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October 30, 2004

型にはまる

なんか、僕の心のそこの思想を分かっている人が少ない。

金というような、人が作り出した指標で、目に見える形で他人より優越感を味わうとか、社会(みんな)が作り出したが、みんなが望んでいないくだらない正しさに無理やりあわせる。こんなのどうでもいい。でも、そんなものによりすがって生きている人が多い。僕もまだそんな気持ちがある。

大学はそれらの精神を知ることだと思う。モラトリアムに関するエントリーでも書いたけど、無駄に実学に走ることはない。中学とか高校でもそういうことについて考えてもいいのだが、経験が少なすぎるし、影響を与えすぎて社会で生きていけない人間になりそう。しっかりした教育のもとで行えば問題ないかもしれないが。あと、思うのが、ある種の経験や学びを通した後でしか分からないものがあると思う。物理学を極めそれを踏まえた上で、出てきたものが複雑系ってのと、特に何も学ばず複雑系を学ぶのや考えるのでは意味が違う。物理学を通してからでしか考えれないこと、感じれないことがある。一方でいきなり複雑系をやった人にしか感じない疑問や質感もあると思う。どちらがいいとか、どちらが成功するかは分からない。多様性があった方が、いろいろなアプローチがあるんだから、いろんな人がいた方がいいと思う。これは、学問ではなく世の中のほとんどのことに言えると思う。

上のことを書いたんだが、いいたいことは違う。頭に浮かんでいた感覚と違うことしか表現できなかった。もっと、ナイーブなことをかきたかったんだが。言葉を知らなさ過ぎるのかな。それとももっと考えて時間をかければいいのかもしれない。とりあえず、今は時間がないから、無理。また、考えよう。

やっぱ、将来は坊さんか山奥でくらしたい。

という意味で、木曜日に会う芸大の人は分かっている。

かといって、芸術とか好きなことだけでは生きていけない。自分の本質を見つめて、見つけて、それを踏まえた上で社会に出て行きたい。哲学があれば、社会(みんな)が作り出したが、みんなが望んでいないくだらない正しさに無理やりあわせなくても幸せな人生が送れると思う。

それを踏まえて、社会という現実で生きていければと思っている。くだらない、無駄なもの、俗物に振り回されない生活がどれほど豊なものか。これは計り知れないものだ。

October 29, 2004

自己満足のエッジで生きる

僕は自己満足は生きるうえで最重要だぐらいで言ってきた。自分が納得するということは今でも、もちろん重要だと思う。もっといえば、考え方事態は変わっていないが表現が変わったと思う。で何かというと、完全な自己満足と、自己満足ではない外部に対して意味のあることの境でいることの難しさ、意味を言葉として感じたからだ。僕は前から自己満足が最も重要だといってきた、しかし、僕の周りにいる人の目には、僕という人間が完全に自己満足のみという風にはうつっていなかったと思う。少なくとも、そう思っている人がいると、僕は思っている。その点で、今までは、口では自己満足がすべてのような言い方をして、行動・その他の言動などでは、完全にそうなっていなかった。でも、完全なる自己満足と、社会的に意義のある、インパクトのあること(自分の信念を伝える。)の狭間でいることの難しさと意義を言葉として感じた今としては、言葉と行動を一致させる必要があるのかもしれない。行動を言葉に一致させる必要がある。それがまさに「完全な自己満足と、完全な自己満足ではない外部に対して意味のあることの境でいることの難しさ、とその大きな意義」という表現だ。これが行動と似ている。

完全な自己満足を極めるのも難しいが、言ってみれば世捨て人的な、はずれた人といってもいい。具体的に言えば、何かあっても、俺にはどうでもいいことだ、って言ってしまえば、自己満足をベースにする人はすんでしまう。ある種、逃げのようなものが自己満足にはある。一方で、自己満足とそうでない境にいるということは難しい。バランス感覚が非常に重要だ。このポジショニングを取れる人はめったにいないと思う。しかし、非常に重要な人である。自己満足を踏まえ、そうでない外部に対しての意義も踏まえなければならない。どんな問題があっても、それを放り投げることは出来ず、問題と正面から戦わなければならない。しかし、このポジショニングでしか出来ないことがたくさんあるし、僕もそのような立ち位置を目指している。

もちろん、自己満足であるということは重要で、それを踏まえた上での境のポジショニングを取ることの意味を感じた。

みんなに、こうなれといっているわけでなく、コレがベストだとも言っているわけではなく、僕がそうなりたいと思っただけです。これは、僕が前から芸術家だけは自己満足だけでイイといっていたが、この立ち居地を取れる芸術家も非常に面白い存在だと思う。

「みんなに、こうなれといっているわけでなく、コレがベストだとも言っているわけではなく、僕がそうなりたいと思っただけです。」本当はこんなこと書きたくない。理由は2つあって、一つは僕が書くことというのは、僕の考えで、そんでもって「今」の考えだ。だから、何も言わなくても、すべての僕の言葉の前に「僕が今思うのは、」ってことが付くのが当たり前であるからです。2つ目に、言い訳をしているみたい。あらかじめ防御している。それは、めんどくさいことがいやだからリスクヘッジといえばそうだが、なんか個人的に逃げは嫌いだ。昔、どんなことにも例外があると思っていたので僕の発言にはいつも、「基本的には、」って言葉がついていた。しかし、あるとき、そんなの必要ないと思って最近は言っていない。なんかあったときの逃げだと思うからだ。言葉だけだったらいいのだが、その言葉が僕の心のそこにある考えに通じていて、行動にも影響を与えると思う。だから、逃げの言葉は使いたくない。だが、最近書いてしまう。

どうでも良くないことと、どうでもいいこと

僕にとってはどうでもいいことに関して、興味を持っていたりする人がいる。そりゃ当たり前だし、いた方がいいと思う。ここで言う関心のあるなしの対象は個物具体的なとあるブランドだったり、好きなテレビ番組とかそういうことでは全くない。生きるうえでの話である。これじゃ、曖昧すぎるが、生きるうえで大切にすることってな感じだ。

その人の生きるベースとなるものが安っぽいなという人とは話してこなかった。話そうと思ってはいたが、話してきたとは自分なりに思っていたが、腹を割っては話すことはなかった。僕にとってはどうでもいいことに関してだったからだ。もっと言えば、そのような人間自体に興味を持っていなかった。

しかし、それだけでは足らないと思った。腹を割って話してみて分かることがあるかもしれない。

自己満足と自己満足ではない狭間、エッジを生きる

岐阜の人たちと

理念や、最終的に達成したいことなどの思想的な面に興味がある。その考えに共感するタイプだ。はっきりいってそれを達成する手段にはそこまで気にしない。理念が達成できるものであるならば、絶対コレでないといけないということはあんまりない気がする。

それに、同じ思いを持っていた、同じような感情を抱いているけどそれを今まで共有できなかったが、共有できたことに喜びを感じた。その人に会えたからというのではなく、感情を共有できたことがうれしかった。

岐阜を出てきた人は、岐阜を見捨てたわけではないが、見切りをつけた人もいれば、外からみるためにって理由もあるだろう。未練があるにしても岐阜にいないわけである。その人たちが本当の意味で岐阜のために何かできるか?やっぱり地理的に岐阜にいないと難しいと思う。それか、東京にいても、覚悟を決めるということが必要だと思う。その活動をメインにおくという覚悟。それぐらいの決断を出来ないと思った。

岐阜の方々と一緒にいて気がついたこと。

実は岐阜を出てきて、岐阜に思いがある人はたくさんいる。
普段はそんなこと言ってなくても、その思いを行動に移していなくてもたくさんいる。
話していて気がついた。

自らの立ち位置

これは難しい。完全に自分の立ち位置というものを自分で決めてしまって、その檻に入ってしまう可能性もある。

しかし、全体を見て、考えるそのうちに立ち位置が見えてくるのかもしれない。その立ち位置を踏まえた上で発言し行動する。それは大きな制約にはならないかもしれない。

自らの立ち位置。コレは難しい。覚悟とか吾人の任務とも関わってくる。

覚悟

今日、それは僕にとって面白い日。楽しい。辛くもあるのだが、それだからこそ楽しさがある。自分が何も知らないことを知り、自分が何も考えていないことを知り、自分とは全く違った考えを聞ける。こんな機会を持てた僕は、自分でも幸せだと思う。大学のうちにもてたのも非常にうれしい。

前にも書いたと思うが、(草稿のままの可能性あり)「覚悟」これが重要なポイントになってくると思う。それは人生においてだ。これは他人から見てもなんとなく感じるものかも知れないが、やっぱり本人だけしか分からない。人生において、いつ「覚悟」を決めるか。とある同じ道を選択した、二人がいたとしても、片方は覚悟していて、片方は覚悟してないこともある。覚悟というのは単純に行動として現れるものでもないと思う。日常の些細なこと、考えの根底には覚悟が大きな影響を与えると思うが。

で、この「覚悟」をいつするかってのが人生でポイントになると思う。早く覚悟したからいいとも思わないし、一生覚悟できなかったから悪いとも思わない。しかし、僕の人生には「覚悟」することが必要だと思うし、覚悟したいと思っている。それでしか、見えないものがあると思う。覚悟というのは吾人の任務とも大きな関係があると思っている。

覚悟する日まで。

なんとも言いがたい

本質、なんてない。ブランド物をまとっていることだけでしか自分を表現できない人。この表現は完全に否定的な表現だ。僕はこういう人たちをあまりたいした人間とは思っていない。基本的に十人十色って考え方だから、そういう人がいることも分かるし、いてもイイと思っている。でも、僕の中では安っぽいとか思っているけど、実はそう簡単に言い切れない。


同じにおいのする人、なんか通じる人。この人は分かってる。そう感じる人が何人かいる。

酒が飲めるとかいう歌があった、月曜日は何チャラで酒が飲める、火曜日は何チャラでって感じで。僕の言いたいのはこの歌と正反対のような人を同じにおいのする人といっている。というのも、なんかイベントだとかプロジェクトだとか組織だとか、それらにかこつけないと一緒にいられないような仲ではなく何もないのに一緒に入れる仲の人は比較的通じている人なのだと思う。

具体的にこの条件を満たしているとかそういうことではない。

October 27, 2004

二郎

ラーメン二郎というお店が大学の横にある。支店もいくつかあるのだが、大学の近くにあるのは本店。川崎とか武蔵小杉などにも行ったことはあるがやはり本店がうまいです。

うまいという表現を使うと、お前はおかしいといわれそうですが、まあ気にしません。特にスープがうまいです。そんなラーメン二郎とはこんなものです。←をクリックするとグーグルのイメージ検索の結果が出ます。

この二郎が気合はいってます。>←をクリックするべし。あの盛り付けはある種の芸術です。器からこぼれない限界。なんて美しい。笑

で、このラーメンは一回食べると病み付きになります。何でかは分からないんですけど。じゃあ、きれいでうまいかと言うと、単純にそうでもない。ただ安いことは確かです。でも、安さだけで、あれだけ並びません。昼間なら2,30人並んでいます。やっぱ病み付きになる味という表現が一番的確です。もちろん病み付きにならず、一生に一回の経験でいいという人もいます。

で、何で二郎にひきつけられるかといったら、あの安さ、ボリューム、ネタっぽさ、わが道を貫く精神でしょうな。500円で普通の人なら食べきれない量があります。豚肉も分厚くてうまい、野菜の量や親父さんのキャラはネタっぽいです。店の汚さや壁に貼っていある二郎の家訓っぽいものもネタです。で、ここまでに書いてきたことは、わが道を行く精神に尽きます。きれいでおしゃれなラーメン屋が雑誌で紹介されテレビで紹介されもてはやされる、若いカッコイイ店長がいる、スープはなんか知らんが流行の味で、トッピングと称していろいろのっける。蓮華とか言う必要のないものが付いてくる。そんな安っぽさはない、迎合しない感じ。それが二郎にはあるのです。そこに、惹かれるのだろう。

二郎のことをほめすぎましたかね。でも、相当賛否両論あると思いますが一回は行くべきです。もし行きたい人がいたら、一緒に行きましょう。平日の12時ぐらいまでに連絡をもらえればいけると思います。それかPCにメールでもください。

まあ、このブログからのみ知る私と、実際に会ったときに持つ印象はかなり違うと思いますよ。

ゴッゴル

ゴッゴル の検索結果 約 114,000 件中 1 - 100 件目 (0.20 秒)

正直、驚きです。2004 年 10 月 17 日 から始まっただけなのに、たった十日で114,000 件のヒット。

ゴッゴルという何の意味もない単語をgoogle.co.jpで検索してトップに来るのを競っているのです。それでそのランキングコンテストが17日に始まって10日でgoogle.co.jpで114,000 件のヒット。ネットってパワーありますね。一人一人がやったことをみんなが見れる。こんなメディアは他にないからなぁ。

ゴッゴルゴッゴル・・・って下痢になって腹がなっているみたいな音だ。

ゴッゴルとgoogle.co.jpで検索。



第 1 回 SEO コンテスト

友情が生まれるプロセス。

友達の条件

・ひとつのプロジェクトをみんなで魂を注ぎ込んで達成したとき
・人生や社会問題ついて正直に朝まで語り合う
・恥ずかしい、あほなことを共に出来る
・自分の本心を相手に伝える(感性があっている)
・お互い無言でいても違和感のない人(ネタを考えて話そうとしなくていい雰囲気を作り出しあえる人)

僕は、自らメールを送ったりメッセで話しかけたり電話をしたり直接会うということは少ない。別に特に理由はないのだがあまりそういうことはない。それでも、連絡をくれる人はいる。ありがたい。薄っぺらい友達関係はあまり興味がない(そういうこというと友達なくします。笑

でも、何人かは自分と同人種とかんじたり、この人は人生や世の中分かってるな、この人俺のこと分かっている、なんとなくあうという人がいる。それは、連絡する頻度だったり、会う回数じゃないと思う。2,3度しかあっていない人でもそう思う人も何人かいる。

最近やっと分かる気持ち

最近、やっと分かる気持ちがある。それは昔大人が言っていたことで全く分からなかった感覚。年や経験をつまなければ分からない感覚とはあるものなのだなぁ。

たとえば、親が叱るのは子どもがかわいいからというやつです。昔は分からなかったなぁ。今となってはすごく分かる。本当に大切な友達だったら、真剣におかしいことがあったら怒ってでもいってあげる。まあ、コレは一例で、僕の言いたい本質ではないんですけど。

絶対違っていると思っていた、自分は未熟だったのだ。

時が経たないと分からない感覚。もっともっとあるのだろう。また、時が経ち先人が教えてくれた感覚を味わえるのが楽しみだ。


あと、いつも言っているんですけど、僕は具体例は仕方ないから使っているのです。僕の言いたいことはだいたいもっと曖昧なことです。僕の思っている何かは抽象的な思い・考え・感じることです。でも、それを体で表現したり、絵で表現したり、詩や歌で表現する手段を持っていない。持っているかもしれないが、自分では自分が行うそれらで伝わるとは思えていない。だから僕は、具体例や言葉で表す。僕が今もっている手段ではそれが一番伝わりやすいと思っているからだ。

そもそも、相手の言っていることを理解することなんて本当は出来ないのだろう。僕がうまれて育ってきた環境、体験したこと、出会った人、親友は僕にためだけにあったものであり、他の人は絶対感じれなかったものだ。まあ、生まれた時点で個体として別なんで、その時点でも絶対体験できないんですけど。それで、僕という人間が唯一の存在で、この経験をしたから感じることがある。他の人には全く分からない感覚。ある部分は共有できても完全には出来ない。とある二人が同じ文章を偶然、奇跡的に書いたとしても、心の中で言いたかったことは全く違うはずである。言葉の意味だって人それぞれ捕らえ方が違う。「腹が減った」という言葉でも、人それぞれどの具合から減ったと表現するかは違うし、その状況によっても違う。たくさん食べて腹が満たされることを腹が減ったという人はほとんどいないと思うが、同じ単語でもそれぐらいの差がある場合もあると思う。認識の違う単語なら、辞書とかで意味を共有すれば言いといっても、辞書に書かれた説明に使われている単語にたいする感覚も違う。当たり前なんですけど、ブログのエントリーを見て思いました。それでも、通じる人がいるのも事実で、それは僕にとってうれしいことだ。本当に通じているかどうかは確証はもてないが、そう感じることがある。

