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October 17, 2005

脳の中で流れた音楽@南米

パソコンで音楽を聴いていた。するとアッと思った。あの澄み切った歌声から小田和正だというのは分かった。タイトルを見ると「風のようにうたが流れていた」とあった。まさに、この歌だったのだ。


「あの夏の空 きらめく海も」
「出会いも 別れも 知らぬままに」

今回の旅で広い自然と向き合う時、この歌の上の2つのフレーズが脳の中で流れ続けた。本当にこの短い部分だけが脳の中で何百回と流れた。小田和正の歌とは知っていたが、タイトルもしらず、この部分しか知らなかった。でも、今回の旅では脳の中でこの歌ばかり流れた。たぶん、今回の旅に一番マッチしている曲が脳の音楽アーカイブから引っ張り出されたのだろう。この歌詞と曲調、そして澄み切った歌声が、まさに旅にベストな音楽だったのだ。今回のたびの象徴のような、旅を表したベストな歌。

そういえば、2年前にスペインに行った時は、世界遺産の「the song of life」が脳の中で流れ続けていた。

October 14, 2005

思い出のオレンジ色のジャンバー

あのジャンバーに詰め込まれた旅の思い出

今回の南米旅行で忘れてはならないものがあったのに、書き忘れていた。オレンジ色のジャンバーだ。それはペルーのリマでもらったものだった。ペルーの旅を終える人から譲り受けたものだった。ここより南は寒いからと。その彼も譲り受けたものだった。もとはといえば、ペルーに薄着できた女性が、リマでオレンジ色のジャンバーを買ったらしい。その女性はペルーを去るときに、ジャンバーを譲ったらしい。すなわち僕が3代目だ。

女の人リマで購入→男の人ペルーを一週→俺

こんな感じだ。ペルーの南の地域は想像しているよりも冷える。そこで、みんな洋服を買い足すのだ。僕も、アルパカのセーター、手袋、帽子、股引と買った。なんせ寒いのだ。このジャンバーはどこを旅したか知らない。しかし、このオレンジ色のジャンバーには人それぞれの旅の思い出が詰まっているのだ。なんていったって、洗っていないから本当に染み付いているのだ。笑。

このジャンバーにはずいぶん助けられた。ラパスからポトシへの夜行バスで。かなり暖かいジャンバーだった。股引を持っていなかったこのときは、足にジャンバーをかけて救われた。それに毎日のようにこのジャンバーを着て寝ていた。

僕はこのジャンバーと共にリマからペルーを、ボリビアを、チリを、そしてまたボリビアを旅した。そんな思い出の詰まったジャンバーだった。昼間の日差しが強い時は正直邪魔な時もあった。もらい物だし、捨てようかと思ったこともあった。でも捨てることはなかった。そして旅を終えるとき僕も受け渡した。このジャンバーは今後もいろいろな人の手に渡っていくだろう。だって、僕も譲り受ける時どんな人から譲り受けたか聞いたし、僕が次に譲る時も今までのジャンバーの旅を語ったからだ。ジャンバーに自分の名前と国名とメールアドレスを書いて渡そうかと思った。今後、着た人が名前を書いていったらなんか面白いかなと思って。そして、このジャンバーが今世界中のどこを旅しているかが分かったら面白いと思った。これを着て旅した人だけが入るメーリングリストなんかを作って、現在来ている人が旅の報告をMLにしたら面白そうと思って。

でも、やめた。確かに面白そう。でもなんか旅って、偶然性とかあまりがっちり縛られない思い出が楽しいと思ったから。人の名前が書いてあると、来て旅する人にとって精神的な重荷になるだろうから。文字よりも、なんとなく言葉でジャンバーの旅を聞いたほうがワクワクしそうだし。

だから、そのままラパスで次の人に渡した。もともと女性用のジャンバーでサイズが小さいのでこれから南下する女の人に、今までのジャンバーの旅だけ話して渡した。その人はベネズエラから入って、ボリビアをさらに南下してウユニに行き、1ヵ月後ぐらいにリマから国に戻るといっていた。だから、まだこのジャンバーは南米を旅しているるんだとおもう。

あのジャンバーは今、どんな旅をして、何を見ているのだろうか。

October 11, 2005

南米の旅路の読み方

「南米の旅路」を普通に読もうとすると、16から1に向かって読むことになってしまいます。
でも、これは時系列と逆で、読んでも分かりにくいです。

それで、このページ(南米の旅路、イントロ)を表示してください。

これが「南米の旅路、イントロ」です。

このページの日にち(October 05, 2005)の上で、広告の下に
《 南米旅行写真 | メイン | 南米の旅路、その1 》
こんな感じのものがあると思います。

それで、南米の旅路、その1 ってのをクリックしてください。
すると、次のものが読めます。

同じことを繰り返して、その3、その4と読んでもらうと読みやすいと思います。

ああ、でも一番初めに写真を見たほうがいいと思います。
文章は長くて読むのがいやになると思うので。
写真は下のところにあります。
http://www.teratown.com/blog/archives/001846.html
とりあえず写真、こちらからご覧ください

何とかなるスペイン語講座

間違っているかもしれないし、綴りも分からない。しかし、今回のたびで必死に覚えたスペイン語。基本的に単語が分かっていれば問題ない。あと、いくつかの疑問文。活用形なんて知ったこっちゃない。原型だ。通じる、自分の言いたいことが相手に伝わる、同じ気持ちを共有する、それが目的なのだから。

当たり前に使っていたものはメモしていないので、忘れていると思う。でも、次スペイン語圏に行くときにこれだけあると便利だろうなー。自分へのメモ。

テンゴ・・・ ・・・I have
キエロ・・・ ・・・したい
キシエロ キエロの丁寧な表現
クアンド ティエンポ・・・? どれぐらい?
ティエネ・・・? Do you have・・・?
ケ エス ノンブレ? 名前は何ですか?
ケ オラ ・・? 何時ですか?
マスバラート もっと安く(値切る)
ケ エス・・・? ・・・は何ですか?
クアント アーニョス? 何歳ですか?
ポル 数字 ノーチェス、ポル ファーボル (数字)にち宿泊お願いします
エスト バ ア・・・? これは・・・に行きますか?
ア ケ オラ サレ? 何時に出発ですか?
ケ エス エスト? これは何ですか?
ケ メ スヒエレ お勧めは何ですか?
ラ クエンタ ポル ファーボル お勘定お願いします
メヌー デ オイ 今日の定食
イグスタ・・・? Do you like・・・?

ブエノ 良い
ペリグロッソ 危険
セグンド 二番目、メインディッシュ
テレフォーノ/フォーノ 電話
リコ うまい、おいしい
ベンターナ 窓
オホ 目
ケ 何
クアンド いつ
キエン 誰が
ドンデ どこ
コモ どうやって
クアント どれくらい
ポルケ なぜ
エン ・・・にて
クイダール 大切にする
ラピド 早い
レント 遅い
フォースフォロ マッチ
カンデラブロ ろうそく立て
ベラ ろうそく
ソパ スープ
フィフェオス 麺
セーナ 夕食
イグオル 等しい、同じ
ディファレンテ 異なる
ソロ 一つ
エスキーナ 角
メディア 半分、半
PASILLO 通路側
コメール 食べる
パラミ for me
レアール 読む、見る
デスペハード 晴れ
ヌブラード 曇り
アジイ あそこ
サル 塩
トドス 全部
プレサーダ/マンタ 毛布
コーチェ 宿泊する
アルムエルソ 昼食
ドゥーチャ シャワー
カリエンテ あたたかい
フリーオ 寒い
ムイ とても
フロンテーラ 国境
ケソ チーズ
ドミンゴ 日曜日
ノルマル 普通、日常
ノー プロブレマ ノープロブレム
コレオス 郵便局
パペル イヒエンコ トイレットペーパー
ラルゴ 長い
コルト 短い
パペル 紙
エスペラール 待つ
フィニート フィニッシュ
カンサード 疲れる
カミナンド 歩き
コンプラール 買う
カーロ 高い(値段が)
バラート 安い
ポルファーボール プリーズ
ポキート 少し
ペケーニョ 小さい
グランデ 大きい
マス より、さらに
カンビオ 両替、交換する
サリール 出発
ジェガール 到着する
レホス 遠い
セルカノ 近い
ソラメンテ only
アセル make,do
ウステ あなた
ヨ(ジョ)私
セルベッサ ビール
ポヨォ 鶏肉
アロス 米
メグスタ・・・  ・・・が好きです
アビタシオン 部屋
ムイビエン very good
テンプラーノ 早い
トラバッホ 働く
ファーシル 簡単
ディフィーシル 難しい
オートラ 別の
インテリヘンテ 賢い
バイラール 踊る
アブロ 話す
プレード できる
バモス Let's go
エルマーノス 兄弟
コミーダ 食事
ドルミル 眠る
ノンブレ 名前
ディネロ お金
イスキエルダ 左
デレーチャ 右
デレーチョ/レクト まっすぐ
ブエルタ おつり
アジェール 昨日
アオラ 今
ベルデ 緑
ユーリア(ジュビア) 雨
ヤーベ 鍵
デサイウーノ 朝食
アヒー 唐辛子
ピカンテ 辛い
ディスクルベ I'm sorry
ペルドン Excuse me
グラティス 無料
ブエナビスタ よい眺め
アスタ・・・ ・・・まで
デ from
コシーナ 料理する
アリーバ 上
パパス ジャガイモ
アバホ 下
リブレ 空いている
ロッホ 赤
ポシブレ 可能
インポシブレ 不可能
ネセシティート 必要
ノーネセシティート 必要ない
エクセレンテ 最高
マロ 悪い
クイダード 注意
エステ(タ) この
アヤ あそこ
パサヘ 切符
バカ、バカーノ 牛
バカシオネ バケーション
ラピ ペン
カンパニア 会社
ニエベ 雪
インクルーイード 含む
コン 含む with
シン  without
エスタビエン OK
セマーナス 週間
ディアス 日
ディスプエス 後で
ルエゴ 後で
ミズモ(ミスモ) 同じ
モチーラ カバン
ポロキシモ 次
カジ 通り、道


