February 2006 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28

December 31, 2004

足の向くまま、気の向くまま、六波羅蜜寺

そうだ、京都へ行ってきた。

塩原温泉に行き一泊して、東京へ戻りモノポリーをして、家へ。そして荷物をまとめて岐阜へ。しかし、18切符も指定席も持っていない。小田原攻めでもいいかと思っていたが、指定席が取れたのだ。やはりキャンセルが出た。そして、ムーンライト91号に乗るために品川へ。品川の緑の窓口で18切符を買えばいいと思っていた。東京駅の緑の窓口が23時30分までやっているので、品川もその時間までやっていると思ったら、違った。23時10分ぐらいに東京駅へ東海道線で戻る。そして18きっぷを買い、また品川へ戻るという時間ぎりぎりな行動。そして、ムーンライトで岐阜へ。朝5時過ぎの岐阜は寒かった。指すような寒さというやつだろう。

そして、家に戻ってしばし休み、電車でどこかへいこうと思う。駅について一番早く出発する電車に乗ってどこへ行くか決めることにした。相変わらずな行動である。駅に着くと、大垣行きが一番早く来たのでそれに乗った。大垣で降りると、米原行きが一番最初に出発だった。ああ、京都だ。京都へ行こう。ということでターゲットは京都に。

そんなこんなで京都に着く。ああ、もう15時だ。どうしよっかな。ということで、インフォへ行く。そしていろいろ物色。あんまり行きたいところが見つからなかった。が、安っぽくパソコンで作った一枚の張り紙に目が留まった。(デザインがかっこいいことも重要だが、デザインが悪くてもひきつけるものはひきつけるのだな。何か伝わってくるのだ。それは何がそうさせるのかはわからないが)六波羅蜜寺という寺で「空也踊躍念仏」がやっている。12月13日から30日までらしい。そう、今日は30日だし見に行ってみようと思う。バスで15分か20分。ついた。

空也踊躍念仏 - くうやゆやくねんぶつ
天暦5年(951)、疫病救済のため空也上人が始めた踊り念仏で「かくれ念仏」ともいわれ、夕方薄暗くなった頃から行なわれる。 一年間、私たちが人として世に生かされている中で知らず知らずに犯した罪業の消滅と、新しい年がよき年であることを祈る念仏である。

空也踊躍念仏は一年の罪を消滅と新年が良い年であるように祈るというなんともぴったりな念仏だ。さらに、宝物館では小学校の教科書に載っていた「空也上人立像」「平清盛坐像」があった。これらも良かったのだが、その横にあった、運慶・湛慶坐像の表情も良かった。

念仏は過去に弾圧を受けて格子扉を二重にして外から見えないようにして、さらに南無阿弥陀仏もわからないように言い換えて、さらに念仏はいつとまっても良いように作りかえられたらしい。そして、ずーっと続いてきたみたいだ。宗教ってどんなものでも排除されるのかなと思ってみた。時間がたつにつれて受け入れられていく。念仏を見て、お焼香をして厄払いのお守りをいただいて帰る。

すぐ帰っても良かったが近くに清水寺があったので行ってみる。てくてく歩いて清水へ。おお、小学校6年生の修学旅行以来だから、10年ぶりぐらい。駐車場を見た瞬間に思い出した。この駐車場だ!と。記憶が復活した。この駐車場を見なければ決して復活しなかった過去の記憶。駐車場を見て10年前のことを少し思い出して、おみやげ物やを通り抜ける。すると、この土産物屋が新しい。ナウでヤングでポップなかんじですよ。レンタルサーバー、ペーパーボーイな感じですよ。いや、本当に店が最近の若者がすきそうなつくりになっていた。実際着ていた人も若い人が多かった。へー、そうなんだ。と納得して、清水寺へ。清水の舞台だ。飛び降りよう。と思ったがネタになって死ぬだけだ(笑)

10年ぶりのとこを訪れるのもいいものだ。記憶がよみがえる。清水の駐車場を見なかったら、小学生のときに見た駐車場の記憶は決してよみがえらなかったと思う。自分の脳の中には小学校のときに見た清水の駐車場のデータが何かしらあるわけだが、自分の意思ではそれを引き出せない。しかし、清水の駐車場を見ることによってその記憶は復活する。なんで自分の中にあるのに自分の意思で復活させれないのか不思議だ。画像は画像として記憶していて、引っ張り出してくるから、実際の清水の駐車場を見ないと過去の記憶は引っ張り出されないのかな。ということは、もし、僕が何らかの理由で清水の駐車場をイメージしていたら、復活していたのかもな。

そう考えていると、寝ているとは何なのかがいきなり気になった。寝ているとは、自分の意識(意思)で多くのことをコントロールできないことなのかな。寝ているときとおきているときの脳の差は何なのだろう。どこの部分の機能がストップしているのか、逆にどこかの部分が機能しすぎて意識が吹っ飛ぶのか。寝ているとは何なのだろうか。起きながらにして寝た状態の脳を感じることはできないのだろうか?寝ているとはどんなことなんだろう。気になる。

ああ、清水から京都駅まで歩いて帰りました。


シリコンバレーってのは

いつかねー、シリコンバレーという場所をしったのは定かではない。

だが、知ったときから憧れのようなものがあったと思う。
現実とはそう甘いものではないと思うが、新しい技術やサービスを提供しようとする起業家、大学、VCやエンジェル、弁護士、会計士などのいろいろな人が助け合い、近くには海岸、テニスコートなどの施設もあるみたいなイメージ。インフラが整い、新しいことを有能な仲間と協力してがむしゃらにやる。妄想かもしれないがあこがれる。

でも、バブルとかで物価が高くなりすぎて仕事をしていても持ち家に住めなかったり子供を育てる環境としては悪くなるという話も聞く。

まあ、それは置いておくとして、やっぱりシリコンバレーは気になる。ということで、JTPAというシリコンバレーで働く日本人をサポートするNPOが開いた東京セミナーに行ってきた。

JTPA第2回東京セミナー
テーマ 「シリコンバレー・ベンチャーを通じたキャリアディベロップメント」
− シリコンバレー・ベンチャーから学んだこと −
2004年12月27日(月)

3名の方は三菱商事でシリコンバレーに駐在し、その人脈でベンチャーキャピタルを設立した方、銀行からスタンフォードのMBAに行きシリコンバレーに残りコンサルやビジネスディベロップメントをしている方、東北大学の助手で文部省からスタンフォードに派遣され、そのつながりでシリコンバレーのベンチャーに参加して、現在はNTTの研究者の方とそれぞれ異なるキャリアを積んだ方の話が聞けてとても面白かった。


メモ

・日本人であることがまったく意味を持たなくなる価値を生み出せるキャリアパンターン
・日本人であることを強みにするキャリアパターン

シリコンバレーで仕事をする、創業する人の目標のボトムラインは同じ、会社の株式公開やイグジット

日本の大企業だと、自分の将来が見えてくる。この大学、この部署出身で最高でこの人の役職、普通でこの人のような役職、最低だとこの人みたいなロールも出るがいる。それはつまらない。

ベンチャー創業時は資金集めで断られることも多く感情の起伏が激しい。それをどのようにとロースするかが重要。

もし、これができたらどのようになるのかを、価値・人脈などを具体的にイメージする。

「反省はしても、後悔ぁはしない人生」

成功するまであきらめなければ、進歩する。
細かい仕事を成功させて這い上がって行く

小さくてもユニークさを出していく。そうしないとビザが下りないという現実問題がある。
自分の価値を伝えて、わかってもらう

転職前に、ヒアリングに行く。自分が転職する業種や業界で成功している人、自分と似たキャリアを先に経験した人に自分でも成功できるか、やっていけるかを聞きにいく。

必要なスキルと足りないスキルを理解して、足りないものはうめる。

自分の価値を回りにいかに伝えるか。しゃべらないとわかってないと思われる。事実(実績)を積み重ねて見せる。肝になるところで、ツボを押さえてみんなをひきつける。勝負どころでキメ言葉を言う。聞く力をつけて、話を踏まえた説明。

自分の行っていることの説得力を増すためにMBAで習ったアカウンティングやロジカルシンキングなどを使う。実際は前線で学ぶしかない。

良いビジネススクールは多様な人が着ている。学部卒、コンサル、投資銀行出身、NPOにビジネスを持ち込みたい人、起業家、とりあえず行く人、キャリアを転換するため、黒人、アジア人、白人、年齢も幅があるなど。

December 27, 2004

年末

昨日大掃除しました。

年末ですから、大掃除は基本です。
昔から年末になると大掃除。習慣化しています。

すっきりした気持ちで新年を迎えるのもいいものです。
掃除をすると、気分がすっきり爽快、気持ちいいのは何でだろうか?

