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January 26, 2006

ごちそうさまは言うけど

今日、1限のテストを終えて二郎に。卒業したらあまり来ないだろうということで、通った。
月曜日から木曜日まで四日連続。
駆け込み需要と言うものが発生することを身をもって体感した。
三田二郎よ当分さようなら。

で、二郎で思う。二郎では1時間ぐらい並ぶのだがその間、いつも本を読んでいる。この時間はスゴイ有意義である。読書の時間だ。それに、いろいろな人を見てきたし、おやっさんの行動や発言、そして弟子との関係など、あれだけ通っただけあっていろいろ気づかせてもらった。

で、今日ふと思う。

二郎の客は、「ご馳走様」と言う。礼儀正しい客だ。
普通お店で、ごちそうさまと聞かないことが多い。
しかし、聴くときも意外とある。
しかし、ごちそうさまは言うけどいただきますは言わない。
これはめったに聞かない。お店でいただきますといっているところはほとんど見たことがない。

何でだ?
終りよければ全てよし、だから?
立つ鳥跡を濁さず?だからか?
しかし、コレは何も言っていない。日本人の文化と言うか感情にこういった精神が染み付いているからなのか?

それとも「いただきます」「ごちそうさま」の言葉の成り立ちに違いがあって、そこに理由があるのか?
前と後の印象の変化か?それは、食べる前は店から何ももらっていないが、食べた後は店からもらった。だから感謝の意を表すのか?

そもそも、ごちそうさまは店主(おっさん)にいっている。こんな旨いものを食べさしてもらってありがとうと自然に出てくるのかもしれない。食べる前は満足いくかどうかの判断がつけられないが、食べた後は満足して、その気持ちを伝えたいと。

そもそも、家で「いただきます」「ごちそうさま」は抽象的なものにたいして拝んでいる。食べられることやその環境に感謝しているのだろう。

いただきます、ごちそうさま、でこんなことを考えるとは。相変わらずだなw

October 26, 2005

舌に馴染む

日本食は舌に馴染む 落ち着く 

ボリビアの飯もうまいが舌に馴染むまではいかない

母親の料理も下になじむ。落ち着く。ほっとする。

おいしいもの、うまいものよりも、さらに上なのが下に馴染む食べ物だろう。

July 19, 2005

夢で詩を読む

最近、夢の中で詩を読んでいることがけっこうある。

しかし、どんな内容な詩を読んだかは覚えているが、一字一句覚えてはいない。

が、5行ぐらいの詩だと思う。


「なんでもやりたいことをやっている人は悲しい」、というような内容の詩だったと思う。

夢を覚えておきたいな。
メモ帳を枕元において、すぐ書くといいのかな。

July 12, 2005

未来の自分のためのお供え物

片岡鶴太郎さんがテレビに出ていた。

次の日の料理の準備をすること、これを「未来の自分のためのお供え物」と例えていた。
過去の自分が、現在の自分に尽くしてくれたんだな、と準備して作っておいたものを食べる時思うそうだ。

このようなことは考えたこともなかった。さらに、なにか引っかかった。

未来の自分のためのお供え物

July 05, 2005

二階堂-お酒のCMが洗練されているわけ-

寝ようとしたら、二階堂のCMが流れた。正確には二階堂かどうか分からなかった。なんかすごいいい感じのCMだなと感じて、なんのCMかなと思って、最後まで見ていたら二階堂だと分かったのだ。

どんなCMかっていえば、たおやかさを持ったCMという感じ。ゆったりとした流れの中に、一つ一つの言葉が存在感を持っていたそんなCM。まあ、CMライブラリーでも見てください。

で、思ったのがお酒のCMは洗練されている。依然書いたiichikoしかり。何でだろうと思う。まあ、ビールとかはわいわいがやがやしながら飲むものだから、ああいうCMでいい。しかし、焼酎とか日本酒とかまったりと飲むものであるし、味わうものだからああいうCMになるんだろうな。って当たり前か。今後も酒のCM 注目ですな。

