先日も書いたのだが、ロケットの発射を見たい。
なんか、すげーだろうなと思った。純粋に。いやー、見ないとだめだ。見たい。あの音と振動を体で感じたい。自分が作ったわけではないけど、心の中がぐうぉーーってなりそう。
今年中に見に行きたいな。時間が出来たら、いこう。
なんか、想像するだけでワクワクする。すっげーんだろうなぁ。候補は種子島か、アメリカかロシアだな。ロシアは広大な自然の中に簡素な発射台だけあって、近寄れなさそうだし、イマイチ盛り上がれそうにないので、可能性は低い。となると種子島かアメリカ。種子島は回数が少なそう。アメリカはいろいろな場所がありそうだけど、アメリカに行かないといけないからな。まあ、アメリカはチケット安いしいいかなー。
以前、私の好きなビートたけし、北野武(飛行機大嫌い)がテレビ朝日か大阪の系列局の50周年番組かなんかでスペイン(サグラダファミリア)とかフランス?遺伝子関係の研究所やアフリカの大地の裂け目を訪問した番組で、ケネディー宇宙センターかどっかでスペースシャトルの発射を見ている映像が頭によぎった。
ロケットの発射は以下のサイトで予定が見れる。
http://www.jaxa.jp/missions/in_progress/index_j.html
以下引用
ロケットの打ち上げ当日は、種子島宇宙センター全域と、射点を中心として半径3キロ以内は立ち入り禁止となりますが、センターの外で3km以上離れた場所であれば自由に見ることができます。下記のロケット見学場は特によく見えるところで、カウントダウンの拡大音声も聞こえます。
ロケット打ち上げの日時は、JAXAウェブサイトまたは、サイト内の打ち上げ予定でご確認ください。
ロケット見学場の詳しい場所は、展望所マップをご覧ください。
・宇宙ヶ丘公園
・前ノ峯グランド
今日も情熱大陸を見た。
この番組はいいね。なんですきなんだろうね。出てくる人がかっこいいんだよね。
子供みたいに、自分のやりたいこと、好きなことを真剣におっている。その姿がすきなんだろうね。
人として、泥臭いけど、青臭いけど、きれいだよ。
スキーで遊ぶのがすき。これ薬物だからな〜。
スキーレーサーの佐々木明さんがいっていた。
中毒なんだろうな、楽しくて楽しくて仕方がない。
人間って顔の表情見れば分かるよな〜。心躍っているかどうかって。
別に常に心踊っている必要はないけど、がむしゃらになって、楽しんで、やっている人はいいよ。
そういえば、今日行動クローンにあった。思考クローンとかはいるんだけど。
行動クローンは初めてだった。行動が同じと言うことは、その行動にいたる思考プロセスも一緒なんだろうか。知りたいね。
大学の学部も同じだった、学部を変わったらしい。その行動も僕は考えていてびっくり。行った外国もスペイン、モロッコ、ポルトガル、インドなどなどかぶってる。共通の知り合いもいたり。
テレビ東京で大食い選手権が復活するらしい。
おお、すんばらしい。
だって、これに出るの夢だったんですよ。
どうでるかって、大食い選手権なのにゆっくり味わいながら食っちゃう。もちろん予選敗退の予定。ただ、遊びに行くだけとも言う。
腹いっぱいただ飯を食えるならいくしかないし、大食い選手権でまったり食うのはネタ的にも面白いし。
私はもちろん応募しました。当選を願うのみ。
http://www.tv-tokyo.co.jp/oogui_bosyu.html
冬の洗濯は不確かだ。不確かという表現は適していないかもしれない。
ようは乾いた乾いていないのか分からない。 なぜか?
じゃあ、人間は乾いたかどうかをなにで判断している?
湿度 温度 触ったざらざら感?
とにかく乾いたかどうかをが一瞬で判断できない。
昔おやに洗濯を取り入れるように頼まれて乾いていないから取り入れるかどうか迷ったことを思い出す。
それと、洗ったものが乾いた乾き方と、洗っていないものが乾いた乾き方はなぜか違う。洗ったほうがカラットなっている。特にバスタオルだと顕著に分かる。なぜだ?
関係ないが、東京駅から西日暮里の値段は間違いのはず。
H2Aロケット成功したらしいですね。
良かった良かった。
他国と比較すればあれぐらい(って何も知らない俺が言うべきじゃないかもしれないけど)成功させて欲しいもんだ。
種子島、行きたかったなー。
って、ロケットとかスペースシャトルが発射するのを見てみたい。
日本だと種子島か、アメリカだとヒューストンとか?かな。
日程合わせないといけないし、打ち上げられるかどうかは確実じゃないのが問題だ。
でも、ロケット打ち上げを見たい。あの音や振動、ついでに成功したときの喜びを感じてみたい。
誰か一緒に行く人いないかなぁ。
一人よりも何人かいたほうが盛り上がれるでしょう。
種子島といったら、野口里佳さんの個展「飛ぶ夢を見た」かな。
http://www.fujifilm.co.jp/photomore/interview/noguchi_200404.html
飛ぶ夢を見た
F1琢磨のVロード 「2005F1GP開幕SP」
佐藤琢磨のエントリーが久しぶりではなく、かっこいい日本人のエントリーが久しぶり。
F1琢磨のVロード 「2005F1GP開幕SP」って番組がやっていた。
前から、佐藤琢磨が男の中の男だとは知っていたが、改めてかっこいい。
早稲田に入ったときは、昔からやっていた自転車部かなんかだったらしい。しかし、10歳のときに鈴鹿で抱いた夢があって、早稲田をやめて鈴鹿レーシングスクールに入ったみたい。主席卒業で、F3へ。
うん、かっこいいいね。
さらに、ホンダってのがいいね。ホンダですよ。ホンダ。私の好きな夢がある日本企業。
「トップを目指すのは変わらない、今は楽しみですよ」by佐藤琢磨
F1よりもパリダカの方がすきなんだけど、まあそれはおいといて。
来年で大学生最後だから、F1も見に行きたいな。
朝から、どこかへいった。
もう記憶なんてない。
で、その後東京駅にいた。そうしたらモリゾーがいた。
別にどってことはない。
その後、上野へ。前から楽しみにしていました。で、上野公園をするりするりと抜けていこうとすると、なにやら機動隊かなんかのバス等が10台も。えっ、テロ予告でもあったんですか?とか思った。それに、片耳にイヤホンを着た私服警官たくさんいたし。
まあ、知らね、と思って。通り過ぎる。
都美術館につく。で、芸大の卒展はどこかなと思っていたら、間違って、東京五大美術大学連合卒業制作展へいってしまう。ふつーに、間違えて、芸大はここじゃなかったっけと思い、入り口の表示を確認して、芸大の卒展ブースへ。
いろいろな作品があった。(それぞれの人の学科にそった作品じゃないものも含め)
経済学部とかいう、自分との戦いから逃げような学部にいる者から見ると、一人一人の人間ってすっげーなと思う。
でもなんか、思ったのは作品とそこにいる人たちが不釣合いな感じがしたのと、作品のおき方がつまらなかったかも。卒展でいろいろ制約があるのかも。
