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November 08, 2005

歩いているとこんな気持ちになる

めぐり合ったすべてが、いとおしく思える。そんな気持ちになります。なんか、全てのもの、人に対して感謝したくなって、支えてもらって生きていけているんだと感じます。

さらに生きれば生きるほど宝物が増えていく。日々生きているということは、宝物が増えていくということなんだなと思いました。


情熱大陸に出た角田光代さんの言葉。

今も死ぬまでの間の旅行をしている感じなんです。
ここで会う人たちって、ひょっとして明日会えないかもしれない。
旅先って、ご飯とかが美味しかったら、
お店の人に『美味しかった、ありがとう。』って
自然に出て来て、言うじゃないですか。
二度と会えないかもしれないから、
気持ちよく別れようとするじゃないですか。
日常生活もそんな印象を持ってるんですね。
今日会った人にもう会えないかもと思うから、
気持ちよく笑って通り過ごしたい。

http://mbs.jp/jyonetsu/2005/20050320/goroku.html

歩きながら流れた歌

「川の流れのように」この歌が頭の中を流れた。
この歌詞が歩いていた僕には実に心にしみたのだ。
かなり、オーバーラップするところがたまらない。
 
  知らず知らず 歩いてきた 細く長い この道
  振り返れば 遥か遠く 故郷が見える
  でこぼこ道や 曲がりくねった道
  地図さえない それもまた人生
  
  ああ 川の流れのように ゆるやかに
  いくつも 時代は過ぎて
  ああ 川の流れのように とめどなく
  空が黄昏に 染まるだけ

  
  生きることは 旅すること 終わりのない この道
  愛する人 そばに連れて 夢 探しながら
  雨に降られて ぬかるんだ道でも
  いつかは また 晴れる日が来るから
  
  ああ 川の流れのように おだやかに
  この身を まかせていたい
  ああ 川の流れのように 移りゆく
  季節 雪どけを待ちながら

  ああ 川の流れのように おだやかに
  この身を まかせていたい
  ああ 川の流れのように いつまでも
  青いせせらぎを 聞きながら

好きなとき:一人でヒタスラ歩くとき

好きなとき:一人でヒタスラ歩くとき

こんなことを書いていた。。。3年ぐらい前の自己紹介みたいなもので。

読んでそんなこと書いたかな、と思ったが書いたには違いないのだろう。

「一人でヒタスラ歩くとき」って。ねえ。まあ、今回歩くのが好きとかではなく、歩いた。ひたすら。もう十分と言うぐらいにね。

特に意識することなく書いたことが、こうやって後の行動に影響を与えるというか、なんというか。根底では同じものが続いているというか。

歩き終わり、東京に戻る

しかし、医者に行かないといけないという。。。
足を酷使しすぎたから。まあ、これぐらいは想定内。

歩くという単純で普通の行為、その距離を長くするだけで「精神と肉体」の限界をそしてその関係を生々しく感じることが出来る。

今までの人生で一番印象的な出来事になった。


歩いている間ずっと考え続けたこと。目的地を岐阜にするかどうか。悩んだ結果、名古屋に変更。
別に名古屋という場所に大きな意味はないのだが。岐阜じゃないというところに意味があるわけです。

まあ、無事に東京に戻りました!ってことでした。

400キロの道のりと20センチの一歩

400キロの道のりと20センチの一歩

400kmは400,000mだ。20cmは0.2mとなる。

400,000m÷0.2m=2,000,000 200万歩ということになる。200万歩ってどれぐらいだろう。一日一万歩歩いたほうが良いととか言ってるから、普通はそれ以上歩かないのだろう。もし、毎日一万歩歩いたとしても200日分ぐらいになる歩数だ。気が狂うほどの歩数。それだけ歩かないと到達しない。

200万歩に対して1歩がどんな意味があるのだろう。

家を出る時のはじめの一歩ってどんな意味があるのだろう。コンビニへ行く時に家を出る一歩、大学へ行く時に家を出る一歩、海外へ行く時に家を出る一歩、名古屋まで歩くときに家を出る一歩。それぞれの一歩何が違うんだろう。

何で歩くのか?