シエン 100
ドス シエントス 200
ミル 1,000
ディエス ミル 10,000

南米の旅路、その16-完-

サンフランシスコとシリコンバレー、そして日本へ

ラパスからマイアミに着いた。暑い。それからサンフランシスコに。アメリカの国内線は機内食なんかもってのほか、菓子すらでない。スナックバックとかいって5ドルで売っていた。ああ、アメリカ国内線しょぼーん。

まあ、サンフランシスコに着き、金の節約のために床で寝る。床で寝ると翌朝、体が痛いが仕方ない。ゴールデンゲートブリッジへ行った。バートとバスと歩きで。それから、スタンフォード大学に。かなりでかい。想像通りのアメリカの大学。ここからHP,Sun,google,yahoo,Ciscoが生まれたのだ。そんな大学を歩き回った。アジア系の学生特に中国の人が多い気がした。中国パワー恐るべし。

サンノゼの町にも行った。アドビとかもあった。サンノゼの空港にはでっかいリムジンで乗りつけ、プライベートジェットで飛んでいく人がいた。ここはそんな町の代名詞だろう。プライベートジェットがうじゃうじゃあった。そんな地を後にして、日本に戻った。

南米旅行写真その1
エクアドル、ガラパゴス、赤道、リマ、ナスカなど

南米旅行写真その2
ポトシ、ウユニ、ナスカ、クスコ、マチュピチュ、チチカカ湖など

南米旅行写真その3
ウユニ、チリ、アメリカなど

南米の旅路、その15

アリカからラパス

アリカには早朝着いた。町をぶらぶらして、港へ行った。アリカといったら海の町、港、魚。まさに、そんな町。港へ行くと、相変わらず声をかけられる。僕の顔とキャラは絡まれやすいらしい。悪い奴にと言うわけではなく、普通の陽気な人に。それで、港で魚をさばいていたおっちゃんに声をかけられる。そこで、おっちゃんは魚を捌いて、レモンとたまねぎなどでセビッチェを作ってくれた。そして、貝殻でそれをすくって食べた。取れたての魚はうまかった。取れたての魚をさばいてくれて、調理してくれてそのまま食べる。いやー、いい身分だと思った。

ラパスへはバスで。8時間ぐらいでついた。このときの国境の景色は良かった。山が富士山のような山できれいだった。手前には湖もあり、なかなかのものだった。再びラパスに戻ってきた。すり鉢上の町。すり鉢の底に行く前、上からラパスを見るとなかなかのものである。ここが世界最高所にある首都かと思いながら。

ラパスでは逆さ夜景の美しさと月の谷。そしてチャリダーの人とのトークが心に残っている。チャリダー二人と夕食を食べに行ったり、帰りの飛行機が朝早く4時までおきているのに付き合ってくれたり。世界を旅した話を聞かせてもらったり、人生観を語り合ったり。短気だった男が、「すべてを許す」って決めて世界を自転車で回る旅に出て。なんか、人生は千差万別で、いろいろなことを考える人がいて、共感する人がいて、それぞれの夢があって。そうなんだよなと改めて実感した。でも、人生を賭けている人の話はいつ聞いても、それがどんな分野であろうと面白い。面白いというよりもひきつけられる。

僕が宿を出る時間が朝の4時だった。だから朝まで起きていようと決めた。チャリダーの人は長旅の休養をしっかりとり、出発を明日とか明後日とか決めていた。それなのに3人のチャリダーは朝まで付き合ってくれた。いろいろな話をしながら。そこの宿は衛星でNHKが映った。白黒でノイズはいりまくりで、映るとは言いがたかったが、見ることは出来た。その僕が出発する1時間前に始まったのが野口腱さんのインタビュー。僕たち4人はテレビに釘付けになった。あそこまでになる人はやはり、考えがしっかりしているんだと感じた。それに、経験に基づく裏づけがある話しだった。

植村さんの「青春を山に賭けて」と言う本を読んで、山に登り始めたと話していた。それと、印象に残ったのが、なぜ山に登るかと言う話。雪の山は危険だらけだ、なだれに、高山病などなど。でも、そんな危険な山になぜ登るか。かれはアフリカに行って気がついたらしい。アフリカで見たハイエナは常に研ぎ澄まされていた。餌をとるときの目と体。しかし、家の猫はでぶでだれていた。同じねこ科の生き物なのになんでこんなに違うのかと。自分もこの二つと同じだと気がついたらしい。日本に普段いるときはペットの猫と一緒で、体全身がだれている。しかし、山に登ると普段使わない神経を使い、脳を働かせ、体を動かす、自分が研ぎ澄まされる。その状態を本能的に求めているのだと。山を登るときの苦労はつらくない。なぜなら前向きだからといっていた。

このハイエナの話は理解できる。外国に旅をしたときは、いろいろなことをシュミレーションして意思決定をして、時には瞬時に判断して、周りを警戒して、よく体を動かし、日本でだれている時よりも研ぎ澄まされたとまでは行かなくても、生きていくために必要な神経を、脳を刺激している気がする。

世界一きれいなラパスの逆さ夜景を上から見ながら空港へ向かった。

南米旅行写真その1
エクアドル、ガラパゴス、赤道、リマ、ナスカなど

南米旅行写真その2
ポトシ、ウユニ、ナスカ、クスコ、マチュピチュ、チチカカ湖など

南米旅行写真その3
ウユニ、チリ、アメリカなど

南米の旅路、その14

カラマからアリカ

サンペドロは小さな町で数分歩けば町がなくなる。そんなところでボーっとした。気持ちよかった。そういえば、チリはホットシャワーが出た。体がほっとした。休まった感じがした。かなり久しぶりのお湯だった。たぶん、お湯をたっぷり浴びたのは今回のたびで2回目だと思う。1回目はペルーのアグアスカリエンテスの温泉だ。カラマへは1時間強だった。昼過ぎに着いた。平日のはずなのに町が死んでいる。世界有数のチュキカマタ銅山のある町だから金もありそうでもっと元気があると予想していたのに。そこで、町の人に聞くとどうやら陸軍記念日で祝日だったのだ。

ああ、日曜日と祝日は生活しづらい。が、仕方ない。近くのメルカド(市場)で一軒だけ店がやっていた。そこで食事をして、たまった日記を書いた。翌日、チュキカマタ銅山に行った。9時30から説明をしてもらえるというので。しかし、その情報は古かった。14時らしい。せっかくここまで来たのでと思い、一人でチュキカマタ銅山を見ることにした。確かに規模もでかかった。銅山ってこんなところかと驚いた。1.1%の銅を含まれた土。それが99%以上にされ世界へいく。ああ、金属を作るってのはスゲーことだな。日々当たり前のように使っているが、ありがたいことだなと実感。まあ、それよりもチュキカマタの犬が危なかった記憶のほうが強い。30メートルぐらい犬から離れたところを普通に歩いているだけなのに、吠えて、目をむいて走ってくる。噛まれる。噛まれる、すなわち狂犬病。勘弁してください。犬も嫌いだし、狂犬病なんてもってのほか。まあ、ドキドキしながらなんとか逃げ切った。

その夜のバスでアリカに行く予定だった。そこで時間があまる。公園でボーっとしたり。でも、スリに狙われている気がした。さらに、シエスタで多くの店が閉まった。ああ、この時間はまずいと思い、開いていたカフェに。そこで、チリ人の若い奴ら4人とトーク。ただただテンションが高いバカな奴らだった。まあ、でもかわいいところもあって、面白い奴だった。折り紙を教えてやったり、日本語を書いてやったりしたら喜んでいた。そいつらと3時間ぐらい一緒にいた。

南米旅行写真その1
エクアドル、ガラパゴス、赤道、リマ、ナスカなど

南米旅行写真その2
ポトシ、ウユニ、ナスカ、クスコ、マチュピチュ、チチカカ湖など

南米旅行写真その3
ウユニ、チリ、アメリカなど

南米の旅路、その13

ウユニからチリへ サンペドロアタカマ

サンペドロアタカマ国境が雪でcloseしていた。しかし、明日は開くかもしれないと日々期待していた。そして、ラグーナコロラダの夜21時に無線で国境に問い合わせ、いけるかどうかが決まるらしかった。案の定、サンペドロ国境は閉じていた。しかし、そんなんでチリ行きをあきらめられない。強く訴えた。すると、オジャゲ国境という超マイナーな国境からいけないこともないらしかった。しかし、交通の便は限りなく悪いらしいが、まあ行くと決めた。そして、翌朝も5時過ぎに起きた。ずっと早起きが続いていた。日の出と共にラグーナコロラダを後にしてチリを目指した。

チリへの道のりもハードであった。一回車が横転しそうになった時は正直ビビッタが、まあ、国境には6時間ぐらいで着いた。それにしてもこんな国境は初めてだった。どこがボーダーかは分からない。しょぼいオフィス以外に何もない。オフィスにも人はいなく奥まで呼びに行く。そんなもんだ。町なんかあるはずがない。とりあえずボリビア出国したのは良かったが、チリに入国する前の場所で放置。それも4時間ぐらい放置。全く何もない。やることもない。本当にチリに入国できるのかと不安になるほど。

