なんか、僕の心のそこの思想を分かっている人が少ない。
金というような、人が作り出した指標で、目に見える形で他人より優越感を味わうとか、社会(みんな)が作り出したが、みんなが望んでいないくだらない正しさに無理やりあわせる。こんなのどうでもいい。でも、そんなものによりすがって生きている人が多い。僕もまだそんな気持ちがある。
大学はそれらの精神を知ることだと思う。モラトリアムに関するエントリーでも書いたけど、無駄に実学に走ることはない。中学とか高校でもそういうことについて考えてもいいのだが、経験が少なすぎるし、影響を与えすぎて社会で生きていけない人間になりそう。しっかりした教育のもとで行えば問題ないかもしれないが。あと、思うのが、ある種の経験や学びを通した後でしか分からないものがあると思う。物理学を極めそれを踏まえた上で、出てきたものが複雑系ってのと、特に何も学ばず複雑系を学ぶのや考えるのでは意味が違う。物理学を通してからでしか考えれないこと、感じれないことがある。一方でいきなり複雑系をやった人にしか感じない疑問や質感もあると思う。どちらがいいとか、どちらが成功するかは分からない。多様性があった方が、いろいろなアプローチがあるんだから、いろんな人がいた方がいいと思う。これは、学問ではなく世の中のほとんどのことに言えると思う。
上のことを書いたんだが、いいたいことは違う。頭に浮かんでいた感覚と違うことしか表現できなかった。もっと、ナイーブなことをかきたかったんだが。言葉を知らなさ過ぎるのかな。それとももっと考えて時間をかければいいのかもしれない。とりあえず、今は時間がないから、無理。また、考えよう。
やっぱ、将来は坊さんか山奥でくらしたい。
という意味で、木曜日に会う芸大の人は分かっている。
かといって、芸術とか好きなことだけでは生きていけない。自分の本質を見つめて、見つけて、それを踏まえた上で社会に出て行きたい。哲学があれば、社会(みんな)が作り出したが、みんなが望んでいないくだらない正しさに無理やりあわせなくても幸せな人生が送れると思う。
それを踏まえて、社会という現実で生きていければと思っている。くだらない、無駄なもの、俗物に振り回されない生活がどれほど豊なものか。これは計り知れないものだ。
僕は自己満足は生きるうえで最重要だぐらいで言ってきた。自分が納得するということは今でも、もちろん重要だと思う。もっといえば、考え方事態は変わっていないが表現が変わったと思う。で何かというと、完全な自己満足と、自己満足ではない外部に対して意味のあることの境でいることの難しさ、意味を言葉として感じたからだ。僕は前から自己満足が最も重要だといってきた、しかし、僕の周りにいる人の目には、僕という人間が完全に自己満足のみという風にはうつっていなかったと思う。少なくとも、そう思っている人がいると、僕は思っている。その点で、今までは、口では自己満足がすべてのような言い方をして、行動・その他の言動などでは、完全にそうなっていなかった。でも、完全なる自己満足と、社会的に意義のある、インパクトのあること(自分の信念を伝える。)の狭間でいることの難しさと意義を言葉として感じた今としては、言葉と行動を一致させる必要があるのかもしれない。行動を言葉に一致させる必要がある。それがまさに「完全な自己満足と、完全な自己満足ではない外部に対して意味のあることの境でいることの難しさ、とその大きな意義」という表現だ。これが行動と似ている。
完全な自己満足を極めるのも難しいが、言ってみれば世捨て人的な、はずれた人といってもいい。具体的に言えば、何かあっても、俺にはどうでもいいことだ、って言ってしまえば、自己満足をベースにする人はすんでしまう。ある種、逃げのようなものが自己満足にはある。一方で、自己満足とそうでない境にいるということは難しい。バランス感覚が非常に重要だ。このポジショニングを取れる人はめったにいないと思う。しかし、非常に重要な人である。自己満足を踏まえ、そうでない外部に対しての意義も踏まえなければならない。どんな問題があっても、それを放り投げることは出来ず、問題と正面から戦わなければならない。しかし、このポジショニングでしか出来ないことがたくさんあるし、僕もそのような立ち位置を目指している。
もちろん、自己満足であるということは重要で、それを踏まえた上での境のポジショニングを取ることの意味を感じた。
みんなに、こうなれといっているわけでなく、コレがベストだとも言っているわけではなく、僕がそうなりたいと思っただけです。これは、僕が前から芸術家だけは自己満足だけでイイといっていたが、この立ち居地を取れる芸術家も非常に面白い存在だと思う。
「みんなに、こうなれといっているわけでなく、コレがベストだとも言っているわけではなく、僕がそうなりたいと思っただけです。」本当はこんなこと書きたくない。理由は2つあって、一つは僕が書くことというのは、僕の考えで、そんでもって「今」の考えだ。だから、何も言わなくても、すべての僕の言葉の前に「僕が今思うのは、」ってことが付くのが当たり前であるからです。2つ目に、言い訳をしているみたい。あらかじめ防御している。それは、めんどくさいことがいやだからリスクヘッジといえばそうだが、なんか個人的に逃げは嫌いだ。昔、どんなことにも例外があると思っていたので僕の発言にはいつも、「基本的には、」って言葉がついていた。しかし、あるとき、そんなの必要ないと思って最近は言っていない。なんかあったときの逃げだと思うからだ。言葉だけだったらいいのだが、その言葉が僕の心のそこにある考えに通じていて、行動にも影響を与えると思う。だから、逃げの言葉は使いたくない。だが、最近書いてしまう。
僕にとってはどうでもいいことに関して、興味を持っていたりする人がいる。そりゃ当たり前だし、いた方がいいと思う。ここで言う関心のあるなしの対象は個物具体的なとあるブランドだったり、好きなテレビ番組とかそういうことでは全くない。生きるうえでの話である。これじゃ、曖昧すぎるが、生きるうえで大切にすることってな感じだ。