それから、友達のパフォーマンスをみた。初めてだったんだけど、いや、初めてだけど初めてじゃなかった気がした。デジャビューじゃないけど、彼の日常の延長にパフォーマンスが存在している気がして、パフォーマンスとあえて切り離すのが変な気がした。
パフォーマンス自体は卒展初じゃないかと思うぐらいのもの。自分の作品を破壊し、通路を抜け玄関の外まで。警備員もびっくりするほど。
周りの人の作品を壊すことはいけないんだろうけど、周りも巻き込みさまざま檻をぶっ壊すことになるのかなと思ってみたり。
鳩の絵がうまい友達に油絵科の作品集をいただきました。ありがとうございます。家に帰って作品集を今日は見てました。全ての人は2ページをもらっていて、2ページに納まっているわけで。しかし、納まっている人と収まっていない人がいたのも事実。
なんか、知らない間に、自分が気がつかない自分が作った、周りの環境によって作られたつまらない檻の中で生きているんだなと思った。ああ、俺もあのくらいの勢いで、ぶっ潰してやりたいものだ。
それから、デザインとか工芸とかの場所も見に行った。すると時間らしく追い出された。
上野公園をくぐり抜け、なぜか博物館のほうへふらっと向かう。すると、少し人がたまっていた。おばちゃんに尋ねると、秘密にしよっかなと笑ってお茶目に答えられた。そのあと、教えてくれて天皇皇后両陛下が唐招提寺展にお見えになるそうだ。だから、機動隊ね。警備員に聞いたら、あと3分というので、待っていて、手を振ってみた。終わり。
空っぽなところで、ころころ転がってみたいと思った。
って、もう少し一般的な日本語で言うと、人がいない広大な自然へいきたいと思った。
で、話は一気に飛ぶ。面白そうなところないかなと考えていた。それも具体的な県の名前を。あの県いいなとか。
で、ふと思う。これはまったく根拠のないことだ。でも、大都市と地方ブランドを確立した県を除いた、根拠なき上品なイメージ県がある。ぜんぜん知らないのに上品なイメージがある県。
根拠がないので、自分の県が上品なイメージでないからといって怒らいでください。上品なイメージが下だからといって、ただ、僕の中で比較すると、というだけの話ですので。
まずは、東北からここは「秋田」。(宮城は大都市なので除く)
青森<秋田だろう。秋田美人というイメージからか?良く分からない。なにがどうだからという理由は特にないので、今後理由は書かない。 岩手、福島も秋田にはかなわない。
関東は放置。
中部は「岐阜」と言いたいところだが「静岡」であろう。
関西は大都市が多く、ここも放置
中国は「岡山」かな。しかし、岡山はちょいと都市が大きいかな。鳥取と島根を比較すると、島根が上品だ。
四国は「愛媛」かな。ここの県も難しい、高知もけっこうランク高い。香川と徳島は下位を争う。
九州は「宮崎」かな。大分も熊本も鹿児島も佐賀も及ばない。
こんな感じだ、大都市っぽいところと地方でブランド力がありすぎる都市は抜いてある。北海道とか沖縄とかね。
今日外を歩いていると 太陽が陰った。
太陽の光が、流れる雲によってさえぎられたのだ。たまに、こういうことはある。
いつもなら、何も感じないのだが、ふと思う。すっげーーーーと。
みんなに言わせれば、どう考えてもこれがおかしいみたいです。感覚で生きているので、こういうことは普通なんだけどな。
僕がキャンプファイヤーの火だとしたら、火の中には入りたくないけど、火の粉が少しだけ降ってくるところにはいたい。見たいな事を言われます。まあ、意味不明な例えは置いておくとしよう。
で、太陽の光が陰ったことを歩きながらぐるぐる考える。
太陽は地球からずっと離れた宇宙にある。 太陽の光が地球に届くまでに約8分19秒もかかってしまう距離だ。想像がつかない。そんな遠くから地球まで降り注ぐ。よくもそんな遠くから光は来るもんだな。それも、基本的に何かしらによって遮断されていないのだ。そんなにも長い距離にわたって遮断するものがない。しかしだ、しかし地球からすぐそこにある雲、山に登っても下に見ることが出来る、飛行機にのってももちろん下に見える雲は太陽の光をさえぎる。あれだけの距離をつき進んできた太陽光が一枚の層である雲に遮られる。これって、すごくないですか。当たり前で、国民の99%は分かっていると思うんですけど、あらためてスゴイとおもった。たった一枚の層はこんなにも影響がある。太陽はあんなにもエネルギーを出して光は地球目前まできたのに、一枚の層おそるべし。
ネットワークもこの雲とおなじでコストをたいしてかけず大きな影響をあたえた。Webはくもの巣だしそのまんまなんだけど。
この層の発想で世の中面白くできないかな。太陽のひかりから思いついたのが面白いのと太陽の光と雲がさえぎることを要因分解すればネットワークになにかいかせないかなとか妄想してみたり。
将来何しているか、定期的に見てみたい。
よく、みんなに言われる言葉、
特に良くしゃべったことのある女の人。
確かに、何でもやるし、なんでも興味がある。
それも、勢い、なんか感じると、もうはまる。
将来自分でも何をやっているかわからない。
年をとったら、料理人か僧侶といっているが分からない。
しかし、ただひとついえることがある、未来のいつかを楽しんでいる、と。
なんか、人生で一番重要なのは「納得しているか否か」だと思うわけです。
別に何が良い悪いもないし、成功も失敗も、安定も不安定も
ようは、自分が納得して入れればOKではないかと。失敗しても自分が納得いっていたら、納得いかずに成功したよりいいのではないはないかと思う。
納得っていったい何者か分からないけれど、「心のそこから嘘偽りなしにこれだ」と言うことじゃないのかな。
ルールは失敗からうまれるって、今日会話の中で聞いた。
ちょっと、過去を振り返ると自分が属したいくつもの組織ではそうだったなと、妙にリアルに感じた。そして、その規則(ルール)なるものは意味があったのに時代の変化や、ルールの積み重ねにより価値がなくなったり、制約になるのだなと感じていました。
別にたいした話じゃないのに、なんか妙にしっくりした。
文字から声が聞こえる、はずはないのだが、聞こえる。
特に人生を勢いで生きている人はね。
そういう人は文章も勢いで書いている人である可能性が高い。
文章を推敲して、美しく、的確にかいてある文章もいいのだが、魚で言うと脂がのってない。勢い良く書いた文章は脂がのっていて、なんとなく伝わってくる。
こう、脂ののった文章は危険を持っていると思う。書いた本人と面識があり、何度も話したことがあったり、その人の感情の出し方や話し方を知っている人にはある程度正確に伝わるが、書いた本人を知らない人には少し言葉足らずだったり、言葉が乱暴に使われているようにうつるかもしれない。
ああ、脂ののった文章は好きです。こっちまで元気になったり、ワクワクしてくる。
以前友達からこのブログを読んでいると私がしゃべっているみたいと言われたことや、先日某氏の日記の文章を読んで声が聞こえる感じがしたので書きました。
