綺麗な写真を見ることが好きです。
その対象物は、山だったり空だったり海だったり、基本的に自然の写真です。
今日、なんとなく天空の旅人というサイトに行き着いて、あらためて写真の美しさに感動。
自分でも綺麗な写真がとりたくなりました。
そのためには一眼レフカメラをもってどっかいく、コレでしょうな。
実は、お気に入りが増えすぎてパンクしているので、自分のためのリンク確認エントリーでした。
好きなサイト
天空の旅人(ココのギャラリー)
たびそら(以前写真展に行きました)
花もて語れ(SFCの学生さんみたい)
Wandering the world(壁紙のコーナーにあります)
日の出、日の入り見たことない 小中学生がケッコウいるらしい。
自分も振り返ると、なかったわけではないがあっても数回だな。その数回がないんだろうけど。
ちょいまて、日の入りも見たことないのか?これ本当か?
まあ、調査結果の信憑性はほかっといて、あの太陽ってやつはなんてくせモンなんだろうね。
いやあ、本当に思うよ。
太陽って奴はどこまでも人間をひきつけるのだろうか。
朝の太陽の神々しさと、夕日の淋しさ。
あの感覚を小さい頃に味わえるってものすごいことだよ。その思いでは、まさに一生の宝ものですよ。
思い出に残っている、日の出と日の入り。
日の出
今年の夏に登った富士山の頂上から見た日の出だな。すさまじかったよ。本当に。あれを見なかったら日本人としてだいぶ損をしてるぞ。そのときの写真はここそれに関するエントリーは大量にある。ここ、とか、こことか。
日の入り
フェリーでモロッコへ行くときに見たのかな。あの時の不安と沈む太陽が心と目に焼きついている。
関係ないが、国立科学博物館と、日本科学未来間に行きたい。けっこう猛烈に行きたい。よし、行こう。
日の出、日の入り見たことない 小中学生の過半数 乏しい自然体験「親が連れ出して」
自然体験の調査に、「生まれてから一度も日の出、日の入りを見たことがない」と答えた小・中学生が過半数にのぼることが、川村学園女子大の斎藤哲瑯教授(教育社会学)の調査で分かった。「海や川で魚釣りをした」「身長よりも高い木に登った」ことのない子供も四割強。いずれも前回調査(平成十二年)より未経験者が増え、過去最多。斎藤教授は「親が自然の中に子供を引っ張り出さなければ、太陽の動きを追う経験もできない」と危惧(きぐ)を抱いている。
調査は今年六月、関東・東北の小中学生三千二百八十八人を対象に実施。その結果、日の出や日の入りを見たことがない子供が、市部の子供で52・6%、郡部でも45・9%にのぼった。
ほかにも「木の実や野草をとって食べたことがない」子供は市部で60・7%、郡部でも49・4%▽「わき水を飲んだことがない」子供は市部55・3%、郡部48・8%−など、自然体験の貧困さが目立つ。
体験の貧困さは自然の中だけにとどまらず、日常生活でも「生まれたばかりの赤ちゃんを見たことがない」49・8%▽「自分の服を洗濯したり干したことがない」43・6%▽「包丁やナイフで果物の皮をむいたことがない」21・5%−と続く。
年齢の違う人と触れ合う機会がなかったり、お手伝いもしないなど、衣食住すべてで日常体験が不足している、今の子供像が浮き彫りになった。
一方で、自然体験が多い子供は、生活経験も豊かな上に「家にいるのが楽しい」「学校が楽しい」と答える割合が高い傾向にあり、多様な経験と生活の満足度に関連性が見られるという。
斎藤教授は「旅行やキャンプといった“行事”ではなく、日常の中でちょっとした自然現象に目を配ることが大切。生活体験についても同様で、お手伝いをさせたり、地域の人と触れ合ったりして、日常の中で経験できるよう、親が配慮すべきだ」と訴えている。
(産経新聞) - 11月28日2時44分更新
たまに、友達と出来事で自分の人生を振り返ることがある。
そして、つくづく思うことがある。
僕は仲間に本当に恵まれていた。
仲間に育ててもらった。感謝の念でいっぱいである。
そして、要所でいろいろな出来事が起こったり、自らやったり。
その出来事を通しても学ばせてもらった。
それで思うことは、本当にやりたいことは、実はすべてやっている。ああ、これいいなぁレベルのことはやっていないことがたくさんある。これは、その時意識的にとった行為ではないと思う。結果的に本当にやりたいことは、自然に体が動いてやっていた。自分の意識の外でも、本当にやりたいことのためにさまざまな基礎を固めていたりした。と思う。人間とはこういうものなのかとも思う。
過去を美化しているだけなのかもしれないが。
タニタという会社のヘルスメーターの広告が面白かった。
なんと、電車の床に実寸大のヘルスメーターの広告があるのだ。
ケッコウインパクトあるよな。
体重が量れるはずないけど、体重をみんなの前で量るのがいやな人はなんとなく広告の上に乗るのはいやなんだろうな。
あ、NHK教育で 世界美術館紀行 「スペイン・奇才ダリの不思議な愛の迷宮」
をやっていた。で、見た。
マドリッドのソフィア王妃美術館で見たダリの絵を思い出した。ピカソとかミロとかダリとか置いてあった。僕は、絵の分類も知らなければ、技法も知らない、歴史的背景も知らない。ただ見るだけだ。それが、果たして良いのか悪いのかは知らない。でも、まあ、今まで見たものはそういったことナシに見たことだけは事実である。
で、ダリを見て、その時の日記と写真を見た。こんなこと書いてたんだと思う。(ちなみに、海外へ行ったら大学ノート一冊は日記書きます。)ソフィア王妃ではミロの絵が一番好きだった。プラド美術館はでかすぎて疲れた。
ああ、一番スペインで好きなのはガウディの「カサバトリョ」と「グエル公園」です。グエル公園からサグラダファミリアを見たときは泣きそうになりました。
テレビの「おまけ」のコーナーとか言って、レストラン紹介してる。実に懐かしい。カタルーニャの海の幸とかいって、マジで食いたくなった。ああー、バルセロナで食ったあの飯がー、食いたい。
僕が今まで行った中で1年とか、それ以上のスパンで住んでも良いと思う町はバルセロナとイスタンブールです。
スペイン好きの人いないですか?特にバルセロナ。いたら、思い出を語らいたいもんです。
僕の人生と、親友と
僕のことを一回でも心にとめてくれたひと
あなたのその心で僕は今の僕となれました
難しいこと抜きにして、心のそこから
ありがとう
やりたいように、やりたいだけやってこいよ。
自分の聴きたい音を自分で奏でられるまで。
そして、お前のあの笑顔を、楽しみにしている。
俺も、そうするから。
お互い、爺さんになったら、
あの、でっかい餃子を食いながら、
懐かしい日々を語れる日を心待ちにしているよ
さっき書いた5000字以上の文章よりも、伝わるものがあると思うから。
宝もの(宝の上に「たから」とふりがな)
国立博物館の常設展示の端でこんな言葉を見つけたのだ。
この文字を見て、なんかこの言葉を久しぶりに聞いた気がした。宝ものって響きを久しぶりに感じた。宝ものって普段の会話であまり出てこない気がする。考えない気がする。でも、昔(幼稚園・小学生)は宝ものってあった気がするし、すごく大切にしまってあった気がする。僕は、何かのダンボールの空き箱にいくつものガラクタ(大人の表現で言えば)を入れていた気がする。ただの木の切れ端、ミニカー、きれいな色のビー球、今は覚えていないいくつもの宝ものがあった。
そんなことを思い出し「宝もの」という言葉にドキッとして、テクテク歩く。すると、壁に「1000年後に残したい宝物」と書いてあり、机の上には「宝ものの名前」と「選んだ理由」が書けるポストカードがおいてあった。そして、何人もの子が書いたポストカードが壁に貼られていた。
僕も、紙を取って書こうとするが、その瞬間、頭に宝ものが思い浮かばなかった。正直その瞬間ショックだった。その後、いくつかのものが浮かんだが、コレじゃないな、なんか違うと、理由をつけて考えていた。宝ものに細かい理由付けなんていらないんだろう。もっと、純粋に宝ものを、宝ものだと言いたいもんだなと思った。
皆さんにとって、「1000年後に残したい宝もの」とは何ですか?
