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December 31, 2004

足の向くまま、気の向くまま、六波羅蜜寺

そうだ、京都へ行ってきた。

塩原温泉に行き一泊して、東京へ戻りモノポリーをして、家へ。そして荷物をまとめて岐阜へ。しかし、18切符も指定席も持っていない。小田原攻めでもいいかと思っていたが、指定席が取れたのだ。やはりキャンセルが出た。そして、ムーンライト91号に乗るために品川へ。品川の緑の窓口で18切符を買えばいいと思っていた。東京駅の緑の窓口が23時30分までやっているので、品川もその時間までやっていると思ったら、違った。23時10分ぐらいに東京駅へ東海道線で戻る。そして18きっぷを買い、また品川へ戻るという時間ぎりぎりな行動。そして、ムーンライトで岐阜へ。朝5時過ぎの岐阜は寒かった。指すような寒さというやつだろう。

そして、家に戻ってしばし休み、電車でどこかへいこうと思う。駅について一番早く出発する電車に乗ってどこへ行くか決めることにした。相変わらずな行動である。駅に着くと、大垣行きが一番早く来たのでそれに乗った。大垣で降りると、米原行きが一番最初に出発だった。ああ、京都だ。京都へ行こう。ということでターゲットは京都に。

そんなこんなで京都に着く。ああ、もう15時だ。どうしよっかな。ということで、インフォへ行く。そしていろいろ物色。あんまり行きたいところが見つからなかった。が、安っぽくパソコンで作った一枚の張り紙に目が留まった。(デザインがかっこいいことも重要だが、デザインが悪くてもひきつけるものはひきつけるのだな。何か伝わってくるのだ。それは何がそうさせるのかはわからないが)六波羅蜜寺という寺で「空也踊躍念仏」がやっている。12月13日から30日までらしい。そう、今日は30日だし見に行ってみようと思う。バスで15分か20分。ついた。

空也踊躍念仏 - くうやゆやくねんぶつ
天暦5年(951)、疫病救済のため空也上人が始めた踊り念仏で「かくれ念仏」ともいわれ、夕方薄暗くなった頃から行なわれる。 一年間、私たちが人として世に生かされている中で知らず知らずに犯した罪業の消滅と、新しい年がよき年であることを祈る念仏である。

空也踊躍念仏は一年の罪を消滅と新年が良い年であるように祈るというなんともぴったりな念仏だ。さらに、宝物館では小学校の教科書に載っていた「空也上人立像」「平清盛坐像」があった。これらも良かったのだが、その横にあった、運慶・湛慶坐像の表情も良かった。

念仏は過去に弾圧を受けて格子扉を二重にして外から見えないようにして、さらに南無阿弥陀仏もわからないように言い換えて、さらに念仏はいつとまっても良いように作りかえられたらしい。そして、ずーっと続いてきたみたいだ。宗教ってどんなものでも排除されるのかなと思ってみた。時間がたつにつれて受け入れられていく。念仏を見て、お焼香をして厄払いのお守りをいただいて帰る。

すぐ帰っても良かったが近くに清水寺があったので行ってみる。てくてく歩いて清水へ。おお、小学校6年生の修学旅行以来だから、10年ぶりぐらい。駐車場を見た瞬間に思い出した。この駐車場だ!と。記憶が復活した。この駐車場を見なければ決して復活しなかった過去の記憶。駐車場を見て10年前のことを少し思い出して、おみやげ物やを通り抜ける。すると、この土産物屋が新しい。ナウでヤングでポップなかんじですよ。レンタルサーバー、ペーパーボーイな感じですよ。いや、本当に店が最近の若者がすきそうなつくりになっていた。実際着ていた人も若い人が多かった。へー、そうなんだ。と納得して、清水寺へ。清水の舞台だ。飛び降りよう。と思ったがネタになって死ぬだけだ(笑)

10年ぶりのとこを訪れるのもいいものだ。記憶がよみがえる。清水の駐車場を見なかったら、小学生のときに見た駐車場の記憶は決してよみがえらなかったと思う。自分の脳の中には小学校のときに見た清水の駐車場のデータが何かしらあるわけだが、自分の意思ではそれを引き出せない。しかし、清水の駐車場を見ることによってその記憶は復活する。なんで自分の中にあるのに自分の意思で復活させれないのか不思議だ。画像は画像として記憶していて、引っ張り出してくるから、実際の清水の駐車場を見ないと過去の記憶は引っ張り出されないのかな。ということは、もし、僕が何らかの理由で清水の駐車場をイメージしていたら、復活していたのかもな。

そう考えていると、寝ているとは何なのかがいきなり気になった。寝ているとは、自分の意識(意思)で多くのことをコントロールできないことなのかな。寝ているときとおきているときの脳の差は何なのだろう。どこの部分の機能がストップしているのか、逆にどこかの部分が機能しすぎて意識が吹っ飛ぶのか。寝ているとは何なのだろうか。起きながらにして寝た状態の脳を感じることはできないのだろうか?寝ているとはどんなことなんだろう。気になる。

ああ、清水から京都駅まで歩いて帰りました。


シリコンバレーってのは

いつかねー、シリコンバレーという場所をしったのは定かではない。

だが、知ったときから憧れのようなものがあったと思う。
現実とはそう甘いものではないと思うが、新しい技術やサービスを提供しようとする起業家、大学、VCやエンジェル、弁護士、会計士などのいろいろな人が助け合い、近くには海岸、テニスコートなどの施設もあるみたいなイメージ。インフラが整い、新しいことを有能な仲間と協力してがむしゃらにやる。妄想かもしれないがあこがれる。

でも、バブルとかで物価が高くなりすぎて仕事をしていても持ち家に住めなかったり子供を育てる環境としては悪くなるという話も聞く。

まあ、それは置いておくとして、やっぱりシリコンバレーは気になる。ということで、JTPAというシリコンバレーで働く日本人をサポートするNPOが開いた東京セミナーに行ってきた。

JTPA第2回東京セミナー
テーマ 「シリコンバレー・ベンチャーを通じたキャリアディベロップメント」
− シリコンバレー・ベンチャーから学んだこと −
2004年12月27日(月)

3名の方は三菱商事でシリコンバレーに駐在し、その人脈でベンチャーキャピタルを設立した方、銀行からスタンフォードのMBAに行きシリコンバレーに残りコンサルやビジネスディベロップメントをしている方、東北大学の助手で文部省からスタンフォードに派遣され、そのつながりでシリコンバレーのベンチャーに参加して、現在はNTTの研究者の方とそれぞれ異なるキャリアを積んだ方の話が聞けてとても面白かった。


メモ

・日本人であることがまったく意味を持たなくなる価値を生み出せるキャリアパンターン
・日本人であることを強みにするキャリアパターン

シリコンバレーで仕事をする、創業する人の目標のボトムラインは同じ、会社の株式公開やイグジット

日本の大企業だと、自分の将来が見えてくる。この大学、この部署出身で最高でこの人の役職、普通でこの人のような役職、最低だとこの人みたいなロールも出るがいる。それはつまらない。

ベンチャー創業時は資金集めで断られることも多く感情の起伏が激しい。それをどのようにとロースするかが重要。

もし、これができたらどのようになるのかを、価値・人脈などを具体的にイメージする。

「反省はしても、後悔ぁはしない人生」

成功するまであきらめなければ、進歩する。
細かい仕事を成功させて這い上がって行く

小さくてもユニークさを出していく。そうしないとビザが下りないという現実問題がある。
自分の価値を伝えて、わかってもらう

転職前に、ヒアリングに行く。自分が転職する業種や業界で成功している人、自分と似たキャリアを先に経験した人に自分でも成功できるか、やっていけるかを聞きにいく。

必要なスキルと足りないスキルを理解して、足りないものはうめる。

自分の価値を回りにいかに伝えるか。しゃべらないとわかってないと思われる。事実(実績)を積み重ねて見せる。肝になるところで、ツボを押さえてみんなをひきつける。勝負どころでキメ言葉を言う。聞く力をつけて、話を踏まえた説明。

自分の行っていることの説得力を増すためにMBAで習ったアカウンティングやロジカルシンキングなどを使う。実際は前線で学ぶしかない。

良いビジネススクールは多様な人が着ている。学部卒、コンサル、投資銀行出身、NPOにビジネスを持ち込みたい人、起業家、とりあえず行く人、キャリアを転換するため、黒人、アジア人、白人、年齢も幅があるなど。

December 27, 2004

年末

昨日大掃除しました。

年末ですから、大掃除は基本です。
昔から年末になると大掃除。習慣化しています。

すっきりした気持ちで新年を迎えるのもいいものです。
掃除をすると、気分がすっきり爽快、気持ちいいのは何でだろうか?

掃除をするとほこりが立たなくなり、空気がきれいで気持ちいいのか?あと、視覚的にゴミがあると気分が良くない、汚いと感じる。汚いというのは雑菌などがたくさんあり、病気になる可能性があるから本能的に人間は好まないのであろうか。

まあ、よくわからないが掃除をしたということです。

今年もあと数日で終わり、新たな良い年を迎えましょう。

ああ、30から4日まで岐阜に帰ろうと思うのですが、岐阜に帰る夜行の指定席が買えてない。売り切れだからだ。

まあ、結局まだやったことのない小田原攻めというものを経験してみようか。

December 26, 2004

「長い」という感覚

年末である。年の瀬である。

子供のころよりは季節感がなくなったのが自分でもわかる。昔は、年末とかだとソワソワしていた、というか年末という雰囲気の変化をもっと敏感に感じていた。年を重ね、何度も経験すればあまりなんにも感じなくなってきた。寂しいことでもあるが、自然なことでもある。

まあ、そんれとは別にして、昔よりも季節感がない気がする。店のセールとかも含め社会の年末シフトが少なくなってきた気がする。

まあ、年末ということで音楽番組を良くやっている。ベスト100みたいな感じで。そいでもって、いろいろな歌手の昔の歌も紹介していることがある。それをみてふと思う。いや、感じる。

この歌手はけっこう長い間続いているな。この歌手って最近デビューしたばかりだよなって。感覚的に感じる。

しかし、そのアーティストのデビューした年を見ると1,2年しか変わらなかったりする。僕の中では5年ぐらい違うイメージがあったのに。

下積み時代が長かったとか、さまざまな要因があるだろうけど、それを抜きにしても感覚的なずれがある。

はて、これはなぜかと考えたら、こうではないかという自分なりの答えは浮かび上がった。

僕が音楽に興味を持つ前に、たとえ1ヶ月前でも、すでに売れっ子になっていた歌手は長く売れていると感じ、僕が歌に興味を持ってから売れた歌手は短く感じる。こうだと思うのです。

自分が興味を持つ前に売れていた歌手は、その前どれくらい歌手の活動をしていたかは知らない。僕が興味を持ったときにすでに売れていたことは、その前から売れていることである。その前からというものを、感覚的に1ヶ月とか1年とかいう単位ではとららえず、3〜5年ぐらい前から売れていたと自然に思ってしまうのだ。歌手への敬意ととらえるか、自分の知らないものへの評価ミスの根本的な問題か、、歌手のブレイクまでの期間の推測によるのか、自分が生きて感じてこなかった過ぎさりし時間的感覚の鈍さか、何かはわからないが。

人間が意識するという事と感覚はそんな関係だ。


BGM 森山直太郎 - 生きとし生けるすべてのものへ

昔書いたねたブログ 記録用

2004年12月26日
星の王子様
星の王子様を年末年始に読もうと思う。

なんか読みたい。読むぞ。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4783400008/250-3040118-7421009

この本いいよ。さすが、ゆたぽん。

おいらが求めているものをわかってる。最高。

アツイ、ヤバイ、マチガイナイ。

Posted by secondlove1 at 03:04 │Comments(0) │TrackBack(0) 青い
俺は青い、中学生が考えることを、今考えている。そのレベル。

遅れすぎだ、

でも、一生こんなことを考えていそうだ。

一生子供で痛いと真剣に思っている。精神的な面で。

子供のころに味わった、あのわくわく感は失いたくない。

青くても、子供でもどんとこい、


哲学っぽいことを考えることは子供の証というが、僕はまさにそれに当てはまる。

子供だー、


やったー、子供だ

子供尊敬しています。

Posted by secondlove1 at 02:59 │Comments(0) │TrackBack(0) 芸術
原理主義のにも通じるが、いい歌があるとその歌ばかり50回は聞くな。

それはいかがなものなんでしょう?

歌とも関連するが、僕は芸術というものに対して憧れがあるんだと思う、


僕は、昔からピアノとかやってきていない。女のやるものだとか、そういう差別的考えを幼稚園のころ持っていた。

それで、絵とかにも音楽にも昔は興味がなかった。

しかし、大学に入ってから芸術に興味がありすぎだ。
でも、体系的に学ぶとかではないのだが、いきあたりばっかりで、芸術を体で感じる。そればっかりだ。

でも、純粋に感動して、その世界に入ることがある。

芸術家の友達は何人もいる。正直若い人の中ではトップクラスも何人も知っている。その人たちと、いろいろな物を作るのは面白い。

でも、僕は芸術というものを自分に書けたものとして捕らえ、それをあこがれている傾向があると思う。

本当に、好きだと思う。純粋に究極の心地よさがあるから。でも、この憧れという気持ちが邪魔をしているのも事実だと思う。それを排除したところに芸術はあるのか?

ああ、だから写真を撮りたかったり、ケーナを買ってみたりするのだ。


そういえば、2,3日前僕が尊敬する芸大生の人と夜中、話していた。すると、彼は僕に絵を描いてみればと進めてきた。

僕も、いいかもと思った。いろいろ書いて、彼に見てもらおうか。

肩肘張らずに、楽しもうじゃないか。

プロじゃないんだし、失うものはない。

失うものはないと追った人間は怖い。火事場の場家事からではないが、そのようなありえないパワーを出す。

がーーーー。

Posted by secondlove1 at 02:47 │Comments(0) │TrackBack(0) 原理主義
僕は、どうも原理主義らしいです。

これだ、と思ったらそれしかなくなります。

どうしてもそれだけしか見えなくなります。

正しいも間違いもないのに、それだけを正しいように見てしまう。

ほかを排除してしまう傾向にあります。

これはだめな部分が多いかもしれない。

でも、そうなってしまう僕がいるのもこれまた事実。
そうなんです。

どうしようもない部分があるのです。

原理主義って、どうですかね?