しかし、何もないところですごすことがトクイな俺には何にも困らない。廃線になった線路があったのでそっこの上で寝た。線路の上で寝たのは初めてだと思う。ちょっと寝にくかったが、枕代わりのペットボトルがあれば大して困らなかった。そのあたりには、青い空と煙をすこしだす山があった。この日も雲を見ていない。全く雲なんてない。真っ青な空なんだから。雲なんか見たくても見れない。でも、そんなアオゾラにニンマリしてしまっていた。気持ちよかった。

チリへの入国は出来たが、時間はかかった。スタンプをもらうにも時間はかかったし、荷物チェックもめんどくさかったし、来たバンに乗ったらいきなり運転手が飯を食いに行きまたされるし。まあ、そんなこと言っても仕方ない。チリに入ると土の道であるのには変わりなかったが、どこが道か分かるぐらいに石とかはどけてあったので、運転手はぶっ飛ばした。本当にぶっ飛ばした。スピードの出しすぎだった。

外は暗くなった。すると黄金の月が昇ってきた。砂漠の中からだ。これはまさにムーンライズ。砂漠のムーンライズだ。車の中から、左を見ながら黄金のムーンライズを見た。車を止めてもらってみたが、本当にすごい。砂漠の砂によって月が照らされ黄金のような色になる。そんな月が昇ってくる。こんなところで念願のムーンライズを見れるとは思ってもいなかったので、その喜びも人一倍だった。これこそセレンディピティってやつだろう。この語源も旅の時らしいし。それにしてもムーンライズは贅沢だった。

やっと、サンペドロアタカマに着いた。砂漠の中に無理やり作ったような小さな町だった。欧米人が多く、宿4軒ぐらいフルで断られたし、物価は高かった。

南米旅行写真その1
エクアドル、ガラパゴス、赤道、リマ、ナスカなど

南米旅行写真その2
ポトシ、ウユニ、ナスカ、クスコ、マチュピチュ、チチカカ湖など

南米旅行写真その3
ウユニ、チリ、アメリカなど

南米の旅路、その12

サンファンからラグーナコロラダ

サンファンと言う町を日の出と共に出発した。この日はアオゾラの日だった。僕が一番大好きな真っ青なアオゾラの日だった。この空を見たいと思ってきた南米だった。雲ひとつない青い空が大好きなんだ。標高が5000メートルぐらいだから、空気が澄んでいて青さが増して見えるのだろうか。青い空を見ながら、荒野をひたすら車で走り続けた。道なんかあるはずもなく、車は揺れに揺れた。そんな中、丘に登って周りの山と青い空をみたり、冷たく澄み切った空気を吸ったりした。車が進むと突然ラグーナ(湖)が現れた。5つぐらい見ただろうか。真っ青な空。空に向けて聳え立つ山。澄み切った湖。鮮やかなフラミンゴ。絵の世界のようだった。現実とは言いがたいような風景だった。

こんな風景が当たり前のようにある世界も、世界中探してもめったにないだろうと思う。そんな風景を見ていたのにもかかわらず、車で坂道を登っている時に、目に飛び込んできた。いてもたってもいられなくなるくらいの風景。完璧だった。何の無駄もない美しさ。自然と言うのはここまでのものを何の意図もなしに作り出してしまう。何の意図もないから作れるのかもしれない。ただできたものを人間がそうやって意味づけしているだけと言ってしまえばそれだけだろう。でも、そういいきるのがもったいないほどの景色だった。僕は車を止めてもらい、外に飛び出た。そして、その自然と向かい合った。息を呑む風景だった。しかし、写真に撮ったらうまく取れなかった。写真では表せないスケールだったのだ。

その後も荒野を走り、山を登り、ラグーナを見た。そんな時、車が雪にはまってしまった。標高5000メートルでこんなことになるとは。高山病でダウンしてしまった人もいた。しかし、雪をかいて、タイヤに石をかまして、車を押さないと何も解決しない。石を運ぶのは小さな石なのに息が切れた。それだけの高度にいたのだ。2時間近くひたすら車の救出をした。ここで夜を明かしたら凍え死ぬほどの寒さだ。マイナス25度といわれるほどの寒さに夜はなってしまうのだから。必死に押した。必死に運んだ。必死に雪をかいた。そして、ついに車は発進した。うれしかった。たまらないほどうれしかった。この瞬間を求めていたのだから。

それから、岩が丸っこくなった岩壁をみたり、下が削られ上だけでかいままの石を見てラグーナコロラダへ行った。そこには3軒ぐらいの宿があった。ここが伝説の寒さの場所だ。毛布は5枚ぐらい。上着は8枚、ズボン3枚。そんなんだった。屋根はビニールシートで風が入ってきていたのだから。ラグーナコロラダは有名だったが、そこまでひきつけられなかった。それまでに、すごいものを見続けていたからか、外が寒すぎて出たくなかったのか。それは分からない。しかし、満月にはまたやられた。やられた。いちころに。ちょうどラグーナの位置から満月が出てきた。まだ低い位置だったので大きかった。それは輝く大きな月だった。それに、湖の水が赤くなっており、空は赤みがかっていた。こんな状態は想像もしたことなければ、絵でも写真でも見たことがない。たまらなかった。美しさのきわみではないかと思った。あの極限の寒さが美しいと感じる心に輪をかけていたのかもしれない。

南米旅行写真その1
エクアドル、ガラパゴス、赤道、リマ、ナスカなど

南米旅行写真その2
ポトシ、ウユニ、ナスカ、クスコ、マチュピチュ、チチカカ湖など

南米旅行写真その3
ウユニ、チリ、アメリカなど

南米の旅路、その11

ウユニ塩湖からサンファン

とうとう着いたのだ。あのウユニ塩湖に。2年越しの憧れの地である。ここまで惚れ込んだ場所も今までなかった。僕には強烈過ぎる場所だった。このブログにも何回エントリーしたかも分からないぐらいだ。さらに、周りの人もウユニ塩湖なんて普通に生活していれば知るはずもないのに、知った人が多かっただろう。まさに、そこに、ついに、来てしまったのだ。水がボコボコ湧き出るところ、錆びたような茶色が白い塩の大地に付着しているところも少しあった。しかし、塩湖の中心に行くと完全に真っ白になった。車輪のあとがまっすぐ見えるところがあるぐらいである。それ以外は、塩の硬い硬い結晶が一面を覆いつくしていた。

ジープは塩のホテルに来た。塩湖の中に塩で作られたホテルがあるのだ。壁は塩のブロックで作られ、テーブルも椅子も塩で作られていた。しかし、僕は塩のホテル自体に興味はない。塩湖の真ん中にいるということに価値を感じていたのだから。だから、カバンをベッドに置くとすぐに外へ出た。外に出ると一面真っ白な塩の大地がまっていてくれた。風の吹く寒い潮の大地で、塩と向かい合った。水平線というのか地平線と言うのか分からない。けど、地の果てまで真っ白の平面が続いていた。ちょうど太陽が傾きかけてきたコロだった。太陽に向かって歩いていっても太陽に近づけない。でも、太陽に向かってまっすぐ歩いた。ずっと歩いた。右も左も東も西も北も南も分からないような、何もない真っ白な平面を太陽に向かって。ただひたすら歩いた。

そして、ふと立ち止まり。寝転がった。僕はいろいろなところで寝転がる。そしてたまに寝てしまう。大人になってまでいろいろなところで寝転がるのはみっともないとか、汚いといわれそうだが気にしない。寝転がって、体全部で大地を感じることができるのだ。足で立っているときとは大地との接触面積が違う。視点も違う。感じるものは全く違うのだ。寝転がると大地と向かい合い、一体化できる気がする。ガラパゴスでも寝たし、ナスカでも、マチュピチュでも、チチカカ湖でも寝た。僕の自然との向かい合い方だ。あの、見上げた時の空は今でも忘れられない。

寝転がった、足も手も伸ばして大の字になった、叫んだ、大地を殴った、空を見上げた、でも何も起こらなかった、天を仰いだ。これが自然なんだ。俺一人の力で自然に立ち向かうってことはこういうことなんだ。情報化社会の現代は個人でも世界中の人々に大きな影響を与えられる。でも、自然はそんなわけにはいかない。それから、仰向けに、うつぶせに、転がった。逆さで写真を撮った。空も大地もどちらか分からなくなったが、どっちでもいいや、と思ってしまった。大地をなめた。しょっぱい。塩だよ。塩。本物だよ。当たり前だ。地面を見れば塩の結晶となっているのもすぐに分かるのだから。でも、使っていなかった感覚で試すと、脳では知っていたことでもハッと気がつかされる。

そんなことをしている間にも、太陽は大地に近づいてきた。太陽は空を色づけた。雲を色づけた。それも無数の色に。本当に美しかった。太陽はどんどん低くなり、大地にまで迫ってきた。また、水平線に沈みゆく夕日だ。美しい。美しい。ふと後ろを振り返えると、自分の長い長い影が伸びていた。その先まで目をやると白い月が出ていた。なんと神秘的な世界なんであろうか。

太陽は完全に沈んだ。しかし、まだ太陽は雲を照らしていた。雲の色が赤とオレンジの間の色になり、大きな雲だけを色づけていた。そのほかの雲は色づけられていなかった。それを見た時にオーロラかと思うような。これもたまらなかった。真っ白な塩の大地を色づけていたのも言うまでもない。大地を満喫し、塩のホテルに戻り夕食をとったあと、そとに出た。夜の塩の大地を見るために。外は白夜のようだった。大地が白い上に、今夜は満月だからだ。そんな神秘的過ぎる、なんかこの輝く夜はかぐや姫が生まれるのではないかと一瞬思ってしまった。