掃除をするとほこりが立たなくなり、空気がきれいで気持ちいいのか?あと、視覚的にゴミがあると気分が良くない、汚いと感じる。汚いというのは雑菌などがたくさんあり、病気になる可能性があるから本能的に人間は好まないのであろうか。

まあ、よくわからないが掃除をしたということです。

今年もあと数日で終わり、新たな良い年を迎えましょう。

ああ、30から4日まで岐阜に帰ろうと思うのですが、岐阜に帰る夜行の指定席が買えてない。売り切れだからだ。

まあ、結局まだやったことのない小田原攻めというものを経験してみようか。

December 26, 2004

「長い」という感覚

年末である。年の瀬である。

子供のころよりは季節感がなくなったのが自分でもわかる。昔は、年末とかだとソワソワしていた、というか年末という雰囲気の変化をもっと敏感に感じていた。年を重ね、何度も経験すればあまりなんにも感じなくなってきた。寂しいことでもあるが、自然なことでもある。

まあ、そんれとは別にして、昔よりも季節感がない気がする。店のセールとかも含め社会の年末シフトが少なくなってきた気がする。

まあ、年末ということで音楽番組を良くやっている。ベスト100みたいな感じで。そいでもって、いろいろな歌手の昔の歌も紹介していることがある。それをみてふと思う。いや、感じる。

この歌手はけっこう長い間続いているな。この歌手って最近デビューしたばかりだよなって。感覚的に感じる。

しかし、そのアーティストのデビューした年を見ると1,2年しか変わらなかったりする。僕の中では5年ぐらい違うイメージがあったのに。

下積み時代が長かったとか、さまざまな要因があるだろうけど、それを抜きにしても感覚的なずれがある。

はて、これはなぜかと考えたら、こうではないかという自分なりの答えは浮かび上がった。

僕が音楽に興味を持つ前に、たとえ1ヶ月前でも、すでに売れっ子になっていた歌手は長く売れていると感じ、僕が歌に興味を持ってから売れた歌手は短く感じる。こうだと思うのです。

自分が興味を持つ前に売れていた歌手は、その前どれくらい歌手の活動をしていたかは知らない。僕が興味を持ったときにすでに売れていたことは、その前から売れていることである。その前からというものを、感覚的に1ヶ月とか1年とかいう単位ではとららえず、3〜5年ぐらい前から売れていたと自然に思ってしまうのだ。歌手への敬意ととらえるか、自分の知らないものへの評価ミスの根本的な問題か、、歌手のブレイクまでの期間の推測によるのか、自分が生きて感じてこなかった過ぎさりし時間的感覚の鈍さか、何かはわからないが。

人間が意識するという事と感覚はそんな関係だ。


BGM 森山直太郎 - 生きとし生けるすべてのものへ

昔書いたねたブログ 記録用

2004年12月26日
星の王子様
星の王子様を年末年始に読もうと思う。

なんか読みたい。読むぞ。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4783400008/250-3040118-7421009

この本いいよ。さすが、ゆたぽん。

おいらが求めているものをわかってる。最高。

アツイ、ヤバイ、マチガイナイ。

Posted by secondlove1 at 03:04 │Comments(0) │TrackBack(0) 青い
俺は青い、中学生が考えることを、今考えている。そのレベル。

遅れすぎだ、

でも、一生こんなことを考えていそうだ。

一生子供で痛いと真剣に思っている。精神的な面で。

子供のころに味わった、あのわくわく感は失いたくない。

青くても、子供でもどんとこい、


哲学っぽいことを考えることは子供の証というが、僕はまさにそれに当てはまる。

子供だー、


やったー、子供だ

子供尊敬しています。

Posted by secondlove1 at 02:59 │Comments(0) │TrackBack(0) 芸術
原理主義のにも通じるが、いい歌があるとその歌ばかり50回は聞くな。

それはいかがなものなんでしょう?

歌とも関連するが、僕は芸術というものに対して憧れがあるんだと思う、


僕は、昔からピアノとかやってきていない。女のやるものだとか、そういう差別的考えを幼稚園のころ持っていた。

それで、絵とかにも音楽にも昔は興味がなかった。

しかし、大学に入ってから芸術に興味がありすぎだ。
でも、体系的に学ぶとかではないのだが、いきあたりばっかりで、芸術を体で感じる。そればっかりだ。

でも、純粋に感動して、その世界に入ることがある。

芸術家の友達は何人もいる。正直若い人の中ではトップクラスも何人も知っている。その人たちと、いろいろな物を作るのは面白い。

でも、僕は芸術というものを自分に書けたものとして捕らえ、それをあこがれている傾向があると思う。

本当に、好きだと思う。純粋に究極の心地よさがあるから。でも、この憧れという気持ちが邪魔をしているのも事実だと思う。それを排除したところに芸術はあるのか?

ああ、だから写真を撮りたかったり、ケーナを買ってみたりするのだ。


そういえば、2,3日前僕が尊敬する芸大生の人と夜中、話していた。すると、彼は僕に絵を描いてみればと進めてきた。

僕も、いいかもと思った。いろいろ書いて、彼に見てもらおうか。

肩肘張らずに、楽しもうじゃないか。

プロじゃないんだし、失うものはない。

失うものはないと追った人間は怖い。火事場の場家事からではないが、そのようなありえないパワーを出す。

がーーーー。

Posted by secondlove1 at 02:47 │Comments(0) │TrackBack(0) 原理主義
僕は、どうも原理主義らしいです。

これだ、と思ったらそれしかなくなります。

どうしてもそれだけしか見えなくなります。

正しいも間違いもないのに、それだけを正しいように見てしまう。

ほかを排除してしまう傾向にあります。

これはだめな部分が多いかもしれない。

でも、そうなってしまう僕がいるのもこれまた事実。
そうなんです。

どうしようもない部分があるのです。

原理主義って、どうですかね?


まあ、中庸というものがいいことは振り子の端っこに一回行かないとわからないのでしょうか。

釈迦が、贅沢のきわみを味わい、断食で限界を感じいい加減を見つけたように。

まあ、僕はそんなレベルには達しえることはないのかもしれませんが。

Posted by secondlove1 at 02:44 │Comments(0) │TrackBack(0) だいぶましに
自分でも思う、だいぶましになった。

幼稚園のころは給食を一番にくい、何でも一番で、鼓笛隊の指揮の子が好きでスカートめくったり、キスしてました。それに、隊長と呼ばれて幼稚園児を使ってました。ひらがなとか覚えませんでした。

小学校のころはいじめばかりしてました。先生をおちょくっていました。すいません。

中学は3年が伝説で。今までの人生で一番やばかったです。みなさま迷惑をかけました。完全にいかれたことをしていました。

高校は男子クラスで、みんな馬鹿でした。適当に生きていました。ディベートしていました。そればっかりで、勉強していなくて赤点。勉強していなくて、AOで受かればいいと思っていたら、罰が当たって12月の中旬から受験勉強というひどさです。

大学に入り、一人暮らしをして、しりました、世間知らずで人に助けられて生きていることを。周りのみんながいて僕は生きています。感謝の念でいっぱいです。

でも、自分の生きる規範というものだけはあってそれだけは守って生きてきました。

そんな人生です。

Posted by secondlove1 at 02:39 │Comments(0) │TrackBack(0) 押し競饅頭
押し競饅頭っておしくらまんじゅうって打ったら出てきた、

押し競饅頭って本当の漢字なのかな?