その人の生きるベースとなるものが安っぽいなという人とは話してこなかった。話そうと思ってはいたが、話してきたとは自分なりに思っていたが、腹を割っては話すことはなかった。僕にとってはどうでもいいことに関してだったからだ。もっと言えば、そのような人間自体に興味を持っていなかった。
しかし、それだけでは足らないと思った。腹を割って話してみて分かることがあるかもしれない。
自己満足と自己満足ではない狭間、エッジを生きる
理念や、最終的に達成したいことなどの思想的な面に興味がある。その考えに共感するタイプだ。はっきりいってそれを達成する手段にはそこまで気にしない。理念が達成できるものであるならば、絶対コレでないといけないということはあんまりない気がする。
それに、同じ思いを持っていた、同じような感情を抱いているけどそれを今まで共有できなかったが、共有できたことに喜びを感じた。その人に会えたからというのではなく、感情を共有できたことがうれしかった。
岐阜を出てきた人は、岐阜を見捨てたわけではないが、見切りをつけた人もいれば、外からみるためにって理由もあるだろう。未練があるにしても岐阜にいないわけである。その人たちが本当の意味で岐阜のために何かできるか?やっぱり地理的に岐阜にいないと難しいと思う。それか、東京にいても、覚悟を決めるということが必要だと思う。その活動をメインにおくという覚悟。それぐらいの決断を出来ないと思った。
岐阜の方々と一緒にいて気がついたこと。
実は岐阜を出てきて、岐阜に思いがある人はたくさんいる。
普段はそんなこと言ってなくても、その思いを行動に移していなくてもたくさんいる。
話していて気がついた。
これは難しい。完全に自分の立ち位置というものを自分で決めてしまって、その檻に入ってしまう可能性もある。
しかし、全体を見て、考えるそのうちに立ち位置が見えてくるのかもしれない。その立ち位置を踏まえた上で発言し行動する。それは大きな制約にはならないかもしれない。
自らの立ち位置。コレは難しい。覚悟とか吾人の任務とも関わってくる。
今日、それは僕にとって面白い日。楽しい。辛くもあるのだが、それだからこそ楽しさがある。自分が何も知らないことを知り、自分が何も考えていないことを知り、自分とは全く違った考えを聞ける。こんな機会を持てた僕は、自分でも幸せだと思う。大学のうちにもてたのも非常にうれしい。
前にも書いたと思うが、(草稿のままの可能性あり)「覚悟」これが重要なポイントになってくると思う。それは人生においてだ。これは他人から見てもなんとなく感じるものかも知れないが、やっぱり本人だけしか分からない。人生において、いつ「覚悟」を決めるか。とある同じ道を選択した、二人がいたとしても、片方は覚悟していて、片方は覚悟してないこともある。覚悟というのは単純に行動として現れるものでもないと思う。日常の些細なこと、考えの根底には覚悟が大きな影響を与えると思うが。
で、この「覚悟」をいつするかってのが人生でポイントになると思う。早く覚悟したからいいとも思わないし、一生覚悟できなかったから悪いとも思わない。しかし、僕の人生には「覚悟」することが必要だと思うし、覚悟したいと思っている。それでしか、見えないものがあると思う。覚悟というのは吾人の任務とも大きな関係があると思っている。
覚悟する日まで。
本質、なんてない。ブランド物をまとっていることだけでしか自分を表現できない人。この表現は完全に否定的な表現だ。僕はこういう人たちをあまりたいした人間とは思っていない。基本的に十人十色って考え方だから、そういう人がいることも分かるし、いてもイイと思っている。でも、僕の中では安っぽいとか思っているけど、実はそう簡単に言い切れない。
同じにおいのする人、なんか通じる人。この人は分かってる。そう感じる人が何人かいる。
酒が飲めるとかいう歌があった、月曜日は何チャラで酒が飲める、火曜日は何チャラでって感じで。僕の言いたいのはこの歌と正反対のような人を同じにおいのする人といっている。というのも、なんかイベントだとかプロジェクトだとか組織だとか、それらにかこつけないと一緒にいられないような仲ではなく何もないのに一緒に入れる仲の人は比較的通じている人なのだと思う。
具体的にこの条件を満たしているとかそういうことではない。
ラーメン二郎というお店が大学の横にある。支店もいくつかあるのだが、大学の近くにあるのは本店。川崎とか武蔵小杉などにも行ったことはあるがやはり本店がうまいです。
うまいという表現を使うと、お前はおかしいといわれそうですが、まあ気にしません。特にスープがうまいです。そんなラーメン二郎とはこんなものです。←をクリックするとグーグルのイメージ検索の結果が出ます。
この二郎が気合はいってます。>←をクリックするべし。あの盛り付けはある種の芸術です。器からこぼれない限界。なんて美しい。笑
で、このラーメンは一回食べると病み付きになります。何でかは分からないんですけど。じゃあ、きれいでうまいかと言うと、単純にそうでもない。ただ安いことは確かです。でも、安さだけで、あれだけ並びません。昼間なら2,30人並んでいます。やっぱ病み付きになる味という表現が一番的確です。もちろん病み付きにならず、一生に一回の経験でいいという人もいます。
で、何で二郎にひきつけられるかといったら、あの安さ、ボリューム、ネタっぽさ、わが道を貫く精神でしょうな。500円で普通の人なら食べきれない量があります。豚肉も分厚くてうまい、野菜の量や親父さんのキャラはネタっぽいです。店の汚さや壁に貼っていある二郎の家訓っぽいものもネタです。で、ここまでに書いてきたことは、わが道を行く精神に尽きます。きれいでおしゃれなラーメン屋が雑誌で紹介されテレビで紹介されもてはやされる、若いカッコイイ店長がいる、スープはなんか知らんが流行の味で、トッピングと称していろいろのっける。蓮華とか言う必要のないものが付いてくる。そんな安っぽさはない、迎合しない感じ。それが二郎にはあるのです。そこに、惹かれるのだろう。
二郎のことをほめすぎましたかね。でも、相当賛否両論あると思いますが一回は行くべきです。もし行きたい人がいたら、一緒に行きましょう。平日の12時ぐらいまでに連絡をもらえればいけると思います。それかPCにメールでもください。