CMは映像と音が合わさって勝ちのあるものなので、文字だけでは伝わらないものもありますが。。。

ナレーション
2004年 「詩人の島」
水平線を引いたのは、
空があまりにも空だったから。
夜空に星を撒いたのは、
地球と言う星を忘れそうだったから。
私は私のままでここにいる。

そして、むぎ100%
大分むぎ焼酎、二階堂。


2003年「遠い憧れ」篇
錆びついていた時計が、
再び時を刻みはじめた。
縺れた糸はほどけ出し、
古びた迷路は、一筋の道になる。
麦100%は、私のふるさと。
大分むぎ焼酎、二階堂。

2002年「父」篇
私の記憶に、いつも後姿で現れる人がいる。
あの頃、あなたが口にしなかった言葉に、
いつか私は、辿り着くのだろうか・・・?
ずっと、麦100%。
大分むぎ焼酎、二階堂。

2001年「雨宿り」篇
刻の我侭に流されて、
私は、記憶の海に辿りつく。
ふるさとは、私の中に流れています。
麦100%。
大分むぎ焼酎、二階堂。

2000年「風の海峡」篇
確かな言葉は、誰も持っていませんでした。
海、渡る。
風、渡る。
懐かしさは、不思議な力を持っています。
私は麦100%。
大分むぎ焼酎、二階堂。

1999年「旅人の車窓」篇
生まれたばかりの風が、
窓から飛び込んでくる。
旅人のほろ苦い後悔は、
やがて美味しい溜め息に解きほぐされていく。
私は麦100%。
大分むぎ焼酎、二階堂。

1998年「刻の迷路」篇
風追い街、誘われ道。
置き去りにされた刻の迷路で、
物語は今も続いている。
私の住処は、ここにあります。
麦100%。
大分むぎ焼酎、二階堂。

1997年「木登り」篇
ただいま。
グラスに映るのは、本当の私です。
麦100%。
大分むぎ焼酎、二階堂。

1996年「シネマグラス」篇
探していた想い出に、
人は、どこで追いつけるのだろう。
人はみな、帰るべき刻があり、辿りつく夢がある。
夢から醒めて、ここにいる。
私は麦100%。
大分むぎ焼酎、二階堂。

1995年「天文詩人」篇
幾千、幾万光年の彼方から、
星たちは、どんなメッセージを伝えようとしていたのだろう。
満天の星が、今宵も天文詩人たちを悩ませる。
いつも、新しい輝きと、新しいいのち。
私は麦100%。
大分むぎ焼酎、二階堂。

1994年「風の棲む町」篇
その呟きは、やがて街に温もりを宿し、
溜息は、懐かしい時間を映し出す。
風が、描く。
刻を、描く。
私は、おいしい風を知っています。
麦100%。
大分むぎ焼酎、二階堂。

1993年「文士」篇
東にいれば、西へ行きたい。
春が来れば、冬が恋しい。
いたずら頑固に、生きてゆく。
そんな時代がありました。
誰にも似ていない、誰にも辿れない。
麦100%が私の生き方。
大分むぎ焼酎、二階堂。

1992年「私の道」篇
風の道を辿って、旅は始まる。
忘れていた夢に出会い、見知らぬ刻に触れる。
私の旅は、終わりのない旅かもしれない。
風の道が、私の道。
麦100%。
大分むぎ焼酎、二階堂。

1991年「森のオルガン」篇
この星が生まれたばかりの頃、
鳥たちはここで飛ぶことを学び、
風は歌うことを学んだ。
ここで生まれて、ここにいる・・・。
私は麦100%。
大分むぎ焼酎、二階堂。

1990年「刻のオブジェ」篇
海から抜け出した魚たちが、今夜帰ってくる。
大地の上で、彼らは一体、どんな夢を見たのだろう。
聞こえてくるのは、魚たちの夢の話。
彼らの夢を肴に、今夜も・・・。
麦100%。
大分むぎ焼酎、二階堂。

