岐阜から東京に出てきて、3年半。岐阜に帰るときは毎回電車、バス、新幹線。そんなんだった。
どれだけの距離かも分からなかった。それに、一瞬で過ぎ去ってしまう土地を自らの目で見、肌で感じたかった。速さによって見えなくなったものは、いったいどんなものなのか。
一歩一歩踏みしめることによって、見えてくるものはあるのか、ないのか。
今年は無人島に行ってみたり、南米に続く旅かな。
ルートは中山道か太平洋側か迷っていたけど、太平洋側に。
「今、静岡の茶畑にいます」ってメールしようと思って。あ、携帯の電池が持たないかも。
10日から15日ぐらいを予定しています。東京、横浜、小田原、三島、富士、静岡、掛川、浜松、豊橋、刈谷、名古屋、岐阜こんなルートになるのかな。
日本食は舌に馴染む 落ち着く
ボリビアの飯もうまいが舌に馴染むまではいかない
母親の料理も下になじむ。落ち着く。ほっとする。
おいしいもの、うまいものよりも、さらに上なのが下に馴染む食べ物だろう。
共感覚という言葉が分からなくて、調べた。すると舌で味わうと指先に形を感じる。そんなような現象が起こることを共感覚というらしい。これは五感のどの感覚とどの感覚が結びついてしまうかは人によって異なるみたいで、視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚の二つ同士で一方向に発生する組み合わせが考えられるが、視覚と聴覚の結びつく例が多いらしい。
これは何に対しても常に起こるものだろうか?もしそうだったら僕は違うが、たまに視覚と聴覚がつながる時とかある。
共感覚の世界
http://hotwired.goo.ne.jp/news/technology/story/20020325306.html
脳の構造と共感覚および意識
http://www.ccad.sccs.chukyo-u.ac.jp/~mito/yamada/chap2/
http://www.bbc.co.uk/sn/tvradio/programmes/horizon/derek_prog_summary.shtml
そこに生まれた偶然性、というか必然性は絶対に逃れることの出来ない、大前提である。
外国に対して、何かをすること、僕はこれをやりたくなる気持ちは分かる。飯を食えずに死んでいく人がたくさんいる。それは救いたい。と純粋に思う。しかし、他国の人が入っていってがやがややることではないと思う。
その国で生まれたという偶然性は何物にも変えがたいことで、そこに生まれた人がそこの土地に住み問題と直面し、時には解決の方向に向かい、時には悪化していく。
外国は完全に放置で良いのかといわれると、秩序が崩壊してしまう可能性があるかもしれない。でも、その国の分け方から違っていたんだと思う。
だから、旅も出来るだけ現地の人の生活の通りにするべきだと思う。西洋人は自分たちの生活スタイルをどんな国に行っても変えない人が多い。パンにコーヒーなどを持ち込む。でも、違うと思う。
自分を自分で脅かして遊ぶって、何だという話だろうけど、僕はこれが楽しい。
何かといえば、家の洗面台の水はシャワーと普通のじょろじょろでる2パターンある。普段はじょろじょろで使っている。いわゆる普通の水道と同じだ。しかし、たまに水道を使い終わった後、シャワーにしておく。そして、次使う時驚く。じょろじょろだと思って使ったらシャワーで勢いよく水が出てくる。その時ハッとする。
自分の脳がドキッとする感じ。固まっていた脳が少しフレッシュになる感じ。あああ、っと思うその瞬間が面白い。
流れ星、あの一瞬の出来事に人間は魅了される。
流れ星といえば、
岐阜で昔に見た流れ星。自分の部屋のベランダから見た記憶がある。
郡上で見た、目に焼きつくような爆発と共に流れていった流れ星。
そして、ガラパゴスで見た、星の間をぬうようにして流れた流れ星。
星の思い出は
小学生の時にフェリーで九州に行った時に見た。世界にはこんなにも星があるんだと思った。
飛行機から見た無数の星。
そして今年も彼らはやってくる。 しし座流星群が。
11月17日午後5時が極大で16日から18日は大量に流れるらしい。ちょっとまて、俺は18日の夜飛行機に乗っている。ということは!流れ星が飛行機から見えるかもしれない。飛行機から見る星空の美しさといったらこの上ない。そんなところから流れ星が見えるかもしれないんだ。楽しみ。
どっかの大地に寝転がりながら、ひっそりとしたところで流れ星を見てみたいな。
国立天文台のページに行ったら火星が接近しているらしい。最近あの目立つオレンジ色の星は火星だったんだな。
普通に話していて信じれる人と信じれない人がいる。
実際に嘘をついていれば信じれないのだが、真実を話していても嘘に聞こえてくる人がいる。
なんか、地に足が着いている人の話はじっくりきいて、いつもふむふむとついうなずいてしまう。
実感のこもった話、事実の体験に基づいた話はなんとなく分かる。
山に登ることも好き、知らない土地を旅するのも好き、泳ぐのも好き。
空も飛んでみたいのだが、海にも潜りたい。幼稚園のころから中学卒業まで水泳をしていた。それもあってか、水の中でプカプカするのや、潜ったり、泳ぐのも好きだ。ガラパゴスで3回も泳ぎ、亀と一緒に泳ぎ、きれいな魚を見た。
そんなこともあってか、透き通った海に潜って魚を見たくなった。