歩きながら考えたこと。

感じたこと。

それはごくごく単純なことだった。

東京から歩いた道

とりあえず、時系列で事実だけをメモしておきます。思ったこととか考えたことは特に書いてありません。

10月28日

28日金曜日の6時30分に起床して7時に家を出た。前日は上野で久しぶりにみんなと話して楽しかった。いろいろ話したり、砂場で無邪気に暴れたり。そんな時に、明日の朝から歩くと言うと、「また苦行?」と笑って、友達に言われた。このときは、言葉ではその意味は分かっていた。しかし、実際に歩いている時に、あの言葉の本当の意味が分かった。

で、28日の7時に家を出た。バックパックには寝袋やシート、着替え、薬、洗面用具などを詰め込んで。服装はいつもの乾きやすいシャツにジーパン。ウィンドブレーカーというたびに行く時や山に登る時の基本的な服装。東京のど真ん中をこんな格好で歩くのは少し目立つ。だって、国道1号線沿いに行く予定なので、とりあえず日本橋に行くからね。そのあたりといったら、オフィス街。時間も時間だったし。

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まず、近くの99ショップでスニッカーズ2本、スポーツドリンク、クッキーを非常食として購入しバックパックにつめこむ。さらに、ノートや電池なども購入。上野公園をすり抜けて、9時に日本橋へ。ここは東海道などのスタート地点となるところ。そこから、国道一号線に沿って歩き始める。すると、三田に。自分の大学の横を通ったので、少し休憩。歩きながら常に水分を取り、歩き続けた。荷物がけっこう重く、足も疲れてきた。そんな時、神奈川県(川崎市)に入った。こういう分かりやすい変化というか、進み具合がわかるものがあると力が出る。昼の13時15分だった。

日本橋

17時ごろ、横浜にくる。しかし、標識には国道一号が2本ある。枝分かれする、右の道も左の道も国道一号。はて、どうしてだ?聞こうにも人がいない。まあ、小田原方面と書いてあったほうに進む。すると、そこは横浜新道らしく、人は歩けないという大問題。さて、どうすればいいのやら。地図もないので、どの道を行ってよいのやら。適当に歩いていると、住宅街に。その公園で人に聞いた。すると、かなり違う方向に来てしまっているみたいだった。暗くなって、迷って、一人でいるときは嫌なものだ。近くにあったガストで夕食をとり、どうしようかいろいろ悩んだ。悩んでいても仕方がないので、店を出ることに。その時、デリバリーをしているバイトの人に道を聞いた。するととても親切に教えてくれた上に、飲み物でも買ってくださいと餞別までくれた。泣きそうなくらいうれしかった。22時10分に西横浜駅まで着て、この日は歩くのを終えた。

まあ、はじめは道に迷うのが多かったりしたけど、こうやって、迷いながらいろいろ道路のつくりについて分かってきたし、感覚的にどちらへ進めばいいかがわかってきた。

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29日

5時に起きて、6時に出発。このリズムが歩き終わるまでずっと続いた。空が白んでくると同時に歩き始めるのだ。この日は天気があまりよくなかった。雨が降ったりやんだり。雨が少し降ったからといって歩かなければ、先へ進まない。何日あっても終わらない。だから、傘を差しながら一歩一歩前に進んだ。歩道がないため何度か国道一号からはずれ遠回り。標識は車に乗っている人用に作られているので、標識ばかり信じていくわけにも行かない。地図もないし、歩くには感とコツがいる。現代のマジョリティである車は楽だなと思い、マイノリティは常にパワーがいることも実感。

雨も降るし、疲れてくるし、歩く以外やることないし、まだ神奈川だし、いったいいつになったら到着するのか。。ということで、何で歩いているのだろう、もうやめたいと思い始める。しかし、耐える。ひたすら耐える。そして、重たい足を引きずるように一歩前に進めた。何度も休みながら、時には休んで寝たときもありながら、平塚まで来た。寝る場所を探すのが大変だった。野宿する場所の条件は、屋根がある、近くにコンビニ、24時間のファミレスなどがあること、人目につきにくいところというものだ。なかなか良いところを見つけ、平塚で寝た。

はじめのころは一日歩き終わると放心状態のようになっていた。

30日

5時50分起床、6時15分出発。夜中は人が来ないかとか気になる。そこで、ぐっすり眠ることが出来ず何度も起きた。野宿で熟睡は出来ない。

12時ごろに小田原宿についた。しっかりした建物が作ってあり、そこでお茶をもらって少し話した。あまり人とも話せないので、こういう機会はうれしい。唯一の救いはたまにみる美しい景色と音楽だ。それがなかったら歩くのが退屈すぎる。無になるということが一番楽なのだが、それが出来るようになるまで4,5日かかったな。ああ、これは本当に苦行だと思った。耐えるしかない。ひたすら。肉体と精神の限界を感じた。肉体と精神とのバランスは非常に重要なんだと。