1989年「街の夢」篇
風の気持ちも、光の想いも、知っている。
全てが隙間なく、 私の心に重なり合う。
街は今日も、ふるさとの夢を見ているのか。
麦100%が原点。
大分むぎ焼酎、二階堂。

1988年「水の旅」篇
人知れず、彷徨いながら、揺い(たゆたい)ながら、水はおいしく磨かれていく。
大分の、おいしい水と出会って、私は麦だけの焼酎になる。
大分むぎ焼酎、二階堂。

1987年「自然」篇
いつ、来れますか・・・。
いつ、逢えますか・・・。
いつ、話せますか・・・。
自然も、街も、人も、みんな、ゆっくり、もっと、ゆっくり・・・。
大分むぎ焼酎、二階堂。

いいちこに関する以前のエントリー

June 16, 2005

二郎大ダブル完食

三田二郎本店で大ダブルを食べた。
食べつくした。

ということで、記録として残しておきます。

次は鍋二郎をやりたいですな。鍋もって、いざ二郎。

May 27, 2005

耳で食べる

耳で食事すると言うと変に聞こえるかもしれない。

先日、特に何も考えずヘッドフォンをつけて食事をしようとした。というか、食べ始めた。すると、いつもの味と違う。何か違う。いつもより無味な感じがする。ふと思って、ヘッドフォンをとるといつもの味のような気がした。

食事のときの音といえば、そばを食べる音、油で揚げる音などいろいろあるが、これらはおいしさの大きな要素なんだと思う。食事は目で楽しむというが、食事は耳でも楽しんでいるのだな。

May 13, 2005

何かを食べたくなるとき

ひらめいたように、何かを食べたくなるときがある。

それも、友達と数人いて全く同じものを猛烈に食べたくなるときがある。

足らない栄養素を補給するために食べたくなっているのだろうか?そうしたら、人間は勝手に足らない栄養分を認識し、それが入っている食べ物を脳のアーカイブ中から選び出し、食べたいという気持ちを作り出している。これが達成されるには、日々の食事のときに脳が無意識的にものを食べたときにこれはどんな栄養があるかを分析していることになる。

まあ、こんな理由で食べたくなるんじゃないかも知れないからなー。なんであるものを突如、食べたくなるんだろう。

純粋に、好きな食べ物だったり、最近テレビや友達の話で出てきた食べ物が頭をよぎっただけかもしれないのだけどね。

March 09, 2005

夏の鍋

冬には鍋があるが、夏には鍋がない。

ああやって、みんなで飲みながら話しながら食べられるものが夏にもあれば。

なべをやるといえば、友達を誘える。久しくあってない人でもなべをやるからといえば会える。

そんな夏のなべあったらな。
作ればいいのか。

January 25, 2005

風よ水よ人よ

「風よ水よ人よ」これは、日本酒の名前。
某先生の家で飲ませてもらった。

さすが、先生というほどの味。安くてうまいらしい。

やっぱり、「うまいもん」は先生に聞くのが一番だ。
「うまいもん」ってのはちょうしこいたフランス料理とか気取ったものや名前だけのものや値段もむっちゃ高いものじゃなく、「うん、うめー」っていえる、人間が一番うれしい瞬間を味わえる食べ物ね。

だって、肩肘張って高級なもの食ってもうまくない。やっぱ、なりふりかまわず食らいつくのがうまいよ。

December 19, 2004

-情熱大陸-師匠とは

心の底から自分の師匠といえる人に出会ってみたい。

今日、情熱大陸を見た。荒木水都弘というすし職人の方を取り上げていた。身を粉にして極めるタイプで、まじめで、不器用そうな人っぽかった。でも、僕はこういう人が好きだ。

この人は4年前に独立したらしいが、それまでの師匠が店に久しぶりに来るシーンをやっていた。師匠は小林秀雄さんや現在の天皇陛下にもすしを握ったことがある人らしい。彼はその店で修行して、師匠が病気を期に職人を辞めるときに玉子焼きの鍋をもらったそうだ。コレをもらったという事は、師匠はこの弟子に期待をしていたということであろう。そして、今は常に予約でいっぱいの人気すし屋になっている。