翌朝5時過ぎに起きた。朝日を見るためだ。昨日よりも雲が少なく、今日のウユニは昨日と違った顔を見せてくれそうな予感が朝からした。眩しい眩しい太陽が昇ってきた。それも美しかったのだが、その周りに広がる空の色の変化が美しすぎて日の出すらインパクトを失ってしまうほどだった。もう、なんてたとえればいいのか、何と表現していいのかが分からなくなってしまった。大地と空の低いつながって見える部分にかけての青さと淡いオレンジ。やわらかい赤色。これは見とれてしまった。完全に心を奪われた。

ジープは朝迎えに来る予定だったが、来たのは昼の14時ぐらいだったと思う。遅すぎで同じ車の人はご立腹だった。しかし、僕は長い間、何もない塩湖の中にいられて幸せだった。今日の塩湖は雲がない。空が青い。青すぎる。眩しくて、皮膚が痛いくらいだ。サングラスをした。歩いていると塩の台地の上で力尽きたすずめがいた。この大きな大地と真剣勝負をしたすずめはその戦いの間に力尽きてしまったみたいだった。これが、自然であって、見た目はガラパゴスとは全く異なるが自然に生きるということについては全く同じ気がした。

サボテンの島に向かった。ここは、塩湖の中にある島である。そこには大量のサボテンがあるのでサボテンの島と呼ばれている。日差しが強かった。眩しかった。島の頂上まで上った時、風が強かった。白かった。サボテンが力強よく見えた。雲の形が大地にそのまま映った。なんか、とんでもないところだ。

ひたすら広大な白い台地を車で走り続けた。心も照らされて、ワクワクするような光景だった。このまま塩湖とさようならだ。そこで、塩湖を殴って、塩の結晶を何とか取った。硬く、しっかりとくっついているので正直塩をとるのは大変だった。塩のひび割れが見え、大地は茶色くなり、塩湖は終わった。そして、荒野を走り続けた。また、日が落ちまん丸の月が昇ってきた。この月がきれいできれいで。太陽が沈んですぐの月はなんてきれいなんだろうか。サンファンと言う集落についた頃には、丸い月の光しか見えなくなっていた。

南米旅行写真その1
エクアドル、ガラパゴス、赤道、リマ、ナスカなど

南米旅行写真その2
ポトシ、ウユニ、ナスカ、クスコ、マチュピチュ、チチカカ湖など

南米旅行写真その3
ウユニ、チリ、アメリカなど

October 08, 2005

南米の旅路、その10

ウユニから塩のホテルへ

トヨタ、トヨタ。ウユニにはトヨタばかりである。チリ抜けの道は悪路だから、タフなトヨタがいいみたいである。ご他聞に漏れず、僕もランドクルーザーに乗ってウユニの町?村?を出た。運転手の兄ちゃんは、街中でパンとかを仕入れていく。20キロしかない道のりを1時間かけていった。道が悪く全くスピードが出ない。その悪路をこのスピードで理解してもらえるだろう。しばらくたつと、見えた。見えたのだ。はじめは蜃気楼かと思ったが、遠くに白く光る水平線が。今まで、こんなにも惚れこんだ場所はなかった。2年ぐらいウユニの今年か考えられないほどウユニのことを思っていた。そんなウユニ塩湖が遠くに、蜃気楼のように見える。とうとう来た。とうとう来てしまったのだ。あれだけ虜にされ、夢見た場所に。涙が出そうになった。

スペインのグエル公園からサグラダファミリアを見た時のようだった。全く本を読まなかった小学生が、図書館で偶然手に取った本が「ガウディの夢」。それをなぜか読み、ガウディに惚れた。椅子にタイルを張る時に、長方形だからきれいに張れなかった。そこで、彼はタイルを割って貼り付けた。その時の僕にはそんな発想なかった。浮かびもしなかった。ガツーンとパンチを食らったような気分になったことを覚えている。その時以来スペインに、ガウディに会いに行きたかった。そんなところに、一人で来た。あの時の気持ちは今でも忘れない。まあ、その時にような気分になった。

車はウユニ塩湖へ向けて方向を変えた。すると、塩の製塩所を通りかかった。山になった塩を製塩していた。とうとう来たのだ。土だったのがいつの間にか、大地が白くなっていた。徐々に塩が混じり、土がキラキラして、塩になった。自然だからいきなり真っ白と言うわけではなかった。徐々に白くなっていった。本当に少しずつ色が変わっていった。だから、気がついたら塩湖になっていたという表現でもおかしくないような感じだった。

南米旅行写真その1
エクアドル、ガラパゴス、赤道、リマ、ナスカなど

南米旅行写真その2
ポトシ、ウユニ、ナスカ、クスコ、マチュピチュ、チチカカ湖など

南米旅行写真その3
ウユニ、チリ、アメリカなど

南米の旅路、その9

ポトシからウユニ

次はウユニだ。やっとウユニに近づいてきた。このために南米に来たのだから、ソワソワし始めてもしかたない。ウユニへは朝7時30分にコレクティーボ(乗り合いバス)がでると、宿のおばちゃんが言った。まあ、信じるはずもない。聞いたら適当に答えるのが南米人である。そこで、インフォメーションに行くと11時。町の人に聞いたら10時。いったい何時か分からない。いや、何時でもいい。バスの出発する場所さえ分かればいつかバスが出発することだけは確実である。だって、伝説の言葉がある。「アキー、ボリビア」(ここ、ボリビア)。すべてが許される言葉である。いい加減だし、謝らないし。でも、ここはボリビア。こっちも、そんな怒りっぽい人間でもないし、何も気にならない。なんでも、楽しませてもらう。

で、朝7時30分にバスの発車場所に。一番早いので10時。おお、2時間半もあるじゃない。まあ、仕方ない。その間はメルカドに行って朝食のスープとセグンド(2番目の皿、メイン)、パンを食べる。警官にも声をかけられいろいろ話したがもう、覚えていない。時間なんて、何をしてようと、することがなかろうが過ぎていくものである。自分の意識が時間に対する感情を抱いているだけで、それで待つ時にまだかまだかと思ってもしかたない。すると、バスの出発時間に。あいかわらず土の道路。ガタガタ。さらに、人がどんどん乗ってきて、通路も人であふれる。問題は窓が開かず、空気が悪すぎ。臭い。生暖かい。おわっとる。まあ、仕方ない。そんなんで6時間か8時間か忘れた。標高も高い。5000メートルぐらい。雪も残ってるし。人を乗せて渡れない橋とか、登れない坂道とかあって、人は歩いて上った。まあ、空気は澄んでいて、冷たくて気持ちよかった。アンデス山脈もきれいだったし。

まあ、夕方にウユニについた。ウユニは想像よりもしょぼい町だった。基本的に平屋しかない。町にはほとんど誰もいない。店はほとんどしまっている。なんか過疎って感じだ。まあ、それは問題ではない。おれはウユニ塩湖のためにきたのだ。僕は塩のホテルにどうしても泊まりたかった。塩湖の中にあるホテルだ。ここはプラヤブランカという会社が塩のホテルを所有しており、ここの旅行会社を使わないと泊まれない。しかし、この会社はサービスも悪く、車も古く、飯もまずく、いい加減という最悪のうわさ。しかし、僕はあんまり快適水準をもとめないから、余裕だろうと思っていた。そこで、プラヤブランカで3泊4日。サンペドロアタカマまで抜けることにした。案の定なんだが、この会社の人はチリに抜けれると当たり前のように言った。しかし、町で会ったドイツ人と話すと、サンペドロ国境は雪で閉まっているという。お前はチリへ抜けれないと思うと。。。言われる。そこで、他の会社で聞くとチリへは行けないと。オイオイ。さすがプラヤブランカ。そこで、ブチ切れに行った。そうしたら、明日は国境が開くとか、国境があくまで日にちを変えてもいいとか言ってきた。まあ、その時考えよう。

なぜ塩のホテルに泊まりたいかというと、泊まらないとランドクルーザーで行って、ちょっと見て帰るだけ。それじゃ物足りない。ホテルに泊まればずっと塩湖にいられる。夕日も朝日もきれい。星も見れる。こんな得点つきだ。たまらんよ。たまらんのですよ。

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エクアドル、ガラパゴス、赤道、リマ、ナスカなど

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ポトシ、ウユニ、ナスカ、クスコ、マチュピチュ、チチカカ湖など

南米旅行写真その3
ウユニ、チリ、アメリカなど

南米の旅路、その9

コパカバーナからラパス→ポトシ

コパカバーナからもバスでラパスへ向かった。チチカカ湖を船というか、ちょうどばすがのるぐらい木の船にヤマハのモーターひとつ。そんなんでバスもチチカカを渡った。それから、ラパスへの道もきれいな景色だった。チチカカもきれいだったし、荒野もなかなかのものだった。ラパスについた。僕は急ぎ足で、テルミナル(バスターミナル)へ向かった。そこで、出会った日本人の人と別れた。バスの中では人生について話していた。ストレート(何をストレートと言うかは、それぞれだがニュアンスは伝わると思って。レールのほうがいいかな)に来た人生を自ら抜け出して、自らの決めた人生を歩む人の話はおくが深かった。まあ、次はバスでポトシを目指した。ラパスで泊まっても良かったのだが、ラパスoutの飛行機だから絶対戻ってくるので、このときはラパスにとまるメリットがない。ポトシ行きのチケットを買った。翌朝5時とかにつくバスだ。悪路と聞いていたし、限りなく寒いと聞いていた。そこで、服も防寒の装備でバスに。