小田原から箱根を目指した。旧箱根街道で山登り。けっこうな坂道だ。足が痛いのでけっこう負担がかかる。畑宿と言うところが箱根の山の中にある。そのあたりで暗くなりそうになったので、危険かなと思いこの日は終わり。山の中で一晩越すことに。寒かったなー。

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31日

朝起きるとあまりにも寒かった。体操をして体を温め、ホットの缶コーヒーを見つけ飲んだ。6時30分に出発。石にコケがあって、それが夜露でぬれていてすべる。こんな時間に誰も歩いているはずもなく、滑って怪我をしても助けてもらえないので気をつけて歩いた。元箱根につき、9時には静岡県にはいった。静岡に入ると気温が上がった。そう感じるぐらい暖かだった。さらに、風景も変わって畑が増えた。さらに、99ショップが消えた。それまではかなり見かけたのに。まあ、三島までは下り坂。歩きの場合は下りもつらい。自転車は下りはスーイスーイといけるからうらやましい。

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ちょっと遅れていたので、三島を通り越し富士まで行こうと思う。が、意外と遠い。一号線が上に走っていて、その下の草がボーボーにはえた道を歩く。真っ暗で、何も見えない。襲われたら終わりだなと思う。懐中電灯で照らしながら急ぎ足で歩いた。かなりの距離だったな。それで、富士に着いたかと思ったら、市街は遠い。。ので、野宿。

11月1日
5時30分に起きる。昨夜は蚊より少し大きい虫に顔をさされまくった。大量に虫に刺されるとこの上なく不愉快になる。そして、ローソンに行って朝食を買った。そして、ふと前を見上げると太陽の光を浴びて赤く染まった富士山がドカーンとあった。昨夜は真っ暗な中を歩いていたので富士山の存在すら気がつかなかった。それにしても、偉大だった。いきなりもらったご褒美。

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また、道に迷う。1号線が歩けないのだが、どこを歩いていいかわからない。こんな時間人もいない。コンビニで地図を見たり、いろいろ歩きながら道を探った。 2時間ぐらい迷ったのだろうか、やっとルートに乗れた。そしたらあとはただ歩くだけ。本当にただただ歩くだけ。それ以外何もすることはない。途中から旧道になり、由比の町に。この町はなかなか昔の町並みが残っていて良いものだ。そこを通り抜ける。バイパスと高速のすぐ横に自転車専用道路があるという。海がきれいかなと思い、そこを歩くことに。ところがどっこい、海があまり見えない。その代わり排気ガスだけはすごい。しかし、見つけた。怪しげな通路を。高速道路の下に薄暗くて水が滴り落ちるような通路があった。明らかに、一般人が通るところではないと思ったが、進入禁止とも書いてないので行ってみる。すると、海が迫ってきた。かなりのものだった。この日は暑かったし、太陽の日差しも強く、ザ海って感じでした。いやー、たまらなかった。しかし、ここは歩けないので、痛い足をかばいながらもどる。そして、一路静岡を目指す。
PB010166
静岡に着く直前で、今年の6月ぐらいに通った道を通る。ハッと思い出した。あの時はみんなでワイワイ話しながら楽しく通ったなと。今回は一人で、足が痛くて、夕暮れ時。なんと寂しいのかと思いながら、友達の大切さを再認識なんかしたりして、17時30分には静岡駅に到着。これ以上足に負担がかかるのを防ぐため膝と足首のサポーターを購入。

2日

5時に起きて、6時に出発。宇津ノ谷の道の駅に着いた。そこで、トラックの兄ちゃんとおっちゃんに道を教えてもらう。この先は歩道がなくなるから、迂回のルートを教えてもらう。その後、初めての長い(900メートルぐらい)トンネル。怖い。マジ怖い。音がうるさい、迫ってくる。まあ、そこを超えて、旧道に。岡部宿で団子を食べた。

大井川を渡った。この橋も長い。長い。大井川の水はけっこうきれいだったなー。掛川へ行こうと思っていたが、その前に峠があった。それも歩道なし。トラック通る。危険。夕方過ぎたので暗くなる。そんな時に、道が分からなかったので、金谷観光案内所みたいなところに行くとおっちゃんがいた。そこで聞くと、道を教えてくれて、ユースホステルがあるとも教えてくれた。みかんも3つくれた。峠の途中にポツーンとあるユースというか民家だった。ポルトガルで一回ユースに泊まったことがあったが、人生2回目のユース。それも日本では始めて。客は僕一人だったが、歩いてきたといったら、そこのおばちゃんがすごくやさしくしてくれた。また、すこし割り引いてくれた。
PB020189
久しぶりにシャワーも浴びた。筋肉痛で足が上がらなかったのに、シャワーを浴びたら足がかなり楽になった。風呂のパワーに驚き。

