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October 05, 2005

南米の旅路、その6

クスコからプーノ

クスコからプーノへは電車で行った。実は今回のたびで電車を使ったのはこのときだけだったと思う。この列車は世界最高所にある駅に止まる。駅の標高4319メートル。富士山よりもずっと高いです。このあたりからボリビアは世界最高所の○○ってのが続きます。首都とか、都市とか。

で、電車で行ったわけである。左側の関が景色がいいと聞いていたので、チケットを買う際に左側にしてくれと頼んだら、もちろんだという感じでオフィサーが言ったので、安心していたら、電車に乗ると右のシート。ふざけるな。まあ、さすが南米だ。電車が走り始めた。駅なんてほとんどないし、乗ってくる人も少ないのですぐに空いている左側の席をゲット。確かに美しかった。金色のススキのような草が一面に。そして、山、遠くにはうっすらと雪が積もった山も、、そして青い空と白い雲。距離的にはそんなに長くないのだが、坂道ってこともあってかゆっくりゆっくり電車は進んだ。10時間ぐらいの列車のたびだったかな。景色は列車が進むと変わってきた。そして日が落ちて暗くなってから少したってプーノについた。

プーノはチチカカ湖で有名な町。次の日からチチカカに行くことにした。

南米旅行写真その1
エクアドル、ガラパゴス、赤道、リマ、ナスカなど

南米旅行写真その2
ポトシ、ウユニ、ナスカ、クスコ、マチュピチュ、チチカカ湖など

南米旅行写真その3
ウユニ、チリ、アメリカなど

南米の旅路、その5

ナスカからクスコ、マチュピチュ

ナスカからクスコへは夜行バスで行った。アンデス山脈をぶった切る感じにバスは走りぬける。アンデス山脈をぼろバスで越えるのだ。グネグネバスは進んだ。夜中、アンデス山脈、なめちゃいけない。寒いとは知っていたが、窓は凍ってしまうほどだった。。。極寒。そんなバスも朝になれば太陽の恵みで、氷は解けた。そして、3500メートルぐらいの町クスコについた。クスコの町はそれ単体でも歴史があり、有名だ。が、マチュピチュへの基点となる都市であるため、さらに有名になっている。首絞め三大聖地、クスコ、プーノ、ラパスということでも有名なのだが。

まあ、クスコの町は逆さ夜景だろう。すり鉢上の都市であるため、すり鉢の底から上を見上げて夜景を見るという感じだ。ちなみに上のほうのほうが貧しい人が住んでいるらしい。ここの町でやっていた泥棒市はカオスで面白かった。自分の脳を南米基準にしても完全にゴミとしか思えないものがたくさん売られていた。買う人がいるか見ていたが、僕が観察していた時間内には誰も買わなかった。まあ、面白い市だった。

ウルバンバ、オリヤイタイタンボという町を通ってアグアスカリエンテスへ。そしてマチュピチュへ行った。オリヤイタイタンボという村は個人的に気に入った。これぐらいのサイズがちょうどいい。あまりでかい都市は居心地が良くない。メルカドのおばちゃんも優しかったし、飯もうまかったし。もちろん安かったし。

マチュピチュへは朝一番で行った。だから、誰もいない朝もやの中のマチュピチュ、まさに空中都市を見ることができた。ボーっと眺めてから、ワイナピチュにも上った。こちらから見る景色もいいものだ。頂上の岩の上で寝たが、バランスを崩すと落ちて死ぬので熟睡はできなかった。その後、マチュピチュの段々畑の芝生でも寝た。こうしていくうちに、どんどん顔が黒くなっていった。そして、ここでは、オーストラリア人のルークと仲良くなった。彼はかっこよくて言い奴だった。だが、23歳なのにはげかけていた。将来俺も禿げる事が確実な俺としては、勝負に勝った感じがした 笑 まあ、それはいいとして、リャマとかアルパカとかもけっこういた。

アグアスカリエンテスはマチュピチュのしたの町で、アグア=水、カリエンテ=温かい、すなわち温泉と言う町の名前だ。ここで、温泉に入った。キタイナイ汚い温泉に。立って入るぐらい深い温泉。水着着用だが、また所持しておらず。一番派手なトランクスで入らせてもらった。一番奥のシャワーじゃないけど、打たせ湯みたいなのだけ、温水で、かなりの水量だったので気持ちよかった。温かいお湯がこんなにも出るので体を洗ったのは旅行して依頼初めてだった。気持ちよかった。しかし、ここでかなり虫に刺されてしまったのだが。