まあ、中庸というものがいいことは振り子の端っこに一回行かないとわからないのでしょうか。

釈迦が、贅沢のきわみを味わい、断食で限界を感じいい加減を見つけたように。

まあ、僕はそんなレベルには達しえることはないのかもしれませんが。

Posted by secondlove1 at 02:44 │Comments(0) │TrackBack(0) だいぶましに
自分でも思う、だいぶましになった。

幼稚園のころは給食を一番にくい、何でも一番で、鼓笛隊の指揮の子が好きでスカートめくったり、キスしてました。それに、隊長と呼ばれて幼稚園児を使ってました。ひらがなとか覚えませんでした。

小学校のころはいじめばかりしてました。先生をおちょくっていました。すいません。

中学は3年が伝説で。今までの人生で一番やばかったです。みなさま迷惑をかけました。完全にいかれたことをしていました。

高校は男子クラスで、みんな馬鹿でした。適当に生きていました。ディベートしていました。そればっかりで、勉強していなくて赤点。勉強していなくて、AOで受かればいいと思っていたら、罰が当たって12月の中旬から受験勉強というひどさです。

大学に入り、一人暮らしをして、しりました、世間知らずで人に助けられて生きていることを。周りのみんながいて僕は生きています。感謝の念でいっぱいです。

でも、自分の生きる規範というものだけはあってそれだけは守って生きてきました。

そんな人生です。

Posted by secondlove1 at 02:39 │Comments(0) │TrackBack(0) 押し競饅頭
押し競饅頭っておしくらまんじゅうって打ったら出てきた、

押し競饅頭って本当の漢字なのかな?

そうならはじめて知った。


がっはっは、知識ないのばればれ。

漢字も知らない、ゲームも知らない、トランプとかもしらない、漫画も読まない、アミューズメント施設も行かない。小説も読まない。ドラマも見ない。歴史を信じない。ひらがなもかけない、かなり重症だったとみんな言う。

だから、小学校の友達は今となっては一人もいません。

ひねくれた少年でした。

ぐへー。

Posted by secondlove1 at 02:36 │Comments(0) │TrackBack(0) 金沢ショボンヌ
金沢ショボンヌ


金沢ショボンヌ

ゆたぽんはこういった。

しかし、たけぼーも金沢ショボンヌと中学から言っていた。


ほかにも、まじでじまも中学から。
がーーー。




Posted by secondlove1 at 02:35 │Comments(0) │TrackBack(0) そうだ、彼女だ
忘れていた、彼女だ彼女、

彼女を作るブログだった、ちっかり忘れていた。

さっきのエントリーは暴走しすぎた。暴走天子だ。

ああ、ぽくちゃん、、わかった


このエントリーが彼女をできないことを物語っているのだ。

すぐ、忘れちゃう。面白いと思ったら、なりふりかまわずそれをやっちゃう。

だめなのかな、この性質が。

うっしっし。

がっはっは。

じゃあ、直そうか?って気持ちにならないのがだめなのか?

どうにかなるさって、どうにもならないことなんだなーこれが。

コレガって会社があったな。

Posted by secondlove1 at 02:32 │Comments(0) │TrackBack(0) 社会不適合
みんな、俺のことを社会不適合っていうけど、それなんだ?

不器用だー。

それが売りだ、

バナナの叩き売りだー。

俺は、古風だ。古風なところがあるけれど、新しいものが好きだ。

人と同じことが嫌いで、変な言葉かなことが好きだ。

天邪鬼だーーーー。

Posted by secondlove1 at 02:29 │Comments(0) │TrackBack(0) がーーがー
ピエロ。

ピエロ。

ピエロって何だ?

なんで、ピエロって生まれたんだ?

気にならないか?

ピエロが人に抱かせる印象って何だ?

ピエロは人間である是か非か?


これで、100時間は語れるな。

Posted by secondlove1 at 02:28 │Comments(1) │TrackBack(0) すべての人類に捧ぐ
実は、地球ってものはなかった。

あなたは僕です。

僕はあなたです。

そう、実体のないことが実態であり、

実態を失った社会こそが、今ある世界なのです。

あなたは、生きていないのです。

生きていると思っても、それはあなたではないのです。


こころってものはないのです。

心はないとおもったらあるのです。
心があると思ったらないのです。

そう、あなたは人間じゃないのです。

今のあなたと明日の朝起きたあなたは別人です。
それだけは確実です。

なにもあなたではないのです。

空虚な気持ちにならないでください。
それが真実でない真実です。

Posted by secondlove1 at 02:25 │Comments(0) │TrackBack(0) 祭り
祭りだ。

人生は祭りだ。


自由ってんんだよ。、楽しみって何だよ。

わかんねーよ、


ただ、ただ、おれは書いているよ。

タイピングが早いよ。


世の中わからないけれど、楽しいって思うことがあるってことだけはあるよ。

人生って何ぢょ。

おれは、生きているのか死んでいるのか?


定義だ、理論的だ、ロジックだ、数字で示せ、なんだそれ、

やってられるか、何が資本主義だ、何が社会主義だ、何が共産主義だ。

ばーかー

くそー。

何が、景気だ、
そんなもの知るか、


人間の原点って何ぢょ


そんなものあるのかよ

ねーよ。

進化論って何だよ。

ドリブンしてるよ。

脳内暴走だよ。

酒も、タバコも、「薬もなしで脳内暴走キター

Posted by secondlove1 at 02:22 │Comments(0) │TrackBack(0) 拘束された自由を持つサル
拘束された自由を持つサル拘束された自由を持つサル

拘束された自由を持つサル
拘束された自由を持つサル

これ、いいな。

たかが言葉だよ。
されど言葉だよ。

言葉のあやです、

なんだそれ。


Posted by secondlove1 at 02:21 │Comments(0) │TrackBack(0) 運と勢いと乗り
運と勢いと乗り

運と勢いと乗り運と勢いと乗り

そうだ、人生運と勢いと乗りだ。


僕は、自由だ、


拘束された自由を持ったサルだ。


わかったかー

まじ、勢いだ。

勢いから生まれるものもある。


たまに、原石もあるのだ。

怒涛のえんとりーいけー

Posted by secondlove1 at 02:19 │Comments(0) │TrackBack(0) なんぼのもんよ
なんぼのもんよ、

人生何ぼのもんよ

生きるということはすべて仮想なんです。


現実なんてひとつもないのだ。そうだ、すべては脳の中にしかない。

愛だって、美だって、喜びだって。


そう、仮想の世界で生きているのだ。

現実なんて、ないのだ。現実と思っているだけなのだ。


なんぼのもんよ。

Posted by secondlove1 at 02:18 │Comments(0) │TrackBack(0) そもそも、なぜかって言うと
そもそも論キター


エントリーしたいということは、話したい、たまっているものを吐き出したいということだ。

芸術はからだから吐き出すことだ。

そうだ、エントリーも話すことも芸術だ。

そうだ、爆発させるぞ。がーーーー。

しゃかりきに、全身全霊で表そう。

Posted by secondlove1 at 02:12 │Comments(0) │TrackBack(0) いくらでもできるが、
いくらでも、エントリーできるが、

今日は眠たいから無理だな


だって、だって、だって、えんとりーだから、意味不明。

ぽっけぺけー


しんめりとしたシンメトリー
しんめりとシンメトリー
しんめりシンメトリー
しめっぽいシンメトリー

靴下は確かに違うね。

人間、いきているんだよ。

Posted by secondlove1 at 02:08 │Comments(0) │TrackBack(0) ぬるい
ぬるい、ぬるい、なまぬるい。

ぬるすぎる。


ああ、おれってそんな社会不適合者かー?

どこを直したら、もてるんだ?


全部はなしね。

もてるとこってないのかー?

ねえ、教えてくれよ。

このブログを呼んでいる、5000万人ぐらいの人々よ。

Posted by secondlove1 at 01:52 │Comments(1) │TrackBack(0)
2004年12月10日
わかったど、わかったど
なんかわからんけど、わかったど。



どっちだ?お前。




やっぱ、究極的には同じようなところにたどり着くんだなあ。



そういうことが分かったど。



でも、これは同時に結局は分からないということも示しているのだな。

Posted by secondlove1 at 22:02 │Comments(0) │TrackBack(0)
2004年12月09日
おれは猛烈にうれしいんだよ
ほかっといてくれ、おれはもーれつにうれしいんだよ。




寺町っておとなしいだけかと思っていたら、面白いんだよなっていわれてうれしいんだよ。



もーれつにうれしいんだよ。



それが、その人の心のそこから出ている言葉だったからおれはもーれつにうれしいんだよ、




本当にうれしいんだよ。



先週も、握手して、ああ、握手がしぜんにでるなんて本当に認めてくれたんだとおもったよ。



モーレツにうれしいんだよ。



俺は単純さ。



他の人から言われるのとは、訳が違うんだよ。



おれは、本当に尊敬しているんだよ。そんな人なんだよ。



Posted by secondlove1 at 22:38 │Comments(1) │TrackBack(0) なんかよく分からないけれど
なんかよく分からないけれど、俺って、人間が好きだわ。



難しいこと分からないし、哲学とか、医学とか分からないけど。



人間ってなんかいいね。




ああ、自分がいかに安っぽいかを知るよ。



ああ、自分って結局流されているだけって知るよ。



ああ、自分って何だろうね。




でも、みんなの笑顔を見ているだけで、僕は幸せなのかもね。

Posted by secondlove1 at 22:12 │Comments(0) │TrackBack(0) アニキ


アニキ

aniki

こんな感じかな。

カマキリ

リュウジ

ソラ

ワタシ

キョウ

アナタ

スキ

Posted by secondlove1 at 02:04 │Comments(0) │TrackBack(0)
2004年12月08日
買ったど、買ったど
ああ、ボイスレコーダー兼MP3プレイヤー兼FMラジオ兼USBメモリを買ったど。

遂に買ったど。


これで、久しぶりに○○○ができるど。

がー、512Mだど。

安かったど。

わーいわーい。

Posted by secondlove1 at 18:41 │Comments(0) │TrackBack(0)
2004年12月07日
なるようにしかならないのだが、なるようにはならないということ
なるようにしかならないのだが、なるようにはならないということ

何を言いたいかというと、世の中のすべての事象はなるようにしかならない。

しかし、世の中のすべての事象はなるようにならないのです。

そう思うのです。

PSPはやり方によってはライフスタイル変えるね。
ああ、でもどうだろうな。携帯とPSP今後どうなるかだな。
PDAも潜在能力はあったんだけど、インパクトに欠けていたよなぁ。

Posted by secondlove1 at 23:16 │Comments(0) │TrackBack(0) おお、
おなじ記事読んだな。

ああ、テンプレ変えよ。

あそこのテンプレが代わったから。

Posted by secondlove1 at 02:34 │Comments(2) │TrackBack(0)
2004年12月06日
単純
おいどん、単純です。

というか、精神年齢が成長していないです。

単純すぎるバカです。

特に、感情面が幼稚園児と変わりません。

なんでも気になります。生きていると気になることだらけです。

なぜなんだ。なぜなんだ答えなんてなくても、なぜなんだと妄想します。

でも、体系立てて勉強しないところが悪いところです。

Posted by secondlove1 at 22:13 │Comments(0) │TrackBack(0)
2004年12月05日
ひさしぶりに、、、
いいもんだね。

良い響きだ。

ということで、来週までに準備いたします。

例の場所を、今日見たんだけど、良い感じでしたよ。

ベストポジションです。

Posted by secondlove1 at 23:06 │Comments(0) │TrackBack(0)
2004年12月04日
悪がきが
悪あがき、じゃなくて、悪がきが近くにいる。

本物の悪がきだぜ。

どうするよ。

ゆたぽんって言うらしいよ。

本当かどーかは知らないけれど。

Posted by secondlove1 at 22:29 │Comments(0) │TrackBack(0) そっかぁ
ユタポンが言っていた、

R4Lは1.1でした。

オイラは古くさくて、
しみったれているから低いのかな。

ということで、恋愛強制ギブスを発注しました。
これでハッピーになれること間違いなし。


Posted by secondlove1 at 02:39 │Comments(0) │TrackBack(0)
2004年12月03日
にゅるぽ
なんか、ゆたぽんが、いってるぞー。

オラのことを三日坊主っていってるぞー。

今日だって、男を磨いてきたぞ。

すごい勢いで。

剃った頭をヤスリでゴシゴシと。磨いたぞ。

Posted by secondlove1 at 01:41 │Comments(2) │TrackBack(0)
2004年11月29日
あのさ、
ひきこもりーた、せにょりーた。

今日は本棚を整理したよ。
ついでに9冊も買っちゃったよ。
あらら。

なんか、セニョリータだなぁ。


歩きながら思ったんだけど、
普通に予定が入っている日にこんなことしたらどうだろう。
財布も携帯も家において出かける。
もちろん、定期もだめだよ。自転車も車も。

OKなのは家の鍵と服だけ。
あとはすべて家において出かける。

そんなことしたら、どうなるんだろう。

どうもこうも、ただ不便で人に迷惑かけるだけだな。
でも、そんなことに面白みがあるんだよな。

Posted by secondlove1 at 22:22 │Comments(0) │TrackBack(0) 4様
なんか、ヨン様とかいう本名ペーって人が日本に来てたみたい。

バカみたいにテレビで騒ぎすぎ。

おばちゃん群がりすぎ。

でもね、あのおばちゃん連中って全員さくらみたいだよ。

さくら水産の派遣みたい。

そんなことをきいたよ。

Posted by secondlove1 at 14:05 │Comments(0) │TrackBack(0)
2004年11月28日
へー
ゆたぽんって人、昔はこんな顔してたんだ。

今は、黄色だったりピンキーだったりするんだ。

うらやましいな。
ゆたぽんって、カメレオンさんみたいぽ。

ってことは、人間じゃないんだー。へー。

Posted by secondlove1 at 00:31 │Comments(0) │TrackBack(0) あ、ネムタイ
ネムタイってムエータイに似てるな。

そう感じた、たけぼーです。

なんか、国際結婚って新しいらしいですよ。
どっかの、ブログで見ました。

どこかは、詳しく覚えていないですけど、「♪さきっちょ&はあちゅう♪の悪あが記」って名前が脳裏にあります。どうか、しらないですよ。

すいません、今日は酔ってて、意味不明です。


そいえば、ゆたぽんって誰なんだろう。
気になるなー。
ゆたぽんって湯たんぽに似てるね。

おーい、湯たんぽ。
湯を担保にするから金かしてけれ。

Posted by secondlove1 at 00:13 │Comments(0) │TrackBack(0)
2004年11月27日
たぶん、そう思う
絶対に、二番煎じだと思う。
ただのマネだと思う。

書いているやつら、かっこ悪いな。

うん

Posted by secondlove1 at 01:26 │Comments(4) │TrackBack(0) ☆ゆたぽん&たけぼー☆の悪巧み はじまりはじまり
ついつい、はじめてしまった。

☆ゆたぽん&たけぼー☆の悪巧み

完全なのりです。

まさに、悪巧み。

彼女が出来るように頑張ろう。

Posted by secondlove1 at 01:12 │Comments(0) │TrackBack(0)

本当かよー!?

