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June 29, 2005

夏の夜、屋根の上に寝ながら月を見る

夏の夜、屋根の上に寝ながら月を見る、こんなことしてみたくなった。

「屋上で月を眺めていた」というミスチルの新曲 And I love youの歌詞を聞いて思った。

なんか、昔の日本のイメージってまさに夏の夜に、屋根にのぼって寝転がりながらぼーっと月や星を見る。暑い日中のことを忘れるくらいの清清しさなんだろうな。

今はそんな低い建物もなくなったし、屋根がないマンションも多いし、危ないからって上れないとかそんなんが多いもんなー。

風なるものが気になる。
風です、風。

この得体の知れないもの、目にも見えないし、実態があるわけでもない。
人間の風に対するイメージもプラスのものとマイナスのもの、さまざまだ。

風といえば、突風だ。
風といえば湿っぽい生暖かいよどんだ風だ。
風といえば暑い日に吹くとてもさわやかな風だ。

Musical Baton

・Total volume of music files on my computer (コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量)
4.98G

・Song playing right now (今聞いている曲)
なし

・The last CD I bought (最後に買ったCD)
WAYNA RUNAS (WINAY) traditonal Andes Music From Peru Bolivia Ecuador

・Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me (よく聞く、または特別な思い入れのある5曲)
The Song of Life 世界遺産の曲です。かなりの名曲です。雄大な自然を見る時に頭の中でこの曲が流れると最高に興奮します。

ふるさと 童謡です。篳篥なんかで演奏されると最高です。

Mr.Childrenは大好きです。まあ、一曲なら終わりなき旅にしておきます。

Summer 久石譲 北野武の映画、菊次郎の夏の曲です。

Desperado The Eagles これなんか、しょんぼりした時に一筋の光が見える感じの曲。なんかそんな場面でよくテレビで使われています。

そのほかにも、ひととようとか小田和正とか平原綾香とか雅楽とか洋楽とか鬼束ちひろとかBilly JoelとかSarah BrightmanとかKenny Gとか好きです。でも、名前も曲名も知らないけど好きなのがたくさんあります。はい。

・Five people to whom I'm passing the baton (バトンを渡す5人)
小泉純一郎
堀江貴文
村上世彰
Bill Gates
Sergey Brin

Musical Batonというチェーンメールのようなものがあります。なぜ、これに限ってこれだけチェーンメールが拡大しているのでしょうか?なぜか気になります。

すべては質問内容とタイトルに起因するのだと思います。さらに、誰からバトンをもらったかということでしょうか。

質問内容を考えてみれば、音楽についてということです。近年のiPodやMP3プレイヤーブーム、PtoPのブーム、そこらへんも時流に乗っているのでしょうか。多くの人がMP3に移行して、自らの音楽の容量を誇示したいのでしょうか。ああ、あと、レンタルCD屋さんはほとんどレンタルDVD屋さんになっています。DVD(≒映画)もネットで流通していますが、回線とHDの容量的にはまだ一般化していないのでしょう。そこで、DVD屋になっているという時代背景からもネットと音楽の結びつきの強さを感じます。

思ったのが、数年前よりも音楽を聴く人が増えたんだと思います。そんで、レンタルCD屋の登場とウォークマンの登場によって起こった現象がさらに進んだ形でMP3(ネット経由で聴く音楽)とMP3プレイヤーによって起こされるのではないかと思います。すなわち、さまざまな音楽を容易に聴けるようになった、さらに音楽を個人の好みで聴けるすんわち音楽が自分のものになり、いつでもどこでも聴けるようになった。

これらによって、人間はどんな影響を受けるのでしょうか?レンタルCD屋の登場とウォークマンの登場によって起きた社会の変化と似たようなものがおこるのでしょうか。さらに、人間は多種多様な音楽を常に聴くことによってどのような変化が起こるのでしょうか?気になります。

これは音楽著作権協会とかリサーチ会社の調査だったり、どっかの会社のマーケティングだったりしないのですかね?それにしても、インターネットにおける情報の伝達の威力を痛感します。その情報も人と人をつなげる情報の威力を感じます。ブログにしろ、SNSにしろ、Musical Batonにしろ。

空を飛んだ日

前回のエントリーでgoogle mapsを絶賛しましたが、google earthのほうが面白いかもなー。

こちらはソフトをダウンロードして、地図情報はストリーミングするタイプ。基本的にはmapsと同じなんだけど、丸い地球な感じと動かすと慣性の法則な感じで動くのがすき。

なんか、ストリーミングの仕方というか、その辺もユーザーの視点に立っているなーと思った。その視点があり、かつそれができる技術力があるのがgoogleなんですかねー。

それにしても面白いよなー。こういうことができるのがグーグルなのかな。まあ、これは買収した会社の技術だったりするわけですが。いいところに目をつけているには違いない。

mapsで羽が生えて、earthで空を飛んだ感じです。

June 28, 2005

永遠は一瞬になり、一瞬は永遠になる

永遠は一瞬になり、一瞬は永遠になる、ふとそう感じました。

現在、過去、未来とした場合、過去というものは人生で言えば20年ちょっと、地球の歴史で言えば60億年、まあと途轍もなく長い時間です。未来もいつまで続くか分からないけれど、きっと長い時間なのだろう。

現在ってのはあるようでないようで。そんな時間。だから、この一瞬は永遠のように長くなる。

そんなことを思ったら、美しいものを常に感じていたくなった。

羽がはえた日

はじめて地図帳をもらった時とてもうれしかった。自分の知らない、まだ見ぬ世界を見れる気がした。暇になると地図帳を見ていた気がした。中学になってさらに詳しい地図帳、高校になってさらに詳しい地図帳。なんか地図帳はワクワクする。今も高校の時の地図帳を持っていてたまに見る。

ということで、いまさらながらgoogle maps

tocho.gif

世界全体PCのスペックが悪い方は気をつけたほうがいいかも。

日本

たぶん富士山

ウォール街。グラウンドゼロもみえる。
青い屋根がコロンビア大学

雲で見えない。隠しているのかも。

自分の家は空爆されないように、公開しません 笑
あと、キャンプデービット山荘はちゃんと隠されているのかとか気になります。

こんな詳細な地図がクリックするだけで見られる時代になったんだな。小学校の先生とかはこういうのを社会の授業で実践して見せたり、子供に触らせるといいと思うんだよな。子供にしたら途轍もなくワクワクすると思うんだな。クリックひとつでこんな細かい地図が見られて。まあ、地図というよりもこの写真は、地図ではなくなっている気がします。なんていっていいか分からないけど。

小学生とか中学生なら自分の視点が変わる経験もするし、この世界というものを身近なものとして捉えられると思う。そんでもって、今まで体験したことのないようなものに触れる衝撃。子供からしたら最先端のサービスだしなー。ワクワクするぜー。

とりあえず、おいらが小学生でこれを見ていたら人生変わるぐらいの衝撃だっただろうなー。

ネットでgoogle mapsが多少流行っているけど、アーリーアダプターは同じ行動をするんだよね。行動もそうだし、どんなことに反応するかも似ているよなー。すなわち物事に対して持つ感情が非常に似ているんだよね。

地図帳に関する以前のエントリー
アーリーアダプターの以前の記事


はてなの近藤さんのブログより引用
http://d.hatena.ne.jp/jkondo/20050628
世界を上空から眺めながら、自分の知っている有名な場所や、自分の行ったことのある場所を探して空からの眺めを確認し、一通り確認が終わると、次は何か面白い場所がないか旅に出てみる。

一連の出来事を見ていると、そういうことがついに技術的に可能になって、一般の人々に解放されたのだなあと感慨深く思います。ちょっと大げさに言えば、人が自由に飛べる翼を手に入れたんだと言える気がします。

初めて飛行機に乗ったとき、僕は窓からの景色に圧倒されて行き先の空港に降りるまでひと時も窓から離れることができませんでした。普段生活している街はとても小さくてこまごまとしていて、高いと思っていた峠道もとても平坦に見えました。人間は地球の表面のほんの限られた場所に、びっしりとへばりついて生きているんだなあと感じ、世界観が変わったのを覚えています。

できればもっと長く空を飛んでいたいと思うのですが、残念ながら空を飛ぶのはそんなに簡単ではありません。

そんな空を飛んだ感動が、朝ノートパソコンに向かいながらでも少しだけ感じられるようになったのですから、素晴しい事だと思います。

自分のブログのエントリーを書くとき

自分のブログを書くとき僕は攻撃的な感じだと思った。

人のブログにコメントを書くときはなんかもっと、引いているというか、まろやか。ふんわりと言葉が出てくる感じ。コメントを書くときは、買い手も2,3行だから気を張らずにかけるんだろうな。だからこそ生まれてくる柔らかな表現がある。

自分のブログを書くときは、書きたいことを書いているといっても肩に力が入ってしまっているのだなと、友達のブログに書いた自分のコメントを改めて読んで思った。

それと同時に思うのが、言葉って重要だよなってこと。

同じようなことを言っている文章でも、使われた言葉によって全く印象がかわってくる。ほとんど同じでも、感じ方が全く違うことがある。

June 27, 2005

トヨタの副社長

なんか、シリコンバレーに行きたい。何をしたいというわけではなく空気を感じに。そしてその周辺のスタンフォードやUCLAやcaltechにも行ってみたい。適当に授業にもぐって、学生と話してみたい。ふらっとグーグルなんかにも訪れても見たい。