南米旅行写真その1
エクアドル、ガラパゴス、赤道、リマ、ナスカなど

南米旅行写真その2
ポトシ、ウユニ、ナスカ、クスコ、マチュピチュ、チチカカ湖など

南米旅行写真その3
ウユニ、チリ、アメリカなど

南米の旅路、その4

リマからナスカ

ナスカ。何かと批判されている。1泊で十分。行く価値がない。フライトはセスナに乗る経験と思え。などなど。しかし、俺はそんな批判を批判してやりたい。ナスカはいい町だ。まあ、自分が見たところだけで、都市を評価しなければならないのは事実である。だから仕方ないのかもしれない。まあ、おれは運よく珍しくナスカのよい面に出会えたのでハッピーな人間なんだろう。

何を言いたいかと言うと、一本の線がすごかったのだ。普通ナスカの地上絵と言うと、ハチドリの絵だとか、宇宙人の絵だとかそういったものを思い浮かべ、それらを見に行く。しかしだしかし、俺がいいたいのは、そのような絵ではなく、一本の線がすごいということ。まっすぐに伸びた一本の線。それも、フライトから見るのではない。大地を自分の足で踏みしめて立ち、見るのだ。それがすごいのだ。

フライトはあんな小さな(6人乗り)セスナに乗ることはめったにないので、いい経験だったし、アクロバット飛行に近いフライトは面白かった。地上絵を客に見せるために、飛行機を右に左に傾けるのですは。空から見る地上絵ははっきりと見えた。それでも、かなり薄くなってきているという。純粋に、よくこんなにもたくさん、大きいものをきれいに書いたなーとおもった。何でかいたんかも不思議やったな。

で、次の日偶然にも地上から地上絵を見ることになった。正直、フライトだけで終わるところだった。しかし、偶然出会った人が地上から見るというので一緒に行った。この人はこの後オリヤイタイタンボ(一瞬)、プーノ→ラパス、ウユニ(一瞬)で偶然にも会う奇跡的な人。また、会って旅の話でも聞いてみたいが、連絡先を知るはずもなく、偶然にまた会えることを望むばかりである。まあ、出会いも分かれも知らぬままに、その時だけだからよい思い出になるのである。それが旅だと思う。旅は現実世界に引き込まないってのが旅の鉄則であると思う。旅はある種の夢の中なのだから。

なんだろうね、ナスカは本当に大地と人間の力を肌で感じる。スゲー、スゲーって感じなんですよ。わぁーって叫びたくなるほどね。たとえば、ウユニのような地面が白で空が青の風景なんて、飛行機に乗れば、下が真っ白な雲と青い空でほとんど同じようなものが見れる。しかし、飛行機と言うフィルターが俺と自然の間にはある、これが最大の問題なんだ。生身の体で感じていないから。ウユニはそんな風景を自分の体と自然が直接触れ合える。そこねそこ。体全部で、感じられ、体と自然が一体化する。そんな感じを味わえる。

夕日が大地に沈む位置に線が引かれていた。そのまっすぐひかれた線を目で見ると何か時空を超えても、伝わってくる何かがあった。

そのあと、近くの遺跡に行った。そこでちょうど夕日の時間だった。夕日だ。なんていう夕日なんだろう。朝日や夕日は今までも何度も見てきた。しかし、この夕日はジブラルタル海峡で大西洋に沈んでいくまん丸の夕日に勝るとも劣らない夕日だった。崩れかけた古代の遺跡の見張り台の上に立ち、西の空に沈んでいく夕日を見る。完全なシチュエーションだ。ナスカは荒野というか小石と砂の町(砂漠のような)。だから、黄砂のように空気に少し砂が混じっている。だから太陽を直視できるのだ。夕日をが沈みゆくのをこの目で見届けることができるのだ。太陽は半分になった。そして、三分の一になった。最後は欠片のような太陽になって、一日の太陽の仕事を終え沈んでいった。たまらなかった。あの崩れた遺跡と沈み行く太陽。切なさと言うのかなんというのか分からない感情になった。