そうならはじめて知った。


がっはっは、知識ないのばればれ。

漢字も知らない、ゲームも知らない、トランプとかもしらない、漫画も読まない、アミューズメント施設も行かない。小説も読まない。ドラマも見ない。歴史を信じない。ひらがなもかけない、かなり重症だったとみんな言う。

だから、小学校の友達は今となっては一人もいません。

ひねくれた少年でした。

ぐへー。

Posted by secondlove1 at 02:36 │Comments(0) │TrackBack(0) 金沢ショボンヌ
金沢ショボンヌ


金沢ショボンヌ

ゆたぽんはこういった。

しかし、たけぼーも金沢ショボンヌと中学から言っていた。


ほかにも、まじでじまも中学から。
がーーー。




Posted by secondlove1 at 02:35 │Comments(0) │TrackBack(0) そうだ、彼女だ
忘れていた、彼女だ彼女、

彼女を作るブログだった、ちっかり忘れていた。

さっきのエントリーは暴走しすぎた。暴走天子だ。

ああ、ぽくちゃん、、わかった


このエントリーが彼女をできないことを物語っているのだ。

すぐ、忘れちゃう。面白いと思ったら、なりふりかまわずそれをやっちゃう。

だめなのかな、この性質が。

うっしっし。

がっはっは。

じゃあ、直そうか?って気持ちにならないのがだめなのか?

どうにかなるさって、どうにもならないことなんだなーこれが。

コレガって会社があったな。

Posted by secondlove1 at 02:32 │Comments(0) │TrackBack(0) 社会不適合
みんな、俺のことを社会不適合っていうけど、それなんだ?

不器用だー。

それが売りだ、

バナナの叩き売りだー。

俺は、古風だ。古風なところがあるけれど、新しいものが好きだ。

人と同じことが嫌いで、変な言葉かなことが好きだ。

天邪鬼だーーーー。

Posted by secondlove1 at 02:29 │Comments(0) │TrackBack(0) がーーがー
ピエロ。

ピエロ。

ピエロって何だ?

なんで、ピエロって生まれたんだ?

気にならないか?

ピエロが人に抱かせる印象って何だ?

ピエロは人間である是か非か?


これで、100時間は語れるな。

Posted by secondlove1 at 02:28 │Comments(1) │TrackBack(0) すべての人類に捧ぐ
実は、地球ってものはなかった。

あなたは僕です。

僕はあなたです。

そう、実体のないことが実態であり、

実態を失った社会こそが、今ある世界なのです。

あなたは、生きていないのです。

生きていると思っても、それはあなたではないのです。


こころってものはないのです。

心はないとおもったらあるのです。
心があると思ったらないのです。

そう、あなたは人間じゃないのです。

今のあなたと明日の朝起きたあなたは別人です。
それだけは確実です。

なにもあなたではないのです。

空虚な気持ちにならないでください。
それが真実でない真実です。

Posted by secondlove1 at 02:25 │Comments(0) │TrackBack(0) 祭り
祭りだ。

人生は祭りだ。


自由ってんんだよ。、楽しみって何だよ。

わかんねーよ、


ただ、ただ、おれは書いているよ。

タイピングが早いよ。


世の中わからないけれど、楽しいって思うことがあるってことだけはあるよ。

人生って何ぢょ。

おれは、生きているのか死んでいるのか?


定義だ、理論的だ、ロジックだ、数字で示せ、なんだそれ、

やってられるか、何が資本主義だ、何が社会主義だ、何が共産主義だ。

ばーかー

くそー。

何が、景気だ、
そんなもの知るか、


人間の原点って何ぢょ


そんなものあるのかよ

ねーよ。

進化論って何だよ。

ドリブンしてるよ。

脳内暴走だよ。

酒も、タバコも、「薬もなしで脳内暴走キター

Posted by secondlove1 at 02:22 │Comments(0) │TrackBack(0) 拘束された自由を持つサル
拘束された自由を持つサル拘束された自由を持つサル

拘束された自由を持つサル
拘束された自由を持つサル

これ、いいな。

たかが言葉だよ。
されど言葉だよ。

言葉のあやです、

なんだそれ。


Posted by secondlove1 at 02:21 │Comments(0) │TrackBack(0) 運と勢いと乗り
運と勢いと乗り

運と勢いと乗り運と勢いと乗り

そうだ、人生運と勢いと乗りだ。


僕は、自由だ、


拘束された自由を持ったサルだ。


わかったかー

まじ、勢いだ。

勢いから生まれるものもある。


たまに、原石もあるのだ。

怒涛のえんとりーいけー

Posted by secondlove1 at 02:19 │Comments(0) │TrackBack(0) なんぼのもんよ
なんぼのもんよ、

人生何ぼのもんよ

生きるということはすべて仮想なんです。


現実なんてひとつもないのだ。そうだ、すべては脳の中にしかない。

愛だって、美だって、喜びだって。


そう、仮想の世界で生きているのだ。

現実なんて、ないのだ。現実と思っているだけなのだ。


なんぼのもんよ。

Posted by secondlove1 at 02:18 │Comments(0) │TrackBack(0) そもそも、なぜかって言うと
そもそも論キター


エントリーしたいということは、話したい、たまっているものを吐き出したいということだ。

芸術はからだから吐き出すことだ。

そうだ、エントリーも話すことも芸術だ。

そうだ、爆発させるぞ。がーーーー。

しゃかりきに、全身全霊で表そう。

Posted by secondlove1 at 02:12 │Comments(0) │TrackBack(0) いくらでもできるが、
いくらでも、エントリーできるが、

今日は眠たいから無理だな


だって、だって、だって、えんとりーだから、意味不明。

ぽっけぺけー


しんめりとしたシンメトリー
しんめりとシンメトリー
しんめりシンメトリー
しめっぽいシンメトリー

靴下は確かに違うね。

人間、いきているんだよ。

Posted by secondlove1 at 02:08 │Comments(0) │TrackBack(0) ぬるい
ぬるい、ぬるい、なまぬるい。

ぬるすぎる。


ああ、おれってそんな社会不適合者かー?

どこを直したら、もてるんだ?


全部はなしね。

もてるとこってないのかー?

ねえ、教えてくれよ。

このブログを呼んでいる、5000万人ぐらいの人々よ。

Posted by secondlove1 at 01:52 │Comments(1) │TrackBack(0)
2004年12月10日
わかったど、わかったど
なんかわからんけど、わかったど。



どっちだ?お前。




やっぱ、究極的には同じようなところにたどり着くんだなあ。



そういうことが分かったど。



でも、これは同時に結局は分からないということも示しているのだな。

Posted by secondlove1 at 22:02 │Comments(0) │TrackBack(0)
2004年12月09日
おれは猛烈にうれしいんだよ
ほかっといてくれ、おれはもーれつにうれしいんだよ。




寺町っておとなしいだけかと思っていたら、面白いんだよなっていわれてうれしいんだよ。



もーれつにうれしいんだよ。



それが、その人の心のそこから出ている言葉だったからおれはもーれつにうれしいんだよ、




本当にうれしいんだよ。



先週も、握手して、ああ、握手がしぜんにでるなんて本当に認めてくれたんだとおもったよ。



モーレツにうれしいんだよ。



俺は単純さ。



他の人から言われるのとは、訳が違うんだよ。



おれは、本当に尊敬しているんだよ。そんな人なんだよ。



Posted by secondlove1 at 22:38 │Comments(1) │TrackBack(0) なんかよく分からないけれど
なんかよく分からないけれど、俺って、人間が好きだわ。



