今日は5時30分に起きましたよ。
成田と言う不便な場所に行くために。まあ、うちからは一本なのでそこまで遠くないのですが。
ああ、エクアドルまでけっこう時間がかかると思う。でも、スペインに行ったとき、シンガポール経由だったし、慣れてます。それに、飛行機に長時間乗るの好きだし。
って、今回はどんな旅になるのでしょうか。未知の南米です。それに、今までで最長になりそうなので、自分のペースで気をつけながら楽しんできたいと思っています。
それでは、行ってきます!
この人かっこいいと思う。
大平 貴之さんっていうんだけど、一人でプラネタリウムを作っている人。それも世界最高の。
小さい頃から星に憧れ、天の川を見てほれ込み、多くの人に感じてほしかったからって。大学でもプラネタリウムを作って、今も作って。
夢見てる人だな。それを現実に達成している人。いや、かっこいいと思う。
星空を青空を青い海を、沈みゆく・空へと上る太陽や月を見るために、新しいめがねを買った。
昔のめがねよりも鮮明に見るために。
ああ、楽しみだなー。
フレームとレンズ込みで15000円と安かった。
ああ、あの有楽町の無印でね。
半分メモみたいなエントリー
なんとなく小学校へ行きたくなって、小学校へ行った。僕はよく小学校へ行く。それは大学に入ってからのことだ。知っている先生がいるわけでも、友達と一緒に行くわけでもない。特に理由はないのだ。ただ、行くと自分の原点のような気がして。中学校と高校には自然と足は向かないのだ。
いつものように、小学校へ行った。校庭を歩き、平均台に座りぼーっとして、空を見上げていた。
松原辰夫さんなる用務員のそのおっさんは、64カ国に行ったことあるという旅好き。今でも、年に2,3回旅に出ているみたいだ。
そんなおっさんが、職員室の引き出しをあさり、どっかの景品でもらったような新品のボールペンとシャープペンのセットを開け、ボールペンは使うからとぼそっと言って、シャープペンをくれた。
そこで、そんな声をかけられた。「何か用ですか?」と。
僕は、「卒業した小学校で、ふらっと来ましたといった。」
そうしたら、おっさんに「何やってるの?」
僕は「東京で大学生を」
用務員のおっさん「18きっぷかね」
僕「そうです。」
おっさん「夏休み、長いんかね」
僕「8,9月です」
おっさん「アメリカでも行って来たら?」
僕「エクアドルとペルーとボリビアには日曜日から行きます」
おっさん「そうなんかね、ブラジルとアルゼンチンとチリなら行ったことあるがね」
東京に住む岐阜人は仲間なんだろうな。仲間と言う表現が一番ぴったり来る感じがする。なんか、みんな形状で言えば円なのだ。そして、そのふちはあいまいな部分を持ちつつ、シャープな線もある。そんな円が重なり合っている仲間なんだろうと思う。そんな仲間と、8月13,14日をフルに使って、関、美濃、郡上と回ってきた。13日朝9時に岐阜駅に集合して、関へ向かった。善光寺というお寺へ行き、戒壇巡りと言うのをやった。卍形のものはここだけらしい。真っ暗な地下の通路を歩くもの。途中鍵に触ると幸せになれるという。その後、隣の名前は忘れた俳人が晩年すんだという家に。すると、そこに昔の水うちわが。一同ビックリ。偶然な出会いの旅の始まりを予感させた。その後、関にあるうなぎ屋へ。うなぎ、鯉をのあらいを食べた。鯉は初めてかもしれない。骨がちょっと多かったが、うまかった。そんで、関はものミュージアムみたいなところに。そこには、関東と関西の分かれ目は関だという看板が。それも平成4年に決めたらしい。その強引さがたまらなくうけた。後、刀を見て刃物の切れ味のよさを目で見るだけで感じた。岐阜の関といえば刃物。世界三大刃物の町である。そこを見れたのが良かった。それから美濃和紙里の会館へ。ここは小学校低学年から知っている。資料集か何かで全国の伝統文化を紹介してあって、岐阜は美濃和紙だった。