今思うと、なんで大学時代にスキューバダイビングをやっていないのかの方が不思議な気がするぐらいだ。で、思い出した。タイではダイビングが盛んで、オープンウォーターのライセンスが取れるらしい。しかし4日かかる。日程的に厳しい可能性があるのだが。
まあ、時間があったらタイの島でオープンウォーター取ろうかな。忘れないようにメモでした。
昨日、旅行について放す機会をもらった。
僕は、多くの大学生とは違う経験をしていると思う。
一方で多くの大学生が経験していることをあまりしていないと思う。
まあ、十人十色だからいいんだけど。
いろいろな経験をしすぎることによる弊害もあるんだなと思った。
旅行サイトはいくつもある。しかし、たいしたことない。
何でかって、旅行サイトは行きたいところを見つける。そして、行くまでの大まかな情報を得る。(ビザとかワクチンとか物価など)その情報は、現地へ行くまでの前菜として気分を高揚させてくれるツールである。
人の行ったところの写真や旅行記を見るだけで終わるサイトはいくらでもある。でも、それよりも俺が今ほしいのは、行きたいところを見つけるサイト。
たとえば、ウユニの写真を見て一瞬で行くと決めた、たびそらというサイトを見てネパールの子供に身震いがした。そんなサイトがほしい。自分のいったことがあり、好きな場所を入力するとお勧めの場所リストと共に写真がたくさん出てくるサイトがいい。それもかなりマニアックな情報がほしいな。秘境とか絶景といっても、たいしたところがのっていない。もっとマイナーでも良いからすさまじいところが見れるサイトがほしい。
そうなると、陸路で世界一周した人を監修としてつけないと厳しそうなぐらいね。
問題は、そんなにも簡単に一覧になっていて、簡単に見つかってしまうと偶然の出会いの喜びとかがなくなって、どうしても行きたいという気持ちにならないという大きな問題を抱えているかもしれないのだが。
何で夢を忘れてしまうのか?ここで言う夢とは夜寝ている時に見る夢です。
夢は起きているときに何かを脳でイメージする時よりも僕の場合は鮮明です。カラーだったり。そんなより鮮明な夢なのにすぐ忘れてしまう。起きているときに想像したものはそこまで鮮明でなかったりするのに、覚えている。過去に見た景色を思い出す時も夢より鮮明によみがえってくる事はない。でも過去に見た景色のほうが覚えている。
夢は夜中に何回も見ているけど、まあ覚えていたとしても最後に見た夢だけだという。
鮮明と言うことは強い刺激があり、脳に強く刻まれる気がするのだが。ということは強く記憶に残っても良いと思うのだが。勘違いしているだけで、実は鮮明でないとか。でも、起きているときの想像(イマジネーション)も脳の中で作り出されたイメージだしな。
イメージする場所と記憶する脳の場所が違うからってことなのかな。じゃあ、記憶ってのはどんな要素によって記憶されるかどうかって決まるんだろう。
「脳」整理法
意識とは何か
基本的には偶有性(コンティンジェンシー)の重要性と言うか面白さについて書かれていて、そこに生命の躍動(エランビタール)があると。
主語を入れ替える、
不確かなものに挑戦するには、成功体験しかない
茂木さんに書いてもらったクジラの絵。その意味とは?
その絵を書く前に言われた、外に行っていて、中と向き合っていないというアドバイスの意味。
11月18日から2週間タイとカンボジアに行くことにしました。期限が切れそうなマイルを使って。
インドネシアかタイ&カンボジアで悩んでいたけど、タイ&カンボジアにしました。 決め手はアンコールワットで朝日と夕日が見たいから。それぐらいです。インドネシアは行きたいところが思いつかなかった。でも、チケット買ったらインドネシアのほうが高いからと思ったけど、まあ、行きたいところ優先です。
バンコクin outなのでカンボジアへは陸路で行くと思います。
学園祭なる期間はすべて海外にいるということになりました。まあ、どうせはじめから行かない予定だったからいいんだけど。
2年ぶりぐらいのシンガポール航空です。あそこの会社は良い機体を持っているから楽しみです。
カンボジアはビザがいるんだよな。確か。2年生の春にカンボジアに行こうとして、ビザ用の写真も撮って行けなかったという経緯があるので。
楽しみ楽しみ。
大学1年の頃から約8,000枚か7,000枚ぐらい写真を撮っている。その写真の中には自分が映っているものもある。前は今よりも自分が映るのが嫌いだったので数は少ないが、多少はある。で、その頃の写真を見て思った、「この人、今よりも性格よさそう」=「今、この人性格悪そう」
今の自分の顔と比べると、まだ正確がよさそうと言うか、純粋そうと思った。まあ、いろいろな経験をして打たれ強くなったとかそういう表現だといいかもしれない。しかし、自分の写真なんだけど、他人と思ってぱっと見たら絶対この人の性格は、昔よりひん曲がったと、僕だったら思うだろう。まあ、一人暮らしをしていれば自分勝手になる傾向にあるし。
まあ、気をつけたいところだな。
パソコンで音楽を聴いていた。するとアッと思った。あの澄み切った歌声から小田和正だというのは分かった。タイトルを見ると「風のようにうたが流れていた」とあった。まさに、この歌だったのだ。
「あの夏の空 きらめく海も」
「出会いも 別れも 知らぬままに」
