり、メジャーに入ってしまえば一番小さい部類。でも、メジャーでこういう記録を作ることができた。これは日本の野球選手、日本の子どもだけではなく、アメリカの子どももそうですけれど、自分自身の可能性を潰さないで欲しい。そういうことは強く思いますね。あまりにも、大きさに対する憧れや強さに対する憧れが強すぎて、自分の可能性を潰してしまっている人ってたくさんいると思うんですよ。そうではなくて、自分自身の持っている能力を生かすこと。それができれば、凄く可能性が広がると思います。

http://www.major.jp/news/news.php?id=2004100254

後悔という人生最大のリスクはとりたくない

楽天の三木谷浩史さんといえば、今野球で大忙しだ。
テレビなどのメディアでもよく取り上げられているので、世の中のほとんどの人が知っているだろう。

で、先日三木谷さんの話を聞いた。

今年の春も彼の話を聞いた。
そのときの話はそこまで面白くなかった。
ナルシストナ人だなと思ったぐらい。
一橋の入学式という場所だったのでつまらない話にならざるを得なかったのかもしれないが。

で、今回は前回とは違いかなり面白かった。
そこまでナルシストと印象もなかったし、
社会では三木谷さんは今あんまり良いイメージがないみたいだ。
後から野球参入を表明、ライブドアの後に仙台をホームにするなどがあるからだろう。
それとアドバイザリーメンバーがトヨタ、三井住友などのトップというのも受けが良くないだろう。

僕も、これらはどうかなと思う。
というよりも、ライブドアの方が想像も付かないオモシロイコト(常識はずれといわれそうな)をしてくれそうだから、ライブドアになってほしい。野球界にこんな転機はめったにないのだから、オモシロイコトをしてほしいから。

で、三木谷さんは野球関係でむちゃくちゃ忙しそうだった。まあ、そりゃそうなんだろうけどね。頭の中は野球でいっぱいだったっぽい。自分でもそういっていたし、話を聞いていてもそんな雰囲気が伝わってきた。僕が今回思ったのは、三木谷さんは読売じゃないかもしれないけど、誰かにそそのかされて野球参入を決めたなと。そんな感じが伝わってきた。いろいろな話を総合したり、雰囲気でそう感じた。印象的なエピソードを一つ言えば、野球のことがなかったら、今頃グーグルへ行ってカリフォルニアを満喫していたのに。みたいなことを言った。

グーグルのカフェテリアはむちゃくちゃイイらしいです。グーグルの人にカフェテリアが一番すごいからと三木谷さんは言われていたらしい。それで、楽天も社員食堂をヒルズに作るらしいよ。テキストじゃ伝わらないものってありますからね。

まあ、こんな野球の話はどうでもいいです。

三木谷さんのの話。

■ まずは会社の話。(あんま重要じゃない)

楽天はショッピングモール参入は後発だった。NTTとか大きなところが何社もやっていた。でも出店料が高かったり、システムがむずかったらしい。そこで、5万の定額で、手軽に出店できるシステムで参入した。初めは資本金2000万。サーバーも自分たちで準備したらしい。13店、850商品でのスタート。

一方今といえば、ヒルズに4000坪、1381人の社員、楽天市場の売り上げは8億円/一日。グループでは14億円/日。らしい。850万商品あるらしい。経常利益は160〜170億円。でっかくなったもんだ。

infoseek,mytrip,Ynotなどなど、買収している。そして会員を囲い込んで会員データベースを統合、single loginですべてのサービスが出来ることを目標にしているらしい。pointも全部で使えるなどone stop serviceを目指している。で、一番はrakuten booksで本を買ってほしいらしい。このためにDBの統合やpoint制度をやっているといった。本をオンラインで売るのってそんなに儲かるのか?アマゾンもそこまで儲かっているように聞かないし、うまい話ではない気がするが、何かあるのだろう。

いろんな会社を買収している楽天だが、楽天とサービスメイを変更したものとそのままのものがある。今回の野球の件で楽天と名のつくサービスはアクセス数30%アップ。しかしブランド名が買収前と同じサービスは変化ナシ。ブランドネームの重要性と、名前の統一の意義を感じたそうだ。ライブドアもアクセスがアップしたというニュースが出ていたしな。名前を売るって重要だよな。


■ 日本のうまくいかない企業
・Agency Cost
株主、経営者、従業員の利益が相反関係にある。だから、どれかが常に不利益をこうむることになる。いかに3者の利益を同じ方向に向けるかが重要。(ストックオプション、オーナス経常利益連動など)

・既得利益
制度・規制に守られた企業→将来性や、エキサイトメントなし

・いきすぎた年功序列
→若い優秀な人材ではなく、昔からの社員優遇

・産業の陳腐化
→IT化の流れに遅れ、将来性ナシ

彼、曰くこんな企業はもうだめ。

興銀のシステム開発料は3000億円、新生銀行は10億とか言ってた。新生の情報センターみたいなところにはデルが大量に並んでいたみたいです。

楽天も普通500億ぐらいかかるシステムを50億でやったらしい。

■ 三木谷的ベンチャー論

・草ベンチャー(パン屋とか、小さなお店。小さなままの会社。アメリカではstreet businessというらしい)←これがいいとか悪いという話ではない。個人のやりたいこととマッチしていればすばらしいこと。

・幹となるベンチャー(雇用を創出し、社会を変える企業。マイクロソフト、オラクル、シスコなどなど・Professional Venture)

どれくらいの会社にしたいかは、あらかじめ決めておくべきである。

ヒッピー的にやりたいことをやるのは無理。プロフェッショナル意識を持って自由にやる。

環境や予見を決め付けて、人間は壁を作ることが多い。初めから無理と決め付けない。何かを変えて達成できないかを考える。たとえば、予算を増やして時間短縮など。

通常の会社は12ヶ月かかる仕事。ベンチャーは通常の会社ではない。だから何とかして時間を短縮してやるのだ。

■ 楽天の目指す企業像

・できる人間が切磋琢磨するビジネス界のメジャーリーグ
・アントレプレナーマインドあふれる創造的集団
・ゴールオリエンティッドなプライドの高い集団
・仕事のできる人間になれる最高の職場
・フェアなリターンが得られるプラットフォーム

勝たないと意味がない。会社・人生は面白くなきゃ意味がない。
決してあきらめない。常に前に進む。

■ 必要なもの

・スキル
・ナレッジ
・マインド(目標達成意欲、自己成長意欲、CSマインド、プロフィットマインド、チャレンジマインド)

変な細かな知識は後で勉強すればどうにでもなる。マインドが最も重要。
まずはいろいろな経験をたくさん積み、精神的に強くなる。これが一番大切。

コミュニケーション能力も大切。

■ エピソード
・消費者は100円、200円ぐらい値段が違ってもあまり気にしない。
・会社設立に作ったロゴ、明朝体で楽天市場=5万円。現在のゴシックロゴ=250万円。世界進出のローマ字のロゴ=7000万円。
・会社を始めて一番の決断は、出店料を定額5万円から5万円プラス売り上げに応じての課金に変えたとき。このときは悩んだがそうしないとサービス継続は無理だった。出店数が10店になってもやる不退転の決意だった。
・楽天市場という名前は純日本的でITッぽくなく反対された。しかし反対されるとやりたくなる。みんなと同じことはやりたくない。だからよけい楽天市場という名前にしたくなった。

■ 印象に残った言葉
・会社を成長させるポイントは「大きな目標をたて、それを社員、メディアなどに言い続けること」
・変な細かな知識は後で勉強すればどうにでもなる。マインドが最も重要。
 まずはいろいろな経験をたくさん積み、精神的に強くなる。これが一番大切。
・会社はつぶれても死なない。それに、人間はいつかは死ぬ。地位や金はそこまで重要じゃない。
「後悔という人生最大のリスクはとりたくない」
・直感で意思決定することが多い。その後根拠付けを行いビジネスプランニング。
・直感で間違ったらすぐやめる。
・花形セクションに初めから入ると成功しない。地味なセクションでも学ぶことは多く、腐らずに自ら改善点探し、腐らずにまじめにやる。これは後々大きなプラスになる。

以下は楽天を楽天たらしめている、三木谷浩史を三木谷浩史たらしめている考え。

成功のコンセプト
by三木谷浩史

■楽天の目標

世界一のインターネット・サービス企業

■楽天における5つのコンセプト

1)常に改善、常に前進
人間には2つのタイプしかいない。

【GET THINGS DONE】
様々な手段をこらして何が何でも物事を達成する人間

【BEST EFFORT BASIS】
現状に満足し、ここまでやったからと自分自身に言い訳する人間。
一人一人が物事を達成する強い意志をもつことが重要。

2)Professionalismの徹底
楽天はプロ意識を持ったビジネス集団である。
勝つために人の100倍考え、自己管理の下に成長していこうとする姿勢が必要。

3)仮説→実行→検証→仕組化
仕事を進める上では具体的なアクション・プランを立てることが大切。

4)顧客満足の最大化
楽天はあくまでも「サービス会社」である。
傲慢にならず、常に誇りを持って「顧客満足度を高める」ことを念頭に置く。

5)スピード!!スピード!!スピード!!
重要なのは他社が1年かかることを1ヶ月でやり遂げるスピード。
勝負はこの2〜3年で分かれる。

September 28, 2004

モラトリアム

大学=モラトリアムではなくなったと最近言われる。
実学を学ぶ場だと。

でも、なんか違うように感じる。
僕はモラトリアムでOKだと思う。
モラトリアムであるべきである、そのくらいで思っている。

なぜかといえば、まあ、たとえば例を挙げよう。

高校まで田舎で育った人、特に地方の進学校なんかに行っちゃってた人。
これを想定してほしい。
こんな人は、小学校、中学校ではいわゆる優等生と言われていただろう。
進学校(高校)にいけたのだから。
そんな人たちは、小学校・中学校時代はいい子といわれて悪いこともあんまりしていないだろうし、
親の言うことを素直に聞いて生活してきたと思われる。
そして、高校に入ればいわゆるイイ大学にはいることがいかにもすばらしいことかのように先生を含め、周りに洗脳され、英単語を覚え、数学をひたすらとき、意味不明な古典を一生懸命、奥にある学ぶ理由や、数学の理論の本質なんか考えることなく、問題だけ解けるように頑張ってきただろう。

