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October 11, 2005

南米の旅路の読み方

「南米の旅路」を普通に読もうとすると、16から1に向かって読むことになってしまいます。
でも、これは時系列と逆で、読んでも分かりにくいです。

それで、このページ(南米の旅路、イントロ)を表示してください。

これが「南米の旅路、イントロ」です。

このページの日にち(October 05, 2005)の上で、広告の下に
《 南米旅行写真 | メイン | 南米の旅路、その1 》
こんな感じのものがあると思います。

それで、南米の旅路、その1 ってのをクリックしてください。
すると、次のものが読めます。

同じことを繰り返して、その3、その4と読んでもらうと読みやすいと思います。

ああ、でも一番初めに写真を見たほうがいいと思います。
文章は長くて読むのがいやになると思うので。
写真は下のところにあります。
http://www.teratown.com/blog/archives/001846.html
とりあえず写真、こちらからご覧ください

何とかなるスペイン語講座

間違っているかもしれないし、綴りも分からない。しかし、今回のたびで必死に覚えたスペイン語。基本的に単語が分かっていれば問題ない。あと、いくつかの疑問文。活用形なんて知ったこっちゃない。原型だ。通じる、自分の言いたいことが相手に伝わる、同じ気持ちを共有する、それが目的なのだから。

当たり前に使っていたものはメモしていないので、忘れていると思う。でも、次スペイン語圏に行くときにこれだけあると便利だろうなー。自分へのメモ。

テンゴ・・・ ・・・I have
キエロ・・・ ・・・したい
キシエロ キエロの丁寧な表現
クアンド ティエンポ・・・? どれぐらい?
ティエネ・・・? Do you have・・・?
ケ エス ノンブレ? 名前は何ですか?
ケ オラ ・・? 何時ですか?
マスバラート もっと安く(値切る)
ケ エス・・・? ・・・は何ですか?
クアント アーニョス? 何歳ですか?
ポル 数字 ノーチェス、ポル ファーボル (数字)にち宿泊お願いします
エスト バ ア・・・? これは・・・に行きますか?
ア ケ オラ サレ? 何時に出発ですか?
ケ エス エスト? これは何ですか?
ケ メ スヒエレ お勧めは何ですか?
ラ クエンタ ポル ファーボル お勘定お願いします
メヌー デ オイ 今日の定食
イグスタ・・・? Do you like・・・?