専業主婦が増えているらしい。それもアメリカエリート女性の。
CBSドキュメント ▽家庭に入るキャリア・ウーマン
ストール記者、子育ても経験したいと思えば、それをすればいいだけだ。
カーシマンさんの調査
ハーバード、イェール、スタンフォード大学、大学院などを卒業してプロフェッショナルとして働いていた女性。
85%(?聞く間違えか?)がフルタイムの仕事をやめて専業主婦。
裕福で高収入の夫に頼っている。
傾向は50年代に逆戻りしているらしい。
精神的には50年代とは違う。「働きたければ働ける。(能力を隠す)」
会社側の対策
パートタイムにしたり、そのとき助手をつけて子育ての初期段階をサポートして、フルタイムに復帰してもらうなど。
うんうん、面白い。最近少子化対策で、保育施設をたくさん作ってそこに子供を預けて両親が働けばよいといっている人がいる。女性の社会進出や男女平等とかいって、保育施設を増やせとか言っている。しかし、違うと思う。子供は親が育てるべきであると思う。それは、男とか女とか関係なく。
まあ、それはいいとして、面白かったのでメモ。
離れた存在、中身や過程が見えない、清潔で、無菌で完璧と感じさせられたもの。
非常に分かりにくいので、例を挙げます。
小さいころ思っていた、冷凍食品は滅菌され完璧なる物。きれいなものであると。それは、誤解に決まっている、僕が馬鹿で、その冷凍食品が作られる過程を想像できなかったからだ。しかし、それもあるが、製造過程がブラックボックスで見えない。だからこそ、そのような虚の世界を見たのだろう。
冷凍食品コーンととうもろこしはまったく違うようなものに感じた。同じもののはずなのに、何か違う感じ。冷凍食品は滅菌された工場で作られ、それも機械から製造されるイメージ。土とかなんか自然っぽいものから作られるのではなく、無味乾燥な機械から作られるイメージを持っていた。
冷凍食品に限らず、なんか買ってきたものの多くはそんなイメージを持っていた。
幼稚園の給食袋も、親が作ってくれたのと買ったものでは、まったく違うもののように感じていた。作り方も違って、もとの素材や材料も違って、出来上がったものも似ているがまったく異なるもの。同じ次元に存在していない感じ。
僕の生きている世界とは違う、別世界で作られ、あたかもすごいもののように感じていた。なんか偉いものと言うのがいいのか、そんな感じがあった。
だからなんだと言われれば、なんでもないが昔そんなことを考えていたなと思っていた。
電車に乗りながら、考える。
なにをって、好きなことしかやらない人ってなんだろうとか、そう言われるのは何でだろうとか、どういう人からそう言われるのだろうとか、なんでこの人は常につまらなさそうなんだろうとか。この人って堅苦しいよなとか、そう思われたり、そう感じるのはなぜか、とか考えてた。
もっと言えば、私に対して「本当にやりたいと思ったことなら、どんな理由があろうとやっている奴だからな。」といわれたことがきっかけだ。やりたいと思ったことに関しては、それをやることによる障壁を考えていないようなのだ。やりたくないことに障壁があったら、その障壁を理由にやめたりする。しかし、その同じ障壁がやりたいことに存在したなら、障壁とも感じていないようなのだ。
やりたいと思うことに対して、相手に説明するような論理的理由付けよりも、もっと深いところに何かしらあるような気がした。
で、ふと思った。人間には感性フィルターなるものがあって、それによって無意識に人間は判断し行動している。感性フィルターによって行動が定義付けられている。とか、思ったわけです。
で、この感性フィルターというものは楽しいフィルターとか、つまらないフィルター、嫌いフィルター、ワクワクする、理性フィルター、対人関係フィルター、安定志向フィルター、見栄はりフィルター、お金フィルター、時間制約フィルター、群れるの大好きフィルターとかあるのかなと思います。厳密に言えばレイヤーの違うフィルターを書いているので、僕の中では違うんだけど言葉でうまく説明できないのでこう書いておきます。まあ、どんな感性フィルターがあるか知らないし、数も種類も順番も人それぞれで、感度もそれぞれだと思います。
で、フィルターには順番があります。例えば、一番目に楽しいフィルターがあって、次にお金フィルターがあって、三番目に時間制約フィルターがあるとしましょう。この場合、何かをしたときや、話を聞いたときに、このフィルターの順にしたがって、人間は感じて生きます。
例えばこの場合だと、今度鳥人間コンテストに出るけど一緒に出ないといわれたとする。まず、人間の中で一番先に起動するというか、その言葉を聴いて一番先に反応するのが楽しいフィルター。とり人間に出ることが楽しいかどうかを感じるわけです。ここで、楽しいフィルターが反応して楽しいと思ったら、その後のお金フィルターと時間制約フィルターは感度が鈍くなる。楽しいフィルターが強く反応すればするほど、後から続くフィルターの感度は鈍くなると思うのです。
あるものやイベント、話が放つ絶対的なパワーは一定で(仮に100とする)、そのパワーがフィルターに分配される。楽しいフィルターが100だったら、後のフィルターは反応しないので、判断基準は楽しいということだけになる。逆に、楽しいフィルターは10だけで、お金フィルターが60、時間制約フィルターが20となれば、お金のことが気になって、気になってこれがボトルネックになり行動には移せないか、躊躇する気がする。
物事を判断するプライオリティの話でしょと言ってしまえば、当たり前のこと。(まあ本当に、言いたい事はそんなことじゃなくって、自分の意識下におけるプライオリティなんかよりも感性フィルターが無意識下において存在して、それが意思決定に大きな影響を与えている。しかし、無意識下のことなので自分では気がついていない。合理的に考えればこう結論を出して行動するんだけど、土壇場で180度違うような決断をすることもあると思います。理性フィルターによって論理的な答えを出していたが、楽しいフィルターの方が強くて、大逆転してしまったパターンなのかも)
少し切り口が違ったり、言葉の表現が違うだけ。しかし、何かしら新鮮さを感じずにはいられない。そこから、何かが生まれてくるような。
なんか、言いたいことがまとまってないな。まあ、また今度続きから考えるためのメモだな。
以下:携帯から送ったメモ
人間の脳というか感性感じるフィルターがあって人それぞれ起動する順番が違う 楽しいフィルター、理性フィルター、対人関係フィルターのように。楽しいフィルターが感知するとその後のフィルターは感度が鈍くなる。自分では我慢してやっているつもりのことが多く感じとも他人から見れば好きなかとしかやってなかったり、本当にやりたいことだったら飛び付いていると言われるのは楽しいフィルターが一番感度が高いから。人それぞれ持っているフィルターが違うかもしれないし順番もしかり。何番目のどのフィルターが一番に起動するかがその人の行動を無意識に規定する
