「信念のあるカッコイイ日本人が増えてきた」で書いた神田真吾さんについてトップランナーでやっていた。
やっぱり、人間的魅力がありますね。
オーストリア国家公認キュッヘンマイスター
神田真吾
年間数人しか合格しない
16科目筆記試験、5日間の実技試験。
経営学、フランス語、英語、ワイン学、食品法規、従業員教育、観光学、火気取り扱い法規、衛生学、論文、チーズ学、簿記、栄養学、ハーブの知識、など
栄養バランス、料理中の立ち振る舞い、助手への指示の出し方、盛り付け、とすべてを問われる。
320品目の食材
実技試験の食材は事前に知らされていない。分量表などを作り、見習いの人にドイツ語で教える。
資格を持っていると5つ星クラスのレストランで料理長がOK。
試験のとき、見習いの人がソースを捨ててしまった。頭真っ白。臨機応変に対応しないと。フライパンに残っていたものでソースを作ってなんとかなった。
一生に一回しか受けられない試験。
緊張、寝れない。しかし、落ち着いて状況判断しなければならない。小さいころから剣道をやっていた。そこで剣道素振りで精神統一。集中できた。
合格
ノイエ マイスター 新しいマイスター
と、試験管が肩をたたいて教えてくれた。
小学校3年生のときに友達から料理の本をかりて、シュークリームを作った。初めから成功した、べチャべチャの生地がさくっと中が空洞になるのを見て理科の実験より楽しいと思った。小学生のころの夢は料理人だった。
高校のクラスで文化祭実行委員。お好み焼き屋。女の子がキャベツをゆっくり切っていた。それで時間がない。そこで神田さんが切った。「スゴイ」そこで、男が料理できても恥ずかしくないと思った。その前は男が料理を出来ることを恥ずかしいと思っていた。
大学進学に向けて勉強。高校のころの夢は研究員。浪人した。浪人時代微分積分のテストが帰ってきて、僕の道じゃない。料理人になると決めた。料理人になりたい。自分の道は料理人しかない。夏期講習の授業受けながらフランス語の勉強。それをいった両親は、父は猛反対、母は泣いたが半年かけて説得。それから料理学校。その後ホテルで修行。知人の紹介でオーストリアの名門ノイエポストで修行。フランス料理をやりたかったが、オーストリアへとりあえず行って足がかりにしようと思った。ドイツ語が分からなかった。
ルーキー師匠、初めは壁があったがご飯に誘ってくれてその壁がなくなった気がした。ホームシックになる。お祭りが開かれたときに、おばあちゃんがスープを作ってくれた。&おばあさんの笑顔と暖かさが伝わる。これでホームシックがなくなった。そんなオーストリアに興味を持つ。
愛情って本当に大事。やる気のない料理人が作った料理はうまくない。
忘れられない料理
・母のハンバーグ、どんな料亭や高級食材のものよりも忘れられない。
・子牛の内臓、肺と心臓 煮込み料理、味は繊細、先輩と同じ味を出せたとき、オーストリア人になった気がした。
この方、来年4月日本に戻ってくるらしい、自分の店をもってオーストリア料理を広める。
名門ホテルや、5星レストランから声がかかるが行かなかった。
マイスター試験を受けたのは自分が日本人で、日本にオーストリア料理を持ち帰りたかったから。それが自分の仕事であり夢だから。
オーストリア料理とは自分。自分が変化すればオーストリア料理も変化する。
芯(心)は変えてはいけない。オーストリアの格式や名誉があるから。
オーストリアの地方料理の研究をしている。