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May 05, 2005

原色ってなんかきな臭いんだけど

原色ってなんか、きな臭い。胡散臭い。装った感じというか、無理やり作り出した感じがする。自然じゃない感じがするんです。原色は毒々しいんだなぁ。原色は偽物な感じがする。

これだけ書いたら、原色に対するおいらのイメージがなんとなく分かってもらえたかな。まあ、原色は人工的すぎるイメージがあるということです。

普段生活していても、原色は人工的に作られたもので良く見かける気がする。だから、知らないうちに、自分の中にそういうイメージが出来上がってるわけです。

たぶん、普段の生活で原色ではないもの、すなわち何色もの色が混ざり合ったような色に自然っぽさ、天然っぽさ、人間によってる作られていない感じをえるのは、町でみる自然に作られたと推測できるものが原色ではないからなのです。それはなぜかといえば、自然界のものは純粋な一色だけではなく、不純物が混ざっていたりして、原色ではなくなるからだと思うのです。人間が故意に不純物を排除して作り出さなければ原色は生まれない。このように思うのです。

しかしだしかし、エクアドルのガラパゴスへ行った友達からもらった写真をさっき見ていたのです。ガラパゴスといえば、世界中でも人間の手が入っていない数少ない地域だと思うのです。人間が入るときは靴の中敷の間に生態系を壊す虫がいないかまでチェックされると聞いたことがあります。それに、人間は勝手に入れず特定のツアーでしかいけないみたいです。そんなところで撮影された写真です。そこに映っていた鳥の色が鮮やかすぎた。天然とは思えないほどの水色をした鳥の足が映っていたのです。

ほとんどの人が見たことあると思うが、天然の鳥の鮮やかさといったら原色そのものなんです。オスの鳥は鮮やかだよ、そんなの当たり前と言われるかもしれない。繁殖期のアピールで鮮やかになるという理由だろう。しかし、それは羽とかの色が鮮やかになるだけだ。足が、足だけが水色なのである。しかし、私は本質的にそんなことが言いたいわけではない。

原色に対する人工的なイメージも結局は人の手によって作られた社会で作られた私の脳の中のことだけで、本当は原色≠人工的ってことだ。自然のきわみは原色を生み出すのだろう。

しかし、こんなことを言いたかったわけではないんだなぁ。なんだろう、まさに一枚の写真を見たときに湧き上がってきた感情は言葉では表現できない。そうやって逃げるようなことは嫌いだが、この私しか感じることが出来ない感情なのだ。世界じゅうのだれもかんじることのできない。たぶん、あれなんだろう。写真を見たときに感じたのは、自分の固定観念というか、常識が崩れた、何も知らなかったと抽象的な力強さをもって心に響いてきた感じ。テレビでは原色の動物を見ても今まで何も感じなかったのに、今回はなぜか不思議な感情、どうしようもない不安に駆られたのだ。以前のエントリーでも書いた「友達が取った写真は身近に感じる」も関係しているのかなー。

その、おいらを悩ませた一枚の写真(ここをクリックすると見れます)

「抽象的な力強さ」だよな。たぶん。「抽象的な力強さ」
抽象的って、うまく伝わらないと全くもって弱いものなんだけど、なんかの影響を受けるか、抽象的は抽象的でも何か違うものを持っている、または抽象的なものを見る人の視点が少し変われば、具体例なんてたいしたことないってぐらいの力強さを持つ。

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