最近暖かくなってきた。そりゃ五月も下旬になれば暖かくなる。
部屋に光が差し込んでいた。青い空と真っ白な雲の隙間からまぶしすぎる太陽が降り注いでいた。窓を閉めていると風が入ってこないので、温室のように暖かさだけ部屋に伝わる。窓際でふと立ち止まると、太陽の暖かさを感じた。
ふと思い出した。岐阜の自分の部屋を。あの時も窓を閉めて太陽の暖かさを感じていた。この暖かさはほっとする。なんだろう、心が穏やかになる感じがする。
不思議に思った。まどぎわの暖かさを感じることなんてどこでもあるはずだ。普段の生活でも何度もあるなんでもないことだ。しかし、この感覚は一人でいるときにしか湧き上がってこない。
思い出すのは岐阜の感覚だけ。脳によみがえってくる感覚は岐阜の自分の部屋の窓際の暖かさだけだ。不思議な話だ。
思い出される記憶というのは、一番初めに味わったものなのだろうか、一番回数の多いものなのだろうか、一番印象に残っているものが正しいのかもしれない。が、違う気もする。そのとき求めている状態に一番近いものが呼び起こされるのだろうか。子供のころ一番記憶に残っているものなのだろうか。
まあ、人間が状況・状態などを抽象的に記憶する、その記憶の仕方やどのような分類わけをして記憶するかにかかわってくるんだろう。
それにしても夏というのは無邪気さがある。