February 2006 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28

August 31, 2004

サルナート

ブッダが始めて説法をした土地。サルナートへ行ってきた。

底自体は観光客ゼロの田舎町。

最高でした。

でも、バスが凄まじい。
インド人が普通に使うバスで、通勤電車のラッシュの1、5倍ぐらいの敷き詰めかた。
たまらん。

棒に捕まって乗っている人も。。。
そのバスにたって乗った。

辛かったけど、インド人の生活を感じた。

明日はポカラに旅立ちます。

August 29, 2004

バラナシ

今 ヒンズー教の聖地バラナシにいます

昨日はアグラでタジマハルを見て夜行でバラナシまできました
かなり長い道程でした
いろいろ、ありました
面白いというか インドってこれかと思いました

まだまだ始まったばかり
インドは生活すればすほど
すごさが分かってきます

明日はガンジス川の日の出を見ようかと思います

そういえば 今バラナシでお祭りらしい
明日がファイナルで盛り上がるみたい

だから 電車のチケットも取れないわけだと知りました

ガンジスってすごいな

インドにきてよかった

みなさんこないとだめです

ではまた

August 26, 2004

韓国の空港

どうもです。
ただいま韓国のインチョン空港にいます。
7時間ぐらい時間があるので暇です。

空港の中は一通り回りました。
けっこうでかくてきれいです。

50分2ドルのネットをしております。

韓国に来て感想。
とりあえず行きは空港だけですが、キムチくささは無いな 笑
さらに、機内食もキムチが出なかったです。
どっから、あんなうわさが生まれるんだろう。
まあ、いいや。

日本人のおばちゃん旅行者が集団でいたり、
なんかここに来ている旅行者はあまり僕と馬が合いそうになさそうです。
まあ、今までもそう思っていたけど、韓国だけにくることは無いなと再認識。

あと、飛行機に乗っている時間短すぎです。
もっと乗っていたかった。
シンガポールにつくくらいの時間はほしい。
だって、10時30に出て、12時30には着いていましたから。
まあ、出発が30分遅れたわけです。

そんな感じ、

August 25, 2004

ふと、振り返る東京の岐阜人集団

なんか、寝ないといけないんですけど、ふとサミットのことが頭によぎる。
というか、4月にはじめてあってから、今までのことが頭をよぎった。

はっきり言って、みんなキャラクターがばらばらです。
やってきたこともばらばらです。

そんな人たちが4月の頭ぐらいに集まった。
そこから、始まった。
実はまだであって半年も経っていない。
正直、あの時はここまで来るとは思わなかった。

それにしても、いろいろあったなと。
この4月からの5ヶ月弱も、アユプロ含めなんかいろいろありました。

過去のメールを見たり、ブログ見たりして思いました。
初めは、なんとなくぎこちなメールでしたねー。
まあ、あって間もなかったから当たり前なんですけど。
今見ると、少し面白いです。
それと、メールではその人のホンの一部分しか分からないんだなとも再認識しました。

さらに、初めの頃は毎回とふろにいってたなと。
秋元さんとマニア話で爆裂した記憶も。。。

自分の自己紹介で、行きたい国ってことで、
「今、行きたいのはインド、ネパール、モンゴル、カンボジア、タンザニア、ペルーなどなどです」
って書いてありました。
そのインドに行くわけですね。あんまり気にしてなかったけど、なんかいい感じに行ってますな。

そういえば、毎週ミーティングやってましたね。
みなさん遠方から、本当にお疲れ様です。

大岐阜パーティーって名前で企画が始まったり、してました。
いつのまにやらサロンって言葉もなじんだなと。

さらに、ツアーやカンファレンスについても話してましたかね。
BFTもG-netTourになったし。

毎回毎回、初めての人が着たりして面白かったです。
でも、残ってくれる人が少なかったのが残念かなぁ。
まあ、全員は絶対に無理なんだけど、途中からでも入りやすい仕組みも必要なんだろう。

で、このブログがkaoringoさんの思い付きから始まったり。
このブログも面白い。
一つのプロジェクト参加者が書いている。
すると、性格が分かる。
もちろん、オフラインであってもいるから、さらに面白い。
書いている人は、書いているメッセージから、
そして継続的に書いているというメッセージも伝わってくる。
書いていない人も、書かないことによってメッセージを発信している。
その人の性格が伝わってくるし、
ああ、今忙しいんだろうなとかもなんとなく分かる。

そのころから、ミーティングが煮詰まって、長くなったなぁ。
終電逃したり。
うちにみんな来ていた。
伝説の昼まで耐久のしゃべりとかもあった。
今考えてもあれはすごい。

それが、2,3回あったのかな。
すると、もうサロンが迫ってきた。
ギフベストへいった。
するとnaoさんに出会う。
これも偶然というか、必然というか。
いい出会いでした。

はじめはサロンに人が集まらなかったり、
でも、最終的に人が集まった。めでたし。
直前になって、というか前日の夜、
一気にやった感じがありました。
でも、みんなの最後のラストスパートの勢いと、
処理能力の高さには驚かされました。
前日の読売にも乗せていただいたなぁ。

サロン当日も、面白かった。
いろいろなアイデアが出た。
僕が大失態を犯してしまったけど。。。反省
で、このサロンでも面白い人に出会えた。
今はもうニッチマンは最高の友達です。
飲み会も楽しかったな。

その裏ではカンファレンスの準備やコンセプト作り、
ツアーの日程、宿が着々と決まっていった。

そのころから、水うちわの話も出てきて、
しばらくしてから出来上がった。
あれって、本当に涼しそうな団扇で、
見ているだけで、落ち着きます。

サロンが終わってからはサミットとツアー。
これに絞られた。
週1のミーティング以外にも各自でミーティングが行われていった。

ゲストのアポが取れだした。
むちゃくちゃ、豪華。
すごい人が岐阜に来てくださる。
すごい。

でも、ここからが大変だった。
でも、いろいろあってこの頃、ちょいと参加できなかった。
合宿もあったんだけど、いけなくて残念。
でも、みんな楽しんでいたみたいで良かった。

このあたりから、メールの量が今までにも増して増えた。
みんな、すごい勢いだった。
自分が突っ走っていて、周りも突っ走っていると、
自分が突っ走っているのを忘れるという感覚に似ているんだろう。

資料等も出来上がり、岐阜ミーティングもあった。
って、つい最近な気がする。
場所の確認なんかをした。

あ、花火を見た。
きれいだったな。
本当にきれいだった。
火薬になって空を飛びたかった。
そんな感じ。
なんか自分に降り注ぐ、花火を飲めるかとも思ったくらい。
あのときのビールマジでうまかったです。

このちょっと前、いろいろな人の誕生日があった。
毎回祝い方は違ったけど、みんなハッピーな誕生日そうだった。

で、いつの間にか最後のミート@新宿。
本当に準備は出来たのかと、
みんな不安を残していた。
最後、秋元さんの登場の仕方は、
演出がうまいなと思った。
ああいうところが、人をひきつけるんだろうなと。

で、前日岐阜入りして、買出しとか、
会場設営。
音響の使い方とかも聞いた。
夜はビラも配った。
もらってくれたけど、効果は薄かったみたい。
ツアーもそうだけど、岐阜まで来る、2万5千円ということを考えると、
以前参加者ではまった、もしくは声を掛けた人を相当慕っている、尊敬している、
一対一で思いを伝えた、それぐらいじゃないと参加してもらえないのかなと思った。

で、当日、朝岐阜駅に集まる。
それぞれ、分かれた。
会場に行く組。
僕は迎え組み。
船橋さん野村さんと僕、3人のタクシーはちょっと緊張した。

で、会場に着く。
パワポをいろいろな人からかき集め、何とか一つにしたな。
あと、ビデオの音が出なかったけど、ピンマイクで何とかカバーした。
すると、東京組みが到着。
そんなこんなで、サミットが始まった。
中身のレベルはかなり高く、面白い。