そんな人たちが、いわゆるイイ大学に合格し、地方を離れる。
なにも知らない田舎モノの18歳が東京なんていう、世界でも一、二を争う大都市、そして狂った町に来てしまう。初めての一人暮らしで、浮かれちゃっている。それで、一人暮らしになれ、サークルでは大学といったらテニスなんて思っちゃってテニスサークルに入っちゃって、ラケットだ、合宿費用だと金がかかる。ああ、バイトしないととバイトとサークル活動に明け暮れる。時は経ち、いつの間にか3年生。就職活動。どうしよう。将来何になろう。ああ。何も考えてない。って感じの人がケッコウいると思う。

これは実学を実践しているとは言いがたい、
僕が思うにモラトリアムって感じでもない。

で、こんな状況で将来どうなりたいとか考えているか?そんな時間ない。
最近の学生は一人でいる時間が少ないように感じる。
一人の時間がなければ、何も考えられない。
それに、友達と将来についてや、生きるとは、人生とはってことをあまり話さないらしい。
サークルに入っている人は、飲み会ではずーっとコールがかっているかゲームをしているようだ。

まったり、飲みながらいろいろ語らうということはないのだろうか。
僕は語らいながらの酒以外ほとんどありえない。

そこ語らいによって気づかされることもかなり多いはずだ。


で、田舎から出てきた新入生は社会のことなんて何も知らない。
社会とはかけ離れたところで、受験勉強をして、
社会で生きていくために必要なことは親が全部やってきた。

そこで、思う。
大学に入ってこれがやりたい。これしかない。
一生これをやる。こうなりたい。と決まっている人はそれをやってくれていい。
しかし、今あげたような人生を歩んで、大学に入った人は、
そんな自分の将来像なんて持っているはずない。
持っていたとしたら、親に刷り込まれたものか、何かだろう。

で、長々と書いてきたけれども、言いたいことはこれだけ。
自分の将来を高校までの生活では決められるはずがない。
だから、大学時代は4年間でいろいろな経験をしろ。
何か一つに特化してやり続けるのもイイが、
つまみ食いといわれてもイイから、できるだけジャンルを問わずできることをする。
大学生という特権(学生兼大人)を生かして、活動するべきだ。
そして、いろいろなことをして自分の好きなことを見つけ出せばイイ。
いろいろなことを経験したり、いろいろな社会人と話したり、異文化の生活を知ったりしていくうちに、いろいろ考え何か見つかるだろう。

大学時代は、こんな感じで何でも経験するべきではないかと思うのです。
これが僕の言うところのモラトリアムです。はい。

August 12, 2004

答えのないことを考えるということ

「答えのないこと」これは世の中に多く存在すると思われる。

「答えのあること」これも世の中にたくさん存在すると思われる。


さあ、ホントだろうか?
答えのないと思っているものには答えがある、
答えのあると思っているものには答えがない。
なんてことも、多くありそう。

答えがないことと分かった時点で答えがないという答えがあるのかも、
よく言われる話の流れだ。

じゃあ、そもそも答えって何だ?
「答え」:大辞泉

1 呼びかけや問いに対して言葉で応じること。返事。返答。
2 問題・設問などを解いて出される結果。解答

なんか違うな。
辞書の答えとは、僕が使っている答えの意味が違う。
答えという意味に、正解という意味と、
正解という意味よりもその範囲が広い、
曖昧なイメージがある。

答えのないことに対する答えを、
どこから、どこまでとするか。
これは難しい。
答えは無数にあって、
一つもない。
なんか狐につままれたような話だ。

何が言いたいのか分からなくなってきた。


答えのないと思われるものを考えようとするのは、
答えと出すという喜びよりも、
答えがない、答えが出ない、
終わりがない。
すなわち、終わりというものから逃げているのかも知れない。

終わりのあるものと、
終わりのないもの、
その終わりというもの、
これをいろいろなもので調節していきているのかもしれない。
人間は究極的に、
この2つの違いを作り出して、
バランスをとり、いきているのだろう。


ああ、話は違うけど、
引き際と、引継ぎ(後継者育成)は大切だけど、
一番難しい問題ですね。

August 10, 2004

花火


岐阜の花火に行った。
えっと、日曜日だから8日かなぁ。
普通岐阜の花火は土曜日に行われるが、
雨で日曜日になった。

土曜日に行った人にとっては、
くそーって感じだったと思うけど、
日曜日の朝岐阜についた俺としては、
ありがたかった。

いやー、土手のところで見たんですけど、
すごいですよ。
音、地響き、花火、火薬のにおい、
すべてを感じた。
花火が自分に攻めてくる。
こんな感じ。
手で花火を取れそうな感じ。
花火の火薬が空に飛んでいくのが目で見える。
うーん。たまらん。

富士山にしろ、花火にしろ、
いやはやいいものを見ています。


花火のたまになって、空に飛んでみたいぐらいの気持ちです。
飛行機から見てもきれいだろうなぁ。
いやー、岐阜の花火は世界一です。


August 04, 2004

時間が楽しさを辛さに変える

現在の楽しい時間や楽しいことってのは将来は思い出になる=懐かしく、寂しくなる

という悲しい話。
辛いモンです。

でも、そんなこといっていたら何も出来ない。
思い出にすがっていても、いきていけない。
そうなんですよね。

今を楽しむしかない。
今を楽しもう。

ディベートの全国大会の後、帰りの電車で
某氏と2人で話した。
いやあ、我々は悲しい性格を持った人だと。
そう思ってしまう、自分たちの性格が悲しいという本質。

August 03, 2004

人に話す

人に話していることは、自分に言い聞かせていることだったり、
人のことについて話しているつもりで、自分についていってます。

まあ、使っている頭が自分だから当たり前なんですけど。

August 01, 2004

自然と正座になる

なんか、真剣に文を読むとき、
というか、文章を少し読み「おぉ」っと思ったとき、
なぜか、自然と足を組み替えた。
正座になった。

自分が無意識のうちに正座にしたらしい。
そして、その行動の結果(正座をするという行為)に気づいた。
なんか、まじめにやろうとか、真剣に読もうと思うとき、
自然と正座になるらしい。

ふと思い出してみると、小学生のころに親に言われたかも。
なんか、面白いテレビは正座で見るねと。
真剣に何かをしようとするときは、正座になる。
なんか、正座をすると身が引き締まる。
気分が引き締まるからだろう。

なんで、引き締まるかは知らないが。
まあ、なぜかは大いに気になることだ。

July 24, 2004

脳というフラジャイルなテクノロジ


ハードディスクのバックアップが必要と知っていて、
バックアップを取らない、自分についての分析から、
このような答えを導きだした、茂木健一郎さんの脳の構造が好きだ。
実に面白いし、このような発想が大好きだ。
発想ではなく、人間が論理的に考えた結果なのかも知れないが。


私と言う現象自体が、
そもそも脳という極めてフラジャイルなテクノロジーによって
支えられているから、その究極の状況の下で、世界の中で私に
関するもの全ては、フラジャイルにならざるを得ないのだ、
それで仕方がないのだ

http://www.qualia-manifesto.com/qualiadiary/qualiadiary1.txt

adidas

「不可能」とは、自らの力で世界を切り開くことを放棄した、臆病者の言葉だ。「不可能」とは、現状に甘んじるための言い訳に過ぎない。「不可能」とは、事実ですらなく、単なる先入観だ。「不可能」とは、誰かに決め付けられることではない。「不可能」とは、通過点だ。「不可能」とは、可能性だ。「不可能」なんて、ありえない。

IMPOSSIBLE IS NOTHING

ちょっとまえのアディダスの広告です。
モハメドアリがのってる奴。

July 19, 2004

一人暮らし

NHKのマンガ?アニメ?そんな感じのやつ。
アガサクリスティがどうのこうのっていう、
日曜日7:30ぐらいからの番組

その、番組で気になったこと、

一人暮らしで重要なこと

何が在ろうと、食事を取る
未来をあきらめないこと

一人でいると、つらいときもある。
未来をあきらめない、これ重要。
それに、体が資本。
食事もしっかり。
食事を取れば力もわいてくる。

July 12, 2004

2つ

時間は止まらない、2つ日間考えた答えです。

世間知らずだった少年時代から
自分だけを信じてきたけど
心有る人の支えの中で
何とか生きてる現在の僕で
Mr.Children Everything(It's you)

そんな気持ちです。
みなさん、ありがとう。

July 05, 2004

芸術とはしゃべることだ!