隙間風が冷たかった。さらに、夜中の2時ぐらいにバスが故障。そこで、2時間弱バスの修理が行われた。まあ、仕方ないことだ。それにしても寒かった。故障のおかげで7時ぐらいにポトシについた。ポトシの朝もひっそりとしたものだった。朝も早くて宿もあまり空いていない。仕方なく、開いていて安いところにした。部屋が限りなく臭かった記憶しかない。本当に臭かった。俺がくさいというんだから、普通の清潔な人が宿泊したら発狂すると思う。朝も早かったし、ドアを開けたままにして空気を入れ替えながら、外で日記を書いた。

それからセロリコ(富の山)といわれるポトシ山へ。鉱山で働く人と共に乗り合いバスで行った。ここは本当に鉱山の町だ。鉱山の近くには、作業服を着た人が立ちながら朝食をとっていた。トラックの荷台にあふれんばかりの人が立ってのり、セロリコに入っていった。この町は世界最高所の町4070メートル。そんな町にある山で彼らは働く。彼らは毎日自分の仕事場まで山を登っていく。5000メートルはあろうかというところまで。毎日、毎日自分の場所まで歩いていく。過酷な労働条件で。働くということは何なのか、ついつい考えてしまう光景だった。

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エクアドル、ガラパゴス、赤道、リマ、ナスカなど

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ポトシ、ウユニ、ナスカ、クスコ、マチュピチュ、チチカカ湖など

南米旅行写真その3
ウユニ、チリ、アメリカなど

October 07, 2005

南米の旅路、その8

プーノからコパカバーナ(ボリビア)

チチカカ湖のタキーレ島からプーノに再び戻った。チチカカ湖はトルーチャ(マス)が有名だ。と言うことで、名物はうまい可能性が高いので食べる。フリトー トルーチャ。揚げたマスだ。うまい。魚はいいもんだ。ペスカード万歳。しかし、この店で、ちょっとしたことが。プーノは言わずと知れた首絞め強盗のメッカ。

僕が飯を食っていた時に、後から入ってきた人がいた。彼らは僕の後ろの席と、ななめ後ろに座った。すでに客が座っているテーブルに、それもすごい狭いところに無理やり座った感じがした。飲食店に来たのに、さらにテーブルに座ったのに何も食べずに5分ぐらいで店を出て行った。するとすぐに、店員が近寄ってきて「注意しろ、注意しろ」といってくる。さらに、周りの客も、ポケットをしっかり隠せとか、目で常に周りを見ているとか、身振り手振りも合わせてひたすら同じことを言ってくる。どうやら、さっき店に入ってきた奴らは強盗だったのだ。日本人が店に入ったという情報をつかんだからか、定期的に盗人は来ているのか。。。店の人も盗人が怖くて、店を後にするまで俺に声をかれなかったんだろうな。まあ、盗人の顔をみんなが知っているのもスゴイ町である。おっかない。おっかない。彼らが店の近くからいなくなるのをまってから、店を出た。

翌朝、バスでコパカバーナへ向かった。コパカバーナにはフローレンシアという有名な宿がある。ここに泊まりたくて、コパカバーナに行こうと決めた。コパカバーナは特に何もないチチカカ湖の周りの小さな町である。ペルー(プーノ)からボリビアに行く国境は、2つある。このコパカバーナ経由とデサアーグロ経由。はじめからコパカバーナ国境でボリビアに行こうと思っていたが、こんな情報を入手してそれは確定した。デサアーグロ国境は警官が嘘をつくし、何もないのに呼び止めて何人かで荷物チェック。荷物チェックをしている間に、質問をして気をそらして荷物や金を盗む。そんなのが頻発しているみたいだ。そんなのめんどくさいし、コパカバーナ国境で行こうと決めた。バスは出発した。5分ぐらいでバスは止まった。すると、どこかで見たことのある人が。なすかで会った人だった。またあった。いやいや偶然こんなにも会うものなんだねー。

コパカバーナへはバスで3時間ぐらい。チチカカ湖の周りをバスは走り続けた。そして、町につくと目的の宿を探した。この宿の5階は4面ガラス張りなのだ。日の出も、夕日も、チチカカ湖も見れる。すごい部屋だ。そんなところに泊まってみたかった。さらに、安い。おばちゃん陽気。(もちろんスペイン語のみだけど)。この時行ったらちょうど部屋は空いていたので泊まることができた。うわさに聞いていた通り、ガラス張り。外が丸見え。すなわち中も丸見え。チチカカ湖も丸見え、夕日も丸見え、朝日も丸見え。ベッドに寝転がりながら夕日を見てみました。なんかリッチな感じ。湖の周りをゆっくり歩いてビールを飲んだり。遊びに来ていた人たちとよくしゃべったりした。このときのビールはほんの少しで酔った。高山だからってのもあるだろうけど、理由はイマイチ分からず。夜はメルカド(市場)で買い物をして、チチカカ湖といえばトルーチャ(マス)と言うことでマスのフライを昨夜に続いて食べた。しかし、食べ終わる直前に雨が降り出す。さらに夕方ぐらいからの停電。。。やられた。風が強くて電線が切れたととのことらしいが。まあ、仕方ないのでメルカドのおばちゃんとその子供たちとトークをしてスペイン語のお勉強。1時間ぐらいして小ぶりになったので宿へと戻った。

翌朝、日の出だ。夕日の反対側から昇ってきた。夕日を見た時と同じところにいるので、その時の背中のほうを向くと本当に日の出だ。ああ、地球が一周したんだなと思う。と言うよりも、太陽が一周したんだなと思った。なんか、でっかいよなー。いや、まじでっかい話だよ。寒い朝の朝日はまぶしく、体にしみたなー。朝食は、ナスカで会った人がスープとオムレツとレタスのサラダを作ってくれた。なんか料理が好きでスパイスとかを日本から持ってきたり、こっちでも買っていた。それも使って作ってくれた。すぐにスープを作って、それがまたうまくて驚いた。まあ、少し手伝ったのだがね。4階も眺めがよく、朝のすがすがしいチチカカ湖を見ながら、朝食。リゾートにでもいる気分になった。


そういえば、南米は乾燥していた。というか、高度が高いところは乾燥していて、唇はバリバリになって、鼻の粘膜も乾燥し、鼻をかむと血が出るほど。しかし、湖の近くに来て少しましになった。あと、高地ではゲップとおならがたくさん出るのは基本です。

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October 06, 2005

南米の旅路、その7

チチカカ湖(アマンタニ島、タキーレ島、ウロス島)、コパカバーナ(ボリビア)

プーノの港から20人乗りぐらいの船に乗ってチチカカ湖にくりだした。富士山よりも高いところに琵琶湖の12倍の海のような湖がある。僕は、海とついつい言ってしまった。それも何度も。人間はぱっと見てそれを何か判断するんだろうけど、イマまでの俺の経験からはこれだけでかいものは海だという認識があるのだろう。チチカカ湖といえば青。しかし、港の近くは船も多く、ゴミもプカプカ。ちょっとショック。しかし、これが現実。船はすぐにウロス島に着いた。葦で作られた浮き島。棒を島にぶっさしたら、本当にすぐ下は湖だった。スゲーと思った。踏んだ感触はなにかふわふわした感じ。さらに、どんどん腐っていくから、常に増築しているらしい。そんでもって、葦を食べた。味は特にしない繊維質の食べ物だったなー。ウロスの人も昔は逃げてここですみ始めたんだろうけど、イマは観光のためにすんでいる感が否めなかった。まあ、すべてがそのためとはいえないんだろうけど。それから、アマンタニ島に、ここはけっこう良かった。民家に泊めてもらったんだけど、水道も電気もガスもない島。でも、泊まった家の母親が手をこめて料理を作ってくれた。あと、シーンとした島だった。無駄な音が全く聞こえてこない、空気が張り詰めた島だった。あと、チチカカの青い湖と茶色い土の大地、そして強い風。なかなかのものでしたよ。かなりの景色だった。島のてっぺんに登るときに後ろを振り返った時の、あの景色は忘れられない。口から「おゥーー」ということばが知らぬ間に出ていた。その日は雨が降って星空を見ることはできなかった。

タキーレ島に移動した。普通はここは昼食をとって、島を歩いて終わり、プーノに戻る。しかし、せっかくだからと思い、一人だけタキーレ島でも泊まる事にした。昼を過ぎると外人は僕だけになった。観光客がいなくなったタキーレは本来の姿を取り戻したというか、静けさを取り戻したというか、寂しさが島を包んだ。たぶん、観光客が来る前はこんな感じじゃなかったと思う。観光客がきはじめてから、この寂しさが生まれた気がする。まあ、僕が勝手にそう認識しているだけなんだろうけど。でも、だれもいないタキーレは良かった。この日は星もきれいだったし。普段は見ることのできないタキーレを見ることができた気がした。

いつも思うのだが秘境とか雄大な自然は完全に一人で味わいたい。感じたい。一番最悪なのは一緒に日本人がいること。その次は外国人観光客がいること。である。なんか同じような感覚を持つと思われる人が近くにいるといやだ。それと、周りに人間がいると自分の好き勝手に自然と向き合えない。だから自然とは一人で向かい合いたい。しかし、秘境っぽいところへはチャリダーぐらいしか一人で行けない。それが、私にとっては最大の問題です。