3日
昨日も寒かった。5時15分に起きて6時15分に出発した。415号を歩いた。その後は1号線の脇に歩道があったので、歩く。インターチェンジが近づくと道が分からなくなる。歩く時のポイントはここだ。このあたりをどう攻略するかで、歩く距離がぜんぜん違ってくる。標識もないので、長い距離を歩き経験に基づく感しかないのかもしれない。道の途中で、道を自転車のおっちゃんに尋ねると、そのおっちゃんは名古屋から自転車で来ていた。それもかなりの軽装備。寝袋も何もなし。そのおっちゃんはふらつくのが好きで、日本中自転車で走っているみたい。変わった人もいるんだな。で、その人に道を聞き、いろいろと話す。野宿の情報交換とか。風呂にどこで入るかとか。そんな話。その後、すき家があったので入る。一号線沿いは、牛丼やが多い。あと、町に近づくと自動車屋が異常に多い。で、そのすき家に入ると、隣のトラックのおっちゃんに声をかけられる。歩いて東京から来たというと、奥にいたサラリーマンも笑顔で話しに参加。そうしたら店員まで話に入り店中で盛り上がる。トラックの運ちゃんに乗せてやろうかといわれるが断った。どうしても歩かなければならないのか?と聞かれると答えようがない。何で歩くの?とも聞かれる。答えようがない。この質問にはいつも悩まされ、毎回考えるきっかけをくれた。店を出る時は、店員さんにがんばってくださいといわれ送り出された。がんばってくださいという人と気をつけてくださいという人がいる。大して考えた上での発言ではないんだろうけど、なんだろうこの違った感じは。

その後、また雨が降り出した。雨と野宿する場所を探すのはいやだ。でも、仕方ない。
天竜川の橋は長いのに歩道がない。トラックが通る。怖い。仕方ない。歩くしかない。なんか仕方ないってことばっかりなきがするが、そのほかの手段がないんだから仕方がない。浜松は遠くからでもアクトシティが見える。あれが目印になる。非常に便利。近づくと窓が見えてきたり、電気がついているのが見えたりと、歩く力をくれる。17時ごろに浜松駅帰着。健康ランドのようなところに行って疲れを取った。フロントで自転車かね?ときかれたので、東京から歩いてきたと言うと200円割引してくれた。

PB020191

4日
5時40分起床。6時出発。浜名湖を見ながら歩く。問題発生、イヤホンが壊れる。なぜか人間の声だけ聞こえなくなる。ボーカルの声だけない。。。歩いている時に音楽はかなりの気分転換になったのに。こんなところで壊れるとは。。12時過ぎて愛知に入った。愛知に入ったときはかなりうれしかった。ととうきたと。アイスなんかを買って、食べて自分のご褒美にした。豊川まで歩いた。

PB040216

5日
5時40分起床、6時出発。この日はひたすら歩き続けた。休んでいない。それもかなりのスピードで歩いた。9時に岡崎市内に入り、その後もハイペースで歩き続けた。そして、名古屋に夜到着。歩きながら考えて、目的地を名古屋にした。その目的地とした名古屋に到着。

いやー、疲れた。終わったと思ったら一気に歩けなくなった。最後交通整理のおっちゃんにコーヒーをおごってもらって、無理してもいいことはないでのー、それだけ出来れば怖いものはないは、そんなことした人が隣におるだけでもうれしいはといわれた。正直、心にしみた言葉だった。

かなり、きつかった。限界だった。歩くことがこんなにつらいとは思わなかった。毎日宿に泊まったり、一人じゃなければ全く違ったものだったんだろう。でも、一人でこの距離を歩いたことは自分にとって最大の財産かも知れない。言葉ではうまく表現できないが、この時期にやってよかった。それだけは確かにいえる。
PB040231

限りある永遠の中で

ただ歩く

ただ歩く
ただ歩く

ただ歩く
ただ歩く
ただ歩く

ただただ歩く

ただただ歩いた

歩ききった

ビデオテープの巻き戻しのように

新幹線で帰った

歩いて来た道の横も通った。その時の記憶や感情が立ち上がってくる前に新幹線はその場を過ぎ去った。歩いてきた記憶が全てリセットされた気持ちになった。

ビデオテープの巻き戻しのように