昔ソニーがモルモットと馬鹿にされた。その切りかえしが井深さんのすごいところである。
「ソニーは、東芝のためにモルモット(医学などの実験用動物として使われる)的役割を果たしたことになる 中略 確かに『モルモット』かもしれないが、日進月歩の電子工業の世界にあって新しい製品を産み出していけるのは、ソニー自身がすぐれた技術力と社長以下全社一丸となったチームワーク、そして実行力を持っていたからだ。それを抜きにして、大会社と比較されたのではかなわない。 中略 私どもの電子工業では常に新しいことを、どのように製品に結び付けていくかということが、一つの大きな仕事であり、常に変化していくものを追いかけていくというのは、当たり前である。決まった仕事を、決まったようにやるということは、時代遅れと考えなくてはならない。ゼロから出発して、産業と成りうるものが、いくらでも転がっているのだ。これはつまり商品化に対するモルモット精神を上手に生かしていけば、いくらでも新しい仕事ができてくるということだ」
体が浮かび上がるような気持ち。
心躍る。
僕が望む、自分の姿は心躍るモルモットなのかなとも思う。
僕が思うかっこいい人は、近くにいたら困る人。結構原理主義的な人が多いと思う。自分を信じて、可能性を信じている人が多い。でもこういった人は、離れてみると夢を持ちやりたいことをとことんやり本当に楽しそうな人。実際にこういった人しか世界を変え、面白くしていく流れを作れない。で、その本人(かっこいい人)も楽しいかと言うと、本当に没頭しているときは楽しいかどうかすら分からなくなる。んだとおもう。
まあ、僕が望むのは心躍るモルモットと表現することも出来る、と思っただけ。
最強なものは、やはり最強だ。
何も知らないものが、何かを追い求めるとき、何の恐れもないものだ。
情熱大陸 浅野悦男 人の作らない西洋野菜しか作らない。それも料理人のためのオーダーメイド
17歳で親から譲り受けた農場。
愛情を注げば注ぐほど、野菜はうまくなる。
野菜自体が挑戦的
プロの料理人のために作られるオーダーメイド野菜
脇役にとどまらない
シェフの感性を刺激し、その一皿を作らせる。
ただうまいだけでは納得できない。
ごちそうを耕そう
手間隙を惜しまない。だからうまい。
周りには当たり前のことを、許せなかった。
次から次へ新しいことを、次は料理をやるという。
やっている本人は楽しい、遠くから見る人もかっこいいと思うけど、奥さんは大変みたいだ。
人がやっていないこと、それが気持ちよかった。
何も知らないものが、何かを追い求めるとき、何の恐れもないものだ。
ああ、だめかで終わっちゃだめ、それだただのおじさん。
夜寝ても眠れないぐらいのことがあったほうがいいの。
体操服袋を道に落とした事件って小学生のときに体操服をいれる袋を持ち歩くじゃないですか。体育で使って、汚れた体操服を家に持って帰って洗ってもらう。
しかし、そんなことが出来ない小学生でした。体操福袋を道の途中で落とすのです。持っていたのに歩いている途中、それも信号とかじゃないところで落とす。もちろん気がつかず、家に帰って親に言われて気づく。
そんな頭の悪い小学生でした。
で、海外に一人で行くようになって自分の持ち物をチェックするようになった。今日は手に3個荷物を持っている。と確認して、いすから立つときなどはこまめにチェックするようになった。
しかし、人間そううまくはいかない。日ごろ持っているものなら習慣として、持ち帰る。が、いつも持ち歩かないものは忘れてしまう。去年もそれで迷惑をおかけしたことが会った。そのときは、徹夜明けだった。
今日も忘れた。飲み会の感じなる物をしたのだが、その飲み会であまった酒を袋に入れて持ち帰ったのだが、忘れた。完全に忘れた。徹夜明けだったり、酒が入ると普段持たないものを忘れる。。。
やはり、普通の意識のときはチェックするのだが、徹夜や酒などで頭が100%じゃないときは、子供のころの習慣がよみがえる。というか、本質的に小学校のときと何も変わってないんだな。
ただ、習慣と言うもので、上塗りしているだけ。例えば車の塗装で言えば、ベースとしてあったさび止めが小学校や生まれたときからある個人の特性など、その上に塗るカラフルな車体の色は大人になるにつれ社会適合性を高めるために身に着けたものなんだろう。
ビルの隙間から見えた月の位置からいろいろ考えた。考えたと言うよりも、なんか違和感を覚えて考え始めたら、頭がぐるぐる。いろいろやることがあるのに、楽しくて考えてしまう。
とりあえず、メモがき。
ビルの隙間から見えた月の位置、違和感、意識外でも脳は動いている。
ぱっと月が見えた。そしてそんなことはたいして気にもならず歩いていた。そしてまた空を見上げると月の位置に違和感を覚えた。で、なぜか考えた。たぶん、人間の意識外でも人間は情報処理を行っている。それで、気にかけなかった月の位置をここにあると無意識のうちに記憶していた。さらに歩いているから、歩いた場所における月の位置を無意識のうちに推測していた。しかし、なにげなく空を見ると月の位置がその推測と外れていた。そのために月の位置に違和感を覚えた。
意識外でも脳はかなりの情報処理を行っているんだなー。
1,2日では変わらないもの、習慣化による。
習慣化の2面性問題。
フィーリングが合う人間は、この自分が考えていないところにおけるものがあうかどうか
感覚の鋭さや、頭が切れるなどは、この裏の脳の動き
僕は電話が苦手だ。
なぜか考えると、意思疎通が正確に出来ないかもしれないという恐れがあるのが嫌だから。電話では普段のコミュニケーションにあるものがかけていて、意思疎通がしっかりと出来ないのではないかと言う不安がある。そのため、電話で話すのが好きではないのだろう。
ということは、僕は普段のコミュニケーションにおいて声や言葉よりも表情だとか、その文脈から多くの物事を理解しているのではないか。だから、声(言葉)だけの電話では絶対的な情報量が足りず、相手の真意をつかめないと感覚的に感じて、電話が嫌いなのであろう。
まあ、慣れってのもあると思うけど、それ以上にそれぞれの人が対話コミュニケーションにおいて何を重要視しているかが大きくかかわってきているのだと思う。
「風よ水よ人よ」これは、日本酒の名前。
某先生の家で飲ませてもらった。
さすが、先生というほどの味。安くてうまいらしい。
やっぱり、「うまいもん」は先生に聞くのが一番だ。
「うまいもん」ってのはちょうしこいたフランス料理とか気取ったものや名前だけのものや値段もむっちゃ高いものじゃなく、「うん、うめー」っていえる、人間が一番うれしい瞬間を味わえる食べ物ね。
だって、肩肘張って高級なもの食ってもうまくない。やっぱ、なりふりかまわず食らいつくのがうまいよ。
1月24日 晴れ
そこまで寒くなかった。普通の日だった。って、なんか小学生の夏の友みたいでいいね。
なんとなく。
某友達がこう書いていた。
Aoccdrnig to a rscheearch at Cmabrigde Uinervtisy, it deosn't mttaer
in waht oredr the ltteers in a wrod are, the olny iprmoetnt tihng is taht
the frist and lsat ltteer be at the rghit pclae. The rset can be a total mses
and you can sitll raed it wouthit porbelm. Tihs is bcuseae the huamn mnid
deos not raed ervey lteter by istlef, but the wrod as a wlohe.
