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October 19, 2004

イチロー:NHKスペシャルを見て

イチロー新記録を語る

一打席打っただけで可能性が見えていく、一打席凡退しただけで可能性が減っていく。

開幕
3月いつもと違うシーズンになるかもと予感はしていた。4年目にしてレギュラーポジションはあると思えた。3年目までは春に失敗するとレギュラー落ちするという不安があった。開幕後波に乗れず。4月の打率2割55厘。マスコミもバッシング。イチローは4月の打率低迷は気にしていなかった。納得のことだった。シーズンの実践でないと感覚はつかめない。オープン戦ではつかめないものがある。4月はシーズンの感覚をつかむ調整期間と初めから考えていた。5月、月間50本。3年ぶり。しかし、納得はしていなかった。調子はそこまで良くないのに打ててしまった。感覚を失っているのに好調で違和感。逆に調子は悪くても納得する。96年も首位打者だったが、苦しんだ。このときは退化していたがヒットが出てしまう。出るはずがないのにヒットが出るこれを絶好調という。スランプのときにしか絶好調は来ない。

日米通算2000本の時には笑顔がなかった。ここまでには、はるかに多い凡打があり、悔しんできた。7月、月間50安打。5月の50本とは全く違う感覚だった。納得できるヒット=必然のヒット。打つべくして打つヒット、説明できる、理由付けできるヒット。わざと詰まらせてヒットにすることもあるが、見ている人は詰まらせたけど偶然ヒットになったと捕らえることもある。5月と7月の変化は、明かさない。全部言うと面白くない。バッティングフォームそのものに関わること。子どものときの感覚に近い感じがする。そんなバッティングスタイル。たどり着いた感覚は少年時代の感覚。

苦手投手の攻略がおおきなポイント。ボールが語りかけてくるピッチャーアスレチックス・ハドソン投手。他のバッターに対する球と自分に対する球が違うときワクワク。8月56本。自己最多。8月26日、ロイヤルズ戦、200本安打。4年連続200本安打をホームランで達成。

シスラーはイチローのヒットのおかげで表舞台に立つ。1973年シスラーは亡くなった。その年にイチローは生まれた。イチローは野球の魅力はホームランだけではないことを知らしめた。シカゴで5打数5安打を打ったときに記録もかかっていなかったのにスタンディングオベーション、自分にかどうかさえ不安になった。アメリカ中の注目を浴び、重圧を感じ始めた。9月21日、エンジェル戦12試合19本。このとき10試合で4試合ノーヒット。ヒット一本が出ないことがものすごい大きいこと。ヒット一本出ることがものすごい大きいこと。このときは、、、、、、あれだけ気持ちが揺れ動くことはめったにない。一打席打っただけで可能性が見えていく、一打席凡退しただけで可能性が減っていく。
10試合で10本に。このとき、可能性を強く感じた。5安打、4安打がすべてった。残り4試合2本atオークランド。このときに記録を達成したかった。シアトルは地元でプレッシャーが強くなる。あと、一本のプレッシャーを感じていた。200安打を前に12打席連続ノーヒット。

プレッシャーをはねのける方法なんてない。プレッシャーを背負ってプレーするしかない。自分自身で解き放つしかない。10月1日、シアトル、最後の3連戦。4万5千人。セーフコフィールド。一回裏第一打席。イチローコール。4級目。257本目のヒット。シスラーと並ぶ。しかし、笑顔はなかった。まだタイだからどうしてももう一本打ちたかった。第2打席、258本。チームメイトが球状に出てきてくれたことは特別なことだった。84年の歴史が変わったボール、日々重くなっていくでしょうね。本当はこのまま野球をやめたい、どんなに楽だろう。この数字を目標にというのはとても出来ない。数字だけでは荷ですけれども、野球選手としての能力もですけど、細かいことを積み重ねることでしか頂上にはいけない。それ以外の方法はない。

最終戦、最後の打席、ヒット262

野球がうまくなりたい。そういう実感が持てたらうれしい。それは数字には表れずらいですけど、自分だけで味わいたい。そうやって前に進む気持ちがあれば、ベストに近づけていく。


「結局、ひとつひとつ、小さいことの積み重ねなんですよね」
「いきなり頂点に立つことはできない」

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