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May 05, 2005

どうでもいいが、格安航空会社

アメリカの格安航空会社といえばジェットブルー
ヨーロッパのの格安航空会社といえばイージージェット
プライスラインなんかも安いかも。

最近はインドでも格安航空会社が発達しているらしい。その航空会社はキングフィッシャー航空。
キングフィッシャーといえばあのビール会社だ。インドでビールを飲んだ人ならみんな知っているはずである。キングフィッシャーだ。ストロングビールなんてのもあって、アルコール度数8%かなんか。キングフィッシャーはミネラルウォーターも販売していたはず。そんなキングフィッシャーが航空業界進出だ。ちょっと前にはじめ、今は国内2位とかなんとか。

http://www.flykingfisher.in/

キングフィッシャービール

原色ってなんかきな臭いんだけど

原色ってなんか、きな臭い。胡散臭い。装った感じというか、無理やり作り出した感じがする。自然じゃない感じがするんです。原色は毒々しいんだなぁ。原色は偽物な感じがする。

これだけ書いたら、原色に対するおいらのイメージがなんとなく分かってもらえたかな。まあ、原色は人工的すぎるイメージがあるということです。

普段生活していても、原色は人工的に作られたもので良く見かける気がする。だから、知らないうちに、自分の中にそういうイメージが出来上がってるわけです。

たぶん、普段の生活で原色ではないもの、すなわち何色もの色が混ざり合ったような色に自然っぽさ、天然っぽさ、人間によってる作られていない感じをえるのは、町でみる自然に作られたと推測できるものが原色ではないからなのです。それはなぜかといえば、自然界のものは純粋な一色だけではなく、不純物が混ざっていたりして、原色ではなくなるからだと思うのです。人間が故意に不純物を排除して作り出さなければ原色は生まれない。このように思うのです。

しかしだしかし、エクアドルのガラパゴスへ行った友達からもらった写真をさっき見ていたのです。ガラパゴスといえば、世界中でも人間の手が入っていない数少ない地域だと思うのです。人間が入るときは靴の中敷の間に生態系を壊す虫がいないかまでチェックされると聞いたことがあります。それに、人間は勝手に入れず特定のツアーでしかいけないみたいです。そんなところで撮影された写真です。そこに映っていた鳥の色が鮮やかすぎた。天然とは思えないほどの水色をした鳥の足が映っていたのです。

ほとんどの人が見たことあると思うが、天然の鳥の鮮やかさといったら原色そのものなんです。オスの鳥は鮮やかだよ、そんなの当たり前と言われるかもしれない。繁殖期のアピールで鮮やかになるという理由だろう。しかし、それは羽とかの色が鮮やかになるだけだ。足が、足だけが水色なのである。しかし、私は本質的にそんなことが言いたいわけではない。

原色に対する人工的なイメージも結局は人の手によって作られた社会で作られた私の脳の中のことだけで、本当は原色≠人工的ってことだ。自然のきわみは原色を生み出すのだろう。

しかし、こんなことを言いたかったわけではないんだなぁ。なんだろう、まさに一枚の写真を見たときに湧き上がってきた感情は言葉では表現できない。そうやって逃げるようなことは嫌いだが、この私しか感じることが出来ない感情なのだ。世界じゅうのだれもかんじることのできない。たぶん、あれなんだろう。写真を見たときに感じたのは、自分の固定観念というか、常識が崩れた、何も知らなかったと抽象的な力強さをもって心に響いてきた感じ。テレビでは原色の動物を見ても今まで何も感じなかったのに、今回はなぜか不思議な感情、どうしようもない不安に駆られたのだ。以前のエントリーでも書いた「友達が取った写真は身近に感じる」も関係しているのかなー。

その、おいらを悩ませた一枚の写真(ここをクリックすると見れます)

「抽象的な力強さ」だよな。たぶん。「抽象的な力強さ」
抽象的って、うまく伝わらないと全くもって弱いものなんだけど、なんかの影響を受けるか、抽象的は抽象的でも何か違うものを持っている、または抽象的なものを見る人の視点が少し変われば、具体例なんてたいしたことないってぐらいの力強さを持つ。

意識って

なんか、アメリカの消防士さんが消火活動で脳を損傷して意識を失っていたが、10年ぶりに意識を回復し言葉を発したらしい。

米ニューヨーク大学メディカル・センターのローズ・リン・シャー博士によると、脳に損傷を受けた患者が、こうした回復に至るのは、2-3年以内が普通とし、「10年というのは、ほとんど聞いたことがない。しかし、時にはこういうことが起きるのでしょう。理由はわからないですけどね」と驚いていた。

こんなことを書いてあった。おいらは10年たって意識が回復したことに驚いたのではなく、2,3年たって意識が回復すること自体にも驚いたのです。

その前に、意識がなくなるとはどういうことなのだろう?そのためには意識というものの定義をしっかりしないといけない。

となると、意識の定義。進化しすぎた脳によると、・表現の選択・ワーキングメモリ(短期記憶)・可塑性(過去の記憶)を満たすものが意識の定義とされている。ここでは「言葉」そのものが意識ということになっている。

今回のニュースの件でも意識を回復し言葉を発したとある。(言葉を話せても、黙っていたら意識がないことになるのか?という屁理屈は置いておくとして。)

で、なんで言葉を回復したのだろう?10年間言葉をつかさどる脳の働きが止まっていたから言葉を発していなかった、すなわち意識がなかったのだろう。だが、何らかのことが起こり、脳が動き始めた。そのため意識が復活した。ということは、脳の機能をストップして、何らかの刺激を与えることによって、脳の働きを復活させることが出来るのではないか。そうすれば、エネルギーを効率的に利用できるよなー。でも、それ以上に脳の働きがコントロール可能ってのが怖くもあり、面白そうでもある。

冬眠ってのは、意識がなくなるというものと何が違うんだろう。
特に、何も考えていないけど、ふと気になった記事だったのでエントリーしました。