聴衆からの拍手。これを歌う源泉としている人がいた。楽器をやる人や歌う人には多いみたいだ。絵などの芸術と違い、人の前でやることであるから、拍手が源泉となっているのだろう。ドラマは出ないけど、舞台はやるという人はこの拍手がモチベーションの大元となっているのだろう。で、僕は、聞いた。拍手をもらう経験を何度もしたら、自分を突き動かすものとしての力が小さくなるのではないか?と。しかし、コレは違うらしい。全く、小さくならないようだ。そんなちゃっちい物ではないみたいだ。正直、ショックを受けた。人間同じことを繰り返せば、あまり衝撃を受けなくなったり、当たり前のものになれば何かを感じにくくなるものだという認識が僕の今までの人生ではあった。しかし、そんなものではないみたいだ。僕が言っている、信念とか、あるものに対する思いというのはそのような境地に達してこそ感じられるものなのかもしれない。僕も、いろいろなことを経験したり、感じたり、考えたりするうちに、そのようなものを見つけたいと思っている。

国谷さん講演-インタビューの心得-

この前、大学で国谷さんの講演があった。クローズアップ現代のキャスターさんだ。

テレビで見ていてもいかにも頭のいいキャラ。オーラが出ている感じの人。仕事が出来そうで、キャリアウーマンを目指す女の人の憧れっぽいキャラ。僕にはそううっていました。その人が大学に来たのです。時間もあったので、行って見ました。すると、会場は人であふれかえっていた。正直驚きました。失礼な話なんですけど、そこまで有名じゃないと思っていたので最近の若い学生は見向きもしないかと思っていました。僕の若者を見る目もたいしたことはないなぁ。

目盛ったことを列挙します。
何度も言っていますけどブログは僕のためだけのメモです。別に誰かに読んでほしいから書いているわけではありません。だから誤字脱字が多いし、日本語も下手で、改行もありません。しかし、僕にだけは僕が書いた文章からそれの持つ質感が伝わってくるのです。何でブログかって言うと、デジタルで残すと便利でPCにデータとして残す、じゃあついでなんでブログにアップしようと。ブログは外部からでも検索できるし便利なのです。そんな感じです。別に人気ブログにしようとか全く思ってません。だから、本名も身分も何も書いてないのです。そんなことはどうでもいいので、メモ開始。

PCを感性を伝えるツールにしたい
世界に自分のアイディアを広めたいと思いで起業 ジョブズ
鳥肌の出る感動 高倉健
自分の限界は自分が作っている フィオリーナ
自分に親切にする=自分にチャンスを与える アキヨシ・ピアニスト

フィオリーナ(HP社長)の強み コミュニケーション力=多くの聴衆の前で話していても一人一人に語りかけているように話が出来る。パッションを持ったコミュニケーション力

インタビューに準備をしなかったら相手にばれて、深い話が出来ない。インタビューは真剣勝負であり、準備が必須。そして相手と同じ土俵に立つ。しかし、準備通りにインタビューするのは不可能である。質問などはあらかじめ考えたり、インタビューの流れを想定するが、その場の実際の話の流れを最も重要視すべき。その人の本質をその場でつかみ話す。

下調べはするが、インタビューではいったんそれを忘れてインタビューする。

ゴーン(日産社長)の話
曖昧な言葉で質問すると、曖昧な言葉でしか答えが返ってこない。性格で具体的な質問をすると、性格で具体的な答えが返ってくる。その答えには責任が付いてくる。(ゴーンは言葉の壁があるから、少ない質問で本質をつかむ必要がある。)会議の前に言葉の定義を行う。

会議の進行役のプロを育てる。フェアな議事進行。

ジャーナリズムとは常に批判的な質問をすること=どんな人、たとえ老人であろうと確認作業をするのだ。

キャリア 自分で自分の道を見つける。
昔の日本人は会社で育ててくれた、だから今の大人は自分の人生なんて考えていない。今の若者もそう教育されていないから考えられるはずがない。社会情勢がキャリアについて考える必要性を唱えているだけ。大卒で分かるはずがない。8年かかってキャスターという仕事に出会えた。

自分を鍛えてくれる。育ててくれる、考えるチャンス、チャレンジできる職場がファーストキャリアにはよい。自分が本当にやりたいことでなくてもとりあえずやってみる。

インタビューの準備で気を使うことは?
幅広く読んだり聞いたりする。直近の出来事は必ずチェック、絶対抑えるポイントを考える。それ以外は生きてきた全体像を考える。人生で一番楽しそうなときを想像する。インタビューする人に関心を持つ。その関心をいろいろな角度から質問。

関心がわかないときは、その人について調べることによってモチベーションをあげる。情熱をもてなければ普段の何倍も時間をかける。

インビューの前は話がちぐはぐになったらと恐怖感・緊張感がある。毎日それをクリアしている。

多角的な視点で伝える。


頭のいい奴=偏見のある奴

頭のいい奴は偏見がある。コレはフィーリングで言っているのではなく、それなりの理由がある。別に完全に悪い意味で言っているわけではないが、頭がいいといわれてそれだけで満足して、見落としがちな面を言いたいだけである。

ここで言う頭がいいとは、会話をしていていろいろな知識を持っていたり、的確な返答をする才能がある人のことです。

で、こういう頭のいい人はなんで的確な返答が出来るか?それは幅広く深い知識と、さまざまな経験、常に頭を働かせ考えている、自分の考えをまとめていたり、話したりしているからだと思います。さらに、相手の次の発言を相手の知識・思考を踏まえた上で予想しているから。コレ自体はどれも悪いことではないし、むしろすばらしいことだと思うのです。こうしているから話がスムースに進むのだし。だから頭がいいとほめられるのだし。

しかし、これらは偏見に満ちている。というのも、知識がある、コレじたい偏見であふれかえっている。何かを知るということは、自分なりに解釈するわけです。その解釈にはバイアスが入る。で、頭がよいとされる人たちの頭の中は整理されていると思うのです。話しているときに、話題に対してすぐに脳から知識を引き出してこれる、そのためには分類訳して脳の中に記憶している。そう思うわけです。意識的にやっていなくても、そうなっている可能性があると思う。で、分類して記憶しているってのは偏見が生まれるのです。すべてのことはそんなにうまく分類訳できません。ここで無理やり分類しているので間違った記憶というか、偏見、バイアス、そんな感じのものが生まれると思うのです。

さらに、相手の言うことの先読みをする、すると返事が的確になったり、すばやく返事できるわけです。しかし、それは相手をこんな人間だと決めてかかっているからそのような先読みが可能なわけです。ここでも偏見が生まれるわけです。とまあ、頭のいい人といわれる人の会話における思考には偏見が生まれやすいとそう思ったので、気をつけましょうと。

ようは、頭がいいといわれる人は物事を一面的に捉えたり、無理やり枠にはめて捉えたり、むりやり分類して記憶していることがある。それは偏見につながることがあるから、常に意識しているといいかなぁと思っただけです。

僕がいつもエントリーしていることは、他人に言いたいから書いているのではなく、自分で書いて自分を戒めているのです。それか、自分の記憶とそのときの感覚を取り戻すメモです。別に僕はこのエントリーで書いた頭のいい奴ではないけど。

October 26, 2004

脳が動いている感覚?

なんか考えたり、イメージを想像するときって脳が働いている感覚がありませんか?それは、実際に脳が活動しているからそれを細胞が感じ取って脳が働いていると感じるのか、人間は脳で物事を考えると知っているから、その知識から脳が働いていると感じているのか?はたまた、物を見るときのような映像を見る感じが起こっている?コレ意味が分からないと思うんですけど、僕が言いたいことは、人間が物を見るというのは目だけで行っていない。目からは情報を得ているだけで実際は脳で見ている。だから目がなくても見ること(≒想像)はできるわけです。で、この見ているときの脳の状態が起こっているから、見えているから脳で考えていると感じるのかな?

よく分からないけど、素朴な疑問だなぁ。

ペンキってそんなに重いのかぁ

 購入したのは米ボーイング747−400F型。胴体にペンキを塗らないと従来より約150キロ軽くなり、1年で羽田−札幌往復分にあたる約4万リットルの燃料が節約できるという。

塗装をしていない飛行機はケッコウかっこいいです。それよりも塗装しないだけで150kgも軽くなるらしい。飛行機に塗装するペンキの量は150kgなのかと驚く。150kg軽量化しただけで、1年で羽田−札幌往復分にあたる約4万リットルの燃料が節約出来るのも驚き。多分、1年間この貨物を通常のフライト数で計算して4万リットル節約できるんだろう。

となると、デブな人が乗ると相当燃料使うのだな。荷物で重量オーバーで追加料金があるのも重量に燃料の消費量がケッコウ影響するから。じゃあ、体重の重い人からも追加料金ってね。冗談抜きでそんなことも考えられるよな。

客が全員「小錦」だったら日本からノンストップでイギリスとかいけなさそう。誰かそんな試算していないかなぁ。


原油価格高騰の中、日航は機体の白い塗装を省くことで軽量化し燃料を節約しようと、無塗装の貨物機を購入。16日、腐食防止や光沢の維持のため機体表面を磨く作業を、成田空港の整備場で始めた。
 購入したのは米ボーイング747−400F型。胴体にペンキを塗らないと従来より約150キロ軽くなり、1年で羽田−札幌往復分にあたる約4万リットルの燃料が節約できるという。
 作業は機械を使って、アルミ材の表面を磨き上げ、表面にできる酸化被膜で腐食を防ぐ。作業終了後の25日にはピカピカに輝く機体が、関西空港への初フライトに臨む予定だ。
(共同通信) - 10月16日17時10分更新

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041016-00000092-kyodo-soci

http://www.jal.co.jp/press/2004/100101/100101.html

October 25, 2004

人体通信


「人体通信」の実用化に成功
手を触れるだけでデータ通信する「タッチ通信システム」販売開始

松下がこんなものを売り始めた。体脂肪計ぐらいの電流が流れるだけらしい。WBSでやっていた。8人ぐらい手をつないでも問題なく使えていた。これも面白い技術で、ライフスタイルを変えるかもな。コレを使ったらどんな生活になるのか、どんなビジネスができるのか想像してみる。

明らかにめんどくさいこととかをコレで簡単に出来るといいねぇ。でも、味気ないかもね。なんか人間って目に見えるから落ち着いたり、何かをもらったという満足をしたりするから。だから、インターフェイスを工夫するとか、エンターテイメント性を加えるとか、わざと目に見えるものを動かすようにするとか。

RFIDとか携帯にカードが全部入っちゃたり、カメラが付いて、ICレコーダーが付いて、まあ、PDAッぽくなって定額になる。ああ、文字入力のブレイクスルーも必要。フェリカ(お財布ケータイ)がPCで手軽に使えるようになったり、そうすればインターネットにおける決済が楽になる。するとオンラインショッピングのあり方がかわる。人体通信で握手するだけでデータのやり取りが出来たり、物が注文できたり。

この上の文章は日本語がおかしいけど、まあそれはおいといて。これらのことは3年以内には実現化しているから、面白い世の中になっているだろうなー。それを見据えた上で行動するんですよね。


http://www.mew.co.jp/press/0409/0409-3.htm

 松下電工株式会社は、人体を通信ケーブルの代わりに利用して、近距離のデータ通信をおこなう「人体通信」の実用化に成功。対面販売計量プリンタへの商品データ入力装置として、計量器メーカーへの販売を開始しました。
  この「タッチ通信システム」は、人体に微弱な電流(交流)を流し、その電流にデータ(情報)をのせることで通信を実現する新しい通信方式で、腕時計型などの通信機を着けた手で情報端末の電極にタッチするだけで、データ通信が可能です。また、専用チップを用いた小型化タイプでは、人―機器間だけでなく、人体―人体間の通信も可能です。今後、この技術を応用した新しいシステムを展開します。


覚悟

理念とか、思想、何をやりたいか、最終的に何を達成したいか、どんな幹事のものを望むかということが僕の中では大切で、そのプロセスや手段にはあまり興味がない。最終的なゴールが達成されるなら、その手段はどのようなものであろうと、楽しめるし一生懸命取り組める。

自分と同じ気持ちを持っている人がいることに喜びを感じる。同じ体験をした人がいるとうれしい。思いの共有はうれしいものだ。

世の中なんか達成しようとしたら「覚悟」がいる。人生「覚悟」出来る奴と出来ない奴で全く違う。

人間は2種類、覚悟した奴と、覚悟できない奴。覚悟した奴の発揮するパワーは並大抵のものじゃない。失うものがない感じで。自分の吾人の任務を達成するためには覚悟がいる。まずは覚悟を決めてそれを探さないと。

僕は、相手の心理を察知するのが得意なようだ。

岐阜に一万人移住

前から思っていたのだが、岐阜を活気のある町にする方法はいっきに1万人移住すること。別にふざけていっているわけじゃなくて、それが早くて簡単な方法だと思うのです。

世界中で、いろいろな分野で活躍している人。ビジネスマン、芸術家、教育者、政治家、料理人、どんな職業でもいいんですけどね。岐阜出身で優秀な人はいくらでもいるわけです。その人の多くは岐阜から出て行く。岐阜に未練を残しながら。

岐阜に戻ってもいいなと思っていても、一人で戻っても職もないし、面白くて有能な奴も少ない。と思っているだろう。じゃあ、みんなで岐阜に戻れば面白そうジャン。一気に1万人ぐらい。そうしたら、赤信号みんなでわたれば怖くない理論でみんな岐阜に来るだろう。1万人ぐらい増えてもマンションや家ぐらいあるし。問題ない。

1万人も岐阜に一気に戻るって話になれば、面白そうと思って岐阜出身じゃなくても岐阜に便乗してくる人も増えるだろう。

そして、新たなことが岐阜で生まれて、岐阜に元気が出る。
長期的には岐阜のブランドをどうやって高めるか。何を売りにするか。だろうな。

こんなことを話したら、驚かれた。僕の中ではコレしかないと思ってたから以外だった。

土曜日の夜も、日曜日も面白い話が出来ました。

いやー、10年後とかが楽しみでしょうがない。社会がどうなっているのかとか自分がどうなっているのか、今の仲間がどうなっているのか。想像するだけでワクワクするは〜。

October 22, 2004

Motivation and Personality

マズローの
人間の行動を規定する7つの基本的欲求

・Physiological(homeostatic) needs : 生体学的欲求
・Safety and security needs : 安全・保障に対する欲求
・Love and belonging needs : 愛し、愛されたいという欲求
・Esteem needs : 尊敬され社会的評価を受けたいという欲求
・Needs for self-actualization : 自己の潜在能力の体現化に対する欲求
・Needs to know and to understand : 未知のものを知り理解する欲求
・Esthetic needs : 美的なものに対する欲求

よく聞く話だけど、さあ、俺はどんな感じの配分だろうなー。と改めて思う。

これは、孤高の挑戦者たち-バッテル研究所‐現代のピタゴラス集団という本を見ていて書いてあったから乗っけてみた。この本は梅田さんのブログで知る。確かに、ここに出てくる人はすごい人ばかりだ。仕事人って感じ。相当個性的な仕事の仕方をしている、孤高というだけあって一匹狼的な仕事スタイル。そんでもって、頭がいいことは確かだろう。そうと仕事が出来る人たちの集団みたいだ。みんな給料が下がってもキャリアアップだとか、仕事環境のよさ、などで選んでいる。