今回の旅で広い自然と向き合う時、この歌の上の2つのフレーズが脳の中で流れ続けた。本当にこの短い部分だけが脳の中で何百回と流れた。小田和正の歌とは知っていたが、タイトルもしらず、この部分しか知らなかった。でも、今回の旅では脳の中でこの歌ばかり流れた。たぶん、今回の旅に一番マッチしている曲が脳の音楽アーカイブから引っ張り出されたのだろう。この歌詞と曲調、そして澄み切った歌声が、まさに旅にベストな音楽だったのだ。今回のたびの象徴のような、旅を表したベストな歌。
そういえば、2年前にスペインに行った時は、世界遺産の「the song of life」が脳の中で流れ続けていた。
写真モブログ一覧から、自分の興味が分かる気がする。
どんなものを見たときに、ワクワクしているのか。写真をそれも携帯モブログというもので、どんな時にも撮影し更新が可能というツールだから、本当に面白い。
それ、一枚一枚では見えてこないものが、一覧表示するだけで新たな価値と言うか意味を作り出す。一覧になっただけで、比較し僕が何に興味があって、モブログするかが分かる。
生きるリズムってのがあると思う。生活スタイルとでもいおうか、生活のリズムとでも言おうか。
そういったものは、気づかないうちに少しずつ作り上げられ、気づかないうちに少しずつ変化する。変化した状況から現状復帰する、その状況で気がつくことがある。
当たり前のように、動作をすると何か不便とかおかしなことを感じる。それは、その動作をするまで全く気づかない。それも当たり前だが、おかしなことだ。
たとえば、モブログの写真を更新するという行為。これは南米生活で忘れ去った行為だった。
こんなことしていたのか。ああ、こうだったよな。なんでこうしたんだろうと。
世界を自分、他人、その他の影響というのがあって、自分がほとんどだった。そんな性格検査の結果が3年ぐらい前にあった。
その時は、実感していなかったが、自らの脳の中での意識として、それの言わんとすることが分かって気がする。
自分がすべてではないが、あまり他人に興味がない。所詮、他人は他人と思っているからだろう。
でも、他人は他人じゃないんだよな。相当支えられてるもんなー。
最終的な最後の意思決定は自分かもしれないけど。
旅好きにしか分からないのだろうか。
旅に限らず、何かを好きな人が群れるのはその気持ちを感情の高ぶりを共有できる幸せがあるからだ。
未知の国へ友達が旅立つ。そんな話を聞いたり文章を読んだり、タダそれだけで自分が旅立つようなワクワク感が沸きあがってくる。旅行記を見ているだけでも楽しいんだよな。
4トラベルというサイトの個人ページへのアクセス数のメールが来るが想像以上に多い。3日ぐらいで900弱。すごいみんな読んでいるんだな。と驚く。
そういえば、友達が秘境に関する本を作っていて、その本に南米で取ってきたチチカカ湖の写真が本に使われるみたい。うれしいことです。
科学への疑問というよりも、盲目的に科学的であるということに対して支持することはおかしいんじゃないかと。
科学、科学と言うけれど、科学をベースに科学を信じて考えているけれど、科学のなにをしって科学をベースに考えているのか?
科学ってものを何も知らないのに、科学的であることを信じるのはおかしいのではないかと。
科学的であることは嘘だとかそういうことではなくってね。
今更なんだといわれそうだけど、小田和正っていいなー。
声もメロディも歌詞もいいんだよなー。
言葉に出来ない
風のように
風のように歌が流れていた
Re
woh woh
などなど
何ヶ月ぶりだろうか、真っ暗にして風呂に入った。時間があるとこうして風呂に入るのだ。
真っ暗の中湯船でボーーっとしていた。すると音がないと感じた。そしてアマンタニ島の記憶がよみがえった。あの時、坂道で立ち止まった時ふと感じた。無音。音がない。何もかもが止まったかのような静けさを恐ろしいほどに感じた。今までに感じたことのない静寂だった。アマンタニ島には電気ガス水道がないといっても人が住んでいる。千人単位で。もっと人のいないところには何度か行ったことあるが、なぜかそこでは感じなかったのに、人もいるし、チチカカ湖のもあるはず。でも、空気が止まったかのような上体を感じた。風呂ではそこまでは全く感じなかったが、久しぶりに静かな時をすごし思い出したのだった。
それから、耳を湯につけて浮いていた。プカプカと。小さな船が波に揺られるように。その時、静けさの中に自らの心臓の鼓動が聞こえた。一定のリズムで振動と共に心臓の音が聞こえた。その時、母親のおなかにいるときは、この音しかほとんど聞いていないんだろうなと思った。そうしたら、そのリズムが与える子供への影響はでかいんじゃないかと。その人が好むリズムだとか、何かを感じる感覚にその鼓動が大きな影響を与えているのではないかと思った。それを脳が作られてすぐという、脳への一番最初の影響なんだから。それもかなりの長期間にわたって、メインではその音しか聞かない。以前も書いたが、同じ聞き続けると、特に好きでなくても、心地よく感じるようになると個人的には思うから、自分のリズム感は鼓動が大きなキーワードになる気がする。
それから髪の毛を洗おうと、シャンプーを手に取った。するとシャンプーのにおいが強く感じた。シャンプーのかおりなんて普段感じていなかったのに、このときは香料が入っていることに気がついた。たぶん目が見えていなかったから、嗅覚に脳がたくさん使われたから強くにおいを感じたんだろう。