難しいこと分からないし、哲学とか、医学とか分からないけど。



人間ってなんかいいね。




ああ、自分がいかに安っぽいかを知るよ。



ああ、自分って結局流されているだけって知るよ。



ああ、自分って何だろうね。




でも、みんなの笑顔を見ているだけで、僕は幸せなのかもね。

Posted by secondlove1 at 22:12 │Comments(0) │TrackBack(0) アニキ


アニキ

aniki

こんな感じかな。

カマキリ

リュウジ

ソラ

ワタシ

キョウ

アナタ

スキ

Posted by secondlove1 at 02:04 │Comments(0) │TrackBack(0)
2004年12月08日
買ったど、買ったど
ああ、ボイスレコーダー兼MP3プレイヤー兼FMラジオ兼USBメモリを買ったど。

遂に買ったど。


これで、久しぶりに○○○ができるど。

がー、512Mだど。

安かったど。

わーいわーい。

Posted by secondlove1 at 18:41 │Comments(0) │TrackBack(0)
2004年12月07日
なるようにしかならないのだが、なるようにはならないということ
なるようにしかならないのだが、なるようにはならないということ

何を言いたいかというと、世の中のすべての事象はなるようにしかならない。

しかし、世の中のすべての事象はなるようにならないのです。

そう思うのです。

PSPはやり方によってはライフスタイル変えるね。
ああ、でもどうだろうな。携帯とPSP今後どうなるかだな。
PDAも潜在能力はあったんだけど、インパクトに欠けていたよなぁ。

Posted by secondlove1 at 23:16 │Comments(0) │TrackBack(0) おお、
おなじ記事読んだな。

ああ、テンプレ変えよ。

あそこのテンプレが代わったから。

Posted by secondlove1 at 02:34 │Comments(2) │TrackBack(0)
2004年12月06日
単純
おいどん、単純です。

というか、精神年齢が成長していないです。

単純すぎるバカです。

特に、感情面が幼稚園児と変わりません。

なんでも気になります。生きていると気になることだらけです。

なぜなんだ。なぜなんだ答えなんてなくても、なぜなんだと妄想します。

でも、体系立てて勉強しないところが悪いところです。

Posted by secondlove1 at 22:13 │Comments(0) │TrackBack(0)
2004年12月05日
ひさしぶりに、、、
いいもんだね。

良い響きだ。

ということで、来週までに準備いたします。

例の場所を、今日見たんだけど、良い感じでしたよ。

ベストポジションです。

Posted by secondlove1 at 23:06 │Comments(0) │TrackBack(0)
2004年12月04日
悪がきが
悪あがき、じゃなくて、悪がきが近くにいる。

本物の悪がきだぜ。

どうするよ。

ゆたぽんって言うらしいよ。

本当かどーかは知らないけれど。

Posted by secondlove1 at 22:29 │Comments(0) │TrackBack(0) そっかぁ
ユタポンが言っていた、

R4Lは1.1でした。

オイラは古くさくて、
しみったれているから低いのかな。

ということで、恋愛強制ギブスを発注しました。
これでハッピーになれること間違いなし。


Posted by secondlove1 at 02:39 │Comments(0) │TrackBack(0)
2004年12月03日
にゅるぽ
なんか、ゆたぽんが、いってるぞー。

オラのことを三日坊主っていってるぞー。

今日だって、男を磨いてきたぞ。

すごい勢いで。

剃った頭をヤスリでゴシゴシと。磨いたぞ。

Posted by secondlove1 at 01:41 │Comments(2) │TrackBack(0)
2004年11月29日
あのさ、
ひきこもりーた、せにょりーた。

今日は本棚を整理したよ。
ついでに9冊も買っちゃったよ。
あらら。

なんか、セニョリータだなぁ。


歩きながら思ったんだけど、
普通に予定が入っている日にこんなことしたらどうだろう。
財布も携帯も家において出かける。
もちろん、定期もだめだよ。自転車も車も。

OKなのは家の鍵と服だけ。
あとはすべて家において出かける。

そんなことしたら、どうなるんだろう。

どうもこうも、ただ不便で人に迷惑かけるだけだな。
でも、そんなことに面白みがあるんだよな。

Posted by secondlove1 at 22:22 │Comments(0) │TrackBack(0) 4様
なんか、ヨン様とかいう本名ペーって人が日本に来てたみたい。

バカみたいにテレビで騒ぎすぎ。

おばちゃん群がりすぎ。

でもね、あのおばちゃん連中って全員さくらみたいだよ。

さくら水産の派遣みたい。

そんなことをきいたよ。

Posted by secondlove1 at 14:05 │Comments(0) │TrackBack(0)
2004年11月28日
へー
ゆたぽんって人、昔はこんな顔してたんだ。

今は、黄色だったりピンキーだったりするんだ。

うらやましいな。
ゆたぽんって、カメレオンさんみたいぽ。

ってことは、人間じゃないんだー。へー。

Posted by secondlove1 at 00:31 │Comments(0) │TrackBack(0) あ、ネムタイ
ネムタイってムエータイに似てるな。

そう感じた、たけぼーです。

なんか、国際結婚って新しいらしいですよ。
どっかの、ブログで見ました。

どこかは、詳しく覚えていないですけど、「♪さきっちょ&はあちゅう♪の悪あが記」って名前が脳裏にあります。どうか、しらないですよ。

すいません、今日は酔ってて、意味不明です。


そいえば、ゆたぽんって誰なんだろう。
気になるなー。
ゆたぽんって湯たんぽに似てるね。

おーい、湯たんぽ。
湯を担保にするから金かしてけれ。

Posted by secondlove1 at 00:13 │Comments(0) │TrackBack(0)
2004年11月27日
たぶん、そう思う
絶対に、二番煎じだと思う。
ただのマネだと思う。

書いているやつら、かっこ悪いな。

うん

Posted by secondlove1 at 01:26 │Comments(4) │TrackBack(0) ☆ゆたぽん&たけぼー☆の悪巧み はじまりはじまり
ついつい、はじめてしまった。

☆ゆたぽん&たけぼー☆の悪巧み

完全なのりです。

まさに、悪巧み。

彼女が出来るように頑張ろう。

Posted by secondlove1 at 01:12 │Comments(0) │TrackBack(0)

本当かよー!?

最近、よくCMでオキシライド電池なる商品の宣伝をしている。

アルカリよりもパワーがあるという宣伝をしてみたり、がんばっているようである。

その宣伝のひとつに、こんなものがあった。

オキシライド電池を使ったポータブルプレイヤーで音楽を聴くと音が良いと。アルカリ電池との比較広告なんですけど、チェコ交響楽団の人にアルカリ電池とオキシライド電池で音楽を聞かせどっちが良いかを質問しています。

すると、オキシライドのほうが音質がいいと答えるのです。

これを見たとき本当かよとお思いましたよ。本当に。ソニーとかもウォークマン用の電池を出していたけど、それは長時間持つという意味でウォークマン用だったと思う。そうじゃなくて、音がいいってどういうことだよ。

ヘッドフォンとか元の音質が音のクオリティの決定要因じゃないのか?電池で何で音が変わるのだ?
わからん、ということで検索。

すると、こんなの(エントリーの最後にある)ありました。

詳しくはわからないが、アンケートの聞き方がどうであったかが気になる。こっちがアルカリ電池です、こっちがオキシライドですと質問する前に言ったとしたらお話にならない。

さらに、電圧が長時間使っても安定しているのが、オキシライドの売りらしい。というと、アルカリは長時間使うと電圧が安定しなくなると。するとだ、どちらも新品だったら両方とも電圧は安定しているわけだ。となると、使い始めは音質は変わらないが、長時間立つと音質の違いを感じるんだな。そこで、アンケートを考える。アンケートをするときは新品の乾電池使うだろう。すると、あんまり音質は変わらないんじゃないのか?まあ、2000人のアンケートだから使い終わるときに、聞いて判定した人もいるかもしれない。となると、そこの人たちはオキシライドに投票したかもしれないけれど、はじめの人たちは半分半分に投票してもおかしくないな。

まあ、パナソニックのサイトだけでは、いまいち信じれないわけです。自分で試してみたいな。でも、高いしなー。まあ、区別できるほど音にうるさいわけでもないし、まあいっか。どうせ、100円ショップの電池で聞いているわけだし。

オキシライドで聞く
オキシライドで聞くと音が違うのはなぜ?