非常に面白い。たしかに、その通りです。もうすこし、読むという行為と脳が理解するという行為を詳しく知りたい。
あと、昨日の夜、音楽を聞いて寝た。音楽って、ボーカルの声と、ギター、ドラム、ベース、その他いろいろな楽器の音色が重なっているじゃないですか。
で、特定の音のみに着目してその音のみを集中して聞く。そうすると、そのリズムが分かるわけですが、ほかの音はほとんど聞こえていない。耳にはいろいろな楽器の音が入ってきているはずだが、ベースならベースの音しか聞こえていない。これは周波数かなんかを人間が勝手に理解して、その音を追っかけている。それで、聞こえる。これを本当に聞こえるとする。音を脳が意識的に理解しているというのが正しいのか?
で、これ2つの音を追おうとすると厳しい。少なくとも今の僕には厳しかった。二つの音を同時に聞くことが出来なかった。これを、どんどん繰り返すと本当に聞くってことなんだろうかな。
で、普通に聞いてみる。歌が入っているものだと、どうしても人間の声をきいてしまう。歌が入っていると歌を聴いていてバンドの演奏はほとんど聴いていないな。で、歌がなかったら、ほとんど聞こえていない。それがBGMなのだな。
本当に聞くと、絶対音感の人はどうやって聞こえるのかね。
BGM タイムマシーン CHARA
空の下で MY LITTLE LOVER
JOY YUKI
星のかけらを探しにいこう 福耳
BLUE HEAVEN サザン
BGMというより最近聞いている曲
旅に行く人がいる。
一人で旅に行く人がいる。
目的もなく行く人がいる。
そんな人もいつか帰ってくる。
旅人は一瞬の身分である。
日常の会話、日記に旅の話が出てくると言うことは、現状に物足りなさを感じていたり、切羽詰って現実逃避したいときなんでしょう。
そう思います。
純粋に、旅は楽しいです。
今日も情熱大陸を見た。
何とかしなければならないという信念があった
国見高校サッカー部監督&校長 小嶺 忠敏
奇をてらうことのない正攻法
楽をしてうまくなろうはありえない。失敗をして残念だ、悔しがる気持ち。与えられた条件で最大限の努力。
1年間200試合以上。
試合前にゲームプランを指示。試合が始まれば、指示はほとんどしない。しきりにメモを取る。いいプレーをしたらほめてあげよう。叱ると伸びる奴だからしかってやろうなど。
試合後は反省点をノートにつけることが義務づけられている。
経験は言葉に残すことで始めて自分のものになる。
物事をやる前に、それをやるのはなぜかを考える。どんなことを身に着けたいかを考えてから行動。
部員13人の弱小チーム、それでも優勝を誓った。20年が過ぎて初優勝。
自分の元を巣立ってから、子供の本当の人生が変わる。教え子であれ、元教え子であれ見つめるまなざしは変わらない。
宿舎には先輩が続々と、洗濯と買出し。たぶん、OBが自然と集まってこれるような組織ってのがいいね。それは一人の求心力がある人がいるってこともいいけど、文化としてそんな雰囲気があるといいなー。
毎試合が山。そして山の険しさが増す。
無慈悲な風をののしっていた。
この敗北を選手たちの糧にしなければならない。3時間選手たちにかける言葉が見つからなかった。
言葉の一つが子供たちの心を傷つけるかもしれない。全国大会で負けた夜は眠れない。畜生。そんな試合の夜も選手たちはすぐに眠っている。子供たちは幸せだな。
無意識は意識をコントロールする
無意識を意識でコントロールする
正確に言うと、無意識の状態を意識を用いて無意識的にコントロールできる。
また、何を言っているのか伝わらなさそうなエントリーです。
意識を及ぼすことができないと思っていることに実は意識を及ぼすことができる。
無意識の状態は自分の意思によって行動できないことだと思うんです。
しかし、無意識の状態をコントロールできる。さっきも書いたけど、正確に言うと、無意識の状態を意識を用いて無意識的にコントロールできる。
たぶん、金縛りとかこの状態なんじゃないかな。(これで、さらに分からなくなったはず。。。)金縛りも、自分が無意識かにあると思っていつが、実は意識がコントロールしている。で、その意識をコントロールすることが可能であると。
なんで、こんな意味不明なことを思ったかと言うと、昨日寝ようとした。今日の朝早く起きる必要があったので、明日は朝7時30分に起きないといけないと言い聞かせた。なぜなら、経験則的に寝る前に自分に言い聞かせると起きれるから。これはみんなやっていることだろう。そんな、いいきかせをしていたら気になり始めた。こうなる眠れなくなってしまうのである。
寝ているときは自分のコントロールできる状況にない。無意識な状況であるが、寝る前に意識的に言い聞かせることにより、起きれる。すなわち無意識状態を意識でコントロールできているのだ。
意識的に人生や先のことをプラスにイメージすることは、明確に記憶しなくても無意識下のときにも大きな影響を与える。こういうことなんだろうな。
未来の無意識の状態は、過去の意識的状況によって決定ずけられる。
夢もコントロールできる気がするな。僕がいつも言う、昼間に何気なく考えたことが、夢になる確立が高いのも、そんな感じ。
なんか、言いたいことが伝わっていないな。自分でこの文章読んでも伝わってないと思った。
なんだろうね、無意識課の行動を意識化によって確実に決定付けることが出来る。これって、抽象的なことが言いたいんだよね。