トヨタの人事が変わったというニュースがあって、トヨタのウェブへ飛んでみていた。そこに人事のニュースがあったわけだが、それに驚いた。代表取締役副社長が8人、専務取締役が13人ぐらいいた。純粋に多いとおもった。まあ、大きな会社だからある程度必要なのかもしれないが、それにしても多い気がする。これじゃ、意思決定できないよなー。

そんなこといっても、業績がよければ問題ない。なんていっても結果出しているから、ああだこうだ言っても意味ないですね。トヨタ神伝説。とはいいつつ、利益が一兆円超えているというところだけ注目を浴びて、テクニカルな話で財務面が今後問題になるのではということもあるようですが。

でも、個人的にはgoogle的な会社が好きです。

100円シリーズ

100円シリーズ。かの有名な青色発光ダイオードやレーザーを発明した中村さんの本。

いやー、この本は表現が荒い。詰めが甘いというか、言葉の精度が低いというか。前後関係で明らかに矛盾していると思わせてしまう表現が数箇所あるように感じました。(まあ、自分のほうがもっと言葉が荒くて、前後矛盾ありまくりなのですが。。。)

でも、そんなこと本質的にはどうでもいい。この人の性格が伝わってくる本だった。と書くと、社会的に作られた中村さんの激しい、自分の道以外無視する性格を思わせるかもしれない。確かにひとつのことにのめりこむ、人を寄せ付けずに自分ひとりで没頭する部分も感じた。しかし、純粋に人間的なことを感じたり、キープするところはする人だなと感じた。

中村さんの発想というか考えは個人的に好き。というか自分と重なり合う部分も多少あった。

とりあえず、権威ある人が正しいといったから盲目的に従うな、やるなら徹底的に、工作機械つくりから改造から部品つくりから何から何まで全部やれ。それで身につく勘や職人技が身につく。そしてこれが役に立つ。失敗しても、またやれ。人と同じようなことしても、そいつらには勝てない。

コンチクショーの精神。これはすごいパワーの源となる。

あと、ダイオードの説明とかすごく分かりやすかった。たぶん、中村さんの専門分野でない(教育機関で体系的に習得していないという意味)からかもしれない。

まさに、タイトルどおり、自ら考え、やり抜く、それに尽きるのだろう。


考える力、やり抜く力 私の方法
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June 25, 2005

なぜ肩の力が入りすぎるか

なんか、多くの人前で話したり、なにかを見せる時、さらには教習所の試験のようなときに肩に力が入りすぎることがある。話すだけのときよりも、体を動かす行動を伴う行為を人前で行うときや、一回しかないような試験のときに方に力が入りすぎる傾向にある。

肩に力が入っても、ほとんどの場合良い結果は生まれない。肩の力を抜いてリラックスすればなんてないことでも、方に力が入るとできない。では、なぜ人間は肩に力が入ってしまうのだろうか?何か理由があるから肩に力が入ると思うのだが、違うのだろうか?

気になるな。生物の本能として肩に力が入るには理由がありそうな気がするんだよな。

そもそも、肩に力が入るとはどのような状態なのだろうか?筋肉が硬直している、縮んでいる状態?筋肉が緊張している、このような状態は体が締まっている?ともいえる。肩に力が入ったときって、姿勢が良くなる気がする。背筋が伸びるというか。本来人前などに立つときは背筋が伸びたほうが見栄えがいい、だから肩に力が入るのだろうか。しかし、体を動かすときもこわばる。これはメリットなさそう。何でかさっぱりだなぁ。

肩に力が入るって他者を威嚇するポーズになるということなんだろうか。そもそも、後付の理由なんてどうでもよくって、肩に力が入るものは入ってしまうのだろう。


現在の記憶と過去の記憶と思考

現在の記憶と過去の記憶と思考について思った。

過去の記憶は残っているが、現在の記憶は残らない人がいる。逆に過去の記憶は全部消えてしまったという人がいる。しかし、過去の記憶すべてを失ったら何もできないと思う。過去の記憶が亡くなったという人が会話を普通にしているのを見ると、会話に関する記憶は残っていると思う。さらに現在の記憶が残らない人は厳密には何もできないと思う。こういった人の思考もある意味において記憶の変形したものであると思うのです。ただ一瞬で忘れるということなのかもしれないが。まあ、ここではうまくかけなかったが、現在の記憶と過去の記憶の違いって何かなと不思議に思った。さらに、言語とか思考がかかわってくると思う。それらの厳密な血が言ってなんだろう。どれも複雑に重なり合っているから、はっきりと線は引けないかもしれないけど。

五感の中でも視覚

人間には五感というものがあるといわれている。

その中で、視覚、すなわち見ることを一番重要視する、信じる傾向にあると思う。自分の見たものを信じる。

何かひとつのものを読み取る、感じ取る場合に、嗅覚や味覚や触覚や聴覚からよりも視覚をもっとも信頼できる情報としている気がする。

順番で言ったら視覚、聴覚がもっとも重要視しているだろうな。あと3つはどれも大差ないかな。

それよりも、真実とされる情報を重要視する気もするんだけどね。

いつものよーぉーに100yenだ

なんで、読んだ本をエントリーするのか分からないが、最近この習慣がなんとなくついた気がする。まあ、ちょっとたてばエントリーしなくなりそうだが。

ブックオフで100円で買った本です。まあ、基本的に自分で買うときは100円本だ。やっぱり安いのが一番。それに、古い本とか正規の値段だと買わない本も買う。だからバラエティーに富んだ本を読めるという効用が。

この本、すごくかわいい感じの薄い本です。しかし、中身は意外と面白い。一つ一つのページが伝えたい哲学的概念は、そこまで高度なことではなく、日々感じる程度のもの。しかし、例として挙げられているのが秀逸。いや、ここにあげられている、かわいいアニメ風の例は鋭いです。驚き。

本が読み終わったのでまたカバーをかけよう。

プチ哲学
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star希代のCMプランナー&大学教授が語る「プチ哲学」
star身近な哲学

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記憶

記憶とか脳の番組が連続でやっていた。ビデオにとったわけだがイマイチピンとこなかった。なんか、ドラマチックな方向に持っていこうとしているように感じだ。もっとサイエンスよりのことを知りたかったのに。まあ、マスメディアだからしょうがないのだけど。。。

その点NHKスペシャルはいいよな。

千代の富士

松山千春さんの歌を聞いていたら思い出した。なんか分からないけど、千代の富士。この人は昔から好きだった。相撲をしている姿と顔を見て。この力士がどのような背景を持った人かも知らなかったけどなんとなく。

そして、千代の富士の自伝っぽいドラマを見て少し知った。そのときのエンディングを松山千春さんが歌っていたと思う。それで、千代の富士を思い出したのだ。

なんか、千代の富士には常に勝ってほしかった。なんか、最強であってほしかった。今でもそう思う。なんか魂というか、信念というか、おとこらしさを感じる。僕にとってのヒーローの一人だったんだと思う。

ビルゲイツとかアインシュタインもヒーローだった。

June 24, 2005

全部ひっくるめて考える

味噌もくそも一緒という言葉があるが、まさに僕の思考方法はそれだ。

考えるというか、感じる、判断するときに、その対象とするものをすべてのものにしてしまう。普通は自分のおかれた状況を踏まえて対象を狭めている。しかし、私にはその概念が小さいころからないようだ。

たとえば、日本での日常で飲食店が汚いという話になったとしよう。その時普通は日本を前提としている。しかし、僕はインドの田舎で食べたときのほうが汚いというラインを持ち込む。そうやって考えるから、みんなが汚いといっても特に感じない。

これは昔からそうだった。たとえば、肉を食べるときは生き物を殺すのだから残さず食べろといわれる。もちろん魚も言われる。しかし、野菜のときは言われない。米は一粒の越さず食べろといわれるかもしれないが、これは意味合いが違ってお百姓さんが一生懸命作ったからという理由付けだ。しかし、僕にはなぜ肉や魚と野菜を区別するのか分からなかった。本当に心のそこから思っていた。肉や魚を食べないなら野菜も食べるべきではない。そういうと、人間は食べないと生きていけないから、と説明されるがこれは説明になっていない。

人間は自分の普段の生活を思考範囲の対象にしがちである。しかし、それは自分が説明しやすかったり、そんなレベルではいいかもしれないが、突っ込んで考えれば何で除外して考えるのか分からない。

この考え方自体がいいとか悪いというのは知らないが、私はこう考えてしまう。この思考回路だから変わった発想といわれるのかも知れない。

抵抗感がなくなった

坊主に6月12日(日)にしたわけだ。それも特に理由もなく暑かったからという理由で。

昔は坊主にすることに抵抗があったが、今はほとんど何も感じずにできてしまった。

なぜだろう。考え方とか感じ方とかかわったのか?その考えの違いは他のものにも適用されているのだろうか。

坊主というより、スキンヘッドなんだな。剃刀でそったから。

June 23, 2005

たった一回の経験とたった一人

一回経験したことは何故ほとんど不安にならないか。何か始めてやるときは、いつも恐怖というか不安というかそんなものが付きまとう。どうなるか推測できないからだろう。頭の中である程度シュミレーションはできるが、やったことない事に関して詳細まで想像することは困難だ。その想像できない部分でどんなことが起こるかわからないから恐れるのだろう。これはひとりは不安二人だとほとんど不安じゃないというのとも似ているのかもしれない。普段の生活だったら、ひとりでも全く不安でもない。そういう状況ではなく、周りに人気のいない真っ暗なところとかの話だ。知り合いが一人いるだけで精神状態が全く違う。一人だろうが二人だろうが、得体の知れないものが襲ってきたら死んでしまうだろう。二人いるからといって格段に強くなるわけではないのだから。

何故二人だと平気なのか。それに追加して考えると、三人だと二人のときと不安度は変わらない。すなわち一人と二人の間にだけ差があって、二人と三人では差がない。一回も行ったことないところや、一回もやったことないことは不安だが、2回目のときは不安じゃない。3回目は2回目と精神状態が大して変わらない。と考えると、不安とはあるかないかなのか。1か0かというものなのだろうか?