となると、人が生まれる前に母親のおなかの中では目が見えない、嗅覚も機能していないだろう。だから、聴覚が鋭くなっていると思う。ということは、母親や自分の心臓の鼓動を常に聞き続けている。さらに、一番近くで感じるものだろう。
と言うことは、その人のタイミング感というか、リズム感にさらに大きな影響を与えているんじゃないかと。ふと思いました。
昔から言葉が苦手だ。言語が苦手。なんと言えばいいか分からないが、カタカナの一部を書くときに戸惑ったり、エレベーター、エスカレーター、眉毛、まつげがすぐに分からなかったり。
字も子供の時から変わっていない。簡単に言えばへたくそだ。
たぶん、厳密に言葉を使わなくても相手に通じると思っているのと、的確な言葉を選ぶなら言いたいことがたくさんあってそれらをはやく言いたいと思っているからだろう。
しかし、今日スペイン語のテキストを見たら入って気安かった。
あと、スペイン語とかの歌で聞いているだけじゃ歌詞なんか全く分からないのに、歌詞を見ながらだと分かった気になれる。何でだろう。
文字と音がつながると認識できるのはなぜか。ああ、
あのジャンバーに詰め込まれた旅の思い出
今回の南米旅行で忘れてはならないものがあったのに、書き忘れていた。オレンジ色のジャンバーだ。それはペルーのリマでもらったものだった。ペルーの旅を終える人から譲り受けたものだった。ここより南は寒いからと。その彼も譲り受けたものだった。もとはといえば、ペルーに薄着できた女性が、リマでオレンジ色のジャンバーを買ったらしい。その女性はペルーを去るときに、ジャンバーを譲ったらしい。すなわち僕が3代目だ。
女の人リマで購入→男の人ペルーを一週→俺
こんな感じだ。ペルーの南の地域は想像しているよりも冷える。そこで、みんな洋服を買い足すのだ。僕も、アルパカのセーター、手袋、帽子、股引と買った。なんせ寒いのだ。このジャンバーはどこを旅したか知らない。しかし、このオレンジ色のジャンバーには人それぞれの旅の思い出が詰まっているのだ。なんていったって、洗っていないから本当に染み付いているのだ。笑。
このジャンバーにはずいぶん助けられた。ラパスからポトシへの夜行バスで。かなり暖かいジャンバーだった。股引を持っていなかったこのときは、足にジャンバーをかけて救われた。それに毎日のようにこのジャンバーを着て寝ていた。
僕はこのジャンバーと共にリマからペルーを、ボリビアを、チリを、そしてまたボリビアを旅した。そんな思い出の詰まったジャンバーだった。昼間の日差しが強い時は正直邪魔な時もあった。もらい物だし、捨てようかと思ったこともあった。でも捨てることはなかった。そして旅を終えるとき僕も受け渡した。このジャンバーは今後もいろいろな人の手に渡っていくだろう。だって、僕も譲り受ける時どんな人から譲り受けたか聞いたし、僕が次に譲る時も今までのジャンバーの旅を語ったからだ。ジャンバーに自分の名前と国名とメールアドレスを書いて渡そうかと思った。今後、着た人が名前を書いていったらなんか面白いかなと思って。そして、このジャンバーが今世界中のどこを旅しているかが分かったら面白いと思った。これを着て旅した人だけが入るメーリングリストなんかを作って、現在来ている人が旅の報告をMLにしたら面白そうと思って。
でも、やめた。確かに面白そう。でもなんか旅って、偶然性とかあまりがっちり縛られない思い出が楽しいと思ったから。人の名前が書いてあると、来て旅する人にとって精神的な重荷になるだろうから。文字よりも、なんとなく言葉でジャンバーの旅を聞いたほうがワクワクしそうだし。
だから、そのままラパスで次の人に渡した。もともと女性用のジャンバーでサイズが小さいのでこれから南下する女の人に、今までのジャンバーの旅だけ話して渡した。その人はベネズエラから入って、ボリビアをさらに南下してウユニに行き、1ヵ月後ぐらいにリマから国に戻るといっていた。だから、まだこのジャンバーは南米を旅しているるんだとおもう。
あのジャンバーは今、どんな旅をして、何を見ているのだろうか。
他人はだませても、自分は騙せないとよく言われる。自分にはうそをつけないと。
自分の心の中で何かに対して持った考えなり気持ち、これは正しいのか。正しいというか、自分の中でこれだと思うこと。
思い込みと何が違うのだろうか。
あの、自分の中だけにしか存在しない真実のようなもの。
僕は、ほとんど怒らないし、物にあたることもない。普通に言う破壊衝動はない。
しかし、脳に対する破壊衝動はある。何かといえば、自分の今までの常識とか固定概念とか、無意識的に持っている凝り固まった考えをぶっ壊したいという気持ちがすごい。脳の中がごろっと変わるような時すごく楽しい。
想像できないようなものを体験したいと思ったりするのは、この脳の破壊衝動から来ていると思っている。
スーパーへ行く時、月が明るかった。
月を見たとき、ラグーナコロラダで見た月を思い出した。あの満月を。
夕日を見たとき、ジブラルタル海峡に沈む夕日を思い出す。
日の出を見たとき、富士山で見た日の出を思い出す。
それらがだいたい、一番最初によみがえってくる記憶だ。
月を見ながら、ああ、同じ月かと思った。月に吸い寄せられ、月のみに意識が行った。そして、あの時に僕はいた。