インターネットをみんなが使うようになった時代。
うかうかしていられない。大変だ。
ブログの普及で簡単に自分の意見を公開できるようになりトラックバックなどでそれがつながりやすくなった。これって、相当なパワーを持つなと一連の事件(ブログの規約等)を見て再認識。
運営者として、ちょっとでもあまい考えを持っていると足元をすくわれる。自分(運営者)の中の気持ちは始めた頃と変わらなくても、一気に規模がでかくなっていて、そこで何か問題が起こると、ついついはじめた頃の気持ちで対応してしまう。しかし、それじゃダメなんだな。規模がでかくなっていたらそれなりの対応が必要なんだから。でも、インターネットにおけるユーザーの増加や情報の広まりはまさにマルチプルである。だから、運営者自体がそれだけ大きいものを運営しているという認識に欠けることが多々ある。刻一刻と変化していくものしっかりととらえ、それを運営者であるがユーザーの視点からも見て、対応していかなければならない。当たり前だけど、書きながらもう一度かみ締める。
ユーザーを敵にするような行動をとると大変だけど、味方につけてやっていけばスゴイ力になることも事実。ファイヤーフォックスとかも。それを感じる。
前のエントリーの続き。
僕の分身はケニアに行ったらしい。
お前、とうとう頭いかれたかと思われるので説明。
あなたの分身が、世界中を旅行して、旅行先からあなたにメッセージを送ってくる仮想旅行システムです。ユーザ登録を行うと、あなたの分身を旅行に出発させる事が出来ます。分身は自分の意思で世界中を旅行します。そのため、旅に出しても、どこへ旅行するかは、分身が自分で決めます。ユーザーが決めることは出来ません。
分身は旅行先で体験した事や旅先で撮した写真をあなたにメールで送ります。
とまあ、こんな感じのものをやっていて、メールがくるのです。
アフリカのケニアのナイロビに到着しました。アフリカ、ケニア、サバンナ....広大な大自然が私を呼んでい
ます!!が、まずは準備が肝心です。今日はこれから書いてもらった処方せんを使ってマラリアの予
防薬を買ってきます。とにかくケニアでは蚊に注意!!既に体に
は虫除けスプレーを塗布済みです。もちろん夜のために蚊取り線
香ももってきています。今日は薬を手に入れたらまっすぐ宿に行ってこれからの予定を
吟味したいと思います。
あ〜、蚊、蚊、蚊にくわれた〜。カヤもつって蚊取り線香も3つも たいたのに〜、どうしてどうして〜。予防薬だってすぐに効かない のに〜、どどどどどど〜ぢよ〜。ま、まてよ、この食われた後は血を吸われた跡が二つ、それも食
われたあとが列を作っている.........って事は、あんぎゃー、
南京虫じゃ〜!!!!!!!!!!!!!殺虫剤殺虫剤!!!
あ〜南京虫に食われた〜、か、かゆいよ〜。はぁ〜、しょうがないっすね。もう虫は無視して寝ます(^_^;)、でも、
かゆくて寝られないかも!。
ジャンボ!!健さん。ジャンボっていうのはスワヒリ語 での挨拶の言葉です。結局昨夜はかゆくてろくすっぽ眠れませんでした。まだ強烈にか
ゆいです(南京虫にさされると、1ケ月位かゆみが止まらないそうで
す...どーしよ〜(ToT))。何ともはや、アフリカの大地に強力な洗礼をうけたような気がしま
す、まあ正確にはアフリカの虫にですね(^_^;)。おっと、そうそう、昨
夜いろいろと情報を仕入れた結果、最初のサファリはサンブル国立
保護区に行く事にしました。ところで健さんはサファリの
意味をしってますか?サファリとはスワヒリ語で「旅」の意味だそうで
す。う〜ん勉強になるな〜この旅は(^○^)。
写真ナイロビ市内で見た野生動物です(鳥)。いくらケニアとは いえ、街中では鳥位しか野生動物はいません。でもこの鳥、スズ メによく似ているのが気にかかります。何で鳥の写真を撮っているかというと、サンブル行きのバスが出
発しないためです。もう出発の予定時間から1時間22分が経過し
ていますが、一向に動きだす気配がありません。う〜どーなってる
んでしょうか(T_T)。お、ようやく出発するようです。それじゃ、次のメールは明日出し
ます。
とまあ、こんな感じです。ケッコウリアルっぽい内容です。&スワヒリ語の勉強になったり、息抜きになったりします。
実はケニア旅行の宣伝だったりして。(笑)でも、この分身が旅行終わってケニアのツアー勧誘メールが来ても行く人少ないだろうな。それよりも、なんか、なんというか、イメージアップとかにこのメール手法は使えるんじゃないかな?短期的な売り上げではなくて、長期的なイメージアップや認知度アップに。
別に、長けりゃいいてことでもない。
たった一言でも、1,2行の言葉でも、いや、たった一言でも、1,2行の言葉だからこそなのかも知れないが。
まさに本質を言い当てていることや、美しいことがある。
それは、こういうことだからですかね↓。
Imagination is more important than knowledge.
Albert Einstein
といってもPCによって自動生成されるメールだ。
出会い系とかそういう類の迷惑メールと基本的に同じ手法で作られていると思う。
でも、そんなメールが速く来ないかと楽しみにしている自分がいる。
もちろん、スパムとかウイルスが付いているメール、出会い系などのウザイメールではありません。
どんな内容かというと、自分の分身が世界中を飛び回って旅行記をメールで送ってくるというサービスだ。その旅行記メール。数日前、僕の分身を出発させた。といっても、メアドを登録して「出発」ってところをクリックしただけ。
すると、
ごきげん最高で〜す。旅行先も決まりました。さ
っそく出発といきたいところですが、旅行前に英語で書かれた薬
の処方せんが必要なんですよ。今回の旅行先は国内では購入
できない薬が必要な所なんです。その薬がないと命の危険もあ
るかもしれないのでちょっと時間はかかるけど、きっちり用意して
から出発します。それじゃ、用意が出来たらまたメールします。
こんなメールが来た。面白そう。
で、また数日たったら
処方せんも書いてもらってきました。これで準備OK!!チケットの
手配も完了したし、あとは荷物のチェックを残すのみです。そうそう、あ
れもっていかなくては、ぐるぐる渦巻いた緑色の物体を!!。よし、準
備完了、それではいってきま〜っす。行き先ですか、それは行き先は着いたときに知らせます(^_^)。それま
で待っててね〜と言おうと思ったのですが、ばらしちゃいます。行き先
はアフリカ大陸!!
テンプレートがあって、それにあわせて送っているんだけど、面白いねこれ。それも、行く場所がアフリカですよ。それが僕をさらにワクワクさせる。
自動生成メールでもこんなにも僕にとっての価値が違う。不思議なもんだ。ものは使いようですな。そう、今は全く意味がないような技術でもちょっと頭をつかって使い方を変えてやればスゴイ良いサービスとかができるのかもね。
なんか、ギターを持って歌っている人がいた。
たいしてうまくもなく、誰も聞いていない。
しかし、ふと気になる。
「らー、ら、らーー、らい」とか歌っている。そんな歌きいたこともなければ、きれいなメロディーラインでもない。何が気になったかというと「ら」という音。
歌では、この「ら」がよく使われ、繰り返されることがある。大黒マキにしろミスチルにしろ。じゃあ何でだ?