ちょいと遅くまわしてみようと思う。
僕は何かをするとき一気にやってしまったり、倍速でやったりする。
話すのも早口、半ばあせるように。
書くのも、一気に書く。
でさ、何かをするとき遅回し、スローモーションでやってみようかなと思う。
やっぱり、時間をかけて考えたものは何か違うと思う。
目に見えるものの裏に何かが潜んでいる機がするのです。
確かに、一見効率が悪いかもしれないが、どうせ学生のときしか出来ないので、そうやって行動するのも面白いだろう。
じっくりやる、なんか大切にやるみたいな感じかな。
そうやって、物事をしたことがないから。
一本の線を描くのに5時間でもかけてみようと思う。
別に、考えるのでなくても、時間をかけてみたい。
ホカゴトするのではなく、一本の線と5時間ぐらい向き合ってみたい。
まず、はじめに書くがアメリカを批判したいわけではない。基本的に十人十色とすべてに対して思っているので。
ただ、アメリカと言う国の、国民の根底を流れる思想というものを理解しておく必要があるのではないかと再認識しただけ。
昨日の夜BBCで大統領就任式を放送していたので、それを見ていた。たぶん、大統領就任式なるものは初めて見たとおもう。まあ、ニュースで以前にチラッと見たことがあるかもしれないが、気に留めていなかったのだと思う。
その、大統領就任式は、オペラ歌手がアメリカと連呼し、神よといい、アーメンといい、ブッシュは最高ですといい世界もブッシュがよくするといい、憎しみとかは自由の敵、アメリカにはすばらしい歴史がある、常識にもとづくと自由を広めないといけない、アメリカは神のイメージのもと作られている、我々が建国したときの理想を世界に広めないといけない、
こんな感じのことを言っていた。さらに舞踏会もやって30億円かけたらしい。
なんかこうやって書くと批判的に見えるんですけど、違いますから。ただ、驚いただけです。
別にこれがいい悪いではない、日本の考えと違いすぎるから、アメリカ人の考えのベースを知る必要があるなぁと思っただけ。
こういうイメージの国であると言うのはなんとなく思っていたが、なんか改めて日本と違うなと感じた。
今後、まだある程度の期間はアメリカが事実上の世界のリーダー的な役割を果たすと考えられる。となると、やはりアメリカを無視することは出来ない。となるとアメリカ人の考えのベースを知っていると相手のことも理解しやすい。扱いやすい。そう思うのです。で、理解するためには1,2年アメリカに住んでアメリカ人と話してみないと分からないんだろうなと思った。
アップルをさっきほめたけど、やっぱソニーもすごい。
短期的に業績下方修正のニュースなんて糞食らえ。
先日、採用方法を変えたと言うニュースがヤフーにのっていた。採用試験に受かってから2年間ならいつでも入社可能という制度だ。ようは2006年入社に受かったら2008年までの間ならいつ入社してもいいってこと。その間、好きなように人生送っていいぞと。
まあ、これに対する意見はいろいろあろうが、私は支持するね。まあ、ワークスがやっていたのですが、ワークスがやるのとソニーがやるのでは意味が違うのは自明です。影響力が違います。たぶん、来年以降この傾向が出てくるかも。
で、そんなことを一番最初に出来てしまうソニーはすごいです。
まあ、その話は横においといて、会社がこうしないといけないのは大学の制度がだめだからですよ。4年間のうち1年間は好きなように使っていい年を作るべきです。大学の単位なんて3年で十分取れます。集中してやって、1年間人それぞれの使い方をして経験値をアップしたほうがいい。旅をするにしても資格の勉強するにしても、バイトにしてもなんでも言いわけです。その点、私の大学は毎年単位の規則があるので、制約が多い。その点W大って、4年まで自動で進級できるなら、学生はもっと頭を使って4年間を過ごすべきだと思うのですが。単位の年間上限があるから無理なのか?今度Wの人に聞こう。
やはり、大学生と言う時間は貴重だ。無駄に人に会わず、本をひたすら読んだり、半年ぐらい旅に出るという経験をするべきなんだろう。そう、蓄積する、ひたすら考える時なんて今ぐらいしかないんだから。来年から、セメスター制に変わるらしいので少し考えるとしよう。
かなり無理な付け加えだが、電子マネーが暴れてるね。確実に5年後には現金使う人が減るな。
スイカにPiTaPaですか。まあ、思うのが関西と関東で電子マネーが違うね。なんか、ここまで分かれるのって、50,60ヘルツみたいな感じ。まあ、どうせいずれ統一されるんですが。
アップルの製品が話題をさらい、売れまくっているときにあまり肯定はしたくないのだが、いいね。認めます。正直シャッフルはほしくないけど、あの会社はかっこいいね。
クレージーな人々へ。
クレージーな人たちがいる。
反逆者、厄介者と呼ばれる人たち。
四角い穴に、丸い杭を打ち込むように
物事をまるで違う目で見る人たち。
彼らは規則を嫌う。彼らは現状を肯定しない。
彼らの言葉に心をうたれる人がいる。
反対する人も、賞賛する人も、けなす人もいる。
しかし、彼らを無視することは誰にもできない。
なぜなら、彼らは物事を変えたからだ。
彼らは発明した。創造した。
人の心をいやし、奮い立たせてくれた。
彼らは人間を前進させた。
彼らは人と違った発想をする。
そうでなければ、何もないキャンバスの上に
芸術作品は見えてくるだろうか?
静寂の中に、今までにはない音楽が聞こえてくるだろうか?
