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October 08, 2005

南米の旅路、その10

ウユニから塩のホテルへ

トヨタ、トヨタ。ウユニにはトヨタばかりである。チリ抜けの道は悪路だから、タフなトヨタがいいみたいである。ご他聞に漏れず、僕もランドクルーザーに乗ってウユニの町?村?を出た。運転手の兄ちゃんは、街中でパンとかを仕入れていく。20キロしかない道のりを1時間かけていった。道が悪く全くスピードが出ない。その悪路をこのスピードで理解してもらえるだろう。しばらくたつと、見えた。見えたのだ。はじめは蜃気楼かと思ったが、遠くに白く光る水平線が。今まで、こんなにも惚れこんだ場所はなかった。2年ぐらいウユニの今年か考えられないほどウユニのことを思っていた。そんなウユニ塩湖が遠くに、蜃気楼のように見える。とうとう来た。とうとう来てしまったのだ。あれだけ虜にされ、夢見た場所に。涙が出そうになった。

スペインのグエル公園からサグラダファミリアを見た時のようだった。全く本を読まなかった小学生が、図書館で偶然手に取った本が「ガウディの夢」。それをなぜか読み、ガウディに惚れた。椅子にタイルを張る時に、長方形だからきれいに張れなかった。そこで、彼はタイルを割って貼り付けた。その時の僕にはそんな発想なかった。浮かびもしなかった。ガツーンとパンチを食らったような気分になったことを覚えている。その時以来スペインに、ガウディに会いに行きたかった。そんなところに、一人で来た。あの時の気持ちは今でも忘れない。まあ、その時にような気分になった。

車はウユニ塩湖へ向けて方向を変えた。すると、塩の製塩所を通りかかった。山になった塩を製塩していた。とうとう来たのだ。土だったのがいつの間にか、大地が白くなっていた。徐々に塩が混じり、土がキラキラして、塩になった。自然だからいきなり真っ白と言うわけではなかった。徐々に白くなっていった。本当に少しずつ色が変わっていった。だから、気がついたら塩湖になっていたという表現でもおかしくないような感じだった。

南米旅行写真その1
エクアドル、ガラパゴス、赤道、リマ、ナスカなど

南米旅行写真その2
ポトシ、ウユニ、ナスカ、クスコ、マチュピチュ、チチカカ湖など

南米旅行写真その3
ウユニ、チリ、アメリカなど

南米の旅路、その9

ポトシからウユニ

次はウユニだ。やっとウユニに近づいてきた。このために南米に来たのだから、ソワソワし始めてもしかたない。ウユニへは朝7時30分にコレクティーボ(乗り合いバス)がでると、宿のおばちゃんが言った。まあ、信じるはずもない。聞いたら適当に答えるのが南米人である。そこで、インフォメーションに行くと11時。町の人に聞いたら10時。いったい何時か分からない。いや、何時でもいい。バスの出発する場所さえ分かればいつかバスが出発することだけは確実である。だって、伝説の言葉がある。「アキー、ボリビア」(ここ、ボリビア)。すべてが許される言葉である。いい加減だし、謝らないし。でも、ここはボリビア。こっちも、そんな怒りっぽい人間でもないし、何も気にならない。なんでも、楽しませてもらう。

で、朝7時30分にバスの発車場所に。一番早いので10時。おお、2時間半もあるじゃない。まあ、仕方ない。その間はメルカドに行って朝食のスープとセグンド(2番目の皿、メイン)、パンを食べる。警官にも声をかけられいろいろ話したがもう、覚えていない。時間なんて、何をしてようと、することがなかろうが過ぎていくものである。自分の意識が時間に対する感情を抱いているだけで、それで待つ時にまだかまだかと思ってもしかたない。すると、バスの出発時間に。あいかわらず土の道路。ガタガタ。さらに、人がどんどん乗ってきて、通路も人であふれる。問題は窓が開かず、空気が悪すぎ。臭い。生暖かい。おわっとる。まあ、仕方ない。そんなんで6時間か8時間か忘れた。標高も高い。5000メートルぐらい。雪も残ってるし。人を乗せて渡れない橋とか、登れない坂道とかあって、人は歩いて上った。まあ、空気は澄んでいて、冷たくて気持ちよかった。アンデス山脈もきれいだったし。

