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March 27, 2005

なぜ、のっぺらぼうを望むのか

世界遺産を見ていた。
ベルリンをやっていて、空中から都市を撮影している映像の裏でソングオブライフが流れていた。

これを見て、実にいいな。いい。と思っていたのだが、ふと思う。いつものように、ふと思う。一人のときにしかこの感覚はない。人といるとこの、ふと思うことはほとんどないと思う。これもなぜだろう、書いていて不思議になった。これも今度考えるか。

純粋に、私は一人の時間が重要だとかよく言っているし、人に自分の生活を詮索されるのは嫌いだ、俺は俺ほかっとけ、俺がお前に何もしないから、お前も何もするなという考え方だ。まあ、一人が好きで、落ち着く。完全な精神的自由がそこにある。そのような脳がリラックスしている状態でしか、ふと思う脳の部分は働かないのだろうか。

まあ、それはいいとして、なぜ、のっぺらぼうを望むのか?といことだ。上空からベルリンを見た映像は、人間の目線から撮影した町と比べれば、平面だ。で、この前、グライダーからの眺めがいいなと思った。これも、比較的平面というかのっぺらぼうなかんじ。まあ、これだけだと、普段見ない高い始点から見るという珍しさを良いと感じているともいえる。しかし、普段見ない高いところからの視点だけではないと思った。なぜならウユニ塩湖がいいと思ったのだ。ここも、何もない一面塩だ。あと、モンゴルの草原も、海を見るのも好きだ。モロッコのカスバから見た大西洋とか、ロカ岬からみた海とか、ただ単に空を見上げるのも大好きだ。星とか見るのも好きだし。

なんか、平面が好きな気がする。平面等言うかあまりごてごてしていない、なんか、一面さあっーとなっている感じだな。

で、問題はなんでそれを見るといいと感じるのか。いつから感じるようになったのか。

まあ、いいものは言いと感じるんだから、それ以上の理由をああだこうだ言っても意味がない。いいとおもうもの説明するってのは、ただ単にみんなに理解してもらうためだけに後付の理由がおおい。いいと思った本質とは違う。でも、なんでだろう。

一面平面であるということ、特に私が良いと感じるのはかなりスケールがでかい。一面さあっーと同じようなものが続いている状態だ。だから、でかいもの永遠に続くようなものが好き、かつでこぼこしていないものが好きといえるのかもしれない。

で、なんでだ。なんでだ。普段見ていないもの、珍しいものを見たいというのがあるんだろう。それは、いろいろなものにいえる。だから、平面がすきという固有な理由にはならない。

なんだ、なんだ、わからんな。

見えない。聞こえない。世界

福島智
東京大学先端科学研究センター助教授

目も見えなくて、耳も聞こえないらしい(盲ろう者)。世界でも盲ろう者で大学の先生はいないらしい。

目も耳も聞こえない人の世界とはどうなんだろう?
言葉とかってどんな感じを持っているんだろう。というか、言葉の位置づけってどんなんだろう?

自分がしゃべっている実感はあまりないらしい。のどが震えるのと体が震えるのでなんとなく分かるらしい。

やれば出来るといっていたが、まさにそうなんだろうな。

私は障害者である、
普通の人間と同じ人間である。
しかし、両社を異なると思う意識を貫く何かを、
見抜かねばならない。

明るくないと生きていけない
面白くないと生きる意味がない

自分の経験とか体験だけで決め付けるんじゃなくて、
教科書の中だけで決め付けるんじゃなくて、
世の中にはいろんな人がいるよって言うことを伝えたい。
ただそれだけ。

純粋にこの人すげぇ。
細かいことなんかどうでもよくって、純粋に盲ろう者が自立できるようにしたいってのと、世の中にはいろいろなことがいることをみんなに理解して欲しいって思ってるんだろうな。

なんか、それがいいこととか悪いこととか、必要とされてるとかされてないとか、そんなことじゃないんだろうな。この人の見ている世界は、生き抜いている世界は。