音楽業界では電源が変わると音質が変わることが常識となっています。(多くのレコーディングスタジオでは電源にこだわり、いい音を追求しています)

例えば、一般家庭にある通常の100Vコンセントではクーラーや他の電気製品の影響を受け、電源が安定しません。そこで100Vの電圧が変動しないようにする安定化電源、さらには電圧を少しでも昇圧して使用する117V電源を設置するなど、電源に工夫を凝らしています。

赤:117V電源
黒:安定化電源100V
白:通常電源(電圧は変動し、不安定)

乾電池も同様の原理です。
オキシライド乾電池はアルカリ乾電池に比べ、初期電圧(1.7V)が高く、しかも長時間使ってもこの電圧が下がりにくいという特性があります。このアルカリを超えたパワーが再生時の音質に影響を与えるのです。

使用機種や条件によって音の差は異なりますが、実際にオキシライド乾電池とアルカリ乾電池を使って再生した音楽(※調査は、充電式電池をはずした状態で、乾電池の単独使用。また本体付属のインサイドホンではなく、別売りのステレオオーバーヘッドホンを使用しました。)を聞き比べてもらう実験を約2000名に対して行ったところ、約75%の人が音の違いを実感することができました。「音がクリアに聴こえる」「バックの音が出てくることで臨場感が高まる」「音のレンジが広がり、まるでエコーがかかったように聴こえる」というコメントが主流を占めました。(※国内外の音楽のプロ120名、音楽専門学校生82名、ノンプロ1765名に対して聴き比べ調査を実施)

http://national.jp/product/conveni/battery/oxyride/lab/music/kiku.html

December 25, 2004

過去を今生きる

世の中には過去を今生きる人々がいるのだ。

誰にもそのような面があるだろうが、すべてが過去を今生きている人もいるようだ。

今を今生きる人も、未来を今生きる人もいるように、過去を今生きている人々もいるのだろう。

過去を今生きる人々

過去を今生きる人々

世の中にはいろいろな社会がある。僕の知っているのがすべての社会ではない。それは、当たり前だが、日本にもたくさんある。そんな社会が。

別にそれを知るべきだとも思わないし、知らないなら知らないでもいい。でも、そんな社会に生きる人たちは、人間の原点となる問題を示してくれるのかもしれない。

今がない人、今が空っぽになっている人は過去を生きているのだろう。今生きているのだが過去を生きている。

天才の顔

なんか知らんが、賞をロナウジーニョという人がもらったらしい。

けっこう前見たときから、この人は天才だなと感じた。もちろん、練習とかも相当しているからこそ、認められるプレイヤーなんだろうということは承知しております。

テレビでちょっと見たことしかないけど、なんか天才かなと感じた。特に理由はないが、サッカーをしている映像とか、練習で戯れていたり、得点した後の行動を見てそう感じたんだと思う。


で、実際にあって、特に話さなくてもこの人は、とてつもない才能を持っていると感じることもある。それは何なんだろうね。何がそう感じさせるのだろうか。

たぶん、常識とはずれた(常軌を逸した)言動をするんだけど、そこに何かしら鋭さがあるのかなと思うが、これは何も言っていないに等しい。なんで、そう感じてしまうのか気になるところです。

December 24, 2004

コメントスパムは馬鹿がやることだ

コメントスパムは限りなくむかつくわけです。

MT3からはタイプキーとかで対策されている。あと、禁止IPとか海外からの書込み禁止などで対策している人もいるようだ。

まあ、それはいいのだが、最近のコメントスパムはひどすぎる。むかつくを通り越して、あきれた。

こんなにもコメントスパムを打つと、ブログを書いている人の気分を害してブログのエントリーをしなくなるぞ。そうしたら、彼らはコメントスパムもできなくなってしまう。コメントスパムを大量にやることによって、自らの首を絞めている。さらに、あまりにも同じコメントが多かったら、ブログについて詳しく知らない人でも怪しくてクリックしないし。

それに、ブロガーがコメント禁止にしてしまったら、コメントスパムできなくなる。限度を超えてコメントスパムを打つべきじゃないと、コメントスパムを打つ組織か個人に言ってあげたい。

適度に打つなら、知らない人が間違ってクリックするかもしれないけど、これだけ多く打つとまったくコメントスパムを打った意味がないと想う。悪いこと(?)も限度を超えると良くないよなぁ。悪いことはあまり派手にやらないことが鉄則です。派手にやった時点で、みんなが知ってしまうから対策が採られる。そうならないためにも節度を守って悪いこと≒コメントスパムを打ってくれ。

むやみやたらにやらないようにといってやりたい。

人間って、

何でもありっちゃ、なんでもありなんだよな。

どこまでいってもプライドはあるし、人よりも勝っていることを主張したがる。

現在が最低だったら、過去の栄光を語り、見栄を張る。

結局、人間ってなんなのだろう。

1386件

コメントスパム、昨夜は1386件。
ありえない、この数は。。。。

読まないといけないメールも、埋もれてしまってみる気をなくした。。。
こんな勢いで毎日来るのかなーー。

ああ、やってらんねー。

December 23, 2004

コメントスパム 635件

朝起きて、メールを見たら受信メール700件以上。

おかしいぞ。昨夜もメールチェックしたのでこんなにくるはずがない。それに、祝日だからメールの数は少ないはず。なぜだ、とおもったら、ブログへコメントが来たという確認メールが大量に着ていた。

まあ、僕のブログにはそんなにもコメントがくるはずがない。そうなんです、コメントスパムです。

20,30ぐらいのコメントスパムはよく来ていたけど、635件はないだろう。それも、一気に。勘弁してくれ。

いまだ、増え続けているのでいったい何件繰るのだろう。

もう、やめてけれ〜。

それにしても、コメントスパム打っても何の意味もないだろう。誰もクリックしないよ。(まあ、コストがかからず、クリックするやつがいるから成り立ってしまっているんだろうけど。。。)

December 22, 2004

学校という場は逆戻りできないがゆえ、はかない

今日は、今年最後の学校だった。
それ自体はたいしたことではないのだが、授業後図書館に行った。
階段を上り、2階の踊り場のようなところに行く。そこには新聞がおいてあるから。しかし、いつもほかの人が読んでいる場合が多い。それで、いつものように3階へ。3階にはソファーがあり、世界中の新聞と雑誌がおいてあるから。

そして、日経とHBRをさくっと読んでいた。
ふと、外を見る。と、何やら、この時間はもう二度と味わえないんだと思った。当たり前なんだけど、それで僕はこの今という時間を必死で忘れないでおこうと思った。そして、図書館から見える旧図書館や葉が黄色に色づいた木々を目に焼き付けようと努力した。努力したというか、なんかこの光景を覚えていたいと思い、そのようなことをしていた。

まったく同じではないが、明日もあさっても、半年後もこの感覚に似たものは味わえる。なぜなら学生だから。しかし、2年後にはこの感覚は味わえなくなっている。もっと言えば、卒業してしまえば一生味わえない。だからこそ、こんな日常もはかなく感じたのだと思います。