芸術とは何か?
答えなんてないと思います。
もし、あるとすれば、今あなたが思ったことです。

例えば、アリストテレスは芸術をこのように言っています。
「アートとは人に見せたくなるものの事を言う」byアリストテレス

先日も書きましたが、今「千住博の美術の授業 絵を描く悦び」を読んでしりました。
(まだ読みかけ)

それで、芸術とか人間の体の奥底から湧き出てくる表現したい欲求について考えました。
この本は、そこまでぼくにとって新しい考えは書いてなかった。
もちろん、何が言いたいのか矛盾しているのでは?というところもいくつかあった。
しかし、ふんわりと思っていること、たまには下手な文章でブログに書いたことが、
きれいな表現で書かれていた。
だから、自分の頭を整理して、その考えを再認識して、
さらに深く考えるきっかけをくれた。
とても、この本に感謝しているし、読みがいのある本だと思う。

話を戻そう、アリストテレスの言葉
「アートとは人に見せたくなるものの事を言う」
これははじめて知ったし、このように考えたことはなかった。
だからすごく新鮮だった。

この言葉が書かれていた後に、
以下のような趣旨のことが書かれている。

本来芸術とは「伝えたい心」
これを見てくれ、感じてくれ、という強い思い。
そして、そのホットな思いをそっくりそのまま作品にすること。

そこで僕は思った。
というか、思い出した。
とある知り合いのアーティストに「何で、作品を作るの?」と聞いた。
すると彼は「表現せざるをえない」
「体の奥底から描きたい、作りたいという欲求が生まれ、
作品を作らないと、つらい」という内容を語ってくれた。
そのときは、スゴイ気持ちから作品が作られるのだなぁと思った。

しかし、今日、本を読んで気がついた。
僕が、話すこと、ブログを書くこと、メッセの名前を変えること、旅に出ること、これも根本的に同じだと。
アリストテレスの言う、芸術だと思った。
もっと、言ってしまえば、生きていることは芸術だ。
人生は芸術の塊なのだ。
その代わり、自分の人生を生きている人に限る。
他人の人生を生きている人の人生は芸術ではない。
さらに言ってしまえば、死ぬことも芸術なんだろうと感じた。
この部分に関してはちょっと曖昧だけど。


体の奥底から、表現したい、書きたい、伝えたいと思う。
だから、書く。そして話す。
毎日ブログを書いてスゴイとかいわれるときがあるけど、
(長くて読みにくいという批判もよく頂戴するが。。。)
それは違う。好きで書いているのだ。
もっと言うと、書かずにはいられない。

さらに、言うと僕は前から、
ブログに書く文章は読み直して修正したり、
推敲しないといい続けている。
そして、実際にしていない。
これが言いか悪いかは別として、
あふれ出してくる、思い、そして言葉をそのまま書く、
そのままを、ありのままをぶつける。
これにこそ意味がある。
そのとき思った、気持ちをできるだけ直接伝えたい、
何らかのフィルターを入れたくない、
という気持ちが強いのだ。

読みやすく、きれいな言葉でとか句読点がとか、
これも確かに重要である。
しかし、そのような形ばかりにとらわれていると、
僕の伝えたいことは伝わらないと思う。

形にこだわると、僕の思いの半分も伝わらない。
形には待った文章には、感動や臨場感はない。
だってそうだろう、新聞のような型にはまった文章で感動するか?
するはずがない。

面白いから、ワクワクするから、心が躍る、チャクラが震えるから、
このように表現しないとどうにもならない、気持ちがあるから、
文章を書くのだ、話すのだ、歌うのだ。
書きたくないものなんて書いてもつまらない。
書いている僕もつまらないし、読んでいる方もつまらない。
以前僕は、広告のクリック単価を上げるために、
サラ金の単語をエントリーにちりばめたことがアル。
たしかに、クリック単価はカナリ上がった。
しかし、書いていて面白くなかった。
次また書きたいと思えなかった。
だから、すぐ書かなくなった。
このようなエントリーは間違っていたのだ。
もっともベースとなる、思い、情熱のようなものがないと、
面白いもの、相手に本当に伝わるものはできない。
それが、しっかりしている人、これを「信念のある人」、
というのかもしれない。


偶然とは重なるもので、この本と出合い、
そして今日、すばらしい写真とであった。
偶然、友達が見つけた。
そして、隣からその写真をみて僕も衝撃を受けた。
なんと言っていいのか分からないが、
その写真に吸い込まれていった。

これについては、書くとカナリ長くなるので別のエントリーで書くことにする。
ホントに書くのか?
と思う人がいるかもしれないが、書くと思います。
だって、その写真に関する更なる大きい衝撃が、近いうちにありますから。

それで、思った。
今までの、経験を通して少し分かった気がする。
写真が好きだ、音が好きだ。

前から、写真をみてすごくテンションがあがったことがある。
それは、有名人が取った写真じゃなくても、
純粋に感動していた。
結局写真がすきなのだと。
たぶん、絵よりも好きだと思います。
まあ、今までにそれほどの絵に出合ってないだけなのかもしれませんが。

あと、高くて澄み切った音が好きだ。
ピアノ、サックス、篳篥、バイオリンなどの音が好きだからだ。
このような音、楽曲を聴いていると心地よい。


なんか、最終的に何が言いたいのか分からない文章でしたけど、
しゃべることもブログを書くことも芸術なんだと、そういう認識が僕の中で生まれたと。
それは衝撃だったと。

この本はまだ読みかけなので、
読み終わってから、再度自分で考え直したいと思います。
気が向いたら再エントリーします。

千住博の美術の授業 絵を描く悦び
千住 博

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July 02, 2004

世の中小さいと思うということは自分が小さいということ

「世の中を小さいと思うということは、自分が小さいということ」

「世の中小さいなと思った直後、自分が小さいんだと気がついた。」

さっき、ふと世の中小さいと思った。
それは、ばらばらなところで知っていたA君とB君、
彼らは実は友達だったとか。

ネットをやっていて、今日会って聞いたことが、
違う人の人のブログで紹介されていたり。

そういうような話からふと思いました。
世の中小さいな。
世間って狭いな。
この言葉は、人の口からたまに聞きます。
僕もそう思うときがあります。

しかし、これは本当なのだろうか?
と思った。
その瞬間、世の中が小さいのではなく、
僕が小さいのだと気がついた。

6人の友達をたどれば、世界中が知り合いとか言うが、
そう考えると小さい感じもするが。
いや違う。

僕が生きているコミュニティが小さくて、
ごく一部で、
狭くて、新しいところに出て行こうとしていない、
既存のところでぬくぬくしているから、
知った人同士が多く、
狭く勘違いしているのだ。

自分の行動範囲が狭かったり、
自分が新たなアクションを起こさないから狭く感じるのだ。

自分が小さいから世間が狭いとかあほなことを思っていたんだと反省。


全く関係ないけど、自分の町内も知らないし、
県もしらないし、さらには日本も知らない、
ましてや、その文化も知らない、
さらに言えば、世界はもっと広いし、
知らないことだらけ何ですよ。
狭いはずがありません。
少なくとも、相対的に僕みたいな小さい人間が、
世の中狭いと思えるようなものではありません。

タダそれだけです。

July 01, 2004

エグイものを求める

なんか、昨日の日経に、
最近、多くの人がよりえぐいものを求めるらしい。

というのも、同じ健康に良い黒酢なら、
砂糖とか入っていない一番すっぱいのが最も売れているらしい。

まあ、僕もえぐいのが嫌いじゃないのでなんとなく分かります。
とはいっても、勘違いしている人がいる。

タダエグイのが好きか?
そうではない。

えぐいことをしていると楽しいってのはありますけど、
えぐさにも種類がある。

それを間違えると、エグサを売りにしても売れない。
ポイントは、「エグイけど心地よい」ということ。

このように書くと変態か?と思われるかもしれないんですけど、
そんなんじゃないです。
まじめに言っています。

たとえば、満員電車はエグイ。
じゃあ、あれは心地よいか?
心地よくないです。

エグイけれどもすんなりと受け入れられるもの。
もしくはそのエグサを上回る効果・メリットがないとダメなんです。

外国で2日ぐらい電車に乗り続ける。
これはエグイ。
日本の電車とは比べ物にならないくらいぼろいし。
じゃあ、なぜ、飛行機で移動しないのか?
そこにはえぐさと伴に、心地よさと効果があるから。

知らない人とのトーク、
地元の生活を知ることができる、
飛行機よりも安い、
さらにこの経験はめったに経験できない。

このようなことがあるから、エグくても受け入れられると。

まあ、商品を売るときはえぐさと伴に、受け入れられる心地よさ・メリットがあるかを気にしないとなぁと言うことでした。

相変わらず意味不明でしたね。


June 24, 2004

孫正義にメッセージをもらう!!

今日はソフトバンクの株主総会に行ってきた。
株主総会は昨年のソニーに続いて2回目。
10時に東京国際フォーラムであった。
定刻よりも少し早めにつく。
ホールAに。
すぐいでっかいホールだった。
6割ぐらい埋まっていただろうか。

前の方から席は埋まっていたが、
どうせならできるだけ前で聞きたい。
ということで、前の席を探す。
5列目ぐらいに座る。

すると、孫さんとかが左脇からぞろぞろ出てきて、
株主総会開始。
なんと、ユニクロ社長柳井正さん、慶應の村井純、
Yahooの社長井上さんが取締役として座ってる。
超豪華メンバー。

それは、いいとして株主総会っぽく殺伐と始まる。
淡々とすすむ。
孫さんはすごい情熱的な男だと思ってて、
もっと魂の入った話し方をするかと思った。
でも、まあ株主総会ですからねぇ。
で、いろいろ議案について説明をうける。
その後、全部承認。
質疑が少しあった。
で、1時間30分ぐらいで終わったかな。
正直、株主総会に興味はありません。

ソニーのときも株主総会の後の株主懇親会が面白かった。
けっこう、身近な感じで話が聞けるし、
議案に関係ない質問もバンバンできる。
で、総会と報告会の間に休憩10分。
そのときに帰る人がいる。
チャンス!とばかりに最前列に行く。

やった、孫さんの目の前だ。
ミーハーです。
で、はじめに孫さんの話が。
ソニーのときは担当役員が話を交代でしたけど、
ソフトバンクは孫さんだけしか話さない。
これも企業カラーの違いだ。

孫さんは語った。
それは、情報流出後の記者会見でのエピソードだった。
記者から、責任をとって社長を辞めないか?
と、とわれたらしい。
孫さんは、それも責任の取り方かもしれない。
しかし、私は必ずブロードバンド革命を成し遂げる。
道半ばで終わることはできない。
これが私の責務である
コレが、本心だ。

と語った。
その語りには魂がこもっていた。
僕にはズカーンとこころに来た。
最近、涙をすることがなかった。
それに、今まではよっぽどのことがない限り、涙はしなかった。
しかし、なぜかこの言葉を聴いたときに涙が一筋出た。
それだけの衝撃だった。