ブエノ 良い
ペリグロッソ 危険
セグンド 二番目、メインディッシュ
テレフォーノ/フォーノ 電話
リコ うまい、おいしい
ベンターナ 窓
オホ 目
ケ 何
クアンド いつ
キエン 誰が
ドンデ どこ
コモ どうやって
クアント どれくらい
ポルケ なぜ
エン ・・・にて
クイダール 大切にする
ラピド 早い
レント 遅い
フォースフォロ マッチ
カンデラブロ ろうそく立て
ベラ ろうそく
ソパ スープ
フィフェオス 麺
セーナ 夕食
イグオル 等しい、同じ
ディファレンテ 異なる
ソロ 一つ
エスキーナ 角
メディア 半分、半
PASILLO 通路側
コメール 食べる
パラミ for me
レアール 読む、見る
デスペハード 晴れ
ヌブラード 曇り
アジイ あそこ
サル 塩
トドス 全部
プレサーダ/マンタ 毛布
コーチェ 宿泊する
アルムエルソ 昼食
ドゥーチャ シャワー
カリエンテ あたたかい
フリーオ 寒い
ムイ とても
フロンテーラ 国境
ケソ チーズ
ドミンゴ 日曜日
ノルマル 普通、日常
ノー プロブレマ ノープロブレム
コレオス 郵便局
パペル イヒエンコ トイレットペーパー
ラルゴ 長い
コルト 短い
パペル 紙
エスペラール 待つ
フィニート フィニッシュ
カンサード 疲れる
カミナンド 歩き
コンプラール 買う
カーロ 高い(値段が)
バラート 安い
ポルファーボール プリーズ
ポキート 少し
ペケーニョ 小さい
グランデ 大きい
マス より、さらに
カンビオ 両替、交換する
サリール 出発
ジェガール 到着する
レホス 遠い
セルカノ 近い
ソラメンテ only
アセル make,do
ウステ あなた
ヨ(ジョ)私
セルベッサ ビール
ポヨォ 鶏肉
アロス 米
メグスタ・・・  ・・・が好きです
アビタシオン 部屋
ムイビエン very good
テンプラーノ 早い
トラバッホ 働く
ファーシル 簡単
ディフィーシル 難しい
オートラ 別の
インテリヘンテ 賢い
バイラール 踊る
アブロ 話す
プレード できる
バモス Let's go
エルマーノス 兄弟
コミーダ 食事
ドルミル 眠る
ノンブレ 名前
ディネロ お金
イスキエルダ 左
デレーチャ 右
デレーチョ/レクト まっすぐ
ブエルタ おつり
アジェール 昨日
アオラ 今
ベルデ 緑
ユーリア(ジュビア) 雨
ヤーベ 鍵
デサイウーノ 朝食
アヒー 唐辛子
ピカンテ 辛い
ディスクルベ I'm sorry
ペルドン Excuse me
グラティス 無料
ブエナビスタ よい眺め
アスタ・・・ ・・・まで
デ from
コシーナ 料理する
アリーバ 上
パパス ジャガイモ
アバホ 下
リブレ 空いている
ロッホ 赤
ポシブレ 可能
インポシブレ 不可能
ネセシティート 必要
ノーネセシティート 必要ない
エクセレンテ 最高
マロ 悪い
クイダード 注意
エステ(タ) この
アヤ あそこ
パサヘ 切符
バカ、バカーノ 牛
バカシオネ バケーション
ラピ ペン
カンパニア 会社
ニエベ 雪
インクルーイード 含む
コン 含む with
シン  without
エスタビエン OK
セマーナス 週間
ディアス 日
ディスプエス 後で
ルエゴ 後で
ミズモ(ミスモ) 同じ
モチーラ カバン
ポロキシモ 次
カジ 通り、道


シエン 100
ドス シエントス 200
ミル 1,000
ディエス ミル 10,000

本気で向き合う

外ではなく内と向き合え
外へ逃げている。自分ではなく。
外の何かを使っているだけ。

外へ行っているだけのキがする。内面と向かい合う、内面を掘り下げる

自分のことではなくて外の事を話してる
自分の内面と向き合え
本気で生きろ
着き抜けろ
上流の楽しみを見つけろ
それをつきつめて仕事にしろ
取り繕うな
本気で向き合え
一万円の世界と百円の世界

外へ逃げてる 
南ベイも
大浦食堂も

もっと内面から
内面をみつめろ
他人事になってる

本当にやりたいこと、こころの底からワクワクすることを見つけ、それに向かって命を賭けるぐらいに

10月9日 下北沢のカフェアンドダイニングassoで、向かいに座った茂木さんに、寺町に言いたいことが一つあるといわれて。

南米の旅路、その16-完-

サンフランシスコとシリコンバレー、そして日本へ

ラパスからマイアミに着いた。暑い。それからサンフランシスコに。アメリカの国内線は機内食なんかもってのほか、菓子すらでない。スナックバックとかいって5ドルで売っていた。ああ、アメリカ国内線しょぼーん。

まあ、サンフランシスコに着き、金の節約のために床で寝る。床で寝ると翌朝、体が痛いが仕方ない。ゴールデンゲートブリッジへ行った。バートとバスと歩きで。それから、スタンフォード大学に。かなりでかい。想像通りのアメリカの大学。ここからHP,Sun,google,yahoo,Ciscoが生まれたのだ。そんな大学を歩き回った。アジア系の学生特に中国の人が多い気がした。中国パワー恐るべし。

サンノゼの町にも行った。アドビとかもあった。サンノゼの空港にはでっかいリムジンで乗りつけ、プライベートジェットで飛んでいく人がいた。ここはそんな町の代名詞だろう。プライベートジェットがうじゃうじゃあった。そんな地を後にして、日本に戻った。