発音しやすいのか?確かに、A Ka Sa Ta Na Ha Ma Ya Ra Wa は口の開け方が構造上楽でってのはあるというものがあると思う。
「ら」が他のことばでどのように使われているか、そしてその使われ方からくる「ら」の感覚からか?
「ら」という言葉がらららと繋がりが良いからか。ラ行はルンルンとか、リンリンとか、明るいイメージでつながるからか。
何かしら文化的、歴史的背景があるのか?
「ら」は声帯いためないから、歌の途中に入れるとのどを休められる?
「ら」
1 五十音図ラ行の第一音。歯茎弾き音の有声子音[r]と母音[a]とから成る音節。[ra]
2 平仮名「ら」は「良」の草体から。片仮名「ラ」は「良」の初二画から。
大辞泉
これをみると、「良」という感じからきており、良いイメージであることは確かだが、果たしていかなる理由があってらと歌うのか?
と、意味のない妄想を繰り広げるのでありました。
先日、電車の先頭に乗って気がつく。
おお、かっこいい。かっこいいというか、なんか「すげぇーーー」ってな感じ。たぶん、幼稚園児のころの新しいものを知ったり、見たりしたときの感覚。幼稚園児が動物園で叫んでる感覚です。
僕は、昔、おもしれーとか、ワクワクどきどきすることがない人間なのかと思っていたけど、普通の人よりそんなことが多いらしい。簡単に言うと、子どもらしいです。はい。成長していないだけですね。まあ、一生子どもでいると宣言しているから問題ナッシング。
で、話は戻って、モブログに僕はこんなことを書いた。
「電車の先頭から見る喜び。普段見ない視点か、電車というものを全体としてとらえる感覚、いったい何が心をワクワクさせるのか。」
それに思ったのは、目の前に迫ってくる電車が、そして京浜東北は新幹線も横切るから、わくわく。
新幹線、飛行機、これってなんかわくわくする。たぶん、小学生とかそういう小さい頃に、新幹線乗ったことある?とか飛行機乗ったことある?という会話からも想像されるように、電車や車とは違う乗り物なのだ。違うレベルの乗り物なのだ。そうやって、脳にうえつけられた部分もあるだろう。
もちろん、電車と同じようなもので新幹線はスピードが速い。この現在あるものの中では最高のスピードに喜びを感じるのかもしれない。飛行機も空をあんなに速いスピードですすむ、その感じに。
こんなこと書いていると、僕は昔書いたブログというものを思い出す。ああ、あれと微妙に関連しているなと。それを感じると俺が文章を書いたんだと感じ、俺って人間は常に変わっているんだけどベースでは
同じなんだと再認識する。
たぶん、読んでいる人には決して伝わらないこの感覚が僕にブログを書かせている。
http://www.teratown.com/moblog/archives/001151.html
2003/12/2 テレビうつり夜はNHKでスペインのトレドをやっていた。
こっちは、今年の9月に行った。普通はテレビで見るとよい部分しか映さないので、よく見えることが多い。
カメラワークによってほんのちょっとしかない、小さな範囲しかきれいでなくても、その美しさが永遠に続いているかのように写す。今朝のズームインはその典型だ。しかし、NHKのトレドはテレビを通したほうがしょぼかった。まあ、テレビで見たほうが価値が下がっていた
。あの町は、これだっと、いうものがない。まあ、あるといえばカテドラルとかいろいろあるんだけどね。あそこは、町全体として美。和みがある。落ち着く。そういう、雰囲気とか・人々の生活している時間の流れ、カメラでは吸い上げることができないものがある。その吸い上げることができないものによさを感じる。だからテレビではよさが半減する。
思うこと。
「たいしたことでない、些細なことでも、それに価値が生まれることがある。その人のためだけなもの。他の人には意味がないかもしれない。その感動に意義がある。03/07/01 」
こんなことを昔記した。これをまた感じることが多い。
別にお金がかかっていなくてもいいんですよ。いわゆるマスターカードですよ。あのCMですよ。お金で買えない価値があるんですよ。
たとえば、尊敬する人に自分の名前を呼ばれる。「おい、寺町っ」と。これなんともいえないほどうれしいことですよね。認められたというか。覚えてもらえたというか。別に金を払ったわけでも何でもないんですよ。両者ともコストも払っていないし。でも、とんでもなくうれしいのです。
逆に、尊敬する人にお金を払って、(これは本人でも、裏で協力者などの他の人でもいいんですけど)名前を呼ばれても、うれしくも何でもないですよね。お金払ったことによってその価値は下がってしまうんですよね。金は人間の感情(ワクワク。どきどき。感動。うれしさ。)を取り去ってしまっているのです。
トイレットペーパを使うのを躊躇する。
ってまじかよ!?
インドに行って左手に慣れたからか?トイレットペーパーがいらなくなったのか?!
そうじゃないです。
この前、トイレットペーパーを買ったんです。スーパーで一番安い奴が、香りつきのトイレットペーパだった。まあ何でもいいやと思って買った。家に帰って使ってみるとホントに花の香り。まあ、それはいい。
問題なのはトイレットペーパーに花の絵とその花に関する言葉が書かれている。
その言葉が、また心に響くことが書いてあったりする。
そうするとですね、じっくり読んで見とれてしまう。ココまでは良いのだけど、なぜかそれで尻を拭くのをためらう。ためらうというか、何か悪いことをしているような、なにやら綺麗なものを汚すような感情を持つ。
もとはといえばただの紙ですよ。無地のトイレットペーパーなら何にも感じていませんよ。しかしそこに絵と言葉が書かれただけで全く人間の感情は変わるのです。それだけ、文字と絵には人間の感情に与える力がある。そう実感したわけです。
問題じゃないんだけど、この気持ちはなんだろうか。
ちなみに好きな花はひまわり、桜、コスモスとかです。
まあ、スペインで一面のひまわり畑を見るという夢は達成されなかったのですが。。。
BGMはミスチルの「花言葉」
ミスチル歴はかなり長いけど、やっぱいいわー。落ち着く。
「夢」ということばがある。
将来の夢
というときの「夢」の意味
昨日の夜、怖い夢をみた
というときの夜寝ているときにみる「夢」
違う意味であるのに同じ言葉。
現実離れした空想という繋がりの中で、なんかうれしい気持ちになる。
ちょいと前、こんなエントリーを書いた。
そう、家の近くにブックオフがオープン。やりましたよ。
いやーーホントうれしい。
あそこの100円コーナーはたまんないです。
距離的にも散歩コースに最適です!