リバーヒュー・コミュニティ銀行
顧客のカウンセリングも同時に行ったり、銀行に来た人にお祈りしたりしている。
キリスト教の布教も同時にやってしまおう、ということらしい。
神への信仰をビジネスにしているらしいです。
敬謙なプロテスタントが職員みたいですよ。
今年中に130億円。支店も2つ増えるになるみたい。
WBSでやってました。言いか悪いかという話でもないし、そんなことは気にしないのだが、純粋に面白いね。切り口が。でも、まあ、社会の流れ自体がこうなってきている感じはしますね。
この流れのまま、予想通り社会は動いていくのか、一発ドカンと方向性が変わるのか楽しみでもあります。
いやー、この言葉。
ガイアの夜明けなる番組があります。
中部国際空港(?)セントレアと関西国際空港についてあーだコーダとやっていた。セントレアはトヨタのマネジメント層の人が社長で、関空は松下の改革を中村さんとやった人が社長らしい。セントレアはオープンだし、関空は第二滑走路建設でいろいろあるみたいだ。
まあ、第二滑走路の話は関空側から報道するか、国民側から放送するか、政府側から放送するかで、見ている人のイメージはだいぶ違うだろうなと思った。まあ、こんなことはどうでも良いことである。
で、関空の社長が言っていた。
「僕の目には発着する飛行機が見えていますよ」
とね。これだよな。一歩間違えば宗教です。しかし、この論理的思考力に基づいたイメージや想像力非常に重要だと思うのです。シュミレーションって奴ですか?先をイメージすることは、その後の行動に大きなメリットがあります。
ちょいとまてよ、ここでいう「僕の目には発着する飛行機が見えていますよ」はそんなシュミレーションとかいう次元じゃないのです。本当に見えるんだと思います。見えないものが見えるんです。こうでなくっちゃ、新しい社会を創造する人にはなれないと思う。世の中をがらっと変える、面白くする、まさにアップルの広告でいうクレージーな人だと思う。
まあ、この社長さんがこれに当てはまるかどうかは知りませんが。
先日、某先生の家に行ったときにウルフルズの昔の曲をもらいました。
ウルフルズと言えば、ガッツだぜ、バンザイなどのテンションの高い曲を歌っている人たちです。で、そのメジャーどころをもらったのです。そして、今日道路を歩きながらMP3プレイヤーで聞いたいました。するとふと思うことが。
ガッツだぜなる曲が売れたときは、確実に一発屋だと思いました。いかにも、一発屋のにおいのする曲調、メンバーのキャラ、そして衣装。あの勢いだけの安っぽさを感じ、すぐ飽きられる感じがした。すごい失礼なことを書いたが、そう感じた。
しかしだ、しかし、ウルフルズって存在が薄くなったなと思うと「明日があるさ」が売れたり、なんだかんだと、売れに売れているわけではないが、それなりにメディア露出がある。
その中でも特に、トータス松本なる男。この男には不思議な魅力がある。別に、何がいいというわけではないと思う。でも、なんか魅力を感じる。何が人をひきつけているのかは知らないが、全身から染み出てくる雰囲気といってしまえばそれまで。その雰囲気とはなにをもとにしているのであろうか。
彼は実にいいポジションをとっている気がする。
まあ、第一印象とは変わるものであり、これは人を短時間で見極めれないことを意味するのである。しかし、人間はパッと見て何らかの他人のイメージを自分の中に作り上げる。それは外れていることがおおいにある。とは言うものの、一瞬でイメージが作り上げられるとなると大事なのはパット見たときの感じなのである。まあ、つまらんが第一印象は大きな影響与えるんだよなー。
人間なんて常に変化しているのだから、第一印象と変わったといっても、その人自体が変わっているからかもしれないし。猫かぶっていただけかもしれないし。なんともいえない。結局は常にそのときが第一印象なのであり、その第一印象の積み重ねなのである。
長期間知り合いになり、何度も会うということは毎回変化するその人の第一の積み重ねであって、その人の本心を知れたと言うよりも、その人の変化の過程を見れたと言うことなのである。その人の変化の過程を知ったから、良く知ったと思ったり、本心を知ったと思うのである。たぶんね。
どんなものにも使い勝手なるものがある。
使い勝手が良い、悪い。
アフォーダンスどうのこうの、という話もあります。
ユニバーサルデザインは人が物に合わせるのではなく、物が人に合わせるとか聞いたことがあります。
いまさら、はまったflickrは、感覚的にこう出来たらいいなという操作性抜群。
今までの経験則的に、出来ないだろうなと思っていた操作が、flickrでは出来たりするのです。今までの経験から、あきらめてはじめから操作しないのではなく、常に新しいものとであったときは試してみるといいのかも。でも、今までの経験を考慮して操作するから、効率的になると言う話もあるわけで。。
まあ、そんなことはどうでも良くて、使い勝手。とはいっても、使い慣れたと言うことは神業と言うことが分かりました。
何でかって、パソコンですよ。私のパソコンは熱暴走します。IEはウィルスかなんか知らんが、変な検索バーが出て消しても出てくる。などなど、問題だらけ。しかし、私はこのパソコンをそこまで苦にせずつかっている。何でかって、知らない間に、このパソコンの特性を理解して、問題が発生しないように使っているのだ。これは、ほとんど無意識のうちにフリーズしないようにやっている。(それか、私のPCの使い方の特徴をPCが理解し、パターン化して処理が簡略化・高速化しているから、私が使うと問題がおきないとか!?だったらすごい。)まあ、ということで、私が使うと問題は少ないわけです。というか、問題が起こることすらほとんど気がつきません。
しかし、ですね。パソコンを他人に貸して、作業する場合がある。その人は使い勝手が分からない。このパソコンの特徴をすぐに感じ取ることが出来ない。よって、フリーズしたり、電源切れたり、するわけです。でも、その使っている人は、いつも自分のパソコンを使うように普通に使っているだけなんです。でも、他人のパソコンだとフリーズしてしまう。うーん、なんとも不思議なことです。誰が使っても、ある特定の操作に対して同じ結果をだすパソコンがこんなにも違う結果に陥るのです。
使い勝手、使い慣れる、ってことはすごいことなんだなと再認識。人間は無意識にやる行動が一番洗練されていて高度であるのではないかと感じました。
名古屋。愛知。
別に県の名前か、県庁所在地か。それだけの違い。
名古屋市出身の人は名古屋といい、愛知とは言わないぁ。
名古屋市以外の人は、話の流れで名古屋と出てきたら、さらりと愛知とかわす。
そんなのどうでもいいのだが、愛知県なんか元気だな。
トヨタにしろ、万博、セントレア国際空港、手羽先、味噌煮込みうどん、スガキヤ、味噌カツ、えびふりゃー、愛知の企業は調子がいいというし、千葉国の次は愛知国ですかね。毎日新聞さん?
