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July 05, 2005

「生きる」という詩

谷川俊太郎さんの、「生きる」という詩を見かけた。この詩を見た時、聞いたとき、耳に入った時、いつか聞いたことある、いつか音読したことあると思った。

そうだ、たぶん国語の教科書に載っていたのだ。それで、授業中に朗読したのだった。

なんか、その朗読に対していい思い出がない。なんか、先生の想定している谷川さんの思いにしたがって読まされている感じがあった。たぶん、人それぞれ違うのだから、どんなとらえ方をして、どんな読み方をしてもいいはずなのに。先生が喜ぶような朗読の仕方をしていた。

なんか、気持ち悪いほどの感情をこもったような朗読する人がほめられていた。僕はあれが本当の姿だと思わない。感情をこめているとアピールするための感情のこめ方だと思っていた。でも、小学校という環境ではそんな疑問を持っても、何の意味もない。小学一年生のコロから批判的だったらしいが、一年生にしては批判的だったかもしれないが、そのころは先生は遠い存在で、完璧で、先生の言うことは正しいと思わされていた。それにしても、小学校教育は難しいな。人生に大きな影響を与えすぎているのにもかかわらず、現状のままでは相当問題だな。

以前、「教職をとっていなくても俺みたいな人は教育実習に行くといい」といわれたことがある。その芸大の彼は、教職を採っていないのに教育実習へ行った。そして自分の信念に従って、実習を行った。しかし、よくわからない学校の論理には合わなかったらしく、単位はもらえなかったらしい。でも、彼はそれならそれでいいといっていた。僕は彼のことを本物の人間だと思っている・。

子供を何十年も教えていると自分がいかに大変な、大切なことをしているかが見えなくなってしまうと思う。(別にこれは先生だけにいえたことではない。他の仕事も同じことが言える。でも、人を育てるということは、それだけ重要だと思うから、とりわけこのような発言になる。)教える技術のテクニカルな部分は長年のノウハウがいるかもしれない。でも、日々の生活の部分は一般の人がやってもいいと思う。子供の世の中に対する考えが開けると思う。

ああ、なんかあんな朗読の仕方をしていなかったらなーと思う。

生きる 谷川俊太郎
生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみすること
あなたと手をつなぐこと 生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬がほえるということ
いま地球がまわっているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎてゆくこと


生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと 生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ


生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ

ぐりとぐら。がNHK教育ロシア語の番組でやっていた。

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