そんなところに、師匠はすしを食いにきた。師匠はすしを見た瞬間に語り始めた。お金をとらないならばこのすしでもいいが、取っこのすしではだめだ。きり方がなってないというようなことを言っていた。寿司のネタにとって切り方は命なのであろう。

絵を書く人にとっては、一本の線がそこにある、そこでしかダメな場所があるみたいだ。腑に落ちるというか、まさにそこに一本の線がある、あるべくしてある。そんな感じみたいだ。僕にはまだわからないが、いろいろ見ていくうちにわかるのだろうか。これは、文章を書く人にとっては、単語一つ一つ。文章の繋がりがまさに、絵で言う一本の線であろう。音楽家であれば、その音が、その長さで、その時に流れるからこそ、しっくりくるのであろう。これらのことは、ビジネスとかにも通じる部分があるのかなとも思った。


話を戻す。その番組を見て師匠って人に出会ったことがないと思った。師匠というものがすべてではないと思う。すべて正しいわけではないと思う。しかし、師匠という人と出会いたいなと思う。なぜかはわからないが、現代人的言葉で言えばロールモデルになるというのか、メンターもかねているというのか。でも、カタカナを使うとバカっぽいのでやめよう。安っぽすぎる。多分、師匠ってそう簡単には出会えない人だと思う。心の底から師匠って思える人には、全員が全員出会えるものではないと思う。

単なる尊敬する人とは違う、もっと身近なんだけど本当に尊敬できて、自分がその人に意思を伝えて、弟子のことを愛し、本当に弟子のことを思い育ててくれる。そんな感じだと思うのだが、僕は師匠といえる人とはまだであったことがなく、どんなものなのかはわからない。

たぶん、一つのことに没頭して極める段階において師匠に出会うのだろうと思う。自分の生きる道がある程度決まり、吾人の任務的なものが書け、それでその道を極める過程において出会えたら最高だと思う。

そういえば、昔こんなことを書いたことを思い出した。

何事も奥深く。はじめはミーハーなやつも多いが最後には本物を理解できるやつしかいなくなる。2002/11/20
(本質を理解している人たち同士だったら面白いなということを書きたかった。)

僕は、いろいろなことに興味があり、さまざまなことをしてきたと思う。それ自体は自分の考えの下であり正しいと思っている。しかし、もう少し社会を見て、自分が進む道を見つけたら、(その道はある特定のことでもいいし、いろいろなことに興味がある今の状態の延長上のことかもしれない)、師匠という人に会いたい。自分に素直に、情熱を持って取り組めば自然と師匠に出会えるのかもしれない。それは、実際にいる人ではなくても、本かもしれないし、何かもっと他のものであるのかもしれない。


また、使えないログ

荒木水都弘-情熱大陸-

気の短い江戸っ子のファーストフード(すし)は文化になった。
荒木水都弘--あら輝--

こうでなければ気がすまない。そのようなものあある。
とにかく考えている。選び抜かれたネタ。さりげないが
今が旬って言われるのは最悪、今が最高ってことだから。

話がすしになったら負けず嫌い。

不器用なほどまじめ。

すべてを自分でやらないと気がすまない。

すしを握るということは自分を握るということ。

一律1万五千円

全身全霊必死に自分を追い込んできた、今時分のすしはどうなのか?

師匠は物静かだが、まなざしは鋭かった。

一流を追うものだけに見える、地獄が有る。

やると思いますよ、やるんですよ、ずうっと。

December 02, 2004

あれば食う

単純だ、目の前にあれば食べる。

正確には調理せずに食べられるものが手に取るところにあれば、ある分だけ食べる。
なければ食べない。

単純だ。

でも、こうでない人もいるらしい。

まあ、あれば食うって健康に悪いことでもあるんですけどね。

それに、一口がでかいらしい。全く気がついていなかった。たぶん今まで僕が生きてきたコミュニティの人は一口がでかいから気にならなかったのか、俺がどんくさくて気がつかなかったのか。