最近、よくCMでオキシライド電池なる商品の宣伝をしている。

アルカリよりもパワーがあるという宣伝をしてみたり、がんばっているようである。

その宣伝のひとつに、こんなものがあった。

オキシライド電池を使ったポータブルプレイヤーで音楽を聴くと音が良いと。アルカリ電池との比較広告なんですけど、チェコ交響楽団の人にアルカリ電池とオキシライド電池で音楽を聞かせどっちが良いかを質問しています。

すると、オキシライドのほうが音質がいいと答えるのです。

これを見たとき本当かよとお思いましたよ。本当に。ソニーとかもウォークマン用の電池を出していたけど、それは長時間持つという意味でウォークマン用だったと思う。そうじゃなくて、音がいいってどういうことだよ。

ヘッドフォンとか元の音質が音のクオリティの決定要因じゃないのか?電池で何で音が変わるのだ?
わからん、ということで検索。

すると、こんなの(エントリーの最後にある)ありました。

詳しくはわからないが、アンケートの聞き方がどうであったかが気になる。こっちがアルカリ電池です、こっちがオキシライドですと質問する前に言ったとしたらお話にならない。

さらに、電圧が長時間使っても安定しているのが、オキシライドの売りらしい。というと、アルカリは長時間使うと電圧が安定しなくなると。するとだ、どちらも新品だったら両方とも電圧は安定しているわけだ。となると、使い始めは音質は変わらないが、長時間立つと音質の違いを感じるんだな。そこで、アンケートを考える。アンケートをするときは新品の乾電池使うだろう。すると、あんまり音質は変わらないんじゃないのか?まあ、2000人のアンケートだから使い終わるときに、聞いて判定した人もいるかもしれない。となると、そこの人たちはオキシライドに投票したかもしれないけれど、はじめの人たちは半分半分に投票してもおかしくないな。

まあ、パナソニックのサイトだけでは、いまいち信じれないわけです。自分で試してみたいな。でも、高いしなー。まあ、区別できるほど音にうるさいわけでもないし、まあいっか。どうせ、100円ショップの電池で聞いているわけだし。

オキシライドで聞く
オキシライドで聞くと音が違うのはなぜ?

音楽業界では電源が変わると音質が変わることが常識となっています。(多くのレコーディングスタジオでは電源にこだわり、いい音を追求しています)

例えば、一般家庭にある通常の100Vコンセントではクーラーや他の電気製品の影響を受け、電源が安定しません。そこで100Vの電圧が変動しないようにする安定化電源、さらには電圧を少しでも昇圧して使用する117V電源を設置するなど、電源に工夫を凝らしています。

赤:117V電源
黒:安定化電源100V
白:通常電源(電圧は変動し、不安定)

乾電池も同様の原理です。
オキシライド乾電池はアルカリ乾電池に比べ、初期電圧(1.7V)が高く、しかも長時間使ってもこの電圧が下がりにくいという特性があります。このアルカリを超えたパワーが再生時の音質に影響を与えるのです。

使用機種や条件によって音の差は異なりますが、実際にオキシライド乾電池とアルカリ乾電池を使って再生した音楽(※調査は、充電式電池をはずした状態で、乾電池の単独使用。また本体付属のインサイドホンではなく、別売りのステレオオーバーヘッドホンを使用しました。)を聞き比べてもらう実験を約2000名に対して行ったところ、約75%の人が音の違いを実感することができました。「音がクリアに聴こえる」「バックの音が出てくることで臨場感が高まる」「音のレンジが広がり、まるでエコーがかかったように聴こえる」というコメントが主流を占めました。(※国内外の音楽のプロ120名、音楽専門学校生82名、ノンプロ1765名に対して聴き比べ調査を実施)

http://national.jp/product/conveni/battery/oxyride/lab/music/kiku.html

December 25, 2004

過去を今生きる

世の中には過去を今生きる人々がいるのだ。

誰にもそのような面があるだろうが、すべてが過去を今生きている人もいるようだ。

今を今生きる人も、未来を今生きる人もいるように、過去を今生きている人々もいるのだろう。

過去を今生きる人々

過去を今生きる人々

世の中にはいろいろな社会がある。僕の知っているのがすべての社会ではない。それは、当たり前だが、日本にもたくさんある。そんな社会が。

別にそれを知るべきだとも思わないし、知らないなら知らないでもいい。でも、そんな社会に生きる人たちは、人間の原点となる問題を示してくれるのかもしれない。

今がない人、今が空っぽになっている人は過去を生きているのだろう。今生きているのだが過去を生きている。

天才の顔

なんか知らんが、賞をロナウジーニョという人がもらったらしい。

けっこう前見たときから、この人は天才だなと感じた。もちろん、練習とかも相当しているからこそ、認められるプレイヤーなんだろうということは承知しております。

テレビでちょっと見たことしかないけど、なんか天才かなと感じた。特に理由はないが、サッカーをしている映像とか、練習で戯れていたり、得点した後の行動を見てそう感じたんだと思う。


で、実際にあって、特に話さなくてもこの人は、とてつもない才能を持っていると感じることもある。それは何なんだろうね。何がそう感じさせるのだろうか。

たぶん、常識とはずれた(常軌を逸した)言動をするんだけど、そこに何かしら鋭さがあるのかなと思うが、これは何も言っていないに等しい。なんで、そう感じてしまうのか気になるところです。

December 24, 2004

コメントスパムは馬鹿がやることだ

コメントスパムは限りなくむかつくわけです。

MT3からはタイプキーとかで対策されている。あと、禁止IPとか海外からの書込み禁止などで対策している人もいるようだ。

まあ、それはいいのだが、最近のコメントスパムはひどすぎる。むかつくを通り越して、あきれた。

こんなにもコメントスパムを打つと、ブログを書いている人の気分を害してブログのエントリーをしなくなるぞ。そうしたら、彼らはコメントスパムもできなくなってしまう。コメントスパムを大量にやることによって、自らの首を絞めている。さらに、あまりにも同じコメントが多かったら、ブログについて詳しく知らない人でも怪しくてクリックしないし。

それに、ブロガーがコメント禁止にしてしまったら、コメントスパムできなくなる。限度を超えてコメントスパムを打つべきじゃないと、コメントスパムを打つ組織か個人に言ってあげたい。

適度に打つなら、知らない人が間違ってクリックするかもしれないけど、これだけ多く打つとまったくコメントスパムを打った意味がないと想う。悪いこと(?)も限度を超えると良くないよなぁ。悪いことはあまり派手にやらないことが鉄則です。派手にやった時点で、みんなが知ってしまうから対策が採られる。そうならないためにも節度を守って悪いこと≒コメントスパムを打ってくれ。

むやみやたらにやらないようにといってやりたい。

人間って、

何でもありっちゃ、なんでもありなんだよな。

どこまでいってもプライドはあるし、人よりも勝っていることを主張したがる。

現在が最低だったら、過去の栄光を語り、見栄を張る。

結局、人間ってなんなのだろう。

1386件

コメントスパム、昨夜は1386件。
ありえない、この数は。。。。

読まないといけないメールも、埋もれてしまってみる気をなくした。。。
こんな勢いで毎日来るのかなーー。

ああ、やってらんねー。

December 23, 2004

コメントスパム 635件

朝起きて、メールを見たら受信メール700件以上。

おかしいぞ。昨夜もメールチェックしたのでこんなにくるはずがない。それに、祝日だからメールの数は少ないはず。なぜだ、とおもったら、ブログへコメントが来たという確認メールが大量に着ていた。

まあ、僕のブログにはそんなにもコメントがくるはずがない。そうなんです、コメントスパムです。

20,30ぐらいのコメントスパムはよく来ていたけど、635件はないだろう。それも、一気に。勘弁してくれ。

いまだ、増え続けているのでいったい何件繰るのだろう。

もう、やめてけれ〜。

それにしても、コメントスパム打っても何の意味もないだろう。誰もクリックしないよ。(まあ、コストがかからず、クリックするやつがいるから成り立ってしまっているんだろうけど。。。)

December 22, 2004

学校という場は逆戻りできないがゆえ、はかない

今日は、今年最後の学校だった。
それ自体はたいしたことではないのだが、授業後図書館に行った。
階段を上り、2階の踊り場のようなところに行く。そこには新聞がおいてあるから。しかし、いつもほかの人が読んでいる場合が多い。それで、いつものように3階へ。3階にはソファーがあり、世界中の新聞と雑誌がおいてあるから。

そして、日経とHBRをさくっと読んでいた。
ふと、外を見る。と、何やら、この時間はもう二度と味わえないんだと思った。当たり前なんだけど、それで僕はこの今という時間を必死で忘れないでおこうと思った。そして、図書館から見える旧図書館や葉が黄色に色づいた木々を目に焼き付けようと努力した。努力したというか、なんかこの光景を覚えていたいと思い、そのようなことをしていた。

まったく同じではないが、明日もあさっても、半年後もこの感覚に似たものは味わえる。なぜなら学生だから。しかし、2年後にはこの感覚は味わえなくなっている。もっと言えば、卒業してしまえば一生味わえない。だからこそ、こんな日常もはかなく感じたのだと思います。

たぶん、なんでもない日常です。図書館で新聞を読み窓から外を見る。でも、この感覚をいつまでも味わいと思った。それは今の大学生という身分、今きている服、今の脳みそ、今読んでいる本、なにもかもを含めて、将来も感じたいと思った。

学校というものは、はかないものであると思ったのです。小学校にしろ、中学校にしろ、高校にしろ、大学にしろ。なぜなら基本的に逆戻りがないから。人間というものは小さい子供のころから学校というものに通い始める、そしてどんどん成長していくのです。学校という場を通して。そして、学び、学校から吸収できるものを吸収して巣立っていく。だから、高校から中学にいくということはないのです。たぶん、学校というのはそういうものです。だから、学校は逆戻りできなくて、はかないのです。だから、学校というのは寂しさが漂っているのです。

会社だったら、一回辞めてまた再入社という事はある、地元だって戻りたければ戻れる、NPOだってそうなんです。でも学校と名のつくところだけは違うみたいです。

学校だって戻りたければ戻れるが、学校は基本的に直線的に成長していく場であって、普通は再び戻るということはないのです。社会人大学院だって、卒業したら舞い戻ることなんてないんです。

別に、何が言いたいってわけではないけど、学校というものは卒業してしまえば逆戻りできないから、もうこの身分(学生)でここにたつことはないからこそ、はかないのだ。と、窓の外の旧図書館をみて思っただけです。

BGM the song of life ギターバージョン
    Instrumental - Kenny G - Amazing Grace

まともな人

養老さんの「まともな人」という本を読み始めた。

けっこう、ふむふむそうだなと言うところがある。細部では、なんか違うというところがあるが、まあ、なんと言うか、現代の社会一般の方向性に対してカウンターパートから書いてるから、あえて書いている部分があるからなんだろうけど。

まだ、読み終わっていないんですけど、おもしろいです。

不安と恐怖ってのが面白かった。
恐怖ってのは、何か恐怖の対象がある。
不安は、不安の対象がない。

その違いという書き方をしていた。
おお、今まであまり不安と恐怖を考えて使い分けてこなかったので納得。

不安は対象がないので、不安が不安を呼ぶ。不安のスパイラルが起こると書いてあった。これも面白かった。

欲望も一緒で、食欲は食べれば満たされる。再現がある。恐怖も恐怖の対象がなくなれば恐怖はなくなる。ある意味で有限なのである。しかし、金欲は欲望の欲望である。なんか、パソコンがほしいという欲望なら、パソコンを手に入れれば満たされる。これは有限。しかし、金欲は何かをほしいという、欲望である。欲望の欲望なのである。だから、際限がない。

うん、そういわれればそうかも。おもしろい、自分でもなんとなくこう思っていた感じはあるのだけれど、文字にしていなかった。さらっと文字でまとめられていると、おおっ、と思う。

December 21, 2004

二酸化炭素売買

ガイアの夜明け
「タダの空気が金になる」地球温暖化に商機あり▽カンボジア…南米チリ秘境の商人

丸紅 池島さん カンボジアで植林プロジェクトを手探りではじめる。
カンボジア 環境省に1万ヘクタール植林の許可を得る。 四国ほどの広さ。
クリーン開発メカニズム=途上国で持続可能な植林をすると、排出権獲得できる

46人の小さな村。モンドルキア。村長に挨拶。
村人には植林で働いてもらい、貨幣を稼いでもらう。
農民は一年で30,40ドルの収入。
3000人の雇用予定。=家族を含めると1万人。
ゴムの木、試験植林。中国で自動車の需要アップ=タイヤのゴム必要→ゴムの木。
300万トンの排出権取引の額に相当する予定。

@大阪 テイカへ営業
製造段階でどうしても二酸化炭素を排出してしまう会社。
炭素税は毎年かかり、商品の価格アップにつながるため、

@丸紅本社 未来の顧客へプレゼン
20社(2年で集めた。)

コスト
植林事業20億円
社会貢献15億円

排出権価格
1トン6.4ドル(市場価格6ドル)

市場価格より高いところに、ものいがついた。

ゴムの生育状況を確認に再びカンボジアへ。すると、日本企業が来るという話しがうわさで周り、地価が高騰すると予測して、土地の囲い込み。この状況ではプロジェクトを進められない。

囲い込みのくいを抜くように、州の副知事のもとに直談判。→くいは全部抜くと、取り付けた。

帰国→会議に呼ばれる。ビジネスとして成り立つか。
環境ビジネス委員会。プラント、エネルギーのエキスパートらがメンバー。→プロジェクトGOサイン。

苗付けから5ヶ月、ゴムの木は育っていた。

カンボジアの村の奥地に風力発電。投資回収を早めるために。さらに、村でも伝記が必要になるから。風力発電をおこない排出権を獲得。8万トン排出権獲得可能。
風力発電を学校につけて、電気がついた。

ビジネスにしないと環境を維持できない。これが現実。二酸化炭素は目に見えない。明日何かが起こるなら、対策するけど、100ね先だと対策しない。これは、仕方がない。でもビジネスにすると人はやる。これは、いいことだ。

商社マンって、まじで一人で奥地まで乗り込んで交渉して商売を作るのだな。なんか、バックパッカーじゃん。何でも食うし。商社も、儲からないビジネスやめて、彼らしかできないことをしたらもっと稼げるんじゃないかな。それに、ビジネスのプレゼンもして、営業もして、大変そうだな。

@南米チリ 三井物産、両祖さん
東京電力が排出権購入にうごきだす。アグロスーパー社と提携。200万トン、12億円相当を契約。
契約をまとめたのは三井物産。地理に駐在歴があり、スペイン語ぺらぺら、1年がかりにプロジェクト。
二酸化炭素を削減するのに、日本なら1トン2万円、チリなら500円。
アグロスーパー社は5つの養豚場をもっており、そのし尿からでるメタンがでる 
メタン 126ドル/トン CO2の21倍の価格