私たちは、そんな人たちのための道具を作る。
クレージーと言われる人たちを、私たちは天才だと思う。
自分が世界を変えられると
本気で信じる人たちこそが、
本当に世界を変えているのだから。
アップルコンピューター社
日本 歴史占いなるものをやってみた。
非常に受けた。結果が笑えた。そのままだ。
あなたは「石川五右衛門」
何をするのも独創的で個性的
変わっているうえにマイペース。世の中の尺度なんて眼中になく、自分にとっての善し悪し、好き嫌いで生き抜くはぐれ者。五右衛門も並のワルじゃぁありません。強盗、殺人、おいはぎ等悪逆無道の果てに、時の権力者秀吉の命を狙って伏見城に忍び込み、あと一歩で御用に。しかも、「お前こそ天下を盗った大泥棒だ」と、啖呵を切りました。頑固で融通がききませんが、あなたの個性を磨くことでオンリーワンの存在になれます。
「頭脳・知性」
コピー不能な芸術的思考の持ち主。全部がオリジナリティーに溢れている。他の人が真似できない独創的な分野を切り開き、後にも先にも、その世界でオンリー1の存在となる。
「センス」
何が嫌って、他人の物差しで計られたり、一般的な常識に合わせて生きること。はなから合わせる気もない。一途で一本木なところがある。「孤高の人」でも、それはそれで男の美学を感じている。
「感情」
他人に影響されず、頑固なまでに自分の中のルールとテンポを崩さない。ふだんは物事を冷静に観察してクールだが、いざという時、内なる闘志をメラメラと燃やす。
「外見・言葉」
あまりにも個性的なので、「変わっている」と思われがち。無口だし表現力も乏しいし、初対面の人は取っつきにくいかもしれないが、気持ちは真っ直ぐで純情で、裏表がない。
「行動」
群れるのが嫌いな一匹狼。たいていは一人、あるいは気心が知れた身内と一緒に過ごすことが多い。一旦、「コレだ!」と決めたら、回りの視線や評価など気にせず、トコトン突き詰めていく。
人間、言葉の意味を知っていると思っているから、物事を理解していると思っているわけです。で、意味を知っていると思っているから、他人との話が成り立つ、社会が成り立つ。
でも、知っていると思っていると言うことは、新たに知る必要性がない。そう脳が判断し、新たなことを学ぼうと言う姿勢でなくなり、脳が受け入れを閉じてしまう。
知らないとなんとなく思っていることの意味=脳をオープンにしておくと言うことです。
知らないとなると、生活に不便になる。すべての言葉でつまずくから。しかし、「ああ、そんなこと知っている」と思うと、脳がクローズしてしまう。
何に関しても知らないとなんとなく思っている、知らないことあるかもみたいな感じに脳の状態をしておくと言いのかなと。
一昨日テレビでユニクロの玉塚さんがテレビのインタビューに答えていたのを見た。
そして、昨日2000年にとった番組を見た。
テレビ東京の番組で、OH!NEWのことや、ユニクロのことなどをやっていた番組だ。
昨日そのビデオを見たわけだが、偶然これにもユニクロの玉塚さんが出ていた。当時38歳 フリース担当常務。2年前に入社した時だった。として働いていた。
その後、ユニクロのイギリス進出は玉塚さんが指揮を執ったが失敗、そしてユニクロ社長となっている。
見た目、話し方、話の中身も違っていた。社長として働いている今のほうが、どれも洗練されていた。風格があった。成功、失敗、挑戦。その連続なんだろう。何でもやってみなけりゃわからないし、だれでもはじめはやったことないに決まっている。今までやったことないことにチャレンジする、それだからこそ新たなことを知ったり、能力がつくのだ。
地位だってそうだ。社長になる前から風格があることは少ない。やったことないんだから、どうやるかは頭では分かっていても、それ以上でもそれ以下でもない。
地位と言うものが人を育てる。やったことがなければ心配だろうが、その地位についてやっていれば、周りの目も変わる、態度も変わる、仕事も変わる。まあ、立場上何とかしなければいけないことばかりで、それを何とかしていくそうしていくうちに、風格なり能力ナリつくんだろうね。自然と地位およびそれに付随するものによって育てられる。
まあ、板につくということなのかもしれないが、ちょいとニュアンスが違うかな。
それ以上に地位(社会的なポジション)が人を育てるのも事実だ。
ああ、友達からメールが来た。
今月末からペルーとエクアドルに行くんだって。いいなー。
ガラパゴス上陸の予定らしい。
やっぱ、いい線ついてくるね。僕と嗜好が似ているのだろうか。
まあ、気をつけて行ってきてもらいたい。僕が行くときは情報を聞くのでよろしくね。
楽しそうだなー。
情熱大陸で小山田 大さんについてやっていた。プロのクライマー。
あの平山ユージさんもほめてたよ。
このお方、本物ですは。すごい。楽しそう。やっぱ、極める人は、自分の軸があるなぁ。それにしたがっている。ただただ、そのものに向かっている。邪念なんてものは無いんだろう。
すごい日本人はたくさんいるな。このお方も28歳。いやーすごい。
以下メモ
強いほうが自由な気がする、
上に誰書いたり、ごちゃごちゃした中にいるといやなのだ。
宇宙一になりたい。
ボルダリング(自然の岩を道具(命綱)なしで登る。上る前に、ルート設計も自分で行う)
岩から両手両足を離して、飛ぶ。
5mmのところに手をかけて上る。まじ最強。
テレビもたんすもない部屋。ホールドと言う、クライミングの練習のでこぼこしかない。食べる、上る、寝る。筋トレはしない。汗とか根性とか好きじゃない。部活動とか苦手。スポーツマンじゃなくてクライマー。
難易度V16を去年上った。V14で世界トップクラスらしい。
かつては、賞金が出るワールドカップや世界主権に出ていた。しかし3年前に離れた。クライマーとしてより確かな存在になりたかった。コンペは、その場その場で決まりはするが、みんな上るもの。
岩は絶対一回登ったら、永久に残る。そこに誰も上らなかったら永久なんだ。ここで、名前を残したい。
コンペは水物。
楽しそうに上るから、本人が一番幸せなのがいいですから(実家の天井や壁にもホールドがある) by母親
20歳で日本一、でも喜ばなかった。かっこ悪いですよ、日本一なんて。チョロイですよ。国境なんてないのに、日本と言う枠を持ってくるのは卑怯。
7人のチームスタッフと、一軒家を借り切ってフランスで2ヶ月の合宿。
トポという岩場のガイドブックに心が踊る。登れるものはとにかく登る。宿の壁にも天井にも。フォンテーヌブロー@フランス
面白い岩があったが、湿気っていた。いくら上りたくても、危険だ。ここはやめる。プロだな。ちゃんと見極めて決断するのがすごい。
失敗には必ず理由がある。失敗した岩を見続ける。上るまでやらないといけない。何ヶ月も同じ岩で失敗し続けたこともあるらしい。右手中指第一間接だけで体を上げる。47回目にして成功。感想は立った一言、面白かったですよ。
クライミングなんてたいしたことじゃない、誰のためになるわけでもない、自分が楽しけりゃいい。子供の木登りと同じ。ただプロとしての意識はある、すごくて新しいことをやらないといけない。
140度、世界で9人しか成功していない岩に挑戦@スイス。世界最短記録での成功を狙っている。今のところ2002年にアメリカ人のシャーマが出した6日間。
指先からにじむ少しのあせも挑戦を妨げる。って、本当にすごい世界だな。
運命の振り子が不可能と可能の間を行き来している。時が来た。
うぉー、うぉーって登るときの体のそこから出てくる声がすごい。マジすげー。
登った、ドリームタイム敢闘。初日の練習を含め。2日で世界最速記録。
今日も名も無き岩を登っている。
まだ誰も上ったことのない岩。拍手も歓声も何もない。
己がただ懸命に生きた証が残ればいいのだ。
そして、名も泣き岩に名前がついた。
いやいや、マルエツで驚いた。
スーパーのレジで並んでいたんです。結構並んでいたので、店員さんのいないレジに店員さん来ないかなと思っていたら、「ご来店ありがとうございます。業務連絡・・・・」とアナウンスがあった。よくスーパーで聞こえてくる、あの声で。
で、ぱっと横を向くと、レジにいる店員さんが携帯に向かってしゃべっているではないか!もしかして、と思ったら、もしかした。レジの店員さんが放送していたのだ。事務室か、インフォメーションみたいなところで放送していると思ったのに。。。。
