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September 28, 2004

モラトリアム

大学=モラトリアムではなくなったと最近言われる。
実学を学ぶ場だと。

でも、なんか違うように感じる。
僕はモラトリアムでOKだと思う。
モラトリアムであるべきである、そのくらいで思っている。

なぜかといえば、まあ、たとえば例を挙げよう。

高校まで田舎で育った人、特に地方の進学校なんかに行っちゃってた人。
これを想定してほしい。
こんな人は、小学校、中学校ではいわゆる優等生と言われていただろう。
進学校(高校)にいけたのだから。
そんな人たちは、小学校・中学校時代はいい子といわれて悪いこともあんまりしていないだろうし、
親の言うことを素直に聞いて生活してきたと思われる。
そして、高校に入ればいわゆるイイ大学にはいることがいかにもすばらしいことかのように先生を含め、周りに洗脳され、英単語を覚え、数学をひたすらとき、意味不明な古典を一生懸命、奥にある学ぶ理由や、数学の理論の本質なんか考えることなく、問題だけ解けるように頑張ってきただろう。

そんな人たちが、いわゆるイイ大学に合格し、地方を離れる。
なにも知らない田舎モノの18歳が東京なんていう、世界でも一、二を争う大都市、そして狂った町に来てしまう。初めての一人暮らしで、浮かれちゃっている。それで、一人暮らしになれ、サークルでは大学といったらテニスなんて思っちゃってテニスサークルに入っちゃって、ラケットだ、合宿費用だと金がかかる。ああ、バイトしないととバイトとサークル活動に明け暮れる。時は経ち、いつの間にか3年生。就職活動。どうしよう。将来何になろう。ああ。何も考えてない。って感じの人がケッコウいると思う。

これは実学を実践しているとは言いがたい、
僕が思うにモラトリアムって感じでもない。

で、こんな状況で将来どうなりたいとか考えているか?そんな時間ない。
最近の学生は一人でいる時間が少ないように感じる。
一人の時間がなければ、何も考えられない。
それに、友達と将来についてや、生きるとは、人生とはってことをあまり話さないらしい。
サークルに入っている人は、飲み会ではずーっとコールがかっているかゲームをしているようだ。

まったり、飲みながらいろいろ語らうということはないのだろうか。
僕は語らいながらの酒以外ほとんどありえない。

そこ語らいによって気づかされることもかなり多いはずだ。


で、田舎から出てきた新入生は社会のことなんて何も知らない。
社会とはかけ離れたところで、受験勉強をして、
社会で生きていくために必要なことは親が全部やってきた。

そこで、思う。
大学に入ってこれがやりたい。これしかない。
一生これをやる。こうなりたい。と決まっている人はそれをやってくれていい。
しかし、今あげたような人生を歩んで、大学に入った人は、
そんな自分の将来像なんて持っているはずない。
持っていたとしたら、親に刷り込まれたものか、何かだろう。

で、長々と書いてきたけれども、言いたいことはこれだけ。
自分の将来を高校までの生活では決められるはずがない。
だから、大学時代は4年間でいろいろな経験をしろ。
何か一つに特化してやり続けるのもイイが、
つまみ食いといわれてもイイから、できるだけジャンルを問わずできることをする。
大学生という特権(学生兼大人)を生かして、活動するべきだ。
そして、いろいろなことをして自分の好きなことを見つけ出せばイイ。
いろいろなことを経験したり、いろいろな社会人と話したり、異文化の生活を知ったりしていくうちに、いろいろ考え何か見つかるだろう。

大学時代は、こんな感じで何でも経験するべきではないかと思うのです。
これが僕の言うところのモラトリアムです。はい。

些細なことに気づく

変化に気づく、
客観的な視点。
これは、見失いがち。常に心に留めておかないと。

信頼の置ける外部アドバイザーを置くとか、
何かを始める前の自分の素朴な疑問や、思いをメモしておくとか。
集中して一気にやった後、他ごとをして、一歩下がってみてみるとか。
そうやることが重要だな。
ルーチンで何も考えずにやるのではなく、
何のためにやっているのか、一番初めの思いやビジョンなんかも途中で何回も振り返ったり、
どうすれば、改善できるかと常に考え、メモしたり。
こういう細かいことが大きな差というか、意義あるものを作り出す原動力になるのだろう。


自分が疲れているとか、なんか自分の頭の回転が鈍っているとか昔は分からなかった。
高校や大学一年までは分からなかった。
でも、ああ、今疲れてるとか、だるいとか感じるようになった。
ああ、水分が足りないなとか。
昔は全くその感覚が分からなかった。
年をとったのか、その変化を敏感に感じるようになったのかはわからないが。

視覚、聴覚では伝わらない何か

言葉では伝わらない。
まあ、伝わらないから面白い部分も非常に多いわけだが。
伝えたいけども、無理なのは分かっていながら、
体験を共有できないのはどうももどかしい。

同じような体験をした人なら比較的理解しやすいのだが。

今回の旅の一番印象に残っていることといえば、
ダントツで、ネパールのがけ崩れ登り。

しかし、これを伝えようと思っても伝えられない。
ピンチナ状況で写真が取れるはずもないし。
たとえ写真を撮っていたとしても、分からないと思う。
もちろん、ビデオでも伝わらないとおもう。
においが加わっても。

肌で感じる、その感覚、
実際目の前にそれがある、それを自ら体験しない限り伝わらない。

難しい。
まあ、すべての人にその感覚を分かってもらう必要もないのだから、
そんなにこだわる必要もないのだが。

でも、体験したからといって、そのことについて分かったというのも違うかもしれない。
今書いたがけのぼりは体験したら、そのまま分かるという感じるのだが。

体験して、一部だけを知ってみて、
すべてを知ったつもりになってしまう場合もある。
そのあたりを気をつけないと。
肝に銘じておこう。