ナスカといえば地上絵。地上絵といえば大きいのでセスナから見るというのがメジャー。しかしだしかし、近くの丘から見るほうが実感できる。あの線のすごさを。地上絵がかかれているのと同じ地面に立ち、ずっと続くまっすぐな線を見た時は感動した。感動したというか、ぞっと血の気が引くぐらい。
飛行機からだと全体像は見れるが、何かブラウン管を通しているみたい。身に迫るものがそこまでない。しかし、地上に立ち見るとなんというか、その時に書かれた線のことが創造でき、さらに太陽の沈む位置にまっすぐ引かれた線を見るとしょんべんちびりそうになった。

半端ない。地上絵は地上と丘から見るにかぎる。これだけはいえる。
http://www.teratown.com/blog/archives/001841.html


ナスカの町ではペルー人の同い年ぐらいの奴7,8人と仲良くなり移動遊園地に行き、お祭りのライブに行き、話したのも面白かった。

南米旅行写真その1
エクアドル、ガラパゴス、赤道、リマ、ナスカなど

南米旅行写真その2
ポトシ、ウユニ、ナスカ、クスコ、マチュピチュ、チチカカ湖など

南米旅行写真その3
ウユニ、チリ、アメリカなど

南米の旅路、その3

グアヤキルからリマへ

ガラパゴスからグアヤキル、実はエクアドル最大の都市へ行った。しかし、この町の雰囲気がどうしても好きに慣れなかった。まあ、バス停の位置を適当に教えられて、5時間ぐらい荷物を持って移動しなければならなかったこともあるのだろう。目的のバスだけバスターミナルじゃなかった。それに、日曜日でいろいろな店がやっていない、さらにバス会社もその日は休みだった。そんなことが続いたからだろう。追加して言えば、4日間の船上生活は揺れ続け、想像以上に体力を消耗し、疲れきっていたのだろう。

まあ、旅をしていればそんなこともある。それが旅だ。旅は偶然に出会いに行くようなものだ。旅とは想像外の出来事に出会い、驚き、喜び、感動し、時には苦労し、悲しみ。旅とはそんな流れているものだと思うのです。

まあ、ペルーへは海岸沿いで行った。こちらは海が見れてきれいとか、砂漠も見えるらしいから。マチャラ、トゥンベス国境のほうだ。後から知ったが、こっちはあまり治安が良くないらしい。まあ、何も問題はなく国境越えをできてよかった。1日半ぐらいかけてリマに着いた。

リマといえば、ペルーの首都。治安が悪いと有名なところ。それもバスを降りてから旧市街に向かう。タクシーに乗った。この運転手はボルなと思ったら、案の定ぼった、倍額ぐらい払わされた。入国したばかりで、適当な額の小銭も持っておらず、スペイン語も話せず、日本語でおこっても通じず。さらに、平日なのに、町中に警察が、さらに道路も通行止め。そんな時に、運転手がポリシーアと連呼した。えっ、と思い。降りてしまった。まあ、150円損をしたと言うことです。それから、歩いて、宿を探す。町にいる警官に聞いたら警察がよってたかっていろいろ教えてくれた。どうやら、警察官のお祭り?らしかった。だから、警察も多く、道路も封鎖されていたのだ。おれは花で飾られたお神輿みたいなのをかついでいたので、大統領でもなくなったかと思って、これは国が荒れるか?と心配していたのだった。旧市街をぶらぶらして、教会とかいった。

南米旅行写真その1
エクアドル、ガラパゴス、赤道、リマ、ナスカなど

南米旅行写真その2
ポトシ、ウユニ、ナスカ、クスコ、マチュピチュ、チチカカ湖など

南米旅行写真その3
ウユニ、チリ、アメリカなど

南米の旅路、その2

キト→ガラパゴス

キトからガラパゴスのサンクリストバル島へはエアロガルという航空会社の飛行機で行った。エクアドル沖1000キロのところにあるガラパゴス諸島。空港に着くとすぐにカルモラント号と言う小さな船に乗り込んだ。チェコ、フランス、アメリカ、ドイツ、ベルギーなど外国の人9人と同じ船だ。彼らと揺れる船の上で昼食を取り、4日間のガラパゴス船上生活が始まった。しょっぱなから泳ぐらしい。シュノーケルと水中眼鏡で。海水パンツなんてあるはずもなく、トランクスで泳ぐ。ガラパゴスをパンツで泳ぐ外人も珍しいと思う。空にはペリカンが、海にはカメ、アシカ、熱帯魚のようなきれいな魚、あとよく名前の分からないいろいろなカラフルな魚がたくさんいた。海底に進もうとするとかなりの水圧の強さを実感した。合計で3回ガラパゴスで泳いだわけだが、実にいろいろな魚がいた。群れて泳ぐ小さな魚たちや、クマノミのような魚、アジのような魚、ありとあらゆる魚と一緒に泳いだ。カメと泳ぐのはなんか優雅な感じだった。が、岩からアザラシが海に飛び込んできた時は本気でビビッタ。