まあ、このブログからのみ知る私と、実際に会ったときに持つ印象はかなり違うと思いますよ。
ゴッゴル の検索結果 約 114,000 件中 1 - 100 件目 (0.20 秒)
正直、驚きです。2004 年 10 月 17 日 から始まっただけなのに、たった十日で114,000 件のヒット。
ゴッゴルという何の意味もない単語をgoogle.co.jpで検索してトップに来るのを競っているのです。それでそのランキングコンテストが17日に始まって10日でgoogle.co.jpで114,000 件のヒット。ネットってパワーありますね。一人一人がやったことをみんなが見れる。こんなメディアは他にないからなぁ。
ゴッゴルゴッゴル・・・って下痢になって腹がなっているみたいな音だ。
ゴッゴルとgoogle.co.jpで検索。
友達の条件
・ひとつのプロジェクトをみんなで魂を注ぎ込んで達成したとき
・人生や社会問題ついて正直に朝まで語り合う
・恥ずかしい、あほなことを共に出来る
・自分の本心を相手に伝える(感性があっている)
・お互い無言でいても違和感のない人(ネタを考えて話そうとしなくていい雰囲気を作り出しあえる人)
僕は、自らメールを送ったりメッセで話しかけたり電話をしたり直接会うということは少ない。別に特に理由はないのだがあまりそういうことはない。それでも、連絡をくれる人はいる。ありがたい。薄っぺらい友達関係はあまり興味がない(そういうこというと友達なくします。笑
でも、何人かは自分と同人種とかんじたり、この人は人生や世の中分かってるな、この人俺のこと分かっている、なんとなくあうという人がいる。それは、連絡する頻度だったり、会う回数じゃないと思う。2,3度しかあっていない人でもそう思う人も何人かいる。
最近、やっと分かる気持ちがある。それは昔大人が言っていたことで全く分からなかった感覚。年や経験をつまなければ分からない感覚とはあるものなのだなぁ。
たとえば、親が叱るのは子どもがかわいいからというやつです。昔は分からなかったなぁ。今となってはすごく分かる。本当に大切な友達だったら、真剣におかしいことがあったら怒ってでもいってあげる。まあ、コレは一例で、僕の言いたい本質ではないんですけど。
絶対違っていると思っていた、自分は未熟だったのだ。
時が経たないと分からない感覚。もっともっとあるのだろう。また、時が経ち先人が教えてくれた感覚を味わえるのが楽しみだ。
あと、いつも言っているんですけど、僕は具体例は仕方ないから使っているのです。僕の言いたいことはだいたいもっと曖昧なことです。僕の思っている何かは抽象的な思い・考え・感じることです。でも、それを体で表現したり、絵で表現したり、詩や歌で表現する手段を持っていない。持っているかもしれないが、自分では自分が行うそれらで伝わるとは思えていない。だから僕は、具体例や言葉で表す。僕が今もっている手段ではそれが一番伝わりやすいと思っているからだ。
そもそも、相手の言っていることを理解することなんて本当は出来ないのだろう。僕がうまれて育ってきた環境、体験したこと、出会った人、親友は僕にためだけにあったものであり、他の人は絶対感じれなかったものだ。まあ、生まれた時点で個体として別なんで、その時点でも絶対体験できないんですけど。それで、僕という人間が唯一の存在で、この経験をしたから感じることがある。他の人には全く分からない感覚。ある部分は共有できても完全には出来ない。とある二人が同じ文章を偶然、奇跡的に書いたとしても、心の中で言いたかったことは全く違うはずである。言葉の意味だって人それぞれ捕らえ方が違う。「腹が減った」という言葉でも、人それぞれどの具合から減ったと表現するかは違うし、その状況によっても違う。たくさん食べて腹が満たされることを腹が減ったという人はほとんどいないと思うが、同じ単語でもそれぐらいの差がある場合もあると思う。認識の違う単語なら、辞書とかで意味を共有すれば言いといっても、辞書に書かれた説明に使われている単語にたいする感覚も違う。当たり前なんですけど、ブログのエントリーを見て思いました。それでも、通じる人がいるのも事実で、それは僕にとってうれしいことだ。本当に通じているかどうかは確証はもてないが、そう感じることがある。
聴衆からの拍手。これを歌う源泉としている人がいた。楽器をやる人や歌う人には多いみたいだ。絵などの芸術と違い、人の前でやることであるから、拍手が源泉となっているのだろう。ドラマは出ないけど、舞台はやるという人はこの拍手がモチベーションの大元となっているのだろう。で、僕は、聞いた。拍手をもらう経験を何度もしたら、自分を突き動かすものとしての力が小さくなるのではないか?と。しかし、コレは違うらしい。全く、小さくならないようだ。そんなちゃっちい物ではないみたいだ。正直、ショックを受けた。人間同じことを繰り返せば、あまり衝撃を受けなくなったり、当たり前のものになれば何かを感じにくくなるものだという認識が僕の今までの人生ではあった。しかし、そんなものではないみたいだ。僕が言っている、信念とか、あるものに対する思いというのはそのような境地に達してこそ感じられるものなのかもしれない。僕も、いろいろなことを経験したり、感じたり、考えたりするうちに、そのようなものを見つけたいと思っている。
この前、大学で国谷さんの講演があった。クローズアップ現代のキャスターさんだ。
テレビで見ていてもいかにも頭のいいキャラ。オーラが出ている感じの人。仕事が出来そうで、キャリアウーマンを目指す女の人の憧れっぽいキャラ。僕にはそううっていました。その人が大学に来たのです。時間もあったので、行って見ました。すると、会場は人であふれかえっていた。正直驚きました。失礼な話なんですけど、そこまで有名じゃないと思っていたので最近の若い学生は見向きもしないかと思っていました。僕の若者を見る目もたいしたことはないなぁ。
目盛ったことを列挙します。