スーパーの帰り、空を見上げるとオレンジ色に輝く星が一つだけ見えた。南米で見たときも一際目立っていた、あいつだ。その横にもう一つ明るい星があったが、今日ここでは見えなかった。
本当は無数に見ることが出来る星。ガラパゴスなんてその最たるものだった。何光年と言う想像を絶する遠さから地球まで届く光。それほどの輝きを持った光が、街中の弱弱しい光によって見えなくなる。なんかすごい残念だな。
もちろん、生活していくうえで電気ガス水道が重要なのは知っています。何度もそれらがない生活を経験したので。電気を消せとか行っているのではなく、(それなら自分がどっかの人里はなれたところにすめばいいので)なんか、寂しいなと思う気持ちがあった。それと、すごい力を持った物でも、近くにある本当に小さなものによって、ないものと同じにされてしまうということを実感した。こういった類のことは普段の生活でもありえることなんだろうな。
「南米の旅路」を普通に読もうとすると、16から1に向かって読むことになってしまいます。
でも、これは時系列と逆で、読んでも分かりにくいです。
それで、このページ(南米の旅路、イントロ)を表示してください。
これが「南米の旅路、イントロ」です。
このページの日にち(October 05, 2005)の上で、広告の下に
《 南米旅行写真 | メイン | 南米の旅路、その1 》
こんな感じのものがあると思います。
それで、南米の旅路、その1 ってのをクリックしてください。
すると、次のものが読めます。
同じことを繰り返して、その3、その4と読んでもらうと読みやすいと思います。
ああ、でも一番初めに写真を見たほうがいいと思います。
文章は長くて読むのがいやになると思うので。
写真は下のところにあります。
http://www.teratown.com/blog/archives/001846.htmlとりあえず写真、こちらからご覧ください
間違っているかもしれないし、綴りも分からない。しかし、今回のたびで必死に覚えたスペイン語。基本的に単語が分かっていれば問題ない。あと、いくつかの疑問文。活用形なんて知ったこっちゃない。原型だ。通じる、自分の言いたいことが相手に伝わる、同じ気持ちを共有する、それが目的なのだから。
当たり前に使っていたものはメモしていないので、忘れていると思う。でも、次スペイン語圏に行くときにこれだけあると便利だろうなー。自分へのメモ。
テンゴ・・・ ・・・I have
キエロ・・・ ・・・したい
キシエロ キエロの丁寧な表現
クアンド ティエンポ・・・? どれぐらい?
ティエネ・・・? Do you have・・・?
ケ エス ノンブレ? 名前は何ですか?
ケ オラ ・・? 何時ですか?
マスバラート もっと安く(値切る)
ケ エス・・・? ・・・は何ですか?
クアント アーニョス? 何歳ですか?
ポル 数字 ノーチェス、ポル ファーボル (数字)にち宿泊お願いします
エスト バ ア・・・? これは・・・に行きますか?
ア ケ オラ サレ? 何時に出発ですか?
ケ エス エスト? これは何ですか?
ケ メ スヒエレ お勧めは何ですか?
ラ クエンタ ポル ファーボル お勘定お願いします
メヌー デ オイ 今日の定食
イグスタ・・・? Do you like・・・?
ブエノ 良い
ペリグロッソ 危険
セグンド 二番目、メインディッシュ
テレフォーノ/フォーノ 電話
リコ うまい、おいしい
ベンターナ 窓
オホ 目
ケ 何
クアンド いつ
キエン 誰が
ドンデ どこ
コモ どうやって
クアント どれくらい
ポルケ なぜ
エン ・・・にて
クイダール 大切にする
ラピド 早い
レント 遅い
フォースフォロ マッチ
カンデラブロ ろうそく立て
ベラ ろうそく
ソパ スープ
フィフェオス 麺
セーナ 夕食
イグオル 等しい、同じ
ディファレンテ 異なる
ソロ 一つ
エスキーナ 角
メディア 半分、半
PASILLO 通路側
コメール 食べる
パラミ for me
レアール 読む、見る
デスペハード 晴れ
ヌブラード 曇り
アジイ あそこ
サル 塩
トドス 全部
プレサーダ/マンタ 毛布
コーチェ 宿泊する
アルムエルソ 昼食
ドゥーチャ シャワー
カリエンテ あたたかい
フリーオ 寒い
ムイ とても
フロンテーラ 国境
ケソ チーズ
ドミンゴ 日曜日
ノルマル 普通、日常
ノー プロブレマ ノープロブレム
コレオス 郵便局
パペル イヒエンコ トイレットペーパー
ラルゴ 長い
コルト 短い
パペル 紙
エスペラール 待つ
フィニート フィニッシュ
カンサード 疲れる
カミナンド 歩き
コンプラール 買う
カーロ 高い(値段が)
バラート 安い
ポルファーボール プリーズ
ポキート 少し
ペケーニョ 小さい
グランデ 大きい
マス より、さらに
カンビオ 両替、交換する
サリール 出発
ジェガール 到着する
レホス 遠い
セルカノ 近い
ソラメンテ only
アセル make,do
ウステ あなた
ヨ(ジョ)私
セルベッサ ビール
ポヨォ 鶏肉
アロス 米
メグスタ・・・ ・・・が好きです
アビタシオン 部屋
ムイビエン very good
テンプラーノ 早い
トラバッホ 働く
ファーシル 簡単
ディフィーシル 難しい
オートラ 別の