僕もパワポいじりながら聞き入っていました。
サミットは、大きな問題も起こることなくすんだ。
さらに、片付けも30分で終わり、
十八楼の懇親会に参加できた。
懇親会には想像以上の人がいた。
かなりうれしかった。
その後、村坂さんを駅までお送りした。
タクシーの中での話はカナリ面白かった。
いろいろ話した。
村坂さんの昔の話はすごい。
話が盛り上がり、昔作ったビデオをいただいた。

それから、バスで鵜飼へ。
鵜飼も良かった。
みんなカナリ楽しんでいた。
そんなこといって、僕もカナリ楽しみすぎていたくらい。
面白かった。

その後、作業をいろいろ行ってから、飲み。
なんか、ここでもやばいくらい盛り上がった。
某記者さんとか盛り上がりすぎた。
僕も盛り上がりすぎた。
楽しすぎた。
なんかまた握手をしていた。笑

そのせいで、大失態。
日の出金華山に起きれず。。。
まじで、ダメですよね。
人間失格です。
ご迷惑をおかけしました、すいません。

で、朝は岐阜観光。
久しぶりの岐阜観光。
大仏とか何年ぶりだろう。
その後、自由行動では金華山へ。
6時間ぐらい遅れで金華山です。。。とほほ

景色は良かったなー。
それから、ビーンズへ。
お金計算や、お酒配りなどお手伝い。
FDMの抽選会もあったな。

一人一人によって作られているんだなと実感。
その後、日タクの荷物搬入もいろいろ考えた。
考え方のベースの違いというのを感じた。

それから、金公園の片付け。
途中から、雨。
それもすごい雨。
1年に数回ぐらいだろって感じ。
もう、びしょぬれ。
パンツから、携帯から、財布から、もう大変。
服を着たままプールに入った感じ。
それでも、みんなテントを解体したり、
荷物を積んだりと。

で、東京組みが帰る時間。
さみしいねー。
で、雨の中お見送り。
僕は馬鹿だから、バスが走りだしたら、ついて雨の中を走った。
もう、びしょぬれどころじゃありません。

それから、また作業を行った。
そして、終わった。
なんか本当に終わった感じだった。

そして帰宅。

思い出に残る5ヶ月弱、そして2日間でした。
むっちゃよかったは。
こんな、いい仲間に出会えて幸せモンです。
これからもよろしゅう。
10月が楽しみです。

August 13, 2004

オススメの本

あのですね、
なんかオススメの本紹介してください。
たのんます。

ジャンルは問いません。
ただ、文庫とか新書だとありがたいです。
なぜなら旅行にもって行く予定なので。

最近読んでよかった本、
人生の転機になった本、
旅先で読んだ本、
なんでもOKです。

紹介してくれた人には、紹介し返します。
紹介されたくねーよ、って人はメッセージのところに書いておいてください。

下のフォームから送ってください。
よろしゅう。

お名前

メールアドレス


メッセージ

August 12, 2004

パスポートの価値

今日午前中にインド大使館に行き、
ビザの申請をしてきた。
九段下にあるインド大使館へ。
5cm×5cmの写真とパスポート。
これが必要だ。
写真は、撮っていなかったので警察官に写真を撮るところを聞いて、
駅の証明写真機で撮影。
2枚500円でした。
それから、大使館へ。

申請書類を書いて、
順番の番号を取る。
なんと30人近く待ち。。。
106番でした。
そのときで80番全後が呼ばれていた。。

それで、時間があるので来ている人の観察。
・学生
・旅行会社の社員(代理申請)
・インド人っぽい人(インドの人っているのかな?別の証明書かも)
・なんか変わった匂いのする社会人

そんな感じでした。
で、自分の番が来て、書類と写真、パスポートを提出。
ちょっとたって、引換券をもらって帰る。


ふと思う。

パスポートってカナリ大切ですよね。

他にも免許証とか保険証など、身分証明するものがたくさんある。
これらの中で重要度ランクは知らないが、
僕の中ではカナリ大切なグループの証明書君たちです。

で、パスポートって一番手元から離れやすいですよね。
特に入国するときや、ビザをもらいに行くとき。

今日は、そのビザをもらうときにパスポートを手放した。
ケッコウ不安です。
あまり、人を信用しない性格だからか、
心配性だからなのかは分かりませんが。

そういえば、トルコからギリシャに電車で行ったときも、
電車に乗っていた警察っぽい人に渡した。
そして、あとから戻された。
これも怪しいよな。
でも、疑って渡さないわけにも行かないし。

モロッコに入国するときも怪しかった。
フェリーでいったんだけど、
フェリーのなかにある机の後ろの壁にパスポート、
って紙に書いてあるのが貼ってあるだけ。
さらに、その警察は私服。
そんで持って、まわりにモロッコじんっぽい人が群がっている。
怪しさ、たっぷり。
で、入国のはんこをもらったわけです。

そう思うと、証明賞の中でパスポートって怪しそうな人にもっとも手渡す
モノなんだな。

気をつけよっと。

それと思ったのが、パスポートを力ずくで盗む人がいるけど、
あれってへんだよな。
怪しい人でも、入国などでそれっぽい人ならば、
パスポートを渡す。
じゃあ、そうやってだませば簡単に盗めるのに。

まあ、人それぞれだし、
そう考えられない人もいるんだろう。

今度、ビザとパスポートを取ってこないと。

答えのないことを考えるということ

「答えのないこと」これは世の中に多く存在すると思われる。

「答えのあること」これも世の中にたくさん存在すると思われる。


さあ、ホントだろうか?
答えのないと思っているものには答えがある、
答えのあると思っているものには答えがない。
なんてことも、多くありそう。

答えがないことと分かった時点で答えがないという答えがあるのかも、
よく言われる話の流れだ。

じゃあ、そもそも答えって何だ?
「答え」:大辞泉

1 呼びかけや問いに対して言葉で応じること。返事。返答。
2 問題・設問などを解いて出される結果。解答

なんか違うな。
辞書の答えとは、僕が使っている答えの意味が違う。
答えという意味に、正解という意味と、
正解という意味よりもその範囲が広い、
曖昧なイメージがある。

答えのないことに対する答えを、
どこから、どこまでとするか。
これは難しい。
答えは無数にあって、
一つもない。
なんか狐につままれたような話だ。

何が言いたいのか分からなくなってきた。


答えのないと思われるものを考えようとするのは、
答えと出すという喜びよりも、
答えがない、答えが出ない、
終わりがない。
すなわち、終わりというものから逃げているのかも知れない。

終わりのあるものと、
終わりのないもの、
その終わりというもの、
これをいろいろなもので調節していきているのかもしれない。
人間は究極的に、
この2つの違いを作り出して、
バランスをとり、いきているのだろう。


ああ、話は違うけど、
引き際と、引継ぎ(後継者育成)は大切だけど、
一番難しい問題ですね。

それぞれの道

岐阜で中学からの友達に2人会った。
どちらも、俺とは比べ物にならないくらい個性的。
個性的とは何かと聞かないでください。
社会一般の認識で。。。

いやー、人生っていろいろだな。
おもしろいな。
2人ともどうなるか、全く予想が付かない。

なんか分かったかも

ブログ。
僕が日々の生活をブログに書かない理由。
衝撃がないから、表現したいという衝動に駆られないから。
なんか、面白いとか、すごい、おれはこう思う、と思ったときにブログを書く。

なんでもない日々をブログに毎日更新できる人はすごいなと思う。
というか、性質が全然違うのだろう。
どっちがいい悪いではなく、
同じ価値観で考えるのがいけないんだよなぁ。
当たり前だけどね。