南米旅行写真その1
エクアドル、ガラパゴス、赤道、リマ、ナスカなど

南米旅行写真その2
ポトシ、ウユニ、ナスカ、クスコ、マチュピチュ、チチカカ湖など

南米旅行写真その3
ウユニ、チリ、アメリカなど

南米の旅路、その15

アリカからラパス

アリカには早朝着いた。町をぶらぶらして、港へ行った。アリカといったら海の町、港、魚。まさに、そんな町。港へ行くと、相変わらず声をかけられる。僕の顔とキャラは絡まれやすいらしい。悪い奴にと言うわけではなく、普通の陽気な人に。それで、港で魚をさばいていたおっちゃんに声をかけられる。そこで、おっちゃんは魚を捌いて、レモンとたまねぎなどでセビッチェを作ってくれた。そして、貝殻でそれをすくって食べた。取れたての魚はうまかった。取れたての魚をさばいてくれて、調理してくれてそのまま食べる。いやー、いい身分だと思った。

ラパスへはバスで。8時間ぐらいでついた。このときの国境の景色は良かった。山が富士山のような山できれいだった。手前には湖もあり、なかなかのものだった。再びラパスに戻ってきた。すり鉢上の町。すり鉢の底に行く前、上からラパスを見るとなかなかのものである。ここが世界最高所にある首都かと思いながら。

ラパスでは逆さ夜景の美しさと月の谷。そしてチャリダーの人とのトークが心に残っている。チャリダー二人と夕食を食べに行ったり、帰りの飛行機が朝早く4時までおきているのに付き合ってくれたり。世界を旅した話を聞かせてもらったり、人生観を語り合ったり。短気だった男が、「すべてを許す」って決めて世界を自転車で回る旅に出て。なんか、人生は千差万別で、いろいろなことを考える人がいて、共感する人がいて、それぞれの夢があって。そうなんだよなと改めて実感した。でも、人生を賭けている人の話はいつ聞いても、それがどんな分野であろうと面白い。面白いというよりもひきつけられる。

僕が宿を出る時間が朝の4時だった。だから朝まで起きていようと決めた。チャリダーの人は長旅の休養をしっかりとり、出発を明日とか明後日とか決めていた。それなのに3人のチャリダーは朝まで付き合ってくれた。いろいろな話をしながら。そこの宿は衛星でNHKが映った。白黒でノイズはいりまくりで、映るとは言いがたかったが、見ることは出来た。その僕が出発する1時間前に始まったのが野口腱さんのインタビュー。僕たち4人はテレビに釘付けになった。あそこまでになる人はやはり、考えがしっかりしているんだと感じた。それに、経験に基づく裏づけがある話しだった。

植村さんの「青春を山に賭けて」と言う本を読んで、山に登り始めたと話していた。それと、印象に残ったのが、なぜ山に登るかと言う話。雪の山は危険だらけだ、なだれに、高山病などなど。でも、そんな危険な山になぜ登るか。かれはアフリカに行って気がついたらしい。アフリカで見たハイエナは常に研ぎ澄まされていた。餌をとるときの目と体。しかし、家の猫はでぶでだれていた。同じねこ科の生き物なのになんでこんなに違うのかと。自分もこの二つと同じだと気がついたらしい。日本に普段いるときはペットの猫と一緒で、体全身がだれている。しかし、山に登ると普段使わない神経を使い、脳を働かせ、体を動かす、自分が研ぎ澄まされる。その状態を本能的に求めているのだと。山を登るときの苦労はつらくない。なぜなら前向きだからといっていた。

このハイエナの話は理解できる。外国に旅をしたときは、いろいろなことをシュミレーションして意思決定をして、時には瞬時に判断して、周りを警戒して、よく体を動かし、日本でだれている時よりも研ぎ澄まされたとまでは行かなくても、生きていくために必要な神経を、脳を刺激している気がする。