そこで、美濃和紙里の会館がのっていたんだとおもう。それをみて、僕はわしをどうやって作るのかという手紙を送った。そうしたら、丁寧に資料と返事をくれた。だから、一度行ってみたいなと思っていたのだ。なんか、ここは和紙で作ったものがたくさんおいてあった。それは、子供のおもちゃみたいなのが多かった。でも、小さい頃よりも無邪気に遊ぶ僕たちがいた。そこにはどんな背景があるのだろうか。天井から和紙の作品がいろいろ釣り下がっていた。将来は家から50メートルぐらい離れたところに、プライベート図書館と美術館、カフェ、何もない広い空間(アトリエっぽい感じ)がほしいと思っている。その夢がかなうなら、天井から美濃和紙でつくった作品をぶら下げたいと思った。
車で移動する最中も、いろいろ話した。いつもなのだが、こうやって話す何気ない会話が非常に何かのきっかけを与えてくれる。そうして、パブリックシステムへ。まずはワークショップを3つの班に分かれて行った。山と川の学校をやっているこの会社であるが、次は土地を約2年3万円で貸す事業が始まった。その戦略についてワークショップをした。それぞれの方の思いが伝わってきたもので面白かった。おなかも減りバーベキュー。郡上牛の肉とか、取れたてのおいしい野菜(トマト、きゅうり)や、明宝ハム、ビールとってもおいしかった。23時ごろかな郡上踊りへ行った。初めての郡上踊りだった。すごい人であふれかえっていた。どうやって踊るか分からなかったけど、見よう見まねで適当に踊った。周りとはだいぶ違っていたみたいだけど、一心不乱に踊った。力を入れすぎて疲れた。汗が滝のように流れ、目にしみた。でも、すごい気持ちよかった。リミッターを切って踊った感じだった。しかし、疲れるので休憩してお茶を飲んだりもした。本当に面白かったが、次の日もあるので2時に戻った。みんなシャワーを浴びていたが、3人で外で星を見ていた。僕は星とか空とか海とか太陽とかそんなものが大好きだ。永遠に近づくことができないものだからだろうか。で、12日が今年の流れ星のピークだということをネットで見ていた。そうして二人に言って3人で見ていた。すると、すぐに一つ目の流れ星が見えた。久しぶりだ。流れ星を見るのは。うれしかった。何で流れ星はうれしいのか。桜と同じはかなさなのだろうか。で、空を見上げつつけていると、途轍もない、目に焼きつくほどの大きな強い光を放った流れ星が流れた。正直何事かと思った。そして、3人で大きな声で発狂してしまったぐらいだ。死ぬまでで一番大きな流れ星だろう。それからみんなシャワーを浴びて寝た。が、僕はもう少し夜空の星と一緒にいたかったので外で寝ることにした。で、星を見ながらひと眠りしたが、危ないかなと思って、部屋に戻って寝た。翌朝、すぐ裏の川へ行った。太くて曲がったきゅうりをもらったので、3人で川できゅうりを洗って食べた。きれいな川が流れ、その水できゅうりを洗い、足を川に突っ込みながら、セミの鳴き声を聞きながら食べたきゅうりはうまかった。なんか、きゅうりのヘタをかじって、捨てるのが絵になる光景だ。喫茶店で朝食をとって、郡上町歩きをした。食品サンプルが有名だというのをはじめて知った。そして川遊びをすることに。橋から川へ飛び降りる有名なところだ。そんな時に今年から名古屋で働き始めた特攻隊長が車で到着した。夜中の3時まで仕事だったというのに、2日しか休みがないのに郡上まで来るあのパワーには脱帽だ。それから川に飛び込んだ。といっても三角岩から。三角岩は橋から飛び降りる練習の場所のようなものらしい。ここでも結構高い。傍からみているとたいして高そうではないのだが、実際に岩の上に上って、飛び込もうとすると高く感じる。恐怖と言うものが湧き上がってくる。やはり、見に迫ったもの、当事者にならないと気がつけないものがある。絶対に分からないものがあるんだと思った。口だけでえらそうなことを言っても価値がない。