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October 04, 2004

自らだけが知る規範

まずは、イチローが、記録のためでもなく、他人からの
評価のためでもなく、ただ自分の内部の目的、美意識
に従って自己修練してきた結果が、あの瞬間だった
ということ。
 自らだけが知る規範に従って厳しく求道する、
というのは、野球だけではなく普遍的な倫理基準だと
思う。


「自らだけが知る規範に従って厳しく求道する」、これは僕がいつも思っていること。
自らだけが知る規範、これは僕にもある。でも、これをうまく表現する言葉がない。僕には見つからない。一つ一つの例を挙げていけばいえる。しかし、自らだけが知る規範それを抽象的に、包括的に表現する言葉がない。

さらに、「自らだけが知る規範」この言葉自体の意味が、他人に伝わっているかも僕には分からない。

「自分の内部美意識」この言葉とも似た意味である。

果たして伝わっているのだろうか?

これから、より良い表現が見つかるまでこの言葉を使おう。

己の生きる道を支える言葉

己の生きる道を支える言葉=会社でいえばこの前書いた楽天の成功のコンセプト、社訓、個人で言えば座右の名とかそんな感じだろうか。

己の生きる道を支える言葉を考えようと思う。
考えるというか、生活していく中で自然と自分が言い聞かせていることを列挙しよう。
そして、自分に言い聞かせれるようにしよう。

僕は、日本という国で生まれ育ってきた。日本的考え方、日本的文化が染み付いている。日本的文化は仏教の影響を大きく受けている。すなわち僕は生まれ、育っていく間に仏教的考え方になっていると思う。そして、この年になり自分は仏教的考え方であると言うのも実感している。(これはブッダガヤでそう確信した)最近の日本人は無宗教という人が多い。僕も昔は宗教なんてと思っていた。しかし、今は文化的仏教徒だと思う。僕が思う文化的仏教徒というのは、文化から影響され自然と仏教的考え方、仏教的作法を行っている人のことだ。

釈迦は言った。まず自分ありきだと。何かあったら自分で考え抜け。あるがままの心に従え。そして考えて答えを導き出して、行動しろと。それでも答えがなかったら法(仏陀の教え)を読み、参考にしろと。僕は自分の考えの助けとなるように「己の生きる道を支える言葉」をメモしようかなと思う。

あと、大学在学中にやりたいこともリストアップしようかな。

行きたい国はたくさんあるけど、アメリカ(シリコンバレー、ニューヨーク、ワシントン)ボリビア、ペルー、(コスタリカ)、中国、フランス

言葉、抑揚に心の本質が出る

またもイチローについて。

彼の言葉、特に映像で見た場合。
すごくズシーンとくる。

何でだろう。
やっぱり、自ら考え抜き、自らの道を持っている人間、そういう人は一語一語、そして言葉の間、抑揚、それらが普通とは違う。

普通とは違うというか、その言葉を発するまでの過程がしっかりしている。何をしゃべろうかと考えた過程のことを言っているのではない。人生そのもの、日々の生活、些細な行動、生き方、自分の道を考え抜いた結果として、コメントに重みが出ている。言葉に魂がこもっている。

これは、付け焼刃で見せ掛けだけかっこいい言葉を言ったとしても伝わらないものである。その人の人生そのものが関わってくる。イチローという人の今までの人生すべての結果として、自然とあのような言葉が出てきて、あのような間が取られ、あのような抑揚で、あのような表情が生まれるのだ。

よく聞くイチローのエピソードで、自分のグラブとかバットを非常に大切にすると聞く。グラブなどは小さいころから入念に磨き、何年も使ってきたと聞いた。

用具を大切にしたからといって、それ自体が野球をうまくするわけではない。いくら用具を大切にしても野球はうまくならない。しかし、直接的にはうまくならなくても、その用具に対する姿勢がイチローの野球に対する姿勢そのものなのだ。そしてその姿勢はすべての行動にも影響をしている。もちろん、このようなことは、彼から発せられる言葉にも影響をしている。

このようなことは彼から学ばなければならない。

頭の隅においておく。という言葉がある。
僕たちは何かを考えたときに、メモをしなかったら忘れてしまうことがある。忘れたと自分は認識していることがある。その時考えたことをそのまま引き出そうとしたら、出てこないかもしれない。しかし、一回でもそのことを考えたことによって、脳の回路は考える前とは違うはずである。すなわち、覚えていないと思った些細な思考も、脳には大きな影響を与えている。これはもちろん、発せられる言葉にも影響を与えている。こういうことの積み重ねが、発せられる言葉一語一語を決定していく。

中身のある、信念のある人から発せられる言葉はだから違う。一見するとたいしたことは言ってないかもしれない。テキストにすると、心のそこまで響いてこないかもしれない。しかし、直接話を聞いたり、表情などすべてを含めて聞くと、ガツーンと心に響く言葉を話す人がいる。それは、その人に信念があるからだろう。

信念を持った言葉を発する人というのは、同じような人を見抜けるだろう。付け焼刃でかっこいいことだけをいう人を見抜けるだろう。目の前の利益だけのために、その場しのぎのために嘘で塗り固めたことをいう人もいる。そういう人は人生も嘘で塗り固めているのだと思う。(まあ、そうやって送る人生もその人が正しいと思えば、僕にとってはどうでもいいのだが。)でも、僕はそういう人と話したいとも思わないし、同じ空間を共有するのも好きじゃない。

僕にはイチローやそれぐらいの信念を持った人ではない。まだ信念とまでいったものはないし、自分でこうしようと思っても出来ていないことがたくさんある、そんな程度の人間だ。でも、自分なりの美意識というか、自分が絶対に許せないこと、その場その場で思う、こう生きたいというものはある。いろいろな経験をし、考えることによる積み重ねで信念になっていくのではないかと思う。


そして、僕がすごく面白いと思っている方のぶろぐより引用


高貴と求道
 イチローの最初の2打席はテレビの
前で見ていた。

 言うまでもないことだが、感動した。
 二点。
 まずは、イチローが、記録のためでもなく、他人からの
評価のためでもなく、ただ自分の内部の目的、美意識
に従って自己修練してきた結果が、あの瞬間だった
ということ。
 自らだけが知る規範に従って厳しく求道する、
というのは、野球だけではなく普遍的な倫理基準だと
思う。
 そして、あのセレブレーションの気高さと美しさ。
試合途中だが、チームメートがベンチを出て、抱擁
する。
 シスラーの子孫と握手する。何の衒いもなく、
ただ、気持ちに寄り添っているだけである。
 美しかった。

 2チャン、テロ、IT企業の強欲。イチローの
あの歴史的瞬間に、人々の心の中で敗れ去ったものは
多いのではないか。

 テレビの害云々を言うえせ科学者や、
評論家は多いが、あのような
場面を見ない、ということの損失についてはどう
考えるのだろう。
 9/11テロの映像のように、見ていなくては
始まらない映像というものはあるものだ。

すこし、文章が荒いことがあるこの方だが、とても僕の視点と近い部分があるときがある。
僕も、あのイチローの打席とコメントを聞かなかったら人生の損失だと思う。