名古屋がすきかといわれれば、分からないが、岐阜は名古屋に近いので食文化が似ている。言葉が似ている。距離も近すぎる。ということで、親近感はあります。この、名古屋の勢いに岐阜県もひょこっと乗って、いろいろ得を出来ないのかな?
天才クイズが東海ローカルだと知らない、東海県民が多かったり、天才クイズに出たことがある人がちらほらいたり。って、まったく関係ない。
名古屋のフラッシュもブーム再来か。
みんな合理的を望んでいるようで、いないようで。
まあ、人間完全に合理的じゃないのはそうなんですが。
ちょっと頭を使って行動すれば、かなり環境がよくなったり、効用が大きそうなことでも、それを実行しない人が多い。それを考えられない人もいるかもしれないが、考えられる人でも、合理的な行動をとらない人がいる。まあ、常に合理的な行動をとらないのは分かる。私もその一人だ。ああ、こうしたらいいだろうなと分かるけど、その行動に移すのがめんどくさい。めんどくさいと言う表現とは違うのだが、なんというか行動に移す気にならない。
なぜだろう。明らかに少しの労力で大きな効果が生まれることが分かりきっているのにしない。人間とは現状維持がすきなのだろうか。何ですきなのだろう。
うーん、絶対的に 「合理的な行動をする労力<合理的な行動による効果」
の場合でも、合理的な行動をしないと言うことは、
「合理的な行動をする”気分”>合理的な行動による効果」
気分が勝っているのだろう。
気分ね。気分と言えば気分。しかし、何か違う。私と言う人間の中にある、中から生成される何かによって決まるんだけど、気分とは違う感じだな。そもそも気分って定義が分からないし、気分ってことすら分からない。
私は、本とかから学べない人なので、かっこいい理論の名前とか、あんまり知らない。
日々の生活から感じたことを、自分で考えると言うことをしないと身につかない効率の悪い人間なのである。
書きたいことがあったような、ないような。
記憶していたような、記憶しているような。
ぼんやり何か浮かんだような、浮かんでいないような。
時が流れているような、時が止まっているような。
驚いたような、驚いていないような。
世の中ではいろいろなことが起きているのだろうか?
日曜日は今日も明日もやってくる。
「路上で寝るくらいぶったおれたい」
松野頼三元衆議院議員が週刊アサ(秘)ジャーナル という番組に出ていた。
戦後、うまかったもので、1位銀シャリ 2位すき焼き 3位バナナ っていってた。
米が食いたかった、米だけで何倍も食えたと、感情こもっていっていた。戦後の時の銀シャリへの気持ちはすごかったんだろうと思う。僕も海外であまり食っていなくて、うまい物食うとたいしたものでもおいしく感じるから、それの究極バージョンなんだろう。
で、これを見て、今日ワールドカップドイツ大会の最終予選、日本vs北朝鮮を思い出した。日本はケッコウ苦戦していた。というか、ぎりぎりまで同点で、ロスタイムに点を入れ勝った。勝てば、最後に点をいれようとなんであろうと、勝ちは勝ちだ。
ただ、苦戦していたのも事実。で、それを見ながら思った。日本は先進的な科学的トレーニングを行い、栄養バランスの取れた食事をし、海外のトップチームで戦っている人もいる。北朝鮮チームはテレビなどで伝え聞くところによると、そうではないかもしれない。このような環境や条件の違いはあっても、互角だった。
良い、トレーニング機械、トレーナー、食事、すべて良いものを使ったからといって、勝つわけではない。それがないからこそ生まれるハングリー精神のようなものは、トレーニング機械や食事を超えるものになる可能性がある。このことは、絶対に心にとめておかないといけないと思う。
銀シャリもそうだ。銀シャリは決して高いものではないかもしれない。しかし、その状況や自分の気持ちによって価値というものは無限にも大きくなる。逆に極限まで下がることもある。高級だから良いというわけではないんだよなぁと実感。
私の手帳を見たことがある人は分かると思うが、無印良品の線が引いてあるだけの手帳だ。それに、自ら日付を入れたものを使っている。100円だったので買ったというだけの理由だ。
で、今日手帳なるものをもらった。またまた、線の枠だけ入っていて日付が入っていない。うん、なんとも不便。しかし、そろそろ手帳がなくあるのでうれしいのである。おっと、手帳っていっていいのか?って何のこと言っているかというと、その手帳1万円也。一万円の手帳って。。。100円と機能は変わりません。さらに、日付は手書きの手帳です。が、本皮です。箱をあけてびっくりです。
まあ、僕にしたら100円でも1万円でも機能は一緒だから、どっちでもいいのです。さらに、両方とも日付は手書きと言う落ち着き。ものの価値を考えさせられます。はい。価値とは何なのか?機能って何か?ってありきたりのことを考えますね。
まあ、これはオークションで売って新しいのを買ってもいいんですけど、一生使えそうだし、たまには高級なものを持つのもいいかなと思っている次第です。
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地方企業はビジョナリーカンパニーであると言うことです。
今日思ったんですけど、まあ、当たり前です。特に一代目の地方企業はビジョナリーカンパニーが多いのではないかと考えたわけです。
そもそも、ビジョナリーカンパニーとは何か?