日本企業がこのメタンを獲得し、このメタンを削減することで日本企業の削減の代わりにする。大きな、ビニルバックのようなものにメタンをためる。

@フィリピン 200万人分のごみため場 
スカベンジャー=ごみから鉄などを探し、売って生計を立てる人
ごみため場からすカベンジャーが鉄を取っていくので、生ごみだけ残り、メタンがたくさん出る。
三菱証券 吉高さん
ごみのメタンを利用した発電所を作る。

年間8万トン、4800万円。村に、電気が通うようになる。
排出権=環境コスト
きれいな空気を吸うにはお金がかかる。

仕事

クローズアップ現代
変化する職場、変化する意識


会議が変われば会社が変わる

監視される社員たち 〜進む情報流出対策〜

派遣社員は製造業を変えるか

働く意味は何ですか

成果主義はどうであったか?
人間不信、信頼されていないかも。

あなたの”強み”はなんですか 〜中高年・再就職セミナー〜

マツダ復活〜技術者たちの挑戦〜

働く意味は何ですか

働くって何ですか〜広がる中高生の仕事体験〜

”働けない”若者たち

効率化+スピード→プレッシャー
部品のように使われている。

weak tiesらしい。前、おいらが言っていた、社外取締役ってのは weak ties(弱いつながりの仲間)と言うらしい。玄田東大助教授いわく。確かこの人は「働くということ」にも文章を書いていた気がする。

つぶしがきく会社、プロとしての能力を身につけられる、頭の切れが良い仲間、英語が身につけられる環境、責任と権限が与えられる会社

今年のキーワードは「仕事」「アメリカ」らしい。ってことで、明日は「アメリカ」みたい。

なんか良くわからないけれど。

なんか良くわからないけれど。

しゃべっている時は、頭が働いているように感じない。
しかし、自分が今まで考えていなかったような新しいアイデアが出ることがある。
頭が働いているように感じないが、しゃべることによって脳が一番活性化されるとも聞く。
不思議なもんだ。


なんか良くわからないけれど。
何かを見たり、うれしい気持ちや悲しい気持ちになると、それにあった歌詞の歌が自然と出てきて口ずさんでいる。頭で考えて引き出してきたわけではないけれど、自然とその時にあった歌が口から出てくる。
自分では意識していないけれども、脳の中ではつながっているのだろうか。

なんか良くわからないけれど、前から「星の王子様」を読みたい。
この冬に読もうと思う。

旅にでたら、そこには空っぽだった

ああ、もうすぐ冬休み。空っぽな旅に出ようかな
どッかに行ってこようと思う。
久しぶりに18切符でぶらっとしてこようと思う。

冬の東北なぞに行ってみるのもいい。白神山地とか、田沢湖とか。でも人が多そうなので、特に行き場所を決めずに行くのもいいかな。田んぼの田舎道をぶらぶら歩いてみたい。

18切符のフレーズでいいものをピックアップ。


「通過しない。立ち止まって記憶する。そんな旅です。」
2000年春
 
「『早く着くこと』よりも、大切にしたいことのある人に。」
2000年夏

「たまには道草ばっかりしてみる。」
2001年春

「なんでだろう、涙が出た。」
2001年冬

「自分の部屋で、人生なんて考えられるか?」
2002年夏

「この旅が いまの僕である」
2003年春

2004年という年は何であったか。

出来事で振り返る。

1月、成人式があった。ああ、成人式は防衛大の友達と意気投合したな。他の誰とも話した記憶がない。2月引越しをした。東京都民とやらになった。ここに引っ越したことがこの年の後半に大きな意味を持つとは考えもしなかった。ドメインをとったりなんかもした。4月、東京にいる岐阜の人たち(G-net)と関わり始める。そんでもって、この頃はソーシャルネットワークなどが盛り上がり始めIT屋さんの集まりに顔を出していた。

5月、初めて山登りをした。三頭山という山だった。実に新緑が綺麗だった記憶がある。ありとあらゆるところに顔を出していた気がする。良く動いていたな。

6月はソフトバンクの株主総会に行ってみたりした。さらに、今年は岐阜へも良く帰った。なんだかんだで10回ぐらい帰った気がする。

7月は「たびそら」「飛ぶ夢を見た」という写真に感動した。そして、7月25日には時間は取り戻せないことを知った。

8月の頭は毎年のようにディベート甲子園で時が過ぎ、岐阜の花火を偶然にも土手から見れた。かなり感動した。そして、グロービスの堀さんにお会いし、鼓舞された。そして、会津にも行った。そして岐阜でのイベントをやった。教育と地域に関しての。そして時は一瞬のうちに過ぎ去っていった。インドのビザを取り、いつの間にかインドにいた。そしてネパールへと行き、またインドに戻ってきた。案の定帰国して体調を崩した。その間に友達がフランスへ行った。そして、

10月。上野の芸大に通い始めた。とてつもなく面白かった。ワクワクした。後半はこの授業のおかげで日々楽しかった。11月には三田祭があった。そして、12月黒服行事が多い。そんな感じだった。

感じたことで振り返る。


今年の目標で振り返る。

December 20, 2004

情熱とプロ

このブログを読みに来ている変な人たちに、僕が情熱大陸を愛してやまないことは説明するまでもないだろう。

で、今日も見てさっきエントリーを書いたのだが、ウェブを見に行ってまたなんかメモりたくなった。ウェブサイトには「読む情熱大陸」というコンテンツがある。これは重松清という作家さんが月に一回書いている。いつもなかなか面白く読んでいる。

少し話がずれるが、この重松清と言う人の文章は僕にはさらっと入ってくる。僕になじむ文章を書く人だ。簡単に言えば、この人の文章は好きだ。僕は小説とかを全くといっていいほど読まない人間である。でも、ブックオフで1年以上前に買った「ビタミンF」という重松さんの本を秋ぐらいに読んだ。すると、なんか良かった。短編だったり、言葉遣いが現代語だから読みやすかったからなのか、文章のつくりが僕の脳が言葉を作るつくりと同じだったかはさだかではないが。まあ、内容もなんかほのぼのというか、現代の社会問題を書きながらも、えも言えぬ気持ちにさせてくれる本だった。

僕は情熱大陸が好きである、でもって重松さんの文章も好きである。重松さんは情熱大陸のウェブで連載を持っている。この連載は情熱大陸の製作側から依頼が重松さんにいったから書いているのであろう。なぜ重松さんに依頼にいったか考えると、情熱大陸を作っている人が重松さんの文章のことを好きだからか、情熱大陸を見ている人が重松さんを好きな傾向にあるか、重松さんが人間に迫った文章を得意とするからか、そのへんだろう。そう考えると、情熱大陸好き≒重松さん好きとなる構図が見えてくる。なにやら、両社を好きになる理由があるのか?両社には何か共通点があるのかなと考えてみたりする。

で、まあ、重松さんが書いている読む情熱大陸も好きということです。

そこに、あったプロという言葉が気になった。プロって言うとそのことを仕事にして、飯を食っている人というのが僕の中でプロだった。曖昧な定義ではプロかどうかの判別が不可能になるが、この定義なら比較的わかりやすいと思っていた。でも、しっくりきていなかった。なんか、そっけなくって。下の文章を読んで、いいなぁとおもった。「自分の足で世界に立ち、勝敗に関わらず戦いの場から去らないこと」これが、重松さんの定義なのだろう。なかなかかっちょいい定義だな。

自分でもプロとは何たるかを考えると、それでメシを食っているかってことと、責任をもてるかどうかかなと思った。表面的な責任じゃなくって、本当に責任をもつということは、自分が納得してやり、最大限のことをしなければ責任を持ったことにならない。とすると、責任を持つことはプロの証なのかなと。

まあ、どれも月並みッチャ月並みだな。そんなの知るかー。


 単身ヨーロッパに渡り、フランスの一部リーグで活躍する田場さんは、敗戦後のロッカールームで泣いた。負けた悔しさを噛みしめ、思い通りにプレイできなかった自分を責めながら、人目もはばからず涙を流した。
 恥ずかしくはない、と田場さんは言い切った。いままで自分は何度も負けてきて、何度も悔し涙を流してきて、だからこそいまの自分がここにいるのだから――と。
 一方、日本とマウイ島の往復をつづける佐藤さんは、物心両面での夫のサポートについて語るときに、泣いた。そして、番組のエンディングでも泣いた。歴史ある大会アロハ・クラシックで優勝したときの挨拶で、その喜び以上にウインドサーフィンの聖地ホキイパへの愛を語ったときに、また、笑い顔で声を詰まらせたのだった。

中略

やっぱり、涙、なのだ。そして、その涙をカラッと乾かしてくれる笑顔、なのだ。

中略

いわば、二人とも、なにかに頼ったりもたれかかったりすることなく、自分の足で世界に立っている――それこそが〃プロ〃の定義なのだとぼくは思っているし、そのバックボーンがあるからこそ、二人は素直に笑い、また素直に泣くことができるのだ。

中略

アマチュアなら一度の栄冠の記憶をいつまでも抱いていられる。敗北とともに戦場を去ることもできる。だが、〃プロ〃は違う。勝ちと負けを繰り返しながら戦いつづけること――戦いの場から去らないことが、〃プロ〃の証なのだから。

http://mbs.jp/jyonetsu/yomu/index.html


BGM Desperado Eagles

December 19, 2004

-情熱大陸-師匠とは

心の底から自分の師匠といえる人に出会ってみたい。

今日、情熱大陸を見た。荒木水都弘というすし職人の方を取り上げていた。身を粉にして極めるタイプで、まじめで、不器用そうな人っぽかった。でも、僕はこういう人が好きだ。

この人は4年前に独立したらしいが、それまでの師匠が店に久しぶりに来るシーンをやっていた。師匠は小林秀雄さんや現在の天皇陛下にもすしを握ったことがある人らしい。彼はその店で修行して、師匠が病気を期に職人を辞めるときに玉子焼きの鍋をもらったそうだ。コレをもらったという事は、師匠はこの弟子に期待をしていたということであろう。そして、今は常に予約でいっぱいの人気すし屋になっている。

そんなところに、師匠はすしを食いにきた。師匠はすしを見た瞬間に語り始めた。お金をとらないならばこのすしでもいいが、取っこのすしではだめだ。きり方がなってないというようなことを言っていた。寿司のネタにとって切り方は命なのであろう。

絵を書く人にとっては、一本の線がそこにある、そこでしかダメな場所があるみたいだ。腑に落ちるというか、まさにそこに一本の線がある、あるべくしてある。そんな感じみたいだ。僕にはまだわからないが、いろいろ見ていくうちにわかるのだろうか。これは、文章を書く人にとっては、単語一つ一つ。文章の繋がりがまさに、絵で言う一本の線であろう。音楽家であれば、その音が、その長さで、その時に流れるからこそ、しっくりくるのであろう。これらのことは、ビジネスとかにも通じる部分があるのかなとも思った。


話を戻す。その番組を見て師匠って人に出会ったことがないと思った。師匠というものがすべてではないと思う。すべて正しいわけではないと思う。しかし、師匠という人と出会いたいなと思う。なぜかはわからないが、現代人的言葉で言えばロールモデルになるというのか、メンターもかねているというのか。でも、カタカナを使うとバカっぽいのでやめよう。安っぽすぎる。多分、師匠ってそう簡単には出会えない人だと思う。心の底から師匠って思える人には、全員が全員出会えるものではないと思う。

単なる尊敬する人とは違う、もっと身近なんだけど本当に尊敬できて、自分がその人に意思を伝えて、弟子のことを愛し、本当に弟子のことを思い育ててくれる。そんな感じだと思うのだが、僕は師匠といえる人とはまだであったことがなく、どんなものなのかはわからない。

たぶん、一つのことに没頭して極める段階において師匠に出会うのだろうと思う。自分の生きる道がある程度決まり、吾人の任務的なものが書け、それでその道を極める過程において出会えたら最高だと思う。

そういえば、昔こんなことを書いたことを思い出した。

何事も奥深く。はじめはミーハーなやつも多いが最後には本物を理解できるやつしかいなくなる。2002/11/20
(本質を理解している人たち同士だったら面白いなということを書きたかった。)

僕は、いろいろなことに興味があり、さまざまなことをしてきたと思う。それ自体は自分の考えの下であり正しいと思っている。しかし、もう少し社会を見て、自分が進む道を見つけたら、(その道はある特定のことでもいいし、いろいろなことに興味がある今の状態の延長上のことかもしれない)、師匠という人に会いたい。自分に素直に、情熱を持って取り組めば自然と師匠に出会えるのかもしれない。それは、実際にいる人ではなくても、本かもしれないし、何かもっと他のものであるのかもしれない。


また、使えないログ

荒木水都弘-情熱大陸-

気の短い江戸っ子のファーストフード(すし)は文化になった。
荒木水都弘--あら輝--

こうでなければ気がすまない。そのようなものあある。
とにかく考えている。選び抜かれたネタ。さりげないが
今が旬って言われるのは最悪、今が最高ってことだから。

話がすしになったら負けず嫌い。

不器用なほどまじめ。

すべてを自分でやらないと気がすまない。

すしを握るということは自分を握るということ。

一律1万五千円

全身全霊必死に自分を追い込んできた、今時分のすしはどうなのか?

師匠は物静かだが、まなざしは鋭かった。

一流を追うものだけに見える、地獄が有る。

やると思いますよ、やるんですよ、ずうっと。

イチロー

何ヶ月か前にイチローが大リーグ記録を更新した。

あの時は、テレビを食い入るように見ていた。
とてもエキサイティングで、心の底から、体の底からワクワクした。感動していた。サブいぼが出来た。

で、最近年末で一年を振り返る映像が流れる。すると、当たり前だがイチローのあの記録達成のシーンが流れる。

すると、あの感覚が少しよみがえる。ゾクっとする。たまんないねー。

夢とイメージと体で覚える

昨日も夢を見ました。

なんか、すごい高いところにある、すごい長いつり橋を渡っていました。アルミのような金属で作られていました。風で橋が揺れたり、僕以外にも数人渡っていました。が、その人の中の数人はバンジージャンプをするのか自殺をするのか知りませんが、飛び降りるようなしぐさでした。その人たちが邪魔で、通り過ぎる時に怖かった印象があります。手に汗をかいて、そんでもって欄干を手でつかみながら歩いていたので、滑ってこわかった。そうするうちに、陸というか、山に付いた。そうしたら、そこで僕の知り合いが宴会をしていた。なんだ?と思った所で起きた。

たぶん、フランスで世界で一番高いところにごっつい長い橋が出来たというニュースがもとでこの夢を見たんだと思う。

また、夢の話なんですが、夢ってカラフルで立体的である。でも、自分の意思で夢レベルのイメージをしようと思ったら無理である。少なくとも僕は無理である。ということは、自分の意思では動かせない、脳の作用があるのだ。そりゃたくさんありそうだ。それが顕著に現れるのが、夢レベルのイメージなんだろう。自分の意思では動かせない細胞か仕組みか組織があって、そいつは何らかの影響を受けて動くわけだ。ということは、その何らかの影響をどのように引き起こすかがわかれば、自分の意思で夢レベルのイメージや何なりを再現できると。

ふむふむ、そうすると、夢レベルのイメージを創造できる人がいてもおかしくないわけだ。何かしらの方法で、夢レベルのイメージを想像する方法を取得した人なら。

ちょっと、まてよ。実は俺だけが、夢レベルのイメージを自分の意思で作り上げれないだけで、他のほとんどの人が、カラフルで現実そっくりなイメージを作り上げているのかもしれない。とすると、俺が感覚的に使っている想像という言葉とはまったく違った質感を想像という言葉にたいして抱いているわけだなぁ。

って、そんな人いるのか?