一回やったからといって安全度がアップするわけでも、二人だからといって大して安全度がアップするわけでもない。この不安なる物は人間の意識によって生み出されるわけだが、なんと不確かなものなのだろうか。でも、自然にこのようになるのはなぜだろう。
 不安と恐怖の違いに関するエントリー

チンパンジーの絵が288万円

ロンドンで行われたオークションで、3点の落札価格が288万円(1万4400ポンド)だったらしい。チンパンジーの故コンゴ画伯の絵は、ピカソ好んでアトリエに飾ったらしい。落札価格は予想の8倍近かった模様。オークションに出た絵は1957年に描いた3点のテンペラ画
 テンペラとは油絵の具がなかった500年ほど前に確立されたもので、顔料を油の代わりに卵で溶くものらしい

saru-pic.jpg

なんか面白いニュースだった。どう考えるかは人それぞれ全く違うんだろうなー。

http://www.sanspo.com/shakai/top/sha200506/sha2005062202.html

June 22, 2005

思想クローン

自分の遺伝子を残したいと生物は思っているというが、自分の考えのクローンを残したいという欲求もあるのではないかと話していた。

それは、子供であるとか教育者となり子供を育てるとかそういう行動で現れる。金持ちになった創業者とかが教育やりたがるのもこれかな?金がないと教育はできないが、金があると思想クローン製造に走る。

ビル・ゲイツ 未来を語る

以前から良いと書いていた">「ビル・ゲイツ 未来を語る」をやっと読み終えた。約10年前の95年に出版された本だ。450ページ近いけっこうタフな本である。

10年前、私が小学生6年ぐらいだったと思う。そのころから日経新聞を読んでいた。当時の日経の広告欄に、このビルゲイツ未来を語るが載っていた。この本の表紙が印象的だった。一本道にビルゲイツが立っている。そんな表装。あの時、未来を語るを読みたかった。しかし、金もなかったし、こんなレベルの長い本を読めるほどの能力もなかったのだろう。簡単に言えば、この本への憧れがあったんだと思う。

そして、10年近くたって、ブックオフで100円で買い、読んだ。この本の中で10年前にビルゲイツが書いた10年後の未来がまさに今である。そんな現在を暮らしている自分。はっきり言って驚いた。冷静な未来予測、そして具体性。彼自らが作り上げた(方向付けた)部分も多いかも知れないが、これだけの能力を持った人は世界中探してもめったにいないであろう。

確かにこの本の内容はすばらしい。しかし本がすばらしいという前に、ビルゲイツという人間の偉大さを知らされた。この本を読む前は、ビルゲイツはすごいと思っていたが、正直ちょっとなめていた部分もあった。

僕がどうのこうの言うよりも読んだほうがいいと思う。特に、これからの社会を生きる人間は。

この本を読み始めるとき、最後まで読めるとは思わなかった。確かにヘビーであった。その証拠に、この本を読んでいる途中なのに、何冊か他の本読了した。僕は普通、本を読み賭けで他の本に移ると読み続けることがない。しかし、今回だけは違った、また「ビル・ゲイツ 未来を語る」に戻ってきていたのだ。

ビル・ゲイツ未来を語る
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starビル・ゲイツの思考回路が伺える

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June 21, 2005

バーチャル

本物であろうと偽者であろうと関係なく、本物だと自分が納得することによって、自らが産み出す(自らが認める)価値がある。 実際とバーチャルが全く区別がつかなくても、本物思えば価値がある。 生放送である意味がスポーツにあるのと同じ。何故、生であることや本物だと思うと高揚できるのか?

自分がその場を生であると理解する、その文脈を理解して自分の立場を置き換える。脳がそう判断するからなのだろう。

だからいくらオーディオ機器が発達してもライブはなくならない。
人はたくさん集まることによってのみ感じる感情があるんだろうから。

貯められるものそうでないもの

ためられるものとそうでないものがあると思う。そりゃ当たり前。食いだめ、寝だめなる言葉はよく使う。しかし、実際は寝だめも食いだめもできないと聞くこともある。

厳密言えば食いだめはできそうだ。食べて脂肪として体についていれば、食べなくても生き延びれるとか。寝だめもしかり。しかし、それにも限度がありそうな気がする。

知識をためるということもためることの一種として考えてみる。知識もためることはできるが完全な形でためることは難しい。 

何故ためることができるものとできないものがあるか。厳密に言えば人間は何も完全な形ではためることができない。ああ、だから人間は変化を繰り返し、適応できたのだろうか。人間というか生き物含め社会もだけど。

となると、無常ってことか。すべて常にあらず。

脳と魂

脳と魂

やはり対談本は内容の深さにかける気がするが、それだからすらすら読める。そんなことは言いつつ、真ん中あたりは面白かった。

天職なんてないという件で、人間の生活に必要だから仕事がある、そして人間はその仕事をする。この順番なんだから、すべての人に天職なんてあるはずがない。社会的な必要性から仕事ができ、人間はそれを行うんだから、という当たり前だが、自分で気がつかなかった思考パターンが面白かった。

歴史的なことや、哲学史的なことなど、自分が一回読んでもすぐ忘れる系のことも結構書いてあった。

脳と魂
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star居酒屋トーク・・
star期待はずれ
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マクドナルド

マクドナルド価格変わりすぎ。最近出した100円と500円のセットもしかり。前は60円バーガーがあったり。ころころ価格が変わるから、いったい今どの商品があって、いくらなのかがさっぱり分からない。消費者のことを考えていないなー。まあ、値段を変えることによってニュースとして報道される宣伝効果も狙っているのかな。あと、今回のぽっきりの値段は、レジでのおつりのやり取りの時間短縮があったみたいだ。それと、安い製品を買ったついでに、もらおうという作戦。これは海外では成功しているみたいだけど、日本ではイマイチで、業績予想を下回ったとか。

そんでもって、ジュースを100円で出したのが分からない。たぶん、カフェが増えているからそれに対抗しているのだろうけど、相当利益率が高いドリンクを100円にしちゃうとね。

でも、売り上げ増減はありながらプレゼンスがあるのは世界企業である証拠であるのだろう。新商品の投入や新しいシステムの導入は絶対に必要だ。しかし、ころころ変わりすぎるのもややこしいだけだ。スイッチングコストがかかるだけになりかねない。どのような状況になったら、どのタイミングで、どのような頻度で、どのような改革を実施するのがベストなのかは難しい問題だ。

6月19日の日経

この前の日曜日、6月19日の日経には中途採用の広告ばかりだった。

何でだろうか。この時期に中途採用が活発になるのは。

不思議だったのでメモ。

June 20, 2005

続ける価値は久しぶりにある

続ける価値は久しぶりにあると思いました。

どんな些細なことでも、続けると価値が出てくることはよく言われることです。実際に私もおもしろいメリットがあると思います。

続けるということは、途切れのない線である感じです。その継続性は普段から価値があるのではなく、久しぶりである時だからこそ価値が出てくるのだなと思った。まあ、当たり前すぎることなんだけど。

あと、自分とはまったく違う人と話すのは面白い。新たな思考回路ができるというか。同じような人と一緒にいると思考回路も似てきて、同じ発想しかでてこない。と、実感した日々。


グレコ・トレド

テレビをつけたらNHKの5分世界遺産番組でスペインのトレドをやっていた。ここは2年生の夏に行った。2003年の9月ぐらいだ。

スペインをぐるっと一周して、マドリッドへ戻る一個前の都市だ。ポルトガルのリスボンから夜行バスでマドリッドへ戻り、朝一番のバスでトレドへ行った。トレドについてからは、宿を探した。ここのユースホステルみたいなところは昔のお城を改装したところで、とまってみたいと思ったがフルだった。それからこの町では安くてよい宿が見つからず、何時間も町をほっつき歩いた。けっこう疲れた記憶がある。それでも、安くてけっこうきれいな宿を見つけた。そして、この町をまた歩いた。なんか落ち着きのある町で、ゆっくりできた。公園でのんきに本を読んだりもした。

400年立っても町の姿は変わってないらしい。ああ、タホ川に囲まれた小さな町。かつての首都とは思えないほどこじんまりしている。この町ははっきりとした行動の記憶ではなく、なんか思い出があるんだよな。

P9160290

June 19, 2005

砂浜に無数にあった鳥の足跡

無人島から帰って思い出す光景がある。

それは砂浜に無数にあった鳥の足跡だ。

無人島には黒くて大きな海鳥っぽいのが無数にいた。時には木にとまり、時には空を優雅に飛び、時には海にもぐり魚を取り、時には砂浜に並んでたっていた。

そして、砂浜に鳥の足跡が無数にあった。まるで砂の模様のように。
3本の指は何か恐竜の足跡の化石を思い起こさせた。

何か恐怖感のようなものを覚えた。

感動を行動に

人の話や人の行動、人の成果に感動しているだけでは意味がない。

その感動から、自ら何かを感じ取り行動に移さなければ意味がない。

ただ感動しているだけでは、何も生まれない。

感動するだけで終わらせるのではなく、その感動をばねに行動に移す。

June 18, 2005

怒りの感情がないのか?