太陽と写真

昨日、鶴ヶ島に行ったときに友達から一枚の写真をもらった。
彼は一枚の日の出の写真をくれた。

インド・ガンジス川の写真だ。
もちろん、僕が今年の夏インドに行くと知ってのこと。

この写真、何がすごいって、見れば一発で分かります。
朝の沐浴したくなるほどの写真です。

で、富士山の頂上から見た日の出と同じ太陽なはず。
でも、富士山の頂上とこの写真では目に映る太陽は全く違う。
もっといえば、街中で昼間見る太陽とは全く違う。

それは、その環境や、心理状態、天候、対象物などによって違う。

でも、本質的には一緒である。
太陽自体は同じものであるはず。

ここで、日の出とは太陽をメインとして、それを見に行っているはず。
でも、同じものならどこでも見れる。
ではなぜ、特殊な場所に見に行くのか。
それは、周りの環境を見に行き、
その環境が作り出す、太陽との相乗効果を見に行っている。
当たり前ですよね。

August 11, 2004

インド・ネパール

8/26〜9/17までインド・ネパールに行ってきます。
連絡はtakeshiあっとまーくteratown.comへお願いします。
できたら、ネットカフェから更新します。

インド・ネパールでやってきてほしいことがあったら、こちらから送ってください。
送ってくれた人だけに、実行しておもろい写真付きレポート提出します。

下のメールフォームからメール送れますんで、よろしゅう。

お名前

メールアドレス


メッセージ

August 10, 2004

吾人の任務

確か、2003年の4月だったと思う。
シスアドの試験を受けに金沢八景にある、
関東学院大学?に行った。

その後、ふらっと本屋に立ち寄った。
そこで目に入ったのが、「吾人の任務 MBAに学び、MBAを創る」。

グロービスという会社はMBAマネジメントブック
のシリーズで知っていた。
でも、その社長がどんな人でとか、
どのような理念でやっているかなど知らなかった。

しかし、ふと手にとって見たら、面白い。
一気に読めた。
立ち読みで半分ぐらい呼んだ記憶がある。
それくらい面白かった。
信念を感じた。
買うしかないと思い、即購入。
それで、帰りの電車で読みきった記憶がある。

家についてから、読み直した。
そうすると、さらに強いものを感じた。
それから、尊敬する人の一人となっていた。
ぜひあってお話したいと。

理由はよく分からないですけど、
堀義人という人にただならぬものを感じたと、
そういうわけです。

それで、チャンス到来。
堀さんの講演情報をつかむ。
聴きに行くチャンスゲット。
何があろうと行きます。
そう思いました。

講演のあとに絶対直接話すと決めました。
だって、こんな機会はめったにない。
うん、うん。楽しみだ。

それで、今日が来たわけです。
麹町にある、オフィスに少し緊張しながら向かう。
駅を出て歩くと、そこにはオフィスが。
きれいだ。
オフィスのつくりにもこだわっている堀さんのオフィスだけある。

で、受付を済ませ講演会場へ。
40人ぐらいだろうか。
僕は、真ん中少し後ろに座った。
基本は一列目だが、あいていなかった。

でも、その微妙な席に座ったことが良かった。
なんと、僕の横が開いていたので、
堀さんが座って、講演の資料を真剣な顔でチェックしていた。
隣で横顔を見れたのは良かった。
その集中力、はめったに見れない。
だって、懇親会で近くで話すのとは違う。
マジになっているときの顔、行動を真横で見られる。
これは価値がある。

で、講演が始まり、PCでログをとる。
とても話がうまい。
おもしろい。
吾人の任務とかぶっていたところもあるが、
実際ナまで話を聞くと、同じ内容でも感じるものが違う。
内容は一番下にあります。

一番感じたのは、信念。
彼はやはり信念を持っている。
MBAというものの重要性。
日本でのアジアでの世界での意味。
グロービスがなすべき役割。
そして、長期的なビジョン。
さらに、頭がいいと思う。
夢やビジョンがはっきりとしていて、冷静。
さらに、ノリというか、遊び心もしっかりアル。
本当にすごい。
そう感じました。

競合であっても、良かったらよいという。
これもすごい。

それから懇親会。
まず、堀さんのところに行きます。
でも、堀さんの本も読んだことないのに、
会社でしって来て名刺交換だけするようなおっさんで群がる。
ああ、、、
とりあえず、名刺交換だけはした。
でも、こんなために俺はきたのではない。
何も知らずに来た人とは、気持ちが違う。
比べ物にならないと、自分では思ってる。
群らがっている間は、他の参加者と話したり、
オフィスのつくりを見たり、参考でおいてあるケースを見る。

で、群れが減った。
はい、僕の時間です。
堀さんに近づき、話す。
とりあえず、聞きたかったことがあった。
それは、こんな感じ。
堀さんは15年も前にMBAを知り、HBSという世界一のスクールへ留学した。
その当時、日本ではMBAというものの認知はあまりなかったはず。
認知もなく、ブームでもないその当時、
MBAの意義を感じ、今後の社会での重要性を感じ、
MBAをとった。
だから、今の社会で役立っている。
今はMBAをみんなが知っている。
ブームだ。MBAをとると給料が上がるとか、
キャリアアップにつながるとか、そんな感じで捉えられている。
で、今さらMBAをとっても遅いのではないか?
昔の人は無名でもMBAを見つけ、
価値を見極めとった。
しかし、今はみんな知っている。
それで調査もそこまでせずに、強い思いいれもないのにMBAとる。
そこに、先見の名を感じない。
今はマイナーだが、今後の社会で必要になる能力を身につけられもの、
そんなものがあるのではないか?

こう思って、堀さんにそんな資格というか、
能力があるのではないか?とたずねたのです。

そうしたら、自分がMBAをやっているから、
それの意義を感じて、信じて、そこに信念があるから、答えは想像が付くのですが、
MBAは陳腐化しない、とる意義はある。
という答えでした。
詳しく言うと、
アメリカではずっと昔(100年ぐらい)からMBAがあリ、
大きな役割を果たしてきた。
経営というものを体系的に学ぶ方法はこれ以外にない。
ブームとかで過ぎ去るようなものではないと。
さらに、MBAも常に変わり続けている。
そんな感じの答えをいただいた。
さらに、MBAなら海外に行けと。
海外で生活したことがないなら、特に意義があると。

ふむふむと思いました。
そのほかにも、堀さんのビジョンをお聞きしたり、
私についていろいろ聞いてくださったり。
そんな感じです。
で、尊敬する人からメッセージとかをもらうのが好きな僕は、
吾人の任務を持参です。
一言メッセージを書いてくださいとお願いです。
快く書いてくださる。
講演の中でも最も強調していらっしゃった、
「可能性を信じる!!」と書いていただきました。
ありがたいです、この言葉もいつも胸に留めておく言葉になりました。
かなり、もともと僕が考えている思想と近いです。

うんうん、いい一日だった。
堀義人
松井道夫
孫正義
折口雅博
柳井正

このあたりの経営者には信念を感じます。
深く知らない人もいますが、何か感じます。

懇親会で、W大のM2の人にこんなことを言われた。
どうやってモチベーションを保つのですか?
なんかピンと来なかった。
確かに、テンションが下がるときもある。
でも、心のそこからやりたいことであれば、
短期間気持ちが下がったとしても、長期にやる気がなくなったりすることはない。
そう思っています。
それに、僕は単細胞なので、人の話とか、本を読むだけで、
高揚できる便利な人間です。

吾人の任務 MBAに学び、MBAを創る
堀 義人

発売日 2002/03/15
売り上げランキング 28,058

おすすめ平均
レゾンデートル?
堀ファン向けかな
自分の可能性を信じること

Amazonで詳しく見る4492041737

生ログです。


2004/08/10 グロービス経営セミナー@グロービス東京

☆住友商事からHBS
MBAやケースメソッドすら何か知らずに留学
入社4年目27歳留学。
目標を設定
・多くの人に会おう、世界のネットワークを作ろう
・経営学の体系を学ぼう
・世界中旅行しよう

ケースメソッドに驚く。
20〜30ページの戦略論をかかれたもの、組織図、財務状況が書かれている。
2時間掛けて読んで、分析。
質問・この経営環境をどのように分析しますか
  ・この会社のCEOやCFOだったら何をしますか?(アクションプラン計画)

