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June 06, 2005

一生忘れない経験と瞬間

人生には死ぬまで忘れないだろうという記憶がある。

長期記憶というものか。

基本的に一生に一回しかないもの、それは中学校の入学式であったり、海外旅行であったりそんな類のもの。こういったものは比較的覚えているはずである。海外旅行のような長いイベントは要約的なことだけ記憶に残ることもある。

これがなんか不思議である。死ぬときまで覚えている。この一瞬は死ぬまで覚えているんだろうなと思った瞬間があった。その瞬間が不思議だ。死ぬまで覚えているのだから。この瞬間がスパッと切り取られ保存されるような。よくわからない感情になった。

もちろん、何気ない日常の一こまをなぜかずっと覚えていることもあるだよね。

ギリシャじゃねーよ、シギリヤだよ 笑

一回しかあったことない、それも長時間話したわけでもない。そんな人がいる。そいつは一本筋が通っている。かっこいい。

普通だったら、俺からは連絡を取らない。が、無人島に行ったと連絡してみた。予想通り食いついてきた。で、彼は今年の夏にシギリヤへ行く予定とメールが来た。

かってにギリシャだと思って、2回行ったことある。と返信したのだが、私の早合点だった。シギリヤとはスリランカの都市の名前らしい。。。夏休みにギリシャに行くほどリッチじゃねーよと突っ込まれた。ごもっとも。

こんな風にミスをしないようにしないといけないな。でも、ミスをするから新しいことが生まれるのと、人間はミスをしてしまう生き物なので、それを踏まえたうえで調整して認識をしようとするから誤認識するんだけど。といいわけ。

夢を見すぎるということ

無人島では夢を見すぎた。
寝ると毎回毎回見た。

でこぼこの床、塩っぽい風、などなど普段にはない刺激が寝ているときにあり、夢を見たのだろうか。
熟睡できなくて、夜中に何度も起きた。だから、普通なら忘れる夜中に見た夢まで、夢を見たと記憶した。(普通でも毎晩何回も夢を見ているが、夜中に起きないので記憶していない)

まあ、こういった理由があるだろうが、何か無人島で夢を脳からこぼれるほどみたというのは他の理由があると考えてしまってもおかしくない。

永遠

ZARDという歌手がいます。

その人の歌で「永遠」というものがあります。その歌がここ何ヶ月か頭の中で流れます。

君と僕との間に永遠は見えるのかな。これは恋愛の文脈で書かれた歌詞かもしれません。しかし、なんかこの文章が気になるなる。永遠。永遠。永遠って何だ。あるものとあるものの間に関係性があって、その関係性の中に永遠は生まれるのか?

永遠を考えるとき時間的なものとしてとらえる。となると時間とは何かを考えないといけなくなる。しかし、この永遠なるもの時間的概念におけるものだけではない気がする。なんかもっとほかのものに横たわっているものの気がする。

心臓と脳と心と、えもいえぬ感情が生まれてくること

心臓と脳と心と、えもいえぬ感情が生まれてくること。

光村図書とかいう会社の教科書を使ったことある人はわかるかも。赤い実はじけたという作品。中学一年の初めだったかな。そんな記憶が。そこであらわされた心臓の鼓動と締め付けられる感じ。それが
心臓に心があるといわれるゆえんだと思う。

心脳問題+心臓が気になる。日本でも(日本語でも)心といえば心臓。英語文化でも心といえば心臓。これが言葉でも文化としても習慣となっていている。この理由は心臓と心が何か関係しているからではないか。

心が痛むというのは脳が、そう認識しているだけなんだろうか。なぜその時、心臓が締め付けられるように感じるのだろうか。心ってなんだ?心は存在するのか?存在するならどこに?

まあ、ある意味において、脳というものの働きも、痛さ、におい、味に反応することと同じなんだろうか。そんで心臓の周りから血液に混ざって興奮させるような物質が流れるといえばそれまでなのだろうか?その物質は心臓で作られる?