みんなが言う、私の印象はけっこうバラバラだ。それも僕のことを分かってくれていると思っている人からの印象が。しかし、ばらばらだからといって外れているかといえば違う。それぞれが的を得ている。

でも、珍しく共通することがある。起こった事を見たことがない。ってこと。

確かに、怒らない。別に、怒りの感情もたいしてこみ上げてこない。

大学一年生のころ、自分がもっと感情的になりたいと思った。怒りたいと思った。なんかすごく人間的な気がして。しかし、怒りの感情はこみ上げてこない。

怒った時にうまれるパワーってのがすごいと思う。一方で負の力も大きいと思う。

どんな理由からなのだろうか

小さいころあまり怒る機会がなかった。そんな育てられ方をした。
平生の会話でも違うと思ったら批判することが他の人より多い。批判するという行為には、怒ったときと同じ精神的な作用がある。僕は徐々にそのストレスを解放しているから、たくさんたまることがなく怒りにならない。
僕の性格はビビリで常に殺されることを考える。で、自分が怒って相手が怒るとけんかになって収拾がつかなくなる。すると相手が何をするか予測不可能になるかもしれない。そうするとぼこぼこにされて殺されるかもと考える。そのリスクをはじめからなくしている。

まあ、怒っても仕方ないと思ってしまう考え方なのだろうか。

俺の思考パターン

俺の思考パターンというか、ブログに書くときのパターン。

逆説的なことを論理的に正しいとする、新たな気づき系、
ある自分がした経験とか、知ったことをまったく関係なさそうなことに当てはめてみたりする一般化、
いたって当たり前のことを、再度自分の体験を通し気づく系。

天才が目立ちやすい事

なんか、サッカーという競技は天才が目立ちやすいのかと思った。

それは、野球と比べるとルールが少ないからだ。細かいルールが多いか少ないかではなく、自由度が高いという表現なのかもしれない。野球だと、ファースト、セカンド、サード、ホームという順番に走ると決まっている。守りと攻撃が時間によって完全に分けられている。などなど。サッカーは、同時に責め同時に守る。というように、自由度が高い気がする。

自由度が高いと、一人ひとりの裁量権が大きいというか、一人ひとりの動作が大きな影響を与える。だから、天才が目立ちやすい。

これは、組織とか他のものにも当てはまりそうだよなー。

海に浮かぶ船

エンジンを切った船が海の上に浮かんでいる

あのゆるやかな波の上に

まぶしい日差しを浴びながら。

故障したのか、漁をしているのか、ただ休んでいるのか。

この船はいつ動き始めるのだろう

感じ方が変わる

風の旅人という写真が多い雑誌がある。この創刊号を偶然渋谷のブックファーストで買った。偶然というのは、売れ残っており100円だったから。だから以前から読んでいた。といっても一回だけ。なんか、変わっている印象。なにか得体の知れない感じをこの本から得ていた。寂しさの中にある殺伐さといえばいいのか、現実の中の寂しさの中の現実離れした感じ。

しかし、編集長の話を直接聞く機械があった。すると印象が変わった。なんか、あいまいな点の印象が、線につながったというか、ああ、そうなんだと思えた。

言葉で明確にコンセプトを知ったから。
作っている人柄を知ったから。

なんでだろうか。まったく同じものを見るのにこれほどまでに印象が違う。

落胆のメカニズム

最近、期待と落胆について思った。それは子供のころの遠足のようなそわそわする感じがしたから。でも、実際に遊ぶとそのそわそわする期待以下だった。つまらないことを言ってしまえば、そわそわしているときから、期待以下なんだろうなとうすうす感じていた。それは、今までの経験上、事前にそわそわ期待した時は、実際に行動してみると落胆してきたから。

そこで思う、あの感情をコントロールできないのか。何かする前のそわそわ感をコントロールできないのであろうか。そわそわしないように。


落胆のメカニズム解明 脳の特定部分が活発化

 期待している大きな報酬ではなく、やむを得ずほかのものしか選べない場合には、脳の特定の部分が活発に活動していることを木村実京都府立医大教授(神経生理学)らがサルの実験で解明、米科学誌サイエンスに17日、発表した。
 木村教授は「この部分は葛藤(かっとう)や落胆などの感情や試行錯誤することと関係がある」としている。
 木村教授らは、ランプの色によって報酬となる水の量が多い場合と少ない場合の2種類が表示され、正しいボタン操作をすると水が得られるようにして実験した。
 すると水の量が多い表示の場合はサルは素早く行動しミスは少なく、自分の行動と得られる結果の関係を学習していた。
 サルの脳の視床にある正中中心核(せいちゅうちゅうしんかく )(CM核)という部分に電極を入れると、期待を裏切る少ない量の表示が出た時にだけ、CM核で活動電位が高まっていることが分かった。
(共同通信) - 6月17日6時12分更新

June 17, 2005

Stay hungry, stay foolish

http://news-service.stanford.edu/news/2005/june15/grad-061505.html

スタンフォードの卒業式でアップルのジョブズが話したみたい。うけたのが、ガウンの下はジーンズとサンダルだったみたい。

'Stay hungry, stay foolishが最後の言葉

今さらながら

微妙に古い新聞、本を読むのが好きなのですが、いまさらチーズはどこへ消えたを読んでみた。

世の中、どんなものでも常に変化がおこって、その変化をただ恐れるだけでなく、小さな変化を見極めて対処することが重要だと書いてあったのです。

で、この本、小学校の学級会みたい。なんか、登場人物の会話がよそよそしい。みんな一人の言うきれい事を支持しているし。なんか、こんな感じの本は気持ち悪いし。好きじゃないな。

何が起こるかわからない

何が起こるかわからない、それが世の中なんだなぁ。

時がたてばどうなるかわからない。

絶対ありえないと思うこと、絶対ありえないと思うことすらない想定外なこと。
そんなことも起こりえるのが世の中なんだなぁ。

明日は明日の風が吹く。
今日も楽しく、明日も楽しく。

梅雨なのに朗らかな夕べ

昨日は本当に朗らかな気持ちになった。

梅雨の時期でジメジメしている。そんな夕暮れ。
普通だったら外に出るのが億劫になる。

しかし、昨日はそうではない日だったのだろう。

芸大の授業が終わってから、根津の車屋へ行った。
入り口のちいさいテーブルをあふれ出すように人が囲んでいた。
そして、いろいろ話しながら飲んでいた。

特に何を話したかは覚えていない。でも、授業後の教室、そして車屋へ行く道、飲んで話しているとき、先に店を出るときのあの空気感、それらも含めて何か幸せだった。

次の用事のために車屋を先に出た。そして、駅の入り口の前の信号で止まった。その時、

「今日という幸せな日」

という、フレーズが頭に浮かんだ。

今日という日は今日というだけで幸せなんだ。今日という日を送れているだけで幸せなんだ。と切実に思った。

その後、渋谷で飲みながら話した。はじめは二人で話していた。構えることなく、肩肘張らずに話せるってのは、心地よく落ち着く。いろいろ話した。今の仕事の話を聞いたり、驚愕の事実を聞いたり。なんか、そんな風に話しているのが、そんな風に話をできるのが、うれしい。朗らかな気持ちにさせてくれる。遅れて某氏が登場。その場の雰囲気は変わらない。この心地よい空間。話していて、三人のバックグラウンドが似ていて、お互いに理解できるのだろうって話になった。みんな、集まると自分の家みたいな気持ちになり落ち着ける。自然に集まってしまうって言ってたし、僕もそう思う。

ああ、前もこのメンバーで食べたときは沖縄料理だった。と思いつつ、いつの間にかすぎさっていった時間を惜しみながら、家路についた。

ニーズ?

ニーズやマーケットの顔色伺いだけでは、自分のやりたいことでないし根強いファンはうまれない。ファンという固定客がつくと会社として安定する。
表面上の客だけでは、ちょっとしたことで他の商品に移っていってしまう客だ。これは、会社にとってはリスク名経営となってしまう。

自分たちの会社が、明確な理念を持って、ただ単に大衆の流れに迎合しない粋な商品を提供することによって熱狂的なファンがうまれる。自分たちの商品に魂がこもらなかったらファンはうまれない!

しかし全くマーケットニーズの方向と違ってもビジネスにならないのも事実。独自の道と社会性のエッジをいかに見極めるかということになるんだろう。

次の試合に勝つことだけ

野茂選手をいつも好きだと書いている。そんな彼が日米通産200勝した。その後のインタビューを見て、再度惚れ直した。

「次の試合に勝つことだけ」 長期的な戦略どうのこうのより目の前のことをがむしゃらにやることに意味があることもあるのだろう。特に野球の勝利数なんて皮算用してもあまり意味がないと思う。そんなんよりも目の前の一勝を積み重ねることの意義深さと難しさが伝わってくる。

長期的な戦略も必要だろう、しかしそればっかりでは泥臭いかっこよさ、魂のこもったものが伝わってこない。目の前のものだけに徹する、その向こう見ずなひたむきさからは何か強いものを感じる。

這上がる、そんなイメージがある。這い上がるという。野茂選手は常に良い結果を出し続けているわけではない。無理といわれたメジャーに日本での成果を捨て殴りこみ、手術をしたり、チームを追い出されたり、マイナーでプレーしたり、年俸なんて10分の一になったり。 みんなが失敗すると失笑するようなことを、反論などつべこべ言わずがメジャー成果を出してくつがえす。そんなところがかっこいい。さらに、基本は走ることだと考え、足腰強化のためにひたすら走る。一人の人間として尊敬します。

派手ではなくても、ちゃんとやれば認めてくれる環境があったのも事実なのかもしれない。


野茂という生き方

―今の気持ちは?