グループでディスカッション。
否定的意見は価値がある。
1日2ケースぐらい
80分教授は話さない。質問をするだけ。
どんな意見でも良い。ユニークに考えるとよい。
同じ考えだと会社は失敗する。独自の経営スタイル。
一人当たり1分ぐらいの発言時間。

理論や教科書は予習で。フレームワークを使って分析しろ。

MITはレクチャー形式。HBSはケース。ケースをするとアイデアが生まれるようになる。
発言しないと放校処分。日本人の4人に1には放校だった。

2ヶ月ごとにテスト。下位20%にウォーニングレター。成績注意の手紙。
4時間の試験。持ち込み可能。ケースを一つ渡されて、読んで、分析して。
15ページぐらいの回答とする。

1週間13ケースをこなす。
会計側面、人事側面など情報システム、リーダーシップ、オペレーション。それぞれの側面から考える。

物が売れない。なぜか?
営業努力が足りない?物自体が悪い?営業部門のリーダーが悪い?投資額が少ない?
などなど。
間違った問題意識を持って対応すると、悪化していく。
優先順位づけをして、大きい問題小さい問題に分ける。

これを行うと、経営が頭の回るようになる。
CMや新聞記事を見て、会社を分析してしまう。
店でも回転率、客単価を創造してします。

堀さんのHBSの同期
ローソンのにいなみさん。隣の部屋だった。
HP樋口さん
2歳年下、楽天三木谷

論理的思考。
経営の複雑系の中で、自分なりの仮説を立てながら問題を構造化する。
地頭を鍛えていく。

定跡が分からず将棋を打てるか?
定跡は基本形に近い。
過去の蓄積によって生まれた知恵。
定跡を学ばないと、自分の体験だけを下にやらなければならない。

ある程度強くなると、定跡だけではだめになる。
自分のアイデアや考えが必要になる。
でも、基礎は定跡である。
経営も同じ。フレームワーク(定跡)を知っている必要がある。

ベンチャーを成功させるには経営学の基礎が必要。
MBA的なものを学ばないと、成功しない。
MBAを持っていなくても、本や人から学んでいる。
勉強家が成功している。
大きく成功するためには、戦略論を知っている必要がある。

コミュニケーション能力。
発言により、自分の考えを伝える。
そして、共感を得ないといけない。

論理的思考
定跡を学ぶ
伝える能力。(コミュニケーション能力。スピーチ、文章などで)
人間関係能力(リーダーシップ、ベクトルを一つにしながら)

ビジネスと経営は違う。
ビジネスは取引。
経営は一つのビジョンに突き進んでいく、システムを作っていく力。
経営のマーケティングはニーズを見極めプロダクトを作成、どう売るか。

HBSのケースでは、自分の考えをまとめ、勉強が面白かった。

日本に残っている、時間のない優秀な人の学校を作りたい。
HBSのチェアマンにアポを卒業1週間前に。
ケースを売ってくれないか。とたずねる。
4名の人を紹介してくれる。


多くの人に会い、夢を語らった。
日本社会の価値体系。官が一番、大企業→中小
アメリカ、ベンチャー→プロフェッショナル→大企業のサラリーマン→官
(リスクをとるほうが偉い)

どうしたら、会社は大きくなるのか?
ゼロから困難にぶつかりながら、創意工夫をして、常人をはるかに越えるエネルギーを使い、考えもしないほどのものを作り上げるダイナミズム。これに感動。

学生時代。ゲイツなどをレクチャーの講師として呼んで、受講する。
何が講師と根本的に違うのか?

人間の可能性は無限大。自分自身が可能性を閉じている。僕はこんなもんだと思ってしまうのがダメ。

壁にぶつかるのは当たり前。方法論と、意欲があれば乗り越えられる。
可能性をとことん信じる。ビジョン戦略を考える(シュミレーション)、自分の頭の仲で描けなくなったとき初めて可能性を否定する。
3年で出来ないなら6年ではと、タイムスケジュールを変える。

・ヨーロッパ6週間バックパック。


学んだ一番大きなこと。
スピリット。可能性をとことん信じること。

アジアNO1のMBAを作る。29歳のときに考えた。
あったのは、信念、可能性を信じる、HBSで学んだこと、元気な体があった。
渋谷の貸し教室から、10年前に始まった。
受講生満足を高めた。
受講生が不満を持ったら、無条件で返金。クオリティを高める。
アンケートで平均4(max5)以下の教師をクビ。

200億のファンド。99年のファンドとしては世界一。

企業内研修300社。時価総額合計は東証の30%。
出版物。などなど。

株式公開は考えていない。
非公開企業でアジアNO1の大学院。
授業では儲からない。ファンドなどで儲ける。
学びの場として快適をつらぬく。


MBAをとってきても商社ではあまり経営のフレームワークは役に立たなかった。
総合商社から総合事業会社にかわる。
プラントを売るのではなくて、買って運営をして、そこで金をもうけよう。
こうしたときにMBAが役に立った。

新規事業企画、買収など経営に関することでMBA役立つ。
MBAにより視点が広くなる。住商がいかにかつか?など。
小さい範囲では役立たないが、経営要素が増えると役立つ。

MBAは海外に行くのが一番よい。
経営学フレームワーク以外のメリットがよい。
違った価値体系の人との出会いが、視点を増やす。視野を広げる。


(グロービス)教育理念
・経営学を通してネットワークを作る場。(大学で会う人は利害関係がない。ポジティブに考える人。語らい、情報交換)
・経営のフレームワークを学ぶ場、考える力を養成。能力育成
・志を作る場である。自分の生き方に気がつく。自分の生き方を考える場。終身雇用の時代ではない。

留学中に考えたこと。
可能性を信じる。(吾人の任務)

ブランドをどのように対抗できるのか?(グローバルな視点で)
ヨーロッパNo1は無認可の学校だった。
2012年にはアジアのNo1になると決めている。
30年計画が当初からある。(残り18年)
30歳ではじめた。60歳のときにNo1。今は42歳

質疑応答

グロービスの卒業生が、実際に社会を変えてこそグロービスの価値がある。
リーダーシップ論では「代表的日本人」を使っている
特定の本を読んで、ディスカッションをリーダーシップの授業でやる。

志と能力を持った人間が多く生まれれば、日本は勝つ
知恵を社会に広めるのが仕事。(日本で経営にたいする理解が深まった)
自分がどれほどの志をもてるか。これ重要
リスクをとらなきゃ、リターンはない。(僕も実感してます)
嘘や、だましは良くない。それで失敗すると虐げられる。
真っ向勝負で、誠実に経営して失敗してもオープンにすれば、
そこまでひどく扱われない。
失敗しても死ぬわけじゃない。
「自分の生き方を決めて、能力をつけていく!能力を高めればどこでも生きていけるし、引く手あまた」


花火


岐阜の花火に行った。
えっと、日曜日だから8日かなぁ。
普通岐阜の花火は土曜日に行われるが、
雨で日曜日になった。

土曜日に行った人にとっては、
くそーって感じだったと思うけど、
日曜日の朝岐阜についた俺としては、
ありがたかった。

いやー、土手のところで見たんですけど、
すごいですよ。
音、地響き、花火、火薬のにおい、
すべてを感じた。
花火が自分に攻めてくる。
こんな感じ。
手で花火を取れそうな感じ。
花火の火薬が空に飛んでいくのが目で見える。
うーん。たまらん。

富士山にしろ、花火にしろ、
いやはやいいものを見ています。


花火のたまになって、空に飛んでみたいぐらいの気持ちです。
飛行機から見てもきれいだろうなぁ。
いやー、岐阜の花火は世界一です。


本質的満足

自分のしたことに対して本質的に満足できない。

自然や僕以外のものが作り上げたものを見て、感動する、
すごいと思う、心のそこから思うことがあります。
本質的満足がそこにあります。
これは、自分以外の人や自然が作り上げたからです。

