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April 15, 2005

one-shot learning

one-shot learningが気になりすぎです。aha体験とも言うらしい。0.1秒の同期発火

まあ、科学的にはACC→DLPFCということらしいのですが、科学的にも気になるが、何か引っかかる。

たぶん、人間は脳が全てといっても良くて、さらに言えば脳の動きが全てといってもいいと思うのですが、その中で、重要なのは記憶と考えるということだと思うのです。で、パッと思いつくのがone-shot learningのような感じがするのですが。

でね、脳って不思議すぎるのです。自分の脳の思考過程を自分の脳で見る、メタ認知といいますかホムンクルスといいますか。

自分の脳のことで、昔から俺が言っている。2003年12月17日にこんなことを私は書いている。

思いつきでも、何か頭の中でスイッチが入るとそれを実現に向けて行動する。
同じように頭の中でポカーンと思っていただけなのに、何が違うのか?
自分の中でのプライオリティーが上がった?
そんなもんじゃないよな。
これは、スイッチとしか言いようがない。

たとえば、あと24時間後には行こうと思えばタンザニアにもいければイグアスの滝にもマチュピチュにも、しかし私は日吉にいるだろう。
なんなのかねー。

October 30, 2003にも同様のことを書いている。

で、言いたいことは
たとえば、私が24時間後ぐらいにはにベネズエラに行こうとしたら飛行機を乗り継ぎいくことができる。
しかし、実際は私は行かないだろう。ベネズエラにはいないだろう。なぜだろう?

私が意識の中でそう思っていないから。
そう、意思決定しなかったから。

このように、私にとってこの問題は気になることだったのだ。なんというか、こんなことを書いているとは覚えていなかったというか、one-shot learningを聞いたときに、過去に書いてことを思い出さなかった。でも、なんかすごく気になった。何でかしらないけど、気になった。で、家に帰って少し考えてみると、昔も同じようなことを考えたぞと思い出した。そして、過去のブログを検索したら、あった。それも2回もエントリーしている。ということは、やはり気になることなのだ。どんな思考回路をたどって気になっているのかは分からない。しかし、この問題を気になるという事実は変わらない。私の脳の中にはこのような問題を気になる思考回路が備わっているのだろうか。それにしてもなんで、このような類の問題が気になるのだろうか?無意識的にこの問題に反応する自分の脳の仕組みが気になる。これもone-shot learning
的でなんか一瞬気になると思ったのだ。

もっといえば、2個目(October 30, 2003)は偶然見つかった。なんとなく、大学にあった昔のブログを新しいブログに移行しようとした。そのときに、前以降作業の途中で終わったと思い出し、どこまで移行したかを確認しようとした。そして、 October 2003をクリックしてみた、そうしたら一番上に2個目(October 30, 2003)があったのだ。まさに、セレンディピティですか?幸運が偶然起こる。たぶん、このone-shot learningについて考えていなかったら、そのまま気にしずにながすだろう。しかし、one-shot learningについて考えていたので、このエントリーが気になった。それで、すごくいろいろ頭の中で考えた。ワクワクしてきた。セレンディピティを感じるにはある物事について事前に考えている必要があるのだろう。これは、一生懸命に研究者が数学の難問をといていてちょっと一休みしたときに良い開放が思いついたという話や、夢で見てそれが開放につながったという話に似ている。では、なぜ、そのようなときに良い開放が思いついたのだろう?その時の脳の動きはどうなんだろう?

意思決定の瞬間とかもそうなのだと思う。ここで書いているスイッチがone-shot learningナンだと思う。で、なぜこのようになるかというと、なんか面白そうと思っていて、それを一押しする情報が入ったり、脳の思考回路が何かを感じ取ったのだ。そう思うのはセレンディピティも関連してくると思ってみたり。

aha 体験 でググッテ思い出した。私のaha!体験は不等号の計算だな。なんか、あれがぜんぜん分からなかったんだけど、一瞬でぴカーンときて概念を理解できた。たぶん、ウユニもイイと思ったのはaha!体験だと思うのです。どーのこーのという理由はないけど、なんか感じた。

aha!体験による記憶や自分への影響は非常に大きい気がする。それは何でだろうと考えてみたり。

人生を二回生きたいわけで

人生を二回生きたいわけで、でもそれは無理なわけで。

いろいろな意味からして無理ですね。

本質的に「人生を二回生きたいわけで」に含んでいる意味は、一回この世の中で生きてみて、一回目は実験、そして二回目はそれを踏まえて人生を生きてみたい。この時点で、脳のデータが受け継がれているので人生を二回生きたことにはなりません。