 「僕としては200勝は意識はしていなかった。だけど、情報を知ったチームメートやファンの存在で、少し意識し始めた」

 ―200勝は、どんな意味を持つ?

 「もともと、そういう目標を持っていなかった。区切りの目標ではないので、次の試合に勝つことだけ」

 ―印象に残る試合は?

 「一つ挙げるのは難しい。これまでずっと僕を見てきてくれたファンが『いい試合あったな』と思ってくれれば、それで十分。これからも、そういう試合をつくっていきたい」

 ―野茂投手のメジャー入りから、日本人選手が次々に海を渡った。パイオニアとしての思いは?

 「僕はまだ(日米)15年しかやってないし。僕よりずっと長く(現役で)プレーやっている人はいる。それこそ、僕が目指しているもの。(メジャー入りした日本人に)アドバイスできる立場では、まだないと思う」

(スポーツ報知) - 6月17日8時1分更新

実体験をともなう感情

実体験をともなう感情ともなわない感情がある。

人の話を聞いていると特に思う。

実体験をともなう感情しか、心動かされないのだ。人から聞いた話を受け売りしていたり、自分が心のそこから突き動かされていないのに、それっぽく話すのを聞いたとき。まったくわくわくしない。

自分の感情を伝えるときに、その感情が実際に生まれた実体験があると、魂がこもっていて伝わってくるものがある。表面的ではない。生の体験というのはそれほどの力があるのだろう。バーチャルの発展によりバーチャルの世界と現実の区別がつきにくくなっていくかもしれない。さらに、言えば想像と現実の究極の違いなんてわからない。しかし、想像では超えられない世界がある。実体験の持つ重み。

あの、人を突き動かす実体験に基づく感情とは、すさまじいパワーを持っている。それであるがゆえに、危険なときもあるのはわすれちゃならない。

今日という幸せな日

特別なんいうわけでもない。
ただ、根津の車屋でみんなと話し飲んでいた。
その後渋谷へ移動するために先に抜けて、根津駅へついたときにこのフレーズが頭にふと浮かんだ。

「今日という幸せな日」

今日は雨がしとしと降るような日だった。ゆっくりおきて、芸大へ歩いていった。
授業のあと久しぶりに車屋へ飲みに行った。

車屋での空間が心地よかった。なんだろう、授業を終わってからの20分ぐらい。
さらに、車屋での2時間弱。何が心地よかったのだろう。異様なほどうれしかった。

今日という日は今日というだけで幸せなのである。

たぶんいつの日も今日という幸せな日を送っております。

布施さんの雪だるま理論。自分の芯ができればあとは雪だるまのように能力とか環境とかが身についていく。 
茂木さん 空白があるから夢が産まれる 

ワクワクする対象

自分が何に対してワクワクするのか。
本質的に何に対してワクワクするのかが、最近気になる。

ワクワクすることは結構ある。瞬間で、おお、これだと思うことがある。
そんなことを並べて共通点を見つけてもはっきりとは現れない。

何なんだろう。ワクワクするって。

サッカーの華麗なシュート、人の生き様、すばらしいテクノロジー、あっと驚くようなアイディア。いろんなものにわくわくする。共通点なんてあるのかな。

共通点があるとしたら、僕の心が反応したってことかな

June 16, 2005

二郎大ダブル完食

三田二郎本店で大ダブルを食べた。
食べつくした。

ということで、記録として残しておきます。

次は鍋二郎をやりたいですな。鍋もって、いざ二郎。

June 15, 2005

LOHASに対抗してJIROってどうですか

最近、ローハスってのがブームですがなんかだまされてる感じがする。エコとかさー、天然、健康、自然、あるがまま、人間本来の力とか、スローライフとか。

もうね、やってられるかって。
対抗してJIROって概念。漢字で書けば二郎。
油っぽくて、化学調味料、超機械チックな生活。うん、たまらない。科学的に人間の脳を分析しうまみを調べた上でのうまさだとか言い張って。

なんてね。笑。ネタだけど、こうやって本気で言い張る人がいてもおもろいよな。

June 14, 2005

自らを削る生き方と、自らに肉付けする生き方

人間はAな人と、Aでない人の2種類があるとかよく言われます。たとえば、物事を成し遂げる人と、物事を成し遂げない人。こんな感じで。

それと似ている感じなんですけど、自らを削る生き方と、自らに肉付けする生き方があると思いました。これは、仕事で分類できるとか、年齢で分類できるとかそんな感じじゃなくて、その人の性格というか人生・生き方そのものなんですけど。

その人が一言を発するとき、その発し方、その人の中で発するまでの過程、何か行動をとるときになぜとるかってのも関係あるし、そんなことから削る生き方と肉付けする生き方がわかると思う。

クールビズ

クールビズとか騒がれる今日この頃いかがお過ごしでしょうか。
チーム・マイナス6%」とかも騒がれていますが。

なんと、チーム・マイナス6%の参加を表明する名刺も作れるとか。。

クールビズとはそもそも何ぞや?エントリーの最後を参照。

まあ、それはどうでもいいですよ。クールビズとかいって政治家さんや官僚さんがネクタイはずしているのはうけました。かなりギコチナイ着こなし方。それに、クールビズといえばすべての官僚がノーネクタイ。さすが公務員さんだと思いました。すごいなーこの結束力というか、統率力というか、絶対服従というか。

さらにですね、環境省のチーム6%サイトではノーネクタイの着こなし方まで解説してくれてます。

いやはや、おもしろい国ですなー。

まあ、僕も完全なクールビズスタイルです。クールビズはCO2対策だけでしょ。地球温暖化対策だけ。私はそれと同時に化石燃料(特に石油)消費も抑え、大気汚染も抑える手法をとりました。究極のエコですよ。私の真似をすれば日本は世界一のエコ国家ですな。笑


クールビズとは
温室効果ガス削減のために、夏のエアコンの温度設定を28℃に。そんなオフィスで快適に過ごすために、環境省では夏のノーネクタイ・ノー上着ファッションを提唱しました。その名称を公募、決定したのが「COOL BIZ(クール ビズ)」です。「ビズ」はビジネスの意味で、夏を涼しく過ごすための、新しいビジネススタイルという意味が込められています。
ネクタイと上着を脱げば、体感温度でなんと2℃の差が出ると言います。環境にも優しく、エアコンで寒がる女性にも優しい。日本の夏の新しいビジネススタイルとして、その普及にご協力ください。

http://www.team-6.jp/action/coolbiz/index.htmlより


話していて面白い人

話していて面白い人、

実際の体験に基づいている。
実績を出している。
社会の多くの人に迎合しない考え方。
頭がいい。頭の回転が早い。
年齢や身分相応っぽさを持ちながら、子供っぽさがある。

なんだろう、頭のいい馬鹿といっていたりもしたが、面白いと思う人はどんな理由からなのだろう。
言葉で明示はできないが、なんかあるんだよな。

先日のSOHOしずおかの小出宗昭さんとか。
昨日の方々とか。

June 13, 2005

儲けの根幹を自らで持つということ

人の話や実体験から感じたこと。

広告代理店と飲料メーカーの例。

スーパーやコンビにで売っているペットボトルのお茶なんて全部同じようなもんだ。そりゃ、ウーロン茶と緑茶は違う。同じ種類のお茶でも多少味は違う。それは事実だ。でも、他の製品と比べると違いが少ない。絶対このお茶と決めている人も少ない。コンビニへ行きなんとなく決める人が多いのではなかろうか。そんなものがお茶である。

こんな他のお茶と違いの少ないお茶たちなんですが、ヒット商品とまったく売れずに消え去るお茶がある。この市場、毎年毎年大量のお茶が投入されほんの一部が残り、ほとんどがなくなる。この違いはなんだ?といえば商品のイメージといいますか、ブランド化といいますか、ようは広告とかパッケージ、商品名、そんなものによって売り上げが決定付けられると思うのです。

となると、飲料メーカーが売れるか売れないかの最大の決定要因を持っているのではなく、広告代理店が持っているということになる。飲料メーカーにしてみれば大きな問題です。自分の会社で儲けの根幹をコントローラぶる出ないのは経営のリスクが高すぎる。

あと、インターネット企業にも同じことが言える。インターネットのみで儲ける会社はグーグルやヤフーが儲けの根幹を握っている。ヤフーとグーグルが検索結果からあるインターネット企業を消してしまえばつぶれる会社だってたくさんある。アマゾンの結果をグーグルがのっけなかったら売り上げが下がるという話が典型だ。

儲けるための最大要因を自らの会社で持つということは安定した経営の基本であるのだなと思いました。まあ、自社以外の外部の組織や要因があるからこそ、お金を儲けることができるのも事実でありまして。これは自分の会社しかなえれば取引もできず儲けることができないということです。儲ける要因がいくつかあると思うのですが、それを分散したり、最大要因は自社でコントロール可能にしたりと。そんなことが大切なんだろうな。

ブランドとかインターネットとか金融の技術とか最先端のものはすごい売り上げに大きな影響を与えるが、何かあったら一気に崩れ去ってしまう気がします。実は昔から商売の基本といわれるようなもっと地味なことがいざとなったときに強いんだろうな。泥臭いことってやつね。たぶん、これは会社という組織にも個人にもいえるのだろう。