インテリヘンテ 賢い
バイラール 踊る
アブロ 話す
プレード できる
バモス Let's go
エルマーノス 兄弟
コミーダ 食事
ドルミル 眠る
ノンブレ 名前
ディネロ お金
イスキエルダ 左
デレーチャ 右
デレーチョ/レクト まっすぐ
ブエルタ おつり
アジェール 昨日
アオラ 今
ベルデ 緑
ユーリア(ジュビア) 雨
ヤーベ 鍵
デサイウーノ 朝食
アヒー 唐辛子
ピカンテ 辛い
ディスクルベ I'm sorry
ペルドン Excuse me
グラティス 無料
ブエナビスタ よい眺め
アスタ・・・ ・・・まで
デ from
コシーナ 料理する
アリーバ 上
パパス ジャガイモ
アバホ 下
リブレ 空いている
ロッホ 赤
ポシブレ 可能
インポシブレ 不可能
ネセシティート 必要
ノーネセシティート 必要ない
エクセレンテ 最高
マロ 悪い
クイダード 注意
エステ(タ) この
アヤ あそこ
パサヘ 切符
バカ、バカーノ 牛
バカシオネ バケーション
ラピ ペン
カンパニア 会社
ニエベ 雪
インクルーイード 含む
コン 含む with
シン without
エスタビエン OK
セマーナス 週間
ディアス 日
ディスプエス 後で
ルエゴ 後で
ミズモ(ミスモ) 同じ
モチーラ カバン
ポロキシモ 次
カジ 通り、道
シエン 100
ドス シエントス 200
ミル 1,000
ディエス ミル 10,000
外ではなく内と向き合え
外へ逃げている。自分ではなく。
外の何かを使っているだけ。
外へ行っているだけのキがする。内面と向かい合う、内面を掘り下げる
自分のことではなくて外の事を話してる
自分の内面と向き合え
本気で生きろ
着き抜けろ
上流の楽しみを見つけろ
それをつきつめて仕事にしろ
取り繕うな
本気で向き合え
一万円の世界と百円の世界
外へ逃げてる
南ベイも
大浦食堂も
もっと内面から
内面をみつめろ
他人事になってる
本当にやりたいこと、こころの底からワクワクすることを見つけ、それに向かって命を賭けるぐらいに
10月9日 下北沢のカフェアンドダイニングassoで、向かいに座った茂木さんに、寺町に言いたいことが一つあるといわれて。
サンフランシスコとシリコンバレー、そして日本へ
ラパスからマイアミに着いた。暑い。それからサンフランシスコに。アメリカの国内線は機内食なんかもってのほか、菓子すらでない。スナックバックとかいって5ドルで売っていた。ああ、アメリカ国内線しょぼーん。
まあ、サンフランシスコに着き、金の節約のために床で寝る。床で寝ると翌朝、体が痛いが仕方ない。ゴールデンゲートブリッジへ行った。バートとバスと歩きで。それから、スタンフォード大学に。かなりでかい。想像通りのアメリカの大学。ここからHP,Sun,google,yahoo,Ciscoが生まれたのだ。そんな大学を歩き回った。アジア系の学生特に中国の人が多い気がした。中国パワー恐るべし。
サンノゼの町にも行った。アドビとかもあった。サンノゼの空港にはでっかいリムジンで乗りつけ、プライベートジェットで飛んでいく人がいた。ここはそんな町の代名詞だろう。プライベートジェットがうじゃうじゃあった。そんな地を後にして、日本に戻った。
南米旅行写真その1
エクアドル、ガラパゴス、赤道、リマ、ナスカなど
南米旅行写真その2
ポトシ、ウユニ、ナスカ、クスコ、マチュピチュ、チチカカ湖など
南米旅行写真その3
ウユニ、チリ、アメリカなど
アリカからラパス
アリカには早朝着いた。町をぶらぶらして、港へ行った。アリカといったら海の町、港、魚。まさに、そんな町。港へ行くと、相変わらず声をかけられる。僕の顔とキャラは絡まれやすいらしい。悪い奴にと言うわけではなく、普通の陽気な人に。それで、港で魚をさばいていたおっちゃんに声をかけられる。そこで、おっちゃんは魚を捌いて、レモンとたまねぎなどでセビッチェを作ってくれた。そして、貝殻でそれをすくって食べた。取れたての魚はうまかった。取れたての魚をさばいてくれて、調理してくれてそのまま食べる。いやー、いい身分だと思った。
ラパスへはバスで。8時間ぐらいでついた。このときの国境の景色は良かった。山が富士山のような山できれいだった。手前には湖もあり、なかなかのものだった。再びラパスに戻ってきた。すり鉢上の町。すり鉢の底に行く前、上からラパスを見るとなかなかのものである。ここが世界最高所にある首都かと思いながら。
ラパスでは逆さ夜景の美しさと月の谷。そしてチャリダーの人とのトークが心に残っている。チャリダー二人と夕食を食べに行ったり、帰りの飛行機が朝早く4時までおきているのに付き合ってくれたり。世界を旅した話を聞かせてもらったり、人生観を語り合ったり。短気だった男が、「すべてを許す」って決めて世界を自転車で回る旅に出て。なんか、人生は千差万別で、いろいろなことを考える人がいて、共感する人がいて、それぞれの夢があって。そうなんだよなと改めて実感した。でも、人生を賭けている人の話はいつ聞いても、それがどんな分野であろうと面白い。面白いというよりもひきつけられる。