まあ、私はかの有名なビジョナリー・カンパニーの2冊を読んだことがないので、この本に沿った定義は知らない。
しかし、この本に書いてあるビジョナリーカンパニーとは以下の条件を満たしているものらしい。
(1)業界で卓越した企業である。
(2)見識ある経営者や企業幹部たちの間で広く尊敬されている。
(3)社会に消えることのない足跡を残している。
(4)CEOが世代交代している。
(5)当初の主力製品やサービスのライフサイクルを超えて繁栄している。
(6)1950年以前に設立されている。
まあ、僕がいっているビジョナリーカンパニーはこのようなものではない。俺に言わせれば、上記の6点を満たしている企業をなぜビジョナリーカンパニーというか分からない。6つの条件を満たす企業がすべてビジョナリーカンパニーではないといっているのでもない。さらに、6つの条件が満たされている企業を批判しているわけでもない。こんな条件を満たしている企業は世界中探してもめったにないような素晴らしい企業であると思う。
まあ、これらの細かいことは本を読まないとなんともいえないので、特に触れないでおこう。今度、ビジョナリー・カンパニー1・2を出来るだけ早く読む必要があると思う次第です。また、読んだことがある人はいろいろ教えてほしいです。素晴らしい本らしいので。
で、僕がタイトルに書いたビジョナリーカンパニーは明確なビジョン・理念を持った企業のことで、まさに「読んで字のごとく」ってやつです。
話はそれるが僕の好きな会社は僕の言うビジョナリーカンパニーであったりします。まあ、なんで、地方に僕の言うビジョナリーカンパニーが多いか。
それはですね、東京で会社を作る人は安っぽい人が多い可能性がある。安っぽいというのは、周りに会社を作った人がいるから作ったとか、なんかカッコイイからとか、お金儲かりそうだからとか、そういう理由で作る。そんでもって、東京は地方と比べて会社設立の障壁が低いように感じます。さまざまなサポート体制があり、会社を作った仲間もたくさんいる。お金の面でも投資・融資を受けやすい。環境が恵まれています。このような環境による相乗効果で、コラボレーションが起こったり、相互補完ができるなどメリットも多いんですけど、ハングリー精神はなくなりやすいと思います。
逆に、地方で会社を作る人はかなり異端児です。環境やサポート体制も整っていません。自分が、このような社会にするために、これをやりたいとかなり強く思わないと会社を作らないと思うのです。会社を設立する障壁が高いからこそ、設立する人は強い思い・ビジョン・理念があると思うわけです。
そのような強い思いがあると、必然的にビジョンのある企業になると思うのです。会社のファウンダーがそのような理念をアピールすることにより、その理念に共感した人が集まり、組織としてビジョンオリエンティッドな会社になると思うのです。
まあ、なんとなく思っただけ。
別にビジョンがはっきりしているからすべて良いというわけでも、ビジョンがあるから儲けることが出来るとも思ってません。なんとなく会社を作ることも面白くて良いと思います。僕の言うビジョナリーカンパニーは、逆にビジョンに傾斜しすぎて、冷静な目で見えなくなると言う大きな問題があるかもしれません。
個人的に好きかどうかの話をしているだけですから、どっちが良い悪いではないですよと、最後に付け加えておきます。
脳とアウトプットとその評価という、なんか意味の不明なタイトル。こんなことを言っていると、いつも君は文型か?と問われる。うん、くだらない。どうでもいい。高校から無理やりカリキュラムを文系と理系に分けているから、みんなそんな分け方をするのだ。
で、私は気になるから、どうしても気になるから書くだけ。いくつか思うこと感じることが重なったから書きます。
・ワーキングメモリとIQ
・話下手だけど仕事が出来る人
・本当にすごい人はすごいと認めれない
前書いた、脳の常駐ソフト理論もそれだな。
・ワーキングメモリとIQ
ワーキングメモリが優れている人とIQが高い人はイコールではないみたいなことが書いてあった。けっこう遅いのだが、このワーキングメモリと言う言葉が引っかかった。なんか興味深くて僕の中でキーワードになった。ワーキングメモリとは「情報を一時的に保持する、操作・統合して答えを導き出す、という一連の過程を含み、言語理解や推論など高次の認知機能のベースとなる重要な機能」とか書かれたりしています。短期記憶の拡張だとか。良く調べていないからなんともいえないけど、かなりおくが深そうです。なんか、ワーキングメモリの容量が大きい人はいわゆる(普段接していて)賢い人なのかなと思う。IQは知能指数であり、違うものなのであろう。そもそも、頭の良いとは何なのか?どう定義するのが一番話を進めやすいのだろうか。疑問だらけ。脳自体の問題。
・話下手だけど仕事が出来る人
すごい話が下手な人がいた。でも、その人の実績を見るとすごすぎる。まあ、実力勝負の世界で生きてきて、相当な外資企業の経営者としてヘッドハンティングされている。若いのにこうだから、実際に仕事は出来るのだろう。でも、話は下手。話がうまいからといって仕事が出来るわけではないが、うん、でも見極めるのって難しいですよね。ファーストコンタクトは話すぐらいですから。それと、あまり多くを話さなくても、どもっていても、立て板に水に話さなくても、ズシーンと心に伝わってきたり、感動したり、この人考えていると感じることがある。流暢に話すということには、そこまで価値がないのかも。まあ、大統領スピーチとかは、流暢なほうがいいような気がします。でも、原稿を用意していないときは除く。言葉としてのアウトプットと、仕事のアウトプットの違いの問題。
・本当にすごい人はすごいと認めれない
本当に凄い人は凄いと感じない。アウトプット(話し、文章など)は考えたり悩んだ何分の一しか現れないのは、良く分かる。それに、考えたことや、知ったこと、身に着けたことをすべて盛り込むと安っぽくなったりする。まあ、それはいいとして、本当に凄い人は相手のレベルを理解し、何の違和感もないように論理立ててはなす。それも難しいこと説明していると感じさせない。それでもって相手が心踊るポイントをついてくる。 だから聞き手は話し手(すごい人)のことを凄いとすら感じる隙がないのだ。ということで、僕が感じることの出来ないレベルのすごい人は、本当にすごいはずであるが、僕はそれに気づくことが出来ない。。。これはアウトプットの評価の問題である。
とまあ、難しい。それに、話がそれている。
これらを考えていると、頭がいいとか、仕事が出来る、と、その評価とは難しい問題である。ベースとしては脳のどの部分のどのような動きが関係しているのか。うーん、頭がぐるぐるする。