たぶん、なんでもない日常です。図書館で新聞を読み窓から外を見る。でも、この感覚をいつまでも味わいと思った。それは今の大学生という身分、今きている服、今の脳みそ、今読んでいる本、なにもかもを含めて、将来も感じたいと思った。

学校というものは、はかないものであると思ったのです。小学校にしろ、中学校にしろ、高校にしろ、大学にしろ。なぜなら基本的に逆戻りがないから。人間というものは小さい子供のころから学校というものに通い始める、そしてどんどん成長していくのです。学校という場を通して。そして、学び、学校から吸収できるものを吸収して巣立っていく。だから、高校から中学にいくということはないのです。たぶん、学校というのはそういうものです。だから、学校は逆戻りできなくて、はかないのです。だから、学校というのは寂しさが漂っているのです。

会社だったら、一回辞めてまた再入社という事はある、地元だって戻りたければ戻れる、NPOだってそうなんです。でも学校と名のつくところだけは違うみたいです。

学校だって戻りたければ戻れるが、学校は基本的に直線的に成長していく場であって、普通は再び戻るということはないのです。社会人大学院だって、卒業したら舞い戻ることなんてないんです。

別に、何が言いたいってわけではないけど、学校というものは卒業してしまえば逆戻りできないから、もうこの身分(学生)でここにたつことはないからこそ、はかないのだ。と、窓の外の旧図書館をみて思っただけです。

BGM the song of life ギターバージョン
    Instrumental - Kenny G - Amazing Grace

まともな人

養老さんの「まともな人」という本を読み始めた。

けっこう、ふむふむそうだなと言うところがある。細部では、なんか違うというところがあるが、まあ、なんと言うか、現代の社会一般の方向性に対してカウンターパートから書いてるから、あえて書いている部分があるからなんだろうけど。

まだ、読み終わっていないんですけど、おもしろいです。

不安と恐怖ってのが面白かった。
恐怖ってのは、何か恐怖の対象がある。
不安は、不安の対象がない。

その違いという書き方をしていた。
おお、今まであまり不安と恐怖を考えて使い分けてこなかったので納得。

不安は対象がないので、不安が不安を呼ぶ。不安のスパイラルが起こると書いてあった。これも面白かった。

欲望も一緒で、食欲は食べれば満たされる。再現がある。恐怖も恐怖の対象がなくなれば恐怖はなくなる。ある意味で有限なのである。しかし、金欲は欲望の欲望である。なんか、パソコンがほしいという欲望なら、パソコンを手に入れれば満たされる。これは有限。しかし、金欲は何かをほしいという、欲望である。欲望の欲望なのである。だから、際限がない。

うん、そういわれればそうかも。おもしろい、自分でもなんとなくこう思っていた感じはあるのだけれど、文字にしていなかった。さらっと文字でまとめられていると、おおっ、と思う。

December 21, 2004

二酸化炭素売買

ガイアの夜明け
「タダの空気が金になる」地球温暖化に商機あり▽カンボジア…南米チリ秘境の商人

丸紅 池島さん カンボジアで植林プロジェクトを手探りではじめる。
カンボジア 環境省に1万ヘクタール植林の許可を得る。 四国ほどの広さ。
クリーン開発メカニズム=途上国で持続可能な植林をすると、排出権獲得できる

46人の小さな村。モンドルキア。村長に挨拶。
村人には植林で働いてもらい、貨幣を稼いでもらう。
農民は一年で30,40ドルの収入。
3000人の雇用予定。=家族を含めると1万人。
ゴムの木、試験植林。中国で自動車の需要アップ=タイヤのゴム必要→ゴムの木。
300万トンの排出権取引の額に相当する予定。

@大阪 テイカへ営業
製造段階でどうしても二酸化炭素を排出してしまう会社。
炭素税は毎年かかり、商品の価格アップにつながるため、

@丸紅本社 未来の顧客へプレゼン
20社(2年で集めた。)

コスト
植林事業20億円
社会貢献15億円

排出権価格
1トン6.4ドル(市場価格6ドル)

市場価格より高いところに、ものいがついた。

ゴムの生育状況を確認に再びカンボジアへ。すると、日本企業が来るという話しがうわさで周り、地価が高騰すると予測して、土地の囲い込み。この状況ではプロジェクトを進められない。

囲い込みのくいを抜くように、州の副知事のもとに直談判。→くいは全部抜くと、取り付けた。

帰国→会議に呼ばれる。ビジネスとして成り立つか。
環境ビジネス委員会。プラント、エネルギーのエキスパートらがメンバー。→プロジェクトGOサイン。

苗付けから5ヶ月、ゴムの木は育っていた。

カンボジアの村の奥地に風力発電。投資回収を早めるために。さらに、村でも伝記が必要になるから。風力発電をおこない排出権を獲得。8万トン排出権獲得可能。
風力発電を学校につけて、電気がついた。

ビジネスにしないと環境を維持できない。これが現実。二酸化炭素は目に見えない。明日何かが起こるなら、対策するけど、100ね先だと対策しない。これは、仕方がない。でもビジネスにすると人はやる。これは、いいことだ。

商社マンって、まじで一人で奥地まで乗り込んで交渉して商売を作るのだな。なんか、バックパッカーじゃん。何でも食うし。商社も、儲からないビジネスやめて、彼らしかできないことをしたらもっと稼げるんじゃないかな。それに、ビジネスのプレゼンもして、営業もして、大変そうだな。

@南米チリ 三井物産、両祖さん
東京電力が排出権購入にうごきだす。アグロスーパー社と提携。200万トン、12億円相当を契約。
契約をまとめたのは三井物産。地理に駐在歴があり、スペイン語ぺらぺら、1年がかりにプロジェクト。
二酸化炭素を削減するのに、日本なら1トン2万円、チリなら500円。
アグロスーパー社は5つの養豚場をもっており、そのし尿からでるメタンがでる 
メタン 126ドル/トン CO2の21倍の価格

日本企業がこのメタンを獲得し、このメタンを削減することで日本企業の削減の代わりにする。大きな、ビニルバックのようなものにメタンをためる。

@フィリピン 200万人分のごみため場 
スカベンジャー=ごみから鉄などを探し、売って生計を立てる人
ごみため場からすカベンジャーが鉄を取っていくので、生ごみだけ残り、メタンがたくさん出る。
三菱証券 吉高さん
ごみのメタンを利用した発電所を作る。

年間8万トン、4800万円。村に、電気が通うようになる。
排出権=環境コスト
きれいな空気を吸うにはお金がかかる。

仕事

クローズアップ現代
変化する職場、変化する意識


会議が変われば会社が変わる

監視される社員たち 〜進む情報流出対策〜

派遣社員は製造業を変えるか

働く意味は何ですか

成果主義はどうであったか?
人間不信、信頼されていないかも。

あなたの”強み”はなんですか 〜中高年・再就職セミナー〜

マツダ復活〜技術者たちの挑戦〜

働く意味は何ですか

働くって何ですか〜広がる中高生の仕事体験〜

”働けない”若者たち

効率化+スピード→プレッシャー
部品のように使われている。

weak tiesらしい。前、おいらが言っていた、社外取締役ってのは weak ties(弱いつながりの仲間)と言うらしい。玄田東大助教授いわく。確かこの人は「働くということ」にも文章を書いていた気がする。

つぶしがきく会社、プロとしての能力を身につけられる、頭の切れが良い仲間、英語が身につけられる環境、責任と権限が与えられる会社

今年のキーワードは「仕事」「アメリカ」らしい。ってことで、明日は「アメリカ」みたい。

なんか良くわからないけれど。

なんか良くわからないけれど。

しゃべっている時は、頭が働いているように感じない。
しかし、自分が今まで考えていなかったような新しいアイデアが出ることがある。
頭が働いているように感じないが、しゃべることによって脳が一番活性化されるとも聞く。
不思議なもんだ。