でも、自分がしたことを心のそこから満足できない。
もっと、こうやればよかった。
なんで、もっと頑張らなかったんだ。
そう、後悔ではないんですが、
もっとこうすればよかったと常に思います。

でも、その時は、そう判断するしかなかった。
とも思います。そのときの判断はそれで正しかったと。

でも、満足は出来ない。
自分の能力を過大評価しすぎなのか、
上昇志向なのか知りません。
こうやっていうと、聞こえがいいです。

でも、何をしても満足できない、
死ぬまで満足できないかわいそうな人間。
こういうと、寂しい人間みたいです。

ものはいいようです。

でも、死ぬほど努力というか、
死ぬほど何かに打ち込まなければ満足出来ない。
もっと、言えば何かに打ち込み死ななければ、
満足できない。
過労死しなければ満足できない。
しかし、これには大きな問題がありまして、
死んでしまったら満足できないのです。
そのような感情を抱くことも、
そのように考えることも出来ないのです。
だから、永遠に満足できないのです。
悲しい問題です。

悲しい問題といいながら、
そんな性格の自分が好きなんですよね。
この性格を思う存分楽しんでいる。
確実にそういいきれます。

言葉の定義

個人によってかなり言葉の定義が違う。

多分これです。
よく言われるけど、この問題は未来永劫解決されることはなさそう。

たぶん、おれが先輩、後輩という世界に属していないというのは嘘。
特に多くの年上の人に育てられました。
確実にいえます。
ありがとうございます、と心のそこから言いたいです。
感謝感激雨あられって感じです。どんな感じかは知りませんが 笑
たぶんそのような環境は、相当恵まれていて、
すごいと思う人が大量発生しています。

でも、そのような人を先輩と思っていない。
失礼な奴ですいません。

前にも書いたんですが、こう言うことです。
(自分の昔のエントリーから引用)


僕は、年上の人にもため口を聞いてしまうときがある。
でも、そこには大きな理由がある。
境界線を越えた話をするため。
敬語というものは、二人の間に大きな溝を作る。
だから、その溝を取り去ってマジで話したいときはため口を使わざるをえない。
みなさん、すいません。
この場を借りて、僕の言葉使い「ため口」を謝ります。
本当に、すいません。
それと、僕の意図を理解してくれたらうれしいです。

この文章から、先輩後輩という関係についての僕の考えがあふれている、
と自分で勝手に思ってます。

自分がおぉ、すごい、面白い、と思った年上の人を先輩と定義していない。
先輩とは、たいしたこともないのに、えらそうなことを言ったり、
知ったかぶりをする、こんな人を先輩と定義しているような気がします。
(この意味で先輩を使わないこともあるので、あまり気にしないでください)
もちろん、後輩という言葉に関しても、同じようなことがいえます。

自分がおぉ、すごい、面白い、と思った年下の人を後輩と定義していない。
すなわち、同じ生物というか、年の差だけで分類できない、
仲間として捕らえています。

先輩・後輩という言葉は年齢差だけによって、
もっと言えば生まれた時期を人間が無理やり切り分け、
その差だけにより、人を分類したもの。
それが先輩・後輩である。
こう思ってます。
簡単に言えば、年の差ってのだけを強調したのが先輩・後輩で、
僕はその年の差だけによる分類が好きじゃない。
だから、先輩後輩という言葉も好きじゃない。
これだけのことです。
そんな感じでご理解ください。


年齢というものは人間の性格や、心理状態、
もちろん体力、体調にも大きな影響を与えるもので、
年齢なんて全く関係ない、なんていいません。

でも、年齢関係なく通じるものがある人はいます。
3歳とかでは通じるもの、何か同じものを感じるかどうか分かりませんが、
ある程度の年になり、
自分で物事を考え始めた、その段階からは通じるもの、
感じるものがあると思います。

その年代から、通じるもの感じるものあったら、
先輩も後輩もない。
そう、個人的に思っています。

たぶん、この僕の考えは中学の時には明確にありました。
小学校の頃は先輩後輩なんてなかった。
(スポーツ少年団っぽいものに入っていなかったからかも。)
でも、中学校に入ると部活というものがある。
小学校までは、横の繋がりの組織しかなかった。
でも中学校では、この部活というものを通して、
上下の関係が生まれる。
そこで、多くの人が中学校になると「先輩」という言葉を使うようになる。

先輩にかわいがられたいと、「せんぱ〜い」と年上の人にこびへつらう奴が生まれる。
こういう人間は世渡り上手かもしれない、
でも僕はそのような行動が絶対出来なかった。

さらに言えば、「先輩」という言葉を発することに相当な抵抗を感じた。
もっといえば、この言葉を発することが恥ずかしく、いやだった。
何か変な言葉だと思っていた。

このときから、先輩後輩という言葉があまり好きではないらしい。

こんなバックグラウンドが「先輩後輩」という言葉だけにあったんです。
自分で書いていて再認識した部分も多少あります。
こんな感じです。

August 07, 2004

大学生の年の差

1年生若いなぁ。
俺も一年生のときあんな感じだったのかな?

まあ、3年生でも若くて純粋な人はいるわけですけど。
ワしみたいに。(焼き殺されそう。。。)

逆に考えると、大学生って時期はすごい吸収する時期なんだなと。
たった2歳しか違わないのに、あんなにも経験値が違うのか?
(個人差大の可能性ありあり)

でも、時間があり、何でもできる環境なんだから、
なんでも経験しておけと。
そういうことですな。
リスクがあっても、まあ社会的にまずいと言われることでも、
ちょいと犯罪のにおいがすることであっても、とりあえずやろうと。

こうやって、自己肯定をして好きなことや、
やったことないことをとりあえずやってみる。と。

たった、2年間であんなにも変わるかな?
汚い世界に染まってしまった、大学生になっていくのだろうか。

先輩とか後輩とかそんな世界には中学校から一回も属したことがないんですけど、
後輩という人は先輩という人を尊敬というか、すごいと思いすぎでは?
先輩のアドバイスとやらを、後輩は信じすぎ。
俺が唯一後輩とやらに言えること、
「先輩のアドバイス信じない方がいいよ」
それだけです。

だって、先輩って人たちは、どうせ自分のことじゃないから、いい加減なこといいすぎ。
後輩にすごいと思われたいとか、カッコイイとか、できると思われたいがために、
あることないこといいすぎ。誇張しすぎ。

俺に聞いたら、汚い部分とか、夢のない部分もそのまま言ってしまいそう。
後輩の夢を奪うなとか、文句言われそうだが、
そんな、本当の姿を知っても、這い上がってきたり、やりたいという気持ちがなければダメです。


August 05, 2004

富士山写真一覧

富士山の写真をアップ。

このURLから見てください。
http://teratown.com/fuji/list.html

写真の感想は、コメントにでも書いてください。


フォルダ指定して、勝手に写真のページ作ってくれるソフトがあったら、
アップしようと思い検索。
するとあった。
フリーソフトで「すなねぃる !!」ってソフトです。
なかなかいいです。

このソフトがあったら、これからも写真を撮ったらアップが便利だ。
今さらながら、今まで撮った写真のライブラリーを作ろうかと思ってしまう。

富士山-詳細版-

ということで、富士登山の詳細情報です。

2日の時点で、3,4日富士山は雨。という予報。
それで、3人でメッセで話し合う。
もちろん答えは、とりあえず行ってみる。
もし、雨が降ってきたらあきらめて帰るということになった。
そして、当日(3日)の16時少し前に、西日暮里の駅を出る。
時間がなかったので、とりあえず駅のホームの自販機で水、スポーツドリンク各500mlを購入。

16時20分新宿駅西口のバスターミナルで友達2人と待ち合わせ。
二人はもう来ていた。

この二人は、同じ大学でもっとも仲のよい、二人です。
で、予約して買ってくれていた、チケット2600円を払う。
さらに、昨日、酸素と懐中電灯を買ってきてくれていた。
本当に、ありがとうございます。
二つ(酸素、懐中電灯)で、1800円。
この2つが、今回の登山で最も重要なものになるとは、このとき知る由もなかった。
さらにいえば、ラバーで覆われた懐中電灯。
これが非常に良かった。
なぜかって、岩を登るときに、懐中電灯が岩にぶつかる。
ラバーだと傷が付かないし、落としても壊れない。