何度も言っていますけどブログは僕のためだけのメモです。別に誰かに読んでほしいから書いているわけではありません。だから誤字脱字が多いし、日本語も下手で、改行もありません。しかし、僕にだけは僕が書いた文章からそれの持つ質感が伝わってくるのです。何でブログかって言うと、デジタルで残すと便利でPCにデータとして残す、じゃあついでなんでブログにアップしようと。ブログは外部からでも検索できるし便利なのです。そんな感じです。別に人気ブログにしようとか全く思ってません。だから、本名も身分も何も書いてないのです。そんなことはどうでもいいので、メモ開始。
PCを感性を伝えるツールにしたい
世界に自分のアイディアを広めたいと思いで起業 ジョブズ
鳥肌の出る感動 高倉健
自分の限界は自分が作っている フィオリーナ
自分に親切にする=自分にチャンスを与える アキヨシ・ピアニスト
フィオリーナ(HP社長)の強み コミュニケーション力=多くの聴衆の前で話していても一人一人に語りかけているように話が出来る。パッションを持ったコミュニケーション力
インタビューに準備をしなかったら相手にばれて、深い話が出来ない。インタビューは真剣勝負であり、準備が必須。そして相手と同じ土俵に立つ。しかし、準備通りにインタビューするのは不可能である。質問などはあらかじめ考えたり、インタビューの流れを想定するが、その場の実際の話の流れを最も重要視すべき。その人の本質をその場でつかみ話す。
下調べはするが、インタビューではいったんそれを忘れてインタビューする。
ゴーン(日産社長)の話
曖昧な言葉で質問すると、曖昧な言葉でしか答えが返ってこない。性格で具体的な質問をすると、性格で具体的な答えが返ってくる。その答えには責任が付いてくる。(ゴーンは言葉の壁があるから、少ない質問で本質をつかむ必要がある。)会議の前に言葉の定義を行う。
会議の進行役のプロを育てる。フェアな議事進行。
ジャーナリズムとは常に批判的な質問をすること=どんな人、たとえ老人であろうと確認作業をするのだ。
キャリア 自分で自分の道を見つける。
昔の日本人は会社で育ててくれた、だから今の大人は自分の人生なんて考えていない。今の若者もそう教育されていないから考えられるはずがない。社会情勢がキャリアについて考える必要性を唱えているだけ。大卒で分かるはずがない。8年かかってキャスターという仕事に出会えた。
自分を鍛えてくれる。育ててくれる、考えるチャンス、チャレンジできる職場がファーストキャリアにはよい。自分が本当にやりたいことでなくてもとりあえずやってみる。
インタビューの準備で気を使うことは?
幅広く読んだり聞いたりする。直近の出来事は必ずチェック、絶対抑えるポイントを考える。それ以外は生きてきた全体像を考える。人生で一番楽しそうなときを想像する。インタビューする人に関心を持つ。その関心をいろいろな角度から質問。
関心がわかないときは、その人について調べることによってモチベーションをあげる。情熱をもてなければ普段の何倍も時間をかける。
インビューの前は話がちぐはぐになったらと恐怖感・緊張感がある。毎日それをクリアしている。
多角的な視点で伝える。
頭のいい奴は偏見がある。コレはフィーリングで言っているのではなく、それなりの理由がある。別に完全に悪い意味で言っているわけではないが、頭がいいといわれてそれだけで満足して、見落としがちな面を言いたいだけである。
ここで言う頭がいいとは、会話をしていていろいろな知識を持っていたり、的確な返答をする才能がある人のことです。
で、こういう頭のいい人はなんで的確な返答が出来るか?それは幅広く深い知識と、さまざまな経験、常に頭を働かせ考えている、自分の考えをまとめていたり、話したりしているからだと思います。さらに、相手の次の発言を相手の知識・思考を踏まえた上で予想しているから。コレ自体はどれも悪いことではないし、むしろすばらしいことだと思うのです。こうしているから話がスムースに進むのだし。だから頭がいいとほめられるのだし。
しかし、これらは偏見に満ちている。というのも、知識がある、コレじたい偏見であふれかえっている。何かを知るということは、自分なりに解釈するわけです。その解釈にはバイアスが入る。で、頭がよいとされる人たちの頭の中は整理されていると思うのです。話しているときに、話題に対してすぐに脳から知識を引き出してこれる、そのためには分類訳して脳の中に記憶している。そう思うわけです。意識的にやっていなくても、そうなっている可能性があると思う。で、分類して記憶しているってのは偏見が生まれるのです。すべてのことはそんなにうまく分類訳できません。ここで無理やり分類しているので間違った記憶というか、偏見、バイアス、そんな感じのものが生まれると思うのです。
さらに、相手の言うことの先読みをする、すると返事が的確になったり、すばやく返事できるわけです。しかし、それは相手をこんな人間だと決めてかかっているからそのような先読みが可能なわけです。ここでも偏見が生まれるわけです。とまあ、頭のいい人といわれる人の会話における思考には偏見が生まれやすいとそう思ったので、気をつけましょうと。
ようは、頭がいいといわれる人は物事を一面的に捉えたり、無理やり枠にはめて捉えたり、むりやり分類して記憶していることがある。それは偏見につながることがあるから、常に意識しているといいかなぁと思っただけです。
僕がいつもエントリーしていることは、他人に言いたいから書いているのではなく、自分で書いて自分を戒めているのです。それか、自分の記憶とそのときの感覚を取り戻すメモです。別に僕はこのエントリーで書いた頭のいい奴ではないけど。
脳が動いている感覚?
なんか考えたり、イメージを想像するときって脳が働いている感覚がありませんか?それは、実際に脳が活動しているからそれを細胞が感じ取って脳が働いていると感じるのか、人間は脳で物事を考えると知っているから、その知識から脳が働いていると感じているのか?はたまた、物を見るときのような映像を見る感じが起こっている?コレ意味が分からないと思うんですけど、僕が言いたいことは、人間が物を見るというのは目だけで行っていない。目からは情報を得ているだけで実際は脳で見ている。だから目がなくても見ること(≒想像)はできるわけです。で、この見ているときの脳の状態が起こっているから、見えているから脳で考えていると感じるのかな?
