思い立ったが吉日って言葉は天才的な言葉だと思うわけです。
僕は、今しかできないことを重要視したりもするわけなんですが、基本は「思い立ったが吉日」です。
実際にそうだろうなと思うこともあるのですが、この強引なまでの自己正当化っぽさも好きであります。
ということで、思い立ったが吉日。単純な言葉のミスは情けない。しっかり覚えます。人の言葉遣いをいう前に、自分をなおします。
思い立ったら吉日って言葉は天才的な言葉だと思うわけです。
僕は、今しかできないことを重要視したりもするわけなんですが、基本は「思い立ったら吉日」です。
実際にそうだろうなと思うこともあるのですが、この強引なまでの自己正当化っぽさも好きであります。
お台場のアクトシティだっけ、そんなところにあるソニーのExploraScienceってところ。
インターフェース形が多かった。触ると微弱な電機でってのが多かったなー。
でも、衝撃を受けるほどのものはなかった。
インターフェース難しいよなー。一気に、脳でイメージしたことで動かすってことになりそうだな。なんとなく。
当たり前なんだけど、ずーっと不思議なこと。違和感のあることがある。
友達数人と一緒に話していたとする。その友達は、家に帰る。ばらばらになる。しかし、また何日かたったら同じところにいる。これが不思議でならない。当たり前すぎるのだが、これがなんか違和感というか、そんな感じ。もっと極論を言えば、なんか有名な人が自分の近くにいて、話していたとする。その人がテレビに出ていたりした時に感じる感覚。そして、また一緒にいる、その感覚かな。
もう少し言うと、今一緒に話していた友達が、一人はチベットへ行き、一人はアフリカへ。そして、また一緒のところに戻って話していることも似ている。
共有している時間はひとつしかないものであるように感じるのだが、ばらばらになった時に時間がパラレルであるという感覚を覚え、また時間は唯一のものという感覚を覚えるのが不思議なんだと思う。結局のところ自分の意識外での時間の流れというものが不思議というか、信じれないというか、つかみきれていないというか、果たして。。。
そもそも時間って言うよりも、空間の認知の問題といってもいいのかもなー。自分の存在していない空間が本質的にあるのかどうかって話とかもあるしな。
小学校とか中学校とかは夏休みなんだ。
あのコロの生活には区切りがあったな。明確に夏休みとその他の日には白と黒ぐらいの差があった。
大学生は、グラデーションな感じだ。
社会人もまた白と黒の世界だろう。
あの夏休みが訪れる時の独特の感情はなかなかいいものだったな。