いや、コスト削減だし、レジの状況にすぐ対応できる。おお、すごい。マルエツやルナ。
まあ、PHSで社内通話は無料のやつなんだろうな。いやーでも、スーパーの放送システムも変わっていたのですね。気がつかなかった。
いやはや、世の中変化が早いな。
先日、ある側面から見れば10年はあっという間に過ぎた、一方で別の側面から見るとまだ10年しかたっていないと書きました。
また、成人式のニュースもあり、ブログ版タイムカプセルをやると面白いのではないかと考えたのです。成人した人も、社会人になる人も、大学生になる人も、生活に特に変化のない人もタイムカプセルブログ版。
トラックバックしてくれたり、コメントでそれは叶うなよ、とか多分叶わないなど書いてもらってもいいです。トラックバックとかでつながって、10年後にみんなで達成できたかどうかの報告会なんてやったら面白そう。
あまり数が多くてもめんどくさいので、書くのは箇条書きで10こだけ。
・プライベートで3つ
10年後は結婚しているとか、はげているとか、都内にマンション購入、週末は趣味で山登りとか、なんでもあり。
・社会人・ビジネスマンとして3つ
こんな能力や資格をつけて活躍しているとか、会社を起こすとか、年商100億達成など、
・10年後の未来社会予想で3つ
現金がなくなっているとか、紙から電子ペーパーに変わっている、人口の半分がクローンとか
・最後に、10年後の自分へ一言
そのままです。
まあ、僕の場合
<<プライベート>>
・定期的に運動や一人旅をしている
・あいかわらず、新しいもの好きで、アリーアダプターな日々
・結婚している
<<社会人として>>
・パーソナルミッションを見つけ、走り始めている
・英語はぺらぺら
・教育と地域のことがやっぱ気になり、時間をみては活動。
<<未来社会予想>>
・電子マネーの普及により現金の利用がかなり減る
・二極化がさらに進む。(金持ち、能力、都市と地方)
・マスコミがインド、インドと叫んでいる
<<一言>>
自分を、可能性を最後まで信じて、楽しんでれば最高だなぁ。さあ、今(31歳)の僕はどうですか?
BGM 空の下で MY LITTLE LOVER
別に、特に気にもならないのだが、いろいろな人がセンター試験について書いていた。
そう、今日と明日はセンター試験らしい。
当時のことはあまり覚えていない。確かなのは岐高で試験を受けたことぐらいだ。テストの後にみんなわいわいがやがや言っていた気がするが、あまり記憶が定かではない。
もちろん、今年のように寒いとか雪だとか、天気の記憶もない。僕にとってはあまり興味のないことだったようだ。
今日や昨日は、すごい緊張をしている受験生もいるだろう、泣いている受験生もいるだろう、体調を崩した受験生もいるだろう、笑っている受験生もいるだろう、いろいろな気持ちを持った受験生がいるはずだ。
どんな気持ちだからって受かるわけでも、落ちるわけでもない。どんな状況にあろうとこなしていかなければならないことはあるのだ。うだうだいっているならやってしまったほうがいい。そう、自分に言い聞かせる。今できることは今やる。先においておいたらできないのだ。今やろうと思ったことは将来はできないのだ。そう、自分に言い聞かせる。
ただいえることは、少なからず社会的認知において自分がメインとして所属する組織が、どうなるか分からなくなると不安なものなのだろう。それを失ったときはさらにすさまじい感情に駆られるのであろう。自分ではそこまで感じたことはないのだが。
組織は人間の精神を守っている。まあ、自分が納得していれば、自信を持っていれば組織に所属してなくてもあまり精神的に不安定にならないのだろう。まあ、そのような段階になるには、そのような心境に達するには、自分が納得し、社会的にも認められる組織に一度は所属して、その組織に属していたと言う看板をもらわないとなれない場合が多いのであろう。
何にしても、振り子の理論プラスは成り立つ。
振り子の理論はビートたけしという天才が言っている。ものすごい静かなやつは、ものすごいうるさくはじける可能性がある。ものすごいつまらないやつは、ものすごく面白い可能性を持っている。僕もそう思う。いわゆる、極端なやつなのだと思う。1か0しかない。振り子の理論プラスっていうのは、極端な両極を体験した人でなければ中庸にはならない。その両極な人は中庸も分かる人であると言うのが僕が思う振り子の理論プラスだ。
そういえば、ジミー大西先生も好きだ。何も関係ないが。小学校の音楽の先生の感じがして非常によい。みんな、ジミーちゃん芸能人だから、自分の近くにいないから、彼のことを賞賛すると思う。しかし、実際、自分の近くにいたら嫌う人が多いと思う。まあ、当たり前なのだが。近くにいるといい人、遠くにいるからこそいい人ってものはある。でも、僕はジミーちゃんキャラが好きだ。多少ドンくさくて、常識がない、でも心はとてつもなく純粋だ。僕がそういう人間(心が純粋じゃないと言うこと)じゃないからかもしれないが、そういう人といると心が洗われるし、肩肘張らなくてよくって心が安らぐ。
歌番組で、翼をくださいを歌っていた。
そして、中学や小学校のときを思い出した。小学校のとき音楽の時間は遊んでたなー。替え歌を即興で作ってでかい声で歌ったり、小学校の音楽の先生は教師としては相当問題ありだったけど、いい先生だったな。あの人の純粋さは大好きだ。
中学は合唱なるものをよくやらされたな。中学最後の音楽の授業で泣いていた人がいた。それは何だろうね。数学では泣かなくても、最後の音楽の授業は泣く。歌が持つパワーなのか。確かに、あの時が最後の合唱だったな。一生みんなと歌うことはないのだ。
で、中学の最後に合唱のCDを作った。サラマンカホールというところまで録音しに行った。そもそも、こんなCDなんていらない、と言って無駄だからやめろと職員室で大嫌いだった音楽教師と戦った記憶すらある。さらに録音の時は隣のやつが半端なく音痴で、隣の友達と大笑いした記憶しかない。小学校の時も文集でクラスのページをメモ帳にしようといったり。
小・中学時代は、その瞬間を生きていたのだろう。
将来も過去もなんて、その時の僕には考えられもしなかったのだろう。
ただその瞬間しか存在しなかった。
しかし、今となってみれば年を重ねることに少しばかりおびえ、過去の思い出に浸ることもある。
これが年をとったと言うことなのだろう。
そういえばかっこいいが、ただの天邪鬼か。
で、ふと思う。僕は昔は徹底的に写真を排除した。というのも、野外学習や修学旅行には卒業アルバムのカメラマンがついて来て、写真を撮り、戻ってきたら学校の壁とかに写真が張り出されてほしいものを購入するシステムだった。しかし、僕は小学校から高校まで一枚たりとも写真を買っていない。そうとう寂しいやつだ。思い出が何もない。まあ、その何もないのが大切な思い出なんだよな。
その反動で、今写真が大好きなのかな 笑
中学の教室で、あの時の友達と小さな机といすに座り、いろいろ語りたいものだ。
参考エントリー
タイムマシーンはもうこない
目が見えなくなったかもしれない。
相変わらず、真っ暗にして風呂に入った。これは岐阜にいたときからよくやっていた。あれは、心が落ち着くのである。見えないものが見えてくる。おいら流の座禅だななあ。
で、真っ暗な風呂でふと思う、目を開けても何も見えないのである。電気を消して暗いから当たり前といえばそうだ。しかしだ、実は電気を消した瞬間に失明して目が見えなくなったから、真っ暗闇なのかもしれない。その可能性があるのだけれど、自分が電気を消したという理由から、暗くて見えないだけと自分が勝手に思っているだけなのである。本当に失明してしまっているかもしれないのである。
で、自分は暗くて見えないから何も不安にならないが、真っ暗で何も見えないというのは失明した状況と同じなのである。もしこれで失明していたと自分が本当に思ったら不安で思い悩むだろう。何も見えないという同じ状況にあっても、自分が電気を消して暗くて見えないだけと思っているか、失明して見えなくなったと思っているかでまったく違ってくる。
人間とはそんな、曖昧で、実体のない自分の意識や考えによって成り立っているのである。
自分が変われば世界は変わる。
自分の気持ちが変われば、世界の見え方はかわる。
四字熟語を三つ思い浮かべてください
一つ目は何ですか?