食べるのが早くて、食べる量が多いとは知っていたのだが。
まあ、すなわち、一口がでかいということを言っているのだと思った。

でも、そこまで考えていなかったってことだな。
バカだな俺。

October 27, 2004

二郎

ラーメン二郎というお店が大学の横にある。支店もいくつかあるのだが、大学の近くにあるのは本店。川崎とか武蔵小杉などにも行ったことはあるがやはり本店がうまいです。

うまいという表現を使うと、お前はおかしいといわれそうですが、まあ気にしません。特にスープがうまいです。そんなラーメン二郎とはこんなものです。←をクリックするとグーグルのイメージ検索の結果が出ます。

この二郎が気合はいってます。>←をクリックするべし。あの盛り付けはある種の芸術です。器からこぼれない限界。なんて美しい。笑

で、このラーメンは一回食べると病み付きになります。何でかは分からないんですけど。じゃあ、きれいでうまいかと言うと、単純にそうでもない。ただ安いことは確かです。でも、安さだけで、あれだけ並びません。昼間なら2,30人並んでいます。やっぱ病み付きになる味という表現が一番的確です。もちろん病み付きにならず、一生に一回の経験でいいという人もいます。

で、何で二郎にひきつけられるかといったら、あの安さ、ボリューム、ネタっぽさ、わが道を貫く精神でしょうな。500円で普通の人なら食べきれない量があります。豚肉も分厚くてうまい、野菜の量や親父さんのキャラはネタっぽいです。店の汚さや壁に貼っていある二郎の家訓っぽいものもネタです。で、ここまでに書いてきたことは、わが道を行く精神に尽きます。きれいでおしゃれなラーメン屋が雑誌で紹介されテレビで紹介されもてはやされる、若いカッコイイ店長がいる、スープはなんか知らんが流行の味で、トッピングと称していろいろのっける。蓮華とか言う必要のないものが付いてくる。そんな安っぽさはない、迎合しない感じ。それが二郎にはあるのです。そこに、惹かれるのだろう。

二郎のことをほめすぎましたかね。でも、相当賛否両論あると思いますが一回は行くべきです。もし行きたい人がいたら、一緒に行きましょう。平日の12時ぐらいまでに連絡をもらえればいけると思います。それかPCにメールでもください。

まあ、このブログからのみ知る私と、実際に会ったときに持つ印象はかなり違うと思いますよ。

June 02, 2004

ばかたれえ

昨日は「ばかたれ」へ
「ばかたれ」っていきなりなんだ?
と、思うかもしれません。
これは中野にある岐阜人がやっているお店。

岐阜人がやっているというところがポイントです。
ちょいと、前にnaoさんから
この店の事を聞いていました。

で、行くっきゃない。
ってことで早速行ってきました。

kaoringoさんとnaoさんといってきました。
地図はあったんですけど、
中野のちょいと怪しい飲み屋街は道がくねくねしていて、
ちょいと迷いました。

岐阜というよりも、飛騨がアピールしてありました。
明宝ハムとか、飛騨の日本酒、など岐阜っぽいものもありました。
それに、店長さんと岐阜トーク。
次は店長さんも、一緒に椅子に座って飲むといってました(笑)

で、いつも通りトークをし続ける。
自分もなんですけど、みんな良くしゃべるね〜。

で、naoさんのお話を聞く。
純粋に、スゴイと思いました。
なんか、やってみたいとか思ったことはすべて達成しているのではないか
というような感じまで受けました。
そのために、忙しくてもイロイロやっているんだなぁと尊敬。

最終的なゴールを決めて、
そのゴールにたどり着くまでを逆算して
スキルとかを身につけていく。

確かに、そうだ。
でも、ゴールが見つかってない。
ゴールなんて、年とともに変わるといえばそうだけど、
ある程度見据えていないと、あっち行ったりこっち行ったりしそう。