その後、彼は19歳のときに立てたライフプランを語った。
19歳で事業を起こし、バイト2人の3人の時に決意したことだ。
事業家としてのライフプラン50年。
コレらを聞いたとき、堀さんの吾人の任務を思い出した。

20代
自分の事業を起こす分野で名乗りを上げる
30代
軍資金をためる1000億、2000億の単位
40代
自分の事業分野でひと勝負する。売り上げ1兆円、2兆円単位
50代
ビジネスモデルを完成させる
60代
後継者にバトンタッチ。後継者育成。(利益で1兆円、2兆円)

今は40代で売り上げ1兆円を達成できた。
今までは目標を達成してきた。
しかし、まだ道半ばだ。
あと20年走り続ける。

この言葉にも感銘を受けた。
かれはスゴイ。
前々から、今の企業家の中で孫さんだけは、
ずば抜けてる感があった。
本当にブロードバンドに意義を感じ、
そのためにすべてをささげる気持ちがある。
そして、その達成のためにひたすら走り続ける。
軸がぶれない、信念が伝わってきていた。
実際に話を聞いて、それが伝わってきた。

その後も、いくつかの質問があったが、ぼけたような内容もいくつか。
ふと、僕が質問をしたくなった。
孫さんに話すチャンスなんてない。
話さずに、メッセージをもらわずに帰れるかと思った。
孫さんが若いときに、マクドナルドの藤田さんに話を聞きに言ったのと同じように、
次は孫さんに僕が、メッセージをもらうぐらいの気持ちだった。
って、これは甚だ勘違いしすぎなわけですが。。。

それはいいとして、質問しようと思い手を上げる。
しかし、何人か手を上げていて指名されない。
すると、時間もトータルで4時間が過ぎ、
質問はあと2人と孫さんが言った。
まずい。
このまま帰れるか。
何かをせずに後悔するくらいなら、
行動して失敗して後悔した方がいい。
走ってこけた奴を批判する奴がいるが、
走らずにこけなかった奴の方がかっこ悪い。
さらに、そんなんじゃ自分が納得できない。

で、あと二人。
最前列で手をあげていたが、
女性が質問をしていなかったので、
女性が指名された。
まずい。
あと一人だ。
確率的にはカナリ低い。
どうする。
そうだ、目立とう。
そうすれば孫さんがこっちを向くだろう。
ということで、手を上げると同時に「はいっ」と声を出した。

声を出して手を上げたのは、小学校以来だろうか。
で、この作戦が功を奏した。
孫さんが、俺の方を向き指名してくれた。
よっし。
チャンスをもらった。

そこで、僕が最後の質問者となったわけだ。
そこで、僕の質問が始まる。
実は、質問なんてどうでも良かった。
僕は、孫さんからメッセージが欲しかった。

「孫さんの19歳の時に決意されたライフプラン、
およびブロードバンド革命に対する思い・情熱に、
非常に感銘いたしました。
僕は今、学生ですが20年後には現在の孫さんを越えるような企業家に
なります。見ていてください。

質問内容はソフトバンクBBが3000人採用されますが、
どのような人材をもとめ、
今までにない新卒者をどのように教育していくのでしょうか?
また、場違いかとは思いますが、
これからの世界を作っていく若者にメッセージをいただけないでしょうか?」

これが、質問内容です。
関係ないことを、言ったが受けは良かった。
質問途中に会場から拍手が起こった。

で、孫さんの回答
「ソフトバンクの理念に共感できる人を求める。
理念を共感できる能力の高い人たちと共に働きたい。

志で人生の価値観は決まる。
熱い志を持って生きていって欲しい。」

といわれました。
「熱い志」です。
熱い志を持ち続けて生きて生きたい。

June 14, 2004

滝に打たれる

夏は滝に打たれてくるかもしれません。 さらに、坐禅を組んで。 って、友達数人が山にこもって勉強をしたいらしい。 で、それだけでは面白くないということで、 滝に打たれ、 坐禅を組むらしい。 一回、こういう修行みたいなことをやってみたかったので、 僕も参戦予定です。 問題は、その後にインドへ一人で行ったら、 なんか、仏教とかに目覚めてしまい、 出家するとか? まあ、ないと思うんですけどねぇ。 テラタウン理論の一つに、 何か(精神的なもの)を期待して、 ある行動を行った場合は、 精神的な成長、インパクトは弱いと。 ようは、 あらかじめ、人生について考えれるとか、 精神的に成長できる、 と期待しすぎて、修行をした場合、 期待が大きすぎて、実際に自分の心へのインパクトは少ない。 さらに、短期的に精神的成長できると、 目先のことばかり考えていて、 本質的に何が重要かを見失っている。 そんな、人が精神的に成長(何か解決)できるはずがないと。 ということで、もっと想像もしていない 偶然性の高いところで、ハット気がつかせられるんですよね。 そっちのほうがインパクトが強い。 計画性の期待のない、 短期的な利益を考えていないからこそ、 純粋に感じれる部分があると。 あとは、インパクトのあることの積み重ねですよね。 一回で何かが変わるってことはまれですから。 と、相変わらず話がそれました。

滝に打たれる?

夏は滝に打たれてくるかもしれません。

さらに、坐禅を組んで。

って、友達数人が山にこもって勉強をしたいらしい。
で、それだけでは面白くないということで、
滝に打たれ、
坐禅を組むらしい。

一回、こういう修行みたいなことをやってみたかったので、
僕も参戦予定です。

問題は、その後にインドへ一人で行ったら、
なんか、仏教とかに目覚めてしまい、
出家するとか?

まあ、ないと思うんですけどねぇ。
テラタウン理論の一つに、
何か(精神的なもの)を期待して、
ある行動を行った場合は、
精神的な成長、インパクトは弱いと。

ようは、
あらかじめ、人生について考えれるとか、
精神的に成長できる、
と期待しすぎて、修行をした場合、
期待が大きすぎて、実際に自分の心へのインパクトは少ない。

さらに、短期的に精神的成長できると、
目先のことばかり考えていて、
本質的に何が重要かを見失っている。
そんな、人が精神的に成長(何か解決)できるはずがないと。

ということで、もっと想像もしていない
偶然性の高いところで、ハット気がつかせられるんですよね。
そっちのほうがインパクトが強い。
計画性の期待のない、
短期的な利益を考えていないからこそ、
純粋に感じれる部分があると。

あとは、インパクトのあることの積み重ねですよね。
一回で何かが変わるってことはまれですから。

と、相変わらず話がそれました。

June 13, 2004

まったり

今日は以前のエントリーで書いた友人と二人で酒。

彼は、いい居酒屋を知っている。
食通なだけある。

神田の「みますや」という、創業明治39年の居酒屋へ。
独特の雰囲気。
木の古びた引き戸。

中に入ると、お相撲さんもいる。
土佐の海だったみたい。

料理も、ホントいい。
落ち着く料理である。

今回は、あまり語らなかった。
まったりのみ、なんかたわいもないことを話していた。

その後、歩いて上野へ。
「いこい」という居酒屋へ。

立ち飲みのカウンターがあり、
おくには、木の棒が椅子代わりになっている席が。
うーん、今日行った2件は
上野のガード下の店の雰囲気とも、ゴールデン街の雰囲気とも、
もちろん、ワタミとかのチェーン店とも違った雰囲気。

昔からある、居酒屋。


絶対、大学生や若者がいない店に行きましょう。
はまりますよ。

June 12, 2004

ケーナを購入

また、意味不明と思われるかもしれないが、
ケーナというペルーとかボリビアあたりの
アンデス音楽で使われる楽器をネットで購入。
コンドルは飛んでゆくで使われた楽器というと馴染み深いかもしれない。

何でかっていうと、新宿の駅前でラテン系というか、
アンデス系というか、独特の曲を演奏している人たちがいた。
バルセロナの夜、町の広場で演奏していたのを思いだいした。
それも、南米の人たちの演奏だった。
彼らはなんていっても楽しそう。
さらに、リズムと歌声がいい。
すごい、いい歌声だ。

自分の感性にぴったり合った。
で、ずっと駅前で演奏を聴いていたわけです。
で、どしてもCDが欲しくなり。
購入したいところだが、
3000円と高い。
みんな3000円で買っていくが、
言い値では買えないだろう。
ってことで、彼らの休憩の時間まで演奏を聴いていて、
話しかける。
昼真っからビールを飲んでるから、
彼らは陽気だ。
で、2000円で買おうと思うが、
ココまで演奏を聞かせてもらったからとおもい2500円で
というと、すんなりOK。
2000円で買えたなと思いながらも、
500円は生演奏を聞かせてもらった代金と、
自分を納得させました。

で、気になった楽器があったのでたずねる。
それはケーナというらしい。
聞いたことはあったが、
こんな楽器とはしらなかった。

で、欲しくなりネットで検索したら安かったので購入したわけです。
難しそうだけど、練習してみよう。

ホントにわくわくする。
こういうときの自分ってほとんど小学生とかのころの気持ちだなぁ。
一生、こんな気持ちを持ち続けていたいです。

人生で、手軽に演奏できる楽器が一つあると
日々の生活が楽しくなるのではないかと思う。

前々から、篳篥をやるといっていたが、
そっちはちょっと保留でケーナをやってみます。

両方とも管楽器っていうんですかね?
笛っぽい楽器の音色がどうも好きみたいです。
澄み切った音でキレイですから。

June 07, 2004

梅田さんの話

2004/05/29@恵比寿 ビジネスタワーsalesforce.comJapan

CNET 梅田さん

成功のヒント

・好きなこと、楽しめることだけが長く続く
・自分に何が向いているかを見極めたうえで職業選択をする
・見晴らしのよい場所を選ぶ(vantage point)→以前のエントリ
 →新しいものを知れる、刺激のある人と出会える
・組織に属したら主流を歩むこと
 →経験できる質が違う、気に入らなくなったらやめればいい
・組織から得ていること、組織に与えていることをいつも天秤にかける
 →得ていることが少なくなれば、やめるなりする
・会社を興したくても、借金だけは容易にしない
・チームで働けて、社内外にネットワークを持っていれば何とかなる
 →個人ですごいよりもチームで働けるほうがよい

vantage point
ああ、ここがいいなと思う心
リーディング・エンジンに沿っているか
有名企業にはブランド、ネームバリューで人が集まってくるから、それなりの人が来るのは事実

優秀だ、頭がいい、よく働くだけではコモディティ
 →人生の成功と相関はあまりない、

敏感なセンサーがあり、サバイブしていける奴が強い
センサーを信じて行動
人生に「戦略」がなければサバイブできない

今の状況はうまくいかなくなるかもしれないと、考えておくこと。

サバイブするポイント
・感度のよいセンサーが必要
・データ収集
・Actionする

どの単位でサバイブするか?(どれでもいいが意識的に考える。)

個人
会社など
どの単位でサバイバルを考えるのが最も合理的か?

