いやー、人間のなんとなく感じる気持ちと、論理的というか客観的な数値による分析がずれたとする。
例えばAとBの選択肢があったとする。感覚的にはAがいいとする。しかし、客観的データなどをもとに評価するとBがいいとする。
すると、私はなんとなく感じる気持ちを重要視して客観的に出てきた優位な数字をいじりたくなる。
すなわちBの評価を何とかして下げようとして、BよりもAを客観的にも勝っているようにしたくなる。というか、そのような行動に出る。
すなわち、自分のなんとなく感じる気持ち、感性のようなものを一番重視している、重視したい、気持ちに客観的裏づけを無理やり合わせる。
このような行動を私が取るということは、数字を信じるというよりも自分の感覚を重視する人間というものなのだろう。そういう性格と分かったなら感覚を重視するべきなんだろう。そうしたほうが、自分にあっているのだから。
選択肢があって、自ら納得して決めていれば後悔はないはず。あとから、ああしとけばと思わないくらいやれるだけのことをやればいいのだ。