なんか良くわからないけれど。
何かを見たり、うれしい気持ちや悲しい気持ちになると、それにあった歌詞の歌が自然と出てきて口ずさんでいる。頭で考えて引き出してきたわけではないけれど、自然とその時にあった歌が口から出てくる。
自分では意識していないけれども、脳の中ではつながっているのだろうか。

なんか良くわからないけれど、前から「星の王子様」を読みたい。
この冬に読もうと思う。

旅にでたら、そこには空っぽだった

ああ、もうすぐ冬休み。空っぽな旅に出ようかな
どッかに行ってこようと思う。
久しぶりに18切符でぶらっとしてこようと思う。

冬の東北なぞに行ってみるのもいい。白神山地とか、田沢湖とか。でも人が多そうなので、特に行き場所を決めずに行くのもいいかな。田んぼの田舎道をぶらぶら歩いてみたい。

18切符のフレーズでいいものをピックアップ。


「通過しない。立ち止まって記憶する。そんな旅です。」
2000年春
 
「『早く着くこと』よりも、大切にしたいことのある人に。」
2000年夏

「たまには道草ばっかりしてみる。」
2001年春

「なんでだろう、涙が出た。」
2001年冬

「自分の部屋で、人生なんて考えられるか?」
2002年夏

「この旅が いまの僕である」
2003年春

2004年という年は何であったか。

出来事で振り返る。

1月、成人式があった。ああ、成人式は防衛大の友達と意気投合したな。他の誰とも話した記憶がない。2月引越しをした。東京都民とやらになった。ここに引っ越したことがこの年の後半に大きな意味を持つとは考えもしなかった。ドメインをとったりなんかもした。4月、東京にいる岐阜の人たち(G-net)と関わり始める。そんでもって、この頃はソーシャルネットワークなどが盛り上がり始めIT屋さんの集まりに顔を出していた。

5月、初めて山登りをした。三頭山という山だった。実に新緑が綺麗だった記憶がある。ありとあらゆるところに顔を出していた気がする。良く動いていたな。

6月はソフトバンクの株主総会に行ってみたりした。さらに、今年は岐阜へも良く帰った。なんだかんだで10回ぐらい帰った気がする。

7月は「たびそら」「飛ぶ夢を見た」という写真に感動した。そして、7月25日には時間は取り戻せないことを知った。

8月の頭は毎年のようにディベート甲子園で時が過ぎ、岐阜の花火を偶然にも土手から見れた。かなり感動した。そして、グロービスの堀さんにお会いし、鼓舞された。そして、会津にも行った。そして岐阜でのイベントをやった。教育と地域に関しての。そして時は一瞬のうちに過ぎ去っていった。インドのビザを取り、いつの間にかインドにいた。そしてネパールへと行き、またインドに戻ってきた。案の定帰国して体調を崩した。その間に友達がフランスへ行った。そして、

10月。上野の芸大に通い始めた。とてつもなく面白かった。ワクワクした。後半はこの授業のおかげで日々楽しかった。11月には三田祭があった。そして、12月黒服行事が多い。そんな感じだった。

感じたことで振り返る。


今年の目標で振り返る。

December 20, 2004

情熱とプロ

このブログを読みに来ている変な人たちに、僕が情熱大陸を愛してやまないことは説明するまでもないだろう。

で、今日も見てさっきエントリーを書いたのだが、ウェブを見に行ってまたなんかメモりたくなった。ウェブサイトには「読む情熱大陸」というコンテンツがある。これは重松清という作家さんが月に一回書いている。いつもなかなか面白く読んでいる。

少し話がずれるが、この重松清と言う人の文章は僕にはさらっと入ってくる。僕になじむ文章を書く人だ。簡単に言えば、この人の文章は好きだ。僕は小説とかを全くといっていいほど読まない人間である。でも、ブックオフで1年以上前に買った「ビタミンF」という重松さんの本を秋ぐらいに読んだ。すると、なんか良かった。短編だったり、言葉遣いが現代語だから読みやすかったからなのか、文章のつくりが僕の脳が言葉を作るつくりと同じだったかはさだかではないが。まあ、内容もなんかほのぼのというか、現代の社会問題を書きながらも、えも言えぬ気持ちにさせてくれる本だった。

僕は情熱大陸が好きである、でもって重松さんの文章も好きである。重松さんは情熱大陸のウェブで連載を持っている。この連載は情熱大陸の製作側から依頼が重松さんにいったから書いているのであろう。なぜ重松さんに依頼にいったか考えると、情熱大陸を作っている人が重松さんの文章のことを好きだからか、情熱大陸を見ている人が重松さんを好きな傾向にあるか、重松さんが人間に迫った文章を得意とするからか、そのへんだろう。そう考えると、情熱大陸好き≒重松さん好きとなる構図が見えてくる。なにやら、両社を好きになる理由があるのか?両社には何か共通点があるのかなと考えてみたりする。

で、まあ、重松さんが書いている読む情熱大陸も好きということです。

そこに、あったプロという言葉が気になった。プロって言うとそのことを仕事にして、飯を食っている人というのが僕の中でプロだった。曖昧な定義ではプロかどうかの判別が不可能になるが、この定義なら比較的わかりやすいと思っていた。でも、しっくりきていなかった。なんか、そっけなくって。下の文章を読んで、いいなぁとおもった。「自分の足で世界に立ち、勝敗に関わらず戦いの場から去らないこと」これが、重松さんの定義なのだろう。なかなかかっちょいい定義だな。

自分でもプロとは何たるかを考えると、それでメシを食っているかってことと、責任をもてるかどうかかなと思った。表面的な責任じゃなくって、本当に責任をもつということは、自分が納得してやり、最大限のことをしなければ責任を持ったことにならない。とすると、責任を持つことはプロの証なのかなと。

まあ、どれも月並みッチャ月並みだな。そんなの知るかー。


 単身ヨーロッパに渡り、フランスの一部リーグで活躍する田場さんは、敗戦後のロッカールームで泣いた。負けた悔しさを噛みしめ、思い通りにプレイできなかった自分を責めながら、人目もはばからず涙を流した。
 恥ずかしくはない、と田場さんは言い切った。いままで自分は何度も負けてきて、何度も悔し涙を流してきて、だからこそいまの自分がここにいるのだから――と。
 一方、日本とマウイ島の往復をつづける佐藤さんは、物心両面での夫のサポートについて語るときに、泣いた。そして、番組のエンディングでも泣いた。歴史ある大会アロハ・クラシックで優勝したときの挨拶で、その喜び以上にウインドサーフィンの聖地ホキイパへの愛を語ったときに、また、笑い顔で声を詰まらせたのだった。

中略

やっぱり、涙、なのだ。そして、その涙をカラッと乾かしてくれる笑顔、なのだ。

中略

いわば、二人とも、なにかに頼ったりもたれかかったりすることなく、自分の足で世界に立っている――それこそが〃プロ〃の定義なのだとぼくは思っているし、そのバックボーンがあるからこそ、二人は素直に笑い、また素直に泣くことができるのだ。

中略

アマチュアなら一度の栄冠の記憶をいつまでも抱いていられる。敗北とともに戦場を去ることもできる。だが、〃プロ〃は違う。勝ちと負けを繰り返しながら戦いつづけること――戦いの場から去らないことが、〃プロ〃の証なのだから。

http://mbs.jp/jyonetsu/yomu/index.html


BGM Desperado Eagles

December 19, 2004

-情熱大陸-師匠とは

心の底から自分の師匠といえる人に出会ってみたい。

今日、情熱大陸を見た。荒木水都弘というすし職人の方を取り上げていた。身を粉にして極めるタイプで、まじめで、不器用そうな人っぽかった。でも、僕はこういう人が好きだ。

