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December 04, 2005

タイとカンボジアを旅して

今回のたびで印象的だったのはダイビングと帰りの飛行機から見た日の出。そして、「北極圏1万二千キロ」という植村直己さんの本。

まあ、適当にさくっと書きます。それにしても「北極圏1万二千キロ」を読んでいると体がびりびりしびれるぐらいの感じ。これを読んで旅行記はその場で書いてあるものの方が魂が伝わってくると実感。こんなことを言ったら大変失礼なんですけど、たぶん、「北極圏1万二千キロ」を読んでも面白くないという人が大半だと思う。だって、知らない地名の連続。で、短い日々のメモみたいなのがひたすら続く。それも、犬が逃げた、橇がうまく走らないと同じようなことの繰り返しだから。そんなことを言いながら俺は何でこんなにも、まるで自分のことのように興奮したかといえば、東京から名古屋まで歩いた時の自分の気持ちと重なる部分がけっこうあったから。植村さんの「北極圏1万二千キロ」と俺は比較にならないんだけど、動力を使わないで一人で旅すると同じような気持ちになるんだってことがわかって、歩いた時のことを思い出しつつどんどんほんの中に入り込んだ。

成田→バンコク→アランヤプラテート→ポイペト(カンボジア)→シェムリアップ→アンコールワット→バンコク→チュンポン→タオ島→チュンポン→バンコク→アユタヤ→バンコク

成田→シンガポール→バンコク
これで、3回目のシンガポールエアー。いつも快適です。シンガポールのチャンギ空港のすごさにもいつも感心する。今まで、飛行機の中で映画を最後まで見ることはなかった。でも今回はなぜか映画を良く見た。電車男音声日本語、英語字幕。皇帝ペンギンフランス語音声、英語字幕、四日間の奇跡、日本語音声、英語字幕。これらを見た。あと、FTを読んでいたら世界の尊敬されるべき企業100社かなんかがのっていた。トヨタは3位。日本は車屋さんばっかだったな。すぐ、シンガポールに着く。こうやって比較すると南米は時間かかってるのかな。それで、タイのバンコクへ。タイのバンコクへは、成田行きバンコク経由の便。いま、成田からシンガポールに着いたのに、成田行きの飛行機に乗るのは変な気分。バンコクに夜着。しばし、空港で待機。

バンコク→アランヤプラテート→ポイペト(カンボジア)→シェムリアップ
夜の2時30分にモーチットマイ(北バスターミナル)へ。すると、人がごろごろ寝ていた。空港でアランヤプラテート行きの始発バスを聞いたら6時とかいっていたが、4時と言ううわさもあったのでとりあえず行ってみたのだ。すると、3時30分発があったので、乗ることに。バスで爆睡だったことは言うまでもない。7時30に起こされた。するともうアランヤプラテートに到着していた。そして、国境までバイクタクシーで移動した。すると大問題。国境で出国スタンプをもらう列が長い。長すぎる。それに何分待てども進まない。さらに暑い。暑すぎる。さっきまでいた日本は冬なのに。温度差がありすぎ。そんな炎天下のぎゅうぎゅうづめの列で待つ。待つ。ひたすら待つ。3時間30分後ぐらいにスタンプゲット。やれやれ。逆にタイに入国するほうはけっこうスムーズ。帰りは待たなくていいかなと期待したが。。。それからカンボジアの入国はすんなり終わる。そして、シェムリアップを目指す。トラックの荷台が面白いということだったので、適当に見つけて乗る。なまずとかフナとかみかん、白菜、木箱に入った荷物などなどの上に座る。そして、人数が集まるまでしばし待ってスタート。すると、横にいた人が日本人は辛いぞみたいなこといってくる。いやいや、これぐらいなら大丈夫だと思いますよと答える。さらにフードをかぶれとか、マスクをしろとか言ってくる。まあ、あれだ、道路は土だからほこりが舞って目や口に入るからと言うこと。さらに、でこぼこだから尻がいたい。そんでもって、途中でトラックを乗り換えさせられ、そのトラックが出発するのも1時間30分ぐらいまつ。まあ、良くあることさ。それよりも、2代目のトラックで若造たちがタバコを吸ったほうがいやだった。煙たいし、吸殻とかタバコが服についたら穴があくし。道中の景色は、一面草っぱら。なかなかの景色だった。あんな景色がカンボジアに広がっているとは思っていなかったから。

