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March 08, 2005

人間の意思決定の曖昧さと行動

まあ、思うのだが、私が思っていることを分かってくれる人は少ないと思う。それも表面的なことや業務的なことではなく、根底にあるものを。文章が下手だし、抽象的なことを言うから。
別にひねくれているわけではなく、それは、それでいいと思っている。分かってくれる人だけ分かればいい
。だって、みんなはみんなで、俺ではないのだから。

分かってくれる人は、無駄なことを日々考えている人なんだろうと思う。金にもならないし、知ったから何だってことを、趣味で考えている人。

さらに、伝わりにくい理由は、私の価値観が常識的なものとは少し異なる空みたいだ。それは感情的な面で楽しいと思ったり、ワクワクする元が違うみたいだ。

まあ、それはいいとして、気になることを。
人間の意思決定の曖昧さと行動は不思議で不思議で仕方がない。

2003年12月にこんなことを書いている

思いつきでも、何か頭の中でスイッチが入るとそれを実現に向けて行動する。
同じように頭の中でポカーンと思っていただけなのに、何が違うのか?
自分の中でのプライオリティーが上がった?
そんなもんじゃないよな。
これは、スイッチとしか言いようがない。

たとえば、あと24時間後には行こうと思えばタンザニアにもいければイグアスの滝にもマチュピチュにも、しかし私は日吉にいるだろう。
なんなのかねー。

簡単に言えば今回言いたいことも、これと同じなのです。
この状況になる条件

・習慣的な行動でない時
・絶対やらなければならないことではない時
・一瞬でとてつもなく簡単に出来ることでない時

すなわち、やってもやらなくてもいいこと。そして一瞬ではできないこと。
このようなことをする時の意思決定と行動がイマイチ不思議でならない。

してもいいし、しなくてもいい。
やろうと思えば出来る。

やるという選択肢も、やらないという選択肢も可能なわけだ。

こういう場合の意思決定、私の場合はフィーリング。なんとなくまあいっかと思えばやらない。なんかそう思わなかった場合はやる。

で、問題はフィーリング。なんで、そのようなフィーリングになるのか。その過程が良く分からない。特に論理的な理由付けがあるわけではない。


そう簡単に答えが出ない。
しかし実は答えが出てしまっているのかもしれない。