その経験が伴うことによってのみ重みが生まれると思う。で、飛び込んだ。飛び込んだ時に、カウントしてもらった。確かに飛びやすかった。でも、自分の意思で飛び込んでない感じもした。で、飛び込んで、飛んでいる最中の記憶がない。さらに、まわりの景色も見えなかった。川にザブーンって入ってからの記憶しか。けっこうな時間飛んでいたという時間の感覚だけはあった。なんか、不思議な感じだ。時間だけしかなくなった世界。で、2回目。もう一回飛んでいるのに、飛び降りるギリギリの岩の先へくると怖い。でも、カウントダウンなしでとんだ。自分のタイミングで飛びたいと思って。この時は、一回目よりも滞空時間が長かった感じがした。同じく2回飛んだ友達も2回目のほうが長かったといっていた。いやー、飛んだよ。飛んだ。めったにない経験だ。それから、イタリアンのランチを食べた。そして、岐阜へ。あっという間な詰まった旅だった。非常にさまざまなものが詰まっていた。とても、いい合宿?旅?だった。
BGM:帰る場所 キロロ
流れ星、川へジャンプ、 郡上踊り。
郡上で印上に残ったこと。
あの、流れ星は死ぬまで忘れない。そのぐらい。星が爆発し、そのまま落ちていった。目に焼きつく流れ星だった。
高い岩のうえから川へダイブ。けっこう怖かった。でも、なんか今まで経験したことのないような脳の状態になっていた。
岐阜で航空機の工場見学をさせてもらった。工場見学なんて、初めてかもしれないと思う。実に、すごい。いや、工作加工機械もすごいし、職人の人の作業もすごい。お話を聞いていっても日本の持っている技術のすごさを知ったし、航空機のかなりの部分を日本、特に岐阜で作られていることも知った。
なんだろう、実際に見ると日本のものづくりの力を感じる。
先日、衆議院が解散された。解散されると普通、議員がバンザーイという。しかし、今回はバンザーイというのかどうかと、解散前から少しだけ話題になっていた。
実際、バンザーイと解散されてみんな言ったのだが、そのバンザーイが情けない。政治家の情けなさをあらわしていたように思う。周りがバンザーイというのかを伺って、少しの人がバンザーイといったから後から続いて、多くの人がバンザーイと続いていった。
政治家たるもの、自分の意思で決めるべきだ。回りがバンザーイといったから自分もバンザーイと言うというのは論外だ。自分が言うと決めたら言えばいいのであって、周りが言ったらバンザーイと言うなら、その政治家は存在意義がない。
これは、バンザーイと言うことだけでなく政治家すべての行動に現れるのだと思う。
些細なことから、なんか無理やり意味を見出すのが趣味です。
空の青さに恋をして
----
旅をして出会う空
何で、ボリビアなの?何で南米なの?そんなにもお金をかけてなぜ行くか全く分からないといわれる。ので、自分が南米その中でもボリビア・エクアドル・ペルー・(チリ)を選んだ理由を書きたいと思う。
2年ぐらい前に一枚の写真に出会った。衝撃をうけた。これはどこだ?いったいどうなっているんだ。そこがウユニだった。ウユニに行かずに死ねないと思った。そんな世界が僕の目の前にあるということが想像できなかった。だから、行ってみたかった。
最後の意思決定は一人で。特に、自分にしかかかわってこないものの時は。まあ、意思決定を下す前にたくさんの人の話を聞くことは重要だ。参考にする。自分では考え付かなかったことを聞ける。
たとえば、靴を買いに行ったとしよう、最終的に使うのは自分ひとりだ。だが、何人かで買いに行く。いろいろ言われるし、周りの人に迷惑をかけたくないと急いであまり吟味せずに選ぶ。そして選んだものに問題がある。それの被害は自分だけなのだ。そこを常に忘れてはならないな。
意思決定は一人で。
僕は物にあたったりとか、そういう破壊衝動はないと思う。
でも、目に見えないものを破壊したい欲求は強いと思う。古臭い制度であるとか、つまらない考え方とか、自分の固定概念とか、損なようなものは破壊したい。
