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February 29, 2004

コンテンポラリーダンス

二十一世紀舞踊
安藤洋子×W.フォーサイス
「安藤洋子新作ソロ」「N.N.N.N.」「QUINTETT」

これが↑この前いったコンテンポラリーダンスです。

[振付] W.フォーサイス
[出演] 安藤洋子/フランクフルトバレエ団
会場] 世田谷パブリックシアター
2004年2月26日(木)19:00★
★印の公演ポストトークあり。(ゲスト:野田秀樹)

こんなかんじです。
コンテンポラリーダンス。これは現代芸術論という授業をとってましてこれがもう変態的な授業。
暴走している授業だったんです。
その授業ではじめて知りました。
その先生のゼミで「ケイオウパンチ」という企画をしたらしいです。(そのときのビデオ見ました)
で、この企画ぶっ飛んでます。
伊藤キムさんというコンテンポラリーダンサーを慶応の三田に一日放し飼いにするという企画。
彼は、いきなり校舎の屋根から登場、片目は眼帯で、無言で踊る、
そして、雨樋を伝って下に下りてきて、食堂に乱入して人の飯を食ったり、いきなり菓子を配りだしたり、階段を横になって転がりだしたり、はたまた授業に乱入してみたり。
そんな企画のビデオを見たときの、放し飼いにされていた人がコンテンポラリーダンサー。
これがコンテンポラリーダンスとの出会いです。

で、情熱大陸で安藤洋子さんのことをやっていた。そのときメッセンジャーの後ろにコンテンポラリーダンスと書いていたら、こんなのがあるよと教えてもらっていくことになったというのが経緯です。

で、行ったわけですよ。「安藤洋子新作ソロ」これは、暴走してました。
基本的にすべて無言。
意味のある言葉は発してません。
体がくねくねしてます。
小さくなって歩いたり、最後に家みたいなのが崩れたり、現代の社会を表現してるのか、人間の赤ちゃんから死ぬまでをあらわしているのかと思いました。
そして、最後のトークでわかったこと、南極探検を表現していたらしい。
わからないもんです。

まえ、大学生の劇を見に行ったときに私がこれは何が言いたいのかと一緒に見に行った友達に尋ねた、その子は何もかも意味を知りたがる、意義を知りたがりすぎといわれました。純粋に面白いからやっているから、やるのだと。そんな後図家の意味なんてどうでもいいのだと。
私も今回わかった気がした、意味を見つけることに意味はない。そこに答えはないのだから。
正直、一つ目のソロはダンスがうまいとは思わなかった。。。
私に見る目がないのかもしれないけれど。
しかし、後からひとつのことに気がつきます。

「N.N.N.N.」
二つ目、これは男の人が4人ぐらいで踊ります。
すごいスピードで、手を4人で絡ませて、しかし絡んでない。
見事なコンビネーション。脱帽

「QUINTETT」
これが最後、安藤さん再び登場。
さっきあまりうまく感じなかったと書いたが、これを見て訂正しました。
はっきりいって、うまいです。
というのは、手の伸びぐあい、しなやかさ、しなやかだけど芯がある。
見ていて気持ちがよく美しい。

で、一通り基本からやって相当なレベルに達してから、一番最初の私にはわからないソロのダンスになっているのだなと。

絵描きでもそうじゃないですか、はっきり言って意味のわからない絵を多くの人は評価している。
でね、スペインに行って思った。
有名な人の絵が大量に飾ってある。
昔のから有名になった後のまで。それも本物が。
はっきりいって有名になってからのは意味がわからないものも多い。
しかし、初めのころの作品は普通にうまいです。
その、普通にうまいレベルを超えると、芸術家は爆発するんですね。

はじめから爆発する芸術家は評価されないんですかね?
それとも、ベースがないと何か違うんですかね?難しい。

関係ないけど、言っときますと抽象画が好きです。
ミロが好きです。


「無駄なことの勝利」とかかれてました。

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