島も5つぐらい行っただろうか。島は何といっても生態系の違いに驚いた。島によって陸の形、自生している植物、動物の種類、すべてが違う。中でもすぁごいと思ったのは、ドラえもん日本誕生で出てきたような原始地球を思わせるような土地と植物、さらにイグアナ。これから何万年かたったら恐竜が生まれ、人間が生まれてもおかしくないのではないかと思った。さらに、念願のアオアシカツオドリも見た。(参照:以前のエントリー)本当に足は水色。何でだ。何でだ。想像を超えた生物がごろごろいる。死骸もフンもそのまま。何もかもがそのまま。なんだこの地は。本当に地球なのか?行き着くところまで来てしまった感じがした。あと、夕日もきれいだった。が、忘れられないものがひとつある。夜、一人船の上で寝転がって見た星空。周り1000キロには灯りなんてほとんどない。さらに、船のすべての電気が偶然にも突然、ストップした。もう、これ以上の状況はない。俺一人のために、星空があるような。プカプカ浮かぶ小さな船の上に寝ながら見たガラパゴスの夜空。本気でしょんべんちびりそうになった。星が多すぎる。ありえない。星空に包まれて、このまま空へ上っていってしまいそうな感じさえした。寝転がりながら、無数の星の隙間を縫うようにして流れていった流れ星。これも忘れられない。

ああ、俺の乗った船の一番下っ端の兄ちゃんと仲良くなった。この頃はまだスペイン語が全く分からなかったが、外国へ行ったときの俺の得意コミュニケーション。笑う。日本の現地の言葉を連呼する。そうすれば、すごく仲良くなれる。その兄ちゃんも、他の外人には大して話しかけないのに、俺にだけハポン、ハポンといって絡んできた。

南米旅行写真その1
エクアドル、ガラパゴス、赤道、リマ、ナスカなど

南米旅行写真その2
ポトシ、ウユニ、ナスカ、クスコ、マチュピチュ、チチカカ湖など

南米旅行写真その3
ウユニ、チリ、アメリカなど

南米の旅路、その1

日本→キト・エクアドル

まずは、成田からアメリカン航空でダラスフォートワース国際空港へ。それからトランジット、マイアミへ。マイアミでまた乗り換えて、エクアドルのキトへ。成田からダラスへはほとんど日本人だった。マイアミへは数人日本人がいた。キトへの飛行機に日本人は僕だけだった。やっと南米に来たんだなと実感した。

キトに着いたのは夜20時ぐらいだった。外はすでに真っ暗。さあ、どうしようかと考えとりあえず、空港のインフォメーションへ足を向けた。すると、日本人らしき旅人が。向こうから声をかけられた。彼は、一年半の世界一周を追え、コロンビアからエクアドルに飛行機で来て、明日エクアドルから日本へ帰るという。旅を終えるものと、旅を始めるものが偶然空港でであった。泊まるところも偶然すぐ近くということで、流しのタクシーをひろい町へ向かった。日曜日の夜のキトは危ない気がした。到着当日だから慣れていないために余計こう感じるのかもしれなかった。タクシーの中では彼がタクシーの運ちゃんとスペイン語でいろいろと話していた。さっそく南米といえばスペイン語、その洗礼を受けた。夕食を共に食べ、南米の宿情報や治安について伺い、二人でそれぞれの宿へと帰った。

朝起きて旧市街へと宿を移した。あいかわらず、よくわからず電車に揺られよく分からないところで降りた。いつものことなのだが。ついて3日は現地に慣れない。脳が旅モードになっていないからだろうか。降りてから街中にたくさん立っている警察や店のおばちゃんに聞きながらいく。地図が違うのか、教えてくれた人が違うのか。目的地に着くまで分からない。旧市街へ行く時、長い坂道があった。すると、すぐに息が切れた。この時、初めて気がついた。高度2800メートルから3100メートルの町だったのだ。

