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May 22, 2004

今日の語り

昨日とは全く違う語りが行われる。

場所は上野の、ガードしたの焼き鳥を焼くおっさんしか行かない居酒屋。
相手は、高校のときにディベートをやり続けた、先輩。
といっても、東京大学に5年間行くので同い年です。
そんなの、究極的にどうでもいいです。
しかし、どうでも良くない部分があります。

高校時代、彼のことを尊敬していました。
はっきりいって、頭の切れがすごすぎる。
ディベートを見てると神に見える。
実際、全国大会優勝して、そのときのベストディベーター賞。
正真正銘の日本一の男ですから。

で、僕は尊敬していた。
仲はかなり良かったけど、年上ということもあり、何か目には見えない境界線があった。
しかし、彼は留年した。
そこで、同い年に。
さらに、僕が西日暮里に引っ越したので、本郷3丁目とかなり近い。
で、3年になってから二人でちょくちょく飲む。
この二つの理由により、境界線がなくなった。
ので、ため口に完全になった。
これは、失礼な話といえばそうだ。
僕は、年上の人にもため口を聞いてしまうときがある。
でも、そこには大きな理由がある。
境界線を越えた話をするため。
敬語というものは、二人の間に大きな溝を作る。
だから、その溝を取り去ってマジで話したいときはため口を使わざるをえない。
みなさん、すいません。
この場を借りて、僕の言葉使い「ため口」を謝ります。
本当に、すいません。
それと、僕の意図を理解してくれたらうれしいです。

で、本題。
彼とは、一般に言われる哲学というものについて語る。
僕が大学一年のときに書いていた日記を見て、そのようなことをひたすら考えていていると知ったらしい。それ以来、生きることとかについて語る。
彼は理系だ。だから科学的なアプローチからもかなり深いレベルで語れる。
(理系だからといって一概に科学的と言えないんですけど)
さらに、哲学とかを大学で勉強しようかと迷ったくらいな人なので、精神論的なめんとか哲学的な面からの考えも鋭い。

彼は、一般に言われる熱い人間ではない。
サークルもやってないし、部活もやってないし。
NPOとかで働くわけでもない。
でも、そんなのどうでもいい。
熱いからすごいわけでもなんでもないんだから。

僕とは一見、かなり方向性の違う人に見えるかもしれない。
でも、本質的には似ているのかもしれない。
だから、マジでトークをする。
ただ、彼の知識量、今までに考えた量、頭の回転率が半端ないのでちょいと大変。
僕も頭をフル回転しないといけないからだ。

で、方向性の違ったような人間だから語っても面白い。
(彼が言うには、表面的な行動では違っていても、人生とかについてマジで考えている人は、話しても面白いらしい。そこに共通のものがあるらしい。)

で、幸せとは何か、人間とロボットとか、死ぬこと、クローンなどについても語った。
彼の独自の視点は面白い。
あえて、この前の10時間トーク@西日暮里のネタも振ってみると、面白い返答が帰ってくる。

言葉では表せない、イメージというか人間にあるふんわりとしたような何か、コレについてのトーウが面白かったのだが、言葉では表せないものを二人で語っているのでココに書けるはずがない。
それが残念。
でも、僕の中にイメージとしては残っている。

自分というものを作り上げている、自分を自分たら占めているものは何かについても語った。
僕が、手をなくしても、足をなくしても僕である。もっと減らしていっても僕である。
脳の一部を切り取っても僕である。
じゃあ、何が僕を僕たら占めているのか。
物質ではないのか。
となると、全く同じ物質で、全く同じ情報を持った自分を目の前に創る。
でも、その前の自分は自分でない。
では、なぜか。
それは、自分にしかない、自分にしか考えられない、何かがある。
何かというと、表現できないので逃げている感じもする。
でも、違うのではないか。
コレについても、答えを出すことはできないので、考え続けます。

次は、夢を見ているときに人間は無意識のうちに、夢を見る。
これは、脳が動いている証拠だ。
さらに、友達と話していて自分が今まで考えていなかったことを話すときがある。
これも、そのとき話していること、話そうとすることを考えているはずだ。
しかし、それと同時に脳のどこかでは、別のことを考えているはずなのである。
たとえば、パソコンで操作をするとき、マウスを動かすとポインタが動く。
それを直感的に知り人間は動かす。
しかし、CPUはいろいろ計算しているはずだ。
でも、それを使う人間は知らない。
コレと同じで、人間も自分では気がつかないで、脳を使っているときもアル。
ココの部分(意識外の思考)はその名の通り、気がつかないので頭が動いてないように見えるけど、実は頭が動いているのかもしれない。

人間とは何かの彼の定義は「自分が人間と認識する」「自分を人間と認識している”人”が人間と認める」らしい。ロボットというと、一般的に金属でできたものをイメージするが、今後、もっとやわらかい素材でできたというか、クローンのようなロボットもできるだろうと彼はいう。そのような時、人間とは何か、どう定義するのかを考えた上の結論らしい。

で、就職活動の話にもなった。
就職活動が実際にまだ迫っていないので甘い考え方なのかもしれない。
でも、今だからこそ考えられることはあるし、考えるべきことがある。

あと、幸せって何ですか。
うまいものが食えて、休みたいときに休み、やりたいことができて、家族や親友がいて語れる環境。
でも、コレが実現しても幸せと感じないかも。
難しい。

まあ、彼もいってたけど、こうやって語っているのが幸せなのだと。

幸せも何もかも良く分からないけど、趣味なんで考えます。

相変わらず、一貫性のない、文章ですいません。
タダ単に、覚書なので許して下さい。

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