過去の関連エントリー「見る」
関連エントリー「夢」

で、話は変わる。
また、真っ暗にして風呂に入った。いつものようにだいたい感覚的にはシャワーの蛇口がどこにあるかとか、シャンプーがどこにあるかはわかる。それはいつも使っていて、配置が脳の中に作られているからだろう。で、ふと思う。自分の体なら毎日一緒だし(当たり前)、毎日自分の意思で使っている。真っ暗でも、自分の目や足の指なら正確に探せる(触れる)のではないか?と。で、やってみる。すると、ピンポイントで触れる。目だろうと、足の親指の爪だろうと。

感覚的に覚えているのだろう。体で覚えるとか、そんな感じ。視覚的に覚えているのではない。多分脳で高度な処理をせずに、慣れによってわかるようになっている。

この前思ったのだが、脳は楽をしたがるというか習慣化をしたがる。というのも、脳は高度なことや新しく臨機応変に対応しなければならないことにしか使われない。というか、使わない。簡単なことも脳で処理していたら、やることが多すぎて脳がパンクしそう。で、習慣化するなどして、日常的なことは脳を使わなくよくして、どんなことにも考えて対応できる脳は、新しく高度なことだけするのだろう。

って、コレ当たり前だよな。というか、思っていたことがうまく文章になっていないから、何も伝わらないだろう。まあ、いいや。本を読んで知るよりも自分の経験からこうだと思ったほうが現実味があるし、自分の中によく残るから。

ふと思い出す。コレはボディイメージの一種じゃないか?と。違うか?

December 18, 2004

トルコ

世界不思議発見はトルコだー   有線大賞ではハナミズキだ、明日の夜の用事がなくなったのでまったり見よう



一年たって、また一年

今年も終わるみたいだ。

早いのか遅いのか。
今年もいろいろあったなぁ。
いろいろあるのが人生で、とらえ方によっては奇跡の連続なんだよなー。

今年を振り返るのに、ブログと手帳はありがたい。手帳は具体的に何があったのかが書かれている。ああ、こんなところに行ったなとか。ブログ(僕の場合)はその時に何を感じたかを書いてある。振り返るのには最高なツールであると思う。


そういえば、アンケートで社長ブログを読みたいという人が4割(このアンケートの質問からここで、用いることは適切ではないですが。。。まあ、いいや)とあったが、へぇ思った。俺に言わせれば、某有名社長ブログなんて、その人の一日で公表できる部分を書いているだけ。どこでメシ食ったとか、誰にあったとか。そんなこと知りたくもないです。究極にどうでもいい。まあ、アフィリエイトで微妙に稼いだり、サイト集客だったりが目的で書いているんだろうけど。

有名な飯屋で食ったとか、ブランド物を持っているとかって、アピールする人の気持ちがどうも理解できない。だって、有名な飯屋の権威や、ブランド物の社会的地位を利用して、自分もそれによってすごく見られたいとかそう思っているんでしょ?金持ってるっていいたいんですか?それは、本当は金無駄遣いしていますとか、物の価値を見極める能力がありませんといっていることだと思うんです。

ルイビトンですか?よくわからないんですけど、あんなもの良く持って、待ち歩けますねー。僕なら恥ずかしくて、恥ずかしくて町を歩けないですよ。安っぽい人間ですよって顔に書いて町を歩いているのと一緒なんですよ。ルイビトンのかばんを持つくらいなら、Tシャツに「ルイビトン」って習字で書いて町を歩いた方がどれだけ、かっこいいかわからない。いや、本当にそう思うよ。

なんか、「ルイビトン」「グッチ」「プラダ」とか書いたカバンとかシャツとかを着て、10人とか20人とかで町を歩きたいねー。なんか面白そう。

自分に中身がないから、ブランド物とかでだましてるんでしょ。ああ、マジでそれは意味不明だ。

そんなの、どうでもいいや。持ちたい人はかってに持てばいいんだし。基本的に十人十色主義なので、どんな人がいてもいいし。

そんなことより、今年一年を振り返り、来年のテーマを設定しよう。

ああ、高校の文化祭のテーマは本当に意味がないといい続けて、潰してやろうかと本気で思っていた。
だって、生徒会のやつらが、自分たちは生徒会だみたいな特権意識をもって、無駄に時間をかけて文化祭のテーマを決める。無駄に時間をかけていかにも仕事をしたように見せかける。で、テーマなんか決まっても、誰も気にしない。そのテーマにそって出し物をするわけでもない。ああ、本当に文化祭のテーマは意味がない。

それ級に僕の一年のテーマが意味ないかもしれないが、たまにそれを思い出したりするのでちょいとは意味があるかな。まあ、すべての行動にそのテーマが染み出ているよな。

ああ、なんて天邪鬼。
まっすぐものが見れないのかな。斜に構えるというのか。

今度、今年の、記憶に残っているものベスト10とかやってふりかえってみよっかなぁ。

今日のエントリーも話が激しくとんだなぁ。

December 17, 2004

生きているということは奇跡の連続なんだよな

生きているということは奇跡の連続なんだよな、と思ってみる。

まあ、コレは考え方次第なわけですが。


体と心の底から吐き出したい気持ちでもあります。

具体的に何をとかいうわけではないですが。

December 16, 2004

夏だぁーーー

某氏が日本の夏が良いと書いていた。

私も夏が好きだ。

おまえ、冬だから夏が良いといって、夏になったら冬がいいというのだろう。
ないものねだりだろ!と突っ込まれることがある。

いや、違う。
夏でも夏がいいという。

だって、服が薄っぺらくていいし、洗濯乾くし、海とかプールいけるし、ギラギラした感じがパワーをくれるし、小学生の頃の夏の感覚を呼び覚ましてくれるし。

子どもには夏休みなんてものがあって、さらにたまんない。

なんていったって、夏だぜ、暑いぜ、カマキリリュウジですから。
(小学校の国語の教科書に載っていたはず)

December 14, 2004

来年フルマラソン走ります!?

お前、次は何を言い出したのだ?

っていわれそうですが、なんかフルマラソンを走りたくなった。

相当辛くて、鍛えていないと観想できないのは知っています。
僕が考えているないほど甘くはなさそうです。

とりあえず、フルマラソンの大会がどこでやっているのかを調べて、それまでにどんなトレーニングをすれば良いかを考えないとなぁ。

夢がない人は地位に固執します

夢がない人は地位に固執します

って、書いてあった。
プレジデントの2004年8月2号 ウェザーニュース社長 石橋博良さん

いや、コレには衝撃食らったね。
言っていることは当たり前なんだけど、この表現と、人の心理の本質をさらっと言い抜いた言葉に。
まじ、衝撃食らったね。

人生考えさせられますよ。

「夢がない人は地位に固執する」
いやあ、そこらへんの安っぽい本を10冊読むよりも、この一言には価値があるね。

プレジデントなんか読む予定ではなかったが、HBSRを他の人が呼んでいて読めなかったので、偶然とった今年の夏のプレジデント。偶然の出会いです。セレンディピティか?って、そればっかだな。

そういえば、昔、こんなようなことを書いたな。
ある物事が起こったとする。そのことを期待していた場合は、喜びとか衝撃が、期待というものを基準に決まる。あらかじめ期待していると、頭の中でどうなるか予想しているということなので、衝撃度が小さくなる場合が多い。
一方で、期待していなかった場合は、想像もしていないことが起こり衝撃が大きい。喜びも大きい。予期していないことが起こると、期待してきた時よりも感じ方が大きいのだ。これは、人が隠れていていきなり驚かされた時と基本的に同じなのだと思う。

ということで、何も期待していなくてプレジデントのこの言葉に会えたので、衝撃が大きかったです。

昨日書いた「人生の座標軸」をさっそく読み終わりました。

吾人の任務と比べれば、読み応えはないですが、やはりこの方は本物だと思います。
芯があります。
ちやほやされている、IT経営者とは違うものを感じます。

BGM なしです

どうも早口らしい

僕はどうも早口らしい。

前々からいわれていた、普段も早口だが、興奮すると3倍速になるともいわれていた。

だが、あまり気にしていなかったが、やはり早口すぎると相手に伝わらないかもしれない。ということで、話し方とかについて考えてみようかと思う。

December 13, 2004

堀さんの出版記念パーティで、思わぬ方々と。

今日はグロービスの堀さんの出版記念パーティー。

人生の座標軸」という本です。

前著の「吾人の任務」を読んで、堀さんに惚れて、以前に講演会に行った。そして、さらに堀さんを尊敬していた僕は、出版記念パーティのメールが来た瞬間に行くことを決めました。

吾人の任務との出会いと前回の堀さん講演会の様子はここです。

前回と同様、麹町駅で降りてグロービス本社へ。そういえば、数日前も麹町に来たなと思う。某コンサル会社の人に焼肉をおごってもらって情報交換をした。そんなことを思いながら、心脳問題の講義をMP3プレイヤーで聴きながら歩いていった。すると、あのグロービス本社が。今日気が付いたのだが、この本社、住友系列のビルなのです。住友って、住友商事の住友じゃないですか。堀さんは住友商事出身。こんなところまでつながるのか?とか思いながら、中へ。

受付を終えて新著をいただいて、席に着く。そして、堀さんの話が始まった。正直30分は短かった。それに、本に書いてあることをそのままさらっと流しただけ。まあ、出版記念なんだから仕方がないかもしれないが。そんでもって、本もいつものコラムがたくさん載っている。それにもちょっとショック。まあ、本質的な問題ではないからイイのだが。

でも、話の隅々に堀さんの信念を感じた。

で、すぐ懇親会に。いつものように、ドリンクとベーグルベーグルのベーグルがあった。けっこう、うまかった。このベーグルベーグルはグロービスを卒業した人が作った会社で、グロービスも投資している会社らしい。そんでもって近々上場するみたい。そんな感じで、乾杯。

すると、誰かが僕に声をかけてくる。ここには社会人しかいない。学生が多い場所ならわかるが誰かなと思う。すると、あのあのWillSeed社長の船橋力さんでした。もう、驚きですよ。船橋さんとは岐阜のイベントの時にお話していました。というか、自分たちがやったイベントでした。そんでもって、岐阜駅から会場までタクシーで僕がお送りしたし、鵜飼や夜の飲みもご一緒してくださったので覚えていてくださったみたい。そして、岐阜の話を少しする。そして、ベーグルを食べながら、ビールを飲むと、また見た顔が。ななんと、フランソワです。彼は、作曲家・マリンバ奏者のフランス人。何で知っているかというと、慶應のキャリアなんちゃらという授業をしていて習っていました。そして、僕から話しかけた。彼は今、慶應では教えていなくて、アカデミーヒルズとかで一橋の米倉先生と授業をしたりしているみたい。この、一橋の米倉さんは、僕が高校の頃、サイバーエージェントの藤田さんと米倉さんの対談を聞きにいった時にお会いしている。ついでに、米倉先生と親しいらしいクララの家本さんとも土曜日に少しお会いした。話がそれたが、フランソワはグロービスの堀さんとも仕事をしているみたい。

で、フランソワには自分の道を踏み外さずにここで会えてうれしいといわれた。で、アシスタントの方とも話していたら、ちょいといろいろな人を紹介してもらえる話になった。楽しみだ。

そこに、船橋さんがいらっしゃったので、フランソワを船橋さんにご紹介する。お二方は意気投合したらしく、フランソワの次回の講義に船橋さんが参加する運びとなった。さらに、フランソワはウィルシードの授業を見に行くことになった。なんとスゴイ話。そこに、堀さん登場。船橋さんと堀さんは経営者同士仲がよいみたい。堀さんも船橋さんもダボス会議のアジアのニューリーダーに選ばれていて、YEOのメンバーという信念のある経営者の方です。堀さんとフランソワも。僕も堀さんと以前お会いしている。このメンバーすごすぎです。知っている人が見たら、ションべんちびります。堀さんは日本のプライベートなMBAのトップ。船橋さんは小学校とかの教育に関してはトップ。フランソワは心の面からキャリアを語るトップ。それに、みなさん信念がある。それを貫いて生きている方だ。それが僕をまた興奮させる。で、フランソワが堀さんに僕の授業を受けていた生徒だと紹介してくださった。

ああ、楽しかった。また気合が入ったな。出版の講演がちょいと期待はずれだったけど今回は懇親会で楽しめた。

これって、セレンディピティか?いや、セレンディピティってもっと抽象的なことなのか?