それがあるから、海外へ行くのだし、今までの自分の人生とは関係のないところに行って、今までの自分の常識を壊しに行くのだろう。
緑内障のくすりでありながら、利尿作用があることから高山病の薬としても使われるダイアモックスを7錠処方してもらった。国内では処方箋がないと買えない。というか、病気になってから処方する薬は普通に買えるが、病気になる前の予防のための薬、すなわち予防薬は基本的に処方してもらえない。だから、はじめ大学の医務室に行って事情を話したが処方できないといわれ、紹介された病院へ電話をしたが、午前11時までしかやっていなかったり、大病院で待ち時間とかあって不便だった。それで、ネットで調べていたら、ダイアモックスを処方できる病院リストがあった。そこに、家から近いところがあったので、電話をしたら救急の担当の医者しか出せなくて、その医者がいないと処方できないとかめんどくさいことを言われた。めんどくさいなと思って、次に近かった三信ビルクリニックという有楽町の病院に電話をする。すると、電話を取った受付の人もダイアモックスのことを知っているらしく、話がスムーズに進んだ。そして、病院に来て医者に事情を話せばすぐ処方すると言われた。じゃあ、ということで、すぐに病院へ行った。すごい小さい病院で待ち時間もなく、かつ医者も高山病の予防薬の処方が慣れているらしく、もの分かりがよい。さらに、ペルーでは処方なしでも買えるといったら、はじめの1週間だけ出して、あとは現地で買ってもいいよって言われたし。良かった。富士山の経験から高山病の薬を買ったが、まあこれは気休めのようなものだから、もっているだけで安心なのだ。一錠500円 250mgで一回半分にして飲む。12時間きっかりしか持たないとのこと。
ついでに、夜はエクアドルとペルーに行った友達からいろいろ話を聞いた。彼はチュニジアとかとドーハに行くといっていた。なんか、サハラ砂漠がメインだとか。今回もエクアドルとペルーのよい情報がゲットできた。国際バスに乗ると、エクアドル・ペルーの国境越えの手続きがみんな一緒にやるから楽だとか、キトとリマはつまらないとか、一食1ドルで食べられるとか、ガラパゴスはやっぱりすごいとか。
で、予防薬って何で出せないんだ?おかしいだろ?ということについて。高山病の予防薬を買おうとして思った。日本では予防薬は基本的に処方できない。なぜなら、必要ないのに薬を処方して、間違って(故意も含め)服用して副作用でたらまずいというような類のことだろう。しかし、これは自分の責任で防ぐことができる。しかし、近い将来にほぼ確実に発生する病気がある、その病気を防ぐためには事前に薬があればOK。しかし、予防薬は出せないからという理由で薬を入手できなかったとする。すると、くすりさえあれば防げた病気を防げない。これは自分の意思で防ごうと思ってもどうしようもできない。予防薬さえあれば病気にならなくてすんだのに。という事態になりかねない。処方して間違って飲むのは個人の責任、しかし、処方されなくて防げた病気を防げないのは個人の問題ではない。医療制度の問題だ。まとめてしまえば、予防薬をもっと簡単にだせということだな。
なんだろう、うまくすんなり学べた言語はないかもしれない。
まず、日本語でつまずいた。ひらがながかけなかったらしい。周りの子供はひらがなを普通に書くのに、全くかけなかったらしい。
次に、英語も。thisというのがディスでなんでthisと書くのか真剣に分からなかった。古典も漢文も全くだめ。大学に入ってドイツ語も一番初めのテストからくじけた。もちろん、プログラミング言語も全くだめだ。
そして今スペイン語をかじり中。難しい。難しいというかおぼわらない。CDをずっとかけているから雰囲気はつかめてきたかなと思うが、この言語はスペイン語か英語化ドイツ語かと分かるレベル。会話なんて程遠い。今は数字と挨拶に集中している。でも、道のりは長い。