多くの紹介がされていたが、あまりこの本にぴんと来なかった、紹介される人がすごいなと思ったぐらい。それは、期待しすぎて読んだからなのかも、時代が違うから仕事感も異なっているなのかは分からない。

結局は自分が納得するかどうか。すべての物事、物の見方、自分の物の考え方捕らえ方はそこに尽きると思うわけです。

私は、彼らとの出会いをどうしても書きとどめておきたかった。それは個人の日記という意味においてではない。自己に対する挑戦とは、決して格好のいい事ではなく、何度もキズつきそして泥まみれになる事であり、そこにはどんなプロフェッショナルも避けては通る事の出来ない「這い上がりのプロセス」がある。そしてこの「這い上がりのプロセス」というレンズを通して見る限り、そこには国籍の境界線はない。その発見の喜びを記すためにである。

未来のいつか/hyoshiokの日記

孤高の挑戦者たち―バッテル研究所‐現代のピタゴラス集団
今北 純一

日本経済新聞社
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自らを紹介できる

自分のやっていることを誇りを持って紹介できる、これってかっこいい。
こうなっていれば、(自然に紹介していれば)その時、僕の理想となっているのだろう。

自分のやっていることに自信があって、面白くって、ワクワクしていて、満足している。だから自分のやっていることや組織を紹介できるし、そのイベントにも誘えるのだと思う。

まあ、うざくない程度に紹介するのがポイントです。

October 21, 2004

いやはや

口で話してるってことは、それの10倍は考えているんだよな。すごい。

本当に、自分の薄っぺらさに気づかされます。何も知らないし、何も考えてない、生きる信念・理念もない、俺って対したことないな。今日は息が詰まるほど自分の薄っぺらさを感じさせられた。自分の能力が足りないと思うときはいくらでもあるんだけど、小手先の技が出来なくて感じるんじゃなくて、本質的に自分の思考レベルが足りない、と感じさせられた。

あらゆることを学び 自分に正直に徹底的に考え 専門分野をもち 自分の真となる考えをもち 何かあったら常に考え 先を読み 一つのことだけで考えを終わらせるのではなく、他のこととの関連性を含めて考え 自分の考えをノートにまとめる 専門とビジョンの確立 権威にゲイゴウしない理念 思考をストップさせない 教育実習

とりあえず、かみ合った話が出来るまで鍛えます。

5,6年

5,6年。

中学を卒業してからこれぐらい経ったのだ。
当たり前だけど、文字で見るとまた違った印象を得る。

5もう,6も経ったのかという気持ちと、まだ5,6年しかという気持ち。

中学までは精神的経験が多いと思う、そこまでの間に人間のコアが出来ると思う。高校大学は目に見える実際の物質的経験が多いような気がする。精神的なものから言えば、もう5年もたった。物質的な経験から言えば、まだ5年しか。なのだろうと思った。

幼少期の精神的経験をなくして、物質的経験だけしても、滑り台をすべるようなものだ。上滑りだけで、本質は何も捉えていないが、高いところから滑り落ちるスピードやスリルを盲目的に味わう。僕はそのようなことに意味を感じない。

福澤諭吉が文明論の概略で言っていたが精神を後回しにして、外国の文明を持ち込むのは順序が逆だ。精神のほうが浸透させるのに難しい。といったことと似ているだろう。

笑み

なんか、真っ暗な風呂でふと思う。
10年後の俺ってどうなってんだろう?どうなってるか全く分からないんだけど、なんか10年後の自分を想像すると笑みがこぼれる。それは輝かしい未来があるとか、有名になっているとか、何か成し遂げたとかじゃ全くなくて、タダ単にほんわかした笑みがこぼれる。

10年後の自分を決めるのも自分な訳で、自分がどうするかで大きくは方向性を決めれる。でも、10年後なんてどうするか決めてないし、わかんないと思っている。なのに笑みがこぼれるのはなぜだろう。

この10年の直感の積み重ねがどうなるかを楽しみにしているのか?

自分のことを他人のように見ている自分がいる。
この余裕というかゆとりは何だろう?

まさにホムンクルス的感覚だな。


なんか、興奮すると、いわゆる安っぽいこと、青臭いことを書いてしまう。そういうことを子どもだなとよく馬鹿にする人がいるんですけど。その気持ちを失ったら人生楽しめない。ワクワク出来ない。と思うんですけど。

分かっている奴

分かっている奴は分かっている。

これに尽きる。

よく会うとか、よく連絡を取る、こんなの関係ないなぁ。
細かいこと抜きにして分かる奴は分かる。

また、家に帰ったら書くかも。
とりあえず、木曜日という日をすごしてくる。

世親と無著にあってくる。

直感は体験から生まれる

東大で部活をしていた人を企業は好んで採用したと聞いたことがある。今でもその名残があるみたいだ。

僕は、これはおかしいといってきた。だって、能力関係なく東大+部活で採用するのはおかしい。能力を見て採用するべきだと思ってきたから。(まあ、能力なんて判断できないという問題もありますが。。。)確かに、部活で絶対的な服従とか規律、礼儀などを学んで、既存の上下関係がある大きな組織ではうまく働いたかもしれないとは思っていたが、その程度だった。

でも、違うかもと思いました。体を動かすことで、頭が良くなる。これはあると思う。頭が良くなるというか、体全身を動かすことでしか身につけることができない、直感などがあると思う。これは仕事の上でも役立つのではないかと思った。イギリスでパブリックスクール、いわゆるエリート校がスポーツを重視しているのも、体を動かすことによって脳が活性化されるからみたいだ。

もっと、自分で納得がいったのは、自分自身の考え方が実はこれと通じるところがあったからだ。僕はかねてから旅をすると瞬時の判断力が付くとか、人を感覚的に見抜く能力が付くとか言ってきた。日常とは違う状況で体全身を動かし、体全身で感じる。この行為によって入ってくる情報を脳は処理しているのだ。これらの体験を積み重ねることによって論理的には説明できない、感覚が身に付く。これによって脳が活性化される。この感覚や自然と活性化された脳は仕事でも役に立つのだろう。簡単に言えば運動部の人にとっての部活は僕にとっての旅だったみたいだ。

October 19, 2004

ボディ

体に関する関心はインターネットに関係する

視点・論点 ボディーイメージ 茂木健一郎ソニーコンピューターサイエンス研究所

体を鍛える=脳を鍛える

体をコントロールするための情報表現

ボディーシェーマ 体を制御する無意識のプロセス
ボディーイメージ 体を制御する意識的なプロセス

体を動かすには道具をうまく使う必要がある。道具も自分の身体の一部と考えて、進化してきた。

インターネットという道具をどのように使うか。インターネット上の情報にもボディーイメージ。オンライン対極の囲碁で、対戦相手を待つときにどきどき。これはボディーイメージ。

ボディーイメージを拡張。イチローがバッターボックスでバットをぐるぐる回す。
判断力、直感、脳と体の結びつき、ボディーイメージを鍛えることで想像力を鍛える。
イギリスではパブリックスクール(エリート学校)スポーツを重視してきた。判断力など鍛えられる。

スポーツを通して鍛えられる、脳と体の虫日月で刺激される。
体を動かして、予想と外れたことが起こると、直観力が鍛えられる。
スポーツをすることは、高度な認知能力を鍛える。

イチロー

またもイチロー。ふと思った。

イチローが最下位のチームで今回の最多安打記録を達成したことに意味がある。そう言っていた。そりゃそうだ。と思っていた。で、またそれを考えると、改めてすごいなと思った。

最下位のチームの中でみんなやる気がない、優勝もタイトルもあきらめている。回りがそんな状態だと自分にも影響される。やる気がなくなる。そんな中にいても、イチローは自分の精神をコントロールし、一歩一歩前に進めた。決して周りに流されることなく、やる気をなくすことなく。この精神状態を保つのは並大抵の人間じゃ出来ない。やる気のなく能力のないチームで一人だけモチベーションを保ち結果を出す。まさに行き着く境地。周りに左右されない。達観している。イチロー恐るべし。本物のプロフェッショナルだ。


いつも書きたいことはたくさんあるけど、忘れたり、めんどくさくてやめたり、、、ノートにメモっただけとか、携帯でメールをメモとして送っただけという記事がたくさんある。小さくて、キボードがついてる、機能はテキストエディタと常時メールが送れるメール送信。こんなデバイスがほしい。


あと、良かったエントリーのランキングでも作りたいな。

イチロー:NHKスペシャルを見て

イチロー新記録を語る

一打席打っただけで可能性が見えていく、一打席凡退しただけで可能性が減っていく。

開幕
3月いつもと違うシーズンになるかもと予感はしていた。4年目にしてレギュラーポジションはあると思えた。3年目までは春に失敗するとレギュラー落ちするという不安があった。開幕後波に乗れず。4月の打率2割55厘。マスコミもバッシング。イチローは4月の打率低迷は気にしていなかった。納得のことだった。シーズンの実践でないと感覚はつかめない。オープン戦ではつかめないものがある。4月はシーズンの感覚をつかむ調整期間と初めから考えていた。5月、月間50本。3年ぶり。しかし、納得はしていなかった。調子はそこまで良くないのに打ててしまった。感覚を失っているのに好調で違和感。逆に調子は悪くても納得する。96年も首位打者だったが、苦しんだ。このときは退化していたがヒットが出てしまう。出るはずがないのにヒットが出るこれを絶好調という。スランプのときにしか絶好調は来ない。

日米通算2000本の時には笑顔がなかった。ここまでには、はるかに多い凡打があり、悔しんできた。7月、月間50安打。5月の50本とは全く違う感覚だった。納得できるヒット=必然のヒット。打つべくして打つヒット、説明できる、理由付けできるヒット。わざと詰まらせてヒットにすることもあるが、見ている人は詰まらせたけど偶然ヒットになったと捕らえることもある。5月と7月の変化は、明かさない。全部言うと面白くない。バッティングフォームそのものに関わること。子どものときの感覚に近い感じがする。そんなバッティングスタイル。たどり着いた感覚は少年時代の感覚。

苦手投手の攻略がおおきなポイント。ボールが語りかけてくるピッチャーアスレチックス・ハドソン投手。他のバッターに対する球と自分に対する球が違うときワクワク。8月56本。自己最多。8月26日、ロイヤルズ戦、200本安打。4年連続200本安打をホームランで達成。

シスラーはイチローのヒットのおかげで表舞台に立つ。1973年シスラーは亡くなった。その年にイチローは生まれた。イチローは野球の魅力はホームランだけではないことを知らしめた。シカゴで5打数5安打を打ったときに記録もかかっていなかったのにスタンディングオベーション、自分にかどうかさえ不安になった。アメリカ中の注目を浴び、重圧を感じ始めた。9月21日、エンジェル戦12試合19本。このとき10試合で4試合ノーヒット。ヒット一本が出ないことがものすごい大きいこと。ヒット一本出ることがものすごい大きいこと。このときは、、、、、、あれだけ気持ちが揺れ動くことはめったにない。一打席打っただけで可能性が見えていく、一打席凡退しただけで可能性が減っていく。
10試合で10本に。このとき、可能性を強く感じた。5安打、4安打がすべてった。残り4試合2本atオークランド。このときに記録を達成したかった。シアトルは地元でプレッシャーが強くなる。あと、一本のプレッシャーを感じていた。200安打を前に12打席連続ノーヒット。

プレッシャーをはねのける方法なんてない。プレッシャーを背負ってプレーするしかない。自分自身で解き放つしかない。10月1日、シアトル、最後の3連戦。4万5千人。セーフコフィールド。一回裏第一打席。イチローコール。4級目。257本目のヒット。シスラーと並ぶ。しかし、笑顔はなかった。まだタイだからどうしてももう一本打ちたかった。第2打席、258本。チームメイトが球状に出てきてくれたことは特別なことだった。84年の歴史が変わったボール、日々重くなっていくでしょうね。本当はこのまま野球をやめたい、どんなに楽だろう。この数字を目標にというのはとても出来ない。数字だけでは荷ですけれども、野球選手としての能力もですけど、細かいことを積み重ねることでしか頂上にはいけない。それ以外の方法はない。

最終戦、最後の打席、ヒット262

野球がうまくなりたい。そういう実感が持てたらうれしい。それは数字には表れずらいですけど、自分だけで味わいたい。そうやって前に進む気持ちがあれば、ベストに近づけていく。


「結局、ひとつひとつ、小さいことの積み重ねなんですよね」
「いきなり頂点に立つことはできない」

日本も景気回復かねぇ?

なんか、最近外国から注目企業のトップが日本に来日している。それもけっこう多い気がする。ハイアールニしろ、googleにしろ、シーメンスにしろ。GEのイメルトもきてたし。大きくニュースになった人もならなかった人も含め。会議があったにしろ何にしろ、今の時期に日本に来たにはそれなりの理由があるだろう。

日本の携帯とかブロードバンドとかの単体の技術・マーケットに興味があるとか、世界の他地域の景気の問題とかもあるだろうけど、日本の景気が今後回復していくとふんで、その前に日本を自らの目で確かめようとか思っているのかなと思ったりしました。感覚的にネ。

October 18, 2004

分析

何か問題にぶち当たったら、その時思ったこと、感じたこと、どうすれば解決できるかを思うがままに列挙する。その後、問題解決のためのコンサルが利用するツールを利用する。こうすることによって、直感的な解決方法と、ツールを使った論理的な解決方法両方を行える。

自分の将来

何かやりたいことを見付けると外に外に向かってきた。大学のとある友達はある範囲内で固定の枠組みのなかで何かしようとしてきた!俺の強みは心から湧き出てくるモノに沿って自ら外へも求めに行く 起業、芸大、海外、gnet ディべでは指導者がいなく自ら学び方を学び、外に出ていき実体験として学んだ、体に染み付いた 


ゼミ選び失敗 仲間の能力モチべ低い あまり調べなかったし、噂なんて気にしなかった。大学外で見付ければいいと思ったが自分の活動組織で妥協は良くない しかし入ると物足りない しかしそう気付かせてくれたねは良かった で梅田さんの言うバンテージポイントの良い場所に行きたい 面白く優秀な奴が多いとこでは新しいモノも見えるし新しいモノも生まれる

見えない大陸

直感は経験に基づく 未知なるものを求める性格がこれからの見えない大陸時代にあっている 立ち止まるな後退してもいいかアクションをおこせ 

変かを楽しむ 大前が失敗を認めそれだからこそ、勝ち抜けるすごい 失敗を容認できないじぶんのこわさ 失敗なんてして当たり前そして強くなる 失敗をありがたいと思う恥ずかしくない 先見力構想力 変化を先取りバンてーじポイントとのつながり 見えない大陸ジャングルをサバイブする時代 ミジかな変化の真価を見極める みんな賛成があやしい、それならぼつ

有能な経営者、何をしなければならないかと自問自答 この企業にとって正しいことは何かと自問自答していた アクションプランをきちんと策定していた 意思決定にたいして責任をまっとうしていた コミュニケーションヘの責任をまっとうしていた 問題ではなくチャンスに焦点をあてていた 会議を生産的に進行 私ではなく我われとして発言したり考えたりしていた

ハーバードビジネスレビュー  大前研一 先見力、構想力より。

なんでもないものがたくさん集まると新たな性質が生まれる

何のへんてつもない物がただたくさん集まるだけで全く新しい機能や性質、意味を持つ。なんか不思議だ。一つ一つでは持っていなかった性質が、その同じ物がただたくさん集まっただけで、今までになかった全く新しい性質を持つようになる。そして、集まって生まれた性質が大きな意味を持つ。

なんで、もともともっていなかったのに、同じものが集まると新しい性質が生まれるのか?たとえば、脳 人間 生物、2ch 都市 物質(材料)とか。それぞれ理由は違うと思うが、興味深い。


関係ないけど。「チャンスには危険がある」

生まれる前から?

産まれる前から死が怖いのか育つなかで死が怖くなるのか?ネパールの山で足が震えたのは本能?しかし震えたら余計危険 なぜだ?