よく分からないけど、素朴な疑問だなぁ。
購入したのは米ボーイング747−400F型。胴体にペンキを塗らないと従来より約150キロ軽くなり、1年で羽田−札幌往復分にあたる約4万リットルの燃料が節約できるという。
塗装をしていない飛行機はケッコウかっこいいです。それよりも塗装しないだけで150kgも軽くなるらしい。飛行機に塗装するペンキの量は150kgなのかと驚く。150kg軽量化しただけで、1年で羽田−札幌往復分にあたる約4万リットルの燃料が節約出来るのも驚き。多分、1年間この貨物を通常のフライト数で計算して4万リットル節約できるんだろう。
となると、デブな人が乗ると相当燃料使うのだな。荷物で重量オーバーで追加料金があるのも重量に燃料の消費量がケッコウ影響するから。じゃあ、体重の重い人からも追加料金ってね。冗談抜きでそんなことも考えられるよな。
客が全員「小錦」だったら日本からノンストップでイギリスとかいけなさそう。誰かそんな試算していないかなぁ。
原油価格高騰の中、日航は機体の白い塗装を省くことで軽量化し燃料を節約しようと、無塗装の貨物機を購入。16日、腐食防止や光沢の維持のため機体表面を磨く作業を、成田空港の整備場で始めた。
購入したのは米ボーイング747−400F型。胴体にペンキを塗らないと従来より約150キロ軽くなり、1年で羽田−札幌往復分にあたる約4万リットルの燃料が節約できるという。
作業は機械を使って、アルミ材の表面を磨き上げ、表面にできる酸化被膜で腐食を防ぐ。作業終了後の25日にはピカピカに輝く機体が、関西空港への初フライトに臨む予定だ。
(共同通信) - 10月16日17時10分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041016-00000092-kyodo-soci
「人体通信」の実用化に成功
手を触れるだけでデータ通信する「タッチ通信システム」販売開始
松下がこんなものを売り始めた。体脂肪計ぐらいの電流が流れるだけらしい。WBSでやっていた。8人ぐらい手をつないでも問題なく使えていた。これも面白い技術で、ライフスタイルを変えるかもな。コレを使ったらどんな生活になるのか、どんなビジネスができるのか想像してみる。
明らかにめんどくさいこととかをコレで簡単に出来るといいねぇ。でも、味気ないかもね。なんか人間って目に見えるから落ち着いたり、何かをもらったという満足をしたりするから。だから、インターフェイスを工夫するとか、エンターテイメント性を加えるとか、わざと目に見えるものを動かすようにするとか。
RFIDとか携帯にカードが全部入っちゃたり、カメラが付いて、ICレコーダーが付いて、まあ、PDAッぽくなって定額になる。ああ、文字入力のブレイクスルーも必要。フェリカ(お財布ケータイ)がPCで手軽に使えるようになったり、そうすればインターネットにおける決済が楽になる。するとオンラインショッピングのあり方がかわる。人体通信で握手するだけでデータのやり取りが出来たり、物が注文できたり。
この上の文章は日本語がおかしいけど、まあそれはおいといて。これらのことは3年以内には実現化しているから、面白い世の中になっているだろうなー。それを見据えた上で行動するんですよね。
http://www.mew.co.jp/press/0409/0409-3.htm
松下電工株式会社は、人体を通信ケーブルの代わりに利用して、近距離のデータ通信をおこなう「人体通信」の実用化に成功。対面販売計量プリンタへの商品データ入力装置として、計量器メーカーへの販売を開始しました。
この「タッチ通信システム」は、人体に微弱な電流(交流)を流し、その電流にデータ(情報)をのせることで通信を実現する新しい通信方式で、腕時計型などの通信機を着けた手で情報端末の電極にタッチするだけで、データ通信が可能です。また、専用チップを用いた小型化タイプでは、人―機器間だけでなく、人体―人体間の通信も可能です。今後、この技術を応用した新しいシステムを展開します。
理念とか、思想、何をやりたいか、最終的に何を達成したいか、どんな幹事のものを望むかということが僕の中では大切で、そのプロセスや手段にはあまり興味がない。最終的なゴールが達成されるなら、その手段はどのようなものであろうと、楽しめるし一生懸命取り組める。
自分と同じ気持ちを持っている人がいることに喜びを感じる。同じ体験をした人がいるとうれしい。思いの共有はうれしいものだ。
世の中なんか達成しようとしたら「覚悟」がいる。人生「覚悟」出来る奴と出来ない奴で全く違う。
人間は2種類、覚悟した奴と、覚悟できない奴。覚悟した奴の発揮するパワーは並大抵のものじゃない。失うものがない感じで。自分の吾人の任務を達成するためには覚悟がいる。まずは覚悟を決めてそれを探さないと。
僕は、相手の心理を察知するのが得意なようだ。
前から思っていたのだが、岐阜を活気のある町にする方法はいっきに1万人移住すること。別にふざけていっているわけじゃなくて、それが早くて簡単な方法だと思うのです。
世界中で、いろいろな分野で活躍している人。ビジネスマン、芸術家、教育者、政治家、料理人、どんな職業でもいいんですけどね。岐阜出身で優秀な人はいくらでもいるわけです。その人の多くは岐阜から出て行く。岐阜に未練を残しながら。
岐阜に戻ってもいいなと思っていても、一人で戻っても職もないし、面白くて有能な奴も少ない。と思っているだろう。じゃあ、みんなで岐阜に戻れば面白そうジャン。一気に1万人ぐらい。そうしたら、赤信号みんなでわたれば怖くない理論でみんな岐阜に来るだろう。1万人ぐらい増えてもマンションや家ぐらいあるし。問題ない。
1万人も岐阜に一気に戻るって話になれば、面白そうと思って岐阜出身じゃなくても岐阜に便乗してくる人も増えるだろう。