大学関係で知っていたフランソワ、岐阜関係で船橋さん、自分で勝手に行ったグロービスでお話した堀さん。全員ばらばらで知っている。でも、偶然、つながった。偶然今日再会した。そして、面白い話が出来た。偶然に幸運をひきつけたのか?それは、僕があるポリシーをもって行動をしていて、あった場所はどこであれ、その方たちには共通点があり、その方たち同士でもつながっていたと。まあ、偶然な幸運であってことには違いないな。


BGM 糸 bank band 
    サリーガーデンズ 伝説のイエイッツの詩が歌になったもの
    the song of life
 
出版記念パーティ記念講演ログ

コラムで恥ずかしながら、個人に関することを書き始めた。するといつもと違う人からの反響があった。そこで、自分の立場(経営者、父親、日本人など)によってギャップがあることを実感し、分類する必要を感じた。そして、今回の本が出来た。

吾人の任務という本を出した時、タイトルをどうしても吾人の任務にしたかったが、出版者が変えろといってきた。でも変えたくなかったので、売れ残ったら買い取ると契約して出版したらしい。かっこいい。
(ソニーの盛田さんが、トランジスタラジオをアメリカに売り込みに行った時、ソニーという名前じゃなくして売るなら何十万台買ってもいいといわれ、あなたの会社も設立した時は小さく名もない会社であったはずだ。ワタシの会社も今その時期なのだ。というような話をして契約しなかった話を思い出した。)

やりたいことを明確にして、ある期間一つのことに集中する。そうした方が何かを習得するには効率が良い。その間、犠牲にするものがあってもしょうがない。人生という長い期間でバランスをとればよい。

頭で感じるよりも、心で感じることが重要。ハーバードMBA留学中に頭で考え、得だから、効率がよいからやるべきだとしていたが、それでは面白みに書け、ワクワク出来ないことが多い。それでは、やっている意味がないと感じた。自分の感情をキャッチして、それを増幅する。自分に素直に生きる喜びがある。(決して論理的に全く考えないわけではない)

人間の頭には無限の可能性がある。ボトルネックは時間だ。時間配分のバランスを気をつける。心を開放して、頭ではフォーカスした方法論などを用いる。

家族人としては、ファミリープランをつくる。会社の事業計画のようなもの。ポイントは理念、哲学、教育ポリシーだ。教育ポリシーは「生命力」生き抜く力。ああ、大前研一さん梅田望夫さんのサバイブって話ともにているなぁ。

組織人としては
・良い仲間
・やりがいのある仕事
・最大限能力を発揮する喜び
・社会貢献を実感できる
・やった分だけの成果がある

キャリアコミュニティ論

ふたご座流星群

なんで、アクセスが多いのかと思ったら、ふたご座流星群で着ていらっしゃるみたいです。

でも、トップにはその記事がないので、以前の記事へリンクを貼っておきます。

ふたご座流星群は見たらまたなんか書きます。

世界を駆けるヒーロー達

あまりにも使えないログです。
まあ、いいや。

「己を信ずること」って、確か中学2年生の時の国語の授業で、僕がみんなの前でいった気がする。その時から、この言葉は自分の基礎を成しているわけです。

今日出てきた人も、自らの信念を持ち、貫き通しているなと実感。

気になった言葉をピックアップ。

・世界中の中でも厳しいリーグだが、自分で選んだ好きな道だから苦しいとは思わない。
・最高のプレイヤーであるために惜しみない努力を続ける。一切の妥協をしない。
・一度自分の道を決めたら、その道を進むべきだ。
・リスクはあるが、孤立することで、アイデンティティが確立する。そうするには、自分が強くなければならない。初めは批判もされる。でも、最後には勝つ。
・主義をつらぬき通せば最後には報われる。
・自分のやり方を貫き通す。自分の芯を持って、最後まで遣り通す人間でありたい。

・舞台を見れば、僕自身がわかる。あえて、語る必要はない。

・すべてを受け入れれば自然に表現できる

・日本人は美意識、自然と共に生きてきたから持っている美意識がある。


以下メモです。

世界を駆けるヒーロー達 日本テレビ 2004年12月13日

自分が何者であるかを確かめるために海を渡ったものの物語である。

中田英寿

凝り固まった現状から抜け出そう、
希望の新たな未来への一歩

フィレンチェ 偉大なる才能を引き寄せた、 ルネサンス

思想美術文学、

世界に広がり文明の基礎を作った

自分の中に芯を持って、それをやりぬく人生を送りたい

カターニャ空港

世界に出て感じたこと考えたこと

一番面白いのも大事なことも人との出会い。世界中の人と知り合いになることは目標でもあり、楽しみでもある

ケニア、モスクワ、ドバイ

人一倍強い好奇心、見知らぬ世界に飛び込んでいく。

今だから、日本の国を知りたいと思う。文化も言葉も食事も。
全く知らなかったなと気づかされることが多い。

21歳でセリエAに移籍

世界中の中でも厳しいリーグだが、自分で選んだ好きな道だから苦しいとは思わない。

サッカーは芸術だ

芸術は世界の共通言語

国際人としての新たな一歩

最高のプレイヤーであるために惜しみない努力を続ける

ピッチ上の芸術家であるからこそ、現在の地位になれた。だからこそ、一切の妥協をしない。

サッカーとは?・・・・現時点では、いい結果が出せることは生活がうれしくなる。そういう気分になれる。現時点では一番自分の大きな部分。人生の中にはサッカー以外にもいろいろなことがあり、サッカーが人生のすべてではない。


メディアと一定の距離を置くようになった。自分を伝えることにも考えを持っている。

98年に自らのページを持った。自分の意見を、誰からも干渉されずに言える場が必要だ。
この世の中は情報が氾濫している。何が本当で何が嘘か。出来るだけ情報がしっかり伝わるものが重要。

自分がホストを勤めるテレビ番組もある。

休日、あるブティックにて。

服へのこだわり。自分の気に入った格好をしていると、気分が良くなる。自分にフィットしていない時は気分が良くない。誰かに見せるより、自分の気持ちを高めるために。

HEROである条件。 優雅さ、ダイナミックさ。

一期一会 人は出会う、森の緑、風のにおい、町のざわめき 

21歳の時はおぼこかった、言葉もつたなかった。髪形も見かけも。言葉も、中身も。
人間って6年で全く代わるな。イタリア語も話せるようになってるし。

ペルージャに行く道はけっこう、印象深い。

ペルージャには懐かしい家族が待っている。久々似合うイタリアの家族。
夫がなくなったときに、中田が来た。
かけがえのない存在、暗闇から抜け出す助けをしてくれた。困った時は、電話してくれたり、会いに来てくれたり、日本に連れて行ってくれたり。


かけがえのない家族と過ごす日々。

(本当にスゴイ人って、人を地位とか見せ掛けの肩書きとかで、接し方に差をつけないな。スゴイもんだぁ。心のそこから、思っている人には誰であれ、大切にするんだ。)

ジョルジオ・アルマーニ 70歳
自分でゼロからはじめてここまでなった。知識と経験があるのでそれを知るのが楽しみ、どういう考えを持っているのか。アジアのどこに影響を受けたのか。

人見知りでめったに取材を受けない
@ミラノ

家は東洋的な視点で作る。東洋に絵にはムーだがある。
6年イタリアに住んで、

想像力を必要とする、毎日の生活が重要
どのように自分が行きたいか。

一度自分の道を決めたら、その道を進むべきだ。

リスクはあるが、孤立することで、アイデンティティが確立する。

そうするには、自分が強くなければならない。初めは批判もされる。でも、最後には勝つ。

主義をつらぬき通せば最後には報われる。

フォンテベッキオ 美術館
15世紀のフィレン ヴぁさリー回廊 特別に許された人しか入れない。

ルネサンスは古いけど、僕にとっては新しい。

知らないということは可能性を狭めている。

瀬絵会で何を学んだか。
自分のやり方を貫き通す。自分の芯を持って、最後まで遣り通す人間でありたい。


首藤康之 37歳

舞台を見れば、僕自身がわかる。あえて、語る必要はない。

19歳で主役デビュー

21歳 モーリス。ベジャールの指名を受ける。

ボレロで世界に認められる。

ロンドン 東京バレー団を対談し、今年4月ロンドンへ。

成熟する人生そのものを表現したい。
来年2月にスワンレイクを上演。スワンと王子を演技した初めての人物

国境は大きなことではない。何かしたい場所へ行くだけ。

肉体を鍛え、精神を鍛え、自らの内なるものと対話する。


松坂大輔

2004年10月1日 イチローに世界が注目
世界最多安打258本ヒットの日

この日に使ったボールをイチローから松坂大輔に送った。

メジャーとは
回りが出来ないことを常に自分が一番最初にやってやろう。
世界とは何かを自分の互換で感じ取る日を。


渡辺謙
その大陸は人生をかけるに値する魅力に満ちている。
しかし、大陸には常に厳しい現実が待ち構えている。約束の大地 アメリカ

ラストサムライ
アカデミー賞のまばゆい光の中にいた。

ロサンゼルス 映画産業の華やかさと冷酷さを併せ持つ町

マコ岩松 半世紀も前に海を渡り、助演男優賞ノミネート パールハーバー、セブンイヤーズインチベット

映画の中に生活があるのか、生活の中に映画があるのか。

ガツーと来る言葉の積み重ね。それが人間を作る。

迷いの根源。映画制作に関わるジレンマ
→初めは言葉の問題。しかし、撮影が始まれば問題ないとわかった。映画語があると思った。

すべてを受け入れれば自然に表現できる

安藤忠雄 大阪

原点、大阪の下町、公園と夜空があった。

自然との付き合い方、命あるものとの、年齢が違う人との付き合い方を学んだ。

テキサス フォートワース美術館
近つ飛鳥美術館

日本人だから世界に認められた。日本人は美意識、自然と共に生きてきたから持っている美意識がある。

誰に対しても、何人いても、大阪弁で語りかける。

日本人としての誇りを持ち、発信してきた。

自分が向かおうとしていることが、間違っていないな。自分を信じれるか、その日をエストを尽くせるか。

日本を離れたからこそ、わかる日本の良さ。

夢を持てば、世界へのたびの始まり

頂にたどり着けば戻るところに気づき、

夢のたびを繰り返す。

尊敬する大学生

尊敬する大学生ってのは、キョウセラが出した「ツーカーS」っていう携帯電話を使っている人だな。

何ていったって、説明書がいらないくらい簡単な通話専用携帯ですよ。

通話しか出来ないんですよ。

もちろん、複数携帯電話を持っていて、一台がこの携帯の人は尊敬には値しない。

この、通話専用携帯のみ持っている大学生がいたらカッコイイな。

男らしい。

December 12, 2004

オレのどこが常軌を逸しているか

オレのことを変という人がいる。

行動や発想などそのアウトプットもだが、その思考過程もおかしいということがある。
いやー、なんとなく普通と違うかなとは思うけど、何が違うかがわからない。

別に、普通の思考法になりたいとはさらさら思っていないが。

何なのかが不思議だ。

僕の行動や発言の一部や、表面上のことをそのまま理解して、
変だといっている人も多いだろう。

しかし、けっこう僕の心を読まれて鋭い突込みを入れる人も、
僕のことを変だという。

どこが変なのか気になる。
やっぱ、誰か分析して欲しいなぁ。
社外取締役が欲しい。

運と勢いとノリは重要です。
それが出来ないなら、場の雰囲気を壊さないように、さらりとかわす術を覚えるべきです。

このブログは、ブランド物が好きな人や、
権威、知名度などに振り回される人は好きじゃないだろうな。
だって、僕はそんなことに興味はないし、好きじゃないから。


普通は、僕が嫌いな人は、
その相手も僕のことを嫌ってくれるはずである。

しかし、僕が好きな人は、
その相手も僕が隙とは限らない。

December 11, 2004

批判の感じ方と、価値基準

純粋に評価されてもうれしくない奴ですから。まあ、ほめられることがすべて嫌いかといえば、そうではない。心のそこからいってくれていれば別。しかし、心のそこからバカとか頭悪いことするなと言われると、いわれるほうがうれしい。何でかって、誰だって他人をほめるじゃん。いきなりけなすことはないでしょう。心のそこからバカって言えるってことは、お互い信頼しあっている証拠だと思うのですよ。だから、うれしいんだと思います。まあ、それと僕は天邪鬼なので、普通にほめられるよりもバカにされた方が好きです。

あと、批判もケッコウ言われるとありがたいです。だって、ぼろくそに言ってくれる人が少ない。ただ単に死ねとか言われても意味不明なところがありますが(まあ、そういう時は放置)、ちゃんとした理由をつけて言ってもらえると心のそこから感謝します。

僕は見た目を気にしない方なのでついつい髪の毛が伸びっぱなしになる時がある。そんな時に、髪の毛が長くて気持ち悪いと言ってもらえるとありがたい。本当に髪の毛のことなんて忘れていることが多いから。人間は、始めてあったら、見た目、話し方、そして考え方で判断するだろ、と言ってもらったりとかすると本当にありがたいです。


そういえば、僕は怒らないとよく言われる。怒らせてみたいとか、怒ったとこを見たいとも言われる。何でだろう。昔は怒らないように感情を押し殺したこともあった。その時は感情むき出しで生きたいと思ったが、最近は感情を押し殺すこともなくなった。別に何が起ころうと、まあ、そういうこともあるよ。そういうものの味方をする人もいるよぐらいで終わってしまう。そんなちっちゃなことでごちゃごちゃ言うなよ。言ってもしょうがないよぐらいの気持ち。

僕は判断基準として死なないジャンとか、インドの裏ロジより綺麗ジャンとか言ってしまう。すると、みんなから日本だから、それを引き合いに出すなといわれる。まあ、そうだ。ごもっとも。でも、もっと最悪な状況もあるわけで、それでも人間何とかやってこれるわけで、小さなことでごたごた言っても仕方がないと思ってしまう。判断基準が死なないってことになると、相当ものの見方が変わるよ。小さなことでうだうだ言わなくてもいいし、そもそも考えなくてよい。最も最悪なこと意外は特にいやな思いをしなくてもいい。むちゃくちゃ楽観主義ですよ。

本質的満足

僕は、いくら評価を受けても、いくら金を持っても本質的に満足しません。
これは、いいきれます。

天邪鬼ですから。

でも、なんで東京に出てきたかといえば、一回成功したいと思うから。
成功というか、満足するまで一発どかんとやってやりたい。
でも、コレでも満足できないことは知っている。
そう、高校の時から思って東京に来た。

ずーっと岐阜にいて地味に暮らしても満足行かなかったと思う。
一回東京に行き、どかーんとやって、それでも満足できないと、実感できてから田舎で自由気ままに好きなことをやっている。たぶんコレが僕の理想パターンなのです。

東京という過程があることで、満足できるのです。自分がそれを体験して、納得した上で田舎で待ったり過ごしているから。ずっと田舎だと東京への憧れをずっと引きずることになるから。

釈迦もそうだった。
生まれはリッチ、それを体験して、そんでもって、死ぬ寸前まで断食して修行した。でも、違うと悟って中庸、いい加減ということを言った。やっぱり、そこなんですよ。一度体験しないとその悟りというものは生まれないんですよね。

憧れと、好きと、得意は違うんだなぁ

憧れと、好きと、得意は違うんだなぁ。

好きと得意は違うっていうけど、これと憧れも混同しやすい気がする。

何かにあこがれる。
何かが好きである。
何かが得意である。

憧れは、こんなのいいなぁと思う。まあ、理想ってな感じでしょうか。自分がどうのこうのというよりも、自分は意外と客観的に見ている感じ。

好きは、純粋に好きなんですよ。それをやっていて楽しいとか。

得意ってのは、好き嫌いとかは別にして、他人と比べて得意であると。

僕はこんなイメージですね。

コレをついつい混同することがあります。
好きなことをやるのがいいのか、得意なことをやるのがいいのか、あこがれることをやるのがいいのか。

別に、どれでも良いんですけど、僕の場合はあこがれるものをやって、でもそれは自分にむいてなかったと気がつき、得意なことをやってある程度の評価を受けれたら、それでは満足いかず好きなことをやるという感じっぽいな。

