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May 25, 2005

口に出してしか読めなかったはず

今、ビル・ゲイツ未来を語るを読んでいる。結構長い本で時間がかかっている。しかし、読み続けられるのは面白いからだ。正直ビルゲイツという男のことをなめていた。もちろん、世界中の人がみんな使う商品・サービスを作り上げ、そしてあそこまでの企業を作り上げ、社会の変化を先導してきたのだからすごいとは思っていた。だが、「そうはいってもね」みたいな感情がどこかにあった。

約10年前に書かれたこの本を読んで、すいませんという感じになりました。そりゃ、ここまでの企業になるよと純粋に思った。抜群にすごい。情熱的であり冷静沈着である。すごい。

まあ、それはいいとして、本を読んでいてふと思った。小さいころは黙読なるものができなかった。目で読むことができなかった。目に字が入ってきて読もうとすると自然と文字を口で読み上げてしまっていた。これは黙読の練習をするうちに、口で話さなくなった。練習は文字を読むと口でも読み上げたくなるのを我慢して、口を無理やり閉じて本を読んだ記憶がある。あの、話したいのに「ぐっと」こらえるような感じで。

僕は完全に話しながら考えるタイプだと思う。だからかもしれないが、ちょっとなぜか考えてみた。そもそも、日本語というか言葉を身につける過程として、一番最初にやったことというか、まあ自然になんだけど、実際に大人が話している言葉を聴いて身に着けた。子供は文字なんか書けないけど、話せる。それは大人の話を聞いてなんとなく身につけていったからだ。ということは、もともと人間の脳には言葉というものが音声として記憶されている。音声があってその上で文字があるという記憶なんだろう。だから、小さいころ本を読むと(文字を見ると)、音声の記憶とリンクして、口からも発したくなってしまう。ということなのだろう。

しかし、大人になると口に出して本を読んでしまう人は少ない。ということは、脳の中で音声と文字のリンクが弱まったと考えられる。となると、人間にとっての言葉の意味合いも、捉え方も必然的に変わってくるのだろう。どのように変わるかとか、気になる。

あと、言葉なんてのは本当に話したり、文字になっているものよりも、抑揚とか顔の表情などの文脈から意味を理解しているのだな。だから、外国語を学ぶのも音声だけよりも映像、映像だけよりも生の現場のほうがよい。話している状況を感じ、顔の表情や抑揚、その場の空気から読み取って、現地の人の思考パターンを感覚的に理解したり、文脈と言葉の関係性を理解することによって言語を習得できるのだろう。そのトライアルアンドエラーの繰り返しによって言葉は習得できるのだと実感。

だから、古典とか苦手なんだろう。私が電話が苦手な理由(以前のエントリー)も文字からよりもその場の状況から意味を理解するタイプなので、古典のように完全に文字しかないものから理解することが難しいのだと思う。

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