そして、新たなことが岐阜で生まれて、岐阜に元気が出る。
長期的には岐阜のブランドをどうやって高めるか。何を売りにするか。だろうな。
こんなことを話したら、驚かれた。僕の中ではコレしかないと思ってたから以外だった。
土曜日の夜も、日曜日も面白い話が出来ました。
いやー、10年後とかが楽しみでしょうがない。社会がどうなっているのかとか自分がどうなっているのか、今の仲間がどうなっているのか。想像するだけでワクワクするは〜。
マズローの
人間の行動を規定する7つの基本的欲求
・Physiological(homeostatic) needs : 生体学的欲求
・Safety and security needs : 安全・保障に対する欲求
・Love and belonging needs : 愛し、愛されたいという欲求
・Esteem needs : 尊敬され社会的評価を受けたいという欲求
・Needs for self-actualization : 自己の潜在能力の体現化に対する欲求
・Needs to know and to understand : 未知のものを知り理解する欲求
・Esthetic needs : 美的なものに対する欲求
よく聞く話だけど、さあ、俺はどんな感じの配分だろうなー。と改めて思う。
これは、孤高の挑戦者たち-バッテル研究所‐現代のピタゴラス集団という本を見ていて書いてあったから乗っけてみた。この本は梅田さんのブログで知る。確かに、ここに出てくる人はすごい人ばかりだ。仕事人って感じ。相当個性的な仕事の仕方をしている、孤高というだけあって一匹狼的な仕事スタイル。そんでもって、頭がいいことは確かだろう。そうと仕事が出来る人たちの集団みたいだ。みんな給料が下がってもキャリアアップだとか、仕事環境のよさ、などで選んでいる。
多くの紹介がされていたが、あまりこの本にぴんと来なかった、紹介される人がすごいなと思ったぐらい。それは、期待しすぎて読んだからなのかも、時代が違うから仕事感も異なっているなのかは分からない。
結局は自分が納得するかどうか。すべての物事、物の見方、自分の物の考え方捕らえ方はそこに尽きると思うわけです。
私は、彼らとの出会いをどうしても書きとどめておきたかった。それは個人の日記という意味においてではない。自己に対する挑戦とは、決して格好のいい事ではなく、何度もキズつきそして泥まみれになる事であり、そこにはどんなプロフェッショナルも避けては通る事の出来ない「這い上がりのプロセス」がある。そしてこの「這い上がりのプロセス」というレンズを通して見る限り、そこには国籍の境界線はない。その発見の喜びを記すためにである。
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自分のやっていることを誇りを持って紹介できる、これってかっこいい。
こうなっていれば、(自然に紹介していれば)その時、僕の理想となっているのだろう。
自分のやっていることに自信があって、面白くって、ワクワクしていて、満足している。だから自分のやっていることや組織を紹介できるし、そのイベントにも誘えるのだと思う。
まあ、うざくない程度に紹介するのがポイントです。
口で話してるってことは、それの10倍は考えているんだよな。すごい。
本当に、自分の薄っぺらさに気づかされます。何も知らないし、何も考えてない、生きる信念・理念もない、俺って対したことないな。今日は息が詰まるほど自分の薄っぺらさを感じさせられた。自分の能力が足りないと思うときはいくらでもあるんだけど、小手先の技が出来なくて感じるんじゃなくて、本質的に自分の思考レベルが足りない、と感じさせられた。
あらゆることを学び 自分に正直に徹底的に考え 専門分野をもち 自分の真となる考えをもち 何かあったら常に考え 先を読み 一つのことだけで考えを終わらせるのではなく、他のこととの関連性を含めて考え 自分の考えをノートにまとめる 専門とビジョンの確立 権威にゲイゴウしない理念 思考をストップさせない 教育実習
とりあえず、かみ合った話が出来るまで鍛えます。
5,6年。
中学を卒業してからこれぐらい経ったのだ。
当たり前だけど、文字で見るとまた違った印象を得る。
5もう,6も経ったのかという気持ちと、まだ5,6年しかという気持ち。
中学までは精神的経験が多いと思う、そこまでの間に人間のコアが出来ると思う。高校大学は目に見える実際の物質的経験が多いような気がする。精神的なものから言えば、もう5年もたった。物質的な経験から言えば、まだ5年しか。なのだろうと思った。
幼少期の精神的経験をなくして、物質的経験だけしても、滑り台をすべるようなものだ。上滑りだけで、本質は何も捉えていないが、高いところから滑り落ちるスピードやスリルを盲目的に味わう。僕はそのようなことに意味を感じない。
福澤諭吉が文明論の概略で言っていたが精神を後回しにして、外国の文明を持ち込むのは順序が逆だ。精神のほうが浸透させるのに難しい。といったことと似ているだろう。
なんか、真っ暗な風呂でふと思う。
10年後の俺ってどうなってんだろう?どうなってるか全く分からないんだけど、なんか10年後の自分を想像すると笑みがこぼれる。それは輝かしい未来があるとか、有名になっているとか、何か成し遂げたとかじゃ全くなくて、タダ単にほんわかした笑みがこぼれる。
10年後の自分を決めるのも自分な訳で、自分がどうするかで大きくは方向性を決めれる。でも、10年後なんてどうするか決めてないし、わかんないと思っている。なのに笑みがこぼれるのはなぜだろう。
この10年の直感の積み重ねがどうなるかを楽しみにしているのか?
自分のことを他人のように見ている自分がいる。
この余裕というかゆとりは何だろう?