で、話は戻ってバスターミナルの横のサンクスでおにぎり3つと、ジュース、チョコレートを購入。それから富士急行バス(新宿〜富士山五合目線)(16:50発)に乗る。

おお、外国人比率多い。
途中、何人かを拾って、ほぼ満席。
lonely planet Japanにも富士登山についてのっていたからなのかも。

それで、19時ちょいすぎぐらいに、富士山5合目到着。

ケッコウ早いな。
ついたころには、真っ暗。
それで、腹も減ったし、おにぎり一つ食べる。
これから、上り始めるので、準備。
懐中電灯を出したり、服を準備したりトイレに行ったりと。
それから、いざ富士登山開始(19時30分)。

しかし、真っ暗。
どっちへ登ればよいのだ?
分からない。
ということで、売店の店員に聞く。
すると、教えてくれた。
おそらくこの道というのは分かったが、人が誰もその道へ行かない。
さらに、真っ暗で看板があるかどうかも定かでない。
警備の人がいたので聞く。
するとあっているらしい。
それで、歩きはじめる。
まずは、6合目を目指す。

すると、帰ってくる人に何人か会った。
やっぱりあっている。
でも、懐中電灯の明りだけで歩いており、どんなところを歩いているかも分からない。
すぐ隣は、崖だったりと、ふざけていると危ないかも。

歩いていると、立ち止まっている2人組みが。
分かれ道みたいだった。
そこに、看板があったので、我々も確認してさらに進む。
すぐに6合目だ。20時ちょい過ぎぐらいに6号目に到着。
予想していたよりも早く、さらに意外と楽だった。
そこで、帰りの登山道で、静岡と山梨に別れる道があると聞く。
表示も大きくないので気をつけるようにと、紙ももらった。

このころから、ほんの少し空気が薄いかなと感じるぐらい。
ほとんど、地上と同じ感覚です。
まだ、このころは歩くと暑かった。
シャツ一枚で問題ないくらい。

さらに登ると、5~6号目と違い岩場なども出てきた。
登山道もぐねぐね。
そんなとき、遠くを見ると、山の頂がほんのり白く幻想的だった。
きれいだな。
なんか柔らかい感じがしました。
さらに、町の明りも見えたり、雲が下に見えたり。

登っていると、月が昇ってくるのを発見。
遠くの山から月が顔を出し始めた。
どんどん、月が昇ってくる、その速度を感じた。
さらに、山という対象物があるので大きく感じる。
オレンジ色のつき。
すごかった。
日の出の前に月の出を見た。(20:45)
なんと、満月に近い。
きれいだった。
3人で、ボーっと見てました。

雨も降る感じはなく、月も見れた。
さらに、このころから、星が見え始める。

21時ぐらいに7合目到着。
非常に順調だ。
カップヌードルが500円で売っていた。500mlのジュースは350円。

ここらで、少し休む。
あまり疲れてはいなかったが、時間調整。
頂上で、長い時間過ごすのは辛い。
なんていったって寒さとかぜが違うから。
7合目あたりには山小屋が多かった。
少し登ると、また山小屋というかんじ。

休みを終え、また少し登る。
7合目のトモエ館で再度休憩。(21:20)
風が吹くので、風にあまり当たらない、壁際などの場所で。
このあたりだったと思うが、トイレに行く。
一回100円。

トモエ館ではジュースが400円になっていた。
どんどん高くなる。

酸素の濃度(薄さ)に慣れてきた。
呼吸の乱れも少なくなった。
こまめに水分を取っていたことも良かった点だろう。
特に、スポーツドリンクはおいしく感じた。
さらに、水やお茶よりも回復が早い感じがした。

山小屋の前は、急な岩や、ロッククライミングのような場所が多かった気がする。
軍手は絶対に必要だ。
さらに、足元を確認するために、懐中電灯も欠かせない。
前日に買ってもらった、懐中電灯大活躍。
というよりも、懐中電灯がなかったら確実に登山不可能です。
まあ、夜中に登るんだから当たり前なんですけど。
今回は月が満月に近く、明るかったので懐中電灯だけでも比較的良かったのかも知れない。
新月のときは懐中電灯だけでは足らないかも。
それくらい、明りがありません。

休んでいると、寒くなってきた。
さっきまでは、そんなにも感じなかったが、
夜もふけてきたし、高度も上がってきた証拠だ。
それで、重ね着をする。
雨という天気予報だったので、シャカパン(通称)防水のズボンや、
カッパ、ウィンドブレーカー、長袖のシャツ、
もちろん着替えのシャツ、靴下などを持ってきていた。

雨というっ天気予報がなかったら、
こんなにもってきていなかった。
頂上に近づくにつれ、この服をもって着てよかったと実感。
最終的には持ってきた服をすべて重ね着した。

休憩と時間調整を終え、再び登山開始。
眼下に見える雲が月の光を帯びて神秘的だ。
トリイ荘の前の岩場がきつかった。
急な坂であった。
トリイ荘でまた少し休憩

すぐ、歩き始める。
このあたりは本当に山荘が多い。
下から見ても、明りで山荘の多さが分かる。

東洋館。
この前あたりから、風が強くなってきた。
風が冷たい。
さらに、きつい岩が多くなってきた。
酸素が薄くなってきた。確実に感じる。
このあたりから、見える星の数が増えていく。
飛行機からみえる星、瀬戸内海のフェリーから見た星、富士山から見る星。
これは今までいた中で、本当にきれいな星たちだ。
今回は飛行機とは違い、360度というか、
上下左右、どこを向いても星。
高い高い富士山だから、さえぎるものが何もない。
当たり前のことなんだが、開放感というか、この世界は俺のもの感があった。

東洋館で休憩。
ここを12時に出てもご来光には1時間も早くつくらしい。
頂上の小屋が開くのは3時という情報も聞く。
まだ、22時ちょいすぎだ。
早すぎる。
しばし休息。
どんどん、風が強くなってきた。
常に吹いている。
服を重ね着する。
あったまろうと、ポタージュスープ400円を飲む。
量が少ない。もっと温かい方が良かったが、
体の中が暖まってきた。

食べ物を買えば、山小屋に入れると思ったら、違った。
1時間100円ぐらい払わないといけないらしい。
うをー。
それで、外で食べる。。。

飲んだ後、少し休んで、
また上り始める。
ちょくちょく休憩を取っている。
山登りには休憩と水分、酸素、防寒着これ重要。
実感しました。
登っていると、天国みたいな景色が見える。
天国なんていったことがない。
テレビや、絵でもイメージはあまり見たことはないと思うが、
私の脳の中にある天国のイメージに似ていた。
暗い空、満月に近い明るい月、降ってきそうな多くの星、
山の峰は青白くひかり、無駄な音が何もしない、
大きくゆったりとした雲、そんな感じです。

23時10分ぐらいに8合目に付いた。
24時ぐらいまで休んだ。
体が暖まってきた。
中に長袖のシャツを着たからだろう。
ここで、また休む。
山荘の壁にへばりついて休む。
風を感じないからだ。
ここで、持っている服を全部きる。
半そでシャツ、長袖シャツ、薄いジャンバー、ウィンドブレーカー、帽子、フード、軍手、チノパン、シャカパン、こんな感じ。
これだけ着ても、暑くはない。
寒いくらいだ。それだけ風が強い。

また、上り始める。
これ以降は山小屋が少なくなるらしい。
このあたりから、人が多くなる。
いわゆる、数珠繋ぎだ。
ツアーの人も多いみたい。
でも、我々は自分のペースで行くために、追い抜く。
その前は人がいないこともあったので、
ペースを保てた。

8.5合目に到着。
8.5合目が最後の山小屋だった。
下を見ると、懐中電灯の明りで、人がたくさん並んで登ってきているのが分かる。
それで、あまり休まず上り始める。

