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October 14, 2005

おなかの中で聞いた鼓動

何ヶ月ぶりだろうか、真っ暗にして風呂に入った。時間があるとこうして風呂に入るのだ。

真っ暗の中湯船でボーーっとしていた。すると音がないと感じた。そしてアマンタニ島の記憶がよみがえった。あの時、坂道で立ち止まった時ふと感じた。無音。音がない。何もかもが止まったかのような静けさを恐ろしいほどに感じた。今までに感じたことのない静寂だった。アマンタニ島には電気ガス水道がないといっても人が住んでいる。千人単位で。もっと人のいないところには何度か行ったことあるが、なぜかそこでは感じなかったのに、人もいるし、チチカカ湖のもあるはず。でも、空気が止まったかのような上体を感じた。風呂ではそこまでは全く感じなかったが、久しぶりに静かな時をすごし思い出したのだった。

それから、耳を湯につけて浮いていた。プカプカと。小さな船が波に揺られるように。その時、静けさの中に自らの心臓の鼓動が聞こえた。一定のリズムで振動と共に心臓の音が聞こえた。その時、母親のおなかにいるときは、この音しかほとんど聞いていないんだろうなと思った。そうしたら、そのリズムが与える子供への影響はでかいんじゃないかと。その人が好むリズムだとか、何かを感じる感覚にその鼓動が大きな影響を与えているのではないかと思った。それを脳が作られてすぐという、脳への一番最初の影響なんだから。それもかなりの長期間にわたって、メインではその音しか聞かない。以前も書いたが、同じ聞き続けると、特に好きでなくても、心地よく感じるようになると個人的には思うから、自分のリズム感は鼓動が大きなキーワードになる気がする。

それから髪の毛を洗おうと、シャンプーを手に取った。するとシャンプーのにおいが強く感じた。シャンプーのかおりなんて普段感じていなかったのに、このときは香料が入っていることに気がついた。たぶん目が見えていなかったから、嗅覚に脳がたくさん使われたから強くにおいを感じたんだろう。

となると、人が生まれる前に母親のおなかの中では目が見えない、嗅覚も機能していないだろう。だから、聴覚が鋭くなっていると思う。ということは、母親や自分の心臓の鼓動を常に聞き続けている。さらに、一番近くで感じるものだろう。

と言うことは、その人のタイミング感というか、リズム感にさらに大きな影響を与えているんじゃないかと。ふと思いました。

http://www.teratown.com/blog/archives/001580.html

言葉が苦手

昔から言葉が苦手だ。言語が苦手。なんと言えばいいか分からないが、カタカナの一部を書くときに戸惑ったり、エレベーター、エスカレーター、眉毛、まつげがすぐに分からなかったり。

字も子供の時から変わっていない。簡単に言えばへたくそだ。

たぶん、厳密に言葉を使わなくても相手に通じると思っているのと、的確な言葉を選ぶなら言いたいことがたくさんあってそれらをはやく言いたいと思っているからだろう。

しかし、今日スペイン語のテキストを見たら入って気安かった。

あと、スペイン語とかの歌で聞いているだけじゃ歌詞なんか全く分からないのに、歌詞を見ながらだと分かった気になれる。何でだろう。

文字と音がつながると認識できるのはなぜか。ああ、

思い出のオレンジ色のジャンバー

あのジャンバーに詰め込まれた旅の思い出

今回の南米旅行で忘れてはならないものがあったのに、書き忘れていた。オレンジ色のジャンバーだ。それはペルーのリマでもらったものだった。ペルーの旅を終える人から譲り受けたものだった。ここより南は寒いからと。その彼も譲り受けたものだった。もとはといえば、ペルーに薄着できた女性が、リマでオレンジ色のジャンバーを買ったらしい。その女性はペルーを去るときに、ジャンバーを譲ったらしい。すなわち僕が3代目だ。

女の人リマで購入→男の人ペルーを一週→俺

こんな感じだ。ペルーの南の地域は想像しているよりも冷える。そこで、みんな洋服を買い足すのだ。僕も、アルパカのセーター、手袋、帽子、股引と買った。なんせ寒いのだ。このジャンバーはどこを旅したか知らない。しかし、このオレンジ色のジャンバーには人それぞれの旅の思い出が詰まっているのだ。なんていったって、洗っていないから本当に染み付いているのだ。笑。

このジャンバーにはずいぶん助けられた。ラパスからポトシへの夜行バスで。かなり暖かいジャンバーだった。股引を持っていなかったこのときは、足にジャンバーをかけて救われた。それに毎日のようにこのジャンバーを着て寝ていた。

僕はこのジャンバーと共にリマからペルーを、ボリビアを、チリを、そしてまたボリビアを旅した。そんな思い出の詰まったジャンバーだった。昼間の日差しが強い時は正直邪魔な時もあった。もらい物だし、捨てようかと思ったこともあった。でも捨てることはなかった。そして旅を終えるとき僕も受け渡した。このジャンバーは今後もいろいろな人の手に渡っていくだろう。だって、僕も譲り受ける時どんな人から譲り受けたか聞いたし、僕が次に譲る時も今までのジャンバーの旅を語ったからだ。ジャンバーに自分の名前と国名とメールアドレスを書いて渡そうかと思った。今後、着た人が名前を書いていったらなんか面白いかなと思って。そして、このジャンバーが今世界中のどこを旅しているかが分かったら面白いと思った。これを着て旅した人だけが入るメーリングリストなんかを作って、現在来ている人が旅の報告をMLにしたら面白そうと思って。

でも、やめた。確かに面白そう。でもなんか旅って、偶然性とかあまりがっちり縛られない思い出が楽しいと思ったから。人の名前が書いてあると、来て旅する人にとって精神的な重荷になるだろうから。文字よりも、なんとなく言葉でジャンバーの旅を聞いたほうがワクワクしそうだし。

だから、そのままラパスで次の人に渡した。もともと女性用のジャンバーでサイズが小さいのでこれから南下する女の人に、今までのジャンバーの旅だけ話して渡した。その人はベネズエラから入って、ボリビアをさらに南下してウユニに行き、1ヵ月後ぐらいにリマから国に戻るといっていた。だから、まだこのジャンバーは南米を旅しているるんだとおもう。

あのジャンバーは今、どんな旅をして、何を見ているのだろうか。

心の中における真実

他人はだませても、自分は騙せないとよく言われる。自分にはうそをつけないと。

自分の心の中で何かに対して持った考えなり気持ち、これは正しいのか。正しいというか、自分の中でこれだと思うこと。

思い込みと何が違うのだろうか。

あの、自分の中だけにしか存在しない真実のようなもの。

未来を考えること

北大の澤口俊之がテレビで言っていた、人間は未来を考えることが出来るようになったから、死と言うものを知ったと。

これを聞いて、ああそうかと思った。

脳の破壊衝動

僕は、ほとんど怒らないし、物にあたることもない。普通に言う破壊衝動はない。

しかし、脳に対する破壊衝動はある。何かといえば、自分の今までの常識とか固定概念とか、無意識的に持っている凝り固まった考えをぶっ壊したいという気持ちがすごい。脳の中がごろっと変わるような時すごく楽しい。

想像できないようなものを体験したいと思ったりするのは、この脳の破壊衝動から来ていると思っている。