金融の専門家となりテクニカルな取引をしたとしよう。この業界は進化が早い。結果を出していたとしても、若くて頭の柔らかい人がどんどん頭角を表してくる。年を重ね若いときに結果を出していて、かつマネージする側にうまく移ることができればいいが、そうなれなかったら年をとり進化の激しい金融技術についていけなかったら、仕事を失ってしまうなんてこともなくなないと思う。

自らの会社で儲かるかどうかの決定要因を持つことが重要。それは他に依存(ネットワークに)しない独自のものなんだろうな。ネット意外なところにあるもの、とか。

June 12, 2005

現代社会という文脈においてのみ価値ある「天然」

「天然」といったらどんなイメージを持つのだろうか。天然ボケとかもあるが、魚とかの天然を思い出す人もいると思う。

スーパーや料理屋さんへ行くと、天然の鯛とかそんなコピーで価値をあげている。一方で養殖物といえば無駄に油っぽくてあまり高い評価は受けない。天然>養殖、こんな構図だ。これは疑う余地はないだろう。だって、天然と養殖が同じ値段だったら天然を頼むだろうし、普通天然のほうが高価であるから。

しかし、本当に天然というものには価値があるのか。まあ、価値はあるのだがそれ現代一般社会という状況・文脈においてのみだ。少なくとも僕はそうでした。

無人島で網にアナゴが引っかかった。言ってみれば、究極の天然ものだ。しかし、食べるときに、工場排水で汚染されていないかとか、食べても問題ないかとかいろいろ考えた。食べるのに勇気がいった。しかし、魚屋へ行けば、その魚がどこで取れて安全かどうかの保証もないのに安心して買って食べる。それも人為的に作られた養殖よりも、天然を好む。不思議だ。究極の天然は食べるのが怖いのに、スーパーにある天然は無条件に安心し、好んで選択する。これは社会という文脈、社会という安心感によっているのだろう。

とおもった。少なくとも僕はそういう思考回路の人間だ。

スリッパのビニル袋を開けたら

無人島ではいていたスリッパが入っているビニル袋を開けたら無人島のにおいがした。

なんか戻った感じがして、砂浜から見た海を思い出した。

June 10, 2005

突き詰めればあいまいなのに、人間は瞬時に明確な選別ができる不思議

たとえばAとBについて突き詰めればその厳密な違いははっきりしないのに、人間は瞬時にその二つを明確に選別ができることがある。これが不思議でならない。

人間は何によって判断しているのだろうか。あいまいなものから無意識的にポイントとなる違いを抽出しているのだろう。そんでもって、そのあいまいなものの選別はほとんどの人で共通する。ああ、不思議。この人間の能力を分析すると大きな発見につながりそうですがな。

人間とは何かと突き詰めていけばロボットとの違いを明確に示せないが、人間は瞬時にロボットと人間を区別できる。それについていっている感じです。

1901年の新聞に載った「予言」

http://www.yomiuri.co.jp/hochi/info/yogen.htm

「20世紀の予言」は明治34年(1901年)1月2、3の両日にわたり報知新聞に掲載されたが、予言の「七日間世界一周」「東京神戸間二時間半」などがずばり的中。21世紀を間近にした平成になり、マスコミ界が注目。テレビなどで取り上げられ「百年もの昔の大スクープ」として話題を呼んだ。

●二十世紀の豫言(一)
   十九世紀は既に去り人も世も共に二十世紀の新舞臺に現はるゝことゝなりぬ、十九世紀に於ける世界の進歩は頗る驚くべきものあり、形而下に於ては『蒸汽力時代』『電氣力時代』の稱ありまた形而上に於ては『人道時代』『婦人時代』の名あることなるが更に歩を進めて二十世紀の社會は如何なる現象をか呈出するべき、既に此三四十年間には佛國の小説家ジュール・ベルヌの輩が二十世紀の豫言めきたる小説をものして讀者の喝采を博したることなるが若し十九世紀間進歩の勢力にして年と共に愈よ増加せんか、今日なほ不思議の惑問中に在るもの漸漸思議の領内に入り來ることなるべし、今や其大時期の冒頭に立ちて遙かに未來を豫望するも亦た快ならずとせず、世界列強形成の變動は先づさし措きて暫く物質上の進歩に就きて想像するに
   
  無線電信及電話 マルコニー氏發明の無線電信は一層進歩して只だに電信のみならず無線電話は世界諸國に聯絡して東京に在るものが倫敦紐育にある友人と自由に對話することを得べし
遠距離の寫眞 數十年の後歐洲の天に戰雲暗澹たることあらん時東京の新聞記者は編輯局にゐながら電氣力によりて其状況を早取寫眞となすことを得べく而して其寫眞は天然色を現象すべし
野獸の滅亡 亞弗利加の原野に到るも獅子虎鰐魚等の野獸を見ること能はず彼等は僅に大都會の博物館に餘命を繼ぐべし
サハラ砂漠 サハラの大砂漠は漸次沃野に化し東半球の文明は漸々支那日本及び亞弗利加に於て發達すべし
七日間世界一周 十九世紀の末年に於て尠くとも八十日間を要したりし世界一周は二十世紀末には七日を要すれば足ることなるべくまた世界文明國の人民は男女を問はず必ず一回以上世界漫遊をなすに至らむ
空中軍艦空中砲臺 チェッペリン式の空中船は大に發達して空中に軍艦漂ひ空中に修羅場を現出すべく從って空中に砲臺浮ぶの奇觀を呈するに至らん
蚊及蚤の滅亡 衛生事業進歩する結果、蚊及び蚤の類は漸次滅亡すべし
暑寒知らず 新器械發明せられ暑寒を調和する爲に適宜の空氣を送り出すことを得べし亞弗利加の進歩も此爲なるべし
植物と電氣 電氣力を以て野菜を成長することを得べく而して豌豆(注=そらまめ)は橙大となり菊牡丹薔薇は緑黒等の花を開くもあるべく北寒帶のグリーンランドに熱帶の植物生長するに至らん
人聲十里に達す 傳聲器の改良ありて十里の遠きを隔てたる男女互に婉婉たる情話をなすことを得べし
寫眞電話 電話口には對話者の肖像現出するの裝置あるべし
買物便法 寫眞電話によりて遠距離にある品物を鑑定し且つ賣買の契約を整へ其品物は地中鐵管の裝置によりて瞬時に落手することを得ん
電氣の世界 薪炭石炭共に竭き電氣之に代りて燃料となるべし

●二十世紀の豫言(二)
  鐵道の速力 十九世紀末に發明せられし葉巻煙草形の機關車は大成せられ列車は小家屋大にてあらゆる便利を備へ乘客をして旅中にあるの感無からしむべく啻(注=ただ)に冬期室内を暖むるのみならず暑中には之に冷氣を催すの裝置あるべく而して速力は通常一分時に二哩急行ならば一時間百五十哩以上を進行し東京神戸間は二時間半を要しまた今日四日半を要する紐育桑港間は一晝夜にて通ずべしまた動力は勿論石炭を使用せざるを以て煤煙の汚水無くまた給水の爲に停車すること無かるべし
市街鐵道 馬車鐵道及び鋼索鐵道の存在せしことは老人の昔話にのみ残り電氣車及び壓窄空氣車も大改良を加へられて車輪はゴム製となり且つ文明國の大都會にては街路上を去りて空中及び地中を走る
鐵道の聯絡 航海の便利至らざる無きと共に鐵道は五大洲を貫通して自由に通行するを得べし
暴風を防ぐ 氣象上の觀測術進歩して天災來らんとすることは一ヶ月以前に豫測するを得べく天災中の最も恐るべき暴風起らんとすれば大砲を空中に放ちて變じて雨となすを得べしされば二十世紀の後半期に至りては難船海嘯等の變無かるべしまた地震の動搖は免れざるも家屋道路の建築は能く其害を免るゝに適當なるべし
人の身幹 運動術及び外科手術の効によりて人の身体は六尺以上に達す
醫術の進歩 藥劑の飲用は止み電氣針を以て苦痛無く局部に藥液を注射しまた顯微鏡とエッキス光線の發達によりて病源を摘發して之に應急の治療を施すこと自由なるべしまた内科術の領分は十中八九まで外科術に移りて後には肺結核の如きも肺臟を剔出して腐敗を防ぎバチルスを殺すことを得べし而して切開術は電氣によるを以て毫も苦痛を與ふること無し
自動車の世 馬車は廢せられ之に代ふるに自動車は廉價に購うことを得べくまた軍用にも自轉車及び自動車を以て馬に代ふることとなるべし從って馬なるものは僅かに好奇者によりて飼養せらるゝに至るべし
人と獸との會話自在 獸語の研究進歩して小學校に獸語科あり人と犬猫猿とは自由に對話することを得るに至り從って下女下男の地位は多く犬によりて占められ犬が人の使に歩く世となるべし
幼稚園の廢止 人智は遺傳によりて大に發達し且つ家庭に無教育の人無きを以て幼稚園の用無く男女共に大學を卒業せざれば一人前と見做されざるにいたらむ
電氣の輸送 當本(注=にほん)は琵琶湖の水を用ひ米國はナイヤガラの瀑布によりて水力電氣を起して各々其全國内に輸送することとなる

   
   以上の如くに算へ來らば到底俄に盡し難きを以て先づ我豫言も之に止め餘は讀者の想像に任す兎に角二十世紀は奇異の時代なるべし
   【注】「報知新聞」明治34年(1901年)1月2日、3日付。