では、行ってきます。
人間は曖昧なものを想像することが得意な時と得意でないときがある。少ない情報から特徴を読み取り、それが何であるかを判断する。
たとえば、人間の後姿。これは服も新しかったりしたら分かるのは背の高さとか髪形ぐらいか。歩き方とか。しかし人間はそれが友達であればだいたい判断できる。しかし、普段自分が見慣れていないもの、太郎というカモシカと二郎というカモシカは区別が付かないだろう。たぶんカモシカ君たちは区別が付くはず。それはいつも見ているから。
同じもの、同じ種類のものを見続けていればそれに付いて何か分かってくる。特に人間みたいに動いたり笑ったり、変化しながらあるものを見続ける。すると、それについて何かしらの判断能力が付くはず。
たぶん、いたって当たり前のことを書いているんです。世界中のほとんどの人が知っています。しかし、このことを応用している人は少ないかも。自然にやっている人はたくさんいそうだけどね。
なんかについて詳しく知りたかったり、感覚をつかみたかったらひたすら見てやるとか。どうしても、ひまわりの花の違いを判断したい人は、ひまわりをひたすら見てやる。右から見たり、左から見たり、上から下から。斜めから。時にはひまわり畑に埋もれてみるとか。食べてみたり、
なんか最近ブログがはやっているらしい。
特にランキングとか。某野球参入で有名になった会社のランキングとか、その他のランキングで。
上位を争くらいなら、ほぼ毎日更新しているのにほとんど誰も見に来ないブログを達成してやるぞ。
前から言っているようにこのブログは自分のメモ。誰も見なくてもいいです。
じゃあ、公開するなって突っ込む奴がいるかもしれないけど、自分が外部から見るの便利だし。それに、公開するなって文句言うくらいなら見に来なくていいんじゃないのかと思うのです。
ランキング上位とか争うのなんてやってらんねー。このページのアクセス数下がるように意味不明なこと書いてやる。
もっと見に来るやつ減ってくれーーー。
よーし、もっと意味不明なこと書いてやるぞ。
と天邪鬼道をゆくのでした。ちゃんちゃん。
今日は朝から早い。最近、日曜日の朝が早い。ちょいと辛いが、すがすがしい。(夕方になると疲れるのだが)なんか、方向性とか、課題とかスムーズに話が進む。こんなにきれいにまとまっていいものなのかとも思う。たぶん見逃しているところがあるのかも。それから新宿で少し頭を使う。頭を使ったのは久しぶりかも。
ココから本題。
たぶん、若いうち(青年期かな?)には大きな環境変化と精神・心理的変化がある。大きなものは一人暮らし、経済的独立、結婚、親の死ではなかろうか。まず、一人暮らし。これは親から離れるという環境的変化。今までには全くない環境である。それによって精神的に自由が増える。経済的独立。自分で稼いで自分で食う。他人にどうのこうのほとんどいわれなくなります。さらに精神的自由が増える。結婚。これは精神的自由が減ると思われます。親の死は自分の支え、そして親の目がなくなります。
一概にこうとは言えないかもしれないが、こうではないかと。
で、こういう心理的な変化によってそれが行動という形で現れる。これの積み重ね。
で、問題は偶然を必然にしてしまう人。
そういう人は、環境変化が起こる前にその後の状態をイメージし、そのときの精神の変化を予測し、そのときに何をしたいかを具体的にリストアップしている。
大きな心理的変化がおこる前に、心理的変化後の状態をいかにイメージし、何をもとめゴールをみすえいかなる行動をとるかを列挙する 具体的行動を直接行わなくてもそのイメージしたものが日々の生活をとおして達成される可能性が高い 将来を映像としてイメージし夢をみるそして落とし込み これで人生の大まかな方向性がきまる それは一つ一つの行動が短期的意味を持っていなくても長期的にはつながる これが偶然を必然にする秘訣
これは、「環境変化の前」というのが重要で、その前にイメージする必要がある。
一人暮らし 親から離れる物理的に 自分で稼ぐ 金銭的に独立 精神面でのさらなる自由 結婚あらたな結び付き ここを期に人は大きな変化をとげる 物理的変化から精神変化になり行動という物理変化になる。それの積み重ねが精神信念をうみだす 東京には男が多く地方には女が多い マッチング 大学入学後10年計画 気付き共有仕事でスキル地元 大きな方向性を決めるのが得意
一人暮らし、物理的に親から離れる
社会に出る 自分で稼ぎ経済的自立
結婚 家族が出来て、家族への責任感、どこに住むか子育てはどこでするか、どんな育て方かなど
親の死 親の目がなくなる。魂の中には届くかもしれないが。介護が必要になった時に自分はどうするか
これらの時は、人生の転機だな。
追記
結婚と親の死、さらには子供が生まれる。この三つをセットにして家族の増減とまとめることも出来る。転職とかも大きな変化だが、
これらの人生における大きな変化において結婚だけコントローラブル、自ら選ぶことが出来ることだ。だから、結婚は大いに悩むのだろう。
吉野家さんが「角煮きのこ丼」販売終了するらしいですよ。
そんでもって、12月上旬に牛焼肉丼が420円で始まるらしいですよ。
ああ、吉野家の売上不振はニュースになるので、こんな無理なタイトルでニュースが出ていましたよ「吉野家が牛丼首位転落、売上高17%減…9月中間決」。そもそも今牛丼売っていないから牛丼首位じゃない(笑)じつは、ゼンショー(すき家)という会社に業界首位を明け渡したと。しかし、すき家はゼンショーの中で売り上げの3割しか占めてないです。でも、まあ、吉野家の売り上げが下がっているのは事実だと思います。
そんでもって、吉野家が牛丼を復活しても大して客は増えないですよ。吉野家&牛丼復活でニュース性があるので一時的な売り上げアップはあると思いますが、少なくとも前と同じレベルには戻らないとおもう。みんな、牛丼がなくなるときのフィーバーが頭に残っていて、みんながみんな牛丼を欲していると勘違いしているかもしれないんですけど、牛丼がなくなるときはイベント的要素で駆け込み需要があっただけですから。本質的に牛丼をそこまで求めているわけではないです。僕はそう思います。
今日は雨だったんですよ。
そんで、出かけた。
帰り駅からとぼとぼ帰る。そうしたら、俺のきき足は右だと分かる。というのも、地面が濡れているところをメッシュのスニーカーで歩くと、右足だけ濡れる。靴のつま先あたりね。多分、僕は手も足も右利きである。だからだ。ってコレではいまいちかも知れないので。ちょいと詳しく。僕は手が右利きである。意識がある頃から右で字を書いていたし、右手で飯を食っていた。力も右の方がある。コレを踏まえて足を考える。歩いていてスニーカーが右の方が濡れている。ということは右足の方が力が強い。けり返しとかが強い。だから、水がはねて右のつま先の方が濡れる。
この、右足の方が濡れるのを見てきき足は右だと気がつきました。
そもそも、利き手・聞き足って何だろう。
多分、生まれたときから右利きの人は右利きなんだろう。ということは、遺伝子にその情報が組み込まれているのだろうか。劣性遺伝とか優性遺伝ってあるのかな?
見た目は、右も左も同じなんですよね。指が五本あって。同じような色で、同じような動きをして。じゃあ、遺伝子に入っている情報の何が違うんですか?そもそも右も左も利き手・利き足の人はいないんですか?さらに言えば、なにをもって利き手・利き足が右とか左とかいうんですか?
利き手ってなんだろう。なんで利き手が生まれるんだろう。
僕は、生まれたときから右利きだったとおもわれる。でも、中学のときに左利きに変えようと試みた。それで飯は今でも左で食べる。箸は左手で使うということだ。中学までは右で飯を食っていたが今は左で飯を食う。初めはマメとかとりにくかったけど、今は左の方が端の持ち方がうまいといわれるほどだ。そのころ字も左で書く練習をした。しかし、字は左手で書くのが難しかった。うまく書けないし、さらに時間がかかって不便すぎた。それでも、左手で日記を2,3年書いたがそこまで上達せずにいつの間にか終わった。こう考えると、利き手というのは強制使用とおもってもそう簡単に出来るものではないことが分かる。習慣でも強制できないものであることが分かる。では、利き手・利き足とは何だろうとさらに分からなくなる。
たぶん、利き手利き足を考えると相当おくが深いし幅が広いことです。うーん、遺伝子の問題か?生まれたときに親がどちらのてに箸を持たせたかによって決まるのか?利き利き足がある意味って何だ?
誰かコレについて考えている人いないかな?
