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March 02, 2005

良い訳ではないが、知らず知らずのうちに

先日、電車でかっこいいおっさんを見た。
年は60歳ぐらい、白髪短髪で、スーツ、農家出身を思わせるような少し黒くがっちりとした体格。目は輝いていて、夢と信念を持ってそうな感じ。それで、そんなおっさんが、ipod シャッフルを首からぶら下げて音楽を聴いていた。それで、おおって思ったわけですよ。さらに、ipodのイヤホンははじめから着いていたのではなく、よさげなイヤホンだった。クオリアのイヤホンだったら最強だな。

なんか、これだけでは表せないけど、そのおっさんから出ているもの全てがいい味出してた。ああいう、おっさんになりたいと思った。が、なりたいといいながら、別に何の努力もしていないわけである。と言うことは、本心ではなりたいと思っていないのかな。それか、なりたいと思っているけど、その気持ちは大して強くなく、その努力のめんどくささのほうが勝っているのだろう。

で、話は変わる。音楽の話。別に音楽に限ったことではないのだが。分かりやすく音楽の例で。
良いと思った訳ではないが、知らず知らずのうちに聞いてしまう曲がある。この曲聴きたいと思って、繰り返し聞く曲、初めて聞いて猛烈に良いと感じる曲。そういう曲を繰り返し聴くのは分かる。

しかし、別に何にも気にしないような曲、特に良いとも思わなかった曲を気がつくと何度も聴いているときがある。はたしてなぜだろう。自分が意識的に良いとは思っていない。しかし、自分にはあっているから、心地よいから聞き返すはずである。じゃあ、なんで自分では気がつかないのか。気がつかないのに心地よいのは何がそう、判断しているのか?

人間は皮膚や目、口、鼻、耳などから常に大量の情報(影響)をえている。しかし人間はそれを全て処理しきれない。処理しているのかもしれないが、自分の意識化で処理しているのはほんの少し。無意識下で処理しているものたくさんあるわけです。(まあ、処理し切れていない情報もありそう)で、これは、すごい腹が減っていたのに、そのとき怪我して血がだらだら出たら、腹が減っていることに気がつかないことに似ていると思うのです。このように、処理していないものの中にも、処理したらよいと思う可能性を秘めているものがたくさんあって、何かしらのきっかけで処理する余裕が出ると気がつくのかな。

ああ、変だ。上で疑問に思ったことの答えとしてまったく見当はずれなことを言っている。まあ、良くわかんないけど不思議ってことです。

なんとも不思議な存在があるものだな。

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