僕の周りの友達は海外に一人旅に行くと現地の言葉を覚えてくる。少なくとも挨拶ぐらいは。しかし、俺は全くだ。スペインに行って覚えた言葉は「オーラ」と「グラシアス」のみ。これ以外はスペイン語を使ってない。インドなんて「ナマステ」以外使ってないし、知らない。ひどいもんだ。現地の言葉を知らなくても、ボディーランゲージと片言の英語で何とかなってしまっていると自分で思っている。じゃあ、必要ないジャンと思うと僕は脳が働かなくなる性質なんだと思う。
でも、南米は英語が通じないと聞く。さらに、現地の言葉が話せたほうが面白いんじゃないかと純粋に思うようになったので、ちょっと勉強している。さあ、あと2週間ない。数字と簡単な挨拶はマスターしたいものだ。現地ではなまりとかあってすぐには理解できないかもしれないが、旅の楽しみが増えるのは確かだろう。
まあ、言葉とはその文化の背景や雰囲気をなんとなく理解することであるのだろう。だから、下地があれば、体に脳になじみやすいのかなーと。相変わらずプラス思考。のーてんき。
実に良かった。
基本的に、生きているだけで良いことしかないと思ってしまう人間であるのだが。
まあ、スペースシャトルが無事に帰還して実に良かった。本当に良かった。宇宙飛行士が無事に帰還できて本当に良かった。今回、無事に帰還できていなかったら、スペースシャトル計画はなくなっていたかもしれない。そうすれば、宇宙への夢は遠のくことになってしまう。
また、夢を乗せて宇宙へ行くことができることがうれしくてたまらない。
こう書いていると俺は宇宙好きなんだなー。小学生の頃からそうなんだけど。なんでだろう、なんかワクワクするんだよなー。宇宙。
郵政民政化法案が参議院で否決された。個人的に、この法案がベストかどうかは別として民営化するのは当たり前だと思う。まあ、国政というなかで活動したことがないのでなんともいえない部分はあるが、政治も変わったなと思う。純粋に、意味不明な論理(小泉さん風に言うとわけの分からない論理ってやつ)がまかり通って、進んでいく政治は全くもって面白くないが、政治が変化しているのを見ると面白い。さらに、投票の瞬間や解散詔書が朗読される瞬間は何かワクワクする。あの場にいたいと思う。今後政治がどうなるかは読みにくくなっているかもしれないが、明らかに政治の内部は見えやすくなっていると思う。だから面白い。小泉という男の出現ととった行動によって、明らかに政治という常識が変わってきているとおもう。
野党のどのトップを見ていても、与党で反対した人や賛成してインタビューに答えている人を見ても真の政治家としての器があると感じられない。政治家としての器とは何たるかと言われると困る部分もあるが。
言い訳する奴とか、流される奴とか。へたれる信念のない政治家が多い。その中で小泉純一郎という男はすごい。顔の表情とかにも何か魂を感じる。肝っ玉が据わっているというのだろうか。政治家たるもの国を背負っているんだから、それぐらいの覚悟が必要だ。
あと、20年たてば俺は40だろ。その頃には政治はだいぶ変わってきているだろうな。くだらん根回しとか、自分の信念を持っていない奴とか、わけの分からない論理がだいぶなくなっていて、政治がまともになっていそう。ということは、あと、20年が政治の一番面白い時なんだろう。20年の間に、今、50から60代の人はいなくなってることだし。
こんな興味深い選挙が9月11日に行われる。しかし、投票できないのが悲しいところである。
水分を取る練習をしている。
最近暑いからむちゃくちゃ水分を取る。だから、練習じゃないと思うかもしれない。
しかし、これは練習だ。普段からたくさん水分を取ることは重要で心がけているのだが、そのレベルでは足りないところへ行くから。