カルロスゴーン

テレビでやっていた。メモ。

ゴーンの経歴を見る未来の成功者の指針になるのでは?
 しがらみをきる 材料コスト かっこいい ビジネスと株は関係ない 持ち合い解消 取引銀行減らして金利減らす かっこいい車はブランド高く売れる かっこいい会社 かっこいい会社空間 統一したデザインでブランドアップ 普段からかっこいいこと ビジョンを明確に どうやってビジョンを自分で伝えるか質疑応答する 決断は早く的確に

日曜日の朝

日曜日の朝はこんなにも爽やかなのか!早起きは三問の得というが日曜日の朝は起きるだけでそれを感じる。朝起きて外に出て空気を感じ空を見上げる。それだけで十分だ。

天気のいい日曜の朝は気分がいい。

ブログとネットと大学と本

いつも読んでいるブログでとある本を紹介していた。そのブログを書いている人は情報量も洞察力も天下一品だと個人的に思っている。だから、すぐ読もうと思った。で、買おうかなと思う。しかし絶版らしい。ケッコウ古い本なので書店でもアマゾンでもない。あー、それなら大学の図書館だと思い、ネットでOPAC検索。すると日吉とKBSにあった。在架だったので、これまたネットで学内図書取寄せの申請を行う。するとメールで予約完了のメールが届く。明日学校で本を借りればOKだ。なんと便利なんだろう。

October 17, 2004

奏でる音

僕は、いわゆる楽器と言うものは演奏できない。
澄み切った音を奏でることは出来ないかもしれない。

しかし、僕は脳という楽器を持ち、
想像というしなやかな音色を奏でることができるだろう。

これはすべての人、すべてのことに当てはまるだろう。

「文字と想像」、脳の質感はある種のアウトプットであり言葉による表現は意味がない

何かひとつのことを考えると連鎖的にどんどん考えが浮かんだりすることがある。書きとめておこうとメモをいくつも残す。そして、いま頭の中で創造したことや考えの中心となることはだいたい書いたな、と思いメモを終わる。そして何日かたってから、メモを見る。何か物足りない。あれ、これだけだったっけ??もっといろいろ考えてメモした気がするなーと感じる。

僕の過去の記憶というものは僕という人間自体を過大評価しているから、メモはもっと書いた=もっといろいろなことを想像した、考えたと思うのかもしれない。確かにその面もあるだろう。しかしそれだけではないと思う。脳というものは、字にならない、脳の中で論理的プロセスを経ない、なにやら感覚的なものが大きな役割を果たしていると思う。それが自分の脳の中に記憶として残っており、字ではそれはあらわせないから、何か物足りない感じを得るのだと思う。

そう考えると、脳って不思議だな。自分の脳自体で考えていることをその自分ですら分かっていない。同じ脳のはずなのに分からない。同じ脳だから分からないのかもしれない。

いや、人間は脳の中にあるものをすべて明確な形で認識できると思ってしまっていること自体が間違いなのかもしれない。僕の頭の中にそう前提条件があるのがいけないのかも。だって、言葉としてはあらわせない、脳から発生した感じ、そのなにかしらも、言ってみればアウトプットな訳だ。元をたどればその感覚、質感もなかった、それらが生まれて僕の脳は感じた。ということは言葉にはならなくてもその質感自体がアウトプットなわけだ。思えば、アウトプットの表現方法が言葉に限られている必要もない。というか、アウトプットの方法が言葉という一つだけの方がありえない。その質感は言葉で表そうということ自体が意味がない。そうなのかもしれない。

形式的なことは言葉で伝えられても、それ以上の意味において言葉はあまり意味が伝えられていないのだろう。まあ、他者がいてこそ、言葉には意味があるのだが。

ぼくみたんだ

最近、幼稚園とか小学校時の感覚や脳の思考を感じたいといっている訳です。僕の脳はその時も踏まえた上で今の脳が作られているので、今でも少しは感じているというか、延長線上だともいえるわけです。でも、何か違うかもと自分が今にして作り上げた記憶でそう思っていた。

で、今日は日曜日なのに早く目が覚める。で、テレビをつける。すると、クボジュンのえいごっこという番組がやっていた。この番組は幼稚園児向きの英語番組。で、番組の最後に「ぼくみたんだ」という本を朗読。(これは日本語の本です。)

ミスチルのANYがオルゴールバージョンでBGMとしてながれはじめた。そして「ぼくみたんだ」、と朗読が始まる。「ぼくみたんだ おひさまの なかにいたんだ ぼく みたんだ やまとやまの あいだに かくれたよ…。ぼくみたんだ・・・ゆうひにうつるきょうりゅうのかげを」ゆっくりとしたテンポで朗読されるこの本。めがねもかけないでテレビを見ていたので、はっきりと見えない。クレヨンで書かれたような線だけの恐竜と真っ赤な太陽。なんか、懐かしいというか、昔に脳が戻れた様な気がした。

「ぼくみたんだ」といってある少年は朝日を見たり、葉っぱについている小さな虫を見たり、夕日を見たり
といろいろな経験をする。その前に「ぼくみたんだ」というフレーズが常に入る。朗読が終わった後、なんだろうこの感覚と思った。そしてふと考える。幼少のころの喜び、これはまさに「ぼくみたんだ」だったんだと思う。それが純粋な楽しみだった気がする。今まで知らなかった物を見る。そして親や友達に「ぼくみたんだ」という。この一連の行為が純粋な喜びだったと思う。この感覚が人間の喜びの原点なのかなと思った。大人になってもそれは続いていて、新しいことを知るとか、見る、体験する、作り出す、これらには喜びを感じるのだろう。そんな気がした。

ぼくみたんだ
くろだ せいたろう

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October 15, 2004

世界遺産展

世界遺産写真展新シリーズ

「世界遺産写真展III」が11/10より, 東京で開催されます。
期間:2004年11月10日(水)〜15日(月) 10:00〜19:30(20:00閉場)
<最終日は17:30閉場>,
会場:新宿タカシマヤ10階


こんなんがあります。ボクはいつか決めていないんですけど、行きます。
11日の木曜日か、14日の日曜日に行こうかなと思ってます。
もし、行く予定の人や行きたい人がいたら一緒に行きましょう。

貨物列車の駅付近で紙を見て思う、言葉の認識

駅から家に行く間に踏切がある。その踏み切りは貨物の倉庫のちょっと手前の踏み切りだ。だから、そこを通る電車はスピード遅い。貨物の車庫から出て行ったり、入ってきたり。その踏み切りを渡ろうとする時に、電車が通りかかることがある。ケッコウ長いので、あー引っかかった。と思う。しかし、どうせなんで、なんかオモシロイコトをしたり、普段は貨物をじっくり見れないので見てみようと思う。

それで、ぼーっと貨物を見ていた。いろんな会社の貨物があった。それはいいんだけど、コンテナの左下あたりに紙が張ってある。それはコンテナの仕分けに使われる紙だと思う。

名古屋とか地名が書いてあり、5,6桁の数字が3箇所ぐらいに書いてある。で、それを見ていた。初めはどこへ行く貨物が多いんだろうとか思いながら。すると、地名に関してなんだが、読める地名と読めない地名がある。それは漢字が読めないということではなく。で、何でかなと思う。名古屋とかは読めるのに梶ヶ谷は読めなかった。さっきから読めると書いているが、おそらく読める読めないではないと、貨物列車が去ってから思った。だって最終的に梶ヶ谷って読めてるから。「名古屋」この文字は列車が通る一瞬で認識できたのに、「梶ヶ谷」はすぐに認識できず、あとから「梶ヶ谷」だぁ。と思った。これはなぜか?それは「名古屋」この文字を普段読みなれ、聞きなれているからだろう。この文字を一文字一文字読んで名古屋と理解したのではなく、「名古屋」これを3文字セットで一文字というか一つの記号、絵のように認識している。だから頭を自らの意識で働かせて「名古屋」と読んだのではなく、経験などから言葉以上のもの(もっと感覚的なもの)として認識しているんだなと思った。「梶ヶ谷」この言葉はめったに使ったことがない。だから、その文字を一文字一文字読んで、一つの単語と認識して、読み方を脳のデータベースからひっぱてきて、一つの言葉として僕は理解でき、ああ梶ヶ谷かぁとなったんだと思う。列車が去るときは何って書いてあるか分からなかったけど、コンテナに張ってある紙が写真のように映像で脳に残っていて、列車が去った後に、映像から文字を引っ張り出したんだろうなと思う。

こう考えると、普段話している言葉でも、普段使いまくっている単語と、普段使っていないけど分かる単語、これらを使ったり聞いたりするときに使う脳の部分は違うんだろうなと思った。それに、使いまくっている単語は意味なんて知らなくてもその言葉を聴けば感覚的な意味が分かるが、あまり使わない聞かない単語は前者のようには理解していないんだろうなと思った。一単語ずつ脳を意識的に使って理解しているんだろうな。感覚的に理解可能な単語に置き換えて理解しているのかもしれない。

この二種類の単語は、同じ言葉とはひとくくりに出来ないような感じがした。

もちろん、人それぞれある特定の単語に関する理解は違う。それはその単語を自分で使ったり、聞いたりした経験が違うから。その単語以外の人生も違うのだから。でも、これとは違う次元で、上記のことは同じ言葉と人くくりに出来ない気がした。明確な理由は説明できないがそんな気がした。
ある言葉を使いまくって、感覚的に認識するようになる単語もあるだろう。

対談の本

一概には言えないのだが、対談を本にしたものは何かつまらない。

対談形式の本を読んだ。書いてある内容自体は好きなんだが何か物足りなさというかつまらなさを感じた。何でだろうと思う。対談は最低でも2人以上で行う。その対談を本にしてあるわけだ。対談というのは話している間(ま)、顔の表情、その日の天気、部屋の照明、さまざまなものを対談している人同士は共有している。それらを無意識のうちに踏まえた上で対談している。その言葉にはならないものがあって対談は成立している。しかし対談を本にした時点で、文字だけが切り取られる。すると、何かしら伝わってこないものがある。それで物足りなさを感じているのだろう。もちろん、編集して補足していると思うが、完全に補完できているわけではないんだろう。

普通の本は、作家が一人で筆を持って書いている。対談とは違い文字以外の要素が少ないように感じる。だから普通の本の方がよみやすいのかな。 

ただそう思っただけでした。ちゃんちゃん。

October 13, 2004

痛みとそれを感じる脳の不思議

腕をぶつけると痛い。当たり前だ。もちろんぶつけた部位が痛くなる。しかし、部位そのものが痛いわけではないと思う。なぜなら、痛みを感じない病気があるからだ。ぶつけても、こけても全くいたくない。そんな病気があるらしい。だから、そんな子どもは骨折などを繰り返す。ぶつけても痛くない、だからこけることは危険だと学習できない。この病気からも分かるように、ぶつけたこと自体が痛いわけではない。痛いというのは脳が痛いと判定しているわけだ。物を見るということも目が見ているように感じているが、脳が見ている。脳で目から入った情報を合成している。

でも、ぶつけた場所が痛く感じる。それは脳からまた情報がぶつけた部位に戻りその場所をいたいと感じているのだろうかな。なんか不思議だ。

脳は同時にいろいろな情報を処理している。目で見た情報を処理し、音を処理し、手を動かす情報を出し、と。で、これをやっていると認識している脳の部位もあるはずだ。脳が各部位が動くことをコントロールしている脳もあるはず。

これは脳について勉強すれば分かりそう。それを踏まえたうえで、答えの出ない脳のことについて考えてみたい。


こういうこと(意識とは?脳と心の関係、クオリア)に興味のある人って少ないのかな?
たまに時間を気にせずこういうことを語り合いたいモンです。
そんなことしたい人いたら、語らいましょう。

人間とは不思議なものだ

あることをうまく出来ない時、人間はもどかしく感じる。できるようになったり、達成することを願う。しかし、ひとたび達成するとその時はうれしいが、成功してしまって当たり前のようになるとつまらなく感じる。

不思議なものだ。結局満たされているのは一瞬だ。

まあ、すべてが無常であるからなぁ。

出来ない→出来る

この間には何があるのか?おおきな違いがあるのか。大きな違いがあるとしたら、脳の認識のみの問題であろう。たとえば運動系だったら体力面とかテクニック面からしたらほとんど同じはずだ。

認識、そうだと思う、思い込む、そう見る。これは人生に最も大きな影響を与えているのかもしれない。物の見方というか、見えてしまう、自然にそう見えてしまう。それが一番大きいのかも。

コンテクストがなくなった上で価値のあるもの

馬鹿なことが出来る会社、って強いな。

最近ユニクロとか、楽天とか出てきていますがソニー。この会社も好きです。有名企業で何とかでとか言う理由ではないです。馬鹿をしてそうだからです。クオリア。SDR。負け続ける映像メディア対決。特にクオリア。だいぶ昔に発表されたものなんだけど、このコンセプトいいねー。それに、本質を出井さん分かっていらっしゃる。(えらそうですいません)


本田も好きです。足も作っちゃったり、ジェット機を作っちゃったり。そういう、一軒無駄に思えることを出来る会社って強いと思います。そういう文化がある。そこが強い。文化というものは一日で創れない、習慣ともにている。そいう文化がある会社って強いなー。一回どん底を味わっても這い上がってくると思う。

October 12, 2004

同じような感覚

同じような感性というか感覚を持っている人がいる。ああ、俺の思っていることをほんわかと感覚的に分かってくれているなという人がいる。

自分がうまく言葉で説明できなくても、分かってくれる人がいる。

茂木さんのブログを見ていると僕の考えていることと同じようなことを考えていそう。というか、寝ている時に見る夢についてのエントリーをほぼ同時にしていたり、文系理系に関する関するエントリーをしていたり。

考えている方向性も似ている。失礼かもしれないのだが。
今日も大学に茂木さんはいらっしゃっているのだが、時間が合わなかった。お会いする機会をつくろうと思えば作れるのだが、なぜか日程が合わない。今週の木曜日はぜひ、芸大の授業に出よう。

子どものころの経験、過去の回想(想像)、体験の喜び

人間は喜びを味わえる。ワクワク、ココロオドルことがある。
今が楽しい、過去の思い出が楽しい。どうなるか、どんな感じか想像して楽しい。

人間は、何か面白いことをする。そのときは楽しいが、時間が経つと何かむなしさや、寂しさ、ぽっかり穴の開いた感じを得ることがある。楽しい思い出は時間が経つと寂しい思い出になる。そういう場合もある。

しかし、そうでない場合もある。子どものコロに遊んだもの。今思い出すと楽しい。ワクワクしてきてまたやりたくなる。子どものコロの遊びは比較的単純で、この年になればくだらないことのように感じることが多いように感じるが、そうではないこともある。ミニ四駆、これを思い出しワクワクしていようにミニ四駆をコースでは知らせて競争したくなったり。

そう思うと意外と覚えている、体に刷り込まれている子どものころの経験(思い出)は、大切だ。記憶というのは子どものときの事実とは異なることも多いが、大きくは違わないだろう。こんな遊びをした、こんなことを知った、けんかした、怒られた、うれしかった思い出、悲しかった思い出、びっくりしたこと、などなどいろいろな思い出がある。人間は意外とと覚えているものだ。そして、その過去を一つ一つたどる。すると大きな影響を与えていることがる。(昔)あの時は、何も考えず、将来の自分に大きな影響を与えることはないと思っていたことが、今振り返るとこんなにも影響がある!と思うことがある。些細な一言、そんな一言を覚えていて、その一言によって自分が作られることもあるし。些細な日常の一場面をなぜか覚えていることもある。子どものころの記憶というのは、一秒一秒が後の自分に大きな影響を与えるのだ。そう思う。子どものころの経験やまたそれに伴う記憶は大切なもんだ。