世界一きれいなラパスの逆さ夜景を上から見ながら空港へ向かった。

南米旅行写真その1
エクアドル、ガラパゴス、赤道、リマ、ナスカなど

南米旅行写真その2
ポトシ、ウユニ、ナスカ、クスコ、マチュピチュ、チチカカ湖など

南米旅行写真その3
ウユニ、チリ、アメリカなど

南米の旅路、その14

カラマからアリカ

サンペドロは小さな町で数分歩けば町がなくなる。そんなところでボーっとした。気持ちよかった。そういえば、チリはホットシャワーが出た。体がほっとした。休まった感じがした。かなり久しぶりのお湯だった。たぶん、お湯をたっぷり浴びたのは今回のたびで2回目だと思う。1回目はペルーのアグアスカリエンテスの温泉だ。カラマへは1時間強だった。昼過ぎに着いた。平日のはずなのに町が死んでいる。世界有数のチュキカマタ銅山のある町だから金もありそうでもっと元気があると予想していたのに。そこで、町の人に聞くとどうやら陸軍記念日で祝日だったのだ。

ああ、日曜日と祝日は生活しづらい。が、仕方ない。近くのメルカド(市場)で一軒だけ店がやっていた。そこで食事をして、たまった日記を書いた。翌日、チュキカマタ銅山に行った。9時30から説明をしてもらえるというので。しかし、その情報は古かった。14時らしい。せっかくここまで来たのでと思い、一人でチュキカマタ銅山を見ることにした。確かに規模もでかかった。銅山ってこんなところかと驚いた。1.1%の銅を含まれた土。それが99%以上にされ世界へいく。ああ、金属を作るってのはスゲーことだな。日々当たり前のように使っているが、ありがたいことだなと実感。まあ、それよりもチュキカマタの犬が危なかった記憶のほうが強い。30メートルぐらい犬から離れたところを普通に歩いているだけなのに、吠えて、目をむいて走ってくる。噛まれる。噛まれる、すなわち狂犬病。勘弁してください。犬も嫌いだし、狂犬病なんてもってのほか。まあ、ドキドキしながらなんとか逃げ切った。

その夜のバスでアリカに行く予定だった。そこで時間があまる。公園でボーっとしたり。でも、スリに狙われている気がした。さらに、シエスタで多くの店が閉まった。ああ、この時間はまずいと思い、開いていたカフェに。そこで、チリ人の若い奴ら4人とトーク。ただただテンションが高いバカな奴らだった。まあ、でもかわいいところもあって、面白い奴だった。折り紙を教えてやったり、日本語を書いてやったりしたら喜んでいた。そいつらと3時間ぐらい一緒にいた。

南米旅行写真その1
エクアドル、ガラパゴス、赤道、リマ、ナスカなど

南米旅行写真その2
ポトシ、ウユニ、ナスカ、クスコ、マチュピチュ、チチカカ湖など

南米旅行写真その3
ウユニ、チリ、アメリカなど

南米の旅路、その13

ウユニからチリへ サンペドロアタカマ

サンペドロアタカマ国境が雪でcloseしていた。しかし、明日は開くかもしれないと日々期待していた。そして、ラグーナコロラダの夜21時に無線で国境に問い合わせ、いけるかどうかが決まるらしかった。案の定、サンペドロ国境は閉じていた。しかし、そんなんでチリ行きをあきらめられない。強く訴えた。すると、オジャゲ国境という超マイナーな国境からいけないこともないらしかった。しかし、交通の便は限りなく悪いらしいが、まあ行くと決めた。そして、翌朝も5時過ぎに起きた。ずっと早起きが続いていた。日の出と共にラグーナコロラダを後にしてチリを目指した。

チリへの道のりもハードであった。一回車が横転しそうになった時は正直ビビッタが、まあ、国境には6時間ぐらいで着いた。それにしてもこんな国境は初めてだった。どこがボーダーかは分からない。しょぼいオフィス以外に何もない。オフィスにも人はいなく奥まで呼びに行く。そんなもんだ。町なんかあるはずがない。とりあえずボリビア出国したのは良かったが、チリに入国する前の場所で放置。それも4時間ぐらい放置。全く何もない。やることもない。本当にチリに入国できるのかと不安になるほど。