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October 05, 2005

南米の旅路、その6

クスコからプーノ

クスコからプーノへは電車で行った。実は今回のたびで電車を使ったのはこのときだけだったと思う。この列車は世界最高所にある駅に止まる。駅の標高4319メートル。富士山よりもずっと高いです。このあたりからボリビアは世界最高所の○○ってのが続きます。首都とか、都市とか。

で、電車で行ったわけである。左側の関が景色がいいと聞いていたので、チケットを買う際に左側にしてくれと頼んだら、もちろんだという感じでオフィサーが言ったので、安心していたら、電車に乗ると右のシート。ふざけるな。まあ、さすが南米だ。電車が走り始めた。駅なんてほとんどないし、乗ってくる人も少ないのですぐに空いている左側の席をゲット。確かに美しかった。金色のススキのような草が一面に。そして、山、遠くにはうっすらと雪が積もった山も、、そして青い空と白い雲。距離的にはそんなに長くないのだが、坂道ってこともあってかゆっくりゆっくり電車は進んだ。10時間ぐらいの列車のたびだったかな。景色は列車が進むと変わってきた。そして日が落ちて暗くなってから少したってプーノについた。

プーノはチチカカ湖で有名な町。次の日からチチカカに行くことにした。

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南米の旅路、その5

ナスカからクスコ、マチュピチュ

ナスカからクスコへは夜行バスで行った。アンデス山脈をぶった切る感じにバスは走りぬける。アンデス山脈をぼろバスで越えるのだ。グネグネバスは進んだ。夜中、アンデス山脈、なめちゃいけない。寒いとは知っていたが、窓は凍ってしまうほどだった。。。極寒。そんなバスも朝になれば太陽の恵みで、氷は解けた。そして、3500メートルぐらいの町クスコについた。クスコの町はそれ単体でも歴史があり、有名だ。が、マチュピチュへの基点となる都市であるため、さらに有名になっている。首絞め三大聖地、クスコ、プーノ、ラパスということでも有名なのだが。

まあ、クスコの町は逆さ夜景だろう。すり鉢上の都市であるため、すり鉢の底から上を見上げて夜景を見るという感じだ。ちなみに上のほうのほうが貧しい人が住んでいるらしい。ここの町でやっていた泥棒市はカオスで面白かった。自分の脳を南米基準にしても完全にゴミとしか思えないものがたくさん売られていた。買う人がいるか見ていたが、僕が観察していた時間内には誰も買わなかった。まあ、面白い市だった。

ウルバンバ、オリヤイタイタンボという町を通ってアグアスカリエンテスへ。そしてマチュピチュへ行った。オリヤイタイタンボという村は個人的に気に入った。これぐらいのサイズがちょうどいい。あまりでかい都市は居心地が良くない。メルカドのおばちゃんも優しかったし、飯もうまかったし。もちろん安かったし。

マチュピチュへは朝一番で行った。だから、誰もいない朝もやの中のマチュピチュ、まさに空中都市を見ることができた。ボーっと眺めてから、ワイナピチュにも上った。こちらから見る景色もいいものだ。頂上の岩の上で寝たが、バランスを崩すと落ちて死ぬので熟睡はできなかった。その後、マチュピチュの段々畑の芝生でも寝た。こうしていくうちに、どんどん顔が黒くなっていった。そして、ここでは、オーストラリア人のルークと仲良くなった。彼はかっこよくて言い奴だった。だが、23歳なのにはげかけていた。将来俺も禿げる事が確実な俺としては、勝負に勝った感じがした 笑 まあ、それはいいとして、リャマとかアルパカとかもけっこういた。

アグアスカリエンテスはマチュピチュのしたの町で、アグア=水、カリエンテ=温かい、すなわち温泉と言う町の名前だ。ここで、温泉に入った。キタイナイ汚い温泉に。立って入るぐらい深い温泉。水着着用だが、また所持しておらず。一番派手なトランクスで入らせてもらった。一番奥のシャワーじゃないけど、打たせ湯みたいなのだけ、温水で、かなりの水量だったので気持ちよかった。温かいお湯がこんなにも出るので体を洗ったのは旅行して依頼初めてだった。気持ちよかった。しかし、ここでかなり虫に刺されてしまったのだが。

南米旅行写真その1
エクアドル、ガラパゴス、赤道、リマ、ナスカなど

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南米の旅路、その4

リマからナスカ

ナスカ。何かと批判されている。1泊で十分。行く価値がない。フライトはセスナに乗る経験と思え。などなど。しかし、俺はそんな批判を批判してやりたい。ナスカはいい町だ。まあ、自分が見たところだけで、都市を評価しなければならないのは事実である。だから仕方ないのかもしれない。まあ、おれは運よく珍しくナスカのよい面に出会えたのでハッピーな人間なんだろう。

何を言いたいかと言うと、一本の線がすごかったのだ。普通ナスカの地上絵と言うと、ハチドリの絵だとか、宇宙人の絵だとかそういったものを思い浮かべ、それらを見に行く。しかしだしかし、俺がいいたいのは、そのような絵ではなく、一本の線がすごいということ。まっすぐに伸びた一本の線。それも、フライトから見るのではない。大地を自分の足で踏みしめて立ち、見るのだ。それがすごいのだ。

フライトはあんな小さな(6人乗り)セスナに乗ることはめったにないので、いい経験だったし、アクロバット飛行に近いフライトは面白かった。地上絵を客に見せるために、飛行機を右に左に傾けるのですは。空から見る地上絵ははっきりと見えた。それでも、かなり薄くなってきているという。純粋に、よくこんなにもたくさん、大きいものをきれいに書いたなーとおもった。何でかいたんかも不思議やったな。

で、次の日偶然にも地上から地上絵を見ることになった。正直、フライトだけで終わるところだった。しかし、偶然出会った人が地上から見るというので一緒に行った。この人はこの後オリヤイタイタンボ(一瞬)、プーノ→ラパス、ウユニ(一瞬)で偶然にも会う奇跡的な人。また、会って旅の話でも聞いてみたいが、連絡先を知るはずもなく、偶然にまた会えることを望むばかりである。まあ、出会いも分かれも知らぬままに、その時だけだからよい思い出になるのである。それが旅だと思う。旅は現実世界に引き込まないってのが旅の鉄則であると思う。旅はある種の夢の中なのだから。

なんだろうね、ナスカは本当に大地と人間の力を肌で感じる。スゲー、スゲーって感じなんですよ。わぁーって叫びたくなるほどね。たとえば、ウユニのような地面が白で空が青の風景なんて、飛行機に乗れば、下が真っ白な雲と青い空でほとんど同じようなものが見れる。しかし、飛行機と言うフィルターが俺と自然の間にはある、これが最大の問題なんだ。生身の体で感じていないから。ウユニはそんな風景を自分の体と自然が直接触れ合える。そこねそこ。体全部で、感じられ、体と自然が一体化する。そんな感じを味わえる。

夕日が大地に沈む位置に線が引かれていた。そのまっすぐひかれた線を目で見ると何か時空を超えても、伝わってくる何かがあった。

そのあと、近くの遺跡に行った。そこでちょうど夕日の時間だった。夕日だ。なんていう夕日なんだろう。朝日や夕日は今までも何度も見てきた。しかし、この夕日はジブラルタル海峡で大西洋に沈んでいくまん丸の夕日に勝るとも劣らない夕日だった。崩れかけた古代の遺跡の見張り台の上に立ち、西の空に沈んでいく夕日を見る。完全なシチュエーションだ。ナスカは荒野というか小石と砂の町(砂漠のような)。だから、黄砂のように空気に少し砂が混じっている。だから太陽を直視できるのだ。夕日をが沈みゆくのをこの目で見届けることができるのだ。太陽は半分になった。そして、三分の一になった。最後は欠片のような太陽になって、一日の太陽の仕事を終え沈んでいった。たまらなかった。あの崩れた遺跡と沈み行く太陽。切なさと言うのかなんというのか分からない感情になった。

ナスカといえば地上絵。地上絵といえば大きいのでセスナから見るというのがメジャー。しかしだしかし、近くの丘から見るほうが実感できる。あの線のすごさを。地上絵がかかれているのと同じ地面に立ち、ずっと続くまっすぐな線を見た時は感動した。感動したというか、ぞっと血の気が引くぐらい。
飛行機からだと全体像は見れるが、何かブラウン管を通しているみたい。身に迫るものがそこまでない。しかし、地上に立ち見るとなんというか、その時に書かれた線のことが創造でき、さらに太陽の沈む位置にまっすぐ引かれた線を見るとしょんべんちびりそうになった。

半端ない。地上絵は地上と丘から見るにかぎる。これだけはいえる。
http://www.teratown.com/blog/archives/001841.html


ナスカの町ではペルー人の同い年ぐらいの奴7,8人と仲良くなり移動遊園地に行き、お祭りのライブに行き、話したのも面白かった。

南米旅行写真その1
エクアドル、ガラパゴス、赤道、リマ、ナスカなど

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ポトシ、ウユニ、ナスカ、クスコ、マチュピチュ、チチカカ湖など

南米旅行写真その3
ウユニ、チリ、アメリカなど

南米の旅路、その3

グアヤキルからリマへ

ガラパゴスからグアヤキル、実はエクアドル最大の都市へ行った。しかし、この町の雰囲気がどうしても好きに慣れなかった。まあ、バス停の位置を適当に教えられて、5時間ぐらい荷物を持って移動しなければならなかったこともあるのだろう。目的のバスだけバスターミナルじゃなかった。それに、日曜日でいろいろな店がやっていない、さらにバス会社もその日は休みだった。そんなことが続いたからだろう。追加して言えば、4日間の船上生活は揺れ続け、想像以上に体力を消耗し、疲れきっていたのだろう。