高山ではたくさん水分をとることが高山病対策になるらしい。ダイアモックスという薬、これは緑内障の薬らしいが、高山病の薬としても認められているらしい。日本では医者に処方してもらわないともらえなくって、高山へ行くといっても処方はしてもらえないらしい。この薬も利尿作用を高める薬なのだ。すなわち、よく水を飲んでよく小便をすることが高山病対策の基本であると。そのために水分をいつもより多く取る練習をしています。5000メートルでは一日5リットル、4000メートルでは一日4リットルが目安みたいです。
また、旅行先マニアになってきた。それに付随する情報も集めまくって面白い。キチキチのスケジュールを立てるのは嫌いかつ、自分のようなたびスタイルでは意味が無いが、現地のことを調べて知るのは実に面白い。
気温も面白い。あたりまえだけどエクアドルは赤道直下ということもあって暖かい。しかし、ペルー、ボリビアへと下ると寒くなる。ということで、エクアドルからペルーへ入国するあたりで服を現地調達かな。あと、ウユニでは多少雨が降っている模様。これはうれしい。うっすらとウユニ塩湖に水がたまる上体が最高だからだ。天空を飛ぶ気持ち。
それにしても、インターネットのおかげで旅の情報がすごく集めやすかった。ネットがない時代に旅をした人はほとんど情報は無かったんだろうな。だって、現地の気候だってアメリカのヤフーウェザーへ行けばどんな国のどんな都市の気候だって分かるし。それに、今までに行った事ある人の旅行記とかもすごく参考になるし。現地の代理店ともアポが取れるし。まあ、言語の大切さも痛感します。
生きるうえで答え無き選択をいかに行うか、答えなき不安をいかに処理するか、これは重要なことになってくると思う。
さらに、この類の話をしたり、この類の問題の意見を求められたりすることがちょくちょくある。
その後は考え中。
人生とは想定外の積み重ねである
生きていれば、将来をシュミレーションしていても、その想定外のことばかり起こる。
それが人生だ。それが起こるからこそ人生楽しくなるともいえる。
僕は神経が図太いというのか、ずうずうしというのか、態度がでかいというのか、あつかましいというか、ちょうしにのってる部分がある。
これがすべて悪いと思わない。この考え方のおかげで、いろいろなことができたのだと思う。
でも、少し違う。
関係ないが、
DVDを家で見れる設備がほしい。
でかいディスプレイも。
5.1chで。
何を見るかって、ミスチルのライブDVDと世界遺産。
来年だな。一眼レフデジカメとDVDセット。
臆病スパイラルってあると思う。
臆病な人は行動を起こさないと、どんどん臆病になっていってしまう。臆病だったりビビリだったりする人は行動するということを通してしか臆病な部分を克服できないと思う。
安全のために臆病である部分も必要なんだけど、臆病な人が行動しないとどんどん脳の中だけで考えて、悪い方向に考えて、さらに臆病になり行動できなくなる。だから、臆病な人は行動して臆病スパイラルにならないように気をつけることが必要なんだろう。
now now now
start now
今はじめる。思い立ったが吉日。
これと関連するかな。
http://www.teratown.com/blog/archives/000721.html
福井に行ってきた。
ただ、福井に住んでいる友達に会うために。
友達といっても、一回しか会ったことがない。
それに、30分ぐらいしか話したことがないそんな人。
その時とはインドからネパールへ行くジープが一緒だった。彼は一番前の席、僕は一番後ろ。話すことはなかった。しかし、車が休憩で止まった店で、その彼は風景とどうかするようにブロックに座っていた。僕はなんかその姿が気になった。そして、声をかけた。その時何を話したかはもう記憶にない。たぶん、一言二言だったと思う。彼の座っていた席は、一番前の列なんだけど、そこに、4人座っていた。すごく狭いのに文句一言も漏らしていなかった。