世の中の変化を自分のものとしてとらえ、人より少し早めに、変化に気がつき動く。
→コレ最強

アンチ・グローブ(intel)

Only the Paranoid Survive
Sooner or later,
something fundamentak in your business world will change.
センシティビティがないと成功できない。
常に、おびえるほどの感覚(コレがよいか悪いかという話ではなく)

June 04, 2004

実は25歳

血管年齢に置き換えれば25歳です。
老化進行度が早く、血管弾力性が平均よりもやや低下している。

とか、診断されました。
診断する前から、
実際の年齢よりは
血管年齢が年をとっていることは想像がついた。

でも、実際に数字が出ると、、、
ヘコム。

こうやって、へこませて健康食品を売る商売でなら、
全く気にならないが、
公の機関がやっている
純粋に診断のみで、
この結果。

食生活を変えよう、
規則正しい生活をしよう、
適度な運動をしよう、

と、理想を書いてみました。

最近、こんなんがはやってるらしいので、
やってみよっかな。
女の人向けのサービスっぽいのが微妙ですけど。
90日間ダイエットダイアリー

June 03, 2004

お経

□宗教とは
絶対的なものを信仰、体得することにより、自分自身の中に永遠なる希望と光明と心の安らぎを見出してゆく教えを「宗教」と申します。

□仏教とは
釈尊がご自身で実行して御自分で体験された其の絶対的なものを、総ての人々がそのまま信仰、体得出来る方法を教えたものを「仏教」と申します。
 「仏教」ではこの絶対的なものとは、総ての人が皆持っている、本来清浄な自分の心であると教えます。

□禅宗とは
座禅(静座)をして精神を統一することにより、この本来清浄な自分の心を自分自身で体得、承知、する趣旨を「禅宗」と申します。

□坐禅とは
静座をして、身体を整え、呼吸を整え、心を整え、同時に、数息観、或いは公案に精神を統一して、心の本体に立ち返り、本体清浄な自分の心を、自覚する方法を「坐禅」と申します。

□禅宗の信心とは
たとい直接自分が坐禅(静座)はしなくとも、
自分の清浄なココとを形に現わしたものが、仏像であり、
自分の清浄な心を文字に書いたのが、お経であり、
自分の清浄を反影したものが、一切の人々でありますから。
仏像を礼拝し、お経を読み、一切の人々に供養(親切に)することによって、本体清浄な自分の心に立ち返り、そうして、本来清浄な自分の心に立ち返ることが、自他ともに、永遠なる希望と光明と心の安らぎをもたらすのである、と信じて実行することを「禅宗の信心」と申します。

@岐阜で臨済宗 聖典を読んで書き留めておこうと思いました。
内容がどうのこうのではなく、いろいろ考えるにはよい題材になるのではないかと考えてます。

梅田さん

この前、梅田さんの話を聞いた時、
ノートにメモッたので近日中にアップします。

これは、自分へのメモです。。。
すんません。

2004/05/29@恵比寿 
CNET 梅田さん

成功のヒント

・好きなこと、楽しめることだけが長く続く
・自分にん胃が向いているかを見極めたうえで職業選択をする
・見晴らしのよい場所を選ぶ(vantage point)→以前のエントリ
 →新しいものを知れる、刺激のある人と出会える
・組織に属したら主流を歩むこと
 →経験できる質が違う、気に入らなくなったらやめればいい
・組織から得ていること、組織に与えていることをいつも天秤にかける
 →得ていることが少なくなれば、やめるなりする
・会社を興したくても、借金だけは容易にしない
・チームで働けて、社内外にネットワークを持っていれば何とかなる
 →個人で頭通いよりもチームで働けるほうがよい

vantage point
ああ、ここがいいなと思う心
リーディング・エンジンに沿っているか
有名企業にはブランド、ネームバリューで人が集まってくるから、それなりの人が来るのは事実

優秀だ、頭がいい、よく働くだけではコモディティ
 →人生の成功と相関はあまりない、

敏感なセンサーがあり、サバイブしていける奴が強い
センサーを信じて行動
人生に「戦略」がなければサバイブできない

今の状況はうまくいかなくなるかもしれないと、考えておくこと。

サバイブするポイント
・感度のよいセンサーが必要
・データ収集
・Actionする

どの単位でサバイブするか?(どれでもいいが意識的に考える。)

個人
会社など
どの単位でサバイバルを考えるのが最も合理的か?

世の中の変化を自分のものとしてとらえ、人より少し早めに、変化に気がつき動く。
→コレ最強

アンチ・グローブ(intel)

Only the Paranoid Survive
Sooner or later,
something fundamentak in your business world will change.
センシティビティがナイト成功できない。
常に、おびえるほどの感覚(コレがよいか悪いかという話ではなく)

June 01, 2004

バンテージポイント

若者はバンテージポイント(有利な場所)でキャリアを磨け
非常に良いことが書いてあったので。

いつも見ているblog(この日記のシステムと同じもの)で非常にいいことが書いてあった
のではっつけときます。

もちろん、この文章を書いている人は知りません。とはいっても、知り合いの東大院生の人はこの人と一緒にシリコンバレーで仕事をしたことがあるらしい。

この人(梅田望夫さん)は非常に頭がよいと思われます。文章は常に示唆に富んでいます。

梅田望夫 / Mochio Umeda
ミューズ・アソシエイツ社長。パシフィカファンド共同代表。1960年生まれ。慶應義塾大学工学部卒業。東京大学大学院情報科学修士。アーサー・D・リトルを経て、コンサルティング会社「ミューズ・アソシエイツ」をシリコンバレーに設立。2000年7月、外交評論家の岡本行夫氏らとベンチャーキャピタル「パシフィカファンド」を設立。


以下参照。

要約

若者はバンテージポイント(有利な場所)でキャリアを磨け

自らが「これをやる」と専門性の高いものを持ち決めている場合を除いて、働く場所で迷っているなら、世界で何が起ころうとしているのかが見える場所(a great vantage point)に行け。
(IT業界でい言えば)例Google、Apple、Yahoo、Oracle、Microsoftなど
これらの企業は「a great vantage point」((見晴らしのきく地点、よい観戦場所)である。

そういう会社で職を得れば、世界でこれから何が起ころうとしているかが皆見える。the next big thingが来たとき、そこに陣取っていれば、見ることができる。

「a great vantage point」にやって来ている人達と、同僚として出会えることも大きなメリット。
「a great vantage point」でいい仕事をして、いい出会いがあった人たちには、その後のキャリア機会が大きく開いたのである。

これは高橋俊介君が「キャリアショック」で言っていた、人材輩出企業(優れた人材をどんどん、社会に出していく)に似ている気がした。

人材輩出企業からは優秀な人材がやめて起業したり、転職したりする。すると、前例があるから新入社員はキャリアステップとしてこの人材輩出企業に入ろうとおもう。、キャリアを積んで自分も辞めて起業しようと考える。そうした場合、すでに会社を辞めた人とのコネがあったり、同僚も起業しようと思っている人が多いので助け合える。そうすると、また優秀な人材が入社してくる。こんな会社が人材輩出企業。
日本で言えば、リクルートとかソニーとかコンサル全般とかそんな感じ。

全文は以下URL
http://blog.japan.cnet.com/umeda/archives/000977.html


[梅田望夫・英語で読むITトレンド]
若者はバンテージポイント(有利な場所)でキャリアを磨け
2004年01月30日 09:30

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若い人のキャリア戦略みたいなことをよく考えているからなのだと思うが、去年夏シルバーレイク・パートナーズのRoger McNameeに会ったとき、彼が言った言葉を最近よく反芻する。RogerとはLOOP誌のインタビューのために会ったのだが、最後にした雑談の一部もテープに残っていたのだ。

「And what I really think the great thing to do is to work now for one of the companies that’s situated kind of at a crossroads, where you can see what’s going on in the world. You know, here in the Bay Area, I mean what I tell people is -- look, if you can get a job at Google, go there because that’s the hottest thing since sliced bread. But if you can’t get a job at Google, go to work at Apple, maybe go to work at Yahoo, go to work at maybe Oracle. Go to work at Microsoft up in Seattle, I think that’s a great vantage point, you can see what’s going on. The idea is to get a job where you can observe how the world is developing so that when the next big thing comes along, you’ll be in a position to see it.」
これが、「Rogerだったら今、若い人たちにどういうキャリア・アドバイスをする? 」と尋ねたときの彼の答え。


見晴らしの良い場所に行け

世界で何が起ころうとしているのかが見える場所に行け。シリコンバレーなら、まずはGoogle。GoogleがダメだったらApple。いやYahooかな。Oracleだっていい。シアトルならMicrosoftだな。こういうところは皆、「a great vantage point」((見晴らしのきく地点、よい観戦場所)なんだ。そういう会社で職を得れば、世界でこれから何が起ころうとしているかが皆見える。the next big thingが来たとき、そこに陣取っていれば、見ることができる。