まあ、夕方にウユニについた。ウユニは想像よりもしょぼい町だった。基本的に平屋しかない。町にはほとんど誰もいない。店はほとんどしまっている。なんか過疎って感じだ。まあ、それは問題ではない。おれはウユニ塩湖のためにきたのだ。僕は塩のホテルにどうしても泊まりたかった。塩湖の中にあるホテルだ。ここはプラヤブランカという会社が塩のホテルを所有しており、ここの旅行会社を使わないと泊まれない。しかし、この会社はサービスも悪く、車も古く、飯もまずく、いい加減という最悪のうわさ。しかし、僕はあんまり快適水準をもとめないから、余裕だろうと思っていた。そこで、プラヤブランカで3泊4日。サンペドロアタカマまで抜けることにした。案の定なんだが、この会社の人はチリに抜けれると当たり前のように言った。しかし、町で会ったドイツ人と話すと、サンペドロ国境は雪で閉まっているという。お前はチリへ抜けれないと思うと。。。言われる。そこで、他の会社で聞くとチリへは行けないと。オイオイ。さすがプラヤブランカ。そこで、ブチ切れに行った。そうしたら、明日は国境が開くとか、国境があくまで日にちを変えてもいいとか言ってきた。まあ、その時考えよう。

なぜ塩のホテルに泊まりたいかというと、泊まらないとランドクルーザーで行って、ちょっと見て帰るだけ。それじゃ物足りない。ホテルに泊まればずっと塩湖にいられる。夕日も朝日もきれい。星も見れる。こんな得点つきだ。たまらんよ。たまらんのですよ。

南米旅行写真その1
エクアドル、ガラパゴス、赤道、リマ、ナスカなど

南米旅行写真その2
ポトシ、ウユニ、ナスカ、クスコ、マチュピチュ、チチカカ湖など

南米旅行写真その3
ウユニ、チリ、アメリカなど

南米の旅路、その9

コパカバーナからラパス→ポトシ

コパカバーナからもバスでラパスへ向かった。チチカカ湖を船というか、ちょうどばすがのるぐらい木の船にヤマハのモーターひとつ。そんなんでバスもチチカカを渡った。それから、ラパスへの道もきれいな景色だった。チチカカもきれいだったし、荒野もなかなかのものだった。ラパスについた。僕は急ぎ足で、テルミナル(バスターミナル)へ向かった。そこで、出会った日本人の人と別れた。バスの中では人生について話していた。ストレート(何をストレートと言うかは、それぞれだがニュアンスは伝わると思って。レールのほうがいいかな)に来た人生を自ら抜け出して、自らの決めた人生を歩む人の話はおくが深かった。まあ、次はバスでポトシを目指した。ラパスで泊まっても良かったのだが、ラパスoutの飛行機だから絶対戻ってくるので、このときはラパスにとまるメリットがない。ポトシ行きのチケットを買った。翌朝5時とかにつくバスだ。悪路と聞いていたし、限りなく寒いと聞いていた。そこで、服も防寒の装備でバスに。

隙間風が冷たかった。さらに、夜中の2時ぐらいにバスが故障。そこで、2時間弱バスの修理が行われた。まあ、仕方ないことだ。それにしても寒かった。故障のおかげで7時ぐらいにポトシについた。ポトシの朝もひっそりとしたものだった。朝も早くて宿もあまり空いていない。仕方なく、開いていて安いところにした。部屋が限りなく臭かった記憶しかない。本当に臭かった。俺がくさいというんだから、普通の清潔な人が宿泊したら発狂すると思う。朝も早かったし、ドアを開けたままにして空気を入れ替えながら、外で日記を書いた。

それからセロリコ(富の山)といわれるポトシ山へ。鉱山で働く人と共に乗り合いバスで行った。ここは本当に鉱山の町だ。鉱山の近くには、作業服を着た人が立ちながら朝食をとっていた。トラックの荷台にあふれんばかりの人が立ってのり、セロリコに入っていった。この町は世界最高所の町4070メートル。そんな町にある山で彼らは働く。彼らは毎日自分の仕事場まで山を登っていく。5000メートルはあろうかというところまで。毎日、毎日自分の場所まで歩いていく。過酷な労働条件で。働くということは何なのか、ついつい考えてしまう光景だった。

南米旅行写真その1
エクアドル、ガラパゴス、赤道、リマ、ナスカなど

南米旅行写真その2
ポトシ、ウユニ、ナスカ、クスコ、マチュピチュ、チチカカ湖など

南米旅行写真その3
ウユニ、チリ、アメリカなど