たとえば、ボクが中学の時について考える。クラスの友達といろいろと話、遊び、何気なくすごしていた。別に深い意味を考えることなく。そんな友達が一生の友達になるとも思わず。中学から、6年ぐらいたった。中学の友達、今でも友達な奴がいる。多分一生の友達だろう。そう考えると、中学の一日がボクの一生に大きな影響を与えている。友達と出合って初めて交わした一言、その印象が違えば仲良くならなかったかもしれない。クラスが違えば知ることもなかったかもしれない。なんか偶然性とか運命の問題になりそうだが、中学の友達が今も友達である。中学のころはたいしたことはないと思っていた日常が、実は一生の友達とまでなる大きな意味を持っていたのだ。小さいころの日常は大きな価値を持つし、重要なんだ。といって、小学生とかがそんなこと考えていたら、頭でっかちで面白くない生活だろう。偶然、何があるか分からないからオモシロイコトがおおいのだ。

日常が大きな価値と書いて思い出した。(もちろん話し外れます)何気ない生活、ありふれたもの、特に生活で気にも留めないことや物、これらも人が年をとるごとに、生活が変わるごとに、技術進歩するごとに、なくなっていくことがある。珍しいものこれはみんな大切にしたり、保存しようと行動する。だから、珍しいものは意外と残っている。しかしありふれたものは残っていないのだ。そんなものに気づいて、保存したいな。日常で気づいていない、歩数とか心拍数、瞬きの数など、またありふれたもの、ペンとか爪楊枝とか、袋とか、小学校の算数セットとか、もっと上に書いたものに適したものはあるだろう。(ありふれていて、自然すぎて気づかないから簡単には的確な例が挙げられないのだ。)それらを保存すると、時間が経って意味を持つだろう。また、データを取ってみると気づかないことに気づくだろう。

これはインドから日本に帰り思ったことでもある。帰国して取った写真を眺める。何か物足りない。なぜだろうと考えると、日々歩いていた道路の写真がなかったり、一番良く話した人との写真をとっていなかったりと、よく食べた一番スタンダードなカレーの写真がなかったり、露天の写真がなかったりと。当たり前のように毎日見ていたもの、毎日使っていたものの写真がない。最も日常的なものそれがない。特別で、珍しいものだけある。(もちろん、ホントにピンチのときなどは写真なんて撮っていられないし、感動しすぎてとり忘れることもある。)そう、みんなが当たり前と思い、当たり前に受け入れ、ありふれているものに価値があるのだ。それは、時間の経過で感じることもあるし、場所の違いによっても感じることがる。

話がそれまくってパラグラフごとに書いてあることが違うが、言いたいことは、子どものころの日々がケッコウ記憶に残っていて、それを振り返って思い出すのも面白い。過去のワクワク感を回想することはとても面白い、それにいまだ知らぬこと、旅行の前、何かほしいものを買う前の想像はとても楽しく喜びがある。実際それを体験したり、見たり、感じたりした瞬間、心のそこから突き上げてくる喜びがある。ココロオドル。人間は想像と体験という喜びを持っている。

当たり前のことには気づかないけど、意外と重要でそれをいかにして見つけるか、そして保存したりデータを取って分析したりすることも重要だなと。

客観的にみる

自分という存在が何かを考えるということは、何かを見るということは、主観的なわけです。これ当たり前、いくら客観的に見るといっても本質的には出来ない。努力することは出来るが、その努力に意味があるかどうかは定かではない。

自分の基準で何でも考えて、理解する。そうせざるを得ないし、それでいいと思う。しかし、もともと考えている人が違う、考えている脳が違う、考える思考プロセスが違う、考える価値観が違うということは踏まえておかなければならない。

自分の基準だけでこの人はたいしたことはないと思っても、自分の考える領域を超えていることを言っているかもしれない。簡単に他人を軽蔑しない方がいいな。それに脳が違うんだから簡単に理解しあうということも相当難しいものだ。

相手の言っていることをすべて受け入れるべきとも、好き嫌いをするなとも言っているわけではないです。

ブログとして書いて、公開しているが、(人間が他人に話したり、書いて公開したりする、)これは自分に対して言い聞かせていることが多いのです。そして、外部に言ったり書いたりすることで、自分の考えがより強くなるのです。そう思います。

October 10, 2004

伝記から

ボクは昔本を読まなかった。
それは全くといってよいほど。
今も大して読まないが大学に入って読む冊数は増えた。

そんな本を読まない子どもが小学校の頃に読んだのが伝記だ。伝記は面白かった。何で面白かったのかは分からない。今考えると、こんな人生もあるんだとか、こんなすごいとされる人でも実際は困難だったんだとか、こんなこと考えていたんだと感じることが出来るからだったのかもしれない。

日経夕刊の人間発見がすきなのも情熱大陸がすきなのも小学校のときの伝記が影響しているのかもしれない。

人が何を考えているか、何について考えているか、どのようなプロセスである考えにいたったのか、どんな思いを持っているかとかが興味がある。

ボクは身の回りの人の生活とか詮索するのは好きじゃない。あまり興味がない。でも、その人の生きるうえでの考え、信念について話すのは好きだ。

テレビや、文字を通してだがこんな人生があるんだというのが刷り込まれているのかもしれない。


関係ないが。
体の奥底から突き上げる思い。この表現いいな。
やっぱソングオブライフはいい曲だ。
ああ、ミスチルの歌詞は仏教的だとインドで思った。

順番

順番、順序。
物には順序というものがある。
何かをするにしても、何かを作るにしても、人生にしても。
それは考えて導き出すときもあれば、何か感じて順番を決めることもあれば、何も考えずにやって結果として順序が良かったことなどある。

定量的に測れないので、これが一番順序が良くてこれが一番ダメとかはいえないが。自分でこれは良かったと思うことも、悪かったと思うこともある。それは他人や他のことと比較してとは別にして。

自分も他人から見てもよい順序というのがイイと思う。しかしいつもそうは行かない。問屋が卸さない。で、順番はイイに越したことはない。いいものが出来たり、手早く出来たりと。しかし、順番を間違えても何か出来なかったり、達成できなかったりするわけではない場合が多い。順番を間違えても、そこで修正したり、戻ってやり直したり方法はある。順番にこだわることもいいことだ。でも順番にこだわりすぎないってのもいいモンだろう。

順番というものは絶対ではないと思う。

自分は自分という人間の経営者であると。
正確には経営者プラス執行役員ですかね。

理系と文系

僕は今文系の学部に通っている。でも、技術的な話とかが大好きだ。こんなのが出来たら世の中どうなるのだろうとか、この技術はどうなんだろうと疑問に良く思う。文系的というか、哲学的というか(簡単にこういうのは問題だが)そういったことの空想にふけるのも好きだ。

理系の人で文型は馬鹿で、技術的なことを何にも知らないと馬鹿にする人がいる。文系にも理系は技術のことしか知らない、文系が理系を操るみたいな考え名人がいる。それおかしいよ。絶対におかしいよ。マジで。

古い新聞

さっきのエントリーで書いたように古い新聞を読んでいた。

人間発見では、イチローや三木谷さんのも切り取ってあって読んでいた。どちらの方もふむふむと思いながら読んでいた。

日経エレクトロニクスという雑誌の30周年の一面広告があった。

テクノロジーは、ノンフィクションだ。

「いつか暗闇から抜ける、そう信じるしかない」(出井伸行氏)
「僕は技術者、いつまでもワクワクしていたい」(Linus Torvalds氏)
「ロボットは、缶ビールを取ってこられるくらいがちょうどいい」(広瀬真人氏)

「未来はもう占うものじゃない。創りあげるものだろう」(Bill Gates氏)
「技術者として、こんなに面白い時代はないよ」(久多良木健氏)
「現状を打破するには、みんなが日本を飛び出すしかない」(中村修二氏)

学生

イメージで語る。
(こう書いて、字を見た瞬間に書こうと思ったことと違うことを考えた。そっちのエントリーもしたくなった。)自分の思い描くことをイメージで語れるってカッコイイ。

最近の学生は、昔の学生よりいろいろなことをしていると思う。昔の学生って遊びほうけていた気がする。(それはそういう時代だったからべつにいいんだけど。)今はNPOとか、芸術系のエキシビジョンだったりとか、旅だったりとか、ボランティアとか、投資だとかいろいろしている人がいる。それは経験としてすごくいいと思う。それに対する思いとか、いろいろ考えて行動しているなと考えると、今後の日本も明るいと思う。しかし、その学生は本当に魂がこもってやっているのか?周りがやっているからとか、なんか流される感じでやってないかな。そうだとすると寂しい。今後いい社会が来ると楽観的にはいえないかも。

まあ、どっちにしろ絶対よい社会が来ると思い続けてるんですけど。

笑顔と真剣な顔

人の顔を見ればその人の性格とかが分かるということがある。顔は口ほどに物を言うとかね。で、特に笑顔と真剣な顔で分かると思う。本当に楽しそうに笑っているかってのはすぐ分かる。人生を楽しんでいるなとか。真剣な顔も物事に対する姿勢とかが伝わってくる。多分これだけじゃない。でも、感覚的に笑顔と真剣な顔でその人ってのが分かる気がする。まあ、言い方次第では、絶対に他人の性格なんてわかりっこないので、分かる気がすると書いたんです。そう言い出すと自分の性格も分からないので。

答えがないことが答え。
絶対的に正しいことがないのが答え。
自分が何かって分からない、それが答え。
そういっている答えも、答えかどうか分からないんですけど。
結局堂々巡り。

結局すべてが分からない。本質なんてない。分からない。
そう。そうだと思う。

仏教で言う「空:クウ」の概念。
無常なんですよね。

そう思うと仏教の考えってすごい。

自分とは

なんか最近書いた気がするんだけど、自分の過去の些細な行動、今までやってきたことを振り返ると今まで気がつかなかった自分の部分に気づく。それをたどっていくと自分が何がすきなのか、興味の対象は何か、自分がどうなりたいかが、自然と見えてくると思う。

そう思います。他人からのアドバイスで気づくことがあるかもしれないけど、それよりもまず自分の今までの人生を振り返る。やってきたことや思ったこと、考えてきたことを書き出してみる、すると自然と見えてくるんじゃないかな。

そう思うと、こうやって思ったことをそのまま書いているブログ。これは僕にとってかけがえのないものだ。
何度も書いているがこれは、自分のために書いている。後から読み直すために。でも、僕が書いたことは読む人、特に身近な人の思考プロセスに大きな影響を与えかねない。そこも考えないといけないときがくるのかな。そうなったら、匿名でどっかでブログを書こう。

October 09, 2004

ユニクロ

ユニクロが、単なる安いものは売らなくするらしい。

ユニクロは安さを期待される店から、品質の良さを期待される店に変わると柳井さんが言っていた。

この会社に対する賛否両論はあると思う。(服がいいかどうかとは別の話で。)僕はけっこうこの会社が好きだ。戦略に一貫性がないかも知れない。服のファーストフードを目指しているとか昔は言っていたと思う。質重視に変わればその路線とは変わるかもしれない。でも、ここの対応の早さとか、変わっていくスピードは半端ない。昔は男物の安い服が中心だった。しかし、女性ものの服が増えたり、質路線になったり。ユニクロの店頭に行くと、毎回何か変化に気づく。それが面白い。ここまですぐに変われるのはやっぱすごいよ。変わるって難しいことだからね。

それにユニクロはニュース性がある。何かすればテレビや雑誌でも注目されている。何かをやってくれるし、社会にインパクトがある証拠だ。

柳井さんを少し深く知ったのは、日経の夕刊に載っている人間発見だったと思う。この人間発見と言う記事は相当読んだな。そうとう昔から日経を読んでいる。昔の記事とかでも相当記憶している。今になってそれを実感する。5〜10歳ぐらい年上の人と話しても、昔のニュースで話が合うことがある。今起こっている背景をたどると昔のニュースと関係していることがある。その昔のことを、ああ、そういえば新聞に書いてあったなと思うことが最近多い。昔は日経で面白い記事を切りファイルに入れていた。これ、今読んでも意外と面白い。それに、自分の興味の対象はあまり変わっていないことが分かる。それにしても、昔から日経を読んでいて良かった。今になって本当に実感する。その当時は純粋に面白いなと思って読んでいただけなのに。小学生のころは意味の分かんない単語も多かったけど、読んでいた。自然にやっていたこの読み方が良かったのかも。分からないことがあってもとりあえず進める、そしてやり続けるという能力。この世の中はじめっからすべて分からないことばかり、それでも進め続けないといけないことが多い。日経は僕の人生に影響を与えただろうな。小さなコロから日経が読める環境にあったのは親のおかげだと思うと、親に感謝しないとなと思う。こう書いていると昔の日経の記事が読みたくなったので、ちょっと探して適当な記事を読もう。

相変わらず、話がそれましたが。。。
一勝九敗やプロフェッショナルマネージャーを読もうかな。

そういえば、話は変わるが、というかユニクロも批判する人が多いと思ったら、ふと思った。宇多田ヒカルが全米デビューしたらしい。で、売れないとか批判が多かったりする気が。まあ、売れるって人も同様にいるんだけど。(同様って打ったら童謡って出た。童謡が好きだからなぁ。よく打つからそう出たんだろう)ぶっちゃけ、そんなのどうでもいいじゃん。自分が表現したいものをして、それでいいじゃん。売れようが売れまいが。飯食っていかないといけないから売れるに越したことはないんだけど、そればっかに気をとられると魂がなくなるからね。魂が入っていないものに誰も魅了されないよ。

一勝九敗
柳井 正

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有名会社の成り立ち
店長は会社の主役だ!
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プロフェッショナルマネジャー
ハロルド・ジェニーン

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別の感想
読んで損なし
売れるべくして売れた。

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人生で一番重きを置くこと

自分の人生、生きていく中で一番大切にすることは何か?
生死に関わることは除きます。
たとえば、食べることとか。寝ることです。
食べること、寝ることでも生きていく最低限を越えて、すッごくうまいものを食べることとかいうのはありです。

で、僕は何か考える。
自由な時間、なんらかのスポーツ、友達、日本をよくすること、人を笑わすこと、長生きすること、社会的評価、お金、贅沢な暮らし、何らかの芸術を極めること、笑うこと、うまい物を食べること、だらーっと日々をすごすこと、本を読むこと、など感情的なものから、何かすることまであると思う。

どんな人でも一つではないと思う。こうなればいいと思うことは何個もあるはずだ。でも最も重きを置くこととはといえば。

で、僕は何か。
たぶん心がワクワクすることだと思う。これすごい、面白い、自分でもやりたい。とかココロオドルことをしていること、それを知ること。見ること。

他人の目を越えた心境

ブランド物など、そういう性質を持ったものが小さいころはほしかった。

周りからの目がきになる。

しかし、今はどんなことをしていても全く気にならない。

それは、自分は自分だから。
自分の中に何らかの価値基準、絶対的ではないが自分が強く心のそこから思う何かがあれば他人や、外部の視線はどうでも良くなる。

外部のことすべてではないが、自分にとって興味のないこと(正確には興味のないことではないが、)

自分がどうでもいいと思う人、嫌いな人など、嫌いというよりは自分が正しくないと思う方法をとって何かをする、自分がしたいことと同じことをする人がいて、僕が負けて、他人が勝って社会一般に成功したとしても、全くうらやましくない。もちろん、絶対に負けないが。それくらいの心境にここ半年ぐらいなりつつある。

これは自分の中に何か基準みたいなものができてきたために、周りに影響されなくなったのだろうか。

October 08, 2004

純粋に衝撃を受ける

何かを見たり、聞いたり、体験して衝撃を受け、どうしようもない感情になる。どうにも表せない気持ち。心のそこから湧き出てくるようなもの。その心踊り、脳の興奮状態。

これを感じることが出来る人は幸せだ。
なんか、生活が面白い。
これが、ひとつのことをする大きなモチベーションになる。

「本当の美しさというのは、一人称で生きる中で
こみ上げてくる美しさのことなんだな、と思った。」
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2004/10/post_12.html

この言葉、いいですね。
かなり的確に短い言葉で言い切っていると思う。

最近茂木さんにかんすることが多い気がする。
まあ、それだけ面白い人です。
僕の考えていることと近かったりするし、性格も似ているかも。

地震

最近地震多いですか?

