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June 09, 2005

バランスが悪いからバランスがいい

大道芸のおっさんを見て思った。そのおっさんは、円柱(筒)の上に板を置いて、その上に乗っかりバランスをとっていた。右に行ったり左に傾いたり。ぎこちないと言うか、プロなんだからぎこちないという表現は違うだろうが、なんか右に揺れたり左に揺れたり。でも、落っこちない。すなわちバランスが取れているのである。右に行ったり左に行ったりとバランスが悪いのに、落ちない=バランスが取れている。

もし、右に行ったり左に行ったりしていなくて、止まっていたら絶対に落っこちている。でも、とまっているということはバランスが取れていると考えることができる。このようなバランスがとれていると、結果としてバランスは取れない。

なんかそんな変な、当たり前なことを見て思った。一見するとバランスの悪いような状況のほうが安定している。バランスが取れすぎているほうが不安定だって感じで。


あと、一番じゃなくても社会的にというか自然界では生きていけるということをもう少しわかる必要があるのかもしれない。わかるというか、考え方が極端なので真ん中というか、中庸というか、そんな状態でも勝ち抜けるサバイブしていけるといことを。
おいらはなんでも一番、ベストという思考なので。

論理と直感

最終的に意思決定をする時は直感が多い。

直感がもつ危険性というものがあることは知っている。でも、それ以上に直感の持つ意味合いも感じる。

私の意思決定方法は、一番はじめに感じたままをメモする。次に論理的に考える。データなんかも使ったりして定量的にも。そして最後に今までの2ステップを完全に忘れて(厳密には忘れることはできないが)直感で判断する。

一番初めに感じたままをメモするのは、論理的に考えた後、周囲からの余分な情報が入ってからでは絶対に感じることのできない貴重な思い、感情を書き残すため。

最後に直感なのは、その前に論理的に考えている。それで振り落とされたものがある。そして残ったものの中ならどれを選択しても大差ない。そこで、一番心にしっくりくるものを選択するため。


この会社の社名の由来に似たことが書いてあった。
http://www.outlogic.co.jp/
 「OutLogic」とは、論理的に徹底的に考え抜き、しかし、解は論理の積み重ねを超えたところにある、
という思考過程の在り方を意味しています。直感だけではなく、また、データの積み重ねだけでなく、
データに基づいた論理的思考を重ねたうえで、論理を飛躍する。そうしたイノベーティブなソリューション
の実現支援を、事業の中核目標としています。

言葉の繰り返しは性格にしみいる

言葉の繰り返しは性格にしみいると思う。たぶん人間の性格というのは言葉によって作られると思う。たしかに、小さいころの実際の行動を伴ったことも性格を作り上げる要素だと思う。しかし、赤ちゃんのころはそんなにもいろいろな経験をするわけではない。(とはいっても、赤ちゃんにとってはすべてが実際の行動を伴う経験なのかもしれないが)まあ、それで、言葉というものが大きな要因だ。それも親の。なぜかって子供は、赤ちゃんはほとんど親としかいない。まあ、それ以外でも特定の人だ。少数の人といると、その少数の大人は同じ言葉を使う。同じとはいわなくても言葉に偏りができる。これが私の言うところの言葉の繰り返しであって、これが性格を形成する。

言葉によって人間は考える、意思決定の道具になる、判断のよりどころになる。ということは言葉によって行動が規定される。ということは性格そのものを作っている事なんだろう。

気になる人

気になる人がいる、それは下條信輔さんという方。茂木さんのブログに登場していた方。ほかにもよくいろいろな人が登場するが下條さんはなんか引っかかった。

それで調べると猛烈に興味を持つ。面白そう。「意識とはなんだろうか」という本も面白そう。早速読もう。神経経済学とか面白そうだよな

この企画むっちゃ面白そう「ルネッサンスジェネレーション」 今年のは9月に詳細は発表されるみたい。やっているのは金沢工業大学。やっぱやるなKIT。
http://www.kitnet.jp/rg2004/index.html

カリフォルニア工科大学の下條信輔さんのページhttp://neuro.caltech.edu/index.shtml
jstの戦略的創造研究推進事業 http://www.jst.go.jp/pr/info/info115/shiryo1-3.html

大黒選手は何か落ち着きがある

昨日、サッカーを一人で見とったわけです。すると、なぜか二郎が食べたくなる。深い理由は知りません。

それはいいとして、大黒という選手に何か感じる。あの選手は年齢の割りに落ち着きすぎている。ストイックといわれる種類の選手なのだろうか。サッカー選手ではあまりみないタイプのように感じる。

それか、人生経験豊富なんだろうか、器が大きいというんだろうかそんな感じがする。サッカーがうまいというよりも。もちろん、サッカーはうまいんだろうけど。そういうことはあまりわからないので。

周りへの影響

たぶん生まれてきてからずっと私に存在する問題?(まあ、問題ではないんだけど)は周囲への影響だ。

自分が他者からあまり影響を受けないので、他者も僕の言動に影響を受けないと無意識のうちに思ってしまっている。そして、そのことが無意識のうちに行動に現れる。相手への影響を考えない言動を取ってしまうことがある。気づかないうちに。自分が思っている以上に他社への影響が多いようだ。

それは辛辣なぼくの言葉遣いもかかわっていると思う。

このようなことは、口だけ人間として捉えられる。口だけの人間にはなりたくないから言葉には気をつけよう。それに何といっても、多くの人にいやな思いをさせることは僕も好きではないし。

小学校一年のときにも、周りへの影響を考えないで批判的な発言が多いといわれているし。そんな昔からだからすぐには直らないかもしれないが。日々の努力だな。

実は普段の会話ならそこまで問題ないと思うが、スイッチが入って興奮しだすと強い言葉を使ってしまうことがある。ここが問題だ。でも、この正直な強い言葉が僕っぽさでもあるんだけど。まあ、そのあたり人を見て状況を見てコントロールできるのが大人って奴なんだろうな。

そこに蜘蛛の巣はなかった

そこに蜘蛛の巣はなかった

ただそう思いました。これは無人島の感想です。

人がいない、無人ということは社会という文脈からは完全に切り離されているからです。なんの決まりも制約も常識も何もないんです。蜘蛛の巣のような網の目のような社会的制約はなにもない。たぶん一人で行ったらさらにそう思ったんだと思います。

こう書くと制約が悪く聞こえますが、一概にそうは思いません。蜘蛛の巣のような細かな制約があるからこそ、人間は生きていけるのです。制約と制約のハザマにそれぞれの存在の場を見出し生きていく。それだからこそ人間は生きてゆける。そんなんが現代社会だと思うからです。そんな恩恵を受けて生きている自分ですから。

僕はただあの青が見たいだけなんだ

僕はただあの青が見たいだけなんだ

特に深い考えとかあるわけじゃない。みんな勘違いしているが、本当に僕は何も考えていない。

僕はただあの青が見たいだけなんだから。

サッカーの得点シーンが不思議でたまらない

なんだろう、スポーツをテレビで見るといったら個人的に野球、サッカー、ゴルフ、水泳こんなもんだろうか。その中でサッカーが一番秩序だっていないというか、変化が早い。

野球は順番に塁を進める、ゴルフは一打づつ、水泳は単調、サッカーは攻撃と守備が一瞬に変わる。だから、サッカーは若者が見るのに適しているとかいわれることがある。

まあ、それとも関係するんだが、サッカーの得点シーンが不思議でしょうがない。あの「あっけなさ」ともいえるもの。

本当に得点が入ったのかその瞬間にはわからない。その不確かさ。永遠にサッカーのゴールは見れないような感覚。