まあ、旅をしていればそんなこともある。それが旅だ。旅は偶然に出会いに行くようなものだ。旅とは想像外の出来事に出会い、驚き、喜び、感動し、時には苦労し、悲しみ。旅とはそんな流れているものだと思うのです。

まあ、ペルーへは海岸沿いで行った。こちらは海が見れてきれいとか、砂漠も見えるらしいから。マチャラ、トゥンベス国境のほうだ。後から知ったが、こっちはあまり治安が良くないらしい。まあ、何も問題はなく国境越えをできてよかった。1日半ぐらいかけてリマに着いた。

リマといえば、ペルーの首都。治安が悪いと有名なところ。それもバスを降りてから旧市街に向かう。タクシーに乗った。この運転手はボルなと思ったら、案の定ぼった、倍額ぐらい払わされた。入国したばかりで、適当な額の小銭も持っておらず、スペイン語も話せず、日本語でおこっても通じず。さらに、平日なのに、町中に警察が、さらに道路も通行止め。そんな時に、運転手がポリシーアと連呼した。えっ、と思い。降りてしまった。まあ、150円損をしたと言うことです。それから、歩いて、宿を探す。町にいる警官に聞いたら警察がよってたかっていろいろ教えてくれた。どうやら、警察官のお祭り?らしかった。だから、警察も多く、道路も封鎖されていたのだ。おれは花で飾られたお神輿みたいなのをかついでいたので、大統領でもなくなったかと思って、これは国が荒れるか?と心配していたのだった。旧市街をぶらぶらして、教会とかいった。

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南米の旅路、その2

キト→ガラパゴス

キトからガラパゴスのサンクリストバル島へはエアロガルという航空会社の飛行機で行った。エクアドル沖1000キロのところにあるガラパゴス諸島。空港に着くとすぐにカルモラント号と言う小さな船に乗り込んだ。チェコ、フランス、アメリカ、ドイツ、ベルギーなど外国の人9人と同じ船だ。彼らと揺れる船の上で昼食を取り、4日間のガラパゴス船上生活が始まった。しょっぱなから泳ぐらしい。シュノーケルと水中眼鏡で。海水パンツなんてあるはずもなく、トランクスで泳ぐ。ガラパゴスをパンツで泳ぐ外人も珍しいと思う。空にはペリカンが、海にはカメ、アシカ、熱帯魚のようなきれいな魚、あとよく名前の分からないいろいろなカラフルな魚がたくさんいた。海底に進もうとするとかなりの水圧の強さを実感した。合計で3回ガラパゴスで泳いだわけだが、実にいろいろな魚がいた。群れて泳ぐ小さな魚たちや、クマノミのような魚、アジのような魚、ありとあらゆる魚と一緒に泳いだ。カメと泳ぐのはなんか優雅な感じだった。が、岩からアザラシが海に飛び込んできた時は本気でビビッタ。

島も5つぐらい行っただろうか。島は何といっても生態系の違いに驚いた。島によって陸の形、自生している植物、動物の種類、すべてが違う。中でもすぁごいと思ったのは、ドラえもん日本誕生で出てきたような原始地球を思わせるような土地と植物、さらにイグアナ。これから何万年かたったら恐竜が生まれ、人間が生まれてもおかしくないのではないかと思った。さらに、念願のアオアシカツオドリも見た。(参照:以前のエントリー)本当に足は水色。何でだ。何でだ。想像を超えた生物がごろごろいる。死骸もフンもそのまま。何もかもがそのまま。なんだこの地は。本当に地球なのか?行き着くところまで来てしまった感じがした。あと、夕日もきれいだった。が、忘れられないものがひとつある。夜、一人船の上で寝転がって見た星空。周り1000キロには灯りなんてほとんどない。さらに、船のすべての電気が偶然にも突然、ストップした。もう、これ以上の状況はない。俺一人のために、星空があるような。プカプカ浮かぶ小さな船の上に寝ながら見たガラパゴスの夜空。本気でしょんべんちびりそうになった。星が多すぎる。ありえない。星空に包まれて、このまま空へ上っていってしまいそうな感じさえした。寝転がりながら、無数の星の隙間を縫うようにして流れていった流れ星。これも忘れられない。

ああ、俺の乗った船の一番下っ端の兄ちゃんと仲良くなった。この頃はまだスペイン語が全く分からなかったが、外国へ行ったときの俺の得意コミュニケーション。笑う。日本の現地の言葉を連呼する。そうすれば、すごく仲良くなれる。その兄ちゃんも、他の外人には大して話しかけないのに、俺にだけハポン、ハポンといって絡んできた。

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南米の旅路、その1

日本→キト・エクアドル

まずは、成田からアメリカン航空でダラスフォートワース国際空港へ。それからトランジット、マイアミへ。マイアミでまた乗り換えて、エクアドルのキトへ。成田からダラスへはほとんど日本人だった。マイアミへは数人日本人がいた。キトへの飛行機に日本人は僕だけだった。やっと南米に来たんだなと実感した。

キトに着いたのは夜20時ぐらいだった。外はすでに真っ暗。さあ、どうしようかと考えとりあえず、空港のインフォメーションへ足を向けた。すると、日本人らしき旅人が。向こうから声をかけられた。彼は、一年半の世界一周を追え、コロンビアからエクアドルに飛行機で来て、明日エクアドルから日本へ帰るという。旅を終えるものと、旅を始めるものが偶然空港でであった。泊まるところも偶然すぐ近くということで、流しのタクシーをひろい町へ向かった。日曜日の夜のキトは危ない気がした。到着当日だから慣れていないために余計こう感じるのかもしれなかった。タクシーの中では彼がタクシーの運ちゃんとスペイン語でいろいろと話していた。さっそく南米といえばスペイン語、その洗礼を受けた。夕食を共に食べ、南米の宿情報や治安について伺い、二人でそれぞれの宿へと帰った。

朝起きて旧市街へと宿を移した。あいかわらず、よくわからず電車に揺られよく分からないところで降りた。いつものことなのだが。ついて3日は現地に慣れない。脳が旅モードになっていないからだろうか。降りてから街中にたくさん立っている警察や店のおばちゃんに聞きながらいく。地図が違うのか、教えてくれた人が違うのか。目的地に着くまで分からない。旧市街へ行く時、長い坂道があった。すると、すぐに息が切れた。この時、初めて気がついた。高度2800メートルから3100メートルの町だったのだ。

直感的地理感とでもいおうか、日本にしろ外国にしろ適当に歩いていると感覚的な土地勘がついてくる。そんなあいまいな感覚が活かされ旧市街のサンフランシスコ広場に。宿へチェックインした。それから知り合った方のツアー会社に。この方が無茶苦茶いい方で、家に呼んでくれて昼食をご馳走になった。すっごく豪邸。高級ホテルのような家。昼ごはんはエクアドルの一般的家庭料理をご馳走してくれた。両親がバナナ農園経営者らしく、お土産にバナナをくれた。そして、車で個人旅行者では行くのが不便なところに連れて行ってくれた。それもただで。ガラパゴスへのツアーも手配してもらえた。なんとも親切な方なのかと思いっぱなしだった。いつも、外国へ行くと僕は出会う人に恵まれていると実感する。キャラと顔のせいなんだってことが今回のたびで分かったのだが。

で、結局キトには4泊した。最終日には赤道に。本物の赤道と偽者の赤道があるという情報が流れていた。政府が作ったような立派な塔がある、ガイドブックにも載っている赤道は偽者だともっぱら言われていた。その横、150メートルぐらい離れたところにある、昔から先住民が住んでいたちっぽけな表示しかない赤道が本物だという。なんとも笑える話。そこへ行くには、バスを3回乗り換えた。珍しく英語が少し話せる背筋の伸びたいい年だがかっこいい警官がいた。その人が親切に赤道への行き方を教えてくれた。なんか、このおっちゃんは気に入った。何でかわからないが、すごくこっちまで気持ち良くさせる警官の人だった。おっちゃんも俺のことを気に入ってくれたようで、笑顔で硬い握手をして分かれた。

そして、俺は赤道へ向かった。トータルで2時間ちょっとかかっただろうか。それぐらいで赤道に着いた。まず、偽者といわれている赤道に。オレンジ色の赤道といわれる線をまたいで写真。それから、本物といわれる赤道を探す。が見つからない。どこだ?仕方なくいつもの感で、歩いて細いただの土の道を行くとそれっぽい怪しいものが。これが本物赤道と呼ばれるものかと思った。うわさ通り、生卵を立てる実験や、水が流れる時の渦巻きの向きの実験、赤道の上だとなぜか不思議な現象が起こる実験を見た。マジックか本当か。定かではないが、赤道だと不思議な現象が起こるのは事実だろうと思った。

南米旅行写真その1
エクアドル、ガラパゴス、赤道、リマ、ナスカなど

南米旅行写真その2
ポトシ、ウユニ、ナスカ、クスコ、マチュピチュ、チチカカ湖など

南米旅行写真その3
ウユニ、チリ、アメリカなど

南米の旅路、イントロ

今回の旅でも、大学ノートに日記を書いた。たぶん、旅行中に書く日記の量は多いほうだと思う。一日、平均3ページぐらい。今回のたびでは大学ノート2冊弱の日記を書きました。

それには、旅の詳細な行動記録と、その時々思ったことを書いてある。まあ、それと、このブログの旅行記はテイストも違えば量も違ったものになると思う。帰ってきてから書く旅行記と旅行中に書く日記。