June 09, 2005

バランスが悪いからバランスがいい

大道芸のおっさんを見て思った。そのおっさんは、円柱(筒)の上に板を置いて、その上に乗っかりバランスをとっていた。右に行ったり左に傾いたり。ぎこちないと言うか、プロなんだからぎこちないという表現は違うだろうが、なんか右に揺れたり左に揺れたり。でも、落っこちない。すなわちバランスが取れているのである。右に行ったり左に行ったりとバランスが悪いのに、落ちない=バランスが取れている。

もし、右に行ったり左に行ったりしていなくて、止まっていたら絶対に落っこちている。でも、とまっているということはバランスが取れていると考えることができる。このようなバランスがとれていると、結果としてバランスは取れない。

なんかそんな変な、当たり前なことを見て思った。一見するとバランスの悪いような状況のほうが安定している。バランスが取れすぎているほうが不安定だって感じで。


あと、一番じゃなくても社会的にというか自然界では生きていけるということをもう少しわかる必要があるのかもしれない。わかるというか、考え方が極端なので真ん中というか、中庸というか、そんな状態でも勝ち抜けるサバイブしていけるといことを。
おいらはなんでも一番、ベストという思考なので。

論理と直感

最終的に意思決定をする時は直感が多い。

直感がもつ危険性というものがあることは知っている。でも、それ以上に直感の持つ意味合いも感じる。

私の意思決定方法は、一番はじめに感じたままをメモする。次に論理的に考える。データなんかも使ったりして定量的にも。そして最後に今までの2ステップを完全に忘れて(厳密には忘れることはできないが)直感で判断する。

一番初めに感じたままをメモするのは、論理的に考えた後、周囲からの余分な情報が入ってからでは絶対に感じることのできない貴重な思い、感情を書き残すため。

最後に直感なのは、その前に論理的に考えている。それで振り落とされたものがある。そして残ったものの中ならどれを選択しても大差ない。そこで、一番心にしっくりくるものを選択するため。


この会社の社名の由来に似たことが書いてあった。
http://www.outlogic.co.jp/
 「OutLogic」とは、論理的に徹底的に考え抜き、しかし、解は論理の積み重ねを超えたところにある、
という思考過程の在り方を意味しています。直感だけではなく、また、データの積み重ねだけでなく、
データに基づいた論理的思考を重ねたうえで、論理を飛躍する。そうしたイノベーティブなソリューション
の実現支援を、事業の中核目標としています。

言葉の繰り返しは性格にしみいる

言葉の繰り返しは性格にしみいると思う。たぶん人間の性格というのは言葉によって作られると思う。たしかに、小さいころの実際の行動を伴ったことも性格を作り上げる要素だと思う。しかし、赤ちゃんのころはそんなにもいろいろな経験をするわけではない。(とはいっても、赤ちゃんにとってはすべてが実際の行動を伴う経験なのかもしれないが)まあ、それで、言葉というものが大きな要因だ。それも親の。なぜかって子供は、赤ちゃんはほとんど親としかいない。まあ、それ以外でも特定の人だ。少数の人といると、その少数の大人は同じ言葉を使う。同じとはいわなくても言葉に偏りができる。これが私の言うところの言葉の繰り返しであって、これが性格を形成する。

言葉によって人間は考える、意思決定の道具になる、判断のよりどころになる。ということは言葉によって行動が規定される。ということは性格そのものを作っている事なんだろう。

気になる人

気になる人がいる、それは下條信輔さんという方。茂木さんのブログに登場していた方。ほかにもよくいろいろな人が登場するが下條さんはなんか引っかかった。

それで調べると猛烈に興味を持つ。面白そう。「意識とはなんだろうか」という本も面白そう。早速読もう。神経経済学とか面白そうだよな

この企画むっちゃ面白そう「ルネッサンスジェネレーション」 今年のは9月に詳細は発表されるみたい。やっているのは金沢工業大学。やっぱやるなKIT。
http://www.kitnet.jp/rg2004/index.html

カリフォルニア工科大学の下條信輔さんのページhttp://neuro.caltech.edu/index.shtml
jstの戦略的創造研究推進事業 http://www.jst.go.jp/pr/info/info115/shiryo1-3.html

大黒選手は何か落ち着きがある

昨日、サッカーを一人で見とったわけです。すると、なぜか二郎が食べたくなる。深い理由は知りません。

それはいいとして、大黒という選手に何か感じる。あの選手は年齢の割りに落ち着きすぎている。ストイックといわれる種類の選手なのだろうか。サッカー選手ではあまりみないタイプのように感じる。

それか、人生経験豊富なんだろうか、器が大きいというんだろうかそんな感じがする。サッカーがうまいというよりも。もちろん、サッカーはうまいんだろうけど。そういうことはあまりわからないので。

周りへの影響

たぶん生まれてきてからずっと私に存在する問題?(まあ、問題ではないんだけど)は周囲への影響だ。

自分が他者からあまり影響を受けないので、他者も僕の言動に影響を受けないと無意識のうちに思ってしまっている。そして、そのことが無意識のうちに行動に現れる。相手への影響を考えない言動を取ってしまうことがある。気づかないうちに。自分が思っている以上に他社への影響が多いようだ。

それは辛辣なぼくの言葉遣いもかかわっていると思う。

このようなことは、口だけ人間として捉えられる。口だけの人間にはなりたくないから言葉には気をつけよう。それに何といっても、多くの人にいやな思いをさせることは僕も好きではないし。

小学校一年のときにも、周りへの影響を考えないで批判的な発言が多いといわれているし。そんな昔からだからすぐには直らないかもしれないが。日々の努力だな。

実は普段の会話ならそこまで問題ないと思うが、スイッチが入って興奮しだすと強い言葉を使ってしまうことがある。ここが問題だ。でも、この正直な強い言葉が僕っぽさでもあるんだけど。まあ、そのあたり人を見て状況を見てコントロールできるのが大人って奴なんだろうな。

そこに蜘蛛の巣はなかった

そこに蜘蛛の巣はなかった

ただそう思いました。これは無人島の感想です。

人がいない、無人ということは社会という文脈からは完全に切り離されているからです。なんの決まりも制約も常識も何もないんです。蜘蛛の巣のような網の目のような社会的制約はなにもない。たぶん一人で行ったらさらにそう思ったんだと思います。

こう書くと制約が悪く聞こえますが、一概にそうは思いません。蜘蛛の巣のような細かな制約があるからこそ、人間は生きていけるのです。制約と制約のハザマにそれぞれの存在の場を見出し生きていく。それだからこそ人間は生きてゆける。そんなんが現代社会だと思うからです。そんな恩恵を受けて生きている自分ですから。

僕はただあの青が見たいだけなんだ

僕はただあの青が見たいだけなんだ

特に深い考えとかあるわけじゃない。みんな勘違いしているが、本当に僕は何も考えていない。

僕はただあの青が見たいだけなんだから。

サッカーの得点シーンが不思議でたまらない

なんだろう、スポーツをテレビで見るといったら個人的に野球、サッカー、ゴルフ、水泳こんなもんだろうか。その中でサッカーが一番秩序だっていないというか、変化が早い。

野球は順番に塁を進める、ゴルフは一打づつ、水泳は単調、サッカーは攻撃と守備が一瞬に変わる。だから、サッカーは若者が見るのに適しているとかいわれることがある。

まあ、それとも関係するんだが、サッカーの得点シーンが不思議でしょうがない。あの「あっけなさ」ともいえるもの。

本当に得点が入ったのかその瞬間にはわからない。その不確かさ。永遠にサッカーのゴールは見れないような感覚。

June 07, 2005

言葉の背景の再認識

言葉というものには生まれてきた背景がある。しかし、その言葉が生まれ、広く使われると言葉が生まれた背景は忘れられ、失われていく。言葉だけが切り取られた存在となる。

そこで、今一度言葉が持っている背景を考える。そうすると面白い。それは辞典などで言葉が作られた背景を調べるのもいいが、自分でいろいろと思索するのもいい。その言葉に対する見方が変わる。

言葉の背景を含めれば、もともと含まれてしまっているような形容詞をある言葉に付加して使うことによって言葉に深みが増すことがある。これは厳密に言えば価値のないことかもしれないが、言葉が切り取られた現代では大きな意味を持つし、言葉の質感を再認識するいいきっかけになるんだろう。

この場合、言葉というよりも単語といったほうがいいのかもしれない。

自分の性格

ややこしい性格です。
相当ややこしい性格です。
自分勝手というのかもしれません。
自分中心主義過ぎるというのかもしれません。

性格というか、思考プロセスとそれによる判断、実行のこと。
特に他者に対する行動で、この性格なるものに気がつく。

極端に触れすぎた考え方をする。
天邪鬼。
表面上のコミュニケーションが苦手。

あと基本的に、僕は怒りの感情は少ない。多少あっても怒らない。
知識欲が強い。

楽しいと思ったら目の色が変わる。
つまらないと思ったこと、人はどーでもいいと思う。

そんな感じ。

天邪鬼の生き方

自分は天邪鬼かどうかはわからないが、天邪鬼っぽいところはあるのかもしれない。

で、やはり天邪鬼という人間は、結果を出すしかない。

公の場で逃げのような発言をするのは一番かっこ悪い。ただのウザイ人間だ。

天邪鬼として価値のある天邪鬼になるには、結果を出すこと。アウトプットをだすこと。

とりあえず、これだな。

目に見える結果をアウトプットを出したことない人間が、偉そうに目に見えない価値だけ語っても意味がない。

June 06, 2005

一生忘れない経験と瞬間

人生には死ぬまで忘れないだろうという記憶がある。

長期記憶というものか。

基本的に一生に一回しかないもの、それは中学校の入学式であったり、海外旅行であったりそんな類のもの。こういったものは比較的覚えているはずである。海外旅行のような長いイベントは要約的なことだけ記憶に残ることもある。