僕が宿を出る時間が朝の4時だった。だから朝まで起きていようと決めた。チャリダーの人は長旅の休養をしっかりとり、出発を明日とか明後日とか決めていた。それなのに3人のチャリダーは朝まで付き合ってくれた。いろいろな話をしながら。そこの宿は衛星でNHKが映った。白黒でノイズはいりまくりで、映るとは言いがたかったが、見ることは出来た。その僕が出発する1時間前に始まったのが野口腱さんのインタビュー。僕たち4人はテレビに釘付けになった。あそこまでになる人はやはり、考えがしっかりしているんだと感じた。それに、経験に基づく裏づけがある話しだった。
植村さんの「青春を山に賭けて」と言う本を読んで、山に登り始めたと話していた。それと、印象に残ったのが、なぜ山に登るかと言う話。雪の山は危険だらけだ、なだれに、高山病などなど。でも、そんな危険な山になぜ登るか。かれはアフリカに行って気がついたらしい。アフリカで見たハイエナは常に研ぎ澄まされていた。餌をとるときの目と体。しかし、家の猫はでぶでだれていた。同じねこ科の生き物なのになんでこんなに違うのかと。自分もこの二つと同じだと気がついたらしい。日本に普段いるときはペットの猫と一緒で、体全身がだれている。しかし、山に登ると普段使わない神経を使い、脳を働かせ、体を動かす、自分が研ぎ澄まされる。その状態を本能的に求めているのだと。山を登るときの苦労はつらくない。なぜなら前向きだからといっていた。
このハイエナの話は理解できる。外国に旅をしたときは、いろいろなことをシュミレーションして意思決定をして、時には瞬時に判断して、周りを警戒して、よく体を動かし、日本でだれている時よりも研ぎ澄まされたとまでは行かなくても、生きていくために必要な神経を、脳を刺激している気がする。
世界一きれいなラパスの逆さ夜景を上から見ながら空港へ向かった。
南米旅行写真その1
エクアドル、ガラパゴス、赤道、リマ、ナスカなど
南米旅行写真その2
ポトシ、ウユニ、ナスカ、クスコ、マチュピチュ、チチカカ湖など
南米旅行写真その3
ウユニ、チリ、アメリカなど
カラマからアリカ
サンペドロは小さな町で数分歩けば町がなくなる。そんなところでボーっとした。気持ちよかった。そういえば、チリはホットシャワーが出た。体がほっとした。休まった感じがした。かなり久しぶりのお湯だった。たぶん、お湯をたっぷり浴びたのは今回のたびで2回目だと思う。1回目はペルーのアグアスカリエンテスの温泉だ。カラマへは1時間強だった。昼過ぎに着いた。平日のはずなのに町が死んでいる。世界有数のチュキカマタ銅山のある町だから金もありそうでもっと元気があると予想していたのに。そこで、町の人に聞くとどうやら陸軍記念日で祝日だったのだ。
ああ、日曜日と祝日は生活しづらい。が、仕方ない。近くのメルカド(市場)で一軒だけ店がやっていた。そこで食事をして、たまった日記を書いた。翌日、チュキカマタ銅山に行った。9時30から説明をしてもらえるというので。しかし、その情報は古かった。14時らしい。せっかくここまで来たのでと思い、一人でチュキカマタ銅山を見ることにした。確かに規模もでかかった。銅山ってこんなところかと驚いた。1.1%の銅を含まれた土。それが99%以上にされ世界へいく。ああ、金属を作るってのはスゲーことだな。日々当たり前のように使っているが、ありがたいことだなと実感。まあ、それよりもチュキカマタの犬が危なかった記憶のほうが強い。30メートルぐらい犬から離れたところを普通に歩いているだけなのに、吠えて、目をむいて走ってくる。噛まれる。噛まれる、すなわち狂犬病。勘弁してください。犬も嫌いだし、狂犬病なんてもってのほか。まあ、ドキドキしながらなんとか逃げ切った。
その夜のバスでアリカに行く予定だった。そこで時間があまる。公園でボーっとしたり。でも、スリに狙われている気がした。さらに、シエスタで多くの店が閉まった。ああ、この時間はまずいと思い、開いていたカフェに。そこで、チリ人の若い奴ら4人とトーク。ただただテンションが高いバカな奴らだった。まあ、でもかわいいところもあって、面白い奴だった。折り紙を教えてやったり、日本語を書いてやったりしたら喜んでいた。そいつらと3時間ぐらい一緒にいた。
南米旅行写真その1
エクアドル、ガラパゴス、赤道、リマ、ナスカなど
南米旅行写真その2
ポトシ、ウユニ、ナスカ、クスコ、マチュピチュ、チチカカ湖など
南米旅行写真その3
ウユニ、チリ、アメリカなど
ウユニからチリへ サンペドロアタカマ
サンペドロアタカマ国境が雪でcloseしていた。しかし、明日は開くかもしれないと日々期待していた。そして、ラグーナコロラダの夜21時に無線で国境に問い合わせ、いけるかどうかが決まるらしかった。案の定、サンペドロ国境は閉じていた。しかし、そんなんでチリ行きをあきらめられない。強く訴えた。すると、オジャゲ国境という超マイナーな国境からいけないこともないらしかった。しかし、交通の便は限りなく悪いらしいが、まあ行くと決めた。そして、翌朝も5時過ぎに起きた。ずっと早起きが続いていた。日の出と共にラグーナコロラダを後にしてチリを目指した。
チリへの道のりもハードであった。一回車が横転しそうになった時は正直ビビッタが、まあ、国境には6時間ぐらいで着いた。それにしてもこんな国境は初めてだった。どこがボーダーかは分からない。しょぼいオフィス以外に何もない。オフィスにも人はいなく奥まで呼びに行く。そんなもんだ。町なんかあるはずがない。とりあえずボリビア出国したのは良かったが、チリに入国する前の場所で放置。それも4時間ぐらい放置。全く何もない。やることもない。本当にチリに入国できるのかと不安になるほど。