そして、国境越えの時彼だけはみんなより一足先に済ませ、先で待っていた。なんかすごい自然なのだ。自然という言葉のほうが仰々しいくらいに。風が流れるような感じなのだ。それから、同じドミトリーになった。彼は何も言わず汚れたベッドを選んだ。僕は彼のことが気になっていたので、彼の前のベッドにした。何か話したかったのだ。たしか7人部屋ぐらいだっただろうか。シャワーはひとつで先にみんな入っていった。僕は風呂はあとでいいやと思い、彼に話しかけた。旅の話をしたんだと思う。そのほかにも出身県の話とか。たぶん、そんな込み入った話ではなかった。そうしていると、風呂に入る時になった。僕がいったら水が出なくなった。タンクの水が切れたのだ。海外の安宿ではよくある話。で、シャワーを浴びれなかった。彼も浴びれなかったが、別にいいやと心のそこから気にしていない感じだった。ドミトリーなので、電気を消してすぐなないといけなかった。その前に、彼に連絡先を聞いた。正直、切り出すのに躊躇した。連絡先を聞こうかどうか相当悩んだ。旅は一期一会であって、連絡先を交換するような人ではないと僕も感じていたから。僕はそんな考え方の人だから魅力的に写った。でも、聞くと決めてたずねると彼はPHSの番号とアドレスをを書いた。そして、高校のときから使っていて変わってないといっていた。彼も手帳を出してきて僕の連絡先を書いた。次の日も朝からバスで出発だったしみんなすぐ寝た。
あさ、宿で朝飯を食べた。そしてみんなで写真を撮ってもらった。彼はビルガンジへ僕はポカラへと向かった。
それから日本に帰国しても連絡を取らなかった。僕からも無効からも。でも、なんか気になっていた。その生き方が自然すぎるのだ。でも半年ぐらいたって突然メールが来た。彼は北海道の極寒の地で一人で旅をしている時だった。メールがうれしかった。なんか、僕から連絡先を聞いたから、こっちが一方的に気になっていただけかと思っていたら、向こうからメールをくれたし、この人ともっと話したら面白そうと直感的に思っていたからだ。それから、たまに旅に出る時などにメールをやり取りした。そして、福井に遊びにきたらとメールが来たので、すぐに行こうと思った。僕はもう、どんな用事が他にあろうと福井に行くと心で決めていた。すると、夏休みの時間があるときになったら連絡するとメールが着てから、2ヵ月後ぐらい、本当にメールが来た。なんか、これなんだろうな。その信頼感というか、ささいなことを覚えているというか。
そして、福井に行くことになったのだ。回りに言うとわざわざ福井までそのためだけに会いに行く理由が分からないとか、旅先でそこまで話したわけでも、仲良くなったわけでもないのに、なぜ?と首を傾げるし、お互いがどんな人間かも分かっていないのに、という人もいた。けど、僕はなにか確信に似たものがあった。この人は自分と話があうな。話だけじゃなくって生きるベースが共有できるなと。行く前、部屋にクーラーがないけど余裕でしょ?ってきた。俺はクーラーなんかとは縁がないので余裕だ。暑い時は汗をかけばいいのだ。
そして、福井へ行った。18きっぷで。金沢まで金沢21世紀美術館に行って菓子折りを買って、夕方17:30に福井駅から2,3駅先の駅で待ち合わせた。定刻通りに来た。彼の家にお邪魔した。彼の部屋でお茶を飲みながら話した。世界地図、モンサンミッシェルのでっかいパズル、マチュピチュのポスター、数限りないCDと世界遺産のDVDすべてそろってる、サッカーボールも。うけたのが、インドでずっとはいていたぼろぼろのジーパンを洗わずに、壁に飾ってあった。なんかいいよなーその感じ。
夏にいくたびの話(彼はイランとアルメニアに行くらしい。それもあった日の前日に決めたらしい)とか、ちょうど一年間にあった出来事の話とかいろいろ話して、スーパー銭湯へ行った。露天風呂の岩場に座りながらいろいろ話した。ガラパゴスの星のこととか。将来のこととか。たぶん、風呂に1時間以上いたとおもう。一人旅をする人は間(ま)を分かっている。常に一緒にいるわけではない。自分の行きたいところには行く、常に一緒にいるわけではない。でも、一緒のところに行く時は一緒に。なんか一人旅をする人のその距離のとり方が好きだ。