これがなんか不思議である。死ぬときまで覚えている。この一瞬は死ぬまで覚えているんだろうなと思った瞬間があった。その瞬間が不思議だ。死ぬまで覚えているのだから。この瞬間がスパッと切り取られ保存されるような。よくわからない感情になった。

もちろん、何気ない日常の一こまをなぜかずっと覚えていることもあるだよね。

ギリシャじゃねーよ、シギリヤだよ 笑

一回しかあったことない、それも長時間話したわけでもない。そんな人がいる。そいつは一本筋が通っている。かっこいい。

普通だったら、俺からは連絡を取らない。が、無人島に行ったと連絡してみた。予想通り食いついてきた。で、彼は今年の夏にシギリヤへ行く予定とメールが来た。

かってにギリシャだと思って、2回行ったことある。と返信したのだが、私の早合点だった。シギリヤとはスリランカの都市の名前らしい。。。夏休みにギリシャに行くほどリッチじゃねーよと突っ込まれた。ごもっとも。

こんな風にミスをしないようにしないといけないな。でも、ミスをするから新しいことが生まれるのと、人間はミスをしてしまう生き物なので、それを踏まえたうえで調整して認識をしようとするから誤認識するんだけど。といいわけ。

夢を見すぎるということ

無人島では夢を見すぎた。
寝ると毎回毎回見た。

でこぼこの床、塩っぽい風、などなど普段にはない刺激が寝ているときにあり、夢を見たのだろうか。
熟睡できなくて、夜中に何度も起きた。だから、普通なら忘れる夜中に見た夢まで、夢を見たと記憶した。(普通でも毎晩何回も夢を見ているが、夜中に起きないので記憶していない)

まあ、こういった理由があるだろうが、何か無人島で夢を脳からこぼれるほどみたというのは他の理由があると考えてしまってもおかしくない。

永遠

ZARDという歌手がいます。

その人の歌で「永遠」というものがあります。その歌がここ何ヶ月か頭の中で流れます。

君と僕との間に永遠は見えるのかな。これは恋愛の文脈で書かれた歌詞かもしれません。しかし、なんかこの文章が気になるなる。永遠。永遠。永遠って何だ。あるものとあるものの間に関係性があって、その関係性の中に永遠は生まれるのか?

永遠を考えるとき時間的なものとしてとらえる。となると時間とは何かを考えないといけなくなる。しかし、この永遠なるもの時間的概念におけるものだけではない気がする。なんかもっとほかのものに横たわっているものの気がする。

心臓と脳と心と、えもいえぬ感情が生まれてくること

心臓と脳と心と、えもいえぬ感情が生まれてくること。

光村図書とかいう会社の教科書を使ったことある人はわかるかも。赤い実はじけたという作品。中学一年の初めだったかな。そんな記憶が。そこであらわされた心臓の鼓動と締め付けられる感じ。それが
心臓に心があるといわれるゆえんだと思う。

心脳問題+心臓が気になる。日本でも(日本語でも)心といえば心臓。英語文化でも心といえば心臓。これが言葉でも文化としても習慣となっていている。この理由は心臓と心が何か関係しているからではないか。

心が痛むというのは脳が、そう認識しているだけなんだろうか。なぜその時、心臓が締め付けられるように感じるのだろうか。心ってなんだ?心は存在するのか?存在するならどこに?

まあ、ある意味において、脳というものの働きも、痛さ、におい、味に反応することと同じなんだろうか。そんで心臓の周りから血液に混ざって興奮させるような物質が流れるといえばそれまでなのだろうか?その物質は心臓で作られる?

June 05, 2005

夢を見すぎた無人島

瀬戸内海の島へ行ってきました。そこの島は無人。

無人島という響きが呼び起こす感情は、なんとも表現しがたい未知へのワクワク感と不安。人間は群れて生活する傾向があります。群れるというか、人は一人で生活できないといいますが、それよりも人は集団で生活しやすいから群れるのだと思います。それがコミュニティであり、国であり。民族であり、言語である。人と人がいることによって、生まれる会話、またそこから生まれるアイディア。そしてアイディアが実行される。そんなことが繰り返されよりすみやすい町になってくる。

だから、無人になった場所に長期間住む人は少ない。人が住んでいないということは、生活をするのに必要な前提条件がすべてないということなんであって、、それを実感しました。

島へは東京から神戸までバスを使い、そこから電車に乗って、さらにバスに乗って船乗り場へ。まあ、船乗り場といっても、そんなたいそうなとこじゃなくて漁船が集まっているところ。こんな小さな船に乗るのは中学2年以来?小さな漁船にはいい思い出がなかった。この中二のときに思いっきり酔っ払った。だが、今回はまったくそんなことなかった。自分もいろいろな経験をして強くなったなあと、あのスペインのグエル公園で感じたときと同じ感情がふつふつと込みあがってきた。まあ、その漁船は風を切り水を切り走った。心地よかった。日差しを浴びながら、僕たちだけを乗せた漁船が走る。そして、人生何度目かの瀬戸大橋。一回目は四国へ行くときに渡り、二回目は大阪から九州でフェリーへ行くときに下をくぐり、今回は漁船でくぐる。なんか壮観であった。さらに、この渡船のおっちゃんもいい味だった。しゃべり方といい、焼けた肌といい。何日もおるんやってなぁー。って笑顔で。きいつけーや。と。なんか、こういう何気ない会話が非常にうれしく感じる。

まもなく、島に。これが島だ。という感じ。やっとついたよ。このときは晴れていたし、多くの人が想像するような無人島だった。船から一歩下りると、とうとうきたなという感じ。どんな生活が待っているんだろう。

それから、荷物を置き島を見て回ることにした。島全体を確認することと、寝る場所の確保が主な目的だ。砂浜はふかふかしており歩きにくかった。人が歩いていないので、砂が詰まっていないのだ。海岸からの距離、砂のきれいさ、周りにあるもの、風が直接当たらないかなどを踏まえ寝場所決めが行われた。そして、そこに簡易テントみたいな住居を作る。まあ、これも結構時間はかかったのだが、できて実際に寝てみると坂だった。でこぼこだった。たいして、でこぼこにも見えないのに、実際に横になるとでこぼこだ。そこで、砂を足らないところに増したり、坂で砂がありすぎるところからは砂を出した。スコップなんてないから手と流木で。これに時間がかかった。まあ、これだけやってもでこぼこで、寝づらく、おきると体の節々が痛く、間接・筋肉痛になった。衣食住というが、その住がある程度めどがついたので、次は食だ。魚を取る網を持参した。お魚キラー(スプリングアナゴかご)というもの。これを仕掛ける準備だ。正直つりの経験は皆無に近い。つりには何度か行ったが一回もつったことがない。。。まあ、それでもやりゃなきゃならない。紐とかごを結ぶ。そもそもどういう状態でかごを設置すれば魚が取れるかもわからない。考えるのみである。さらに、紐とかごをどれくらいの強さで結ぶかもわからない。波によって紐がほどけてしまうのかもわからない。紐をどれぐらいの木にくくりつければいいのかも。。。まあ、その辺は適当に。木に結びつけた。はじめはちょっと不安でかごに2箇所結んだ。そして、海にかごを設置。そろそろ暗くなり始め、人間は寝静まる時間だ。
しかし、それから、満潮干潮が気になる気になる。かごを設置しているときに潮が満ちてきたように感じた。迫ってくる。

夜寝転がりながら星を見ていると、波の音が島の森に反射してすごく近くに感じる。いったい満潮の時にはどこまで迫ってくるのか?自分たちの住処まで海水で覆われるのではないか?と本気で心配に。そこで、住処の周りを掘り出す。溝を作って、波の衝撃を抑え、溝の後ろに山を作ろうという作戦。真っ暗なんだけど、ひたすら流木で掘った。掘った。砂の濡れ具合と、物が打ち上げられているラインを確認してたぶん大丈夫だと自分たちを納得させた。

そのあと、寝ながら星を眺めた。一番星を見つけた。二番星も、三番星も、四番星も。星はいきいきと輝いていた。きれいな星を見るのも久しぶりだ。一番初めに星がこんなにもたくさんあるんだと、心のそこから衝撃を食らったのは、小学生のころフェリーで大阪から九州へ行くときだ。あの時、瀬戸大橋をくぐったのだ。星の思い出は以前のエントリー。そんなこんなで夜は過ぎた。

異様に夢を見た。体の節々が痛かった。波の音が迫ってくるように聞こえ何度もおきた。簡易テントの中はなぜか水滴でいっぱい。雨かと思ったがちがった。理由はわからず。まあ、横になればすぐ眠れたが、すぐおきてしまった。

次の日。朝は早く訪れた。

人が住んでいないということは、生活をするのに必要な前提条件がすべてないということなんだな、と実感しました。

強い雨と風、岩で足を怪我、ほとんど物を食べられない日々、海に浮かんでいるセロファンみたいな海藻?を食べ、一回だけアナゴが取れ喜び、満潮にビビリひたすら溝を堀り、夜は8時に暗くなり一番星を見つけた日々でした。

本州に戻り食事をしたときのうまさとありがたさ。