春がきーたー、春がきーたーと電車で子供が叫んでいた。
たぶん、3歳と4歳ぐらいの兄弟だった。あの子供の高い特徴的な声で春がき〜た〜春がき〜た〜と連呼。
まじ、のりのりだった。母親は、電車だからやめなさい。と、何度も何度も怒っていた。
で、ふと思った。春がきーたーという言葉は本質的に美しい響きを持っているのだろうか?言葉というものは、人それぞれの経験によってとらえ方がかなり違う。それを超えた美しさはあるのだろうか。たぶん、3歳の子供はほとんど経験がない、さらに春という意味や、桜が春に咲く、とか分かっていないんじゃないかな?
でも、すでに記憶があるからこそ、春がきたと叫べるわけであるから、春が来たという言葉に何かしらの意味を感じているのだろうか。それとも「音」だけを真似して連呼しているのだろうか?音だけ真似して連呼しているのなら、他の言葉ではなくなぜ春が来たという言葉をその子供は選択し連呼したのか。気になるな。
まあ、桜っていいですね。あの淡いいろがいいです。まさに春。私の生まれた春です。