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August 12, 2004

パスポートの価値

今日午前中にインド大使館に行き、
ビザの申請をしてきた。
九段下にあるインド大使館へ。
5cm×5cmの写真とパスポート。
これが必要だ。
写真は、撮っていなかったので警察官に写真を撮るところを聞いて、
駅の証明写真機で撮影。
2枚500円でした。
それから、大使館へ。

申請書類を書いて、
順番の番号を取る。
なんと30人近く待ち。。。
106番でした。
そのときで80番全後が呼ばれていた。。

それで、時間があるので来ている人の観察。
・学生
・旅行会社の社員(代理申請)
・インド人っぽい人(インドの人っているのかな?別の証明書かも)
・なんか変わった匂いのする社会人

そんな感じでした。
で、自分の番が来て、書類と写真、パスポートを提出。
ちょっとたって、引換券をもらって帰る。


ふと思う。

パスポートってカナリ大切ですよね。

他にも免許証とか保険証など、身分証明するものがたくさんある。
これらの中で重要度ランクは知らないが、
僕の中ではカナリ大切なグループの証明書君たちです。

で、パスポートって一番手元から離れやすいですよね。
特に入国するときや、ビザをもらいに行くとき。

今日は、そのビザをもらうときにパスポートを手放した。
ケッコウ不安です。
あまり、人を信用しない性格だからか、
心配性だからなのかは分かりませんが。

そういえば、トルコからギリシャに電車で行ったときも、
電車に乗っていた警察っぽい人に渡した。
そして、あとから戻された。
これも怪しいよな。
でも、疑って渡さないわけにも行かないし。

モロッコに入国するときも怪しかった。
フェリーでいったんだけど、
フェリーのなかにある机の後ろの壁にパスポート、
って紙に書いてあるのが貼ってあるだけ。
さらに、その警察は私服。
そんで持って、まわりにモロッコじんっぽい人が群がっている。
怪しさ、たっぷり。
で、入国のはんこをもらったわけです。

そう思うと、証明賞の中でパスポートって怪しそうな人にもっとも手渡す
モノなんだな。

気をつけよっと。

それと思ったのが、パスポートを力ずくで盗む人がいるけど、
あれってへんだよな。
怪しい人でも、入国などでそれっぽい人ならば、
パスポートを渡す。
じゃあ、そうやってだませば簡単に盗めるのに。

まあ、人それぞれだし、
そう考えられない人もいるんだろう。

今度、ビザとパスポートを取ってこないと。

答えのないことを考えるということ

「答えのないこと」これは世の中に多く存在すると思われる。

「答えのあること」これも世の中にたくさん存在すると思われる。


さあ、ホントだろうか?
答えのないと思っているものには答えがある、
答えのあると思っているものには答えがない。
なんてことも、多くありそう。

答えがないことと分かった時点で答えがないという答えがあるのかも、
よく言われる話の流れだ。

じゃあ、そもそも答えって何だ?
「答え」:大辞泉

1 呼びかけや問いに対して言葉で応じること。返事。返答。
2 問題・設問などを解いて出される結果。解答

なんか違うな。
辞書の答えとは、僕が使っている答えの意味が違う。
答えという意味に、正解という意味と、
正解という意味よりもその範囲が広い、
曖昧なイメージがある。

答えのないことに対する答えを、
どこから、どこまでとするか。
これは難しい。
答えは無数にあって、
一つもない。
なんか狐につままれたような話だ。

何が言いたいのか分からなくなってきた。


答えのないと思われるものを考えようとするのは、
答えと出すという喜びよりも、
答えがない、答えが出ない、
終わりがない。
すなわち、終わりというものから逃げているのかも知れない。

終わりのあるものと、
終わりのないもの、
その終わりというもの、
これをいろいろなもので調節していきているのかもしれない。
人間は究極的に、
この2つの違いを作り出して、
バランスをとり、いきているのだろう。


ああ、話は違うけど、
引き際と、引継ぎ(後継者育成)は大切だけど、
一番難しい問題ですね。

それぞれの道

岐阜で中学からの友達に2人会った。
どちらも、俺とは比べ物にならないくらい個性的。
個性的とは何かと聞かないでください。
社会一般の認識で。。。

いやー、人生っていろいろだな。
おもしろいな。
2人ともどうなるか、全く予想が付かない。

なんか分かったかも

ブログ。
僕が日々の生活をブログに書かない理由。
衝撃がないから、表現したいという衝動に駆られないから。
なんか、面白いとか、すごい、おれはこう思う、と思ったときにブログを書く。

なんでもない日々をブログに毎日更新できる人はすごいなと思う。
というか、性質が全然違うのだろう。
どっちがいい悪いではなく、
同じ価値観で考えるのがいけないんだよなぁ。
当たり前だけどね。

太陽と写真

昨日、鶴ヶ島に行ったときに友達から一枚の写真をもらった。
彼は一枚の日の出の写真をくれた。

インド・ガンジス川の写真だ。
もちろん、僕が今年の夏インドに行くと知ってのこと。

この写真、何がすごいって、見れば一発で分かります。
朝の沐浴したくなるほどの写真です。

で、富士山の頂上から見た日の出と同じ太陽なはず。
でも、富士山の頂上とこの写真では目に映る太陽は全く違う。
もっといえば、街中で昼間見る太陽とは全く違う。

それは、その環境や、心理状態、天候、対象物などによって違う。

でも、本質的には一緒である。
太陽自体は同じものであるはず。

ここで、日の出とは太陽をメインとして、それを見に行っているはず。
でも、同じものならどこでも見れる。
ではなぜ、特殊な場所に見に行くのか。
それは、周りの環境を見に行き、
その環境が作り出す、太陽との相乗効果を見に行っている。
当たり前ですよね。