これは本当に実感のこもったいい言葉だ。短いながら、真実をついている。

「自分はどうしてもこれをやるんだ」という専門に対する強い意志がある人の場合は別だが、そのあたりが曖昧で迷っている人には、「a great vantage point」を求めて職を得よ、というのは素晴らしいアドバイスだと思う。

もちろんそこでは何が起こっているかが見える。それは大切だ。でもそれに加えて、Rogerは言っていないけれど、同じく「a great vantage point」にやって来ている人達と、同僚として出会えることも大きい。


バイオビジネスのバンテージポイント

以前にも少しご紹介したことのあるフォーサイト誌連載のインタビュー・エッセイ「狩猟民族型ビジネスマンの戦いの日々 (上) (下)」では、シリコンバレーのベンチャー・キャピタリストである金子恭規さんについて書いたのだが、彼はスタンフォードのビジネススクールを出たあと、バイオベンチャーの草分けであるジェネンテックに入った。

「「やって失敗するリスクより、やらないリスクの方が大きい。そんな基本方針で皆、動いていました。会社は朝からどんちゃん騒ぎ。好き勝手、皆がやっていて、すごい活気でした。一九八〇年に株式公開し、全世界のメディアの注目を一身に集めるようになって、浮かれたような雰囲気も確かにあった。でも一方で、世界とガンガン競争して新しい蛋白を作っていた。サウス・サンフランシスコにオフィスがありましたが、サンフランシスコ空港を経由する世界中の有名な科学者は皆、ジェネンテックに立ち寄っていきました。大学より先進的なセミナーも毎日のように開かれていた。そしていい仕事をすれば株価が上がる。サイエンスの質とビジネス・アクティビティの質、その両方が最高でしたね」
「二十代後半から三十代前半でしたからね、そりゃあ毎日、楽しくて仕方なかった」と述懐する金子は、成長ホルモン・プロジェクトのリーダーとして、月に一度は欧州か日本に出張する生活を続けた。ジェネンテックも順調に成長し、金子が入社したとき四十人だった社員が、たった六年で千四百人にまで膨れ上がった。」(「上」より)
これがジェネンテックについて書いた部分の引用だが、ここ数年のGoogleと同じような世界。ジェネンテックは、まさに80年代前半のバイオテクノロジー世界における「a great vantage point」だったのである。そして金子さんにとっての最大の転機も、ジェネンテック時代の元同僚からの誘いによってもたらされる。

「デビッド・ゴッデル。バイオベンチャーの草分け・ジェネンテック創業期からの科学者で、天才の名を恣《ほしいまま》にしていた男。このゴッデルが二人の科学者、スティーブン・マックナイト(現・テキサス大サウスウェスタンメディカルセンター教授バイオケミストリー部門長)、ロバート・ティジャン(現・カリフォルニア大学バークレイ校教授)とチームを組んで、一九九一年に創業したのがテュラリック。そのテュラリックに「最初のビジネスマンとして来ないか?」という誘いが、ゴッデルから金子にかかってきた電話の用件だったのである。テュラリックは「制癌剤や糖尿病治療薬といった巨大市場をターゲットとした超一流の製薬会社をゼロから作る」というビジョンを持ち、当時のバイオベンチャーの中でも特に野心的だった。「創業者の三人とは本当にケミストリーが合いましたね。生涯のいい友達になりました。こんな出会いは一生に一度でしょうね。」」(「下」より)
「a great vantage point」での人との出会いは、本当に重要なのである。旬の時代のジェネンテック、インテル、アップル、オラクル、シリコン・グラフィックスといった会社で、いい仕事をして、いい出会いがあった人たちには、その後のキャリア機会が大きく開いたのである。

若い人のキャリア戦略のことを考えて、Rogerの「a great vantage point」という言葉や、その中でGoogleやAppleって言っていたなぁと思い出し、「a great vantage point」から金子さんのジェネンテックを思い出し、という具合だったので、こんなことを今日は書いている。


アップル、グーグル、ヤフーのポジションから見えるもの

たとえばAppleについてだったら、この間ご紹介したジョブズのインタビューに加えて、CNET News.com「iPod may define new era of open strategy」、ビジネスウィーク誌最新号のカバーストーリー「Show Time!」、あたりを読むと、iTunesとiPodで、音楽業界に、コンテンツ業界に、革命的変化をもたらそうとしつつ、コモディティ時代のハードウェア事業を再定義しようとしているAppleの姿を通して、「a great vantage point」というのがどういうことかよくわかると思う。

Googleについてはいつも何かと書いているので今日は省略するが、最新ニュースによれば、e-mailスペースにもSocial Networkingにも触手を伸ばそうとしているわけだし、Yahooだって研究開発機能を強化してGoogleを猛追する。もう少し広く「検索エンジン」世界まで含めてもいいかもしれない。そうだとすれば、たまたま見つけたこのサイト(ユーザ・インタフェースも凝っていて面白い)のチャートに出てくるようなところは皆、ある種の「vantage point」と言える。こういう最先端の世界を外から見ているのと、中で経験するのとでは大違い。見えるものが違い、日々の濃度がぜんぜん違うから、その中で皆、知らず知らずのうちに成長することができる。

むろんRogerの言葉はIT産業を目指すアメリカ人に向けて語られた言葉であるから、日本にはまた違った「a great vantage point」があり、それぞれの専門に応じて異なった「a great vantage point」があると思う。僕の場合は、1988年に入った米国の経営コンサルティング会社が、「a great vantage point」というほどではなかったかもしれないが、ある種の「vantage point」ではあった。だから色々な新しいものが見えたし、仕事を通してたくさんの人に出会えた。自分の将来の方向性も、試行錯誤しながら固めていくことができたし、シリコンバレーにも来ることができた。だからこそ会社勤めなど性に合わない自分が、十年も勤めることができたんだなぁと思う。その「vantage point」での十年がなかったら、今の自分はなかったろうとも思う。

キャリア構築に悩む方は、ぜひ「a great vantage point」という視点で、キャリアについて考えてみることをお勧めしておきたい。


May 30, 2004

叱ってもらえる幸せ

たまに見に行く、松下幸之助一日一話

当たり前といってしまえば、それまでのことしか書いてないのかもしれません。
しかし、けっこう忘れているいいことが書かれています。
はっと、気づかせてくれます。

今日見に行ったら、「叱ってもらえる幸せ」について書かれていた。

この前の金曜日、最近誰にも叱られていないとか話していたので、なんとなく。

5月30日
五月
叱ってもらえる幸せ

 叱ってくれる人を持つことは大きな幸福である。叱ってくれ手のないことは寂しいことである。どんな人でも、より多く叱ってもらうことにより、進歩向上が得られるのだ。

 叱られて反感を持ち、不愉快な態度を示すことは、再び叱ってもらえる機会を失うとともに自己の進歩はもうそれで行き詰まりとなる。叱ってもらうことは自己向上の一大資料であることを感じて、これを受け入れてこそ、そこに効果が生まれるのである。

 修業途中にある諸君は、叱ってもらうことの尊さを知り、叱られることに大いなる歓びを感じる境地に到達しなければならないと思うのである。


ついでに、僕の誕生日4月24日の松下幸之助一日一話にはこんなことが。
「心が通った商売」

けっこう、僕にとってありがたい言葉です。
心に留めておきます。

なんか、占いじゃないけど、その人の誕生日にはその人にあった言葉が書かれているかも。

4月24日 心が通った商売

 商売というものは、形の上だけで見れば、品物を売って代金をいただくということですが、それでは自動販売機と変わりません。そこにやはり買っていただいてありがたい、という感謝の気持、お客さまが大事、といった気持を持つことが、商売本来のあり方だと思います。

 よく昔の商人は「お客さまの家の方には足を向けて寝ない」というほどの感謝の気持で客に接したと言います。そうすると、そういうものがおのずと客にも伝わり、同じ品物でもあの店で買おうということになって、両者の心が通い、社会全体が潤いのあるものになってきます。私は商売にも“物心一如”ということがきわめて大切だと思うのです。

May 24, 2004

俺は純白だ

俺は純白だ!!
俺は純粋だ!!
俺は真っ白なキャンパスだ!!!

文句ある人は、コメントよろしゅう

May 22, 2004

幸せ、楽しさ

うん、「幸せ、楽しさ」って何だろう。
考えれば考えるほど分からない。

夏の終わりまでに、自分の今までを振り返り、
今後を見据えた文章を書こうと思う。
振り返るにはいい時期だ。
みなさん、その時はいろいろ訪ねるかもしれません。

で、最終的に「Personal MIssion statement」を書こうと思う。
これが、自分の最初で最後の「Personal MIssion statement」になるとは思わない、
ドンドン改定されるだろう。
でも、今書くことにそれなりの意義はあると考えるからだ。
それなりの意義があるのは、一般的に自明だろう。

今日の語り

昨日とは全く違う語りが行われる。

場所は上野の、ガードしたの焼き鳥を焼くおっさんしか行かない居酒屋。
相手は、高校のときにディベートをやり続けた、先輩。
といっても、東京大学に5年間行くので同い年です。
そんなの、究極的にどうでもいいです。
しかし、どうでも良くない部分があります。

高校時代、彼のことを尊敬していました。
はっきりいって、頭の切れがすごすぎる。
ディベートを見てると神に見える。
実際、全国大会優勝して、そのときのベストディベーター賞。
正真正銘の日本一の男ですから。