この人は4年前に独立したらしいが、それまでの師匠が店に久しぶりに来るシーンをやっていた。師匠は小林秀雄さんや現在の天皇陛下にもすしを握ったことがある人らしい。彼はその店で修行して、師匠が病気を期に職人を辞めるときに玉子焼きの鍋をもらったそうだ。コレをもらったという事は、師匠はこの弟子に期待をしていたということであろう。そして、今は常に予約でいっぱいの人気すし屋になっている。

そんなところに、師匠はすしを食いにきた。師匠はすしを見た瞬間に語り始めた。お金をとらないならばこのすしでもいいが、取っこのすしではだめだ。きり方がなってないというようなことを言っていた。寿司のネタにとって切り方は命なのであろう。

絵を書く人にとっては、一本の線がそこにある、そこでしかダメな場所があるみたいだ。腑に落ちるというか、まさにそこに一本の線がある、あるべくしてある。そんな感じみたいだ。僕にはまだわからないが、いろいろ見ていくうちにわかるのだろうか。これは、文章を書く人にとっては、単語一つ一つ。文章の繋がりがまさに、絵で言う一本の線であろう。音楽家であれば、その音が、その長さで、その時に流れるからこそ、しっくりくるのであろう。これらのことは、ビジネスとかにも通じる部分があるのかなとも思った。


話を戻す。その番組を見て師匠って人に出会ったことがないと思った。師匠というものがすべてではないと思う。すべて正しいわけではないと思う。しかし、師匠という人と出会いたいなと思う。なぜかはわからないが、現代人的言葉で言えばロールモデルになるというのか、メンターもかねているというのか。でも、カタカナを使うとバカっぽいのでやめよう。安っぽすぎる。多分、師匠ってそう簡単には出会えない人だと思う。心の底から師匠って思える人には、全員が全員出会えるものではないと思う。

単なる尊敬する人とは違う、もっと身近なんだけど本当に尊敬できて、自分がその人に意思を伝えて、弟子のことを愛し、本当に弟子のことを思い育ててくれる。そんな感じだと思うのだが、僕は師匠といえる人とはまだであったことがなく、どんなものなのかはわからない。

たぶん、一つのことに没頭して極める段階において師匠に出会うのだろうと思う。自分の生きる道がある程度決まり、吾人の任務的なものが書け、それでその道を極める過程において出会えたら最高だと思う。

そういえば、昔こんなことを書いたことを思い出した。

何事も奥深く。はじめはミーハーなやつも多いが最後には本物を理解できるやつしかいなくなる。2002/11/20
(本質を理解している人たち同士だったら面白いなということを書きたかった。)

僕は、いろいろなことに興味があり、さまざまなことをしてきたと思う。それ自体は自分の考えの下であり正しいと思っている。しかし、もう少し社会を見て、自分が進む道を見つけたら、(その道はある特定のことでもいいし、いろいろなことに興味がある今の状態の延長上のことかもしれない)、師匠という人に会いたい。自分に素直に、情熱を持って取り組めば自然と師匠に出会えるのかもしれない。それは、実際にいる人ではなくても、本かもしれないし、何かもっと他のものであるのかもしれない。


また、使えないログ

荒木水都弘-情熱大陸-

気の短い江戸っ子のファーストフード(すし)は文化になった。
荒木水都弘--あら輝--

こうでなければ気がすまない。そのようなものあある。
とにかく考えている。選び抜かれたネタ。さりげないが
今が旬って言われるのは最悪、今が最高ってことだから。

話がすしになったら負けず嫌い。

不器用なほどまじめ。

すべてを自分でやらないと気がすまない。

すしを握るということは自分を握るということ。

一律1万五千円

全身全霊必死に自分を追い込んできた、今時分のすしはどうなのか?

師匠は物静かだが、まなざしは鋭かった。

一流を追うものだけに見える、地獄が有る。

やると思いますよ、やるんですよ、ずうっと。

イチロー

何ヶ月か前にイチローが大リーグ記録を更新した。

あの時は、テレビを食い入るように見ていた。
とてもエキサイティングで、心の底から、体の底からワクワクした。感動していた。サブいぼが出来た。

で、最近年末で一年を振り返る映像が流れる。すると、当たり前だがイチローのあの記録達成のシーンが流れる。

すると、あの感覚が少しよみがえる。ゾクっとする。たまんないねー。

夢とイメージと体で覚える

昨日も夢を見ました。

なんか、すごい高いところにある、すごい長いつり橋を渡っていました。アルミのような金属で作られていました。風で橋が揺れたり、僕以外にも数人渡っていました。が、その人の中の数人はバンジージャンプをするのか自殺をするのか知りませんが、飛び降りるようなしぐさでした。その人たちが邪魔で、通り過ぎる時に怖かった印象があります。手に汗をかいて、そんでもって欄干を手でつかみながら歩いていたので、滑ってこわかった。そうするうちに、陸というか、山に付いた。そうしたら、そこで僕の知り合いが宴会をしていた。なんだ?と思った所で起きた。

たぶん、フランスで世界で一番高いところにごっつい長い橋が出来たというニュースがもとでこの夢を見たんだと思う。

また、夢の話なんですが、夢ってカラフルで立体的である。でも、自分の意思で夢レベルのイメージをしようと思ったら無理である。少なくとも僕は無理である。ということは、自分の意思では動かせない、脳の作用があるのだ。そりゃたくさんありそうだ。それが顕著に現れるのが、夢レベルのイメージなんだろう。自分の意思では動かせない細胞か仕組みか組織があって、そいつは何らかの影響を受けて動くわけだ。ということは、その何らかの影響をどのように引き起こすかがわかれば、自分の意思で夢レベルのイメージや何なりを再現できると。

ふむふむ、そうすると、夢レベルのイメージを創造できる人がいてもおかしくないわけだ。何かしらの方法で、夢レベルのイメージを想像する方法を取得した人なら。

ちょっと、まてよ。実は俺だけが、夢レベルのイメージを自分の意思で作り上げれないだけで、他のほとんどの人が、カラフルで現実そっくりなイメージを作り上げているのかもしれない。とすると、俺が感覚的に使っている想像という言葉とはまったく違った質感を想像という言葉にたいして抱いているわけだなぁ。

って、そんな人いるのか?

過去の関連エントリー「見る」
関連エントリー「夢」

で、話は変わる。
また、真っ暗にして風呂に入った。いつものようにだいたい感覚的にはシャワーの蛇口がどこにあるかとか、シャンプーがどこにあるかはわかる。それはいつも使っていて、配置が脳の中に作られているからだろう。で、ふと思う。自分の体なら毎日一緒だし(当たり前)、毎日自分の意思で使っている。真っ暗でも、自分の目や足の指なら正確に探せる(触れる)のではないか?と。で、やってみる。すると、ピンポイントで触れる。目だろうと、足の親指の爪だろうと。

感覚的に覚えているのだろう。体で覚えるとか、そんな感じ。視覚的に覚えているのではない。多分脳で高度な処理をせずに、慣れによってわかるようになっている。

この前思ったのだが、脳は楽をしたがるというか習慣化をしたがる。というのも、脳は高度なことや新しく臨機応変に対応しなければならないことにしか使われない。というか、使わない。簡単なことも脳で処理していたら、やることが多すぎて脳がパンクしそう。で、習慣化するなどして、日常的なことは脳を使わなくよくして、どんなことにも考えて対応できる脳は、新しく高度なことだけするのだろう。

って、コレ当たり前だよな。というか、思っていたことがうまく文章になっていないから、何も伝わらないだろう。まあ、いいや。本を読んで知るよりも自分の経験からこうだと思ったほうが現実味があるし、自分の中によく残るから。

ふと思い出す。コレはボディイメージの一種じゃないか?と。違うか?

December 18, 2004

トルコ

世界不思議発見はトルコだー   有線大賞ではハナミズキだ、明日の夜の用事がなくなったのでまったり見よう