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April 20, 2004

でも、21歳です。

私の周りには基本的に、自分より年上の人しかいません。
それは、自分の中にそれを望む気持ちがあったからなのかもしれません。
また、自分が若造頭らしていれば、時が過ぎていったからかもしれません。
はたまた、自分は常に新しいもの、強い刺激を求めていたからなのかもしれません。
真意は自分でもわかりません。
でも、21歳です。
21.jpg

去年も20になるときに画像をつくってHPにのっけました。
そのときは、20という年にほんの少しの喜びを感じていました。
でも、今21になる今は全く喜びなど感じません。
年はとりたくないという気持ちだけです。
昔、大人が言っていた年をとりたくないという気持ちがほんの少しわかった気がしました。
ちょっと、走れば疲れるこの体。
こんなんでいいのかと、思います。

年をとりたくないという気持ちは、肉体的衰えから来るものもあれば、精神的な怖さから来るものもあるのではないかと思う。
はっきり言って、あと2年で確実に社会に出るわけです。
とりわけ能力もない私がまともにやっていけるか悩んでいないといえばうそになります、
でも、本質的な問題ではないと思っています。
正直にいって社会に出ようが出まいが20歳を超えれば一緒です。日本ではそうみなされないから、自分の中には学生という甘えがあると思いますが。
それよりも怖いことが、本当に自分が楽しいと思えることがわからない。ことです。
それなりに面白いことはあります。
今も、その面白いことをいくつかやっています。
旅も好き、音楽を聴くのも好き、空を見るのも好き、議論するのも好き、新しいことを知るのも好き、新しいことをやるのも好き
でも、それで死ねるかといわれると難しい。
死ねるというと大げさな表現だけど、ほかのすべてを捨ててもすのことだけをやっていたいと思えることがあるかというと微妙である。
はっきり言って、世界中を旅していたい気持ちはある。
でも、社会的成功を望む気持ちがどこかにある。
それが悪いことだとは思わない。それよりも一つに絞りきれないことがもどかしい。
一つに絞り込むことがベストだとも思わない。
この社会で生きていくためには、金をもうけないと生きていけないからだ。
社会的に一回成功しないと私の性格的に納得いかない。
というのも、もしこれから一生旅でふらつくとしても、田舎でひっそりとクラスにしても、社会的に成功した人をうらやましがる気持ちがどこかに生まれると思うからだ。
だから、一旗上げたいという気持ちがある。
一旗さえあげれば、何の未練もなく人生をささげれると思っているからだ。
まあ、これも幻想かもしれない。
結局のところ答えなんてない。
あるはずがない。
死ぬまで答えなんて出ない、出たとしてもそれがファイナルアンサーではない。
自分の中でそう思ってしまう。
周りは私のことを一つのことに没頭するタイプだという、しかし自分ではそう思えない。
過労死にあこがれる私は本当に死ななければ、それくらいやらなければ自分の行動に納得いかないのかもしれない。
こういうと、自分に厳しい人間のように聞こえるが、全く違う。
自分に甘すぎる。
他人に厳しすぎる。
厳しいで言い過ぎることがある。
問題だらけのこの私、何から直していけばいいのかもわからない。
でも、一年間に一回こう悩むときがあっても良いもんだ。
人生の今後について悩み、楽しさ、夢、明日、仲間、家族、世界、日本、生きること、存在自体について考えることもこの時期しかない。
まったく、まとまっていない文章だ。
本当に文才がない。
今年一年間の目標をいつも新年に決めている。
もう、4ヶ月過ぎた。心躍る、身軽、チャンスを作ってチャンスを生かす。真実の瞬間を追い求める 己を信ずること 攻めの心
こんな目標というかテーマ、どうした意味があるといわれるかもしれない。
でも、文化祭のテーマよりは意味がある。たまに思い出して、自分の行動を振り返るときに。
テーマを持ちながらの大学生活、2年間が過ぎ去った。
早すぎる。早すぎる。
何もしていない、
時だけが過ぎていった。
なりたい自分、自分の将来像が描けない。
そんなもの一生描ききれないかもしれないけど、描いてみたいという欲求がある。
とりあえず、2年間の目標として、「人生を描こう」
はじめは、なんとなく描き、そして具体化してはーダルをクリアしていこう。
人間はそもそも、努力なんて必要ないとか暴言を吐きまくった。
いまでも、そう思う部分はあるが、情報を拒絶できるのは芸術家ぐらいだという私の考え方と同じで、
この社会で生きていくためには100%好きなことはやっていられない。
だから、努力は必要なのかもしれない。
結局何もまとまらず、ループしている。
後2年間、モラトリアムをしよう。
いろいろな人と話、特定の人ととことん突き詰めて話し、そして一人でしっかり悩み。
壊れそうになるくらい悩み、どうしようもなくなろう。
そんな究極の状態にあこがれているだけかもしれないのだが。
まあ、大学に入ってからいろいろなことがあった。
想像もつかないことが起こりに起こって生きた。
起こったというよりも、自ら起こそうという意識があったから、おきたのかもしれない。
入学したころは全く想像もつかなかったことが。
といことは、後の2年間全く想像もつかないことが起こる可能性がある。
卒業しないかもしれない、やめるかもしれない、休学するかも、留年するかも。
2年先のことなんて何もわからない。
こんな、変化の激しい時代に先を想像し行動することは、当てが外れて失敗するかもしれない。
でも、何も考えずにはいられない。
「どうせだめならやってみよう」
この精神だ。
この言葉は、悲観的に聞こえるかもしれない。
確かにそういう部分もあるが、実は吹っ切れたポジティブさを持っている。
どうせだめならやってみよう、こう思ったら最強だ。
ダメもとで何かをする。何も失うものはない心境だ。
死ぬ覚悟ができた人は、何も失い物がないから何をやるかわからないという意味で、
最も怖いように、どうせダメならと言う気持ちでやり始めたら怖い。
怖すぎる。
自分も、それぐらいの勢いでやろう。
あと、メリハリ。
むちゃくちゃ時間を有効に使い、頭がパンクするくらいイロイロなことをやってやろう。
燃え尽き症候群ぐらいに。ふるパワーで。
で、そのあと何もしない時間を作って考えよう。
旅に出て、ビビリ、美しい景色に感動し、人にふれあい。
うまいものを食べ、それが俺の人生だ。
好き勝手にやろう。
どうせ後60年で死ぬのだから。

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