で、僕は尊敬していた。
仲はかなり良かったけど、年上ということもあり、何か目には見えない境界線があった。
しかし、彼は留年した。
そこで、同い年に。
さらに、僕が西日暮里に引っ越したので、本郷3丁目とかなり近い。
で、3年になってから二人でちょくちょく飲む。
この二つの理由により、境界線がなくなった。
ので、ため口に完全になった。
これは、失礼な話といえばそうだ。
僕は、年上の人にもため口を聞いてしまうときがある。
でも、そこには大きな理由がある。
境界線を越えた話をするため。
敬語というものは、二人の間に大きな溝を作る。
だから、その溝を取り去ってマジで話したいときはため口を使わざるをえない。
みなさん、すいません。
この場を借りて、僕の言葉使い「ため口」を謝ります。
本当に、すいません。
それと、僕の意図を理解してくれたらうれしいです。

で、本題。
彼とは、一般に言われる哲学というものについて語る。
僕が大学一年のときに書いていた日記を見て、そのようなことをひたすら考えていていると知ったらしい。それ以来、生きることとかについて語る。
彼は理系だ。だから科学的なアプローチからもかなり深いレベルで語れる。
(理系だからといって一概に科学的と言えないんですけど)
さらに、哲学とかを大学で勉強しようかと迷ったくらいな人なので、精神論的なめんとか哲学的な面からの考えも鋭い。

彼は、一般に言われる熱い人間ではない。
サークルもやってないし、部活もやってないし。
NPOとかで働くわけでもない。
でも、そんなのどうでもいい。
熱いからすごいわけでもなんでもないんだから。

僕とは一見、かなり方向性の違う人に見えるかもしれない。
でも、本質的には似ているのかもしれない。
だから、マジでトークをする。
ただ、彼の知識量、今までに考えた量、頭の回転率が半端ないのでちょいと大変。
僕も頭をフル回転しないといけないからだ。

で、方向性の違ったような人間だから語っても面白い。
(彼が言うには、表面的な行動では違っていても、人生とかについてマジで考えている人は、話しても面白いらしい。そこに共通のものがあるらしい。)

で、幸せとは何か、人間とロボットとか、死ぬこと、クローンなどについても語った。
彼の独自の視点は面白い。
あえて、この前の10時間トーク@西日暮里のネタも振ってみると、面白い返答が帰ってくる。

言葉では表せない、イメージというか人間にあるふんわりとしたような何か、コレについてのトーウが面白かったのだが、言葉では表せないものを二人で語っているのでココに書けるはずがない。
それが残念。
でも、僕の中にイメージとしては残っている。

自分というものを作り上げている、自分を自分たら占めているものは何かについても語った。
僕が、手をなくしても、足をなくしても僕である。もっと減らしていっても僕である。
脳の一部を切り取っても僕である。
じゃあ、何が僕を僕たら占めているのか。
物質ではないのか。
となると、全く同じ物質で、全く同じ情報を持った自分を目の前に創る。
でも、その前の自分は自分でない。
では、なぜか。
それは、自分にしかない、自分にしか考えられない、何かがある。
何かというと、表現できないので逃げている感じもする。
でも、違うのではないか。
コレについても、答えを出すことはできないので、考え続けます。

次は、夢を見ているときに人間は無意識のうちに、夢を見る。
これは、脳が動いている証拠だ。
さらに、友達と話していて自分が今まで考えていなかったことを話すときがある。
これも、そのとき話していること、話そうとすることを考えているはずだ。
しかし、それと同時に脳のどこかでは、別のことを考えているはずなのである。
たとえば、パソコンで操作をするとき、マウスを動かすとポインタが動く。
それを直感的に知り人間は動かす。
しかし、CPUはいろいろ計算しているはずだ。
でも、それを使う人間は知らない。
コレと同じで、人間も自分では気がつかないで、脳を使っているときもアル。
ココの部分(意識外の思考)はその名の通り、気がつかないので頭が動いてないように見えるけど、実は頭が動いているのかもしれない。

人間とは何かの彼の定義は「自分が人間と認識する」「自分を人間と認識している”人”が人間と認める」らしい。ロボットというと、一般的に金属でできたものをイメージするが、今後、もっとやわらかい素材でできたというか、クローンのようなロボットもできるだろうと彼はいう。そのような時、人間とは何か、どう定義するのかを考えた上の結論らしい。

で、就職活動の話にもなった。
就職活動が実際にまだ迫っていないので甘い考え方なのかもしれない。
でも、今だからこそ考えられることはあるし、考えるべきことがある。

あと、幸せって何ですか。
うまいものが食えて、休みたいときに休み、やりたいことができて、家族や親友がいて語れる環境。
でも、コレが実現しても幸せと感じないかも。
難しい。

まあ、彼もいってたけど、こうやって語っているのが幸せなのだと。

幸せも何もかも良く分からないけど、趣味なんで考えます。

相変わらず、一貫性のない、文章ですいません。
タダ単に、覚書なので許して下さい。

May 21, 2004

夢、将来

こんな時間(朝の7時30分)にエントリー。

今日はいろいろな人と会いました。
西日暮里→六本木→田町→六本木→参宮橋→渋谷

で、会った人たちの職種や考え方はさまざま。
学生から社会人から。
芸能からフリーランスから社長から。

で、人生を考える。

人生を考える理由はいくつかのことが重なったからです。

ブログで、就職活動について書かれていた。
それも、2人同時に。
内容は対照的。

おいらが学生の中では相当切れ者と思う人と二人で話したときに将来について、聞かれた。
「テラちゃんどうするの?」って。

学生の起業家(今は学生じゃない人も)にあった。(ちょくちょく会う彼ら)

KNNの神田さんの過去の人生を聞いた。以外だった。(年を重ねるごとに積極的になっているみたい)

IT屋の人が、情報がすぐ古くなる、ついていくだけで疲れる。八百屋になりたいといわれた

昔、僕が好きなことをして過労死するのが本望だといったことが友達のブログに書かれていた。

パリダカに4回も出ている人(なんと自腹で!)に出会った

一日一食という不規則な生活をしている自分がいた。

ギフベストで岐阜出身の職員の方とはなして、将来は岐阜に帰ると言われた。

これらが重なったからです。

で、AOの時に書いた書類や過去に考えたこと東京に来た理由を思い出してみる。

そもそも、なんで東京という地を高校生のときに選んだか。
何をやりたいと、具体的に決まっていたわけではない。
でも、高校のころからベンチャーとかにかなり興味はあった。
なぜなら、ベンチャーの経営者は僕の仕事感を変えたからだ。
「仕事」といえば、つまらないものというイメージがあった。
金を稼ぐために仕方なくやるもの。
でも、ベンチャーで働く人はつらいけど、夢を持って楽しそうに見えた。
もちろん、マスコミによって色はつけられていたと思う。
それに、僕の性格上、世間一般でまっとうな人生とされているような、大学卒→会社員はあまり好きになれなかった。
ってのもあるだろう。
人と違うことがしたいってのが。
(自分で言うのもへんだけど、新しいものが好きだし、世の中にないものを作って新しい価値を創造したり、ライフスタイルを買えれたら面白いと思う。)

さらに、抽象的だけど日本を良くしたいとか世界を良くしたいという気持ちもケッコウ強い。
自分ひとりではたいしたことはできないのも事実だし、あまちゃんな考えだとも知っている。
でも、自分がこの世に生まれてきたからには何かしたい。何かしたいというのは自己満足だけど、自分が思う社会にとって意味があることをしたいと。

でも、一方でゆったりと田舎で暮らしたいという気持ちもケッコウあった。
べつに、ITなんて関係ないぐらいの生活をしたいという気持ちも合った。
飯さえ食っていければ死なないし、いいやぐらいの考え。
今の日本なら、田舎で何にも考えずに生活しても生きていける。
まあ、何も考えないってのはいまいちピントが外れているけど、東京のような齷齪した生活を送らなくても、問題なく生活できるということ。

それで、東京に来た理由。
ここで、ケッコウ考えたのは、自分は最終的には岐阜とかでまったりとすごしたい。
でも、何かしら自分が納得いくまで突き詰めてやらないと、後悔する気持ちが残ると思った。
だから、とりあえず、若いうちに東京で何かやってやろうという気持ちがあった。

さらに、東京には人も情報も集まっていると思っていた。
で、東京に来てイロイロなことをとりあえずやってみて、本当にオモシロイコトを探そうと思った。
はっきりいって地方の高校生なんて世の中を知らない。
どんな仕事があるかも知らない。
それなのに、将来の自分を決めるのなんて不可能。
だから、東京でイロイロやって将来について考えようと思った。
けっこうイロイロなことをやったつもり。
もっとイロイロなことをやった人はいるけど、まあそれは他人の話で、あまり関係ない。
自分基準でいろいろやったかなと。

2年とちょいが過ぎたわけだ。
かなり早かった。
で、折り返しがすぎマラソンで行くとつらくなってきたり、スパートをかける時期かな。
大学生活でいったら、方向性を見定める時期なのかも。

はっきりいって方向性なんてたいそうなもんは決まってない。
でも、何か新しいことをしたり、新たな価値を創造したり、問題を見つけて解決していきたいという気持ちがある。で、どの分野と聞かれても困る。特に、この分野しかダメという理由がない。
まあ、嫌な分野もあるわけだけど、イメージだけの食わず嫌いのこともおおいにあるわけだし。
だって、コレやりたいとかいってる学生だってその仕事してからいっているわけじゃない。
いくら、自分のやりたい仕事をしている人の話を聞いても、それが自分にとっての現実ではない。
自分のやりたい仕事をしている人がその人のやっている仕事の嫌なところや問題点を言っても、自分にとっては憧れの仕事なわけだ。だから問題点をいわれても、あまり問題だ、とは考えられないんじゃないかなぁ。
でね、学生でどうしてもコレがやりたいという人がよくいる。
それはすごいことだと思う。
たとえば、弁護士になってこんなことをしたいとか、こんな技術を開発したいとか。
それと同様に、何か分野は決まってないけど、新しい価値を生み出したいってのも一つの仕事というか、明確な人生の目標だと思う。
コレだけ世の中に人がいれば、特定の分野をやりたいと思う人もいれば、分野は問わずこの内容の仕事がやりたいという人もいれば、何もやりたくない人もいれば、何でもやりたい人もいると思う。
その人の考えに一貫性(信念)があれば、良いんじゃないかと思う。

