ズーット前から気になっていた。
これは何度聞いても違和感がなくならないこと。
何百回と聞いているはずなのに、違和感が残るフレーズ。
「黄色い線の内側にお下がりください」
どこかで聴いた記憶はありませんか?駅のプラットフォームです。
電車がプラットホームに入ってくるときに、電車に近づきすぎるとき読んだから、駅員さんがアナウンスするのです。まあ、それはいいんです。
言いたいのは「内側」?ってところです。
僕にとっての黄色い線の内側は「線路」の方なのです。電車に近づけって事かよ!って、いつも突っ込みたくなる。しかし、駅員さんの言う黄色い線の内側はプラットホームの真ん中の方なのです。
なんで、僕が黄色い線の内側を線路だと思ってしまうか?
多分電車を中心に考えているからです。一方駅員さんは客を中心に考えているのです。
その違いによって解釈の仕方が異なるのだと思う。
僕が自分自身を中心に考えないで電車を中心に考えるか。それは紛れもなく電車の駅という場所にいるからだ。普段は自分を中心に考えているが、駅では電車がメインだ。みんな電車に乗りにくる目的できているのだし。だから、電車を中心に考える。
しかし、駅員さんは毎日駅で働いている。それが日常だ。だから、駅というのは電車に乗るという目的でもなく電車がメインであるという発想にならないのではないか。だから自分中心で考えるから、黄色い線の内側がプラットホームの真ん中のことをさしているのだろう。
そんな理由じゃないのかな?
普通の人は、僕みたいな認識の仕方はしていないのだろうか?
普通の人は瞬時に脳で補正がきくから、普通の認識が出来るのかもなぁ。おれは、そのものをそのまま捕らえすぎているのか?
かみて(上手)としもて(下手)というのがあります。
観客席から舞台に向かって右側を上手といい、左側を下手といいます。
一方、欧米では舞台側の俳優のほうから見て客席に向かって左手のことを
leftいうそうです。
客と役者のどちらを主体にして考えているかは、国や文化が違えば変わるようです。
この例に限らず、そういうケースは日常の様々な事象に散見されます。
要は言葉の解釈などというのは恣意的なものなので、
そこに深い意味を求めることはまさに「無意味」です。
それよりも、黄色いのは線じゃなくて点字ブロックだし。それに、線はあるには歩けど、白色。
いろいろと矛盾している。