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March 13, 2005

2001年2月25日

高校2年の頃だろうか。4年ぐらい前かな。

この日、情熱大陸で、松井 龍哉 さんをみて一人でワクワクしていた記憶がある。そして、メールを送って返信をいただいた。

そして、ROBODEXでは、直接お会いすることも出来た。PINOとかデザインした方です。

そんな松井 龍哉さん、何気なく情熱大陸の過去データを見ていたら、思い出した。そして、ググッタら、いろいろインタビュー記事が出てきた。それをよんでいると、すげー共感すると言うか、しっくり来る。やっぱり、おれが、これだと思う核は変わっていないのだろう。

ああ、なんか今日はワクワクすることが多い。


こんなことが書かれていた。

今も僕、バックは肩から下げるやつ。要するに両方の手は、物を創るために空けてある。

物を創る人は、本質を知っている


それに、デザイナーの基本というのは、現場に足を踏み入れた瞬間、平行・垂直・水平をわからないといけないんですよね。ものが曲がっているかどうかを一発で指摘できないと職人さんになめられるんですね。

平行・垂直・水平を瞬時に判断するためには、常にその訓練をやっておかないといけないんです。だから机の上にものを置くときは、90度で置く。自分のやりたいことというのは、生活のバックグラウンドがないとできないんですよね。ほんとにすべてが生活ですものね。


まんま

長い間の知り合いには、俺という人間はある固定的な見方をされる。
俺は、こういう奴だとか。
それが、生きるうえで制約になりかねない。その期待にこたえるように。行動を期待されると言うことだ。まあ、っそれが、社会一般で言う世渡り上手の人が出来ることなんだろう。みんなからの人気者なんだろう。

ま、そう生きるか、そんな相手の見る、想像する俺なんか無視して、生きるか。それは個人の自由なわけである。

おれは、そんな他人の見方はどうでもいいと思っているが、完全にそうとはいかない。まんま。まんまをあらわせれるようになったら、個人的に一番楽(らく)で楽しいだろうな。

で、ジミー大西先生がすげーいいこと言ってる。

期待へのプレッシャーは?と言う質問に対して。

そんなことはどうでもいいんですよ。
僕にしてみたら
新しいものが出来ていくほど
僕はうれしいことはない

ジミー大西