PB190016彼らと一緒に揺られること数時間。

PB190014
カンボジアの大地にしょんべんをかける。

シェムリアップ→アンコールワット

まあ、無事にシェムリアップに到着。それにしても、シェムリアップの近くになるとアスファルトのどー路になった。さらに、すっごい豪華なホテルが立ち並ぶ。建設ラッシュも続いている。ここもカンボジアなのだ。夕暮れ時の町を歩いていると、声をかけてくる。1泊3ドルだと。まあ、いいかと思い、とりあえず部屋を見させてくれといってバイクの後ろに乗ってゲストハウスへ。まあ、問題なさそうだったので泊まることに。そして、夕日を見にアンコールワットに。ちょっとした山みたいなところに登って見る。暗くなるし足場も悪いのに年を取った人も登っている。みなさんやりますねー。残念なことに、良い夕日は見れず。宿の近くの川沿いに屋台があったのでそこで食べた。アヒルの卵と豚肉を似た奴と、肉と野菜の炒めもの、ライス。けっこう、うまい。さらに、店で出される水を飲んでも全く問題なし。そして、明日の朝5時に日の出に行くためにバイクタクシーに5時に迎えに来てもらうことにして、ぐっすり寝た。と言いたいところだが、無私刺されがひどくあまり寝られなかった。

PB200017アンコールワットで力強い夕日。

アンコールワット

翌朝腕時計のアラーム音で目を覚ました。外はまだ真っ暗だった。なんで起きたかといえば日の出のため。バイクの兄ちゃんはゲストハウスの前にちゃんと着ていた。そして、アンコールワットに着くと人がぞろぞろいた。真っ暗な中を昨日の夕日の沈んだ位置を思い出し、日の出の場所を想像して場所取り。ふと空を見上げると満月が見えた。なかなかの月だった。そんな月を眺めていると東の空が明るくなってきた。徐々に明るくなっていく。するとアンコールワットの建物が浮かび上がるように見えてきた。そのうちに太陽が昇った。それから、タプロームとかバイオンとかいろいろ見て回った。それにしても大きい遺跡だな。壁の彫刻も細かいしあっぱれである。いったん町に戻って、夕方再びアンコールに。ぐるっと見て、第三回廊の階段を一人駆け上がる。そして、人気の少ない遺跡の石の上に腰を下ろして、ぼーっと景色を眺めながら夕日を待った。日の出は太陽が昇ってから、日の入りは太陽が沈む前が良いといつか聞いたことがあるが、まさにその時間をゆっくりと楽しんだ。そして、また宿に戻った。すると、オーストラリアに住んでいるというカンボジア人のおっさん盛り上がる。それから、一人カンボジアの町を歩く。少し離れた市場近くの屋台で食べる。オイスターソースの聞いた焼きそばみたいなのが出てきた。そして、この日も終わった。

PB200100アンコールワットで朝日を見る

シェムリアップ→バンコク

朝、6時には宿を出た。車でまた同じ道を戻る。5人乗りの車に、8人乗っているんだから狭いのは当たり前だ。それに、隣の変なおっさんが携帯でひたすら話す。電話かけるしかかってくる。4時間ぐらいの間で電話をしていない時間は10分なかったんじゃないかな。閉じられた空間での長電話は好ましいもんじゃないなぁ。と再認識。そして、国境。またまた待たされる。待たされる。タイを出国するイミグレで数時間ならんで待たされたわけだが、タイ入国のイミグレでも同様。4時間ぐらい待たされたかな。そこには、韓国人、アメリカ人、フランス人、カンボジア人、中国人、ベトナム人、ありとあらゆる国の人がいた。横は入りをする人、並んだ列から離れて座る人、横は入りする人にブチギレル人、イミグレの職員にキレル人、まあカオス状態。待つことすら出来ない。世界中の人が並んで待つという単純な行為をするのだけでも難しいんだなと思った。そりゃ、並ぶ文化の国の人もそうでない人もいるわけだし。世界は一つとか、戦争はイカンと言う。まあ、そりゃ戦争がなければそっちのほうがいい。でも、こんなことも出来ない現実があるわけだ。さらに、考え方によってはこうやってけんかが起こる。すなわち文化が違うってことだ。文化が違うから世界を旅すると面白いんだよなって思ったりもした。