しかし、何もないところですごすことがトクイな俺には何にも困らない。廃線になった線路があったのでそっこの上で寝た。線路の上で寝たのは初めてだと思う。ちょっと寝にくかったが、枕代わりのペットボトルがあれば大して困らなかった。そのあたりには、青い空と煙をすこしだす山があった。この日も雲を見ていない。全く雲なんてない。真っ青な空なんだから。雲なんか見たくても見れない。でも、そんなアオゾラにニンマリしてしまっていた。気持ちよかった。

チリへの入国は出来たが、時間はかかった。スタンプをもらうにも時間はかかったし、荷物チェックもめんどくさかったし、来たバンに乗ったらいきなり運転手が飯を食いに行きまたされるし。まあ、そんなこと言っても仕方ない。チリに入ると土の道であるのには変わりなかったが、どこが道か分かるぐらいに石とかはどけてあったので、運転手はぶっ飛ばした。本当にぶっ飛ばした。スピードの出しすぎだった。

外は暗くなった。すると黄金の月が昇ってきた。砂漠の中からだ。これはまさにムーンライズ。砂漠のムーンライズだ。車の中から、左を見ながら黄金のムーンライズを見た。車を止めてもらってみたが、本当にすごい。砂漠の砂によって月が照らされ黄金のような色になる。そんな月が昇ってくる。こんなところで念願のムーンライズを見れるとは思ってもいなかったので、その喜びも人一倍だった。これこそセレンディピティってやつだろう。この語源も旅の時らしいし。それにしてもムーンライズは贅沢だった。

やっと、サンペドロアタカマに着いた。砂漠の中に無理やり作ったような小さな町だった。欧米人が多く、宿4軒ぐらいフルで断られたし、物価は高かった。

南米旅行写真その1
エクアドル、ガラパゴス、赤道、リマ、ナスカなど

南米旅行写真その2
ポトシ、ウユニ、ナスカ、クスコ、マチュピチュ、チチカカ湖など

南米旅行写真その3
ウユニ、チリ、アメリカなど

南米の旅路、その12

サンファンからラグーナコロラダ

サンファンと言う町を日の出と共に出発した。この日はアオゾラの日だった。僕が一番大好きな真っ青なアオゾラの日だった。この空を見たいと思ってきた南米だった。雲ひとつない青い空が大好きなんだ。標高が5000メートルぐらいだから、空気が澄んでいて青さが増して見えるのだろうか。青い空を見ながら、荒野をひたすら車で走り続けた。道なんかあるはずもなく、車は揺れに揺れた。そんな中、丘に登って周りの山と青い空をみたり、冷たく澄み切った空気を吸ったりした。車が進むと突然ラグーナ(湖)が現れた。5つぐらい見ただろうか。真っ青な空。空に向けて聳え立つ山。澄み切った湖。鮮やかなフラミンゴ。絵の世界のようだった。現実とは言いがたいような風景だった。

こんな風景が当たり前のようにある世界も、世界中探してもめったにないだろうと思う。そんな風景を見ていたのにもかかわらず、車で坂道を登っている時に、目に飛び込んできた。いてもたってもいられなくなるくらいの風景。完璧だった。何の無駄もない美しさ。自然と言うのはここまでのものを何の意図もなしに作り出してしまう。何の意図もないから作れるのかもしれない。ただできたものを人間がそうやって意味づけしているだけと言ってしまえばそれだけだろう。でも、そういいきるのがもったいないほどの景色だった。僕は車を止めてもらい、外に飛び出た。そして、その自然と向かい合った。息を呑む風景だった。しかし、写真に撮ったらうまく取れなかった。写真では表せないスケールだったのだ。

その後も荒野を走り、山を登り、ラグーナを見た。そんな時、車が雪にはまってしまった。標高5000メートルでこんなことになるとは。高山病でダウンしてしまった人もいた。しかし、雪をかいて、タイヤに石をかまして、車を押さないと何も解決しない。石を運ぶのは小さな石なのに息が切れた。それだけの高度にいたのだ。2時間近くひたすら車の救出をした。ここで夜を明かしたら凍え死ぬほどの寒さだ。マイナス25度といわれるほどの寒さに夜はなってしまうのだから。必死に押した。必死に運んだ。必死に雪をかいた。そして、ついに車は発進した。うれしかった。たまらないほどうれしかった。この瞬間を求めていたのだから。