ここからが辛かった。
急激に酸素が薄くなった感じがした。
3200〜3400の間で酸素が激減した感じがした。
正直辛かった。
足の歩幅も短くなった。
このあたりから、少し歩いて休む感じになった。
心臓のペースがカナリ速い。
さらに、脳に酸素が回っていないのが分かった。
友達の話しかけにも、答えなくなる。
そのうち、限界に近くなる。
意識が朦朧としてくるレベルだ。
酸素を持ってきていたので、酸素をこまめに吸う。
少し歩いて休む。
休むときは寝てしまいそうだった。

この状況を見て、
友達が、バックパックを持ってくれた。
ありがたかった。
右手に懐中電灯、左手に酸素ボンベだ。
それで、上り続ける。
なんか惰性で登っているというか、
気力だけというか、
人間の動きにも完成の法則が適応されるのではないかと思うほど。

9合目の表示はなかった、
見あたらなかった。
が8.5からカナリ歩いた記憶がある。
なんとか一歩ずつ歩いていると、
上に建物と明りが見えた。
さらに、平らな場所があった。

とりあえず、あそこまで行こうと思った。
あそこは頂上に違いないと思い込ませ、
最後の力を振り絞った。
そして、たどり着くと、頂上だった。
うれしかった。

あれだけ、グロッキーだったが、意識が戻った。
頂上という文字を見て復活した。
といっても、まだかなりしんどいレベル。
登らなくていいので、酸素をあまり必要としないから、
少しだけ落ち着いたのかもしれない。

一人では絶対無理だった。
友達2人の支えがあって登ってこれた。
感謝、感謝ただそれだけです。
本当にありがとう。

けっこう早くついた。3時10分ぐらい。
人はあまりいない。
ご来光を見るために、ベンチがいくつかあった。
最前列に誰もいないベンチを発見。
はっきりいってベストポジション。
そこを陣取った。
これで、ご来光をベストポジションで見られる。
でも、まだ1時間30分ぐらいある。
ご来光まで、待たなければ。
でも、寒い。
風が強い。
まあ、日本一高い場所で、一日のうちで一番寒い時間帯。
さらに、屋外にいる。風をさえぎるものはない。
寒いのは当たり前だ。
場所をとられないように陣取ったのはイイが、動けない。
すると、すこし寝てしまった。
こんなところで寝ると危ないぞ。
と思うが、何度かうたた寝を。
日本一高い屋外の場所で寝た男でした。

で、4時ぐらいになると、だんだん空が明らんできた。
日の出の予感。

雲も太陽が出てくる場所にはなく、最高。
こんなきれいな日の出を見れるのは、
富士登山をした人多くいれど、めったにいないはずだ。
さらに、雨も降らない、満月に近い月の出が見られる。
運が良すぎます。
多分、日本人の中でもっとも付いているやつらです。
うれしい限り。
幸せでした。

どんどん、明るくなってくる。
金華山、伊勢神宮でも日の出を見たな。飛行機からも見たな。
明るくなってから時間がケッコウかかるのは知っていた。
でも、今回は日の出だけではなく、雲に移る太陽がきれいだった。
P8040221.JPG

明るくなってきた。
日の出だぁ。
太陽が昇ってきた。
おお、ご来光。
美しい。
すごい、
うぉーーー。
たまらん。
こうかくと、安っぽいが、もっとずしーんとじわっとくる重みがあった。
なにやら、何事もないように、しかし、徐々にじわりじわりと、
ここちよい感動が生まれた。

4時40分ごろから日の出。
太陽ですよ。
さっきみた、月の出とは全く違う。
日の出。
P8040257.JPG

実は、河口湖がすぐ下に見えた。
これまたきれい。
さらに、雲がきれい。
空の青がきれい。
樹海の緑がきれい。
本当にすごい。
富士山。
着てよかった。
頂上は格別です。


思う存分、日の出を見た。
手とか鼻が痛い。
寒すぎるのだ。
それで、うどんを食べた。
頂上でうどん800円。
高い、でもうまい。温まる。

食べ終わると、すぐ下山。
登ってきた方と反対側から降りる。
それが下山ルート。

降り始めると、白くふんわりとしたくもが見える。
幻想的な雰囲気。
なにか、繭にでも包まれたかのような雰囲気がした。
P8040266.JPG

5時20分ぐらいに下山開始。
降りるのは、楽。
カナリのスピードで降りる。
しかし、砂埃が、、、
すごすぎる。
のどと、目がやられる。
さらに、暑くなる。
登るときと全く逆。
時間も昼に近くなり、標高も低くなるため。
で、どんどん、服を脱いでいった。
行きの8合目ぐらいで買っポカリが役立った。
冷たくてうまかった。

青い屋根の小屋がある分かれ道でも迷わなかった。
須走口、山梨方面へと行く。
7時15分ぐらいに6合目を通過。
2時間でここまで来た。
早すぎる。
一気に降りた。
朝はすがすがしい。
雲も山も空気もきれい。
雨も降らなくて良かった。
6合目から5合目までが意外と長くてびっくり。

行きは暗かったし、元気だった。
人間の感覚とはそんなものなのだ。
途中、馬を見た。
馬で、食料などを運んでいるみたいだ。
8時、長かった富士登山も終わり。
疲れた。つかれきった。
まあ、徹夜で登ったんだから当たり前。

問題が。。。
富士山5合目発のバスは11時が始発。
3時間待ちです。

ハンバーガーを買い食べた。
それと、服を脱いで片付けた。
5合目はだいぶ温かかった。
3人とも広場の床みたいなところで寝てしまった。
相当疲れていた。
当たり前だ。

それから、バスに乗り新宿へ。
1時40分ぐらいについた。
もちろん、バスの中でも寝た。
新宿の吉野家に3人で行き、解散。
楽しかった。

富士山最高!

深い眠り

さっき目を覚ました。
本当に、昼なのか、朝なのか、夜なのか、
もっと言えば、寝てから何日経ったのか、
いったい今いつなのか?
寝ていて良かったのか、
全く分からなかった。

それほど、深い眠りだったみたいだ。
こんな深い眠りだったのはとても久しぶりだ。
それだけ、疲れきっていたのだろう。

でも、寝ていたのは実質2時間ぐらいだけなのに。
完全に深い眠りに落ちていた。
富士山、恐るべし。

起きると、平成9年のトップ10をやっていた・。
7年前らしい。
曲を見て、もっと最近だと思った。
あれから7年かぁ。
早いなぁ。
なんか、音楽や映像の記憶って、
日々の生活を基準をした時間軸と違うのかなと思った。
それと、7年という月日の重みを感じた。
7年かぁ。

August 04, 2004

時間と場所

時間と場所って不思議です。
音もない、

何もないところへ行きたい。
現実が怖いだけなのだが。

時間が楽しさを辛さに変える

現在の楽しい時間や楽しいことってのは将来は思い出になる=懐かしく、寂しくなる

という悲しい話。
辛いモンです。

でも、そんなこといっていたら何も出来ない。
思い出にすがっていても、いきていけない。
そうなんですよね。

今を楽しむしかない。
今を楽しもう。

ディベートの全国大会の後、帰りの電車で
某氏と2人で話した。
いやあ、我々は悲しい性格を持った人だと。
そう思ってしまう、自分たちの性格が悲しいという本質。

富士登山実況中継ブログ成功

昨日書いたエントリ(今度こそ、実況中継)が一応達成された。

富士登山開始から下山までに24回のエントリー。
15枚の写真をモブログで更新しました。
8月3日分はこちら。
8月4日分はこちら
そのときの、写真、その時感じたこと、
登っている人にしかえられない情報をアップしたつもりです。
もちろん、重要なご来光の写真もリアルタイムでアップしました。

登山(富士山)モブログによる実況中継の意味(まあ、自分が楽しいからやるので、意味なんてないんですけどね 笑)