ついでに、今考えれば、左手で飯を食べ始めたことも、ケンダマをしたことも僕の人生を大きく方向付けているのだとおもう。ちなみに、小学校二年生の頃からケンダマやってます。今でも東京の家にケンダマがあってたまにやります。あれは、いいです。面白い、楽しい、という次元を超えていいです。
疑問のまま終わるブログでした。
まだ21年しか生きていないわけですが、ピタット一致することがある。
曖昧な、ぼやっとした2つのものが、だんだん輪郭がはっきりとしてきて、それがかさんる瞬間がある。無数の点が線になる時の感覚と似ている。
僕という人間は外部のものとの関係で生きている。僕の心とその外部の物の心が一致するのである。それは、音楽であっても、組織であっても、人であっても、学問であっても何でもなんですけど。前に書いたエントリーで書いたコレだって時の感覚です。
そういう時は、本当にワクワクする。心躍るって奴ですよ。そうすると、イメージがわく。そうなったらもう突き進むしかないんですよ。
そういう時を僕は探すために、そのことを楽しむために生きているのかもなぁ。
なつかしい、ガラポン。
これは昔土曜日の午前中にやっていた大前研一氏の番組だ。
高校のときにこの番組を見ていた。(今はやってません)土曜日に家にいるとき、偶然テレビを見ていたらこの番組がやっていて面白いとおもい見たのがきっかけだ。そのとき、テレビに映っている態度のでかいおっさんが大前さんだなんて知らなかった。(少したって何者か少し知った)
で、この番組ビデオにもとってあって東京にも持ってきているのです。なんか偉そうな発言になってしまいますけど、なかなかいいことを言っているんです。純粋に情報量も多いし、それを踏まえた予測も鋭い。さらに、行動一つ一つに考え抜いた感がある。
でも、大学に入って、大前さんのことを一時期うさんくさいなーとおもって遠ざけていた。
でも、最近また、その評価が変わりつつある。
本を読んだのが理由なんだけど。確か、彼は僕が高校のときにエブリデイドットコムという事業を始めた。その時テレビで、オンラインショッピングが伸びないのは操作が難しいからといっていた。消費をする主婦には難しいと。それで、バーコード付きパンフレットを配って、ほしい商品のバーコードを読み取って購入できるようにすれば売れる。みたいなことを。このとき僕はこれはあんまり売れないだろうとおもった。
で、まだその事業は続いている。成功しているのかしていないのかは知らないが、まあ大成功はしていないだろう。個人的には失敗の部類に入るのではとおもっているのです。調べてなくて詳しく知らずに発言してます。
彼はマッキンゼーという会社の社長もしていた人です。マッキンゼーが本当にすごいのかは知らないけれど、多分マッキンゼーの人たちは世界でもトップ集団であると自負しているとおもう。そんじょそこらのプライドじゃないとおもう。経営の世界では右にでるものはいないプロだと。僕の勝手な想像なんですけど。
ここをふまえてですよ、で、ここからです。今までは前説です。
彼はこう書いていたのです。自分のやってきたことには成功も失敗もあると。「失敗なんてして当たり前、失敗して強くなる。失敗という経験はありがたいとおもう、恥ずかしくない」と言い切っていた。失敗だと自分の中ではおもったとしても、公言するってのはまた意味が違うとおもう。すごいな、本物だなとおもった。そして、その公言するという行為によって自らを引き締めている。
みんな失敗は怖いし、できるだけ避けたい、認めるのに抵抗があるものだと思う。僕もそうだ。でも、失敗してこそ人間は強くなり、失敗するからこそ成長できるし、失敗を恐れてばかりいたら挑戦できないと僕もおもう。失敗を受け入れ、自分の欠点を受け入れ、それを分析して、次の行動に生かす。これだよな。心がけよう。
それにしても、プライドが相当高いとおもう人が負けを認めてそれを糧に挑戦するといえるのはスゴイ。社会的な名声と地位を得た人が、失敗を認める。純粋に尊敬するなぁ。まあ、プライドが高いって言う認識が僕の偏見だったりとかするのかもしれません。
大学、いまや行きたいと思えばどっかには引っかかる。昔の大学の価値(希少性)は今の大学院といわれるが、個人にとって、社会にとって大学名って今の世の中でどれほどの意味を持つのか?
最近、全然ばらばらなところで大学名というものが話題に出た。そこで、どうなんかなーと。
まず、先日、日経にたくさんの大学名がのっていた広告があった。それは何の広告かというと結婚斡旋会社。なにやら8月から10月の間に斡旋会社を通して結婚した人の男女それぞれの大学名と現職の業種が書かれていた。確かに、一般に有名とされる大学名の人しかのっていなかった。有名大学といわれるところを卒業した人しかターゲットにしていないのかな?
まあ、受験という勝負にかぎっては(これをやりたいといって大学を選んだり、この地方がいいといって選んだ人意外)東大に受かった人が勝ちだと思う。でも、東大だから一概にすごいとも思わないし、ボーダーフリーだからしょぼいとも思わない。単に受験という勝負だけの話。
金沢工業大学、はこだて未来大学、会津大学、多摩大学、高知工科大学とメジャーではないけれど面白い大学ってあると思うのに。。。
で、この話をしたら、大学名より現職だろといわれた。現在が三流大学と言われるところを出ていても電通だった、そっちの方がいいのではないかと?
そのほかにも、
学歴社会に疑問を感じたから、東大にいったという人も。
本を読んでいて、ペンシルベニアで投資家から金をもらおうという人はペンシルベニア大学を出ているだけで、投資家に信用されやすいとか書いてあったり。まあ、日本でも開業医を地元でやるなら地元の医学部にとかいうしなぁ。
アエラを読んでいたら、東大卒40歳の現在みたいな記事が。
たくさんの大学の人が集まっているところで、私の大学は・・・だけど有名大学の人ばかりで。。。っていっていた。
などなど。
高校の頃から言っていたのは、本当に何かをやりたいと思ったら大学なんて関係ない。本気でやればどんなことでもできると。大学を言い訳にするのはただの逃げだと。
自分の大学がいわゆる有名大学じゃない人の意識と有名大学の人の意識は違うんだろうなとも思う。
で、特に明確な理由があって大学を選ぶ人意外にとっては、有名大学か有名でない大学どっちがいいかといえば、有名な方がいいと思う。まあ、大学にも会社にも社風はある。その影響を多少受けているのは確か。初めて会ったときの話の種や、イメージ、信頼(表面的な)というものでは意味がある。逆にその大学のイメージで個人の性格まで想像されて誤解をよぶこともあるが。
結局のところ、あまり僕にとってはどうでもいいことなので、大学がどうであろうと気にしないので大きな問題として考えることが出来なかったと。そういうわけで、なんとも生ぬるいエントリー。
某ページで紹介されていたのでやってみる。
さあ、どうだろうこの結果?
