岐阜にいた。
そして、昔の通知表を見た。それも、成績ではなく、教師のコメントや生活面でのAとかBとかを。
幼稚園から中学までを全てよんでみた。すると、面白いことに気がつくのだ。
やっつけな、誰にでも通用するようなお褒めの言葉ではなく、ケッコウ厳しいことを書いてくれた先生もいた。それは正直驚きだった。
成績表をもらった当時は、厳しいコメントが書かれていると自分で認識していなかったと思う。
まあ、それは良いが、その当時のコメントがケッコウあたっている。あたっているというか、今と変わらない。性格検査なるものを最近受けたが、それと同じようなことが多く書かれていた。さらに、今時分で認識している、性格もそこには書かれていた。
結局、幼稚園や小学生の低学年から性格というものの本質は変わっていないのではないか。この事実は私の中でケッコウな衝撃だった。遺伝とか生まれ持った性格というものと環境要因によって人間の特性は決定付けられると思っていた。しかしだ、幼稚園や小学生のころから性格の本質は変化していないのだ。成長過程における環境要因はそれほど小さな影響しか与えないのか?それとも、幼稚園入学前の環境要因が非常に大きく作用しているのか?環境要因が大きいとしたら、双子の場合ほとんど同じ環境で育つはずである。すると、環境によって影響されるとしたら同じ影響のされ方。もし、生まれ持った性格も同じだったら、同じような性格になるはず。しかし、双子でも性格が違う人が多い木がする。すると、環境はほぼ同じだとすると、生まれ持ったものが大きな決定要因なのだろうか。
生まれ持った性格で全てが決まるとは言わないが、ほとんど決まってしまうのか?
だからといって、成長する過程において努力をやめたらいけないよな。
また、5年後と10年後ぐらいに成績表をすべて見直すときがあるだろうと思う。
その時は、何を思い、何を感じるのだろうか。