なんかインドにいるときも日本では地震がケッコウあったとメールやメッセで聞いた。
先日も震度4の地震があったし。

地震が来ると、もっとでかいのがくるか?
と、ゆれてからしばらく構えます。

そういえば、地震が起こる2,3日前地震の夢を見た。

外国で街中を走る電車に乗っていた。
たぶんポルトガルのリスボンからカスカイスへいった時の電車です。
なんか短い距離の電車なのに、リッチに寝台に乗っている。
これはインドのACの寝台。乗ってないけどそんなイメージ。
で、また不思議なのが、町を歩いているのはほとんど日本人。
場所はポルトガルのはず。
で、地震発生。
道路は地割れ。ビルも半壊。
なのに電車は何もなかったように走っている。
電車に乗っていたら揺れは感じなさそうなのに、揺れを感じていた。
それに、ゆれの後、ほおずえを付きながら僕はのんきに外を眺めていた。
そして、道路を歩いている人に日本語で大丈夫ですか、などと声をかけている。

そこで、起きた。
意味不明。
現実の世界では有り得ないことが、合わさってます。
だから、夢はおもしろいんですけど。

で、いいたいのはここから。
夢って自由な発想じゃないですか。
何にもとらわれないで、次元を超えたことが起こる。
これって、何かのブレイクスルーにアイデアが使えるかもしれない。

で、ノンレムとレムがあって、レムの時にしか夢を見ないはず。
レムノンレムは1時間30分刻みだから、夜の間に数回夢を見ているらしい。
でも、一番最後に見たものしか覚えてないらしい。
起きる直前の夢は記憶しているみたい。
これって、もったいなくないですか?
せっかく自分が夢を見て、それも普段では考えられない発想をしている。
そんなおもしろいアイデアを自分が考えている(想像している)のに、ほとんど忘れて終わり。

そこで、最近頭にヘッドギアみたいなのつけて、脳で考えたことを文字にしたり、絵にする技術開発されているじゃないですか。これを、夜見る夢にも使えないですかね?寝ているときに、そのヘッドギアみたいなのをつけて寝る。寝ているときに見た夢をテキストにしてくれたり、映像化してくれる。そうすれば、面白いアイデアが使えてブレイクスルーが起きそう。

まあ、脳で考えたことがテキストになったり映像化する技術を確立するまでにブレイクスルーがないといけないんですが。。。
それに、夢は忘れるからワクワク感があったり、面白みがあるかもしれないんですけどね。

後気になるのは、
どんなときに夢を記憶しているのだろう?
どんな状況のとき、体調の時に夢を見るのだろう。

感覚的に、昼間に起こったことであまり気にも留めていないことが夢に出てくることが多い気がする。
理由はあるのかねぇ?

書いている間に地震から夢の有効利用に話が移るあたりが何かおかしい気がするな。笑

求められる人物像

会社が、リクルーティングのためのセミナーを開くとき、わが社の求める人物像なるものをプレゼンすることがアル。

まあ、それは問題ない。
こんな会社にしたいというのがあれば、それを目指すために必要な人材がいるからだ。

しかし、学生はおかしな捉え方をしている。というか、何かへんだ。ある学生は、A社に行きたかったとしよう。そして、そのセミナーに行く。すると、A社の社員が求める人物像をプレゼン。すると学生はメモ。まあ、ここまではいいだろう。学生は求める人物像になるべく、自分を仕向ける。そう装う人もいるだろう。あれれ、おかしくないか?自分があって、自分の考え、自分という個性があってそれにあう企業に行けばいいのではないか?会社の求める人物像に性格をあわせたり、装ったりする必要はないのではないか?っていうか、そもそも逆だろ。まず自分ありきで、会社があるはず。会社が先で、自分の考え・個性は二の次っておかしくないか?そうやって装ったり、逆の考え方で、企業に入るから、入社してから社風とあわなかったりするんじゃないかな?

じゃあ、なぜA社に行きたくなったのか?それは周りの評価だったり、イメージだったりとそんなようなものだろう。求める人物像と会わなかったり、社風と会わなかったら志望からはずせばいいのに、初めに決めたから志望からはずすなんて考えもしなかったりするわけだろう。

自分ベースで行きたいものだ。

October 07, 2004

青空は気分がいい

なんか、ここ数日毎日雨だったじゃないですか。
で、空も雲でどんより。

特に、雨で気分が悪いわけではなかったが、
今日の朝起きて、青空を見たらすごい気持ちよかった。
すがすがしい朝だった。

いやー、ただ朝起きて青空を見るだけで人間は気分が良くなるんだな。
青空が続いていると、スカッーとする。
一日頑張ろうって言う気になる。

やっぱ、青空が好きだな。

ああ、でも、寒くなったね。
それも一気に寒くなった。

秋を通り越して冬じゃないかと思う。


そういえば、インドの人と話していたら、springとautumnが伝わらなかった。インドにはsummerとwinterしかないみたいだ。やっぱ、ないものを想像するって難しいんだろうな。それも、何かが発展したproductなら想像しやすいかもしれないけど、感覚的に理解しないといけないものや、概念的なものこれは分かりづらそう。

というか、概念的なものは分かるというよりも、それに実際ふれ、何回も体験することによって慣れる、そして感覚がつかめるようになるのだろう。単に分かるというよりも、感覚的に分かるという表現があっていそうだ。

October 06, 2004

旅とは何か

このエントリーも下書き状態です。

「旅」とは何か?

夏休み、日本、世界、を旅してきた学生が日本に帰ってきた。
(逆に旅立って、帰ってきてない奴もいるが。)
そして、直接話を聞いたり、メールやブログで旅の話を聞いたりした。
とても面白い話が聞けた。そんな話を聞くとまた旅に行きたくなる。
旅先で会った旅人と「旅」について話をすることも多い。

そして、いろいろ思うことがある。

旅といって、僕が思い出すこと。

・「旅」と「旅行」の違い
・旅人は一瞬の身分
・2ヶ月以上旅をすると日本での生活に戻れなくなる
・All travelling becomes dull in exact proportion to its rapidity.
 あらゆる旅はその速さに正比例してつまらなくなる。
 (John Ruskin)
・得体の知れないものに大金を払う変わったこと
・なぜ旅に出るのか

かわいい子には旅をさせよ。
旅の恥は掻き捨て
旅は道連れ世は情け

こんなことを思い出すだろうかなぁ。
とりあえず、列挙してみました。

いろいろ書きたいことがあるのだが、まず先にことわっておく。
旅をすること、旅をすることがすばらしいとも思わない。
旅に行きたいと思ったら行けばいいだけで、行ったと数を競うものではないのだから。
(相手に伝えるときは、特に時間がないときは、伝えにくいので数を伝えるという罠に陥ることがあるのだが)

一人で発展途上国などに行くと次のような能力が自然と身に付くだろう。
直感による意思決定、度胸・覚悟、固定観念がつぶされる、人を見抜く力が磨かれる、タイムマネジメント、自分のことはすべて自分で決める能力、最終的になんとかする。
野性的になんとか生き残る能力と一言で言えるかもしれない。

それは、おいといて、さっき列挙したことについて思ったことをつらつらと。

「旅」と「旅行」の違い。
よく分からない。旅は過程を楽しむものだと定義をしている人もいるだろう。ツアーのことを旅行と定義して、個人を旅とする人もいるだろう。旅は出来るだけ安くいくと定義する人も、旅も旅行も一緒とする人も。これといった定義はないように思う。

次の旅と旅行はそれぞれの感覚に任せる。
旅を好む人は旅行を嫌う傾向にあると思う。一人で旅している人で、ツアーが嫌いという人も多いようにかんじる。ツアーに参加している人の態度のでかさ、あつかましさ、郷に入っても郷に従わない態度、個人では絶対にいけない値段で高級ホテルに泊まる、こんなところからだろう。僕もツアーはあまり好きではない。でも、まあ使い方次第だろう。

旅人は一瞬の身分。これはトルコに行ったときに思ったこと。旅をしているときは、総理大臣であろうが、学生であろうが、サラリーマンであろうが、誰であろうが老若男女とわず旅人だ。旅人とは不思議な身分である。日本に帰ったら無職でぷー太郎でも旅をしていれば旅人で許される。それに旅人といえば、全く知らない人同士でも仲良くなれるし、外人の人も良くしてくれる。旅人は自分のしがらみ(外国にいたならば日本での地位、役職、すべての自分を制約する環境)から離れることが出来る。というよりも、周りの人がその細かい状況を知らないからきらくなのである。こんなおいしい身分だが、一生旅人でいることは出来ない。一生旅をしている人を除いては。

・2ヶ月以上旅をすると日本での生活に戻れなくなる
これは旅人という気楽な身分から来ているのかもしれない。スペインであった人が行っていた。彼は医学部の7年生だった。しみじみといっていたのが印象的だった。日本との生活とあまりにも違うからだろう。その違いも小さな違いではなく、人間の生き方、生きる意味とでもいおうか、その人生観から違うからそれが染み付くと、日本での生活にも大きな影響を与えるのだ。

・All travelling becomes dull in exact proportion to its rapidity.
旅は移動手段も楽しみの一つだ。アクシデントも多いのだが、どうやっていこうか考えたり、乗り過ごしたり、全く予想外の所についてしまったり。移動中に眺める景色もいいもんだ。思い入れのある場所にいけば感動することもある。予想していなかったときに、想像もしていないような美しいものを見たら感動する。しかし名所などといっても、見るのはすごい短い時間だ。ツアーなら30分もないだろう。個人で行っても、同じものを何時間も見ていることは少ない。となると旅のほとんどは移動である。やっぱり、移動をいかに楽しむかこれは大きな要素だろう。僕は食べることも好きなので、そこの土地のものをいろいろ食べるのも大好きだ。

・旅は何が起こるかわからない。そんなものに人は大金を使う。普通、人間が金を使うのは何か分かっているときだ。車を買うにしても、家を借りるにしても、電車に乗るにしても、価値が分かっているというか、どんな効用があるかはっきりしている。だから人は金を使う。しかし、旅は未知なる物に金を払う。それもかなりの大金を。なぜだろう。何が起こるかわからないということ、日常と違うことに何かしらの賭けををおこなっているのだろうか。すると、リターンが金じゃない賭け事のようだ。旅=賭けごとなのか。少なくともそのような要素もあるだろう。

何があるか分からないものに金を使う。そんな不思議なものが旅だ。じゃあ、人はなぜ旅をするのか。何かを求めているのか。何も求めていないのか。人それぞれ違うだろう。旅なんて、人にここへ行ったと威張るために行ってもしょうがない。どうしても見たいものがある。旅全体を通して、日本では体験できないことを知りたい。日本の騒がしさ、しがらみから離れたいのかもしれない。

旅とは不思議なものである。

1ヶ月ぐらいの旅から帰ってきた人は、何か不思議な感覚を持つみたいだ。虚無感というか、なにか力が入らないというか、日本の齷齪した生活が違うのではないかと。

ベッキー

先ほどメールソフトがいかれたと書きましたが、やっと復活です。

いろいろやって直りました。

がしかし、メールのデータが消えている可能性があります。
消えていたとしても本の少しなんですけど。

バックアップを取ってからやれ、といわれそうなんですが、一応とってやろうと思ったんですけど、バックアップ中にもPCに問題が起きて。とほほ。

今のところメールソフトは普通に使えます。

October 05, 2004

すべては一杯のコーヒーから

すべては一杯のコーヒーから
松田 公太

発売日 2002/05
売り上げランキング 1,737

おすすめ平均
起業家精神を学べる
この本は経営書ではなく体験記です。だから感動が直接伝わります。
熱い熱い情熱が体中に伝わってくる、そんな本です。

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昨日に続いて、本の紹介。
昨日の本は読み終わりました。
初めの方が面白いです。後ろは同じことの繰り返しが多かったので。

今日は、すべては一杯のコーヒーから。
タリーズの松田公太さんが書かれた本です。

自分の体験を書かれています。
実体験、それもつい最近のものなので臨場感が伝わってきます。
それに、一本筋の通った男である、経営者であることが伝わってきます。
信念を持つ男はかっこいいです。
他人の目を気にして人生を決める、もっというと行動を躊躇することは自分の人生を生きていない。それに、納得いかない。
まず、攻めの人生をしないとな。

本文の松田さんの人生と、タリーズをここまでにした話も面白かったのですが、何といっても章が変わって章の表紙みたいな裏に書いてある、1ページ弱の文章がすばらしい。6章まであるので、そのすばらしい文章は6回あります。以下特に感動した文章をピックアップ

1章の裏

どんなことをするにも情熱の有無で結果は大きく変わってくる。 中略 自分の信じたことに寝食を忘れて打ち込むことは出来る。 情熱は誰でも平等に持つことが出来る。 中略 特別な境遇にある人たちよりも強く情熱を持って取り組めば、何事にも負けないはずだと私は信じている。 また、情熱は不思議と「運」をも引き寄せ、不可能だと思っていたことを可能にしてしまう力を持っている。

2章の裏

使命感を持って生きよう。使命感を持って生きると力が倍増し、ちょっとやそっとの苦難ではびくともしなくなる。 中略 ほとんどの人の使命は奥底に眠っているものを自分で探し出さなくてはならない。今まで自分が歩んできた人生を、足元からじっくりと見直してみれば、きっとどこかにヒントが隠されているはずである。

3章の裏

目標が設定できたら、すぐに行動に移そう。そして目標を達成するためには、さまざまな経験をつんでいくことだ。 中略 "No Fun, No Gain"(楽しみなくして得るものなし)  中略 何でも楽しみながら経験していけば、必ずや自分にとってプラスになる。たとえ単調な仕事をしていても、常に頭を回転させ、創意工夫していると、自分の成長につながっているはずだからだ。自分の成長を感じ取ることが出来れば、すべてが楽しくなってくる。

4章の裏
新しいことを始めるときには、誰だって不安がつきまとう。 中略 自分の人生を大きく変えてしまうものであればなおさらだ。 また、自分が正しいと思った道でも、さまざまな難関が押し寄せてくれば弱気になるのは、人間であれば当たり前だろう。 しかし、人生は一度きり。やらずに後悔するより、やれるところまでやって失敗を受け入れる方が納得できるではないか。  中略 別に失敗したからといって、命までとられるわけではない。 後は、自分の力を信じて、挑戦し、最後まであきらめないことだ。

5章の裏
会社とは人こそすべて、ということだ。 中略 私と共に仕事をしてくれているフェローのうち、一人でも欠けていたら、タリーズは失敗に終わっただろう。 中略 運は人が運んでくるものと私は信じている。人は無意識に情熱の発信者に引き寄せられる。だから運も、自然と情熱を持った人間のもとに集まってくるのではなかろうか。

6章の裏
人は成長するための努力を止めてはならない。成長をするのをやめたとき、つまり現状に甘んじた瞬間から、衰退が始まってしまうからだ。どんなに物事が思い通りに進んでいようとも、その状況が永遠に続くことなど有り得ない。常に次を見据えて、備え、行動を起こしていく必要がある。 中略 自分が成功しているすばらしい未来を描き、楽しくまた緊張感を持って、次なる挑戦に向かって走り出すということだ。


タリーズコーヒージャパン 経営理念
Our Mission Statement

一杯のコーヒーを通じて、
「お客様」、「フェロー(従業員)」、「社会」、そして「株主」に新しい価値を創造し、共に成長する。

一、その一杯に心を込める
一、お客様の期待を超越する
一、最高の仕事が経験でき、一人一人の可能性が広がる職場を作る
一、子どもたちや青少年の成長を促すために、地域社会に貢献する
一、株主との信頼関係を築きあげる