二つ目は?
三つ目は?
僕は
・十人十色
・弱肉強食
・才色兼備
一つ目は、人生観
二つ目は、恋愛観
三つ目は、仕事観らしいです。
考え方や好みなどが各人それぞれに違っていること
強い者が弱い者を餌食(えじき)にして栄えること
すぐれた才能をもち、顔かたちも美しいこと
相変わらず、レポートを書きながらテレビがついていた。
昔の音楽が流れていた。
96年とか良く知っている。
もう10年。
時間は逆戻りしないんだなと、しみじみ感じた。
あの過ぎ去りし日々の気持ちは、もう味わうことはない。
時間とは一回性の文脈なんだよな。
前から、某氏がCDを買うのが億劫だといっていた。それは、お金がもったいないとか、ダウンロードすればいいからではない。CDを買うとそのときの思い出がその曲に移るからだとという。CDを買えばそのときは良く聞く、もちろん同時に日々の生活を送っているわけだから、いろいろなことは起こるわけだ。その起こったことが曲にうつり、時がたってからその曲を聴くと昔の出来事や気持ちを思い出してつらくなったりするからといっていた。確かに、そういうことはあると思っていたが、そこまで実感としてはなかった。
でも、今日、歌を聞いていて昔のことを思い出した。ああ、あんなこともあったなと。
同時に思った。
たった10年で、ネットでほしい音楽をゲットして、あんな小さなMP3プレイヤーで簡単に持ち歩くなんて、あのとき思いもしなかった。
たった10年で。
もう10年、
たった10年、
そして、阪神大震災のテレビもやっていた。
小学校5年だった。岐阜は震度4。揺れで目が覚めた記憶が鮮明に残っている。
10年。
震災を機に人生が変わった人も多いようだ。商社から自衛官のパイロットになった人。楽天のみ木谷さんも、あの時に何が起こるかわからないんだから今を後悔しない人生を送ろうと決めたらしい。
そんな、激しいまでの決意、気持ち。
これは、すさまじいものだと思う。
ある意味、戦後復興の日本にも似た気持ちなのかもしれない。東京通信工業の設立趣意書に通じるような。
自分のやっていることに納得がいって、誇りを持って、自身を持っている。
そんな芯がある夢を夢を追いかける、
そんな人生が一番輝いている。
もう10年、
たった10年、
10年の重み。
BGM CHARA タイムマシーン
レポートを書いていたら、「寒いからこそ出会える、暖かな冬」と耳に入ってきた。
なんでもないことなのに、「はっ」とした。
冬の暖かさを味わえる、あの喜びを感じられるのは、寒さゆえなのだなぁ。寒いのはあまり良いイメージでとらえられないが、それがあるからこそ温もりを感じられる。
当たり前だけど、なんか、こう感じるのもいいもんですね。
なんか、JR東にほんの北東北CMだった。
このCMいいです。
「澄色の冬へ」
どこまでも透き通って見えそうな、
そんな透明感
寒いからこそ出会える、暖かな冬
北東北、ここにはそれがあります。
冬へ。
パリダカ、いやー、毎年これに関して書いている気がする。
何度見てもいいねー。かっこいい。あの、無謀さがたまらない。本当に死ぬ気で勝負しているのにあこがれます。
前、パリダカに金をためて出た人にお話を聞いたんだけど、本当に楽しそうだった。本当に大変そうだった。砂埃、テント生活、などなど。でも、楽しいんだろうな。あの無謀な馬鹿さが男のロマンなんだろう。
優勝を重ねてきた日本勢も今年は苦労しているようである。一度、パリダカに出てみたいな。相当な体力と気力が要りそうだし、金も必要だろう。
で、パリダカの写真を探していたら、モンゴルの写真が偶然ヒット
http://www.sser.org/wallpaper/wallpaper_index.htm
このサイト、いいね。最高。モンゴルの写真最高。
前々からモンゴルは注目していた(過去のエントリー参考)わけですが、今回改めてモンゴルのすばらしさを知った。
ああ、やっぱモンゴルで寝転がりたい。
ただ、それだけでいいや。ボリビアも捨てがたいが、モンゴルは近いので何とかなりそうである。
他人鑑定なるサービスを友達のブログで発見。
みなさんが、僕にたいするイメージとかそんなのを選択式のアンケートで答えてもらいます。
他個紹介のようなものです〜。
簡単にできるのでやってみてください。
http://tanin.hanihoh.com/index.cgi?id=20050111-0009b7de329e29300a138ed67f0916e3c74
家の近くに貨物の終点(倉庫)がある。駅へ行く途中に貨物倉庫の踏み切りで止まると、崩れかけた雪が積もっていた貨物列車が発車していった。この列車はどこからきてどこへ行くのだろう。
コンテナは色々なところでつまれ、そして下ろされる。運転手も変わっていく。列車は動き続け、線路は延々と続く。この雪とはどこで出会ったのだろう。
変わっていくもの変わらないもの
動くもの動かないもの
無くなるものなくならないもの
雪をみてインドであった友達のメールを思い出した
彼は見た瞬間に、真のある男と感じた。インドも、南米へ行ったときも本当に小さなカバンだけ。飄々とした雰囲気で、メリハリのある、わきまえた男だった。インドからネパールへ行くジープで1日中、共に揺られ続けた仲だ。夜、僕と彼はいろいろ話した。彼ともっといろいろ話したいと思ったが、二人とも旅人だ。日本に帰ったら旅人ではない身分が待っている。
旅人通しの同じ立場、それだからこそ仲良くなれる。僕は、旅先であった人とは特に連絡を取ることはない。だいたい、人と細かい関係が好きじゃない人が一人で旅に来ているし、旅でしか味わえないから旅がすきなのだから。
しかし、僕は彼ともう少し話してみたいと思った。そして、一応連絡先と名前だけ聞いた。聞いたものの、やはり連絡を取ることはなかった。そして年が明けた。なんと、あけましておめでとう、とメールが来たのだ。あってから半年たっていた。彼が覚えていてくれたことがうれしかった。また、彼と会っていろいろ話してみたいものだ。
かれは正月、北海道にいたらしい。また、小さなカバンひとつ、18きっぷで回ったらしい。終着駅で野宿というなんとも、彼らしい。雪を乗せた貨物列車を見て北海道にいた彼からのメールを思い出した。
