進化しすぎた脳を読み終わった。ケッコウ面白かった。後半は新目の研究について紹介されていた。科学的なアプローチが多かった気がする。
それとは、関係ないが、駅を歩いていた。すると前に同じ商品と思われる広告が並んであった。
グリコの野菜ジュースの広告か健康食品の広告だと思う。それを駅で見た。その広告は普通のポスターのようなものだった。しかし、ちょっと目に止まったものがあった。そのポスターの真ん中に、紙パックジュースの殻がつけられているようだった。ああ、いたずらされていると思った。これはいたずらかと思った。歩いて、近づいて確認してみると違った。ポスターの立体ディスプレイとして、殻の紙パックが貼り付けてあったのだ。やられた。一本とられた感じだった。
ちょっとへちゃけた紙パックを見た瞬間にいたずらと思ってしまった。これは自分の頭が堅くて固定概念でかためられているからなのかも知れない。そのことにショックをうけた。常識とか、凝り固まった考え方に染められてしまっている。
しかし考えてみればこの固定観念があるからこそ衝撃的な感情を感じることができるわけだ。今まで自分の中で常識だと思っていたことがある、それが何らかのきっかけで崩れ去っていく。今までの当たり前が通用しないものに出会う。このときの出会いは非常にガツーンとくるもので、心地よいものである。あの衝撃的なパラダイムシフトは私の楽しみでもある。この心地よい感覚は固定観念がないと生まれないものなのである。固定観念があるからこそ、それが崩れさる喜びも味わえる。
固定観念が嫌いといいながら、それがないと味わえない固定観念の崩壊を味わえない。なんというものであろう。
まあどこまで型にはまった見方をしてしまうかというのは、経験の豊富さや思考の深さなどに関係してくることである。いくら、固定観念が崩れようと、いくらでも固定観念は壊され続ける。頭の固い私の固定観念はいくらでもあって尽きることはないだろう。ということは、より視点を増やして固定観念をひたすら壊すことをしていけば、嫌いな固定観念も少なくなり、固定観念が崩れる楽しみも多く味わえるのかな。