みなさんは、本物の僕と結果をみてどう思いますかね。
INTP型:問題を解決したがる
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考えにふけってうわの空の大学教授を絵に描いたようなタイプがINTP型である。
頭の中でじっくり考える(I型)なので、N型の想像力がいろいろな可能性を思いつく。
客観的(T型)なので、その新しいデータを分析し、際限なく融通がきく(P型)ので、どんなデータもさっそく取り入れてしまう。
論文、図面、計画、企画、提案、理論などなんであろうと、こまごました情報を一つにまとめた完成図を作りあげようとするが、たえず新しいデータを発見するので、その完成図がどんどん膨らんでしまう。
その結果、考えや構想や計画がどんなに最終的なものに見えても、土壇場になって「新しいデータ」が手に入ると変えてしまうのである。
これはINTP型にとってはわくわくするほど楽しいが、ほかの人、とくにJ型の性向を持つ人にはフラストレーションになる。
完璧に見えても満足しないので、みずからが最大の批評家となり、あら探しをする。
完璧、有能、優秀であろうとするあまり、それが極端になると、かえって負担になり、うんざりしたり自分を責めたりする。
このタイプは女性の場合に葛藤を生む。
考えにふける大学教授というのは従来、女性のイメージというよりは男性のイメージで、頭だけで理屈をこねる資質は、男性の場合は大目に見られるが、女性の場合あまり受け入れられない。
そこで少なくとも三つの問題が生じる。
第一に、女性は昔から、家庭や家族のこと以外では設計能力があるとは見られてこなかった。
だから、人生を頭で考えた理屈にあわせたいと思うのは、INTP型にとっては当たり前なのだが、従来の女性の役割には真っ向から反する。
第二に、独創的に考えるのも従来の女性の気質とは見られていない。
たとえば、時間を聞かれると、INTP型は時間の哲学的な意味について述べたくなる。
そうした風変わりな面も男性ならば頭がよすぎるせいだと見られるが、女性だと「鈍感」とか、ときには「頭が鈍い」というレッテルをはられてしまう。
第三に、T型の面が、従順、優しい、気配りといった女らしさに反する形で表れる。
INTP型の女性が感情を表にあらわした場合、悪くすると、しばしば極端に表現しすぎて、本人もほかの人もぎょっとしてしまう。
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親子関係
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INTP型は、親というのは子どもの未熟な頭を伸ばしてやるものだと思っている。
一人ひとりの子どもの違いを辛抱強く受けとめ、子どもには自分の考えをもって生きていけるように育ってほしいと願う。
自分の進むべき道を模索する子どもを驚くほど寛大に支えてやる。
子どもの発達にあまり口をはさまない。
どんな考え方や行動をしたらよいか、いくつか選択できる道を示唆するだけで、けっして押しつけずに、新しい可能性を示してやる。
その助言が受け入れられなかったら、「ちょっといってみただけ」と答えるのがふつうである。
だが、ときには、反抗的だったり無関心に見えるときでさえ、子どもは親が別の考え方を押しつけてくれるのを待っていることもあるのだ。
そういう子どもにとっては、「無理やり」とか「押しつけ」といった言葉とは無縁のINTP型の親を持ったら不運である。
INTP型の子どもは、人とのつきあいで内気と見られるか、逆に、やたらに理屈っぽくつっかかってくるかのどちらかで、その中間は少ない。
学校では、一つのことに集中せず、授業とは関係ないことをあれこれ追求しすぎると見られたり、場違いなときに場違いな質問をすると見られる。
そうした行動は、とくに女の子の場合、人騒がせと取られる。
必然的に、INTP型は学校生活に耐えて生き抜いていくために、誰よりもよく勉強することになる。
よく、東通工の設立趣意書の「自由豁達ニシテ愉快ナル理想工場」だけ引用されるが、この文章はそのほかの部分も非常に価値のある文章だと思います。
漢字とカタカナで読みにくいのですが、きにならないくらいです。
すごい、思いが伝わってきます。
HPのフィオリーナ社長は大勢の前でも一人一人に話しかけるように話すと聞いたことがあるが、文章でもコレが重要なんだろうな。
カタカナ言葉を使ってなんとなく分かった気にさせる安っぽさではなく、本質を見抜いた含蓄のあるものです。
東京通信工業株式会社設立趣意書 - 井深 大
戦時中、私ガ在任セル日本測定器株式会社ニ於テ、私ト共ニ新兵器ノ試作、製作ニ文字通リ寝食ヲ忘レテ努力シタ、技術者数名ヲ中心ニ、真面目ナ実践力ニ富ンデイル約二十名ノ人達ガ、終戦ニ依リ日本測定器ガ解散スルト同時ニ集マッテ、東京通信研究所ト云フ名称デ、通信機器ノ研究製作ヲ開始シタ。
コレハ技術者達ニ技術スル事ニ深イ喜ビヲ感ジ、ソノ社会的使命ヲ自覚シテ思イキリ働ケル安定シタ職場ヲコシラエルノガ第一ノ目的デアッタ。戦時中、総テノ悪条件ノ基ニコレ等ノ人達ガ孜々トシテ、使命達成ニ努メ大イナル意義ト興味ヲ有スル技術的主題ニ対シテ驚クベキ情熱ト能力ヲ発揮スル事ヲ実地ニ経験シ、又、何ガコレ等ノ真剣ナル気持ヲ鈍ラスモノデアルカト云フ事ヲ審ニ知ル事ガ出来タ。
ソレデコレ等ノ人達ガ、真ニ人格的ニ結合シ、堅キ協同精神ヲ以テ思フ存分技術能力ヲ発揮出来ル様ナ状態ニ置ク事ガ出来タラ、例ヘ其ノ人員ハ僅カデ、其ノ施設ハ乏シクトモ其ノ運営ハ如何ニ楽シキモノデアリ、其ノ成果ハ如何ニ大デアルカヲ考ヘ、コノ理想ヲ実現出来ル構想ヲ種々心ノ内ニ書イテ来タ。
トコロガハカラザル終戦ハ、之ノ夢ノ実現ヲ速進シテ呉レタ。誰レ誘フトモナク志ヲ同ジクスル者ガ自然ニ集リ、新シキ日本ノ発足ト軌ヲ同ジウシテ我々ノ発足ガ始マッタ。発足ニ対スル心構ヘヲ今更喋々スル要モナク、永イ間皆ンナノ間ニ自然ニ培レテイタ共通ノ意志ニ基イテ全ク自然ニ滑リ出シタノデアル。
最初ハ、日本測定器カラ譲渡シテ貰ッタ僅カナ試験器ト材料部品ト小遣ヒ程度ノ僅カナ資金ヲ以テ出来ルダケ小サナ形態デ何トカ切抜ケテ行ク計画ヲ建テタ。