時期が時期なのかもしれないけど、
将来のことについて考えると、
答えって出ないんだよな〜。
あるはずもないんだし。

日本で、イロイロ経験して、話を聞いてから
一人で、じっくり考えなきゃいかんなぁ〜。
海外へ行って一人で考えてこよう。
で、行き先が問題。
インドとシリコンバレー。
どっちも行きたい。
正反対。
どっちに行くかによって、考えることも全く違うだろう。
しかし、僕の芯となるものがはっきりとあるならば、
最終的に同じ結論に至るのかなぁ。

AO以来、マジで考えることのなかった人生、
考えて見ます。
そして、夏休みの終わりに自らの「吾人の任務」を書きます。
そして、ゴールを達成するスケジュールもかこっかな。

May 08, 2004

吉野家VS松屋リターンマッチ2

またかよ。って言わないでください。
1,2年は松屋研究家。
3年からは吉野家研究家ですから。
この店専門のコンサルになってもいいくらい、だと自負しています(爆)
これは、ネタですが

吉野家「祭り」キター

その名も「吉野家五月祭」
全丼商品を50円引き
期間 :5月13日(木)午前10時〜5月19日(水)午後8時

『玉子orみそ汁無料券』
期間:5月20日(金)〜6月9日(水)15:00

皆さん、覚えといたほうがいいですよ。
重要です。生きるうえでもっとも重要です。w

これで、吉野家は豚丼270円ですね。
牛丼より10円安い!

どうなることやら、この話題。

僕が吉野屋へ行く理由。って作文書いていいですか?
うそ。
でも、行く理由。
・安い
・早い
・自分で作るのめんどくさい、洗うのめんどくさい、ごみが出るのがいや。水やお茶が飲み放題。

って、なめてますね。
大学時代の思い出=松屋と吉野家。
コレだけは言い切れます。

ってか、落ち着くんだよなー。
あと、昔からの古臭い居酒屋も最強。

May 07, 2004

吉野家VS松屋リターンマッチ

前のエントリーで最後こう予言した。予言か?w

吉野家vs松屋まあ、豚丼280円、豚めし290円になって特に何もつくもの(サービス券など)はつかない昔のような状態に戻り、そのまま安定するのかな? 牛丼が復活するともうひと波乱ありそうなんだけどね。と

そうしたら、見事に松屋フーズは豚飯を290円に下げてきた。もちろん、サラダサービスとかはなくなってね。

つぎ、吉野家がどのような手を打つか見ものです。12日に今の卵、味噌汁、お新香キャンペーンが終わります。

こんな吉野家のニュースが出てます。3,000食限定牛丼(pdfです、気をつけて!)

April 23, 2004

ランチ

昼食といったほうが私に似合っていますかね?
昼飯の方がさらに似合っていますかねw

それはおいといて、今日は青山のcafeでランチ。
1,000¥でランチプレートは安い。アンドうまい。
写真に載っているもの以外にワッフルとブラックティーもついてきました。

誕生日の前日、リッチな気分でした。
その後、場所を移してイロイロ話しました。
おもろい話がイロイロ出てきて良かった。

040423_1256~01.jpg

April 22, 2004

吉野家vs松屋

どうですか?この戦い。
BSEのために安売り戦争は終戦を迎えるかと思いきや、さらに激化しているじゃないですか。

吉野家は祭りで豚丼320円→250円
さらに、お新香無料、卵無料、温泉卵無料、味噌汁無料券を配る。

松屋は豚めし350円を3杯食べれば1杯無料。
さらに、今なら豚めしに生野菜がついてくる。

これって、牛丼280円、牛めし290円時代より安いですが。。。。

どこまで行くのやらこの安売り戦争。
どんな結末を迎えるか予想をしてみようかと思いながら、めんどくさくなったので筆をおきます。

誰か予想して頂戴!よろしゅう。

まあ、豚丼280円、豚めし290円になって特に何もつくもの(サービス券など)はつかない昔のような状態に戻り、そのまま安定するのかな?
牛丼が復活するともうひと波乱ありそうなんだけどね。