それから、岩が丸っこくなった岩壁をみたり、下が削られ上だけでかいままの石を見てラグーナコロラダへ行った。そこには3軒ぐらいの宿があった。ここが伝説の寒さの場所だ。毛布は5枚ぐらい。上着は8枚、ズボン3枚。そんなんだった。屋根はビニールシートで風が入ってきていたのだから。ラグーナコロラダは有名だったが、そこまでひきつけられなかった。それまでに、すごいものを見続けていたからか、外が寒すぎて出たくなかったのか。それは分からない。しかし、満月にはまたやられた。やられた。いちころに。ちょうどラグーナの位置から満月が出てきた。まだ低い位置だったので大きかった。それは輝く大きな月だった。それに、湖の水が赤くなっており、空は赤みがかっていた。こんな状態は想像もしたことなければ、絵でも写真でも見たことがない。たまらなかった。美しさのきわみではないかと思った。あの極限の寒さが美しいと感じる心に輪をかけていたのかもしれない。

南米旅行写真その1
エクアドル、ガラパゴス、赤道、リマ、ナスカなど

南米旅行写真その2
ポトシ、ウユニ、ナスカ、クスコ、マチュピチュ、チチカカ湖など

南米旅行写真その3
ウユニ、チリ、アメリカなど

南米の旅路、その11

ウユニ塩湖からサンファン

とうとう着いたのだ。あのウユニ塩湖に。2年越しの憧れの地である。ここまで惚れ込んだ場所も今までなかった。僕には強烈過ぎる場所だった。このブログにも何回エントリーしたかも分からないぐらいだ。さらに、周りの人もウユニ塩湖なんて普通に生活していれば知るはずもないのに、知った人が多かっただろう。まさに、そこに、ついに、来てしまったのだ。水がボコボコ湧き出るところ、錆びたような茶色が白い塩の大地に付着しているところも少しあった。しかし、塩湖の中心に行くと完全に真っ白になった。車輪のあとがまっすぐ見えるところがあるぐらいである。それ以外は、塩の硬い硬い結晶が一面を覆いつくしていた。

ジープは塩のホテルに来た。塩湖の中に塩で作られたホテルがあるのだ。壁は塩のブロックで作られ、テーブルも椅子も塩で作られていた。しかし、僕は塩のホテル自体に興味はない。塩湖の真ん中にいるということに価値を感じていたのだから。だから、カバンをベッドに置くとすぐに外へ出た。外に出ると一面真っ白な塩の大地がまっていてくれた。風の吹く寒い潮の大地で、塩と向かい合った。水平線というのか地平線と言うのか分からない。けど、地の果てまで真っ白の平面が続いていた。ちょうど太陽が傾きかけてきたコロだった。太陽に向かって歩いていっても太陽に近づけない。でも、太陽に向かってまっすぐ歩いた。ずっと歩いた。右も左も東も西も北も南も分からないような、何もない真っ白な平面を太陽に向かって。ただひたすら歩いた。

そして、ふと立ち止まり。寝転がった。僕はいろいろなところで寝転がる。そしてたまに寝てしまう。大人になってまでいろいろなところで寝転がるのはみっともないとか、汚いといわれそうだが気にしない。寝転がって、体全部で大地を感じることができるのだ。足で立っているときとは大地との接触面積が違う。視点も違う。感じるものは全く違うのだ。寝転がると大地と向かい合い、一体化できる気がする。ガラパゴスでも寝たし、ナスカでも、マチュピチュでも、チチカカ湖でも寝た。僕の自然との向かい合い方だ。あの、見上げた時の空は今でも忘れられない。