各人ハ、其ノ規模ガ如何ニ小サクトモ其ノ人的結合ノ緊密サト確固タル技術ヲ持ッテ行バ如何ナル荒波ヲモ押シ切レル自信ヲ持ッテ大キナ希望ヲ以テ出発シタ。斯様ナ小サナ規模デ出発シタ所以ハ、コノ国家的大転換期ニ於ケル社会情勢ノ見透シガ出来ズ、又我々ノ仕事ガ社会ニ理解サレ利用価値ヲ見出サレル迄ニハ、相当ノ期間ヲ要スルト考ヘタカラデアル。然ルニ実際ニ動キ出シテ見ルト我々ノ持ツ様ナ技術精神ヤ経営方針ガ如何ニ現下ノ日本ニトッテ緊急カクベカラザル存在デアッタカヲ各方面カラノ需要ノ声ヲ通ジテハッキリ自覚セシメラレタノデアッタ。
其レハ先ヅ逓信院、運輸省等ノ通信ニ関係アル官庁ノ活溌ナ動キニ見出サレタ。即チ全波受信機ノ一般ヘノ許可民間放送局ノ自由開始、テレヴィジョン試験放送或ハ戦災通信網ノ急速ナル復興、意図トソノ綿密厖大ナル諸計画ノ発表等他ノ低迷困惑セル諸官庁ノ中ニアッテ一人水際立ッタ指導性ヲ示シ一般業者側ガ逆ニ牽引サレタカノ感ヲ呈シタノデアツタ。
斯ル動キハ特ニ過去ニオイテ逓信院ト関係ノ深カッタ我々ニ対シ直接ノ影響ヲ及ボシ、早クモ真空管電圧計等ノ多量註文ヲ見ル結果トナリ。
其ノ他短時日ノ間ニコノ方面ヨリ提案サレタ新製品ノ研究、試作依頼ノ種目ハ相当量ニノボル状態デアル。又間接的面カラ云ヘバ全波受信機ノ一般許可ニ依ル影響ハ終戦後ノ「ラヂオプログラム」ニ対スル新シイ興味ト共ニラヂオセット其ノ物ニ対スル一般ノ関心ヲ急激ニ喚起シ戦災ニ依ル「セット」電気蓄音機類ノ大量焼損モ相待ッテ我ガ社ノラヂオサービス部二対スル需要ヲ日ヲ追ッテ増加セシメタノデアル。其ノ他諸大学、研究所ノ学究、同ジ志ヲ有スル良心的企業家等ト特ニ深イ相互扶助的連繋ヲ持ツ我々ハコノ方面ヨリノ優秀部品類ニ対スル多種多彩ナ要求ニ当面シツツアルノデアル。
以上ノ如キ各方面ヨリノ需要ノ増大ハ我々ニ新シイ決意ヲ促シタノデアル。即チ資本ト設備ヲ拡充スル事ノ必要ト意義ヲ痛感シタノデアル。
我々ノ心カラナル試ミガ、カクモ社会ノ宏般ナ層ニ反響ヲ呼ビ起シ、発足ヨリ旬日ヲ経ズシテ新会社設立ノ気運ニ向ッタ事ニ対シ、我々ハ云ヒ知レヌ感動ヲ覚ヘル。ソレハ単ニ我ガ社ノ前途ニ赫々タル発展飛躍ヲ約束スルバカリデナク我々ノ真摯ナル理想ガ再建日本ノ企業ノ在リ方トハカラズモ一致シタ事ニ対スル大ナル喜ビカラデアル。
会社設立ノ目的 一、 真面目ナル技術者ノ技能ヲ、最高度ニ発揮セシムベキ自由豁達ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設
一、 日本再建、文化向上ニ対スル技術面、生産面ヨリノ活発ナル活動
一、 戦時中、各方面ニ非常ニ進歩シタル技術ノ国民生活内ヘノ即事応用
一、 諸大学、研究所等ノ研究成果ノ内最モ国民生活ニ応用価値ヲ有スル優秀ナルモノノ迅速ナル製品、商品化
一、 無線通信機類ノ日常生活ヘノ浸透化並ビニ家庭電化ノ促進
一、 戦災通信網ノ復旧作業ニ対スル積極的参加並ビニ必要ナル技術ノ提供
一、 新時代ニフサワシキ優秀ラジオセットノ製作普及並ビニラジオサービスノ徹底化
一、 国民科学知識ノ実際的啓蒙活動
経営方針 一、 不当ナル儲ケ主義ヲ廃シ、飽迄内容ノ充実、実質的ナ活動ニ重点ヲ置キ、徒ラニ規模ノ大ヲ追ハズ
一、 経営規模トシテハ寧ロ小ナルヲ望ミ大経営企業ノ大経営ナルガ為ニ、進ミ得ザル分野ニ技術ノ進路ト経営活動ヲ期スル
一、 極力製品ノ選択ニ努メ技術上ノ困難ハ寧ロ之ヲ歓迎、量ノ多少ニ関セズ最モ社会的ニ利用度ノ高イ高級技術製品ヲ対象トス、又単ニ電気、機械等ノ形式的分類ハサケ、其ノ両者ヲ統合セルガ如キ他社ノ追随ヲ絶対許サザル境地ニ独自ナル製品化ヲ行フ。
一、 技術界業界ニ多クノ知己関係ト絶大ナル信用ヲ有スル我ガ社ノ特長ヲ最高度ニ活用以テ大資本ニ充分匹敵スルニ足ル生産活動販路ノ開拓資材ノ獲得等ヲ相互扶助的ニ行フ
一、 従来ノ下請工場ヲ独立自主的経営ノ方向ヘ指導育成シ、相互扶助ノ陣営ノ拡大強化ヲ計ル
一、 従業員ハ厳選サレタル可成小員数ヲ以ッテ構成シ、形式的職階制ヲサケ、一切ノ秩序ヲ実力本位、人格主義ノ上ニ置キ個人ノ技能ヲ最大限ニ発揮セシム。
一、 会社ノ余剰利益ハ適切ナル方法ヲモッテ全従業員ニ配分、又、生活安定ノ道モ実質的面ヨリ充分考慮援助シ、会社ノ仕事即チ自己ノ仕事ノ観念ヲ徹底セシム。
経営部門 一、 サービス部
全波受信機ノ普及、家庭電化、テレヴィジョン受信機ノ現出等ヲ考エレバ今後コノ部門ノ活動ハ質量共ニ其ノ重要度ヲ加ヘル事ハ必至ノ事実デアル。従来我ガ国ニオイテハ「ラヂオサービス」ト云ヒ得ル程ノモノ皆無ニシテ只技術程度ノ低イラヂオ業者ノ片手間仕事ニ堕シテイタ現状デアルガ将来ハ高級受信機ノ出現ト共ニ斯カル業者ハ当然影ヲ消サザルヲ得ル運命ニアリ逆ニ其ノ需要面ノ広サト起業意義ノ大キサノ為一流セットメーカートタイアップセルサービス専門ノ大会社ノ出現スラ充分予想サレル所デアル。
当社モソノ自覚ニ基ヅイテ技術ト測定機ヲ思フ様、駆使シ徹底シタサービス活動ヲ行フ計画デアル。其ノ一例トシテサービス専用ノ小形自動車設置案ガアル。即チ電気蓄音機ハ云フ迄モナク高級受信機テレヴィジョン受信機等ハ重量容積等ガ相当大ニナル事実ニ鑑ミ一切ノ測定修理サービス用具ヲ完備セル小形自動車ヲ常備シ電話一本ニヨッテ縦横自在ニ走セ廻リ迅速ニ己ガ任務ヲ遂行セントスルモノデアル。カクスレバ仕事ノ能率ハ元ヨリサービスニ従事スル技術者ノ数モサービス要具モ少クテ済ミ一般ノ便宜ニ利スル点大ナルモノガアルト信ズル。
又地方ノ需要ニ関シテハ目下近接他府県ヨリ運搬ノ困難ヲ犯シテ当所ニ持チ込マレル高級セットノ数ノ少クナイ点ヲ考慮シ将来ハ地方ノ特定ラヂオ商ト契約期日ヲ定メテ一括修理ヲ行フ予定デアル。
政府ニヨル全波受信機ノ一般許可ハ大小ノ無線会社ヲ刺激シ目下全波受信機ノ製造ガ盛ンニ行ハレツツアル現状デアルガ資材其ノ他ノ関係上尚コレ等ノ製品ガ市場ニ出廻ル迄ニハ相当ナ日月ヲ要スルモノト考ヘラレ、コノ時間的空隙ニ於ケル一般需要ニ応ヘテ当社ニ於イテハ目下従来ノ手持受信機ニ付加装置ヲ附スル事ニ依ッテ簡単ニ全波受信機ニ改造出来ル方法ヲ工夫創案シ鋭意製作中ナルモコノ付加装置ハ使用資材ガ少ク技術的ニ高級性能優秀ナル為既ニ一般及ビラヂオ商方面ヨリ予約申込ヲ続々見ツツアリ。当社ニ於イテハ大体明年六月迄ニ五◯◯台(価格四◯万円)ヲ製作スル予定ニテ以後ハ全波受信機ノ市場出廻リ状況如何ニ依リ態度ヲ決スル予定デアル。