南米でも、インドでも、冬の北海道でも、フランスでも、彼の旅のスタンス、生きるスタンスは変わらないようだ。かっこいい生き方だと思う。彼はきっといい医者になるだろう。
彼はルンビニーへ行き、ぼくはポカラへ行った。
「月日は百代の過客にして 行き交う人もまた旅人なり」
コメントスパムが収まってきたので、一気に消す方法はないかと探していた。
MT2.6には禁止IPを指定することはできるが、それ以外の対策はない。デフォルトでついてくる対策なのでコメントスパム屋さんはそれの対策をしてコメントスパムを打ってくるから意味がなかった。
そこで、コメントスパムが収まったので、対策をぐぐった。
僕の基本方針はコメントを書く人を制限したくない。僕はある情報はすべてゲットするというスタイルだ。どんな情報でも来るもの拒まずだ。その後、自分で情報の取捨選択をしたいと思っていた。だから、コメントを制限するものはいやだった。
そこで見つけたのが、「編集画面に削除機能をつけるもの」表示数も変更できて、僕にとっては最高なものでした。Memo Leavesさまに感謝です。
ネットてこれだから、強いんだよな。うんうん。ネットのすごさをまた実感。
いやー、かなり効率的に削除できました。めでたしめでたし。
2355のコメントスパムを消したのだが、これはありえない量だな。
寝ると記憶が整理されるという。寝ているときに記憶するから睡眠をとれと言われるものである。
しかし、ちょいと待て。今朝起きて気がついた。起きて洗面台に行って顔を洗おうとすると何か変だ。髪の毛がない。もちろん、昨日きったから当たり前なわけだが。しかし、昨日、髪の毛を切ってから手を洗ったりするときに自分の顔を見ても違和感はなかった。しかしだ、朝起きて見ると違和感があった。
髪を切った、そして髪の毛が短くなっているという事実を無意識の記憶として定着していなかった。切った後、起きているときは記憶にあったからあれっという違和感はなかったが、寝ている間にその記憶は薄れていき、なくなったのだろう。
日々自分の髪の毛を見ていて、見慣れてしまい、髪の毛の長さが記憶として頭に染み付いているのだろう。その長い間かけて作られた無意識のうちの記憶は、髪の毛を切ったという記憶よりも強いものなのだろうか。
果たして、記憶が消滅したという言い方が正しいかはわからない。
別に何だってことなんだけど、なんとなく書く。
たまに、自分が知らない概念や、聞いたことはあるが良くわかっていない概念について知ることがある。それらの概念を表す言葉は英語がほとんどだ。それは、分野を問わずだ。
アメリカやイギリス発の新しい概念が多いことはわかる。新しい技術があったり、新しいサービス、新しい社会構造と共に新しい概念が生まれてくることが多いからだ。その技術やサービス、社会構造はアメリカを中心とする国々が先をいっているから。さらに、北欧なども先端を行っている分野が多いと思うのだがやはり、英語が世界語となっているから、世界ですぐ認められるために英語で新しい概念の言葉を作るのだろう。日本人でも英語で新しい概念を表す言葉を作るかもしれない。
新しい概念の言葉は日本語に翻訳される前に広まってしまう時代だし、そんでもって訳したら元々の感じが失われることも多い。だから、新しい概念を表す英語はそのまま使われる。
別にそれ自体はいいのだが、なんか日本語で新しい概念があると面白いなと。日本発で面白くって、今後の流れを作るような概念が生み出されないかな。日本発だったら日本語じゃなくてもいいかなと思ってきた。
僕が知らないだけで、日本発だったり、日本語の新しい概念はあるのだろう。それらを知ってみたいものだ。
マックホルツ彗星という聞きなれない彗星が地球に接近しているらしい。現在の明るさは3.7等級で肉眼でも観測可能らしいので見てみようと思う。
地球に接近中のマックホルツすい星が淡い尾をたなびかせた優美な姿を見せている。現在の明るさは3.7等級で、夜空の美しい場所なら肉眼でも観測可能だ。午後8時ごろには天頂のすぐ南側に上っている。10日ごろまでは、おうし座のすばる(プレアデス星団)のそばで輝く姿が楽しめる。 国立天文台によると、すい星は地球に6日最接近し、3.6等級まで明るくなる。その後は徐々に暗くなり、観測には双眼鏡が必要になるが、2月に入ると北の空で一晩中見えるようになる。毎日新聞1月5日
国立科学博物館で夜間天体観測があるのを思い出した。誰か行く人いないかなー。
夜間天体観望は第1・3土曜日晴天の日暮れから約2時間
210円と格安。
マックホルツ見えるかな?キャンペーン
http://www.nao.ac.jp/pio/20050107machholz/index.html
毎日新聞
正月のミーティングで、人が育つポイントと求める人物像とその人の見極め方のようなことについて話した。そして、今日髪を切られながらちょいと考えた。人間が成長するかどうかは、生まれ持ったスペックを別にしたらその人の考えや曖昧な感情だと思うのです。心の中で大きな変化、今まで「なし」だと思っていたものが、「あり」になったとたんに変化、成長すると思うのです。で、考えた。
「リミッターを切る経験」
これは完全に自由に権限と責任を渡すのではなく、精神的にブレイクスルーしていない人と共に精神的にブレイクスルーをした人がプロジェクトを行い何でもありで、何をやっても良いことを知ってもらい、それから一人でプロジェクトを回して成長してもらう。
何でもあり、何をやっても良いということを経験を通して知ってもらうことが成長の第一歩だと考えたのです。人間は、これはやっていいのだろうか、これは絶対やってはいけないと考えているものがあります。さらに言えば、無意識のうちにこれはありえないと思い選択肢から排除している場合があります。これは可能性を捨て、成長を阻むという大きな損失です。