夏休みが終わったら書くと宣言していたPersonal Mission Statementを書き始めようかな。そう簡単にはかけないだろうけど。じっくりと振り返り、そして考え書いてみよう。

メールソフト

メールソフトのベッキーがおかしいです。

起動すると、すぐに終了してしまいます。
それで、メールを読むことが出来ません。

返信が遅れるかもしれません。
すいません。

出来るだけはやくメールソフトを復帰させます。

意識とはなにか


意識とはなにか―「私」を生成する脳
茂木 健一郎

発売日 2003/10
売り上げランキング 22,071

おすすめ平均
これって、むしろベルグソン?
こういう科学者は批判したくないけど・・・
クオリアと、生成と。

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僕が小さいころ思っていたことが書かれている。
思っていたことというか、不思議に思っていたというか、変な感じを持っていたこと、それらについて書かれている。この本には答えなんてものは書いていない。

ミラーニューロンの話、広義の「ふり」、会話と個人の思考における易しい問題、難しい問題、「ただいま」の不思議など面白い

「ただいま」は僕がたまに「あ」という一文字を見て、すごい不思議な感覚(=なんだこの文字は
?もっといえばなんだこの線?)と似ているかもしれない。

あと、
会話と個人の思考における易しい問題、難しい問題は広義の「ふり」の話なんですけど、他人と会話しているときは、話している人は言葉の意味を分かったふりをしている。そうしないとコミュニケーションできない。でも、自分で考えるときは、単語について答えが出ないのになんだろうと考えてしまう。でも答えは出ない。でも他人と話すときは分かっているかのようにして話す。これは分かったふりをしているのだ。

ミラーニューロンは他人が何かをしている行動を見ると、自分も同じように脳が働くということ。これも面白かった。

まあ、何を言っているか分からないと思いますが、気になったら読んでください。全部読み終わって気が向いたらまたエントリーします。

October 04, 2004

自らだけが知る規範

まずは、イチローが、記録のためでもなく、他人からの
評価のためでもなく、ただ自分の内部の目的、美意識
に従って自己修練してきた結果が、あの瞬間だった
ということ。
 自らだけが知る規範に従って厳しく求道する、
というのは、野球だけではなく普遍的な倫理基準だと
思う。


「自らだけが知る規範に従って厳しく求道する」、これは僕がいつも思っていること。
自らだけが知る規範、これは僕にもある。でも、これをうまく表現する言葉がない。僕には見つからない。一つ一つの例を挙げていけばいえる。しかし、自らだけが知る規範それを抽象的に、包括的に表現する言葉がない。

さらに、「自らだけが知る規範」この言葉自体の意味が、他人に伝わっているかも僕には分からない。

「自分の内部美意識」この言葉とも似た意味である。

果たして伝わっているのだろうか?

これから、より良い表現が見つかるまでこの言葉を使おう。

己の生きる道を支える言葉

己の生きる道を支える言葉=会社でいえばこの前書いた楽天の成功のコンセプト、社訓、個人で言えば座右の名とかそんな感じだろうか。

己の生きる道を支える言葉を考えようと思う。
考えるというか、生活していく中で自然と自分が言い聞かせていることを列挙しよう。
そして、自分に言い聞かせれるようにしよう。

僕は、日本という国で生まれ育ってきた。日本的考え方、日本的文化が染み付いている。日本的文化は仏教の影響を大きく受けている。すなわち僕は生まれ、育っていく間に仏教的考え方になっていると思う。そして、この年になり自分は仏教的考え方であると言うのも実感している。(これはブッダガヤでそう確信した)最近の日本人は無宗教という人が多い。僕も昔は宗教なんてと思っていた。しかし、今は文化的仏教徒だと思う。僕が思う文化的仏教徒というのは、文化から影響され自然と仏教的考え方、仏教的作法を行っている人のことだ。

釈迦は言った。まず自分ありきだと。何かあったら自分で考え抜け。あるがままの心に従え。そして考えて答えを導き出して、行動しろと。それでも答えがなかったら法(仏陀の教え)を読み、参考にしろと。僕は自分の考えの助けとなるように「己の生きる道を支える言葉」をメモしようかなと思う。

あと、大学在学中にやりたいこともリストアップしようかな。

行きたい国はたくさんあるけど、アメリカ(シリコンバレー、ニューヨーク、ワシントン)ボリビア、ペルー、(コスタリカ)、中国、フランス

言葉、抑揚に心の本質が出る

またもイチローについて。

彼の言葉、特に映像で見た場合。
すごくズシーンとくる。

何でだろう。
やっぱり、自ら考え抜き、自らの道を持っている人間、そういう人は一語一語、そして言葉の間、抑揚、それらが普通とは違う。

普通とは違うというか、その言葉を発するまでの過程がしっかりしている。何をしゃべろうかと考えた過程のことを言っているのではない。人生そのもの、日々の生活、些細な行動、生き方、自分の道を考え抜いた結果として、コメントに重みが出ている。言葉に魂がこもっている。

これは、付け焼刃で見せ掛けだけかっこいい言葉を言ったとしても伝わらないものである。その人の人生そのものが関わってくる。イチローという人の今までの人生すべての結果として、自然とあのような言葉が出てきて、あのような間が取られ、あのような抑揚で、あのような表情が生まれるのだ。

よく聞くイチローのエピソードで、自分のグラブとかバットを非常に大切にすると聞く。グラブなどは小さいころから入念に磨き、何年も使ってきたと聞いた。

用具を大切にしたからといって、それ自体が野球をうまくするわけではない。いくら用具を大切にしても野球はうまくならない。しかし、直接的にはうまくならなくても、その用具に対する姿勢がイチローの野球に対する姿勢そのものなのだ。そしてその姿勢はすべての行動にも影響をしている。もちろん、このようなことは、彼から発せられる言葉にも影響をしている。

このようなことは彼から学ばなければならない。

頭の隅においておく。という言葉がある。
僕たちは何かを考えたときに、メモをしなかったら忘れてしまうことがある。忘れたと自分は認識していることがある。その時考えたことをそのまま引き出そうとしたら、出てこないかもしれない。しかし、一回でもそのことを考えたことによって、脳の回路は考える前とは違うはずである。すなわち、覚えていないと思った些細な思考も、脳には大きな影響を与えている。これはもちろん、発せられる言葉にも影響を与えている。こういうことの積み重ねが、発せられる言葉一語一語を決定していく。

中身のある、信念のある人から発せられる言葉はだから違う。一見するとたいしたことは言ってないかもしれない。テキストにすると、心のそこまで響いてこないかもしれない。しかし、直接話を聞いたり、表情などすべてを含めて聞くと、ガツーンと心に響く言葉を話す人がいる。それは、その人に信念があるからだろう。

信念を持った言葉を発する人というのは、同じような人を見抜けるだろう。付け焼刃でかっこいいことだけをいう人を見抜けるだろう。目の前の利益だけのために、その場しのぎのために嘘で塗り固めたことをいう人もいる。そういう人は人生も嘘で塗り固めているのだと思う。(まあ、そうやって送る人生もその人が正しいと思えば、僕にとってはどうでもいいのだが。)でも、僕はそういう人と話したいとも思わないし、同じ空間を共有するのも好きじゃない。

僕にはイチローやそれぐらいの信念を持った人ではない。まだ信念とまでいったものはないし、自分でこうしようと思っても出来ていないことがたくさんある、そんな程度の人間だ。でも、自分なりの美意識というか、自分が絶対に許せないこと、その場その場で思う、こう生きたいというものはある。いろいろな経験をし、考えることによる積み重ねで信念になっていくのではないかと思う。


そして、僕がすごく面白いと思っている方のぶろぐより引用


高貴と求道
 イチローの最初の2打席はテレビの
前で見ていた。

 言うまでもないことだが、感動した。
 二点。
 まずは、イチローが、記録のためでもなく、他人からの
評価のためでもなく、ただ自分の内部の目的、美意識
に従って自己修練してきた結果が、あの瞬間だった
ということ。
 自らだけが知る規範に従って厳しく求道する、
というのは、野球だけではなく普遍的な倫理基準だと
思う。
 そして、あのセレブレーションの気高さと美しさ。
試合途中だが、チームメートがベンチを出て、抱擁
する。
 シスラーの子孫と握手する。何の衒いもなく、
ただ、気持ちに寄り添っているだけである。
 美しかった。

 2チャン、テロ、IT企業の強欲。イチローの
あの歴史的瞬間に、人々の心の中で敗れ去ったものは
多いのではないか。

 テレビの害云々を言うえせ科学者や、
評論家は多いが、あのような
場面を見ない、ということの損失についてはどう
考えるのだろう。
 9/11テロの映像のように、見ていなくては
始まらない映像というものはあるものだ。

すこし、文章が荒いことがあるこの方だが、とても僕の視点と近い部分があるときがある。
僕も、あのイチローの打席とコメントを聞かなかったら人生の損失だと思う。

October 03, 2004

卒論テーマ

神経経済学 altruismやfairnessの概念

社会で言われているようにインドは世界最大の経済大国に数十年でなるのか?発展の理由は何か?卒論のテーマ ポイントカードの疑似マネーは実際の社会にどれほど影響をあたえるか?今後どうなるか? ネットで共有されることによる損害 オープンソースの経済的インパクトと問題 口コミマーケティング バイラルマーケティング 株やデリバティブなど架空のマネーが動く金融はどうなるか? 技術が経済に与える影響 21世紀は政治的技術的社会的にどんな世界か 南北アメリカ 中国フランスに行く

カメレール教授 カリフォルニア工科大学ビジネス経済学部教授 「行動経済学」「神経経済学」の研究者

インド議員調べる インド一兆円事業連発(日経に書いてあった。2004年9月中旬から末一面) 地下鉄などインフラが徐々に 日本を基準に考えるべきでないかも gsもブリクスでは後発発展と書いてあったし

クオリアと経済。カーネマン教授的な視点から。合理的な生き物ではない。

人の成長、教育と経済発展


ざエクスピアリアンスえこのみー 卒論とからめる 経験経済 生活の中にある商品が入り込みどんな価値を産み出すかをしめせるか

快楽消費
Holbrook 1982 Hedonic Consumption
3つのF Fantasy Feeling Fun

ペンローズ 量子と意識
茂木健一郎
高安秀樹 経済物理学
カーネマン 2002ノーベル経済

心理学、マーケティング、意識、脳、量子論、経済物理学、市場の動き、あいまいさ、カオス、記憶、消費行動、ゆたかさ、ゆとり、美、第3の場(レイ・オールデンバーグ フロリダ大)、消費者は何を求めるか、何を消費の決定要因としているか、株価の動き、為替の動き、複雑系、経験経済学(ディズニーランドなど)

これらをもとに経済活動分析
マーケティングの新しい枠組み、アプローチ
インドの発展を上記のような分析方法で研究

研究開始、英語の論文も、量子論も、経済の基礎も復習、マーケティングも、財務も、プログラミングも

ブランドとは ブランドが持つ意味 ブランドをどうやって作るか 意識が作り出すブランド 意識とブランド

ITベンチャーが成功する要因、R&Dはどれだけ意味があるか

apple,googleなどの企業研究

October 02, 2004

イチローが普段メディアにそっけないわけ

普段イチローはメディアに対してそっけない。
実際は面白く、明るい面も持っている人だと思う。
気の会う人とはケッコウ盛り上がりそうな人だと思う。
勝手な想像だけどね。

メディアは自分の意思と反して、てきとうに報道することが多い。
そんなメディアが嫌いという理由でイチローはそっけないのかもしれない。

しかし、これだけではないのではと、ふっと思った。
勝手な推測なんだけどね。

こんな感じ。
自分の精神のコントロールをメディアを利用して行っている。
ということだ。
これだけでは、意味が分からないかもしれないので詳しく書く。

イチローぐらいの選手になると、節目節目でインタビューなどを絶対に受ける。
ニュース性があるから、イチローはあまりコメントをくれないから記者はコメントがほしくてたまらない。
そんな節目は記録達成の目前だったり、優勝するなどの前だったりする。
このとき、すごくワクワクしていたり、ありえないほどのプレッシャーを感じていたり、緊張しているだろう。
でも、イチローはそんなそぶりを見せない。
淡々と、冷静なコメントする。
このコメントは自分のためにしているのだ。
冷静なコメントをあえてすることで、自分を高揚した状態から落ち着ける。この意味があるだろう。
(外部に宣言するって感じの意味もあるだろう。
外部に公言して自らを追い込むみたいな。)
精神を落ち着けて、次の試合に臨むことが重要だと知っているから。
平静を保つこの大切さを知っているから。
で、この冷静なコメントには他の意味もあると思う。

インタビューを受けたものはテレビで放映されたり、新聞記事になる。
見たくなくても、テレビで自分のコメントを聞くかもしれないし、記事が目に入るかも、周りからコメントに対する感想などを言われるかもしれない。インタビューのコメントは、ほかっておいても自分の耳に入ってくる。

自分の発言をメディアを通して聞く。
これは自分の発言なんだけど、いったん記者のフィルターを通り、メディアというものを通して聞くと、客観的な発言のような感じで自分で感じられるだろう。自分の発言を聞いて、改めて自分で実感するというか、発言したときとは違った意味を持って自分の中に入ってくるだろう。

ここに意味があるんじゃないかな。
いったん自分の発言が外に行き、もう一回自分に戻ってくる。そこで、自分にもう一度言い聞かせる。高揚した状態から我に返らせるような意味があるのではないか。精神を落ち着けて、また次の試合に臨む。

そうやって、メディアを利用しているのかなとふと思いました。

それにしても、達成したときのイチローの笑顔は本当にいい。
それだけの積み重ねがあるからあそこまで、いい顔で喜べるのだろう。

イチローという漢

今日は朝からイチローの話題で持ちきりだった。
僕もヒットを見てすごく興奮した。
彼はすごい。
自分の道がある。
その道を信じて、その道を生きている。

イチローに関するニュースはできるだけ見た。
ヒットの映像も、インタビューも。
毎回毎回、サブいぼが出た。
僕が尊敬するような精神の持ち主の話を聞いたときに感じる心の状態になった。

ニュースの中でも7時のNHKニュース。このインタービューは長かった。
普通ではカットされている部分がここではやっていた。
そのカットされていた部分が非常に良かった。
他のニュースは重要な部分を分かってない。
何度いろいろなニュース見ても、7時のニュースのコメントは放映されない。
さまざまなブログやニュース記事を検索してもかかれていない。
どうしようと思った。
そうだ、NHKのウェブニュースにないかなと思い、見に行く。
あったのだ。ぜひこれを見ていただきたい。
文章では伝わらないものがある。

このムービーから文字お越しをしました。
以下、その文章です。

イチローのコメント(NHK7時のニュース)

「はぁーぁー、ちょっと言葉には出来ない。
もう多分、少なくともこれまでの僕の野球人生の中では最高の瞬間でした。
激アツでしたね今日は。

(ここまでは普通のニュースやネットにも掲載されている。
ここから下のコメントがすばらしい。)

こういう数字ってのは時間が経ってとんでもないことだと気づくんだと、思ってますけど。この前のホームスタンドではすごくプレッシャーがありましたし、まあ胃が痛くなった程度だったじゃないですかね。やっている間にそのプレッシャーから解き放たれるというのは、不可能ですね。

よくプレッシャーがかかった中で、どうやってそこから抜け出すのかと聞かれますけど、その方法ってのはないですね。その苦しみを背負ってプレーするしかない。それを今回も強く感じました。

Qそれでもどきどきしておもしろいっておっしゃってましたよね?