バンコク→チュンポン

そんなこんなで、バンコクの北バスターミナルまで戻り、そこからバイクタクシーで南バスターミナルに。一路チュンポンを目指す。21時30分発ぐらいの夜行バス。それにしても、セブンイレブンが多い。多すぎるぐらい。町中どこにでもあるし、セブンの前にセブンなんてこともある。それから、チュンポンに朝の5時ぐらいに到着。今は海が荒れていてフェリーが一日一本とのこと。それで、6時ぐらいの高速フェリーでタオ島に向かう。それにしても波は荒かった。台風かと思うほど。船は揺れる。とりあえず、人生最大の揺れ。確か中学2年の時に乗った漁船で波の辛さを知った。それから、幾度となく船には乗った。ガラパゴスの船上4日間も相当ゆれた。ゆれた。そして今回もゆれた。船がぶっ壊れるかと思うぐらい、水が船にぶち当たって音がスゴイ。と思っていたら、前の扉が開いてしまった。そして船内に水が大量に入り込む。恐るべし。はじめ、西洋人は大はしゃぎ。いかにもこんなのが好きな西洋人って感じで。しかし、5分後にはみんな静かになった。そして10分後には酸味と共に、ゲー、、ゲー、おうぇ、ゲーって声が。。。みんなスゴイ。トイレに駆け込む人も。そこでやっちゃう人も。ビニル袋にやる人も。とりあえず、今までの人生で同時にこんなに多く吐く人をはじめて見た。船内の3分の2以上は確実に吐いた。俺も少し気分は悪かったが、そこまで酔わない方法を身につけているので吐くことはなかった。頭を固定するということさえすれば船酔いは防げる。ガラパゴス船上4日間で自然と身につけた技。人間体で覚えたことは忘れない。


タオ島

タオ島についた。天気ははっきりしないが雨は降っていなかった。とりあえず、一休みしてダイビング屋を探す。思っていたよりもずっと小さな島。メイン通りは15メートルぐらい。その道を外れると店はほとんどない。そんな島でダイビングスクールを探す。日本人のインストラクターがいるところを探すも、何軒もいないといわれた。オフシーズンだからいないようだ。そして見つけた店でも、昼間でいないから12時に来いといわれ、島中を歩いてみた。なんかのどかな感じ。俺の好きなサイズの町だ。タイのプーケットは今シーズンで人も多いみたい。しかし、なんか行く気にならなかった。人多そうだし、リゾートで有名でガヤガヤしすぎてそう、何でも高そう。日本人ばかり。ってことで、行く気になれなかった。リゾートは友達と金を持っていくところの気がする。だから、あえてオフシーズンのタオに。でも、それが正解だった。そこのダイビングスクールに決め、次の日から。一日目は自分でDVDとテキストで勉強、2日目、学科と限定水域(プール)、3日目、学科&テスト、海洋実習 4日目は海洋実習、こんな日程。まず、タオについた日は何もやることがない。だから、本を読んだり、日記を書いたり、ハガキを書いたり、砂浜でぼーっとしたり、考え事したり。日記は久しぶりに左手で書いた。初日から最後の日まで。出発の2日前ぐらいに飯を食っている時に約束したので、実行したのだ。左手で日記を書くと時間がけっこうかかるので、時間のあるタオ生活には良かった。そういえば宿は砂浜にあった。だから、扉を開ければすぐ海だ。その砂浜に机と椅子があったので、よくそこに座って海を眺めた。波の音を聞きながら寝るのは久しぶりだった。無人島の生活を少し思い出した。次の日は自分でDVDを見て、テキストで勉強して演習問題を解いた。自分のリズムで出来るので昼飯を食いに行ったりもしながら。そして、3日目学科をやりながらインストラクターといろいろ話す。そして、毎日違う店に連れて行ってもらって、島のうまいものを日々食べた。午後からはプールでの練習。初めてダイビングの機材をつけて水の中へ。一番初めは行った時は水の中で息が出来たことが不思議だった。はじめは少しぎこちなかったが、すぐに慣れた。そして、水の中での不思議な感じを楽しんだ。そして、翌日、学科テストをクリアし、海へ。雨もふっており波も風もあった。そんな中初ダイビング。はじめは体に力が入った。それに呼吸の仕方が難しかった。中性浮力といって、沈みも浮きも沈みもしない状態で保つには呼吸が重要なのだ。でも、しばらくすると慣れてきた。そして、魚が出迎えてくれた。カラフルな魚がたくさんいた。水中植物もたくさんいた。それに、自分が海の中にいるというのが不思議で仕方なかった。2本のダイビングを終え、島に戻った。そして、次の日もダイビング。この日は余裕があった。ほとんどファンダイビングと同じ。自分でほぼコントロールできるようになった。ダイビングを楽しむって事ができた。魚が自分の周りをぐるぐる泳いでいたときは、うぉー、すげーって感じ。水族館でしか見たことのないような光景。それを生で感じられる。たまらんね。水深16メートルにいる感覚は地球の一部という感じだった。そして、ウェットスーツだけを着て、海に大の字で浮かんだ時は地球の表面にいる感じ。この海に大の字で浮かぶのが個人的にはかなり心地よかった。何もかも体から抜けていく感じ。これが、一つの遊びとして確立してもいいと思うぐらい。みんなにもぜひやって欲しい。そんなこんなで、ダイビングは終わった。この日はタイの焼肉みたいなのを食べた。うまかったなー。