さらに、現実的な意味としては二回いきることは不可能です。一回死んでしまったら、再び生まれてくることは出来ない。

しかし、二回いきてみたい。とてつもなく面白そう。面白そうというのは絶対出来ないと脳が認識しているから、道のものに対するワクワク感と、希少性のようなものにワクワクしているのだと思う。

某先生が、生きている理由は死んだら生き返れないからといいますが、これは究極を言えば正しいと思うのです。

なんで、こんなこと思ったかというと、いけてる人って本当にいけてる。おもろい。最近の私の言葉で言いますとファンキーなのです。痛快なのです。そんな人生を送っている人はたくさんいるわけです。その人たちの年齢は私と変わらないぐらい。で、この人たちは年をとってからも痛快な人生を送るのだろうなと思った。で、現実に目を向けると痛快な人生を送っている大人はほとんどいないと思う。じゃあ、私の周りにいる痛快な人も年を取れば痛快じゃなくなるのか?気になる。で、痛快な人が痛快なままならば、それはすごく希少性をもった人たち。その人たちを小さいところから見てみたい。まあ、これだとタイムスリップしたいのかとも捉えられますが、まあ、それでもいいです。

歌のタイトルも歌手名も知らない

歌のタイトルも歌手名も知らない。

私は、歌をけっこう聞くほうだと思う。雅楽から邦楽から洋楽からCM曲からなにからなんまで。

それは、小学生の終わりからだったと思う。
昔は、なんちゃらという歌手のなんちゃらという曲という認識を持って、そして実際に歌手名もタイトルも覚えていた。知った上で歌を聞いていた。

しかし、最近といえば、歌手名もタイトルも知らない。いいなと思った曲でタイトルおよび歌手名を知っている歌なんてほとんどないのではないか。だから、人に○○○って歌いいねとか○○って歌手いいねといわれても分からない。歌を聴いて初めてああ、この歌好きと分かる。

でも、連続で100回くらい聞いてしまうくらい好きな曲もたくさんある。しかし、タイトルも歌手名も知らない。別にどうでもいい。歌手が誰であろうと、タイトルがナンであろうと、チャートでトップ10だろうと、売れていようと、売れていまいと、関係ない。ただ、聞いて心地よければいい。それ以外に私は興味がなくなったのだ。

これは大学に入ってからだろう。昔はタイトルや歌手名というものに価値を感じていたから覚えていたのだろう。しかし、今は歌そのものにしか興味がない。

たぶん、これは歌だけじゃなくて、社会の見方とか様々なものに対する考え方も変化したのだろう。昔から、権威とかそういった類のものは嫌いだった。それは嫌いだったのだ。しかし、権威というものにすがるというか、知名度のあるものやみんなが良いとするものに頼っていた部分があった。しかし、自分は自分、良いものは良いという性格、それだけ自分に自信を持ったというか、ずうずうしくなったというか。まあ、社会不適合度が上がっているとも言う。名前を覚えなければコミュニケーションもとりづらくなるのだから。

新橋のど真ん中でタイムスリップした

先日、新橋を歩いておりました。
すると、信号が赤になり交差点で待っていました。
すると、後ろから声が聞こえてきた。

年は70ぐらいのおじいさん二人がなにやらしゃべっている。

A:ライブドアフェニックスはどうなったんかなぁ?
B:ああ、ライブドアフェニックスはダメで、楽天が入ったはぁ。
A:そうか、じゃあ、6チームと7チームやな
B:近鉄がなくなったがな

って話だった。おじいさんの口からライブドアフェニックスというなんとも不釣合いな言葉が出てきて驚いたのもつかの間、おいらの脳は昔へ戻っていた。

そのおじいさんたちと俺だけ少し前にタイムスリップしているようだった。ライブドアと楽天どちらが新規参入するかのニュースが毎日のように報道されていたまさに、あの頃に。

なぜだろう、自分の頭からほかのことが抜け、目から入ってくる周りのものからの情報もなくなっていた。なんか、そのおじいさんの話しかアタマに入ってきていない感じ。

その当時の他の記憶も思い出し、現在というものが存在しているのかもあやふやになった。まさに、今がライブドアと楽天が参入を争っている、まさにそのときであるかのような感覚。

そして、ふとカトマンズを思い出した。カトマンズの町を夕方歩いた。完全に、あれはタイムスリップだった。今回のおじいさん現象が町中で起きていた。町中が過去だった。なんか、ドラえもんのタイムスリップみたいな感じ。