イヤーもう最高ですよね。ものすごく苦しいんですけど、やっぱりどきどきする感じとかワクワクする感じ、プレッシャーがかかる感じってのはたぁまんないですからね。僕にとって。

うーん、これが勝負の世界にいる者の醍醐味ですからね。
それがない選手では、全くつまらないですから。
残りあっても10打席ですか、おそらくマックスで10打席なると思います、1球1球一打席を大事にしたいと思いますし、僕にとっては最高の野球シーズン最後をしっかりと終わらせたいとおもってます。

(ここまでが本当にすばらしい。
どうせなので、全文掲載。以下は上記の続きです)

弓子夫人もスタンドで見ていましたが?

どうでしょうね、今頃おそらく帰って晩御飯の準備をしてくれていると思いますけどね。
一番近くにいて、いろんなこと感じて、いいことも悪いことも辛いことも楽しいことも分かち合ってますからね。今晩は一緒に、一弓(愛犬)も悲しんだり喜んだりしてくれているみたいなんで、いい時間をすごせればいいと思います。

その他コメントもついでなんで掲載。

ちっちゃいことの積み重ねのみがとんでもないことを達成するためのタダ一つの道なんだなと思った。

「今シーズンはチームがなかなか勝てなかったが、その状況に身をゆだねてしまうことはできなかった。自分の中でモチベーションを『やる気』を作っていかなければいけなかった。プロは勝つことだけが目標ではないプロとしてどういうプレーをしていくのかが大切だと思っている」

日本でプロ野球でのシーズン最多ヒットとなる210本を打った1994年と比較して「あのころは若くて怖いもの知らなかった。今回の記録は怖さを乗り越え、自分の技術を確立して達成したものなのでまったく意味が違います」と分析していました。

「僕は大リーグでは体が小さいほうですが、こういう記録を作れた。これは日本人選手や日本の子どもだけでなくアメリカの子どもにも言えることだが、大きさや強さにあこがれ過ぎて可能性をつぶしてはいけない。自分の持っているものを生かした方がいいと思うし、可能性は広がると思う」

(心境は)ちょっと言葉にできません。少なくても僕の野球人生では最高の瞬間でした。
(新記録の瞬間、チームメートが祝福してくれたが)普段はなかなか言葉でコミュニケーションはできないですけど、こういうときにチームメートが熱い思いを表現してくれて、普段は感じられない言葉では分かり得ないものがあって、僕も熱くなりました。

 まずは一緒にシアトルにいる妻・弓子と一弓(愛犬)に感謝したいと思います。それから両親や友達にもお礼を言いたいです。

――記録達成への原動力は何か。
 野球が好きだということ。今季は、チームが厳しい状況で、そこから自分のモチベーションを作らなければならなかった。プロとして、勝つことだけが目的ではない。勝つことだけが目標の選手だったら、今回のようなことは無理だった。それは自分自身が自分自身に教えてくれた気がする。

――記録達成には重圧がかかったか。
 僕はやりたいと思ったことはやる。やりたいとか、やれるとか思うと、プレッシャーはかかるもの。注目を苦しいと感じることはない。注目をされないと僕らは終わってしまう。

周りがいようがいなかろうが重圧は変わらない。僕はやりたいと思ったことをやり遂げたいほう」と胸を張り、ヒットの原動力については「野球が好きだということ」

 ――自身の年間最多安打記録は破られるか。
 84年もなかったことだが、ここにやってしまった人がいる。自分がもう一度破りたい。
 ――次の目標は。
 次のヒットが目標です。 これで終わりじゃない。もちろんですよ

9月上旬に安打のペースが上がったころ、「普通にやっていれば(最多安打)記録は出来るかもしれないと思った」という。その後に1度、ペースが落ちたが、9月21日の試合で5安打。「また、可能性が出てきたと思った」と振り返った。

〜快挙達成のイチロー、一問一答(1)〜
by 丹羽政善


 1日のテキサス・レンジャーズ戦でジョージ・シスラー(ブラウンズ=現オリオールズ))の持っていたシーズン257安打というメジャー記録を84年ぶりに更新したシアトル・マリナーズのイチロー外野手。歴史的金字塔を打ち立てた試合後、その胸のうちを語った。



メジャー新記録を樹立した後、チームメートから祝福されるイチロー。(写真提供:AP/WWP)


Q:今の気持ちは。
A:(達成した)直後は、かなり熱かったですね。これまでの僕の野球人生の中では、最高に熱くなりました。(試合後にチームメートから)ビールを掛けられましてね、まさか最下位のチームで、ビールを掛けられるとは思わなかったです(笑)。

Q:257安打という数字は、いつ頃から意識し始めたのか?
A:具体的にイメージするようになったのは、当然200本越えてからですけれども、ペースが急激に上がった時がありましたよね。まあ、あの頃は「普通にやっていけばできるかもしれない」、そんな風に考えましたけれど、この前のホームスタンド(9月17日〜19日のアスレチックス戦)でなかなかヒットが出なくて、「厳しいかな」っていうふうに逆戻りして。アナハイムにいって5本、4本と(ヒットが)出た試合があったんですけれども、そのときにまた「可能性が出てきな」って思いましたね。

Q:メジャー1年目だった2001年と比較すると、今年はお互い知り尽くした状況での記録となったが。
A:2001年に残した記録とは、全く違うものだと感じています。日本で残した数字、210安打というのを良く思い出すんですけれど、1994年にやったその記録というのは、怖さを知らないで自分の力よりも大きなものが働いたシーズンだったんですね。でも、この2004年のシーズンというのは、いろんな怖さを知って、それを乗り越えて、自分の技術を確立した上で残した数字ですから、僕にとっては重みが全く違います。

Q:ヒット1本の重みとは。
A:状況によりますね。打てるぞって思うときもあるし、やたら難しいと感じるときもあるし、それはメンタル的なものも大きいです。やっぱり周りからの期待だとか、異様な雰囲気。そういうのに影響されることもありますし。常に安定した状態でっていうのは、まだまだできないですね。

Q:記録への原動力は何だったのか?
A:野球が好きだということだと思いますね。今シーズンに限って言えば、チームが勝てない状況が最初から続いて、そこに身を委ねることができなかった。自分の中からモチベーションをつくり出していかなければならなかった。ただそれっていうのは、これまでもやってきたことなんで、人が心配するほど大きな力はいらなかったんです。今シーズンここまで来て思うのは、プロとして勝つだけが目的ではないということ。これだけ負けたチームにいながら最終的にこんな素晴らしい環境の中で野球をやれているっていうことは、勝つことだけが目的の選手だったら不可能だったと思うんですよね。プロとして何を見せなくてはいけないか、自分自身が何をしたいかということを忘れずにやらなくてはいけないんだということを、自分自身が自分自身に教えてくれたような、そんな気がしています。

Q:子どもたちへのメッセージを。
A:僕がこちらに来て強く思うことは、体が大きいことにそんなに意味はないということ。ある程度の大きさっていうのはもちろん必要ですけれども、僕は見てのとおり、メジャーに入ってしまえば一番小さい部類。でも、メジャーでこういう記録を作ることができた。これは日本の野球選手、日本の子どもだけではなく、アメリカの子どももそうですけれど、自分自身の可能性を潰さないで欲しい。そういうことは強く思いますね。あまりにも、大きさに対する憧れや強さに対する憧れが強すぎて、自分の可能性を潰してしまっている人ってたくさんいると思うんですよ。そうではなくて、自分自身の持っている能力を生かすこと。それができれば、凄く可能性が広がると思います。

http://www.major.jp/news/news.php?id=2004100254

後悔という人生最大のリスクはとりたくない

楽天の三木谷浩史さんといえば、今野球で大忙しだ。
テレビなどのメディアでもよく取り上げられているので、世の中のほとんどの人が知っているだろう。

で、先日三木谷さんの話を聞いた。

今年の春も彼の話を聞いた。
そのときの話はそこまで面白くなかった。
ナルシストナ人だなと思ったぐらい。
一橋の入学式という場所だったのでつまらない話にならざるを得なかったのかもしれないが。

で、今回は前回とは違いかなり面白かった。
そこまでナルシストと印象もなかったし、
社会では三木谷さんは今あんまり良いイメージがないみたいだ。
後から野球参入を表明、ライブドアの後に仙台をホームにするなどがあるからだろう。
それとアドバイザリーメンバーがトヨタ、三井住友などのトップというのも受けが良くないだろう。

僕も、これらはどうかなと思う。
というよりも、ライブドアの方が想像も付かないオモシロイコト(常識はずれといわれそうな)をしてくれそうだから、ライブドアになってほしい。野球界にこんな転機はめったにないのだから、オモシロイコトをしてほしいから。

で、三木谷さんは野球関係でむちゃくちゃ忙しそうだった。まあ、そりゃそうなんだろうけどね。頭の中は野球でいっぱいだったっぽい。自分でもそういっていたし、話を聞いていてもそんな雰囲気が伝わってきた。僕が今回思ったのは、三木谷さんは読売じゃないかもしれないけど、誰かにそそのかされて野球参入を決めたなと。そんな感じが伝わってきた。いろいろな話を総合したり、雰囲気でそう感じた。印象的なエピソードを一つ言えば、野球のことがなかったら、今頃グーグルへ行ってカリフォルニアを満喫していたのに。みたいなことを言った。

グーグルのカフェテリアはむちゃくちゃイイらしいです。グーグルの人にカフェテリアが一番すごいからと三木谷さんは言われていたらしい。それで、楽天も社員食堂をヒルズに作るらしいよ。テキストじゃ伝わらないものってありますからね。

まあ、こんな野球の話はどうでもいいです。

三木谷さんのの話。

■ まずは会社の話。(あんま重要じゃない)

楽天はショッピングモール参入は後発だった。NTTとか大きなところが何社もやっていた。でも出店料が高かったり、システムがむずかったらしい。そこで、5万の定額で、手軽に出店できるシステムで参入した。初めは資本金2000万。サーバーも自分たちで準備したらしい。13店、850商品でのスタート。

一方今といえば、ヒルズに4000坪、1381人の社員、楽天市場の売り上げは8億円/一日。グループでは14億円/日。らしい。850万商品あるらしい。経常利益は160〜170億円。でっかくなったもんだ。

infoseek,mytrip,Ynotなどなど、買収している。そして会員を囲い込んで会員データベースを統合、single loginですべてのサービスが出来ることを目標にしているらしい。pointも全部で使えるなどone stop serviceを目指している。で、一番はrakuten booksで本を買ってほしいらしい。このためにDBの統合やpoint制度をやっているといった。本をオンラインで売るのってそんなに儲かるのか?アマゾンもそこまで儲かっているように聞かないし、うまい話ではない気がするが、何かあるのだろう。

いろんな会社を買収している楽天だが、楽天とサービスメイを変更したものとそのままのものがある。今回の野球の件で楽天と名のつくサービスはアクセス数30%アップ。しかしブランド名が買収前と同じサービスは変化ナシ。ブランドネームの重要性と、名前の統一の意義を感じたそうだ。ライブドアもアクセスがアップしたというニュースが出ていたしな。名前を売るって重要だよな。


■ 日本のうまくいかない企業
・Agency Cost
株主、経営者、従業員の利益が相反関係にある。だから、どれかが常に不利益をこうむることになる。いかに3者の利益を同じ方向に向けるかが重要。(ストックオプション、オーナス経常利益連動など)

・既得利益
制度・規制に守られた企業→将来性や、エキサイトメントなし

・いきすぎた年功序列
→若い優秀な人材ではなく、昔からの社員優遇

・産業の陳腐化
→IT化の流れに遅れ、将来性ナシ

彼、曰くこんな企業はもうだめ。

興銀のシステム開発料は3000億円、新生銀行は10億とか言ってた。新生の情報センターみたいなところにはデルが大量に並んでいたみたいです。

楽天も普通500億ぐらいかかるシステムを50億でやったらしい。

■ 三木谷的ベンチャー論

・草ベンチャー(パン屋とか、小さなお店。小さなままの会社。アメリカではstreet businessというらしい)←これがいいとか悪いという話ではない。個人のやりたいこととマッチしていればすばらしいこと。

・幹となるベンチャー(雇用を創出し、社会を変える企業。マイクロソフト、オラクル、シスコなどなど・Professional Venture)

どれくらいの会社にしたいかは、あらかじめ決めておくべきである。

ヒッピー的にやりたいことをやるのは無理。プロフェッショナル意識を持って自由にやる。

環境や予見を決め付けて、人間は壁を作ることが多い。初めから無理と決め付けない。何かを変えて達成できないかを考える。たとえば、予算を増やして時間短縮など。

通常の会社は12ヶ月かかる仕事。ベンチャーは通常の会社ではない。だから何とかして時間を短縮してやるのだ。

■ 楽天の目指す企業像

・できる人間が切磋琢磨するビジネス界のメジャーリーグ
・アントレプレナーマインドあふれる創造的集団
・ゴールオリエンティッドなプライドの高い集団
・仕事のできる人間になれる最高の職場
・フェアなリターンが得られるプラットフォーム

勝たないと意味がない。会社・人生は面白くなきゃ意味がない。
決してあきらめない。常に前に進む。

■ 必要なもの

・スキル
・ナレッジ
・マインド(目標達成意欲、自己成長意欲、CSマインド、プロフィットマインド、チャレンジマインド)

変な細かな知識は後で勉強すればどうにでもなる。マインドが最も重要。
まずはいろいろな経験をたくさん積み、精神的に強くなる。これが一番大切。

コミュニケーション能力も大切。

■ エピソード
・消費者は100円、200円ぐらい値段が違ってもあまり気にしない。
・会社設立に作ったロゴ、明朝体で楽天市場=5万円。現在のゴシックロゴ=250万円。世界進出のローマ字のロゴ=7000万円。
・会社を始めて一番の決断は、出店料を定額5万円から5万円プラス売り上げに応じての課金に変えたとき。このときは悩んだがそうしないとサービス継続は無理だった。出店数が10店になってもやる不退転の決意だった。
・楽天市場という名前は純日本的でITッぽくなく反対された。しかし反対されるとやりたくなる。みんなと同じことはやりたくない。だからよけい楽天市場という名前にしたくなった。

■ 印象に残った言葉
・会社を成長させるポイントは「大きな目標をたて、それを社員、メディアなどに言い続けること」
・変な細かな知識は後で勉強すればどうにでもなる。マインドが最も重要。
 まずはいろいろな経験をたくさん積み、精神的に強くなる。これが一番大切。
・会社はつぶれても死なない。それに、人間はいつかは死ぬ。地位や金はそこまで重要じゃない。
「後悔という人生最大のリスクはとりたくない」
・直感で意思決定することが多い。その後根拠付けを行いビジネスプランニング。
・直感で間違ったらすぐやめる。
・花形セクションに初めから入ると成功しない。地味なセクションでも学ぶことは多く、腐らずに自ら改善点探し、腐らずにまじめにやる。これは後々大きなプラスになる。

以下は楽天を楽天たらしめている、三木谷浩史を三木谷浩史たらしめている考え。

成功のコンセプト
by三木谷浩史

■楽天の目標

世界一のインターネット・サービス企業

■楽天における5つのコンセプト

1)常に改善、常に前進
人間には2つのタイプしかいない。

【GET THINGS DONE】
様々な手段をこらして何が何でも物事を達成する人間

【BEST EFFORT BASIS】
現状に満足し、ここまでやったからと自分自身に言い訳する人間。
一人一人が物事を達成する強い意志をもつことが重要。

2)Professionalismの徹底
楽天はプロ意識を持ったビジネス集団である。
勝つために人の100倍考え、自己管理の下に成長していこうとする姿勢が必要。

3)仮説→実行→検証→仕組化
仕事を進める上では具体的なアクション・プランを立てることが大切。

4)顧客満足の最大化
楽天はあくまでも「サービス会社」である。
傲慢にならず、常に誇りを持って「顧客満足度を高める」ことを念頭に置く。

5)スピード!!スピード!!スピード!!
重要なのは他社が1年かかることを1ヶ月でやり遂げるスピード。
勝負はこの2〜3年で分かれる。

イベントに大切な三要素

連帯感(地域性、フランチャイズ、参加意識)
競争心
ドラマ効果(主役、動き)