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December 02, 2004

たぶん、ちょいと違うんですが

上野駅の甘い臭い 公園口の近くでシュークリームを売っている。その店から漂ってくるあの匂い。甘くて、焼きたての香ばしいにおい。たまりません。これが上野のにおいです。多分一般的なイメージと違いそう。

マルエツ途中の家庭の臭い 

土曜日の午後の臭い、これは焼きそばのソースのにおいだ。
はたして、本当に焼きそばのソースのにおいか知らないけど、このにおいがする家の前を通った時、小学生の頃土曜日の昼間に学校が終わって帰ったときのことを思い出す。家に変えると焼きそばがあった。あのにおいというものは土曜日の昼という記憶をよみがえらせる。

 森の木の臭い 臭いからイメージする

独り言が多い理由が分かった。

脳で考える、その考え方。
それが独り言が多いかどうかを決める。
まあ、自分で何かを考える時にどうやって考えるかなってことです。

上野公園を歩いていてふと思いました。僕は、何かを考える時、話し言葉で考える。「これって何でだ?○○だからかな。なんで、いや、違うぞ。それは。じゃ、なんでだろう?」と、一人二役を演じて考えている。脳で考える時、会話形式で掛け合いをしながら考えを進めるタイプだ。

で、考えてみると僕は話しながら考えるタイプだ。この場合は他人と話しながら考えるタイプであるということだ。人と話している過程を通して、自分でも考え、自分の考えを膨らましていく。

話して考えるタイプ、書きながら考えるタイプなどいろいろなタイプがあると思う。僕が人と話して考えるタイプなのは自分ひとりで考える時も会話形式で考えるからかなと思った。

だから、独り言も多いのかなと思った。自分の脳で話しながら考える、だからそれが声に出てしまって独り言になる。こういうことではないか。

多分、話しながら考える人は文章も口語的になり、いわゆる硬い文章は書けないんじゃないかな。反対に、脳で考える時も書く感じで考える人はいわゆる硬い文章を書ける。書いてしまう。ということではなかろうか。

人間が考える場合どのように考えているのかは、その人しか分からないわけでなんともいえない。だが、それだからこそ、そこに面白みがあるのではないか。自分の脳でも話しながら考えるということを突き詰めれば、何か面白い発見がありそうな気がする。そんな感じが今の僕にはある。

ことば

言葉って難しいですね。
何が難しいかって、特定の単語でも人それぞれまったく違ったイメージを持っている。

それを共有するって難しいな。たぶん、無理だな。
人によっても違うし、同じ人でも状況や周りの環境、いった人、抑揚によっても変わるし。年取れば同じ単語でも感じ方は変わるし。

定義をする云々という問題を通り越してることなんだと思う。

まあ、社会ではそんなこと言っていても始まらないので、殺伐と細かいことは忘れて生きていくしかないのでしょうが。

一年後なんて分からないですからっ

僕は一年後何をしているかは知らない。
当たり前だ、何度も書いているが、

僕という人間は、どうにでもなる。

人の予想を裏切るのがすき、天邪鬼です。

何をやっているか想像付かないらしい。

でも、先がどうなるかをいろいろな要素を踏まえて考えることは重要だ。

バカを装う

バカを装える人は頭が良い。
その人の本質を見抜くのが難しい。
バカを装い自分を下の立場に思わせ、その時に相手を見抜く。そんな作業をしている人が多い。

戦略的だな。


人の話を聞いていると、自分もいろいろな経験をしてきたのだなと気がついた。もっと、経験している人はいくらでもいるんだけど。

あれば食う

単純だ、目の前にあれば食べる。

正確には調理せずに食べられるものが手に取るところにあれば、ある分だけ食べる。
なければ食べない。

単純だ。

でも、こうでない人もいるらしい。

まあ、あれば食うって健康に悪いことでもあるんですけどね。

それに、一口がでかいらしい。全く気がついていなかった。たぶん今まで僕が生きてきたコミュニティの人は一口がでかいから気にならなかったのか、俺がどんくさくて気がつかなかったのか。

食べるのが早くて、食べる量が多いとは知っていたのだが。
まあ、すなわち、一口がでかいということを言っているのだと思った。

でも、そこまで考えていなかったってことだな。
バカだな俺。