直感的地理感とでもいおうか、日本にしろ外国にしろ適当に歩いていると感覚的な土地勘がついてくる。そんなあいまいな感覚が活かされ旧市街のサンフランシスコ広場に。宿へチェックインした。それから知り合った方のツアー会社に。この方が無茶苦茶いい方で、家に呼んでくれて昼食をご馳走になった。すっごく豪邸。高級ホテルのような家。昼ごはんはエクアドルの一般的家庭料理をご馳走してくれた。両親がバナナ農園経営者らしく、お土産にバナナをくれた。そして、車で個人旅行者では行くのが不便なところに連れて行ってくれた。それもただで。ガラパゴスへのツアーも手配してもらえた。なんとも親切な方なのかと思いっぱなしだった。いつも、外国へ行くと僕は出会う人に恵まれていると実感する。キャラと顔のせいなんだってことが今回のたびで分かったのだが。

で、結局キトには4泊した。最終日には赤道に。本物の赤道と偽者の赤道があるという情報が流れていた。政府が作ったような立派な塔がある、ガイドブックにも載っている赤道は偽者だともっぱら言われていた。その横、150メートルぐらい離れたところにある、昔から先住民が住んでいたちっぽけな表示しかない赤道が本物だという。なんとも笑える話。そこへ行くには、バスを3回乗り換えた。珍しく英語が少し話せる背筋の伸びたいい年だがかっこいい警官がいた。その人が親切に赤道への行き方を教えてくれた。なんか、このおっちゃんは気に入った。何でかわからないが、すごくこっちまで気持ち良くさせる警官の人だった。おっちゃんも俺のことを気に入ってくれたようで、笑顔で硬い握手をして分かれた。

そして、俺は赤道へ向かった。トータルで2時間ちょっとかかっただろうか。それぐらいで赤道に着いた。まず、偽者といわれている赤道に。オレンジ色の赤道といわれる線をまたいで写真。それから、本物といわれる赤道を探す。が見つからない。どこだ?仕方なくいつもの感で、歩いて細いただの土の道を行くとそれっぽい怪しいものが。これが本物赤道と呼ばれるものかと思った。うわさ通り、生卵を立てる実験や、水が流れる時の渦巻きの向きの実験、赤道の上だとなぜか不思議な現象が起こる実験を見た。マジックか本当か。定かではないが、赤道だと不思議な現象が起こるのは事実だろうと思った。

南米旅行写真その1
エクアドル、ガラパゴス、赤道、リマ、ナスカなど

南米旅行写真その2
ポトシ、ウユニ、ナスカ、クスコ、マチュピチュ、チチカカ湖など

南米旅行写真その3
ウユニ、チリ、アメリカなど

南米の旅路、イントロ

今回の旅でも、大学ノートに日記を書いた。たぶん、旅行中に書く日記の量は多いほうだと思う。一日、平均3ページぐらい。今回のたびでは大学ノート2冊弱の日記を書きました。

それには、旅の詳細な行動記録と、その時々思ったことを書いてある。まあ、それと、このブログの旅行記はテイストも違えば量も違ったものになると思う。帰ってきてから書く旅行記と旅行中に書く日記。

南米でランダムに買ったCDを聞きながら書いていきたいともう。

まずはどんなルートだったか。大まかに言うと、エクアドルから入って、ボリビアから出た。そんな感じ。赤道の国から南へ下った感じだ。なんで、このルートをとったかと言うと、ボリビアのウユニとエクアドルのガラパゴスには絶対行くと決めていたからだ。さらに、エクアドルから入った理由は高度が低いから。高山病対策として。そんな感じ。

今回は自然がメイン。こういったものは言葉では表現するのが難しい。実際に行って肌で感じるしかないと思います。まあ、気楽に書いていきます。

地図で言うとこんな感じです。
SouthAmerica.gif

写真はこちら
南米旅行写真その1
エクアドル、ガラパゴス、赤道、リマ、ナスカなど

南米旅行写真その2
ポトシ、ウユニ、ナスカ、クスコ、マチュピチュ、チチカカ湖など

南米旅行写真その3
ウユニ、チリ、アメリカなど

南米旅行写真

とりあえず南米で取った写真。全部で、700か800枚でしょうか。適当にピックアップしました。

南米旅行写真その1
エクアドル、ガラパゴス、赤道、リマ、ナスカなど

南米旅行写真その2
ポトシ、ウユニ、ナスカ、クスコ、マチュピチュ、チチカカ湖など

南米旅行写真その3
ウユニ、チリ、アメリカなど

他にも見たい写真があったら言ってください。とりあえず、写真です。