寝転がった、足も手も伸ばして大の字になった、叫んだ、大地を殴った、空を見上げた、でも何も起こらなかった、天を仰いだ。これが自然なんだ。俺一人の力で自然に立ち向かうってことはこういうことなんだ。情報化社会の現代は個人でも世界中の人々に大きな影響を与えられる。でも、自然はそんなわけにはいかない。それから、仰向けに、うつぶせに、転がった。逆さで写真を撮った。空も大地もどちらか分からなくなったが、どっちでもいいや、と思ってしまった。大地をなめた。しょっぱい。塩だよ。塩。本物だよ。当たり前だ。地面を見れば塩の結晶となっているのもすぐに分かるのだから。でも、使っていなかった感覚で試すと、脳では知っていたことでもハッと気がつかされる。

そんなことをしている間にも、太陽は大地に近づいてきた。太陽は空を色づけた。雲を色づけた。それも無数の色に。本当に美しかった。太陽はどんどん低くなり、大地にまで迫ってきた。また、水平線に沈みゆく夕日だ。美しい。美しい。ふと後ろを振り返えると、自分の長い長い影が伸びていた。その先まで目をやると白い月が出ていた。なんと神秘的な世界なんであろうか。

太陽は完全に沈んだ。しかし、まだ太陽は雲を照らしていた。雲の色が赤とオレンジの間の色になり、大きな雲だけを色づけていた。そのほかの雲は色づけられていなかった。それを見た時にオーロラかと思うような。これもたまらなかった。真っ白な塩の大地を色づけていたのも言うまでもない。大地を満喫し、塩のホテルに戻り夕食をとったあと、そとに出た。夜の塩の大地を見るために。外は白夜のようだった。大地が白い上に、今夜は満月だからだ。そんな神秘的過ぎる、なんかこの輝く夜はかぐや姫が生まれるのではないかと一瞬思ってしまった。

翌朝5時過ぎに起きた。朝日を見るためだ。昨日よりも雲が少なく、今日のウユニは昨日と違った顔を見せてくれそうな予感が朝からした。眩しい眩しい太陽が昇ってきた。それも美しかったのだが、その周りに広がる空の色の変化が美しすぎて日の出すらインパクトを失ってしまうほどだった。もう、なんてたとえればいいのか、何と表現していいのかが分からなくなってしまった。大地と空の低いつながって見える部分にかけての青さと淡いオレンジ。やわらかい赤色。これは見とれてしまった。完全に心を奪われた。

ジープは朝迎えに来る予定だったが、来たのは昼の14時ぐらいだったと思う。遅すぎで同じ車の人はご立腹だった。しかし、僕は長い間、何もない塩湖の中にいられて幸せだった。今日の塩湖は雲がない。空が青い。青すぎる。眩しくて、皮膚が痛いくらいだ。サングラスをした。歩いていると塩の台地の上で力尽きたすずめがいた。この大きな大地と真剣勝負をしたすずめはその戦いの間に力尽きてしまったみたいだった。これが、自然であって、見た目はガラパゴスとは全く異なるが自然に生きるということについては全く同じ気がした。

サボテンの島に向かった。ここは、塩湖の中にある島である。そこには大量のサボテンがあるのでサボテンの島と呼ばれている。日差しが強かった。眩しかった。島の頂上まで上った時、風が強かった。白かった。サボテンが力強よく見えた。雲の形が大地にそのまま映った。なんか、とんでもないところだ。

ひたすら広大な白い台地を車で走り続けた。心も照らされて、ワクワクするような光景だった。このまま塩湖とさようならだ。そこで、塩湖を殴って、塩の結晶を何とか取った。硬く、しっかりとくっついているので正直塩をとるのは大変だった。塩のひび割れが見え、大地は茶色くなり、塩湖は終わった。そして、荒野を走り続けた。また、日が落ちまん丸の月が昇ってきた。この月がきれいできれいで。太陽が沈んですぐの月はなんてきれいなんだろうか。サンファンと言う集落についた頃には、丸い月の光しか見えなくなっていた。

南米旅行写真その1
エクアドル、ガラパゴス、赤道、リマ、ナスカなど

南米旅行写真その2
ポトシ、ウユニ、ナスカ、クスコ、マチュピチュ、チチカカ湖など

南米旅行写真その3
ウユニ、チリ、アメリカなど