この前、ビートたけしが漫才の前は今でも緊張する、おびえると言っていた。常におびえるという感情があるからこそ、真剣に向き合う。だから、プロとしてすばらしいものが表現できると。
たしか、アンチグローブかなんかも、優秀な経営者はビビリだ。常におびえているみたいなことを言っていた気がする。
どんなに、なれたことであっても適度な緊張感を持つ、初心を忘れないってことですなぁ。自分に言い聞かせとこ。
アンチグローブのネタを発見。
参考http://www.teratown.com/blog/archives/000880.html
遊びって何だ。
だいぶ前に、東京の人は何して遊んでいるのかとたずねられた。まあ、東京の人って意識はないんだけど。それは置いておくとしても、はてさて、遊びって何だ?俺って、遊んだのっていつだっけ。ずっと昔、それともいつも。
東京から歩いたのも遊びか?南米に行ったのも遊びか?自分の中では遊びと言う感覚ではなかった。
娯楽=遊びって自分の中ではなっているのだろう。でも、もっと広義に捉えてみれば、僕の人生はすべて遊びのような気がする。
まあ、遊びってみんなどう捉えているのだろう。
当たり前すぎることの延長の出来事は言葉ではあまり伝わらないんだな。まあ、当たり前なんだけど。当たり前のことだから、だれもが日常経験している。だから、だいたいどんなことか予想できる。しかし、その日常やっていることを何回も繰り返す。日常経験の何倍も同じことをし続ける。すると、全く異なったものになると思う。しかし、日常経験で分かったと思い、その先を想像することが出来ないんだろうな。
以前のエントリーとも少し関係するんだけどね。
なんでもないものがたくさん集まると新たな性質が生まれる
http://www.teratown.com/blog/archives/000986.html
通じる人には通じている感じがするんだけど、通じない人には全く通じていない感じがする。まあ、これに限ったことではなくどんなことでも通じていそうな人と通じていなさそうな人がいるんだけどね。
そもそも、相手のどんな言動から通じた通じていないって判断しているんだろう。顔の表情とか、言葉とか、間とかなんだろうけど。意識していなくても、脳が勝手に通じているとか通じていないとか判断しているのがすごいというか、なんとも不思議。生き物が生き残るのに必要な能力だから発達しているのだろうか。