はて、はて、自分の価値基準はどこにあるのかってこと。

BGMはまだハナミズキ ひととようです 飽きないです。

December 09, 2004

なにがオンリーワンだよ

なにがオンリーワンだよ

何が、オンリーワンだよ。

ナンバーワンだよ。

ナンバーワンのところにはナンバーワンの奴が集まるんだよ。

だから、ナンバーワンはナンバーワンたりえるだよ。

勝負に妥協はいらないんだよ。

何でも一番とって来るんだよ。

とってこいよ、一番。

言い訳なんかして、負けてかえってくんなよ。俺。

攻めて、攻めて、突っ込んでこいよ。

へたなかっこつけづに。ダメなら大破すればいいんだよ。

自分へのメッセージでした。


別に、オンリーワンになってナンバーワンになればいいんですよ。
それと、僕がいつも言う発言には「今、僕が~~~と思う。」が省略されています。

Serendipity

セレンディピティ
「serendipity」
ser・en・dip・i・ty[srndpti]

〔名〕〔U〕《文》ものをうまく発見する能力,掘り出しじょうず;幸運な発見;〔C〕《-ties》運よく見つけたもの[Horace Walpoleがペルシアの寓話The Three Princes of Serendip(Ceylonの旧称)(1754)の主人公たちのもつ能力から造語]
プログレッシブ英和中辞典第3版

ああ、辞書って使えない。辞書なんて本当に意味を成さない。もっと微妙な感覚が伝わってこない。例えば、「赤」って辞書で調べても、全然意味分からないでしょ。辞書に書いてあることと、そしてそこから伝わってくることと、僕たちが日常その意味をどう捉えてるかって全く違うんです。だから、辞書を引っ張り出してきて、「赤」とはこういう意味だ。だから、お前の言っていることはどうのこうのって言っても話がずれまくりな訳ですよ。言葉って、もっとナイーブなものなんですからねー。知らない言葉に関しては辞書を鵜呑みにする傾向があるけれど、(まあ、これは仕方ないかもしれないけど)実は、普段使っている言葉のイメージと辞書の説明は全然違う。これは知らなかった単語も一緒なんですよね。だから、知らない単語の意味を辞書どおり鵜呑みにするのはどうかなと。

例えば、
「赤」
色の名。三原色の一つで、新鮮な血のような色。また、その系統に属する緋(ひ)・紅・朱・茶・桃色などの総称。

って、そんなことがいいたいわけではなく、セレンディピティというニュアンスがまだ分からない。インターネットはインターネットでしかないように、セレンディピティはセレンディピティでしかないようなイメージが僕にはない。(こう、なると専門家病になり、基本を忘れてしまう傾向にあることも忘れてはいけないのだけれど。)

で、今日、セレンディピティの話だった。

セレンディピティはまだ、その概念が全然つかめない。偶然幸運と遭遇する能力(性質・行動)ってな感じでしか捉えられていない。

セレンディピティは心にゆとりがないと気が付かないと思うし、関係ないもの・価値のないものなどを受け入れるような行動を日々とっていないといけないと思うし、さまざまな経験を通して直感を磨かないといけないと思う。そんでもって、物事がどうなるか先のこをイメージしてないとセレンディピティはおこらないと思う。

その直感がセレンディピティの能力なのであろうか?とか思ってみたり。じゃあ、その能力ってどうやって付くかというと、日々の経験の質と量な訳でしょ。さまざまな質の経験を多くするということは、そういう経験をしようと思う性格だったり、新たなことをしようとする行動パターンがもととなるわけじゃないのかと思ってみたり。結局わからない。(特定のことを集中的にやってもその分野のセレンディピティは磨かれるだろう)

なんか、結局日々の生活スタイル、行動の指針が大きな要因だと思うのだが、なんかしっくりこない。
もうちょっと、いろいろ考えるとするか。


僕にとっては木曜日が一番楽しい。待ち遠しい日だ。
なぜかっていわれても困るが、何か楽しい。そこにいる人たちが、いいのだ。
いいってなんだって話だけど、心が綺麗な人ばかりで僕の心も綺麗になるからだ。
今年は、芸大も残すところ一回だと思うと非常に寂しい。


BGMはいつものように ハナミズキ ひととよう

評価

人からの評価ってもうはいかにいいかげんか。
自分の他人に対する評価もいかにいい加減なものか。

例えば、僕が他人からどう見られているか。

おとなしいと見る人も、自分勝手と見る人も、バカと見る人も、口だけと見る人も、いつも常識はずれなこというなと思っている人も、うるさすぎると見る人もいろいろいるだろう。

たしかに、場所によってキャラクターが違うと思うから。別に装っているというわけではなく、自分が知らないことがおおい内容に関するコミュニティだったらいろいろ聞きたくなる。しかし、自分が知っていることだったらついつい話したくなる。そんなもんだ。ということで、コミュニティによって印象は違ってくる。

新しいコミュニティに属して、僕という人間がそのコミュニティの人たちに「ああ、あんな奴だ」と思われたとする。その印象はケッコウ深くその印象をベースにして接しられる。しかし、何か僕がしたとする。その行動は僕にとってはたいしたことなかった。しかし、それを受け止める人には大きな印象の変化を与えた。すると、僕の評価は一気に変わる。

僕がその行動をしたのは、突拍子もないことでもない。自分の普段の生活の延長線上でごく普通なこと。その行動の前後で、僕という人間が劇的に代わったわけでもない。でも、他人からの評価は劇的に変わる。

いたって、当たり前すぎる。日常いくらでも起こることだ。そして、コレを踏まえてみんな生活をして、自分を演出したりする人もいる。あえて、バカっぽい態度をとって後に知的な部分を見せそのギャップで他人にスゴイと印象を与えたり、初めからいかにもいろいろなことを知っていて博学な人なイメージでアピールしてくる人。

別にどうでもいいんだけど、自分の他人に対する評価はいい加減だなと。こうと決め付けずに、いろいろな角度から周りの人を見たい。そして、いいところを見つけて、他人を尊敬して付き合っていけば、相手も気持ちい気分だろうし、自分も幸せになれるんだろうな。と、当たり前のことを、当たり前のように感じました。

BGM Mariah Carey, Baby Face & Kenny G - Everytime I Close My Eye
    掌 ミスチル

やっぱり感じ方が違う

今日は、Creative MuVo TX FM (512MB) で音楽を聴きながら、町へ出かけました。

町っておっさんくさいな。

まあ、いいや。六本木と上野です。

やっぱ、音楽を聴きながら街を見ると町の見え方が違う。
初めからそう思っていたからかも知れないけど、違う気がした。

なんか、町が広がって見えた。

これは聞いている曲によっても違うんだろうけど、町が広く感じた。

どうやって言えばいいかわからないけど。
まあ、いいや。

BGM Mariah Carey, Baby Face & Kenny G - Everytime I Close My Eye

December 08, 2004

人間の興味

人間の興味って、はかないねー。

歌の大辞典を見ていて思ったんだけど、昔の音楽が流れる。
ケッコウ知っているんです、中学ぐらいの歌でしょう。あの頃は、邦楽の売れ筋をよく聞いていましたから。

でも、今はやっている歌はほとんど分からないんですよ。どっかで聞いたことあるかなぐらい。

知らないのは、ただ単に興味がないから注目していない、よって耳に入ってこない。正確には聞こうと思わない。別に、どうでもいい。(まあ、そこまでではないが。)

これって、単純に興味がなくなっただけなんですよね。人間の脳でチョコット何かが変わっただけのはずなんです。興味ってすげーな。ただそれだけなんだけど、それが人間の行動の原点なんだろうな。

こういう、すぐ移り変わる興味もあるけど、半永久的な興味もあるよな。そこの違いは何だろう。

BGM 糸 中島みゆき

何年越しだろう、ついに買いました

ついに、買いました。

多分、ずっと昔から欲しいといっていました。ボイスレコーダー。
大学1年の頃は確実に言っていたな。

もっとさかのぼれば、中学の頃から欲しいといっていた。でも、この時はもっと原始的なテープのボイスレコーダーだった気がする。

なぜ欲しいかって、声を録音したいからですよ。それも自分の声を取るためですよ。こういうと、変な奴だなぁ。
自分が話していて、メモって取れないじゃないですか。でも、今まで考えていなかったようなアイディアが人と話していると出てくる時がある。これもったいない。ということで、ボイスレコーダーがほしかったのです。

録音しても聞かないという問題があると思いきや、違うんです。多分僕は聞きます。会議などで録音した後の、帰りの電車で聞きます。たぶん。

買った理由はいくつか。1万円のJCBギフトカードがあった。最近、自分の発した言葉を何度も聞き直したいと思う機会が多かった。ウォークマンとかを使わない人なので、たまには音楽を外で聴くのもいいかなと。音を聞きながら社会を見ると、見る視点が変わるから。その他にもいろいろと理由はあります。

一言で言えば、「日常の些細な一言が、人生を作る」ということです。

もちろん、MP3プレイヤー、FMラジオ、USB接続でデータストレージ。できます。便利です。512M。

値段がなんと、11,800円です。安すぎです。カカクコムの最低価格より2000円安いです。さらに、1万円はJCBギフトカードです。たまりませぬ。

これは、何かほかに面白い使い方が出来そうだ。
外国では、本の朗読をネットで落として聞くのがはやっているらしい。ニュースとかも使えるな。
USBでさしておくだけで、一定の時刻になると最新ニュースをMP3プレイヤーに自動ダウンロードしてくれるソフトないかな。するとかなり便利なんだけど。

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BGM まだ ハナミズキ 一日で60回連続で聞きました。。。

火花が飛ぶ

真っ暗なところで、目をたたく。

すると、目の前に火花が飛んだ感じがする。
感じではなく、確実に光が見える。

フラッシュがたかれたような感じで。

真っ暗だから見えないはず。
なぜだ。

脳が認識しているのか?

脳で見ているのに、目が見ている感じになるのはなぜだろう。
目の部分でものが見えている感じになるということ。それはなぜか。
不思議だ。

BBCワールドで日本の自殺サイトについてやっていた。
インタビューとかも。
そんなものが、報道されるのかよ。
へー、ということはイギリスにはそういうサイトがないのだろうな。
多分、世界中探してもまれだからニュースになるんだよな。

自分の好きな作家がどうとかこうとか

自分の好きな作家がどうとかこうとか、いう人がいる。

僕は、昔あまり本を読まなかった。
あまりというか、全く読まなかった。

ので、その感覚が分からなかったが、最近分かる。
この人の文章いいなと感じる。

ああ、この人の文章いいなと。読みやすいってのもかなり感じる。

大前研一さんとか、重松清とか茂木さんとか角田光代さんとか。

ブログを呼んでいてもそれを実感する。

なるようにしかならないのだが、なるようにはならないということ


何を言いたいかというと、世の中のすべての事象はなるようにしかならない。

しかし、世の中のすべての事象はなるようにならないのです。

そう思うのです。

December 07, 2004

ふたご座流星群と星の思い出

2004年ふたござ流星群を眺めようキャンペーンをやっているらしい。13日の深夜に見れるらしいです。僕も見てみよう。理想的には光が多くないところへ行ってみたいな。

そういえば、今年はまともな星を見ていない。富士山で見たが、驚くような星の数ではなかった。多分、満月に近かったからかも。インド行きの飛行機からも見えなかったし。

そんなことを考えていると、星にまつわる思い出が頭を掠めました。

星といえば、小学校5年ぐらいにフェリーで九州に行った時が一番最初の星との出会いだ。それまでも、星を見たことはあった。そりゃそうだ。でも、この時、本当の星を少し知った気がする。

その時は九州へフェリーで大阪から行ったのです。大阪を夜の7時とかに出た気がする。そして、瀬戸内海をフェリーで進んでいったのです。夕食も食べ終わり、フェリーの甲板にでて空を見上げると、そこは星が一面に広がっていた。首をグルットまわしても遮るものはなにもない。ただ、星があるだけ。あの時の驚きは忘れられない。世の中にこんなにも星があるのだと知った。まさにそう実感したのだ。

小学校で配られた星座版。これ、皆さん覚えていますか?時間と場所、季節などをぐるぐる回しながら調整すると、その時見える星が表示されるものです。学校でもらってぐるぐる回しながら、家で夜空を見ながら試した。でも、そんなにも星なんてなかった。星なんて見えなかった。

そんな矢先に、瀬戸内海のど真ん中から、夜空を見上げると星しか見えない。世の中にはこんなにも星があるのだと。少年の日の強烈な思い出です。その時、親と一緒に旅行していたら、また感じ方が違ったかもしれないけど、子どもだけだったから余計何か深い思い出なのかもしれない。かわいい子には旅をさせよ。ってことかな。


あと、記憶に残っているのは「流星群」を家から見たことかな。たまに何十年に一度の流星群というニュースがある。まさに、その時見たものだ。いつだったかは忘れたが、ちょっと寒かった記憶がある。

夜、風呂から出て寝る前にベランダに出てみた記憶がある。流れ星を見た。まさに、この時が初めての流れ星だったと思う。流れ星自体は一瞬で流れ去ってしまったのだった。この時の記憶は流れ星というよりも、家族で見たなぁという記憶が残っています。寒い時期だったのに、今となっては暖かい記憶の一つ。


上のと似ているけど、自分の部屋からボーっと見た星空。僕の部屋は大きな窓がある。ベッドでねっころがるとちょうど空が見えるのだ。カーテンを開けて寝ていた僕はよく星空を見ていた。たまに、窓を開けて見ていたこともあった。なんか、将来のことを他人事のように、どうなるのだろうと考えた記憶がある。不安と共に夢を見ていた。時は流れているのだなぁとか感じていた。あの岐阜の空はなんか気持ちよかった。

そういえば、日吉のころはたまに夜空を見ていた。しかし、今の家は星を見るには適していない。これは、大きな問題だなぁと思う。次の家の時は空が見やすいかも大きなポイントだな。どうせ、仕事が忙しかったら夜しか家にいない。となると夜空を見るというのは安らぎの時間だから。


あと、忘れられないのは飛行機から見た星。飛行機から見た星空は綺麗だ。本当に星しかない。あれを見たときも驚いた。

普通に窓から見ても大して見れないが、機内の電気が消えてから、毛布とかクッションで機内の光をさえぎり、窓から空を見る。はたから見たら怪しい。毛布を頭からかぶって窓にしがみついて外を見ている。でも、これがすごく綺麗に星が見えるのです。たまらんのです。スペインへ行った時はこうして何時間も見ていた気がする。何も考えず、というか脳が止まった感じ、空の闇に脳が覆われて、ただただ見入っていた。

そして思うのが、コックピットから星を見たい。180度パノラマで星が見えるのを想像するだけでワクワクする。でも、9・11以降コックピットには入れない。じゃあ自家用ジェットをみんなで借りればコックピットには入れるのでは?と思うのです。みんなで割り勘して、コックピットから夜空を見る。多分綺麗だろうな。これって実際可能なのだろうか?そして可能ならいくらで出来るのだろう?