しかし、何もないところですごすことがトクイな俺には何にも困らない。廃線になった線路があったのでそっこの上で寝た。線路の上で寝たのは初めてだと思う。ちょっと寝にくかったが、枕代わりのペットボトルがあれば大して困らなかった。そのあたりには、青い空と煙をすこしだす山があった。この日も雲を見ていない。全く雲なんてない。真っ青な空なんだから。雲なんか見たくても見れない。でも、そんなアオゾラにニンマリしてしまっていた。気持ちよかった。
チリへの入国は出来たが、時間はかかった。スタンプをもらうにも時間はかかったし、荷物チェックもめんどくさかったし、来たバンに乗ったらいきなり運転手が飯を食いに行きまたされるし。まあ、そんなこと言っても仕方ない。チリに入ると土の道であるのには変わりなかったが、どこが道か分かるぐらいに石とかはどけてあったので、運転手はぶっ飛ばした。本当にぶっ飛ばした。スピードの出しすぎだった。
外は暗くなった。すると黄金の月が昇ってきた。砂漠の中からだ。これはまさにムーンライズ。砂漠のムーンライズだ。車の中から、左を見ながら黄金のムーンライズを見た。車を止めてもらってみたが、本当にすごい。砂漠の砂によって月が照らされ黄金のような色になる。そんな月が昇ってくる。こんなところで念願のムーンライズを見れるとは思ってもいなかったので、その喜びも人一倍だった。これこそセレンディピティってやつだろう。この語源も旅の時らしいし。それにしてもムーンライズは贅沢だった。
やっと、サンペドロアタカマに着いた。砂漠の中に無理やり作ったような小さな町だった。欧米人が多く、宿4軒ぐらいフルで断られたし、物価は高かった。
南米旅行写真その1
エクアドル、ガラパゴス、赤道、リマ、ナスカなど
南米旅行写真その2
ポトシ、ウユニ、ナスカ、クスコ、マチュピチュ、チチカカ湖など
南米旅行写真その3
ウユニ、チリ、アメリカなど
サンファンからラグーナコロラダ
サンファンと言う町を日の出と共に出発した。この日はアオゾラの日だった。僕が一番大好きな真っ青なアオゾラの日だった。この空を見たいと思ってきた南米だった。雲ひとつない青い空が大好きなんだ。標高が5000メートルぐらいだから、空気が澄んでいて青さが増して見えるのだろうか。青い空を見ながら、荒野をひたすら車で走り続けた。道なんかあるはずもなく、車は揺れに揺れた。そんな中、丘に登って周りの山と青い空をみたり、冷たく澄み切った空気を吸ったりした。車が進むと突然ラグーナ(湖)が現れた。5つぐらい見ただろうか。真っ青な空。空に向けて聳え立つ山。澄み切った湖。鮮やかなフラミンゴ。絵の世界のようだった。現実とは言いがたいような風景だった。
こんな風景が当たり前のようにある世界も、世界中探してもめったにないだろうと思う。そんな風景を見ていたのにもかかわらず、車で坂道を登っている時に、目に飛び込んできた。いてもたってもいられなくなるくらいの風景。完璧だった。何の無駄もない美しさ。自然と言うのはここまでのものを何の意図もなしに作り出してしまう。何の意図もないから作れるのかもしれない。ただできたものを人間がそうやって意味づけしているだけと言ってしまえばそれだけだろう。でも、そういいきるのがもったいないほどの景色だった。僕は車を止めてもらい、外に飛び出た。そして、その自然と向かい合った。息を呑む風景だった。しかし、写真に撮ったらうまく取れなかった。写真では表せないスケールだったのだ。
その後も荒野を走り、山を登り、ラグーナを見た。そんな時、車が雪にはまってしまった。標高5000メートルでこんなことになるとは。高山病でダウンしてしまった人もいた。しかし、雪をかいて、タイヤに石をかまして、車を押さないと何も解決しない。石を運ぶのは小さな石なのに息が切れた。それだけの高度にいたのだ。2時間近くひたすら車の救出をした。ここで夜を明かしたら凍え死ぬほどの寒さだ。マイナス25度といわれるほどの寒さに夜はなってしまうのだから。必死に押した。必死に運んだ。必死に雪をかいた。そして、ついに車は発進した。うれしかった。たまらないほどうれしかった。この瞬間を求めていたのだから。
それから、岩が丸っこくなった岩壁をみたり、下が削られ上だけでかいままの石を見てラグーナコロラダへ行った。そこには3軒ぐらいの宿があった。ここが伝説の寒さの場所だ。毛布は5枚ぐらい。上着は8枚、ズボン3枚。そんなんだった。屋根はビニールシートで風が入ってきていたのだから。ラグーナコロラダは有名だったが、そこまでひきつけられなかった。それまでに、すごいものを見続けていたからか、外が寒すぎて出たくなかったのか。それは分からない。しかし、満月にはまたやられた。やられた。いちころに。ちょうどラグーナの位置から満月が出てきた。まだ低い位置だったので大きかった。それは輝く大きな月だった。それに、湖の水が赤くなっており、空は赤みがかっていた。こんな状態は想像もしたことなければ、絵でも写真でも見たことがない。たまらなかった。美しさのきわみではないかと思った。あの極限の寒さが美しいと感じる心に輪をかけていたのかもしれない。
南米旅行写真その1
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