まさにホムンクルス的感覚だな。
なんか、興奮すると、いわゆる安っぽいこと、青臭いことを書いてしまう。そういうことを子どもだなとよく馬鹿にする人がいるんですけど。その気持ちを失ったら人生楽しめない。ワクワク出来ない。と思うんですけど。
分かっている奴は分かっている。
これに尽きる。
よく会うとか、よく連絡を取る、こんなの関係ないなぁ。
細かいこと抜きにして分かる奴は分かる。
また、家に帰ったら書くかも。
とりあえず、木曜日という日をすごしてくる。
世親と無著にあってくる。
東大で部活をしていた人を企業は好んで採用したと聞いたことがある。今でもその名残があるみたいだ。
僕は、これはおかしいといってきた。だって、能力関係なく東大+部活で採用するのはおかしい。能力を見て採用するべきだと思ってきたから。(まあ、能力なんて判断できないという問題もありますが。。。)確かに、部活で絶対的な服従とか規律、礼儀などを学んで、既存の上下関係がある大きな組織ではうまく働いたかもしれないとは思っていたが、その程度だった。
でも、違うかもと思いました。体を動かすことで、頭が良くなる。これはあると思う。頭が良くなるというか、体全身を動かすことでしか身につけることができない、直感などがあると思う。これは仕事の上でも役立つのではないかと思った。イギリスでパブリックスクール、いわゆるエリート校がスポーツを重視しているのも、体を動かすことによって脳が活性化されるからみたいだ。
もっと、自分で納得がいったのは、自分自身の考え方が実はこれと通じるところがあったからだ。僕はかねてから旅をすると瞬時の判断力が付くとか、人を感覚的に見抜く能力が付くとか言ってきた。日常とは違う状況で体全身を動かし、体全身で感じる。この行為によって入ってくる情報を脳は処理しているのだ。これらの体験を積み重ねることによって論理的には説明できない、感覚が身に付く。これによって脳が活性化される。この感覚や自然と活性化された脳は仕事でも役に立つのだろう。簡単に言えば運動部の人にとっての部活は僕にとっての旅だったみたいだ。
体に関する関心はインターネットに関係する
視点・論点 ボディーイメージ 茂木健一郎ソニーコンピューターサイエンス研究所
体を鍛える=脳を鍛える
体をコントロールするための情報表現
ボディーシェーマ 体を制御する無意識のプロセス
ボディーイメージ 体を制御する意識的なプロセス
体を動かすには道具をうまく使う必要がある。道具も自分の身体の一部と考えて、進化してきた。
インターネットという道具をどのように使うか。インターネット上の情報にもボディーイメージ。オンライン対極の囲碁で、対戦相手を待つときにどきどき。これはボディーイメージ。
ボディーイメージを拡張。イチローがバッターボックスでバットをぐるぐる回す。
判断力、直感、脳と体の結びつき、ボディーイメージを鍛えることで想像力を鍛える。
イギリスではパブリックスクール(エリート学校)スポーツを重視してきた。判断力など鍛えられる。
スポーツを通して鍛えられる、脳と体の虫日月で刺激される。
体を動かして、予想と外れたことが起こると、直観力が鍛えられる。
スポーツをすることは、高度な認知能力を鍛える。
またもイチロー。ふと思った。
イチローが最下位のチームで今回の最多安打記録を達成したことに意味がある。そう言っていた。そりゃそうだ。と思っていた。で、またそれを考えると、改めてすごいなと思った。
最下位のチームの中でみんなやる気がない、優勝もタイトルもあきらめている。回りがそんな状態だと自分にも影響される。やる気がなくなる。そんな中にいても、イチローは自分の精神をコントロールし、一歩一歩前に進めた。決して周りに流されることなく、やる気をなくすことなく。この精神状態を保つのは並大抵の人間じゃ出来ない。やる気のなく能力のないチームで一人だけモチベーションを保ち結果を出す。まさに行き着く境地。周りに左右されない。達観している。イチロー恐るべし。本物のプロフェッショナルだ。
いつも書きたいことはたくさんあるけど、忘れたり、めんどくさくてやめたり、、、ノートにメモっただけとか、携帯でメールをメモとして送っただけという記事がたくさんある。小さくて、キボードがついてる、機能はテキストエディタと常時メールが送れるメール送信。こんなデバイスがほしい。
あと、良かったエントリーのランキングでも作りたいな。
イチロー新記録を語る
一打席打っただけで可能性が見えていく、一打席凡退しただけで可能性が減っていく。
開幕
3月いつもと違うシーズンになるかもと予感はしていた。4年目にしてレギュラーポジションはあると思えた。3年目までは春に失敗するとレギュラー落ちするという不安があった。開幕後波に乗れず。4月の打率2割55厘。マスコミもバッシング。イチローは4月の打率低迷は気にしていなかった。納得のことだった。シーズンの実践でないと感覚はつかめない。オープン戦ではつかめないものがある。4月はシーズンの感覚をつかむ調整期間と初めから考えていた。5月、月間50本。3年ぶり。しかし、納得はしていなかった。調子はそこまで良くないのに打ててしまった。感覚を失っているのに好調で違和感。逆に調子は悪くても納得する。96年も首位打者だったが、苦しんだ。このときは退化していたがヒットが出てしまう。出るはずがないのにヒットが出るこれを絶好調という。スランプのときにしか絶好調は来ない。
日米通算2000本の時には笑顔がなかった。ここまでには、はるかに多い凡打があり、悔しんできた。7月、月間50安打。5月の50本とは全く違う感覚だった。納得できるヒット=必然のヒット。打つべくして打つヒット、説明できる、理由付けできるヒット。わざと詰まらせてヒットにすることもあるが、見ている人は詰まらせたけど偶然ヒットになったと捕らえることもある。5月と7月の変化は、明かさない。全部言うと面白くない。バッティングフォームそのものに関わること。子どものときの感覚に近い感じがする。そんなバッティングスタイル。たどり着いた感覚は少年時代の感覚。