南米でランダムに買ったCDを聞きながら書いていきたいともう。

まずはどんなルートだったか。大まかに言うと、エクアドルから入って、ボリビアから出た。そんな感じ。赤道の国から南へ下った感じだ。なんで、このルートをとったかと言うと、ボリビアのウユニとエクアドルのガラパゴスには絶対行くと決めていたからだ。さらに、エクアドルから入った理由は高度が低いから。高山病対策として。そんな感じ。

今回は自然がメイン。こういったものは言葉では表現するのが難しい。実際に行って肌で感じるしかないと思います。まあ、気楽に書いていきます。

地図で言うとこんな感じです。
SouthAmerica.gif

写真はこちら
南米旅行写真その1
エクアドル、ガラパゴス、赤道、リマ、ナスカなど

南米旅行写真その2
ポトシ、ウユニ、ナスカ、クスコ、マチュピチュ、チチカカ湖など

南米旅行写真その3
ウユニ、チリ、アメリカなど

南米旅行写真

とりあえず南米で取った写真。全部で、700か800枚でしょうか。適当にピックアップしました。

南米旅行写真その1
エクアドル、ガラパゴス、赤道、リマ、ナスカなど

南米旅行写真その2
ポトシ、ウユニ、ナスカ、クスコ、マチュピチュ、チチカカ湖など

南米旅行写真その3
ウユニ、チリ、アメリカなど

他にも見たい写真があったら言ってください。とりあえず、写真です。

October 04, 2005

日本の夜は早い

元気に、日本に戻ってまいりました。

すると、日本の夜は早いことに気がつきました。夕方17時すぎにはくらくなる。
秋なんだな。

適当に買った南米音楽CDがかなりいいです。
気に入って聞いてます。リズムがかなりたまりません。

旅行記は気が向いたら書きます。
写真も適当にアップしてリンク貼っておきます。

帰国のご報告でした。

October 01, 2005

エクアドルからボリビアへ、行ってきます

8月21日から9月の末まで、エクアドル、ペルー、ボリビア(チリ)へ行ってきます。

10月のあたまには帰国して、連絡がつくと思います。

連絡がある方は、takeshiあとまぁーくteratown.comまで、お願いします。

ネットができて、気がのればエントリーするかもしれません。
でも、日本語では無理そうです。

September 24, 2005

雲はどこへ行ったのか?

ウユニに行き3泊4日でチリまで抜けた。この4日間はすごかっ た。何がすごいって、何がなんだか分からないくらいすごかっ た。

塩湖のど真ん中で一人寝転がっていると、ここが地球上なのか
どうかすら分からなくなった。

そして、塩湖を抜けてチリへ抜ける道は標高5000メートル。さ
らに、道はなく荒野を走り抜ける感じ。これだけのものを見る
ためには、ここまでこないとだめなのかと思った。

空が青かった、望んだ以上の青さだった。世の中から雲が消え
去ってしまったのではないかと思った。雲がまったくない濃い
青。たまらなかった。

まあ、チリ国境はサンペドロが行きで閉じていたが、別の国境
で超えることができた。まあ、国境で5時間放置されたが、景
色がよくもっといたいぐらいだった。

そういえば、チリに入って車が止まった。何で泊ったか分から
なかったが、信号だった。4,5日荒野を走っていたので、信号
で止まることに違和感を感じたのだった。

チリは物価が高いからやだなー。


September 13, 2005

La Paz Bolivia

Now I am in La Paz Bolivia.

Next I am going to Potosi by bus. After Potosi , I will go
Uyuni.

Uyuni lake is the most important place in this trip.

I am looking forward to going to Uyuni.

TiTikaka lake is great too. I stayed in the island two
days. That experience was exciting.

Bye.


September 04, 2005

なんだろうか

別に、南米でこんなにもエントリーをする必要もないのだが、基本的にネットといえば自分のブログの更新ぐらいしかやることはない。

それに、ペンで日記を書くよりもタイピングのほうが早いからついついこっちに偏りがちである。まあ、毎日の日記も日課で書いているのだが。

なんだろう、南米というところはいい味が出ている。まず、日本人が少ないのがいい。ペルーに来て少し日本人を見たが基本的に日本人を見かけることはない。あと、田舎に行くと本当に落ち着く。これは世界中どこでもだが、海外の田舎ほどボーっと考え事をするにはいい。そこに、雄大な自然があってそこまで観光地化されていなければ僕にとっては最高の土地である。

で、南米に来て思う。なんだろう、ゾクゾクさせてくれるものについて。なんかこれが気になる。基本的にだだっ広い自然にゾクゾクすることは知っている。しかし、それ以外にもある人に会ったときにゾクゾクする時、などなどいろいろ。何に反応しているのだろう。僕の脳は。

生身の体で感じるということ

ナスカといえば地上絵。地上絵といえば大きいのでセスナから 見るというのがメジャー。しかしだしかし、近くの丘から見る ほうが実感できる。あの線のすごさを。地上絵がかかれている のと同じ地面に立ち、ずっと続くまっすぐな線を見た時は感動 した。感動したというか、ぞっと血の気が引くぐらい。

飛行機からだと全体像は見れるが、何かブラウン管を通してい
るみたい。実に迫るものがそこまでない。しかし、地上に立ち
見るとなんというか、その時に書かれた線のことが創造でき、
さらに太陽の沈む位置にまっすぐ引かれた線を見るとしょんべ
んちびりそうになった。

半端ない。地上絵は地上と丘から見るにかぎる。これだけはい
える。

なんだろうな、ナスカの地上絵を丘から見ることになった偶然
に感謝。なんと恵まれた、運のよい人間なんだろう。すべての
人に感謝して生きていこうと思えた。



アンデス山脈越えの寒さ

ナスカの町は非常によかった。何かと評判のよくない町でみん な1日で去るという。しかし、あの村の小ささと、それと関係 するかもしれないが人柄のよさ、そしてちょうど祭りだった、 それらが重なって非常に楽しめた。落ち着けた。さらに、ペル ー人と仲良くなりスペイン語の単語も少しずつマスターしてき ている。

で、夜行バスでナスカからクスコに来た。海岸沿いからアンデ
ス山脈をバスで越える。はっきりいって寒い。かなり厚着して
いたので、そこまで問題はなかったが。だって、アンデス山脈
ってあの高さですよ、それを超えるんですから。ぼろバスで。
隙間風は冷たいですよ。さらに、窓ガラスが凍ってるし。でも
、星空はきれいだったな。それはもう。たまらないくらい。

ペルーの砂漠で見た星空も、ガラパゴスに浮かぶ小さな船のデ
ッキに寝ながら見た星空。そして、これから待っている、チチ
カカ湖の島から見る星空、ウユニの星空。創造するだけですご
そう。すごいというか、なんか何もかも超越している。

まあ、クスコの町の下から見上げる逆夜景もきれいだった。

明日から、マチュピチュを攻めるために、アグアスカリエンテ
スに行き、早朝から上って誰もいない霧から見え始めるマチュ
ピチュに。

ああ、その後は一週間に4本のクスコからプーノの列車の旅で
す。すごい抑えるのが大変なチケットなので、もうチケットを
取りました。無茶苦茶青い空が待っている予定。この電車は本
当に楽しみ。世界で一番高い駅にも止まる列車。

ではでは、あと1ヶ月楽しみます。


September 02, 2005

I am in Nazca

Hi!

I can not use Japanese again.....

I am in Nazca(Nasca), this city is famous about grand
pictures. This mornig, I had a flight and glance the
picture from sky.

It is Amzing! I could watch the grand pictures very
clearly. And the flight was very exciting for me, because
our airplane swang to much. Acrobat flight! But I did not
become flight sick(norimono yoi) .I was Lucky!

Nazca is small and good city , so I enjoy very much.

BYE


August 31, 2005

リマ

エクアドルからバスで24時間ちょっと、ペルーの首都リマに つきました。

24時間はけっこう長いなと久しぶりに感じました。笑 そし
て日本語がつかえるPCに初めて出会いました。

もう少し、エクアドルにいたかったのですが、ビザみたいなや
つの期限が20日しかなくて、仕方なく出国してペルーに来ま
した。たぶん、ちりまで行く時間ができました。

まあ、マチュピチュまでが無駄なルートになるので、そこでど
れぐらい時間のロスがあるかにもよりますが。

まあ、楽しんでおります。

ではでは。

August 25, 2005

GALAPAGOS

From 25 Aug to 28, I am going to Galapagos islanmds. (Ecuador time)

I am looking forward to going there.

I think that there are many strange animals , blue sky and
blue sea.

BYE



August 22, 2005

I am in Quito

Now I am in Quito(kito) capital city of Ecuador.

last night I arrived here by airplane.about 24 hours from
Japan.

Last night I slept well, and this morning I had good
breakfast.

Today is very fine day, so I feel good. From now I
am going to book galapagos tour.
Very Exciting!

Now Am 9:30

good bye

Oh, last dinner was kebabu, Turkish food.

August 21, 2005

ではでは、早起きして行ってきます。

今日は5時30分に起きましたよ。

成田と言う不便な場所に行くために。まあ、うちからは一本なのでそこまで遠くないのですが。

ああ、エクアドルまでけっこう時間がかかると思う。でも、スペインに行ったとき、シンガポール経由だったし、慣れてます。それに、飛行機に長時間乗るの好きだし。

って、今回はどんな旅になるのでしょうか。未知の南米です。それに、今までで最長になりそうなので、自分のペースで気をつけながら楽しんできたいと思っています。

それでは、行ってきます!