僕が蚊取り線香をたいたことも彼は覚えていたり、彼はインドをなめていたといっていたって話をしたり。それから、また車でスタミナ太郎で食った。がんがん食う予定だったが、肉が意外と食えない。年なのかと話していた。ティラミスがうまいといって彼は5個ぐらい食っていた。好きだといったらミスチルのシングル、アルバム、DVDすべて集めるし、世界遺産の雑誌もすべてそろえるし。飲み会に一回も行ったことないらしいし。なんか、性格の片鱗が見えるのだが、ここで書いたことだけから想像したら実際の人物と全く違うだろう。なんか、僕が今言葉で表すことはできない。それぐらいの人間なのだ。
で、部屋に戻って寝る準備をした。ミスチルのDVDを見て盛り上がったり、お勧めのCDを聞いてみたり。夜は意外と早く寝た。しかし、3時ごろに起きてまた少し語った。
あさ、9時ごろだっただろうか。起きて朝食をいただいて、出発した。永平寺と東尋坊へ。雨という天気予報だった。案の定ぱらぱら降ってきた。さらに、永平寺につく頃には激しい雨だった。こんな雨一年に一回歩かないかというほどの。でも、駐車場で傘を貸してもらって永平寺へ。曹洞宗の総本山らしい。300人が修行しているという。一回修行してみたいって話していたけど、中途半端にはできないよなーって話してた。それから、大学の近くにある蕎麦屋に。長島さんも着たことのある店。住宅街に一軒だけ店がある。そんな店なのに並んでた。おろしそばを食った。うまかったなー。店を出ると雨はやんでいた。東尋坊は雨だったらいけなかったので、晴れてよかった。時がたつにつれ晴天になってきた。うれしい限り。そして、東尋坊へ。想像していた以上だった。絶壁だ、柵も何もない。自然なんだから当たり前だといわれた。そうか。でも、日本だと安全とかいって柵を作りそうかと直感で思ったんだろうな。ギリギリのところへ行くのは怖かった。腰が引けてた。しかし、そいつは普通にギリギリのところまで行く。ぜんぜん怖くないと。本当に怖くなさそう。すっすって歩いていく。それから、家まで戻った。外国で撮ったの写真を見せてもらったり、ラオスのビザを見せてもらったり。それからカツどんをいただいた。そして、駅まで送ってもらって分かれた。駅から歩いても2,3分なのだが 笑 ちなみにこの武生という町、福井で二番目の都市らしい。そんでもってどっかと合併して名前が変わるとか。非常にいい旅だった。
こんなことを話した。
タイがどうしても苦手なのも似ている。日本人の貧しいたびといえばって感じでみんな行くのがいや。
五大陸性制覇したいとか、全権制覇したいってのも同じ。
行きたいところも大体似ている。
スペイン、ポルトガルに行ったのも同じ。
写真を見て直感でいいと思って旅に出るスタイルも同じ
ミスチル好き。夜にライブのDVDを見た。そして、彼のお勧めの曲を聴いたら、いいチョイスだった。曲の趣味まで合う。
今まで旅先で一人としか連絡先を交換していないらしい。それが俺らしい。なんかうれしかった。
そんな福井の兄ちゃんは福井で医学部に通う4年生。
ビザがかっこいい。ビザがいらない国でも安いならとりたい。
スペインとポルトガルの国境で反復横とびを50回したとか。
JTBの店長とも仲良くなってる。
あと2年大学いって、2年研修医、そして病院で2,3年働いたら若い時期に海外で医療活動をしたいらしい。
たぶん、30歳になった頃、見知らぬ国の見知らぬ村で診察している彼に会いに行くんだろうな。
そこが、どんな場所であろうと、どんなに忙しかろうと。
そんな気がする。
すべての友達にありがとうって心のそこから伝えたい気分。