苦手投手の攻略がおおきなポイント。ボールが語りかけてくるピッチャーアスレチックス・ハドソン投手。他のバッターに対する球と自分に対する球が違うときワクワク。8月56本。自己最多。8月26日、ロイヤルズ戦、200本安打。4年連続200本安打をホームランで達成。
シスラーはイチローのヒットのおかげで表舞台に立つ。1973年シスラーは亡くなった。その年にイチローは生まれた。イチローは野球の魅力はホームランだけではないことを知らしめた。シカゴで5打数5安打を打ったときに記録もかかっていなかったのにスタンディングオベーション、自分にかどうかさえ不安になった。アメリカ中の注目を浴び、重圧を感じ始めた。9月21日、エンジェル戦12試合19本。このとき10試合で4試合ノーヒット。ヒット一本が出ないことがものすごい大きいこと。ヒット一本出ることがものすごい大きいこと。このときは、、、、、、あれだけ気持ちが揺れ動くことはめったにない。一打席打っただけで可能性が見えていく、一打席凡退しただけで可能性が減っていく。
10試合で10本に。このとき、可能性を強く感じた。5安打、4安打がすべてった。残り4試合2本atオークランド。このときに記録を達成したかった。シアトルは地元でプレッシャーが強くなる。あと、一本のプレッシャーを感じていた。200安打を前に12打席連続ノーヒット。
プレッシャーをはねのける方法なんてない。プレッシャーを背負ってプレーするしかない。自分自身で解き放つしかない。10月1日、シアトル、最後の3連戦。4万5千人。セーフコフィールド。一回裏第一打席。イチローコール。4級目。257本目のヒット。シスラーと並ぶ。しかし、笑顔はなかった。まだタイだからどうしてももう一本打ちたかった。第2打席、258本。チームメイトが球状に出てきてくれたことは特別なことだった。84年の歴史が変わったボール、日々重くなっていくでしょうね。本当はこのまま野球をやめたい、どんなに楽だろう。この数字を目標にというのはとても出来ない。数字だけでは荷ですけれども、野球選手としての能力もですけど、細かいことを積み重ねることでしか頂上にはいけない。それ以外の方法はない。
最終戦、最後の打席、ヒット262
野球がうまくなりたい。そういう実感が持てたらうれしい。それは数字には表れずらいですけど、自分だけで味わいたい。そうやって前に進む気持ちがあれば、ベストに近づけていく。
「結局、ひとつひとつ、小さいことの積み重ねなんですよね」
「いきなり頂点に立つことはできない」
なんか、最近外国から注目企業のトップが日本に来日している。それもけっこう多い気がする。ハイアールニしろ、googleにしろ、シーメンスにしろ。GEのイメルトもきてたし。大きくニュースになった人もならなかった人も含め。会議があったにしろ何にしろ、今の時期に日本に来たにはそれなりの理由があるだろう。
日本の携帯とかブロードバンドとかの単体の技術・マーケットに興味があるとか、世界の他地域の景気の問題とかもあるだろうけど、日本の景気が今後回復していくとふんで、その前に日本を自らの目で確かめようとか思っているのかなと思ったりしました。感覚的にネ。
何か問題にぶち当たったら、その時思ったこと、感じたこと、どうすれば解決できるかを思うがままに列挙する。その後、問題解決のためのコンサルが利用するツールを利用する。こうすることによって、直感的な解決方法と、ツールを使った論理的な解決方法両方を行える。
何かやりたいことを見付けると外に外に向かってきた。大学のとある友達はある範囲内で固定の枠組みのなかで何かしようとしてきた!俺の強みは心から湧き出てくるモノに沿って自ら外へも求めに行く 起業、芸大、海外、gnet ディべでは指導者がいなく自ら学び方を学び、外に出ていき実体験として学んだ、体に染み付いた
ゼミ選び失敗 仲間の能力モチべ低い あまり調べなかったし、噂なんて気にしなかった。大学外で見付ければいいと思ったが自分の活動組織で妥協は良くない しかし入ると物足りない しかしそう気付かせてくれたねは良かった で梅田さんの言うバンテージポイントの良い場所に行きたい 面白く優秀な奴が多いとこでは新しいモノも見えるし新しいモノも生まれる
直感は経験に基づく 未知なるものを求める性格がこれからの見えない大陸時代にあっている 立ち止まるな後退してもいいかアクションをおこせ
変かを楽しむ 大前が失敗を認めそれだからこそ、勝ち抜けるすごい 失敗を容認できないじぶんのこわさ 失敗なんてして当たり前そして強くなる 失敗をありがたいと思う恥ずかしくない 先見力構想力 変化を先取りバンてーじポイントとのつながり 見えない大陸ジャングルをサバイブする時代 ミジかな変化の真価を見極める みんな賛成があやしい、それならぼつ
有能な経営者、何をしなければならないかと自問自答 この企業にとって正しいことは何かと自問自答していた アクションプランをきちんと策定していた 意思決定にたいして責任をまっとうしていた コミュニケーションヘの責任をまっとうしていた 問題ではなくチャンスに焦点をあてていた 会議を生産的に進行 私ではなく我われとして発言したり考えたりしていた
ハーバードビジネスレビュー 大前研一 先見力、構想力より。
何のへんてつもない物がただたくさん集まるだけで全く新しい機能や性質、意味を持つ。なんか不思議だ。一つ一つでは持っていなかった性質が、その同じ物がただたくさん集まっただけで、今までになかった全く新しい性質を持つようになる。そして、集まって生まれた性質が大きな意味を持つ。
なんで、もともともっていなかったのに、同じものが集まると新しい性質が生まれるのか?たとえば、脳 人間 生物、2ch 都市 物質(材料)とか。それぞれ理由は違うと思うが、興味深い。
関係ないけど。「チャンスには危険がある」
テレビでやっていた。メモ。
ゴーンの経歴を見る未来の成功者の指針になるのでは?
しがらみをきる 材料コスト かっこいい ビジネスと株は関係ない 持ち合い解消 取引銀行減らして金利減らす かっこいい車はブランド高く売れる かっこいい会社 かっこいい会社空間 統一したデザインでブランドアップ 普段からかっこいいこと ビジョンを明確に どうやってビジョンを自分で伝えるか質疑応答する 決断は早く的確に