コレを書いていて思ったのが、僕の人生の転機になった場所を大学卒業する前に再度訪れようと思う。行けそうで思い出に残っているところを2,3ピックアップして。理想的には、季節とか、昔一緒に行った人だとかもできるだけリアルに再現したい。そして、昔の自分、今の自分、将来の自分を見てみたい。

BGM ハナミズキ 一青窈 これけっこういいです。

おいらの社外取締役 募集 完全版

あのですね、おいらの社外取締役を募集いたします。

なんだ、お前意味分からないって話なので、少し説明。

僕は、僕が自分の脳で考えて、僕が行動しているわけです。このことを、自分という人間を一つの会社にたとえて、自分は自分のCEOであると表現される時があります。

僕もそう思うわけですが、自分というのはCEO兼執行役員であると思うわけです。CEOとして方向性を決め、執行役員として実行すると。でね、人間にも外部の取締役もいた方が良いじゃん、と思ったわけです。僕はメンターと社会一般で言われるような人のことを社外取締役と言っています。

何でかって、自分では浮かれてしまい地に足が付いていない時がある。でも、こういう時って自分では気がつかない。はたから見ると、すぐ気がつくことがある。人生運と勢いとノリが重要だと思っていますが、そういうこととは違う話で、外部からの客観的な視点が欲しいと思ったのです。

会社などでは、上司や同僚でメンター制度をやっているところもあると思いますが、それとは違った視点で見てくれるメンター(社外取締役)がいると良いと考えたのです。さらに、普通の友達とはまた違った感じなのです。

社外取締役なので、複数であっても良いのです。期間も短くやってもらっても長くやってもらってもOKです。

お互いがお互いの社外取締役(メンター)になるという感じです。

3ヶ月とか半年に一回ぐらいあって話す感じで。

タイムスケジュールで内容を話すと、

世間話、雑談(15分)
お互いに近況を語る、そしてアドバイスをしあう(30分×2人)
将来について語る、そしてアドバイスをしあう(30分×2人)

その後、飲みに行くのもありです。その際はメモとかICレコーダーなんかで内容を記録すると良いと思われます。頭をフル回転させた後の、酒が入りリラックスした時には今までにないアイデアが出る可能性があるからです。

条件:頻繁に会っていない
    お互いに尊敬できる、信頼できる
    口が堅い(秘密厳守)

ああ、自分もこういったメンターが欲しいと思う方や、興味がある方はメールいただけるとうれしいです。

これは、たまに会う友達だったり、キャリアアドバイザーだったり、ヘッドハンターだったりするんですか?

December 06, 2004

俺ってなんて単純なんだろう

僕は単純です。

というか、精神年齢が成長していないです。
特に、感情面が幼稚園児と変わりません。

猛烈に良いと思ったら、いいし、
なんでも気になります。生きていると気になることだらけです。

なぜなんだ。なぜなんだ答えなんてなくても、なぜなんだと妄想します。

でも、体系立てて勉強しないところが悪いところです。

先日スゴイ風邪だった、らしい。

で、昨日、夜家に帰った。そしてテレビをつける。
が、映らない。NHKもフジもTBSも日テレも何もかも映らない。

ああ、風でアンテナがやられたのだろうか。と思った。
それで、コードを抜いて人間アンテナ。

何でそこまでするかって、情熱大陸と世界遺産が見たかったから。
平日なら、放置だったんだけど、情熱大陸と世界遺産のために、人間アンテナ。

金属の部分を手で握ったり、頭につけてみたり、金属をつけてみたり、コードを伸ばしてみたりといろいろ実験。

頭に当てると比較的綺麗に写った。骨の骨格がアンテナになったのか?いや、違うのか?よく分からない。ケーブルの芯みたいなの指で触っても比較的綺麗に写った。

そんな、実験結果です。

今日帰宅してテレビをつけたら普通に映りました。やっぱり、風のせいだったんだな。

台風とかニュース性のあるものだと気をつけるけど、ただの風だけだとニュースにもなりにくいし、台風の風でなければたいしたことないという固定観念がある。でも、台風よりも風は強かったんですよね。名前で気にするのではなく、その起こる現象を冷静に見極めたいものです。

そんな男に私はなりたい。
あ、漢だった。

ああ、

エントリーが増えすぎて、整理しないと不便になってきた。

なんか、カテゴリーとか分かりにくいし。

カテゴリーを整理して、良いエントリーをいくつかピックアップしてリンクを別で貼ってみたりしようかな。

あと、写真も整理しておこうかな。

あとあと、便利だから。

December 05, 2004

やっぱ、ウユニだろう

今年の7月にも書いたけど、ウユニですよ。ウユニ。

ボリビアのウユニ塩湖ってとこなんだけど、ここがすごすぎるんです。
もうたまらんのです。

他にも、ものすっごいところがあるだろうけど、とりあえずボリビアのウユニへ行きたいですな。

昨日世界不思議発見でやっていて、あらためて思いました。

ボリビアのついでに、マチュピチュもいけるしなー。

December 04, 2004

見るって何だろう。猛烈に疑問

ああ、見るって何だろうね。完全に真っ暗にしたところだと何も見えないはず。しかし、何回かいったことある場所なら、何がおいてあるかとか想像が付く。それで、ものの輪郭とかが想像できる。すると、なにやら輪郭が見えるような錯覚に陥る。でも、見えていないはず。

あれ、人間って目から情報を入れて、脳で認識している(見ている)なら、人間が想像する時に目で見たときのように、はっきりとカラフルに想像できても(見えても)良いわけだ。目で見ていると言いながら脳で見ているということ。とすると、真っ暗だと何で見えない(想像できない)んだ?人間の想像力が弱いからか?脳の働く場所が違うのか?

いや、違うぞ。夜見る夢はカラフルだぞ。ほとんど目で見るのと変わらないぞ。ということは人間の脳にはカラフルで立体的に想像する能力がある。じゃあ、なんで真っ暗な場所(目を閉じている)だと、想像でものを描けないのか?

目を閉じて、真っ暗なところで、さらに起きている時にカラフルで立体的にものを見る(想像する)ことが出来ても良いはずじゃないか。

分からない。気になる。

アウラ

アウラという意味が正確にはどんな意味かはまだ分かっていない。
でも、授業の流れからすると一度だけ現れて消えてしまうもの。って感じかな。

文脈は繰り返さない。

その場はその場でしかない。

時は過ぎるということなんでしょうか。

僕は思うんですけど、アウラだからこそ「思い出」という言葉があるのだと思います。

「アウラ」出なければ思い出なんて生まれない。

その時、その場所で、その空気でしか味わえない何かがあるから、それを懐かしく思い、良い思いでとして、たまには苦い思い出として残るのだろう。

アウラじゃなければ、またその感覚を味わえるので思い出なんてないだろう。

なにか、あの初めて見た衝撃とか、はっっと気がついた瞬間はその時しか絶対感じられない感覚なのだ。

人間の気持ちとか感情ってのは人間自体を作り上げているといっても良い。見ることも、感じ方も。

心境にあった音楽を

ちょいと、長い文章をテキストで読んでいる。
まるまる本一冊分ぐらい。

その本を読んで考えることがあるのですが、その考えることはじっくりと考えたい内容。ぱーっと明るくという感じではない。

それとは別に、PCでテキストを読みながらヘッドフォンで音楽を聴いている。僕のiTunesにはありとあらゆる音楽が入っている。だからランダムに流れてくる音楽はばらばら。明るい曲も暗い曲も。洋楽も邦楽も。

さっき書いたように、本の内容はじっくり考える系であまり明るくぱっーと、という感じではない。なんか、ヘッドフォンで脳波を読み取って考えていることにあった曲を選択してくれるとありがたい。それじゃなくても、状況にあった音楽が流れないかな。

ミュージックリストみたいなのを作れば良いんですよね。それ以外の方法でないかなぁ。

謙虚になる

かっこ悪い男です。もっと美しく生きようと思います。
自分というものが人間として最もかっこ悪いと感じました。実際に生きるという行動が美しくない。決して派手でなくてもいいんだけど、美しい生き方をしようと思います。

僕の場合、人間の生きる軸となるものが醜いです。悔い改めます。


謙虚に生きようともいます。

あるがままの自分で、等身大の自分を丸ごとぶつけようと思います。
人生を本気で生きるということです。

僕はスマートな人間じゃありません。
泥臭い人間です。
そんな我武者羅で無我夢中で何もかも忘れ没頭している時が一番心踊る時です。

地道に一歩一歩、歩んで生きてゆきたいと思います。

休むことは錆付くことだ エジソン

虚心坦懐に

謙虚に生きようともいます。

真っ向勝負ということです。
下手な格好をつけても意味がないと思います。

あるがままの自分で、等身大の自分を丸ごとぶつけようと思います。

今のありのままの自分を謙虚に受け止めようと思います。

足らない能力、多少ある能力。

自らを律します。

自分の心に正直に素直に生きようと思います。

何のわだかまりもなく、素直な心で物事を取り組もうと思います。

「他山の石」この言葉を人生の指針とします。

ちょうしこきません。

未熟者です、何も分かっちゃいません、死ぬまでたっても何も分からないかもしれません。でも決してあきらめるということではないです。

かっこ悪い男です。もっと美しく生きようと思います。


われわれは平等ではないし、平等ではあり得ないことを、僕は知っている。しかしぼくは、尊敬を受けるためにいわゆる下層民から遠ざかる必要があると信じている人間は、負けることを恐れて敵に姿を隠す卑怯者と同様に非難に値すると思う。 「若きヴェルテルの悩み」より


「無人島に一つだけ持っていくとしたら何か?」という質問に対して、
自分は「人」と答えるような人間です。

僕はスマートな人間じゃありません。
泥臭い人間です。
そんな我武者羅で無我夢中で何もかも忘れ没頭している時が一番楽しいです。
地道に一歩一歩、歩んで生きてゆきたいと思います。

休むことは錆付くことだ エジソン

生まれることも、死ぬことも、また無常ということ。

ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。

よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし

世の中にある人の栖と、またかくのごとし

「方丈記」

祇園精舎の鐘の声

諸行無常の響きあり

沙羅双樹の花の色

盛者必衰の理をあらはす

おおごれる人も久しからず

ただ春の夜の夢のごとし

たけき者も遂には滅びぬ

ひとへに風の前の塵に同じ

「平家物語」

この二つが、美しく感じるのです。

December 02, 2004

たぶん、ちょいと違うんですが

上野駅の甘い臭い 公園口の近くでシュークリームを売っている。その店から漂ってくるあの匂い。甘くて、焼きたての香ばしいにおい。たまりません。これが上野のにおいです。多分一般的なイメージと違いそう。

マルエツ途中の家庭の臭い 

土曜日の午後の臭い、これは焼きそばのソースのにおいだ。
はたして、本当に焼きそばのソースのにおいか知らないけど、このにおいがする家の前を通った時、小学生の頃土曜日の昼間に学校が終わって帰ったときのことを思い出す。家に変えると焼きそばがあった。あのにおいというものは土曜日の昼という記憶をよみがえらせる。

 森の木の臭い 臭いからイメージする

独り言が多い理由が分かった。

脳で考える、その考え方。
それが独り言が多いかどうかを決める。
まあ、自分で何かを考える時にどうやって考えるかなってことです。

上野公園を歩いていてふと思いました。僕は、何かを考える時、話し言葉で考える。「これって何でだ?○○だからかな。なんで、いや、違うぞ。それは。じゃ、なんでだろう?」と、一人二役を演じて考えている。脳で考える時、会話形式で掛け合いをしながら考えを進めるタイプだ。

で、考えてみると僕は話しながら考えるタイプだ。この場合は他人と話しながら考えるタイプであるということだ。人と話している過程を通して、自分でも考え、自分の考えを膨らましていく。

話して考えるタイプ、書きながら考えるタイプなどいろいろなタイプがあると思う。僕が人と話して考えるタイプなのは自分ひとりで考える時も会話形式で考えるからかなと思った。

だから、独り言も多いのかなと思った。自分の脳で話しながら考える、だからそれが声に出てしまって独り言になる。こういうことではないか。

多分、話しながら考える人は文章も口語的になり、いわゆる硬い文章は書けないんじゃないかな。反対に、脳で考える時も書く感じで考える人はいわゆる硬い文章を書ける。書いてしまう。ということではなかろうか。

人間が考える場合どのように考えているのかは、その人しか分からないわけでなんともいえない。だが、それだからこそ、そこに面白みがあるのではないか。自分の脳でも話しながら考えるということを突き詰めれば、何か面白い発見がありそうな気がする。そんな感じが今の僕にはある。

ことば

言葉って難しいですね。
何が難しいかって、特定の単語でも人それぞれまったく違ったイメージを持っている。

それを共有するって難しいな。たぶん、無理だな。
人によっても違うし、同じ人でも状況や周りの環境、いった人、抑揚によっても変わるし。年取れば同じ単語でも感じ方は変わるし。

定義をする云々という問題を通り越してることなんだと思う。

まあ、社会ではそんなこと言っていても始まらないので、殺伐と細かいことは忘れて生きていくしかないのでしょうが。

一年後なんて分からないですからっ

僕は一年後何をしているかは知らない。
当たり前だ、何度も書いているが、

僕という人間は、どうにでもなる。

人の予想を裏切るのがすき、天邪鬼です。

何をやっているか想像付かないらしい。

でも、先がどうなるかをいろいろな要素を踏まえて考えることは重要だ。

バカを装う

バカを装える人は頭が良い。
その人の本質を見抜くのが難しい。
バカを装い自分を下の立場に思わせ、その時に相手を見抜く。そんな作業をしている人が多い。

戦略的だな。


人の話を聞いていると、自分もいろいろな経験をしてきたのだなと気がついた。もっと、経験している人はいくらでもいるんだけど。

あれば食う

単純だ、目の前にあれば食べる。

正確には調理せずに食べられるものが手に取るところにあれば、ある分だけ食べる。
なければ食べない。

単純だ。

でも、こうでない人もいるらしい。

まあ、あれば食うって健康に悪いことでもあるんですけどね。

それに、一口がでかいらしい。全く気がついていなかった。たぶん今まで僕が生きてきたコミュニティの人は一口がでかいから気にならなかったのか、俺がどんくさくて気がつかなかったのか。

食べるのが早くて、食べる量が多いとは知っていたのだが。
まあ、すなわち、一口がでかいということを言っているのだと思った。

でも、そこまで考えていなかったってことだな。
バカだな俺。