今日は大学から家まで歩いたわけである。普段歩かないところを歩くからと思って、MP3プレイヤーで音楽などを聞かずに、町の音を聞こうと思った。
しかし、家に近づいていつもと同じところなどでは聞いた。そのときふと思う。
僕のMP3プレイヤーにはいろいろな曲が入っている。どんな曲かも知らないのも入っている。なぜなら、適当にダウンロードしたり、友達の家に行って適当にパソコンから音楽データをもらうからである。さらに、僕はシャッフルで音楽を聴いている。順番はばらばらで流れる。
で、新しく音楽が始まった。うん?!とおもった。音が流れてくるのを聞いて、なんだこの曲と思った?聞いたことはある感じだったが、ピンとこなかった。
で、僕がとった行動は、プレイヤー本体に表示されるタイトルを見たのだ。自然にそのような行動になった。聞いて分からなかったら、分からないはずである。さらに、見たからといって、なんか意味があるのか?音楽と言うのは聞くことに意味がある、効用があるように感じる。(まあ、ジャニーズとかアイドルの音楽は文脈を楽しんでいるのだが。)しかし、僕はタイトルを見た。なにを感じてみたかは知らないが。
その行動を通して思ったのは、僕は音よりも文字をベースに理解しようとしている。文字で理解することに最も慣れている。僕のiTunesやMP3プレイヤーに入っているほとんどの曲のタイトルや歌手名を知らないが、タイトルを見るという行動をとった。文字を見ることに落ち着きや安心を感じるのだろう。そして、文字で見ることによってさらに、音を理解しようと思ったのだろうか。
僕は文字で理解するのだろうが、音で理解する人、絵やイメージで理解する人、においや色などなど、人それぞれ理解するベースが違うのだろう。
一秒の世界とかいって番組をやっていた。
山本良一東大教授と言う人が、一秒にすると何でも分かりやすいからといって、一秒に単位をそろえているらしい。
ビルゲイツは2000億円資産が増えて、一秒にすると、みたいなことは好きだ
チーターは1秒で、28メートル(訂正しました)
世界で一秒間、532人マクドナルド
炭酸飲料1秒で1万6000カン 3分の1 アメリカ アメリカ人一人600缶年間
440メートル、A4用紙 一秒間
一秒間に天然林 テニスコート20面
一秒間に植林は5面
グリーンランド、氷河 一秒間に 25メートルプール4杯分
1秒0.3人餓死
1秒で軍事費 320万円
どこまで、本当か知らないし、言葉のあやっぽく、トリックを使って軍事費とか試算しているかもしれないが、ゲイツとかマクドナルドは好きだな。
タイトルどおり、なんとなく大学から家まで歩いてみた。
遠かった、以上終わりでも、良いのだが、自分のためにメモメモ。
・定期が明日で切れる。→使っておこう。
・土曜日で快晴。→どっかいこう
・時間があった。→どっかいこう。
二郎納めをしたかった。
大学で新聞を読みたかった。
上のような条件から、大学へ行くことにした。それで、二郎へ。
最近また、味が戻ってよくなった気がする。ぜひ、皆さんも行ってみてください。まあ、40ぐらいの夫婦が来ていたのですが、奥さんがラーメンに対してちょいとご立腹みたいだったんですけど、二郎を知った上で来いよボケと言ってやリたかったです。
まあ、それから大学の図書館で日経を2週間分ぐらい読んだ。小学生から読んでいて読み慣れているので、読み飛ばしをしまくり。今月から私の履歴書がドラッカーみたいだ。長生きだな。まだ、講義をしているらしい。あと、そこまでやるか 新エリート主義っていう夕刊の連載特集みたいなのが面白かった。
大学で、中等部の入試がやっていたのだが、子供が入試の間親がキャンパス内で待っていた。だから、おばちゃんおじちゃんばかり。はっきり言って、いかがなものかと。子供もかわいそうだし、親も子離れできていない。過保護すぎる。こんなんじゃ、日本人は本当の意味で強くならない。
心も頭も体も強くなければ、意味がない。かわいい子には旅をさせよといったものだ。
で、家に帰るか上野博物館へ行くか、古本屋へ行こうと思って駅へ。でも、なんとなく、家まで歩いてみようと思う。もちろん地図も何もないわけだ。北へ行けば着くだろうと思って歩き始めました。
とりあえず、田町駅前から歩き始める。いつも見ている、NEC本社。さあて、何時間歩けば家に着くのだろう。はたして、つけるのかと思いながら歩く。天気も良いし気持ちがいい。
02:34 PM
線路沿いを歩こうと思った。が、線路から離れたり、また線路に近づいたりの繰り返し。
地図とかないので、そうなります。第一京浜らしい。
02:42 PM
大門駅は浜松町とニヤリーイコールです。
田町の隣駅。
02:51 PM
ロープひとつでガラス掃除。
水が下に落ちてきた。今日はガラス掃除をいくつものビルで見た。
こういう仕事は土曜日に多いんだなー。そりゃそうだけど、初めて実感した。
02:53 PM
新橋(若い人が汐留というところ)の新しいいるです。
松下、電通、共同通信などなど
03:02 PM
ポルシェのお店。汐留シオサイトにあった。
03:07 PM
下水管ですか?大量に道路においてあった。
気になったパシャリ
03:08 PM
歌舞伎座らしい。聞いたことはあったが、はじめてみた。
東銀座駅からすぐなので、一度着てみるのも面白そう。
03:17 PM
フェデックスとキンコーズがあわさった店。
日本橋だったかな。うーん、いかにもな会社がコラボしてますね。
03:45 PM
日本橋にあった、五街道の起点かなんか。へーー。
歩かないと見つからないものだな。
03:47 PM
おお、神田まで来た。
けっこう、遠かった
03:59 PM
上野。いつもくる上野。
土曜日はにぎやかでした。
あと、秋葉原もすごい人だった。
04:23 PM
はい、千円でぇいいよ〜。千円。
the AMEYOKO。
04:28 PM
国立博物館で唐招提寺展がやっています。
早く行こう。でも、すごい人だろうな〜
04:39 PM
千駄木です。昔は(旧)駒込坂下町といったらしい。
家まですぐそこ。
だが、ブックオフとスパーに寄り道。
で、家に帰り着きました。
05:19 PM
あまり、ニュースにならなかったが、世界経済フォーラム(ダボス会議)が「若き国際的指導者」237人を選出したらしい。日本人は10人みたいだ。
まあ、個人的に選出された人すべてがどうかって話はあるんだけど、まあ頭の片隅に入れておこう。
年齢を見ると、国際的ビジネスマンとして「若き」ってのは40歳までということなのかな。
これとは関係ないけど、日経の「そこまでやるか 新エリート主義」っていう夕刊の連載特集にも、いろいろな人がのっていた。