そこで、何らかのプロジェクトを丸投げ刷るのではなく、プロジェクトを通してこれから成長していこうと思っている人と共にリーダー(育て役)はプロジェクトを行うのです。で、リーダーは丸投げではなく、仕事を振るのです。それは、ちょいと無理っぽい仕事を。その仕事を達成しようとするときに、こんなことしてもいいのかよってことを解決方法に含んでおく。仕事ができなかったときにその解決方法を示す。すると何をしてもいいんだなという心境の変化が起こる可能性がある。
一回、なんでもありっていう感覚が心に宿ると、それ以降何かをするときに可能性を広げることができる。選択肢が広がり、チャレンジして成功していくのではと。それから仕事は丸投げするべきではないのかと考えるわけです。
世の中なんでもありってのを知るためには、一人で発展途上国に少ない金で行くとか、死にそうな経験、自分とはまったく異なるものが常識である世界を経験するのも効果的かとおもいます。
正月2日の朝から岐阜でミーティング。このミーティングが面白かったのです。その後のランチも面白い方が参戦して最高に楽しかった。
正月ミーティングのラフなメモ
人が育つポイント
イベントはいろいろなレベルの人が同時にかかわるため、自分の先を見ることができる
自分の仕事への当事者意識
組織に対する当事者意識
組織を自分のように感じること
自発的に質問をする(現場での問題意識)
なんかできそうな感じ
自分がいないと事業が回らなく感じる(全体の事業の中で自分の仕事の役割を明確に理解する)
仕事のきっかけとゴールをはっきりする。
一番中心になる人にアドバイスをうけたりほめられる
まずはゆるい役職をあたえる(入りやすい、やろうと思ったときにできる)
定期的に連絡を取る
信頼関係(自らの大切なことを話し、相手のことも聞く)
徐々にステップアップできるように、レベルごとの課題(ステージ)を提供する
責任感が生まれ仕事をすることにより、良いアウトプットを生み出そうと頭を使う→成長
求める人物像
やっている活動を理解し、質問者のストライクゾーンを見つけそこにボールを投げる能力
自責性 失敗の原因をどこに見つけるか、自らの問題点を見つけることができる→改善につながる
当事者意識を持っている人
常に学び成長する姿勢
可能性を信じるこころ
何事も楽しむ
マインド、アビリティ、スキル
やりたいこと面白いことを見つける「アンテナ」
何かを始める、一歩踏み出す「勇気」
何があってもへこたれずやると決めたことは続ける「根性」
希望格差の話とかもした。
そういえば、正月に絶望を希望に変えるということを聞いたなとも思い出した。
トリビアを一瞬見た。
そうしたら、意味飽和=ゲシュタルト崩壊についてやっていた。ゲシュタルトとはドイツ語で「まとまった全体としての形」という意味らしいです。これはある特定の文字を長時間見ていると、なんだかその字が変に見えてきたり、初めて見た感覚になったりすること。
これは、良く起こる。「あ」とかも僕は良くこの状態になる。
意味飽和は第一段階「意味のない記号のような感じがする」、第二段階「こんな字でよかったかな」、第三段階「はじめて見る字のような新鮮な感じがする」というの3つの順序で起こるらしい。
そんでもって、人間は動いているものを見ることは得意とするが、とまっているものを見るのは苦手らしい。
人間が生活するうえで、見るものといえばたいてい動いているものが多い。そのために人間の目と脳は動くものを見るのが得意になったのだろうか。
じゃあ人間を、とまったものしかない世界に閉じ込めると人間はどうなるのだろうかと思った。静止しているものを見るほうが得意になるのだろうか。それにしても人間の脳ってすごいな。限界がない。
脳の中には際限のない世界が広がっていることが面白くてたまらない。
それと、養老さんの情報(論文)はとまったものという話を思い出した。
新しい年が始まったわけである。
空っぽ になる。
あいまい を受け入れる。
メリハリ をつける。
爆発 する。
大きなあいまいなゴールを見つける。そのために階段を一歩一歩上り始める。
思いっきり馬鹿で無駄なことをする。
思いっきり感じ取り、常に頭を使って考え抜く。
謙虚に生きる。
心躍る、わくわくする日々を送る。
すべてをかける、すべてを捨ててでも何かを達成してみる。
戦略的なコミュニケーションをとる
いまいちだ、思いついたら書き残そう
今日、髪の毛を切ってきたわけです。
正直、髪切屋は嫌いです。なぜかわからないけど大嫌いです。店に入るのに躊躇します。
まあ、そんなことはどうでもいいわけです。
僕の行くところは安いので、短時間できってくれるのですが、それでも髪を切っている最中やることがない。退屈。
そんな時、ふと思おう。髪の毛を大体どれくらい切られているかわかるのである。それは目を閉じていてもである。髪の毛には神経がないからわからないはずである。じゃあ、なぜどれくらいきられているか感じることができるのか。
毎回同じ人が切っていれば感覚的にわかるかもしれないが、僕はそれには当てはまらない。
じゃあ、何かといえば髪を切るときの音がどれくらいの距離かわかっている。自分が注文したものを推測している、髪をつまんだときの皮膚の感覚、何なのだろう。
ああ、そういえば、毛皮は冬に逆立つ、犬の毛もそうだと岐阜で聞いた。なぜだろう。
最近のCM変わったなーとふと思った。
はっきり言って何の広告なのかわからないCMが増えてきた。最後にちょっとだけ製品の名前が出てきたり、会社名が出るようなものが多くなった気がする。
そういったものは、かっこよく会社や製品のブランドイメージアップは達成されるだろう。
なんか前、こういうCMがなぜ今はやっているのかを読んだ気がするが忘れた。
まあ、個人的にはそういうCMが好きで、見ていて心地よいのでいいがCM効果の方はいかほどか気になるところだ。
年末は非常に充実していました。
塩原温泉、モノポリー、京都(六波羅蜜寺、清水)、岐阜(カウントダウン、初詣、ミーティング、トークに岐阜観光)
あっというまだった、それにしても面白い年末年始でした。
学ぶことが非常に多かったし、おもしろいキーワードも頭の中にインプットされました。
天才というか、すさまじい人はいるものですね。
さっさと片付けて、修行しよう。