雨のち晴れの日は脳が疲れる。
私は意外とタフであまり疲れたとか感じない。鈍くて感じないのかもしれない。大学に入るまで疲れるという感覚とか分からなかったし。。。まあ、海外行ったときでもケッコウタフだし、長時間頭使っていてもあんまり疲れない。まあ、めったに使うことがないからかも知れないが。
疲れると感じるのは、何が起こると脳がそう認識して、疲れるという言葉が脳に浮かぶかは知らないが、その一連の流れのどこかが故障しているのかもしれない。まあ、こんなことを考えてしまう時点で、故障していると言われればそれまでだ。
で、なんで雨のち晴れの日は脳が疲れるのかってこと。
雨のち晴れという前提を説明する必要がある。まず雨が降っている。これは、家を出ているとき雨が降っていると考えてもらいたい。すなわち、家を出るときに傘を持って出ると。しかし、のち晴れだ。用事がすむと雨がやんでいる。ということは、傘はいらない。しかし、持ち帰る必要がある。(金があって、物を大切にしない人は、放置するのかも。そういう人だったら脳は疲れない)そのためには、傘を常にもって移動しなければならない。家に帰るまでには、用事のあった場所から出て、歩き、信号で止まり、切符を買い、電車に乗りとまあ、たくさんのことをする。その間に傘を置き忘れてはいけない。だから、傘を持っていないとと常に考えておかなければならない。それを記憶しておくために脳を使わないといけない。普通の人なら、ほとんど脳を活動させずに、傘を持ち帰るということを記憶出来るのかもしれないが、私はこのような記憶に人以上に脳を使わないといけないように感じる。だから、常に脳を活動させていないといけない。だから疲れるし、周りの変化だとかにも気がつきにくくなる。ってことだ。前にも書いたが、私は小学生のころに、体育の服装の袋を落としてきた。家に帰って、親に言われるまで気がつかなかった。道を戻ると、何の変哲もない、何か止まる要素など何もない道のど真ん中に落としていた。というように、物を持っているということが苦手である。カバンも手提げを嫌っていた。その理由は忘れるから。そういうと、何度か馬鹿にされ子供じゃないからといわれたが、忘れてしまう。このような能力が著しく欠如しているようだ。いつも同じものをもって習慣化すれば、忘れない。だから、同じカバンをいつも持つ。みんなハイカラな人は良くカバンを服に合わせて変えるが、私はそんなことしたらカバンを忘れてしまう可能性が高い。まあ、カバンはファッションとか気にしないから変えないって理由でもあるな。
あと、足らない能力は演劇や映画(特に外国の)を見ること。正確には見ることは出来るが、理解するのが厳しい。演劇や映画は出てくる人が多い。名前が一気におぼわらないから、ついていけなくなる。さらに、場面がころころ変わるともう記憶していられない。そうなのだ、多分小学生とか幼稚園のころに漫画も読まなければ物語もまったく読まなかったためだと考えられる。そのような思考回路というか、脳の働きが活性化されていないのだ。こういうと、人の気持ちが分からないとか思われるのだが、人の気持ちはある程度分かると思います。物語とかはよんでいないけど、人の心を読むという行動は小さい頃からずっとしていたから。まあ、子供は漫画も物語りも読む必要があるな。事実が書いてないから読む必要はないと言う小学生はよくなかったな。でも生活で支障があるかというと特にない。演劇や映画、漫画、ゲームという娯楽を楽しむことが出来ないと言うぐらいかな。まあ、それなりの楽しみ方はあるんだけどね。あと、ひとつ。テレビドラマや小説は何とかいけます。ドラマは1週間置きなので、みんな前の回をケッコウ忘れているので、それを踏まえて作ってあるから。私でもついていけるレベル。小説も自分の速度で読めるからなんとかいける。しかし、場面が変わりすぎるややこしいのは無理。
転寝(うたたね)という、現実と夢のハザマのような脳の働きが不思議で興味がある。ノンレムとレムなんだろうか。なんか、転寝の状態は不思議だ。非常に興味深い。
それはレム。
僕は昔睡眠学者になりたかった。
Posted by: ぶこにー at April 9, 2005 10:55 PM睡眠学習。
Posted by: tera at April 9, 2005 11:29 PM