当社ヘノ修理依頼ハ戦災ニ依ル被害数量ノ多キ為ト高級セットヲ安心シテ託スルニ足ル信用アルラヂオ業ノ少キ為、日ヲ追ッテ増加シツツアリ、コレニ対シ当社ニテハ利益ヲ第二義トシ例ヘバ故障修理理由ヲ素人ニモ理解シ易キ様ニ解説シタルメモヲ与ヘルガ如キ親切丁寧ナル方法ヲ以テサービス精神徹底化ヲ期シツツアリ、一旦手掛ケタルセットハ最後迄其ノ責任ヲ持チ如何ナル煩雑ナル要求ニ対シテモ快ク応ズル精神的態度ハ我ガサービス部ノ本質ヲナルモノデアル。
其ノ他数ハ少キモ絶対他社ノ追随ヲ許サザル最高水準ヲ行ク高級受信機ノ製造、当社独自ノ電気部品、家庭電化用品ノ製作モ種々企画シツツアリ。又海外技術ノ紹介、一切ノ無線史料、図書ヲ具備セル図書館ノ設置講習会開催ニヨル一般電気知識ノ啓蒙活動等モ将来ノサービス部ノ重要ナ課題トナルデアラウ。
(株主トサービスノ問題)
尚将来株主ニ対スルサービス(電気一般)ハ特ニ重点的ニ之ヲ行フ予定デアル。即チ株主対会社ノ一般的関係ニ自由ニサービスヲ要求出来ル会員制度的性格ヲ持タセル事ハ意義アリ興味アル試ミト思考サル。
新シイ機械、テレヴィジョン家庭模写電信(無線ニ依リ新聞ヲ伝送印刷スル装置)等ノ新製品ヤ家庭電化用品ヲ優先的ニ提供シ従来ノ一般的ナ関係ヨリ、特色アル緊密ナ形ニ結ビ付ケルデアラウ。
家庭電化ガ日ヲ追ッテ盛ンニナル傾向ニアル今日特ニソレハ有効適切ナ方法ト思考サレル。
二、 測定機器部門
現在ラヂオ製造者ノ数ノ多キニ比シテコレノ製作修理ニ必要ナル測定器ノ製作者ハ極メテ寥々タルモノデアリ又一般ラヂオ業者ニシテ調整修理ニ当リ測定器ヲ用フル者ハ皆無ニ近イ状態デアル。然シ従来ノ一般ニ普及セル程度ノラヂオ受信機ナラバ現在ノラヂオ業者ガ行ッテイルガ如キ所謂『カン』ニ依存シタ方法モ可能ナルモ今後高級受信機、全波受信機ヲ一般ガ使用スル様ニナレバカカル非科学的方法ハ其ノ存在ヲ許サレナクナル事ハ明白ナ事実デアル。過去ニ於テ測定器製造ガ活溌ニ行ハレナカツタ理由ハ技術ノ困難と多数ノ標準器ヲ必要トシタ為デアルガ何レニセヨ測定器製造業者ノ数ガ少イト云フ事実ハコノ方面ヘノ技術的経営的分野ガ未ダ多分ニ残サレテイルト云フ事ヲ物語ルモノデアル。即チ使用資材ガ少ク価格ガ高価デ競争相手ガ少イト云フ点デ極メテ経営的ニ有利デアリ高度ナ技術ヲ有スル企業家ニトッテハ真ニ絶好ナ進路ト云フベキデアル。
我々ハ過去ニ属シタ日本測定器株式会社ハコノ数少イ測定機器製造業ノ内ノ屈指ノモノデアッテ僅カナ資本ト貧弱ナ設備ヲ持ッテ極メテ短日月ノ間ニ驚クベキ発展ヲ遂行シ得タノモ時局トハ云ヘ一重ニ測定機器部門ノ持ツ経営的特性ニ依ッタモノト断言出来得ルノデアル。
日本測定器株式会社ノ主要製品ノ一ツタル超短波用ノ真空管電圧計ハ我々ノ十年近イ年月ト血ノ滲ム用ナ努力ノ結晶デアッテ、其ノ一般ニ於ケル絶大ナ定辞ハ云ハズモガナ正ニ我ガ国ノ世界ニ誇リ得ル測定器ノ一ツデアル事ハ今回米国進駐軍ガコレニ対シ異常ナ感心ヲ持チ参考ノタメ本国ニ持帰ツタ事実ニヨッテモ雄弁ニ物語ラレル所デアラウ。コノ真空管電圧計ハコノ度ノ新会社ニ於テモ其ノ儘踏襲シテ製作サレル予定デ既ニ逓信院ヨリ本年度トシテ百五拾台(約三十万円)ノ発注ヲ見、三月末マデニ完成ノ予定ニテ目下鋭意進行中デアル。尚逓信院トシテハ二十一年度ノ一括発注モ用意サレテアリ、一般ヨリノ需要モ相当量ニノボル事ハ必至ニテ又将来テレヴィジョン開始トナレバ欠クベカラザルモノニナルデアラウ事等ヲ考ヘレバ単ニ真空管電圧計一種ノミヲ製造品目トシテモ充分会社ノ経営ハ成立シ得ルモノト思考サル。
其ノ他特殊ナ高級測定器ヲ順次製作スル計画デアルガ特ニ重点ヲ置キ度イノハ余リ技術的訓練ヲ受ケテイナイラヂオ商ニモ高級ラヂオ診断ガ自動的ニ行ヘル様ナサービス用測定器云ヒカヘレバセット分析器ト云ッタ如キ種類ノ測定具ノ製造デアル。カカル測定器ノ普及ニ依ッテ一般ラヂオ商ノサービスヲ真ノサースタラシムル事ガ社会的ニ充分意義ヲ有スルモノト信ズル。
ソシテコレハ大セットメーカート連結シ其ノ適合シタ診断ヲ行ヘルガ如キ装置ニスル予定デアル。
前記サービス部門ハ大衆相手ノ直接ノサービスヲ意味スルトスレバ街頭部門ト云ヘバ専門家相手ノサービス部門ト云ヒ得ルデアラウ。サービス精神ノ徹底化ヲ計ル事ハ前者ノ場合ト勿論同様デアル。
三、 通信機部門
前述ニ部門ハ大体会社ノ維持経営ヲ分担スル部門デアルガ、該当部門ハ当分ノ間新シキ特殊通信機ノ試作研究ヲ分担シ今日ヨリモ会社ノ明日ニ備ヘ将来ノ大飛躍ヲココニ期待シ得ルノデアル。逓信院、運輸省、内務省等ハ再建日本ノ重要課題タル通信網ノ能率上昇ヲ積極的ニ企画シツツアリ、当社モ其ノ要望ニ応ヘ全ク新シキ種々ノ試作ヲ実践中ニシテ其ノ内ノ主ナルモノヲ次ニ簡単ニ説明スレバ、
イ、 時分割多重通信方式
コレハ現在ノ有線或ハ無線ヲシテ簡単ナ装置デ三十、四十等ノ多重通話ヲ可能ナラシムルモノデアッテ東北帝大ノ通信研究所ニ於テ昭和十八年ヨリ研究ヲ開始、戦時中、特ニ発達シタ電波警戒ノ技術ヲ多分ニ取リ入レタル極メテ特色アル方式ニヨルモノデアリ逓信院、運輸省デモ其ノ成果ヲ非常ニ注目シツツアリ、鉄道省発注予定ノ試作セットガ完成シ成功スレバ現在計画中ノ青函十二重超短波無線電話装置(見積価格、約五六十万円)ノ註文ハ当社ニ来ル予定ナリ。
ロ、 簡易重畳電話装置
コレハ現在ノ電話線ニ尚一通話増シテ二十通話をヲ可能ナラシムル(現在ノ線路ヲ使用シテ倍ノ通話ヲ可能トス)非常ニ簡単ナ装置デ既ニ日本測定器株式会社ニ於テ全ク他ノ目的ヲ持ツテ多年研究サレタル或種ノ兵器ヲ若干改良スレバコノ目的ヲ充分果シ得ラレルノデアル。目下盛ンニ試作中ナルモコレモ又当社技術人ノ独壇場オ家芸ノ一ツデアッテ完成ノ上採用トナレバ其ノ需要度ハ恐ルベキモノデアラウ。
ハ、 録字通信機
コレモ戦時中航空通信ニ用ヒ操縦士ニ電信符合拾得ノ煩カラ脱セシムル目的ヲ持ツテ企画サレタモノデ完成ヲ見ズシテ終戦トナツタモノデアル。送信側ニ於テ電鍵ノ代リニ五十音ノタイプライターヲ叩ケバ受信側デハ通信文ノ五十音ガ順次