富士山に登ったことがない人、
登ることが出来ない人でも、
リアルタイムに更新されるモブログにより、
富士登山を実感でき、
ご来光も拝める。
というなんともすばらしい企画。
まあ、こまめにチェックした人は一握りだと思うので、
自己満足です。

あと、友達が今月中に富士山に登るといって、
いろいろ聞きたいといっていたので、
メモ程度に記録するという意味がありました。

それと、ネットで調べると
富士登山をモブログで実況中継をして、
ご来光も見れた、モブログでアップで来た人は、
今までにいません。
それで、やってみようと。

登山記録としては便利です。
何合目でジュースがいくらかという情報や、
どこの岩場がきついかとか、
必要なモノは何かとか、
どれくらいの時間で登れるかなどの情報がストックできる。
これは、のちのち使えるし、
今後富士登山をする人にも有効ですから。

まあ、もっと人が見たりすれば面白かったり、
いろんな切り口を加えると面白いことになったでしょうね。
モブログ見ている人から、富士登山に関する質問を受け付け、
答えのエントリーをするとか。
複数人でやるとか。

コメントやトラックバック、メールを下さった方、
ありがとうございます。

みなさん、ぜひ、富士登山、もちろんご来光と、夜の月の出を見に行ってください。
かなり美しいです。
富士山からみる、太陽や月は最高です。
雲も緑も美しい。
汚いと聞いていた、登山道もゴミなどなくきれいでした。
でも、なめて富士登山すると辛いですよ。
夜中は真っ暗、寒い、空気薄い、
けっこう、辛いですから。
それなりの準備をしていってください。

まあ、今回は1回目にして、月の出、日の出などすべて完璧に見れ、
雨が降ることもなかったので、かなりついていました。

後ほど、きれいな写真(ご来光、月の出、河口湖などなど)付きで、
エントリしますので、そちらもご覧ください。

None

五合目に無事についた 疲れたけどかなりよかった あとはバスで帰るだけ 富士登山モブログはこれにて終わり

None

六合目をさっきすぎた。 すがすがしい 雲も山も緑もきれい

None

かなり下山 2700メートル 標高で300メートル下りれば五合目につく かなりはやかった すなぼこりがつらい

None

下山開始

None

日の出 ほんとすごい たまらん きてよかった 最高

None


頂上

頂上 富士山 (^.^) 風が冷たい

None

見えないけど山頂です やった 途中酸欠で、もう無理かと思ったけど、友達がバックパックをもってくれて山頂まで来れた。ありがとう。頂上につけば元気になった。高山病ってこんなもんか。まあ元気になってよかった

死ぬ感じ=意識があるのに意識が薄れる

死ぬ感じ=意識があるのに意識が薄れる

これだと思います。
正直、富士山で死ぬと思いました。
8.5合目から頂上まで記憶がありません。
なんか、酸素が足らず、心臓が早く打ち、
意識が薄れていく。
自分のがいると、脳は認識(脳を使わない感じで、思うもの、感じるもの、湧き出てくるもの)しているんだけど、
その状況下で意識という別物、
何というか、脳をしっかりと使って思考をする意識は遠のいていく。

脳に酸素が明らかに回っていなかった。
ああ、死ぬかもと。
そう思った。
あの真っ暗で寒い、富士山の岩場で寝てしまいそうだった。
寝ていたらまず、死んでいた。
友達が声を掛けてくれてありがたかった。
恐るべし、高山病。

でも、そんな意識がなくても、
少しづつ、酸素を吸い歩いていた。
自分は何も考えていなかった。
酸素が少なく、脳にまで酸素が回っていなかった。
でも、歩いていた。
一歩ずつ登っていった。
人間の行動にも慣性の法則が適応されるのかと思った。
そんな富士登山でした。

August 03, 2004

None

八合名ついた 体が暖まってきた 長袖をさっき着たからだと思う食べ物 水分をしっかりとるとよい

None

天国みたい 雲がそんな感じ 星もキレイ

None

ボタージュスープ400円 あったまる 東洋舘

None

東洋舘を12時にでてもゴライコウには一時間はやくつくらしい 頂上の小屋は三時にあくと聞いた 風が強くなってきた 常に吹いている 服をたくさんもってきてよかった

None

東洋舘 風が強くなってきた 岩がきつくなってきた 町の灯りがきれい 星もキレイ 酸素が薄くなってきた

None

電話しないでくれ メールはちょうだい。こちらにお願いします*****@ezweb.ne.jp メールで疲れが癒される とりいそう直前の坂が岩で急だ

None


None

眼下に見える雲がきれい 岩がキツイ 今日は気候もよく 満月で最高 休むと寒い 風はそこまでふいていない

None

七合名 トモエ舘 ジュース400円 酸素濃度がなれてきた スポーツドリンクは回復はやい 岩があるから軍手必須 懐中電灯も絶対いる ここで休憩中です 七合名めトモエ舘で

None

七合名 ジュース350

None

7合名到着 カップヌードル500円

None

さらに満月最高

None

月がのぼってきた、山からのぼってきた のぼってくるのが目でわかる 上る速度を感じる 月がオレンジ色 感動

None

六合名つく 山の嶺がほんのり明るく神秘的

None

空気がうすい 歩くと暑い 用事があったらauの携帯にお願いします 電波通じます

None

登山開始 富士山だあ 真っ暗

今度こそ、実況中継

前、失敗した(山登りモブログ失敗に見るインターネット依存)山登りをモブログで実況中継を再びやります。

今回は富士山で。

果たして成功するか。

ここのモブログか、普通のエントリで更新します。

ディベート

全国大会が終わった。
いつもの夏の始まりだ。

毎年同じで、
毎年違う。

それが、ディベート甲子園。

1年生の人が若く見えた。
話していることが若かった。
年をとったのだ。
成長化、老化か。

楽しいことは、時間が経つと寂しくなる。
そんなもんですか。

関係者の皆さん、
ありがとうございました。

今までやってきたことは確実に成果です。
どれだけ、人が批判しようが、私はそう思います。
あなたは、それだけのことはしました。

すくり−んの皆さん、
落ち着きがあってすごいです。
さすがです。先生。
名前が違っても、動揺しません 笑

映像最強でした。
正直、クオリティ高いです。
3ヶ月のものだけあります。
自分のときにもあれがあったら、良かったなと思います。

今年初めての人は、これからも楽しくやってください。
あそこにいる人たちは、能力が高くて面白い人が多いですから。

何事も、引き際と、受け継ぎ。
これ重要。でもって難しい。
受け継ぎは後継者育成という、
人を育てるという、最も重要で、
もっとも難しいこと。
なんだよな。

人に話す

人に話していることは、自分に言い聞かせていることだったり、
人のことについて話しているつもりで、自分についていってます。

まあ、使っている頭が自分だから当たり前なんですけど。

August 02, 2004

なんかよく分からんが

なんかよく分からんが、
そわそわするというか、何かにおびえているというか、
何かが足らない、何かすることを忘れている、
何かへん。

体調が悪いとか、何かがうまくいっていないというわけではない。

これって何なのか気になる。
ってか、こういうのは理由を追求したいな。
おもしろいから。

忙しい中、ふと時間が出来るとこんな感じになるのか?

まあ、全然なんともないんですが。

August 01, 2004

自然と正座になる

なんか、真剣に文を読むとき、
というか、文章を少し読み「おぉ」っと思ったとき、
なぜか、自然と足を組み替えた。
正座になった。

自分が無意識のうちに正座にしたらしい。
そして、その行動の結果(正座をするという行為)に気づいた。
なんか、まじめにやろうとか、真剣に読もうと思うとき、
自然と正座になるらしい。

ふと思い出してみると、小学生のころに親に言われたかも。
なんか、面白いテレビは正座で見るねと。
真剣に何かをしようとするときは、正座になる。
なんか、正座をすると身が引き締まる。
気分が引き締まるからだろう。

なんで、引き締まるかは知らないが。
まあ、なぜかは大いに気になることだ。