理化学研究所 神戸研究所 発生・再生科学総合研究センター上田泰己チームリーダーは、すごかった。27ぐらいでチームリーダになったらしい。大学で行ったら教授みたいだ。東大医学部5年のときに山之内との共同プロジェクトでリーダーしたり、バイオと言語をそれぞれ一年でマスターしたり、ソニーCSLの北野宏明さんに1年師事したとか。それで、東大博士課程を修了して理研のチームリーダー。すごいね。理研もそんなことする時代なのだな。
矢野 祥君もすごい。14歳で大学はいって、今はシカゴ大学医学部とか。ピアノも出来て空手かなんか武道もやっているらしい。
http://www.weforum.org/pdf/YGL/list05.pdf
楽天 三木谷浩史社長(39)、
中古車輸出会社アガスタ 松崎みさ社長(34)
伊藤忠商事法務部 社内弁護士 茅野みつるさん(38)
参院議員 浅尾慶一郎(40)
ファーストリテイリング 堂前宣夫副社長(35)
衆院議員 古川元久(39)
サイバード 堀主知ロバート社長(39)
東大 近藤正晃ジェームス助教授(37)
横浜市長 中田宏(40)
参院議員 鶴保庸介(37)。
BRICsっていうじゃないですか。
前から、sはどっかの可能性があるのではと思っていたんですけど、South Africa
(南アフリカ)かもね。
G7にブラジル、中国、インド、南アフリカが呼ばれたらしい。
確かに、資源豊富だし、けっこう都市化していて、アフリカの重要な都市であるのは事実だ。
まあ、注目ということですな。
暇なときになると、落書きを始める。暇といっても何もやることがなくて、と言うのではなく、時間とか場所が拘束されていて、そこから離れられないけど、退屈なときのことだ。
まあ、高校で言えば、授業中だったり、ディベートの好評だったり、するわけです。なんとなくイメージがわくかな?まあ、そんなような時が最近ありまして、いつものように紙にボールペンで落書きを始めるわけです。
べつに、特に落書きが好きとか、絵が好きかと言われれば怪しい。その場で話を聞くことと、落書きすることどちらが価値が高いかと言えば、話を利くことのような気もするが、落書きをする。人間の意思決定というものは、それほど矛盾を抱えたものなのです。そもそも、価値が高いものを選択することが、当たり前だと言う考えがあるけれど、それの本質的な優位性は証明不能なわけで。どんな説明を繰り返しても、どんどん、それはなぜかを問い続けられるわけで。
まあ、それはいいとして、落書きをするわけです。特に何を書くと言う計画もなしに。てきとうに線を引く。すると、自分が書いたその線から、勝手に線を延ばしたり、円を書いたり、人を書いたり、付け加えられてなにやら分からないが、何かしらの絵が出来上がる。
不思議なもんですよ。一本の意味のない線からなんかが出来あがる。その出来上がったものは、一本の線が、まさにその線であったからこそ生まれたものなのです。はじめから、何かを書こうとして書く場合は、一番初めの線が全体に与える影響は比較的小さい。でも、計画性のない落書きは一本目の線が命なわけです。まさに、その線であったからこそということなんだよな。恐るべし、落書きの一筆。
利き手、利き足、利きからだ傾き
利き手があるのは皆さん知っているだろう。私は利き手を右から左手に変えようとした。中学のときは字も左手だかいていたが、今は書いていない。しかし、中学から左手で食事をするようになり、今でも左手だ。左手で食事をした年月のほうが長くなりそうだ。
利きからだ傾きがどうもありそうだ。傾けやすい体の向きがある。僕は昔から洗面所で水を飲む癖がある。なぜかと言えば、冷たいと感じるからうまいのだ。で、コップを使う習慣がないから、手ですくうか顔を横に向けて水を飲む。そのときに、体の向きを変えて飲んでみると飲みにくかった。いつも自然と傾けていたのが、利き体傾きだったんだろう。
なんでも、「利き○○」があるんだろうな。
デースケドガーらしい。
そろそろ、飽きたな。SEO コンテストキーワードらしい。
またひとひねりいれないと、面白みがないです。
世の中全てがどうでもいいわけで、世の中全てが気になるわけです。
まあ、そん時の気分次第と言うことです。
気分屋は批判されますけど、まあ社会で生きていくには他人に迷惑ですけど、その人は一番楽で楽しいと言う、大きなギャップがあるわけで、
難しい問題であるわけです。
どうも受験シーズンらしい。
中学・高校・大学と。いろいろな受験があるわけです。
地方にいれば、高校選びまでは校風なんてあんまり意識しないと思う。学力レベルによって自然に決まる。しかし、都会の人は違うみたい。校風なる、本当か嘘か分からないもの、みんなのイメージと言うものが結構重要らしい。
大学選びも気にするらしい。この校風なる怪しいものを。
特にKとWの校風の話を良く聞く。僕は岐阜にいたからそんなもの知らなかったし、気にせず受けた。でも、最近なんとなく思う。ちょいと違うなと。それは入る段階ではあまり違いはなかったと思う。(まあ、イメージを持っていて、それを踏まえて受験するから、入ってくる人のキャラから違うのですが。たぶん)しかし、環境による相乗効果によって人は変わっていくのだと思う。それで、なんとなくWっぽいとかKっぽいとか。
僕は自分の大学の中ではKっぽくないと言われる。しかし、某大の関係者からみるとKらしい。うーん、知らない間に染まってしまったのか。怖い怖い。
しかし、結局その人次第だし、なんとも良く分からない校風なるもの。入ってその校風なるものに染まってしまえば、校風というものに自分では気がつかないし、入る前だと、実態を知らずたった一人から聞いた印象などで校風を想像してしまう。
結局校風と言うものは分からないのであろう。この、なんとも摩訶不思議な校風。
10年ぐらい前のマルチメディアという言葉のまやかしや、近年のユビキタスと言う実体のない、商業戦略だけの言葉に似ている。なんともあやしい。これらの言葉が死ぬのは早い。なぜならその技術が先進的でなくなったりするからだ。
しかし、学歴というものは人が死ぬまで、校風なるものはなくならないだろう。すなわち人がいる限り永遠に校風なるものはなくならない。校風がなくなるときは学歴がなくなるとき、すなわち人類が滅亡するときであろう。
なんか、地頭だとかコミュニケーション能力だとか起業家精神なることばも実態を持たないなんとなくそれっぽい言葉である。
なんとも怪しい。実体のないものである。
たしかに本質的に重要なのであることも多いのであるが、それは感覚的にしかわからないものであるから、一歩間違うと怪しい世界へと言ってしまいそうである。