PB230069

チュンポン

次の日チュンポンにフェリーで。チュンポンで一日ふらついた。特に何をしたわけでもないが、町を歩いたり、スーパーがあることに驚き行ってみたり、屋台で飯食ったり、ネットしてたらスコール。なんてことも。

PB270125屋台で飯

アユタヤ
夜行列車に乗ってバンコクへ、そしてそのままアユタヤへ。暑かったな。適当に客引きに呼ばれたゲストハウスに決め、自転車をレンタルして町を走った。それにしても、ここは日本人ツアー祭り。学生の団体と退職した人のグループばかり。日本のツアー会社はアユタヤに集中投資しているような気がした。ツアー客の人たちはワイワイガヤガヤ騒ぐのがセンスない。まあ、たくさん人がいるのに常に静かだったら、逆に不気味かもしれないが、静かな方がいいところで騒がれるのは苦手なので、場所を移した。アユタヤの町をひたすら自転車で回った。それから市場なんかに行ったりしてから、また遺跡に。人が来ないはずれの遺跡で本を読んでいた。するとキレイな夕日が目の前に見えた。
PB280184アユタヤで夕日

バンコク
アユタヤからバンコクにまた戻った。そして、町をぶらぶら歩く。僕は世界中どこに行っても出来るだけ歩くことにしている。街中で道を聞くと、そんなところは遠すぎるから歩けないといわれるが、歩く。5キロぐらいなら普通だ。歩いて見るといろいろなものが見えてくる。人々の生活が目の前に広がっているからだ。なんといっても、自分の目で見て、肌で感じる。これじゃないと分からないことばかりだ。そして、いろんなお寺に行ってみたり、タイ名物のトゥクトゥクにも一応乗ってみたり、旅の始まりと言うカオサン通りも通って見た。カオサンは自分にはあっていなかったので、そのまま過ぎ去った。夜はソンブーンって店でうまい蟹カレーを食べた。そういえば、バンコクのスーパーには驚くほど日本の食品が。スーパーだけじゃなくて日本語の氾濫具合にも驚いた。そういえば、バンコクのセブンにTIMEとBusiness Weekがあったのでなんとなく読んでみる。その号には2005年の発明品とグーグルの話が。ひとりで、ワクワクしながら読んでいた。自分はこういうのもやっぱり好きなんだよなーと実感。そして、電車で空港へ。電車の中では、警察のおっちゃんがまたよくしてくれた。世界中どこでも、現地の人のやさしさに感謝する。それにしても、どこの人も僕に優しくしてくれる、ありがたい限りである。
PB290213聳え立つ三本の塔

バンコク→成田

今回はマイルチケット。ネットで予約して、席も指定した。帰りの便は夜飛ぶ便で朝日本着だったので、右側の席(東が見れる席)でかつ窓際。そんでもって一番後ろの座席。これはリクライニングを気兼ねなく出来るから。そんな席を選んだ。これはすべて朝日を見るため。しかし、星もきれいだった。夜はいつも外を見るようにしている。星がきれいだからだ。そして、今回は三日月も。うっすらと丸い輪郭が見える三日月は神秘的だった。これを小学生の時に見ていたら、月の満ち欠けの授業も納得して出来たんだろうな。って思った。そして、日の出だ。徐々に明るくなる空。そして、太陽が出る直前は火山噴火かと思う赤さ。いやー、良いもんだ。後方には星空、前方には日の出。美しい。そんな最高の自然を味わいながら日本に戻った。

PB300284

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