なんか、まとまりのない文章。
まあ、何も考えずにタダ書いているだけだから当たり前かぁ。
でも、文章にしたことによって頭にある考えとは違ったものが公開されたということだ。
コレを読んで人は、僕という人間を作り上げる。
そして、それを元に僕にアドバイスをくれたり、前提条件として話したりする。
すると、その言葉を僕が捕らえる。
となると、僕の頭にも今ここに書いた文章が、自分の外から出たことによって新たな意味を持って自分に帰ってくる。
それは、また僕を作り上げる要素となるわけだ。
実に当たり前だけど、不思議な感じ。
まあ、僕の頭から出てきた文章だから、僕の考えそのものなのかもしれない。
でも、自分で思っていることをうまく表現できていないと思っている。
なにに、その言葉が自分に戻ってきて影響を与えるのだ。
なんか変な感じだ。

で、話は変わって、学生で会社をやるとベンチャーとか言われるけど、学生じゃなかったら中小企業の親父。
コレを忘れてはいけない。
学生のうちに会社をやることが意味がないとはいわない。
かなり、いろいろなことを知ったし、そのつながりで友達もできた。
でも、自分がすごいとか特別だとか意味の分からない勘違いをしてはいけない。
学生団体の代表とか、インターンシップを経験した人もこの傾向にある。
自分は普通の大学生と違うと。
僕もかなり気をつけなければいけない。
普通の大学生と違うなら、その人はとっくに大学生なんて辞めていることだろう。
それは、大学生でなくなっている。こういう人が普通でない大学生。
でも、彼らは大学生ではないのだ。
なんか、意味の分からないことを書いてるけど、用は普通じゃない大学生はいないってこと。
普通だから大学生なんだから。
ここで、また普通って何よ、っていわれるかも知れない。
世の中に普通はないと。
みんな違うから、普通ということはありえないと。
でも、何かしら普通というものはアル。
それは、具体的にコレがこうだから、というわけではない。
ある、社会で生きてきた人は、その社会での普通というものが刷り込まれている。
大きくなる成長の過程で、刷り込まれているのだ。
このように、価値基準根幹を成すような、普通が多少の認識の差はあれどあるはずだ。

話がそれまくったけど、許してください。ココまで呼んでくれた人には感謝です。
だって、自分だったら他の人がこんな意味の分からない、構成されていない文章を書いていたら読みませんから(爆)

うーん、相変わらず文章が下手。
自分の思っていることがうまく文章にならない。
これは、考えが足りないからこうなるのかなぁ。

僕の人生をいきなり変えたSFCにいって、高校時代を振り返りながら人生について再考するのもいいもんだろう。

May 16, 2004

ふるさと

みなさんご存知の「ふるさと」。
コレいい曲です。
メロディーも歌詞も。
地元が好きな人にとっては心の奥底までズキーンと来る歌詞なはず。

で、東儀さんが篳篥を演奏する「ふるさと」はさらにいいです。
もし良かったらきいてみてください。

ふるさと
作詞者 高野辰之   作曲者 岡野貞一

1 うさぎ追いし かの山
小ぶなつりし かの川
夢はいまも めぐりて
忘れがたき ふるさと
 
2 いかにいます 父 母
つつがなしや 友がき
雨に風に つけても
思いいずる ふるさと
 
3 志を 果たして
いつの日にか 帰らん
山はあおき ふるさと
水は清き ふるさと

田舎

帰ることのできる田舎(ふるさと)がある、
これ実はすごい幸せなのかも。

大学1年生の夏休み前かなんかのときに、クラスの友達(埼玉出身、埼玉在住)にこういわれた。
「実家に帰れるっていいね」
「帰れる田舎があるっていいね」
といわれた。

そのときは何も感じなかった。
でも、今になって思うと、確かにそんな気がする。

なんかうまくいかなかったり、突っ走ってきてふっとしたとき「ふるさと」を思い出す。
昔、遊んだ田んぼや公園を。
大都市には遊び場なんて小さな校庭とアスファルトの道路ぐらいしかない。
それを思い出しても、心が安らがない。

さらに、行き詰ったときなんかに「ふるさと」を思い出すのは今にはない、昔の無邪気だったことを思い出したいからかもしれない。
しかし、都会育ちでは、ずーっと同じところにすんでいる。
大人になっても同じ風景を見ているんだから懐かしさなんてあるはずもない。

ふるさとっていいなぁとあらためてっ実感。

もちろんBGMは「ふるさと」です。

May 10, 2004

母校

今さら、岐阜に帰ったときのエントリー。
(BGMならぬ、BG"TV"は「映像の世紀」)関係ないですけど、考えさせられる番組です。必見!
もちろん、「変革の世紀」も。

kaoringoさんが岐阜から来て鮎菓子を持ってきてくれたので、岐阜のことを思い出しました。(サンキューでした)
で、岐阜に帰った時のエントリー。

僕は岐阜に帰るとかなりの確率で、小学校、中学校、高校に行く。
中でも小学校が一番多い。
中学はなぜかあまり行かない。(高校は部活に顔を出す程度)

なんで、小学校に良く行くかはわからない。
けど、今考えると小学校のときに自分というものの基礎が形成されていった気がする。

僕が岐阜に帰るのは、休みの期間が多い。
だから、小学生は学校にいない。
まあ、当たり前だ。
もちろん、他に卒業生も来ていない。
で、ほとんど人がいない小学校の遊具の上で、寝っころがる。

小学校のとき(確か4年生の放課後だったはず)に初めて小学校の校庭で寝た。
そのときに、はじめて雲の流れを感じ、周りでは友達がわいわいがやがや遊んでいるはずなのに、空を見ていると自分だけ違う次元にいる感じがした。自分だけの時間というか、時間が止まっている感じがした。

そして、大学に入ってから岐阜に帰ると小学校へ行き寝る。
ああ、時が経ったなと思い、小学生のときは何をしていたかを思い出し。
どんな夢を抱いていたかを思い出し、再度今の自分を振り返る。
なんか、原点に戻る感じ。

小学生のときはそれなりに、社会を知らないがゆえにいろいろ考えて悩んでいたなと。
それと、今小学校を歩くと昔は気がつかなかったことに気がつくことも多々ある。
これも面白い。

鬼ごっこで花壇の後ろに隠れたなぁとか思いだしたり。
で、花壇が記憶していたより小さい。
ああ、自分も年をとり大きくなったのだなぁと。
精神年齢だけあのときのままだなぁと。

ぜひ、実家に帰ったときはふらっと小学校とかに行ってみてください。

あと、今回は名古屋の高島屋へ。
かなり、ってか初めて?かも、母親と姉と行くのは。
そこで、「星野道夫の宇宙」という写真展に。
この人アラスカで写真を取っていた人みたいです。
いい写真を撮ります。純粋にキレイ。
動物の写真が多かった気がした。

でも、どちらかというと景色の写真がすき。
これは、昔からなんだけども。

見終わった後に、絵葉書を三枚買いました。
で、自分ではなんも意識してなかったけど、
母親がその3枚の絵葉書を見て、「青色が好きだね」
「動物が乗ってない景色しかない写真、寂しい写真が好きだね」
といいました。
自分では意識していなかったので新鮮な感じでした。

人間の感性に関することは、なにか目に見える形にしてから、他人に評価されるとはっと気がつくことがあります。

写真でも人がいないのがすきですけど、人が嫌いなわけではなく、人が大好きです。
ただ、人がたくさんいることを想定して作られたものや場所に人がたくさんいても気にしないんですけど、人がたくさん来ることを想定せずに作られた場所に、今観光スポットとかになって人があふれかえっているのが嫌い。人があまりいないのを想定して作られたんだから、人が少ないほうがその場所がきれいだったり、楽しめる気がします。

関係ないですけど、絵葉書をかなり持っています。どこかに行ったら必ず買うかも。
でも整理していないので、旅の思い出とともに一回整理してみよう。
家を絵葉書ライブラリーにしよっかなー。

これまた、関係ないけど一眼レフカメラ欲しい。

行く、帰る、戻る

みなさんご存知の「ふるさと」。
コレいい曲です。
メロディーも歌詞も。
地元が好きな人にとっては心の奥底までズキーンと来る歌詞なはず。

で、東儀さんが篳篥を演奏する「ふるさと」はさらにいいです。
もし良かったらきいてみてください。

ふるさと
作詞者 高野辰之   作曲者 岡野貞一

1 うさぎ追いし かの山
小ぶなつりし かの川
夢はいまも めぐりて
忘れがたき ふるさと
 
2 いかにいます 父 母
つつがなしや 友がき
雨に風に つけても
思いいずる ふるさと
 
3 志を 果たして
いつの日にか 帰らん
山はあおき ふるさと
水は清き ふるさと

October 30, 2003

3つ

・地頭がよい
・古い考え方に固執しない、フレキシブルな頭(新しいもの、考え方を知ろう、作り出そうとする姿勢)
・不断の努力

October 20, 2003

よい悪いにかかわらず

私は神からの声が聞こえますから。
ゆえに、それに突き動かされるのです。


望もうと望まざるとも。
私は両極を走り続けるだろう。

かなり忙しい仕事に就き、それを楽しみ、がむしゃらに働く。
何回か職は変わるだろう。
そうすごして、ふと気がつく。聞こえる。

料理人か宗教家、ゲージツカ、みたいな
そんな、区別どうでもいいんです。
別にこれらに能力あるなしは知りません。
金なんか儲からなくても、社会一般で言う成功がなくてもかまいません。
それをやっていることに満足するのです。

がむしゃらに働いてたころが、無駄だったとは思わないだろう。
それぞれの楽しみがある。